転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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148話 死の大地への上陸

サババの港町は、北の海から運ばれてくる冷たく湿った空気と、南の山脈から吹き下ろす温かな空気が混ざり合い、この時期の早朝は深い朝霧に包まれるのが常であった。

 

その立ち込める朝靄が晴れぬ頃、一人の壮年の男が海に突き出した突堤の先に向かって歩いていた。その男の足取りは、その先に誰がいるのかを確信しているかのような足取りだった。

 

その時、男の前に霧の中から槍を持った男が陽炎のように現れ、眼光鋭く立ち塞がる。

 

「止まれ……。この先に、何用だ?」

 

男は立ち止まり、ごく自然な動作でその槍を持った男に返答する。

 

「竜騎将バラン殿に会いに来た。……通していただきたい」

 

「貴様……!」

 

一歩足を踏み出す槍を持った男。しかし、霧の中からもう一人の男が現れ、槍を持つ男の肩に手を置き、その行動を押しとどめた。

 

「下がれ、ラーハルト。この男は私に用があるようだ」

 

ラーハルトはその言葉に恭しく頭を下げ、忠誠を誓う主のためにその場から下がる。

 

「私がバランだ。貴殿は?」

 

「これは失礼した。我が名は、バウスン。竜騎将バラン殿に攻め滅ぼされたリンガイア王国の末席にいた者です」

 

その言葉に真っ先に反応したのはラーハルトだった。いかようにも対応できるよう、右手に持った槍の穂先をバウスンに向ける。その様子をバウスンは視界に収めているはずだが、彼の視線はバランに固定され、微動だにしなかった。

 

「やめぬか、ラーハルト。バウスン……。リンガイア攻略において、超竜軍団の海上からの侵攻を悉く防いでいた将軍の名が、確かバウスンと言ったか」

 

「いや、私は生涯忠誠を尽くすと誓った王家と、守るべき民草を守る事ができなかった愚か者よ。とうてい、将軍などと呼ばれるに相応しい身では無い」

 

「では、私も既に魔王軍とは袂を別った身。竜騎将とは呼ばれぬようお願いする」

 

その言葉に、バウスンの目がキラッと瞬いた。

 

「ほう……? では、魔王軍の将の一人であった際に、貴殿が行った事に関しても捨て去ったと?」

 

「いや、捨ててはおらぬ。ふむ……、貴殿は思い違いをしているようだ。私は確かに魔王軍とは袂を分かったが、魔王軍の将であった際に行った行為について顧みるつもりは一切無い」

 

「ふっ。その言葉を聞いて安堵した。これで何の憂いなく貴殿に決闘を申し込む事ができる」

 

バウスンはおもむろに自身の右手にはめていた手袋を外し、バランの足下にそれを投げ捨てた。それは、古来より伝わる決闘の申し込みの作法であった。

 

バランは、静かに自身の足下に投げられた手袋を見つめる。当然彼も、その作法の意味は知っていた。その目には、一種の諦めにも似た感情が浮かんでいたが、それに気づいた者はいなかった。

 

「……受けぬ、というのは貴殿ほどの男に対して失礼に当たる……か。……良いだろう」

 

そしてバランは、すっと膝を落としてバウスンの放った手袋を拾う。この瞬間、バウスンとバランの決闘は確定した。

 

 

「それで、どのような決闘をお望みか……?」

 

「誰にも知られず、誰にも見られぬ場所で1対1の決闘を。代理は認めぬ。私と貴殿で。実行は、魔王軍との戦いが終わった後とする」

 

「良いだろう。では、魔王軍との戦いが終わった後に……」

 

「ええ。……ご武運を、()()()バラン殿」

 

バウスンはバランにそう告げて、用は済んだとばかりにさっときびすを返した。もとよりバウスンは、バランに勝てるとは考えてもいなかった。しかし、これは彼にとってのけじめだった。愛息子が生きていようが、死んでいようが関係ない。彼にとって忠誠を誓った王族を守れなかった時点で、その決意は定まっていたのだから。

 

去って行くバウスンの背を、バランは静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

「お早うさん、ダイ。どうだった、親父さんとの水入らずの夜は?」

 

明朝、ダイの顔を見に突堤の先端に行くと、ダイは軽く身体を動かしていたみたいで少し上気した顔で振り返った。

 

「ああ、ポップ、お早う。もう、聞いてよポップ。父さん、ひどいんだよ」

 

「な、何が酷いんだよ? お母さんの話を聞かせてくれなかったのか?」

 

