転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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159話 大賢者に託されたもの

ベッドに横たわるダイの身体を、魔力で構築された緑色の輪が、頭頂部から足先に向かってゆっくりと移動していく。その輪がつま先まで達した事を確認した俺は、ダイの胸に添えていた左手を離し、背後のライオネルさんにマァムとノヴァ、ゴメを振り返った。

 

「うん、傷は完全に癒えている。処置が良かったみたいだし、傷跡も残らないだろう。多分目覚めない原因は、精神的なダメージが大きかったからじゃないかな。……精神に負った傷ってのは、存外馬鹿に出来ないものだから」

 

「そう……」

 

「あのダイ君がこれほど精神にダメージを受けるなんて、いったいどれほどの……」

 

「ピィーー……」

 

俺が医療魔法でダイの身体を診察している様子を固唾を飲んで見守っていたマァムとノヴァ、ゴメは、それぞれが心配そうな顔をダイに向けた。

 

「だけど、俺の診たてじゃあ、あと数日もしたら目を覚ますと思うよ。……おそらく、だけど」

 

皆は、俺の言葉に安心したようにホッと息を吐いた。その様子を見てクスッと笑いながら、俺は立ち上がった。しかし、血液が足りていないためか、片腕を失ってバランス感覚が狂っているのか、俺はふらっとよろめき、狭い船室の壁に思わず手を突き身体を支えた。

 

「ちょっとポップ。急に動いちゃ駄目よ。あなたもまだ本当なら横になっていないといけないんだから」

 

マァムが俺の左肩を支えて、身体を起こしてくれる。片腕を失ったのは辛いが、マァムの豊かな胸が俺の身体にぎゅっと密着し、得も言われぬ幸福感に包まれるのは不幸中の幸いと言えるかも知れない。

 

「マァムさん、僕がポップさんに肩を貸しますよ」

 

またこいつは空気を読まない発言を、と思い剣呑な視線をノヴァに向けようとした俺は、不意に不思議な感覚に捕らわれた。なんか、この柔らかな心地良い感触に覚えがあるような……。

 

「なあ、マァム……。俺、意識が無かった時の事は当然何も覚えていないんだけど、何かぬくくて柔らかな物に俺の身体って包まれてなかったか?」

 

その俺の言葉に、俺に肩を貸してくれていたマァムは突然ゆでだこのように真っ赤になって、「ほ、ほら! ノヴァが肩を貸してくれるって言っているじゃない。大人しく弟の世話になりなさいよっ!」と、俺をノヴァの方に押しつけるようにして身体を俺から離した。

 

な、なんだいきなり……。突然のマァムのその行動に俺がノヴァと顔を見合わせて頭に疑問符を浮かべていると、その様子を見ていたライオネルさんが突然「くっくっく」と笑い始めた。

 

「なあ、ポップ。お前、知っているか? この北の海じゃあ、水難事故に遭って身体の冷え切った奴を看護する時は、そいつを人肌で――」

 

「……ライオネルさん?」

 

ライオネルさんの言葉を遮るように、マァムがライオネルさんに呼びかけた。その顔は、絶対に逆らってはいけない時のマァムの完璧な微笑みだった。そしてそれにライオネルさんも気づいたのか、「んっ、んんッ!」と、突然咳払いをする。

 

「ご、ごほん! そうだ、あ、後でお前達と情報共有を図りたいから、落ち着いたら船尾の会議室に来てくれ。そ、それじゃあ、俺は色々とやる事があるから、また後でな!」

 

そう言って、泡を食って部屋から飛び出していくライオネルさん。

 

何だったんだろうな、今のは。まだちゃんとお礼も言えていないのに……。俺が、扉を開け放して逃げるように去って行ったライオネルさんから視線を外しマァムに顔を向けると、そのマァムはまだ真っ赤な顔をしたまま俺と視線を合わせようとせず、明後日の方向を向いていた。

 

 

