どれほど経っただろうか。あれほど激しく揺れていたこの白亜の宮殿が、今は嘘のように落ち着いていた。ちょっとした頭痛を感じるが、そんな事はこの最悪の状況においては無視しても良いものだった。
俺は身体の自由が効く事を確認し、俺に最も近い位置で倒れていたラーハルトの下に駆け寄った。ラーハルトの胸と手首に手を添えその鼓動と脈を確認する俺。俺の動きに気づいたマァムが、背後から力の無い言葉を投げかける。
「……ポップ、ラーハルトは……?」
その問いかけに、俺は首を左右に振る事で応えた。駄目だ、もう脈も、鼓動も止まっている。俺はラーハルトのもはや何も映し出していない目にそっと手を置き、その両目を閉じてやった。
「そんな……」と呆然とした声を上げるマァムをよそに、俺はダイの下へと駆ける時間すら惜しんで
「ポップ、父さんが……、父さんが目を開けないんだ……。早く、早く助けて……」
バランの手首と首下に手を添えた俺は驚いた。それは、まだバランには脈があったからだった。即座に俺は
いったい、どこに手を置けばいいというのか。欠損しているのなら、その部位を繋ぎ合わせる事で回復させられる。だが、これは欠損ではない。バランの胸部は
「……
彷徨った挙句バランの肩口に置いた俺の右手から、緑色の優しい光の粒子が溢れだすのを見て、ダイが希望を見出したかのようにホッとした顔をする。
……ごめん、ダイ。これは違うんだ。この
それが分かっているから、バーン達は俺達が戦闘態勢を全く取れていないと言うのに攻撃する素振りすら見せず、ただこちらを泰然と見下ろしている。
「……ディ、ディーノ……」
「――と、父さん!」
少しは効果があったのだろうか……。それまで微動だにしなかったバランが、不意に自身に縋り付いて涙をこぼすダイの手に、自分の右手を重ねた。
「フッフッフ。驚いたな、まだ息があったとは。さすがは神が作った
バランの下へ駆け寄った俺達の前方で、バーンがそう言葉を投げかける。もう勝利を確信しているのだろう。バーンは戦闘態勢をとるでもなく、ただその場に立っていた。その背後にキルバーンとピロロ。いや、もう1人。俺達が見ている前でミストバーンがフッとその姿を現した。その姿は、俺達になじみのある白い長套を全身に羽織った姿だった。
「なんだ、もうその姿に戻ったのかい? 久しぶりだったからもう少し見たかったのに」
「……」
キルバーンのその言葉にミストバーンは無言で返す。ただバーンからの「ご苦労」という言葉に、恭しく頭を下げただけだった。
「さて、それでは健闘著しいそなた達に、この絶景を見せてやるとしよう。刮目せよ」
その言葉と共に、俺達のいた場所の天井が徐々に開いていく。その全てが開ききった時、上空には目の覚めるような青空、そして低い位置には薄い雲がかかっている光景が広がっていた。
「こ、ここはもしかして空……なの?」
「お、俺達は地中にいたはずでは無かったのか。何故このような……」
「まさか、先ほどの激しい振動は……!」
マァム、おっさん、ヒュンケルがその光景に目を見開いて驚きの声を上げる。もちろんそれは俺も同じだった。ああ、先ほど感じた頭痛はそういう事だったか。
俺達が十分に状況を理解した事を確認し、バーンが口を開いた。
「驚いてくれたかね? これが
「そ、それでは、死の……死の大地はいったいどうしたのだ!?」とヒュンケル。
「死の大地かね? それなら先ほどハドラーの体内に埋め込んでいた“黒の
そしてバーンは、黒の
ハドラー……。目的は違えど、俺と同様にアバン先生の姿を胸の内に抱いていたハドラーに、俺は思わず黙とうする事で哀悼の意を示した。
そんな事をしていた時、背後からダイの焦ったような声が聞こえた。
「だ、駄目だよ、まだ動いたら!」
その声に驚き、俺達が背後を振り返ると、あろうことか致命傷を負っていたバランがフラフラと立ち上がっていた。おい、馬鹿。お前はもう……。
「バラン、動くな! お前はまだ……!」
「そうだ、よせ、バラン! 今は横になっているんだ!」
ヒュンケルとおっさんが、どう見ても致命傷を受けているバランを心配して声を張り上げる。
もちろんダイもだった。
「そうだよ、父さん! まだ横になっていないと……。――!」
涙を零しながらバランを抑えようとするダイの頭の上に、ポンと手が置かれた。それは、よろめきながらも立ち上がったバランの右手だった。
もはや言葉を発する力すら残っていないのか、自身を見上げるダイを優しい目で見下ろすバラン。だが、直後にバランは、バーン達に対して亀裂の入った真魔剛竜剣を上段に構える。
「フッフッフ。さすがは