「お母さんの話はたくさん聞けたよ。辛い食べ物が苦手だったとか、俺を抱いてよく笑っていたとか、父さんにどんな事で怒っていたとか。でもね、それだけじゃなくて父さん、ロモスでの武術大会を見ていたみたいで、俺に文句ばっかり言うんだよ」

 

武術大会を見ていた……? あの時、バランがロモスにいたって事か? 俺がダイの言葉に驚いている間にも、ダイは眉間に皺を寄せてバランに対する愚痴を続ける。

 

「やれ、『(ドラゴン)の騎士があんな見世物のような大会に出るとは何事か』とか、『出た以上優勝しかありえないのに、負けるとは何事か』とか。最後には、俺が電撃呪文(ライデイン)を撃つ時の唱え方にまで文句をつけてくるんだよ。呪文の威力は唱え方、指の使い方一つでまるで変わってくるって、細かい事まで注文つけてきてさ。父さんって、皆あんななのかな……? もう俺、小言だらけで頭が痛くなっちゃったよ……」

 

「……ぷっ。く、くっくっく。あ、あははははっ!」

 

「あっ!? なんで笑うんだよ、ポップ! 俺、本当にうんざりしたんだからな!」

 

俺はダイのその言葉に心の底から笑いがこみ上げて、誰に隠す事無く大口を開けて爆笑した。だが、ダイはそんな俺に対して「ひどいよっ!」、と拳を振り上げて文句を言う。いや、だってダイ、それって……。俺は笑いすぎて目から零れた涙を拭いながら、手を振って抗議をするダイの頭にぽんと手を置いた。

 

「あ、あははは。いやー、良かったな、ダイ。俺、お前とバランがそんな会話が出来る関係になった事がたまらなく嬉しいよ……。我ながら、頑張った甲斐があったよ、うん」

 

「何言ってんだよ……。何が良かったんだよっ。全然良くないよ、全く……!」と、頬を膨らませて怒るダイ。

 

「ふふふ。お前もいつか、子を持つ歳になれば分かるよ。バランの、親父さんの気持ちがな。それより、朝ご飯の支度が出来たから、用意が出来たらこっちに来いよ。バランと、ラーハルトも連れてな。じゃ、また後でな、ダイ」

 

そうダイに声をかけて、俺はまだ納得していない様子のダイを置いて、来た道を戻っていった。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

サババの港を離れ死の大地に近づくにつれ、波が徐々に高くなっていく。その唸りを上げる波を切り裂く様に、一隻の大型艦が死の大地に向かって突き進んでいた。それは、大国ベンガーナがサババのドックで急ピッチで改修していた、昨日の親衛騎団の襲撃による破壊をも辛うじて免れた大型艦『ドラコー』だった。

 

この艦は、先日パプニカで無残にも鬼岩城によって破壊された『アレス』の兄弟艦に当たる。名称こそ当初は『アル・アレス』という名であったが、パプニカより戻ったベンガーナ国王クルテマッカが、急遽古代語で竜を意味する『ドラコー』という名に改名した経緯のある艦であった。

 

今、その『ドラコー』がパプニカで散った兄弟艦の無念を晴らすかのように、世界各国から集った勇士を乗せて、死の大地目がけて風のように疾走していた。

 

その大型艦の後部中央に設置された船橋で舵を握る操舵手が、その隣でじっと前を見据えていたバウスンに声を投げ掛ける。

 

「しかし、本当にあのような策が上手く行くのでしょうか? 未だに私などは信じられませんが……」

 

リンガイアから突き従う自身の部下のその不安そうな表情を見て、バウスンもさもありなんと、大きく頷いた。

 

「確かに……な。私もポップ殿の口から作戦案を聞いた時は、我が耳を疑ったよ。と言うより、彼でなければ、私はそれを口にした者の頭が狂ったのではないかと思う所だった」

 

「ははは。確かに……! それにしても、ノヴァ様もご無事で良かったですなぁッ! この戦いで大魔王を倒して、早くリンガイアを復興させたいものです」

 

バウスンはその言葉に頷きで返し、『ドラコー』の甲板前方に集まっている勇者一行(パーティー)に視線を投げかけた。

 

 

 

「むむ……。揺れが激しくなってきたぞ。大丈夫なのか、この船――。うひゃっ! ペっぺっぺ!」

 

ポップが大型艦ドラコーの甲板上で手すりにしがみついていた時、折悪く激しい波しぶきが彼の顏に降りかかり顔を顰めた。その様子を見て「くすくす」と笑みを浮かべながら言葉を返したのは、ポップ同様に手すりに掴まっていたマァムだった。

 

「まあ、大丈夫なんじゃない? この船、ベンガーナが誇る新鋭艦らしいし」

 