 

~~~~オーザム王国所有艦船『ナグルファー』内 会議室~~~~

 

 

「それではライオネルさん。あらためまして、命を助けていただいてありがとうございました」

 

そう頭を下げる俺に、ライオネルさんはいやいや、と手を振る。

 

「お前達を最初に発見したのは、ランツェの港町のゴンゾと言う漁師だ。知り合いなんだろう? くれぐれもお前の事を頼むと言っていたぞ。いつか礼を言っておくと良いさ。それにお前の恩人と言えるのは、何と言ってもそこにいるマァムだよ。意識の無いお前とあの子の2人を背負った状態で半日以上泳ぎ続けるなんて、どんな屈強な男でも無理だ。それに、お前が目覚めるまでのマァムの甲斐甲斐しい看護と言ったら――」

 

「――! ちょっ、そ、その話はもう良いですから、ライオネルさん!」

 

焦った様子のマァムがライオネルさんの言葉を止める。……ふむ? この2人、俺が意識を失っていた間に随分親しくなったみたいだな。それに、ゴンゾさんか。ふふ。懐かしい名前が出てきたな。事が落ち着いたらお礼に行こう。……っと、その前にマァムだな。俺も目覚めてからこれまでバタバタしていたから、ゆっくりマァムにお礼も言えていなかった。

 

俺はマァムに身体ごと振り返り、その目を見つめながらあらためて礼を言った。

 

「マァム、助けてくれてありがとう。マァムがいなかったら確実に死んでいたよ」

 

実際、俺はいつ意識を手放したのか覚えていない。いや、正直な所、海に落水した直後から既に記憶があやふやだ。ダイはともかく、片腕を失って意識をなくした俺なんて、お荷物以外の何物でもなかっただろうに、よくマァムは俺を見捨てずにいてくれたものだ。

 

俺の言葉に、マァムは少しだけ目を見開き、それから視線を彷徨わせながらもおずおずと口を開いた。

 

「そんなの……そんなの、私の言葉(セリフ)よ。あなたがいなかったら、私達大魔宮(バーンパレス)から脱出する事も出来なかったわ。それに、私が不甲斐なかったから……あなたの大事な右腕が……」

 

そう言ってマァムは、俺の何の厚みも感じられない右袖にそっと目をやった。その視線の先を追った俺は、左手でドラゴンローブの右袖に触れ、フッと笑みを浮かべた。

 

「別に不甲斐ないなんて事はないさ。それを言うなら、俺だって奴には全く歯が立たなかったんだ。皆のおかげで、俺は今生きていられる。それが全てだよ。それに……ノヴァが俺の心に燃料を投下してくれたしな」

 

俺はそう言って俺の隣に腰掛けているノヴァに視線を向けた。そのノヴァはふふふ、と笑みを浮かべて「ポップさんは、燻るより激しく燃え上がっている方がお似合いですよ」と、言葉を返す。

 

「だな……。俺の右腕は、確かに奴に奪われた。だけど、絶対にやられっぱなしでは済まさない。やられたら倍返し、いや、3倍返しだ。絶対に奴にやり返してやる……!」

 

「強く……なったな、ポップ。アバンにも、今のお前の姿を見せてやりたいよ……」

 

俺の言葉に、そうしんみりと呟くライオネルさん。

 

「……きっと、見ていますよ。多分、雲の上でお手製のお弁当を広げて、あーでもない、こーでもないってあたふたしながら、ね」

 

俺の言葉にその姿を想像したのか、マァムとノヴァも一緒になってクスクスクスと笑い合う。

 

「ところでマァム。朦朧としていてはっきりと覚えていないんだけど、助かったら今度、『危ない水着』を着てくれるとか何とか言っていなかったか?」

 

「――! そ、そんな事言うわけないでしょ! 何言っているのよ!?」

 

「そりゃ、そうだよな……。おかしいな。夢でも見たのかな……」と、首を傾げる俺を呆れた様子でライオネルさんとノヴァが見つめていた。

 

 

 

「それじゃあ、オーザム王国は侵攻してきた氷炎魔団を撃退できたんですね? それは良かったです。俺達がお手伝いした施設は、少しはお役に立ちましたか?」

 