その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、止めようとする俺達の手を振り切ってバランがバーンに向かって駆けた。間合いに入った瞬間、右手一本で構えた真魔剛竜剣を振り下ろすバラン。その一連の動きは、かつてバランと対峙した俺の目から見ても思わず目を背けたくなるほど……緩慢な動きに見えた。
バシュッ。
鈍い音が戦場に響き、同時にクルクルクルと、何かが宙を舞った。それは、真魔剛竜剣を握ったバランの右腕だった。鮮血を周囲にまき散らしながら、それはラーハルトの側にドンッと転がった。ラーハルト自身の流した緑色の血とバランの腕から零れる赤い血が混じりあい、黄金色のグラデーションがかった血だまりが出来る。
「父さんっ!」と、今にも飛び出そうとするダイをマァムが必死に抑える。右腕を失ったバランは、バーンの前で未だ直立していた。ゆっくりと、バーンが手に持った光魔の杖を上段に構える。
その時、俺の耳朶はゴロゴロという低い音を拾っていた。同時に、天井が開いた事で天魔の塔にさんさんと降り注いでいた太陽の光が、不意に影を差した。
……!?
ハッとして俺が空を見上げると、いつの間にか空には深く暗い雲が広がっていた。
一体、何が……。そう疑問に思っている間にも、突如出現したその積乱雲とでも言うべき深く暗い塊は太陽を完全に覆い隠し、一時的に周囲が薄闇色に包まれた。
次の瞬間、その分厚い雲から強い稲光が迸り、その光は強く俺の瞳を焼いた。ここにきて、俺はようやくその正体に気が付いた。
――これは、
ズガァァァーーン!!
その稲光は、一瞬にして俺達の前方に突き刺さる。俺達の前方、つまりその雷光はバーン達を射抜いていた。もちろん、そのすぐ側にいた天に指を指しているバラン自身も巻き添えにして。
白亜の床が雷撃によって砕かれ、白い石灰が宙に巻き上げらる。その白い煙はバーン達の姿を覆い隠したが、すぐに上空を吹く強い風がその薄いベールを拭い去っていく。
奴らは、……無傷だった。パリパリッと時折静電気のような青白い電光が彼らの周囲を走るが、ただそれだけだった。先ほどの雷撃を防ぐためだったのか、光魔の杖を頭上に掲げていたバーンがそれを下ろしながら、気だるげな表情で口を開いた。
「……ふむ。この期に及んで、
「ほんと、ほんと。あんなので僕達をやっつけようだなんて、出来る訳ないのにねー」
「クックック。そう馬鹿にするものではないよ、ピロロ。利き腕を失い、もう彼にはあの程度しか打てる手が残されていなかったんだよ」
「……」
「さあ、そろそろバランを送ってやろう」
バーンがそう言って、片腕を失い、呪文も通じずただ立ち尽くすバランに対して、右手を掲げた。そのバーンの右手の人差し指からは、チロチロと小さな炎が立ち上がっていた。
「余の火炎呪文は、古来より魔界の多くの戦士を屠ってきた。
見た目はろうそくの炎程度の大きさでしかない小さな炎がバランの身体に触れた途端、バランの身体を竜巻のような業火が包み込んだ。
肉の焼ける嫌な匂いと、離れていても感じる圧倒的な熱波がここまで届いた。しかし、俺は最後の時を迎えようとしているバランから目を逸らす事が出来なかった。そして、そのバランも何故か炎に包まれながらも背後をゆっくりと振り返り、その目ではたと俺を見つめていた。
その瞬間交錯するバランと俺の視線。間違いない。バランはダイではなく、その最後の瞬間俺に何かを伝えようとしていた。恐らくは発狂するほどの熱に包まれながらも、バランは俺の目をじっと見つめながら、最後は完全に灰と化して風にさらわれていった。
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side バラン
もはや私はここまでのようだ。横たわる私の背に、絶え間なく震える振動が伝わってくる。なるほど、どうやら
ポタッ、ポタッと落ちる水滴が私の頬をくすぐる。……ディーノ、泣くな。私はお前に泣かれるほど、お前の事を大事に出来なかった。お前に泣かれるような資格は私には無い。あの男と私は違うのだから。
私は姿形を竜魔人から人の姿に戻していた。それは、生命活動を僅かでも延命するための措置だったが、心のどこかで最後の時を彼女と同じ人の姿で迎えたい、ディーノの目に魔人として逝く姿を見せたくないと思ったためなのかも知れなかった。
私に残された時間は残り少ない。出来る事も、もはやいくらも無いであろう。それでも、何か彼らのために出来る事がないか、とただ思考を進めた。
……魔界の神 大魔王バーン。想像に反した容貌の男。あの男が、『力の強い者、破壊や殺戮を喜びとする者のみが生き残れる弱肉強食の世界』を望むだろうか?