その言葉を聞いても、ポップはうさん臭そうな顔をしたまま、ぶつぶつと呟いている。そんな2人の側では、ダイ、ヒュンケル、クロコダインが徐々に視界に大きく映ってきた死の大地を無言のまま見つめていた。

 

 

 

「それでは、皆さんとはここで別行動になります。皆さんの武運を祈っています!」

 

バウスンは、ドラコーの側舷に係留していた小舟が海面に着水し、波にゆらゆらと揺れる様子を看板上から見下ろしながらそう声を掛けた。

 

「ああ、後は任せな!」と、小舟に乗った勇者一行(パ―ティー)が自分達を見下ろす戦士達に手を振る。小舟の最後方にその大きな身体を縮こませるように座っていたクロコダインも頭上を見上げて、軽く手を挙げた。小舟の先頭に座っていたヒュンケルが、一度だけ頭上のバウスンを見上げて頷きを返した。

 

そして、彼ら勇者一行(パ―ティー)は波間を縫うようにして、死の大地に向かって船を進めて行く。

 

次第に小さくなっていく彼らの背をゆっくりと眺めていられる余裕は、バウスンには無かった。胸のポケットから懐中時計を取り出した彼は、作戦決行の時間までもういくらも残っていない事を悟った。彼ら勇者一行(パ―ティー)がドラコーの航跡の影響を受けないほど離れた事を確認したバウスンは、背後を振り返り大声を張り上げた。

 

「よしっ! もういくらも時間が無いぞ! 帆を張りなおせ! 急ぎ、死の大地の北岸に向けて出発だ!!」

 

その声に、ドラコーの水夫達が大声で答え、再びドラコーは死の大地の海岸線を左方に見やりながら北へ北へと突き進んでいった。

 

 

 