俺の問いかけに、珈琲の入ったカップを口に運んでいたライオネルさんがむせ返る様にした後、テーブルに身を乗り出す勢いで大声を出した。

 

「馬鹿! 少しどころの話じゃないぞ! アバンの指導で構築した城塞は戦力差が5倍の敵に1週間持ちこたえたし、あいつの元で力を付けた魔法兵もその防衛に大いに貢献してくれた。お前の作った地下通路と避難施設も、オーザムの民5,000人の命を確かに救ってくれた。……まあ、ちょっとばかり避難施設の設備に物言いたい事はあるが、それはまた今度にしよう」

 

避難施設の設備に物言いたい事? ああ、遊具施設や大浴場の事かな。うーん、やはりちょっと自重しすぎたか。やっぱり最初に考えていたように、子供向けには室内スケートリンクを作って、大人向けには岩盤浴や日焼けサロン等の施設を併設すべきだったな。……反省、反省。

 

俺が1人反省している間も、ライオネルさんは言葉を続ける。

 

「あらためて、お前達のオーザム王国への援助に心から感謝する。……ありがとう!」

 

ライオネルさんは「アバンにも直接礼を述べたかったんだがな」と続けた後深く頭を下げると、その後ろに並んでいた数名の部下らしき方達も一斉に俺に対して頭を下げる。何人か見知った顔の人がいるな。あれ、でもレイドさんがいない……。レイドさんは、ランツェの町に迎えに来てくれたり、帰りもリンガイアまで送ってくれたりと、ライオネルさんに次いでオーザムで親しくなった人だ。

 

俺は、照れくささから、もう頭を上げてくださいと声を掛けながら、レイドさんの事を聞いてみた。

 

「ああ、レイドも無事だぞ。あいつは今回、オーザムに残してきた。オーザムの町を取り戻したと言っても、町は焼け落ちているからな。ある程度復興が進むまではお前の作った避難施設で息を潜めて住まなきゃならないし、まだ敵の残党が各地に散っているから、その捜索や掃討の指揮も取らせねばならん」

 

「そうですか。ご無事なようなら良かったです。でも、こうして軍を出して世界連合の元に参集しようとしてくれるのは嬉しいのですが、おっしゃられている残党の方は大丈夫なんですか? しかもライオネルさんご自身が率いてなんて……」

 

俺のその懸念を、ライオネルさんは豪快に笑い飛ばす。

 

「なーに、レイドもそうだが、残してきた奴らは優秀だからな。任せておいて何の心配もいらんよ。それより、先の世界連合の反攻作戦に間に合わなかった事の方が申し訳ない。魔道具と一緒にアバンの指導を受けた魔法兵をたくさん連れてきたからな。次の戦いには期待してくれ。皆、アバンの敵討ちに燃えているよ」

 

俺はそのライオネルさんの頼もしい言葉に強く頷きを返した後、マァムに目を移した。

 

「マァム、ダイは『ダイの剣』を持っていない様だけど、どこにあるか知ってるか? あと、ヒュンケルとクロコダインについてはどうかな?」

 

俺の言葉に、マァムは首を傾げて思い出す様に宙を見上げて口を開いた。

 

「ダイの剣は、大魔宮(バーンパレス)から落ちた時にはもう見当たらなかったわね。もしかしたらまだ向こうにあるままなのかも。ヒュンケルとクロコダインは、分からないわ。あの時はガルーダが私達を掴んで直ぐに大魔宮(バーンパレス)から離れたから。だから、あの2人も多分大魔宮(バーンパレス)に……」

 

……ガルーダ。そうだ、あいつは身体が炎に包まれても、俺達の身体を最後まで離さず海面まで運んでくれた。生きていて欲しいが、炎に包まれて海中に沈んでいったあの様子じゃあ……。いや、ガルーダだけじゃ無いんだ。あの戦いでは既に多くの人が亡くなっている。今は後ろでは無く前を向こう。

 

「そうか、分かった。大魔宮(バーンパレス)上の事は今考えても仕方ないな。いずれにしても、姫さん達と合流して情報共有を図る事が先決だな。ライオネルさん、この船の向かう先は何処なんですか?」

 

「この船は、最初はカール王国の港町サババを目指していたが、そこのノヴァ君の話で行先を変えた所だ」

 