何故私はこれほどにあの男の容貌に違和感を覚えるのだ……。何故……?
……そうか。それは、あの男の容貌が、あの男自身が望む弱肉強食の世界にふさわしい容貌ではないからだ。
魔法力さえなければ、今にも生命力の尽きそうな枯れる寸前の老人でしかない。確かに、魔法力だけでもあの男の力は弱肉強食の世界で頂点に立てるだろう。だが、それをあの男が良しとするだろうか? 魔法力、武力、そしてみなぎる生命力、全てにおいて頂点に立ってこそのあの男の欲する弱肉強食の世界ではないのか。
……いや、逆だ。全てにおいて頂点に立っているからこそ、あの男は弱肉強食の世界を望むのではないのか。では、武力とみなぎる生命力はどこに置いてきているのか。
みなぎる武力と生命力……。それならむしろ、さきほど微かに目にした闇の衣を脱ぎ去ったミストバーンの姿が当てはまる。……。あの男の推察では、ミストバーンはバーンから容姿ばかりか発声すら禁じられていると……。何故だ? 何故禁じる必要がある?
ギガブレイクにも匹敵しそうなほどのハドラーの超魔爆炎覇を無防備に受けて、全く変状しないあの身体。長い
――!
その瞬間、まるで天啓にうたれたかのように、私の脳裏にバーンが秘匿し続けていた真実が見えた。
この真実を彼らにのみ伝えねばならぬ。私は最後の力を振り絞り、身体を起こした。私から離れた場所では、ラーハルトが血だまりの中倒れていた。もはやその必要も無いというのに、最後まで私に付き従ってくれた彼を、あのような目に遭わせてしまった。
どんなに詫びても言い尽くせぬ。願わくば、あの男のように再び生を掴んで欲しい。
最後に私はディーノの頭に手を置いた。……良い子だ。私などでは無く、ソアラに似たのだろう。どうか、この子に幸せな未来が訪れん事を。どうか、この子に魔人の姿に変貌しなければならないような未来が訪れぬ事を。
人の心をとうに捨て去った私などが今更願える事ではないだろうが、今私は人間の神にこの子の未来をただ祈っていた。
私の真魔剛竜剣を握った腕が宙を飛んだ。既にその段階を越えたためか、あの男の呪文の力なのか、もはや痛みは何一つ感じなかった。これで良い。最後にやるべき事の一つは終えた。後は、あの男にメッセージを残すだけだ。
私は残された魔力で、
……大魔王バーン。恐ろしい男だ。たとえ死神の横やりが無かったとしても、私は勝ち得なかっただろう。この男の力は神をも越えている。神が作った
だが、ディーノは違う……! 私は業火に包まれながら背後を振り返った。ディーノは、神が作った
ディーノの姿を瞼に焼き付けた私は、次いでディーノの隣でこちらを見続ける男に視線を向けた。
あの男。ディーノが最も信頼を寄せている男、ポップ。あの男がディーノの側についている限り、きっとこのままバーンの思うがままにはならないはずだ。
気付け、ポップ……! バーンとミストバーンの間に隠された秘密に。
お前ならきっと気付けるはずだ……!
薄れる意識の中、私は昨夜ディーノから投げかけられた言葉を思い返していた。
『ねえ、父さん。ポップがね、全部終わったら皆を誘ってキャンプに行こうってさ。もちろん、父さんもだよ。うぉーたーすらいだーっていう遊び、とっても面白いんだよ。あ、後、爺ちゃんも父さんに会いたがっていたから、その時紹介するね。怖がらせたりしないでよ。爺ちゃんももういい歳なんだから』
ああ、そうだ……。私は、ディーノをこのような立派な子に育ててくれたブラスと言う名の御仁に会う必要があった。会って、一言でも感謝の言葉を……ソアラの分まで……私は……。
合掌……。
章の終わりに近づくと連投したくなる癖は、最後まで治りませんでした。