 

~~~~『死の大地』 北西の岸壁~~~~

 

 

「前線が、徐々に敵を押し込んでいますね」

 

『死の大地』北西の海岸に着岸した大型艦『ドラコー』。リンガイア王国からの付き合いである副官の報告に、バウスンは静かに頷きを返した。バウスンは今、船の甲板上に立っていた。それは、船の甲板は眼前に広がる死の大地より一段高い位置にある事から、全体を把握し指揮を取るのに最適なためだった。

 

バウスンの耳には、その死の大地を舞台に繰り広げられている魔物と戦士達の激しい戦いの喧騒が届いていた。戦士団の前線は、各国の兵士を糾合した戦士団で構成されており、その後方には、遊撃任務に適した冒険者パーティーの集団が続いていた。その様子から目を離さないまま、バウスンが副官に返事を返す。

 

「そのようだな。だが、我々の役割は、あくまで別行動を取っている勇者一行(パ―ティー)の陽動だ。必要以上に死の大地に足を踏み入れぬようにせねばならん」

 

「はっ、その旨もう一度徹底させておきます」

 

そう返事を返した副官は伝令にその旨を伝え、死の大地上で展開されている魔物と世界の勇士達の戦いに目を落とした。

 

 

 

「イザベラ、前に出すぎている! 派手に暴れるのは良いが、一人で突出しすぎるな!」

 

イザベラの背後から、パーティーのリーダーであるユーリカの声が飛んだ。

 

「分かっているよ! だけど、陽動だけってのはどうにもやりにくいねぇ! 別にあたい達が敵の親玉の首を取ったって良いんだろう!?」

 

「馬鹿を言うな! バウスン将軍から俺達が果たす役割を口を酸っぱくして言われただろう! 俺達の役割は、ポップ君達が敵の中枢に乗り込むための陽動! 冒険者らしく依頼人の要望には素直に従え!」

 

「分かってるよ! 言ってみただけだ! 全く、ガミガミと―― ――!? チィッ!!」

 

突然自身の右側面に現れたアンクルホーンに舌打ちをしたイザベラだが、彼女が身構える前にそのアンクルホーンの右目にどこから飛んできたのか、1本のナイフが突き刺さる。

 

苦悶の声を上げるアンクルホーンに、好機と判断したイザベラはランカークス村で購入した自慢の大剣を叩きつける。肩口から脇腹まで袈裟切りされたアンクルホーンは、胸から大量の緑色の血を噴出し苦悶の声を上げる。そこに突如、横合いから氷結魔法の冷気がアンクルホーンを襲い、ようやくアンクルホーンの残った左目から光が失われていった。

 

「すまない、ジーナ!」とアンクルホーンの右目に刺さったナイフを見ただけで、誰がそれを投擲したのかを察知したイザベラが、少し離れた所で戦うジーナに声をかける。ジーナはその声に片手を上げて応えるだけで、速さが身上の軽剣士らしく1カ所に留まる事なく戦い続けている。

 

「俺も援護したのを忘れないでくれないかな、イザベラ。……それより、気づいているかい?」

 

「援護って氷結魔法の事かい? あんなの無くても、あいつはあたいの一撃で虫の息だったさ。……気づいたかって何の事さ、ユーリカ?」

 

きょとんとした表情で見返すイザベラに、ユーリカが苦笑する。そんな2人のやりとりを側で見ていたクラウスが、口を挟む。

 

「敵の動きの事だろう、ユーリカ? 前線の兵士がむやみに深追いしないのを見て、それを釣り出すような動きを取り始めた。こっちはこっちでむやみに戦線を拡大しない様に立ちまわっているが、向こうは向こうで我々を引きずり込みたい意志が見え隠れする」

 

「そういう事。これはもしかすると、向こうも何らかの罠を用意しているかもしれないね……」

 

「罠……! そいつはまずいじゃないか! 早く大将に伝えないと!」

 

普段から難しい事はリーダーであるユーリカに丸投げしているイザベラでも、敵の罠に陥る危険性は長い冒険者生活で骨身に染みるほど染みていた。敵の罠に嵌まって迷宮内で全滅したパーティーなど、冒険者仲間の間ではざらにある話だったからだ。

 

「そうだね、あの将軍がそれに気づいていないとも思えないけれど、前線の肌感覚を知らせるのは大事かもしれないね」

 

ユーリカはそう言って、首を背後に巡らした。後方の大型艦の甲板上に構築された指揮所までは随分と距離がある。誰かに伝令に走ってもらいたいのだが、と周囲を見渡すユーリカに格好の存在が目に入った。

 

「おーい、チウ君! ちょっと来てくれないか!」

 

昨日の取組合で審判を買って出ていた大ネズミのチウに、ユーリカはとっくに打ち解けていた。正直、ユーリカは敵の中に大ネズミ族がいなかった事に安堵したほどだった。

 

「呼んだ、ユーリカさん!?」

 

目が回らないのが不思議でしょうがない程丸めた体を回転させて敵に体当たりしていたチウが、息を切らせてユーリカの側にやってくる。

 

ユーリカは、手短に敵の行動の変化をチウに伝え、それを後方の将軍に伝達してもらえないかと頼む。そこには、チウはポップ達勇者一行(パーティー)とも共闘した事があるため、将軍ともある程度の面識があるだろうという判断もあった。

 

意図を理解したチウはユーリカのその求めに二つ返事で了承したかと思うと、すぐに指を口に加えてピィーという甲高い音を発した。途端にそのチウの隣に、空から降り立つ一匹のパピラス。一瞬、ユーリカを含めて周辺の冒険者に緊張が走るが、チウが親しげにそのパピラスに話しかける様子を見てその警戒を解いた。

 

「パピィ、後ろの船まで僕を乗せていってくれない?」

 

「クワァアー! クワッ?」

 

「ああ、隊員2号のゴメちゃんは朝から見当たらないんだ。3号のマリベえは、陸上では力を出しにくいから船の周りにいるはずだよ。じゃあ、よろしくね!」

 

そしてチウはパピィの背中に飛び乗り、それを確認したパピィは徐々に高度を上げたかと思うと、後方の船に向かって飛翔した。

 

その様子を周囲の冒険者達は唖然とした表情で見つめていた。

 

「全く、この戦いは歴史に残るかもしれないね。人間と魔物が一丸となって敵と戦うなんて、聞いた事が無いよ……」

 

「そうだね、イザベラ。でも、こういうのも案外悪くないと思うよ。少なくとも、俺はこの先大ネズミと出会っても戦えなくなっているし」

 

ユーリカの言葉に、その場所で戦っている冒険者達から「違いない」と笑い声が上がった。

 

「それもそうだね。クロコダインの奴も、この大地で戦っているんだろうし、負けていられないね。さあ、行くよ!」

 

イザベラは、この地から逃がさんとばかりに攻め上がってくる魔物達に剣を構えた。

 

 

 

 

~~~~『死の大地』 大型艦 ドラコー甲板上~~~~

 

 

大型艦ドラコーの甲板上で、先ほどチウから聞いた前線からの報告についてバウスンと副官が意見を述べ合っていた。

 

「敵が我々を引きずり込む動きをしている……ですか。どうにも気になる情報ですね」

 

「うむ、殲滅では無く引きずり込む、という所がな。一計を講じているのは、こちらだけでは無いという事らしいな」

 