「はい。父さんから、サババの次の拠点が同じカール王国北東の森の中にある砦に決まったと聞きました。近くの海岸線に乗り付けたら、迎えの者が来る手はずになっています」

 

ノヴァが、ライオネルさんの言葉にそう続けた。

 

カール王国北東の森の中にある砦……。知らないな。まあ、俺はアバン先生との修業時代にカール王国にそれほど長居をしなかったから、知らなくてもしょうがないか。

 

その後いくつか情報共有を図った後、俺達はその砦に到着するまでの短い時間だが、傷ついた身体を癒す事になった。

 

俺は当初、マァムのやり過ぎ防止の監視を受けながら、片腕の身体に慣れるためのリハビリに励んだ。といっても、やはりまだ血液が足りていないのか、動くとすぐに息が上がってまっすぐ歩く事も困難な有様だった。

 

と言う事で、すぐに俺は肉体労働ではなく頭脳労働に時間を当てる事に切り替えた。マァムやノヴァにはああ言ったが、次の戦いで足手まといにならないために、俺は早急に対バーン戦の戦略を再構築する必要が出てきた。師匠とバルジの群島で特訓した奥の手は、片手では発動させられない。あれに代わる手を早急に考える必要がある。

 

……1つだけ思い当たる事がある。バーンとの決戦時に違和感を覚えたあの瞬間。あれがヒントになるはずだ。だけど、間に合うか? いや、間に合わせるしかない。

 

 

そんな日々を過ごしていた俺だったが、転機は、明日にもカール王国に上陸するという日の深夜未明に発生した。

 

 

 

竜闘気砲呪文(ドルオーラ)をバーンに対して放っているバランの背に、天から伸びた糸で操られているかのような挙動のラーハルトが近づいていく。その手に握られた白銀の槍の矛先は、ラーハルトにとって無二の主に向けられている。

 

その様子を見て、俺は大声で叫ぶ。

 

「――後ろだ、バランッ!!」

 

だが、俺のその叫び声がバランに届く前に、槍の穂先がバランの背に……。

 

 

 

ハァッ、ハァッ! ……? ……ああ、夢……か。

 

徐々に目が暗い部屋に慣れて来た。ここはオーザム王家所有の艦船ナグルファーの船内の一室。間違っても死の大地の地中に埋まっていた大魔宮(バーンパレス)では無い。……だから、大丈夫だ。俺は動悸を落ち着かせようと、ベッドに上半身を起こした姿勢のまま数回深呼吸をする。

 

ようやく呼吸が落ち着いてきた俺は、肩越しに背後を振り返り、船室に備え付けられている小さな丸い窓に視線を投げる。暗闇。それを確認した俺は、再び船内に目を向ける。向かいの二段ベッドの下段にはダイが、そして上段にはノヴァが規則正しい寝息を立てて横になっているのが見えた。おそらく俺が横になっていたベッドの上段にはマァムが同じく横になっている事だろう。

 

こんな時間に大声を出してしまった気がするが、マァムとノヴァが目を覚ました様子は無かった。2人とも、疲れていたんだろうな……。2人は、早々に安楽椅子探偵よろしく頭脳労働に舵を切った俺と違って、昼間は甲板上で互いに手合わせをするなど鍛錬に余念がない様子だった。

 

俺は彼らを起こさないようそっとベッドから起き上がり、ベッド脇の壁に吊るしていたドラゴンローブに袖を通す。そして音を立てないよう慎重に扉の取手を回し、俺はそろりと部屋を抜け出した。

 

 

時折左右に揺れる静まり返った船内の狭い通路を慎重に進み、甲板上に出る。外に出た途端、俺の身体を肌寒い空気が包み込む。しかし、北の大陸の寒さがこんなものでは無い事を知っている俺は、この海域がその北の大陸からはかなり離れている事を悟った。

 

ナグルファーは昼夜を問わず航行している。何人かの水夫が甲板上で作業をしていたが、昼間に比べてその数は多くなく、俺が甲板に上がってきた事に気づいた者はいなかった。

 

満天の星が頭上に瞬く甲板上をゆっくりと歩く。この船で目覚めてからこれほどの距離を歩いたのは初めてじゃないだろうか。俺は側舷に備え付けられた手すりに手を添えながら、歩みを進める。

 