数多くの戦いを経験していたバウスンには、敵が自軍を引きずり込もうとする際の狙いをいくつか挙げる事が出来た。1つは、軍を本陣から引き離し、その隙に本陣を強襲する。しかし、それは強襲をかける本陣にそれをされるだけの価値があった場合に限られる。大魔王が、この場でバウスン達の命を策略をもって狙ってくるはずがない。大魔王の狙いは、あくまで人間側の最高戦力である勇者一行(パーティー)なのだから。

 

となると2つ目。それは、単純にその方がより効率的に敵を殲滅できるという思惑。智将バウスンは、大魔王の狙いはおそらくそれだと察していた。

 

……この地に長く留まっていてはいけない。

 

それは、彼の戦略眼と直感が融合し導き出した結論だった。

 

バウスンは再び胸元から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。午前11時。時計の針を確認したバウスンは、死の大地の中心に雲を貫く様にしてそびえ立つ頂の先に目をやった。

 

その時、「将軍! 見えました!」という帆柱の上部に設置されている見張り台から、遠方の哨戒をしていた水夫の声が飛んだ。

 

即座にバウスンが大声を発した。

 

「我々の任務は完了した!! これより、全軍撤退する!! 冒険者は予定していた通り、殿を!!」

 

その声に、周囲の側近が慌ただしく動き出す。撤退する戦士の退却路を確保する者、殿を務める冒険者達への援護、負傷者の収容。皆が事前に決めていた分担に従い、動き始める。その時、海側を担当していた見張り台の水夫が声を張り上げた。

 

「将軍! 海上より海竜が複数接近中! 本船の離脱を妨害する意図ではないかと思われます」

 

哨戒の兵からのその言葉に、バウスンは背後の海上を振り返った。なるほど、確かに7、8匹ほどの海竜が船を包囲するかのように扇状に広がりつつ迫ってきていた。また海竜を相手に戦をする事になるとは……。リンガイアで幾度となく矛を交えた相手と、再び相まみえる自身の身を呪いたくなるバウスンだった。

 

しかし、その彼の過去の苦い経験は、バウスンに海竜への対処法を確かに伝えていた。

 

「曳航して来た船を使え。事前に伝えていた通り、パプニカ魔法兵の準備を急がせよ!」

 

「ハッ!」と返事を残して指示を伝えに走る伝令。船の艫に結び付けていた小舟のロープが緩められていく。その小舟に乗り込むのは、3名ずつに分かれたパプニカ魔法兵だった。

 

魔法兵が乗船し準備の整った船から次々と海竜に向かって突き進んでいく。それは、自然の風頼みで動く船では考えられないほどの速度を発揮していた。何故なら、小舟の帆には自然の風ではなく、魔法により人為的に生み出された風、つまり神風呪文(パキ)による突風が当たっていたからだった。

 

そう、一隻の小舟には、帆に神風呪文(パキ)の魔法で風を送る者、舵を操る者、そして攻撃魔法を駆使する者の3名が乗船していた。1匹の海竜に正面から向かっていく小舟。その小舟は海竜の鼻先で方向転換し、その瞬間爆裂魔法を海竜に放っていた。その動きを何度か繰り返すと、海竜は大型艦の脱出路を塞ぐという当初の目的を忘れたのか、その小舟を追いかけ始めた。

 

そうした行動を全ての小舟が取り始めた事で、徐々に海上に構築された海竜の包囲網が崩れていく。これこそが、バウスンが狙っていたものだった。海竜は、自身の身体よりはるかに小さい者に纏わりつかれる事を嫌い、次第にその小さい者を執拗に狙う事しか頭になくなる。これは、その海竜の特性を戦術に生かした智将バウスンの面目躍如と言った指揮運用だった。

 

「上手くいきそうですね、将軍」

 

「……うむ。このようなケースを見越して、極めて汎用性の高いあの魔法を開発していた賢者ポップ。そして同時に、この魔法の真価を理解し積極的に習得を試みたパプニカ魔法兵。彼らの先見の明に、私は惜しみない賛辞を贈ろう」

 

バウスンは、海竜を吊りだし海上を疾駆する頼もしい船をその視界に入れ、目を細めた。

 

 

 

上手く海竜を釣り出す事に成功した1隻の船の上で、舵を握る兵士が満足そうに大声を張り上げていた。

 

「どうやら上手くいったようだぜ! 今日は、神風呪文(パキ)の魔法で海戦のやり方が変わった記念すべき日になりそうだな」

 

「ああ! 城では肩身の狭い思いをしたからなー。これを見てくれたら、姫やエイミ様も考えを改めてくれるだろうさ!」

 

「ははは、違いない! 俺は祝勝会の後の、あの3日間の城中の便所掃除の地獄を忘れていないからな!」

 