辿り着いたのは、船尾の一角だった。そこに腰を落ち着かせ手すりに背を預けた俺は、そっと背後を振り返った。大海原に、白く泡立った航跡が一筋残されていた。船上を気持ちのいい風が吹き抜け、先ほど見た夢によって流れた汗を拭きとっていってくれるようだった。

 

……どうして俺は、こんな時間に一人でここに来たのかな?

 

その問いに、俺は自分の事ながら明確な答えを有していなかった。強いて言うなら、一つ目は、あの悪夢のような光景をまざまざと思い出した事で、とてもではないが再び眠れる気がしなかったから。二つ目は、考えをまとめるのに良い夜だと思ったから。そして三つ目は、……何故かバランに呼ばれた気がしたから。

 

は……。なんだ、最後の理由は……。自分で考えておきながら、どこか達観したようにその自分の考えを笑い飛ばす俺。そうやって一人皮肉な笑みを浮かべながら、俺はここ数日ずっと考え続けていた疑念を再び脳裏に思い浮かべていた。

 

疑念……。それは俺の中でずっと……、そうずっと……、大魔王との戦いの最中からずっと頭の中で抱き続けていた疑念。

 

『その正体ばかりか、その口を開く事すら禁じられている』

 

『何故その名に、バーンの名を冠しているのか』

 

かねてより抱いていたミストバーンに対する疑念に、死の大地での戦いによって新たな疑念が加わっていた。

 

『何故か傷一つ無い堂々とした成人の姿をその闇の衣の内に隠していたミストバーン』

 

『何故か頑強という言葉を超える不変の肉体を有していたミストバーン』

 

どうしてミストバーンはあの姿を隠す必要があったのだろうか。いや、違う。隠していたのはバーンだ。ミストバーンではない。どうして、どうして……。

 

もどかしい。もう少しで答えに辿り着きそうなのに、辿り着けない。まだ何かピースが不足している?

 

頭をキリキリと万力で締め付けられたかのように感じた俺だったが、突然甲板上を吹いた突風が、俺の耳朶に微かな音を届かせた。視線を上げると、その音が遠い西の空から届いていた事に気づく。俺のいる船の上は満天の星空が瞬いているのに、何故か西の空の一角は時折雷光が瞬いていた。

 

ああ、もしかすると、あの辺りは死の大地が存在した海域かもしれない。今はその死の大地は存在しないが、あるべきものが突如として消えた事で、大気が乱れている。そんな風に感じる天候の不安定さだった。

 

あの地でバランは……。もう記憶から拭い去ってしまいたいあの光景を不意に思い出しそうになった俺は、西の空から視線を逸らす。

 

……。いや、駄目だな、これでは。これではただ逃げているだけだ。

 

『しっかりそれと向き合って恐れるのと、ただ逃げ出して恐れるのは違うだろうがよ』

 

かつてマトリフ師匠から投げかけられた言葉を思い出す俺。

 

そうだ、あの失敗からただ逃げるのではなく、しっかり向き合って乗り越えなければと思い直した俺は、再び視線を西の空に投げかける。忘れるな、……決して忘れるな。二度とあんな光景を起こさないために、俺は……!

 

黄金の竜が分厚い雲の合間を駆け抜けているようにも見える稲光。その光景を、歯を食いしばり睨むように見つめているうちに、俺の脳裏にふとバランが執った最後の行動が思い起こされた。

 

もう電撃呪文(ギガデイン)を放つ力も残っていなかったバランは、電撃呪文(ライデイン)をバーン達に放った。もちろんあいつはそれでバーン達を倒せると考えていたわけでは無いだろう。あれは、俺達に対する最後まで諦めるな、という無言のメッセージだったはずだ。

 

そう考えながら、あのバランの最後の行動を覚えている限り正確に思い浮かべていると、俺はあの時には気づかなかった一つの真実に、今更ながらに気づいた。

 

あの時、バランの放った電撃呪文(ライデイン)の主放電はバーンではなく、その背後にいたミストバーンに堕ちていたという事に。

 

待て、待て……。俺の視界から全ての周囲の景色が消えていく。ありえない事だが、失われた右手の指で甲板の木板を跡が残るほど強く引っ搔かいたようにも感じる俺。突如として発生した大粒の冷や汗が、じっとりと背を伝う。

 

間違いない。落雷による放電が激しくあの時は気付かなかったが、あの瞬間バランは、バーンではなくミストバーンを中心として電撃呪文(ライデイン)を放っていた。何故だ、バラン。何故お前はそんな事を……。

 

ミストバーン、ミストバーン、ミストバーン……。謎が謎を呼ぶあの白い長套の男が、俺の脳裏に朧げに浮かび上がる。バラン、お前もあいつの事を……? いや……、もしかして、お前は気付いたのか? 俺が希求してやまなかったミストバーンの正体に……。あの場面でバーンではなくミストバーンを狙ったという事は、それしか考えられない。

 

考えろ、考えるんだ。バランはいったい俺に何を伝えようとしていたんだ……。俺の瞳に、分厚い灰暗色の雲と、その雲の合間を不規則に走る稲光が映りこむ。

 

――! ……そうか、そうだったのか……。

 

呼吸する事すら忘れたかのように、しばしの間放心する俺。

 

……ようやく、ようやく俺は気付いた。バランが俺にだけ託したメッセージに。バランのあの行動は電撃呪文(ライデイン)によってバーン達を打倒する事でも、俺に諦めるな、というメッセージを送る事でもなかった。

 

見る、いや……、視るべきものが違っていたんだ。あの瞬間、バランが電撃呪文(ライデイン)を唱える事で、太陽が分厚い雲に閉ざされ、ほんの一瞬、昼間にもかかわらず薄闇のベールが俺達の周囲に降りた。

 

かつてマトリフ師匠が俺に語ってくれた、とある秘術の概要。

 

『いいか、ポップ。……という術は、数百年に一度の()()()()()()だけに唱えられる秘術だ。……』

 

バランが俺に託したメッセージに気づいた時、俺の掌中には、足りなかった最後のピースがいつの間にか握られていた。

 

次の瞬間、俺の脳裏に渦巻いていたミストバーンに対する数々の疑念が次々とパズルのピースへと姿を変え、それらが自然にあるべき場所に寸分の狂いなく収まっていく。そうして最後に残った1枚分の隙間。そこに、バランから託された最後のピースをはめ込む。

 

 

その最後にはめたピースの名は、――『凍れる時間の秘法』。

 

そうして誕生したパズルの絵図は……。

 

ほう……と、感嘆と憧憬の感情が複雑に混ざり合った息が、自然と俺の口から漏れた。

 

バラン……。お前、すごい奴だよ。心の底から尊敬する。あの僅かな時間で、お前はバーンが数千年の長きにわたって隠し通していた真実にたどり着いたんだから。そして、ありがとう。俺を信じてくれて。お前は、俺ならきっと気づくだろうと考え、俺に……、俺にだけそのメッセージを託してくれたんだな。

 

俺にだけ託す……。つまりお前はこう言いたいんだろう? お前の、いや、俺達の辿り着いた真相は決して危機じゃない。むしろこれは好機だと……。

 

 

俺は、徐々に遠ざかっていく西の空から視線を剥がし、ゆっくりと立ち上がった。そして、今なお意識を取り戻していないダイの眠っている部屋があるはずの船内に、視線を投げかける。

 

 

……任せてくれ、バラン。俺は、いや、……俺達は、必ず、大魔王を倒す。そして、お前の見る事の叶わなかった景色を、きっとダイに見せてやる。絶対に、絶対にだ……!

 

俺のその内なる決意を見届けたかのように、一筋の流れ星が俺の頭上を越えて南の空に走っていった。

 

 




最近コロナが流行っていますね。これまでコロナから免れていた我が家もとうとう娘が感染。単身赴任中の自分としては毎週末家に帰っていましたが、妻から今週は移るから帰ってくるなとお達しが。幸い熱は下がり回復傾向にあるようですが、皆さんもお気をつけ下さい。
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