与えられた任務を果たして満足そうな3人の魔法兵が、このような会話を交わしているのには理由があった。この船だけでなく、今沖合に出航している舟に乗っている魔法兵は皆、あのパプニカ奪還時の祝勝会で神風呪文(パキ)の真価をその目で見ていた、否、見てしまった面々だった。

 

あの祝勝会の後、賢者ポップに教えを乞い彼らはこの魔法を習得していた。出力の大小と細かな制御は別として、魔法自体は真空呪文(バギ)さえ扱える者なら習得が容易い魔法だった。しかし、彼らがレオナ王女や3賢者のエイミを筆頭とする女性魔法使い達に白い目で見られながらもどうにか覚えたこの魔法は、時を置かずして王城では使用禁止のレッテルが貼られる事になってしまった。

 

その原因は、誰とは言わないがどこぞの某大魔道士だった。彼が城を来訪する度に神風が城内で吹き荒れ、それと同時にうら若き女性の悲鳴が王城の其処かしこで聞こえるようになってしまったのだ。城内の風紀の維持のために、『城内で神風呪文(パキ)の使用を禁ずる』という通達が発出されるのは時間の問題だったと言える。

 

「あの通達さえなければ、こっそりと使いたい娘がいるんだけどなー!」

 

「俺も俺も! だいたい、マトリフ殿はやり過ぎなんだよ! こんなのは、ばれない様にやらないと!」

 

「そう言えば、最近神風呪文(パキ)対策でスカートの裾に重りを仕込んでいる子が増えているらしいぞ」

 

「「嘘だろう!?」」

 

海竜に追い立てられながらこんな会話を交わしているパプニカ魔法兵。しかし、誰にとって幸か不幸か、パプニカ城内で神風呪文(パキ)の禁呪扱いが取り消される日は、二度とやって来なかった。

 

 

 

「ユーリカ、そっちはどうだ! こっちはもういけるぞ!」

 

「ちょっと待ってくれ、ハーシェン! 今、罠を仕掛けている所だ!」

 

ユーリカは、自分達のパーティーの左翼でしんがりを務めているパーティーのリーダーに声を張り上げる。ユーリカが見た所、右翼のミランダのパーティーも撤退の準備は出来ている様子だった。

 

既に正式に撤退命令が出ていた彼らは、しんがりを務めながらじりじりと後方に下がっていた。しんがりの役目は、味方の撤退の時間を稼ぎつつ敵をその場に足止めし、十分な時間を稼げたら最後には自分達もゴムが千切れたように瞬時に退却する事だ。トラップスキルに優れた斥候兼剣士のジーナを擁するユーリカのパーティーは、その困難な任務の中核を受け持っていた。

 

「――氷系呪文(ヒャダイン)!! ジーナ、まだか! もう保たないぞ!」

 

「あと少し我慢しなさい! 男でしょ! あんまり早いとトワに嫌われるよ!」

 

虎の子の氷結魔法を唱えて魔物の足止めをしたユーリカが、際どい下ネタで返してきたジーナに思わず苦笑する。ユーリカの隣では、イザベラが爆笑しながら大剣を振っている。本当に俺達のパーティーは女性が強い……。がっくりと肩を落としたユーリカのその肩に慰めるように手を置いたのはクラウスだった。

 

「諦めよう、ユーリカ。怪我人の応急手当はだいたい終わったよ。合図があれば、皆全速力で駆けられるだろう」

 

「……分かった。じゃあ、クラウスは先に撤退を始めてくれ。俺達も直ぐに後を追う」

 

足の遅いクラウスに先に撤退を始めるよう伝えたユーリカは、再びジーナに目をやった。

 

ジーナは、退却ルート上にいくつもの罠を仕掛けていた。氷系呪文(ヒャダイン)により氷結した集団を押しのけ、魔物が徐々に迫ってくる。その様子を見てじりじりと気が急くが、ジーナのトラップスキルに絶大な信頼を置いているユーリカは、これ以上彼女に声をかけて邪魔をする事をしなかった。

 

軽口を叩きながらも、ジーナの手は休むことなく動き続けている。指が増えているかのように見えるほどの指使いで、細く鋭利なワイヤーを尖った岩と岩の間に結び付けていく。同時に地面には、踏めば突起物が飛び出す道具を一定間隔で設置する。それは、地形条件に加えて、押し寄せる魔物の身長や歩幅までも計算しつくした罠の数々だった。

 

ジーナのトラップスキルは、もう随分前に引退したとある冒険者の直伝と聞いている。ユーリカは会った事が無いが、ジーナはまだ駆け出しの時分にその冒険者に押し掛ける様にして師事し、その技術の一端を受け継いだらしい。

 

「OK! 皆、私の投擲を合図に下がって! ハーシェン、ミランダ、これを使って!」

 

ジーナが、鞄の中から小さな袋を3つ取り出し、そのうちの2つを左右のパーティーのリーダーに放り投げる。

 

「助かる!」、「ありがとう!」と左右の冒険者パーティーのリーダーであるハーシェン、ミランダから声が飛んだ。彼らもギリギリの所で踏ん張っていた。筋骨隆々のハーシェン(男)の手にある斧は、半ば折れかけていた。長い髪を振り乱して矢を速射で放っているミランダ(女)には、もう矢のストックがほとんど残っていない事が見て取れる。

 

「投げるわよ! タイミングを合わせて! 3、2、1、今!」

 

ジーナと、左右のパーティーからも投擲の得意な者が同時に、袋を迫ってくる魔物に投げつけた。魔物に当たった袋はするっとその口紐が緩み、キラキラと微細な粒子が周囲に広がった。その粒子は浜風に乗って直ぐに広がっていく。

 

その効果は劇的だった。拡散した分効力は落ちたようだが、それでも途端に先頭集団の魔物の足がふらつき、あるいはその場で蹲り始める。そして、その後ろから迫る魔物も先頭集団の魔物に足を取られ大混乱に陥る。

 

その隙に、最後まで残っていた3つの冒険者パーティーの面々は我先にと全速力で後方の船に向かって駆けた。もう他の兵士や冒険者達の大半は船に乗り込んでいるようだった。船の甲板上から「早く、早く」と皆が手招きしているのと同時に、撤退を助けようと彼らの頭越しにたくさんの矢が背後の魔物めがけて降り注がれる。

 

ジーナの横を駆けているミランダのパーティーの魔法使いレティが、荒い息を吐きながらも口を開いた。

 

「ハァッ、ハァッ! あ、相変わらずジーナ姉さんの迷い草の威力は極悪ですね。あれ、手作りでしょう? い、いい加減、レシピ教えてくれません?」

 

「馬鹿言ってんじゃないよ! あれは、私が先輩に教わった秘伝のレシピなんだ。飯の種をそう易々と教える訳ないだろう!」

 

実際、あの迷い草の効き目は絶大だ。こんな風の強い場所で粉が拡散しなければ、どんな強敵でも1分は立ち上がれなくなる。冒険者にとってあらゆる事態を想定した事前の準備は何より大事だと、迷い草の作り方を同郷のよしみと言って教えてくれた冒険者の先輩は、ジーナに常々そう語っていた。

 

今その面倒見の良かった先輩は、ギルドメイン大陸の何処かの村で自警団をやっているらしいと風の噂で聞いた。この戦いが終わったら、探し出して会いに行ってみようかな、と駆けながらジーナは考えていた。

 

「ぶー、姐さんのケチー!」 頬を膨らませたレティがジーナに顔を向ける。

 

「あんたねー、いい加減その若作りやめたらどうだい? 昨日も成人前だとか言っていなかったかい? いったい何歳サバ読んでんのさ? せめて両手で数えられるぐらいにしといたらどうだい? 見ていて痛すぎるんだよ!」

 

器用に、駆けながら両手を出して指折り数えるジーナ。その行動を、レティは慌てたように止める。

 

「やめてくださいよ、姐さん! 私は、永遠の美少女なんです! お肌の曲がり角に来ている姉さんとは違うんですー!」

 

「言ったね、レティ! そこに直りな!」

 

「直ってたら死ぬじゃないですか! 絶対に嫌ですよーだ!」

 

背後から無数の魔物が土煙を上げて迫る中、ジーナはレティを追いかける。つくづく冒険者の精神が骨の髄まで沁みている彼女達だった。

 

 

 

 

~~~~死の大地 南東部~~~~

 

 

岩と砂だけの殺風景な岸辺に一艘の小舟が打ち捨てられていた。その側には、周囲を警戒してキョロキョロと視線を彷徨わせてる勇者一行(パーティー)の姿があった。

 

「ここが……死の大地……」とクロコダインが呟けば、生物の気配を全く感じられない光景に、「凄いところだな……」とダイが続く。

 

「あの頂の向こうから、魔物の遠吠えが微かに聞こえてくるわ……」

 

マァムが死の大地の中央にそびえ立つ頂を見上げ、その向こうから聞こえてくる魔物の咆哮や時折空に向かって立ち昇る黒い煙を見て、心細そうに呟いた。

 

「どうやら、向こうでも既に始まっていると見える」と、マァムの見ている方に同じく目をやったポップが、こめかみを伝う汗を拭いながら続く。

 

その時、先頭に立っていたヒュンケルが後続の彼らに対して「――敵だッ!!」と、警戒の声を上げた。ヒュンケルの声に、皆が彼を先頭にして戦闘隊形を取る。敵の姿は見えない。しかしヒュンケルは気配を察知しているのか、正面の高台に厳しい目を向けたまま戦闘態勢を崩さない。

 

 

「フフフ。なかなかやりますね。気配は完全に消していたつもりだったのですが……」

 

そう声をかけながら彼らを見下ろす一際高い場所から現れたのは、白銀に輝く5体で構成されるハドラー親衛騎団の面々だった。

 

勇者(ダイ)戦士(ヒュンケル)戦士(クロコダイン)武闘家(マァム)、そして賢者(ポップ)……。どうやら勇者一行(パーティー)は勢ぞろいしている様ですね」

 

そう勇者一行(パーティー)を見下ろしながら評したのはアルビナス。そのアルビナスに、鋭利な身体を有するフェンブレンが首を傾げながら口を開く。

 

「だが、ハドラー様がおっしゃっていた勇者の父親 竜騎将バランの姿が見えぬぞ」

 

「どうやら、彼は勇者一行(パーティー)とは別行動を取ったようだな。今頃はおそらく“魔宮の門”……!」

 

シグマが、右手に持った槍を地面に突き指しながらそう見解を述べる隣で、ヒムが「へへへ」と笑みを浮かべた。

 

「と言う事は、大将は無駄足にならずに済んだという事だな。バランとやらが、どれほどの実力かは知らないが、ハドラー様なら必ず!」

 

「そうですね。しかも勇者がここにいるという事は、ハドラー様は竜騎将バランと1対1で戦えると言う事。皆、私達の役目は彼らの足止め。良いですね……?」

 

しかし、ヒムはそんなアルビナスの言葉が不満なのか、ググッと拳を握りしめ眼下の勇者一行(パーティー)を睨みつける。

 

「へっ、生ぬるいぜ、アルビナス! 大将には、バランという大物の獲物がいるんだ。だったら、勇者も含めたその他大勢は俺達が貰っても叱られたりはしねえさ……!」

 

「待ちなさい、ヒム!」とアルビナスが声を張り上げるが、その時にはもうヒムはその場から矢のように飛び出し、勇者一行(パーティー)の先頭で剣を構えている戦士(ヒュンケル)目がけて駆け出していた。

 

「ハハハ! 俺はなあ、まだまだ暴れたりないんだよぉッ!! ――!? な、何ィッ!?」

 

その言葉と共に、摩擦で炎が発生するほどの拳をヒュンケルに突き込むヒム。しかし、次の瞬間、ヒムの打ちこんだ拳は、ヒュンケルが眼前で横に構えた剣の刀身で受け止められていた。どう見てもオリハルコンより劣った金属の刀身で勢いの乗った正拳突きを受け止められた事に、驚愕の声を上げるヒム。

 

しかしヒュンケルは、そんなヒムを眼光鋭く見返した。

 

「暴れたりない……だと? 奇遇だな、それはこちらも同じだ!」

 

「――!?」

 

咄嗟に手首を返し刀身を傾ける事でヒムのパワーを虚空に受け流すヒュンケル。その熟練の動作を一瞬で行われた事で、体勢を大きく崩したヒム。そんな彼に対して、ヒュンケルは剣を握った手が霞むほどの速さで剣を横薙ぎに振るった。

 

「チィッ!」と、顔を顰めながら後方に退くヒム。しかし、ヒュンケルの放った斬撃は確かにヒムの身体に届いていた。ヒムの、日の光を反射し美しくも滑らかな光沢を発する白銀の身体の胸部に、一文字の亀裂がパキパキと入っていく。

 

辛うじて(コア)に届かなかったとはいえ、危うく(コア)毎上下に身体を分断されかけたヒムは、青ざめた顔をヒュンケルに向けた。

 

「全く、悪い癖ですよ、ヒム。彼らを侮ってはいけないとハドラー様からもくれぐれも言われているでしょう」

 

「その通りだ。これに懲りて、次からはアルビナスの言葉にはよく従うのだな」とヒムの隣に次々と降り立つハドラー親衛騎団。最後にブロックが地響きを立てながら彼らの背後に降り立った。

 

 

 

サババに続き、死の大地を舞台にハドラー親衛騎団と勇者一行(パーティー)との戦いが再び始まろうとしていた。

 

 




次話は、『大賢者 乾坤一擲の秘策』です。
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