ホウ、ホウ……。キ、キキキ……。
姿は見えないが、俺達の頭上を覆う緑の茂みの中から、時折動物らしき生き物の発したと思われる鳴き声が聞こえてくる。
マァムに肩を借りながら鬱蒼とした森の中を進む事しばし、徐々に皆が新たな拠点としている砦が見えてきた。それは、年季の入った様子の灰色の壁に囲まれたこれといって特徴の無い小さな砦だった。周りに生い茂っている樹木の方が壁より背丈があるから、余計にそう感じるのかもしれない。
砦の門は閉まっていて、その左右には歩哨らしき兵士が立っていたが、先触れがあったのか、その扉が、森の中から現れた俺達の目の前でゆっくりと開いていく。
扉の向こうには、数日会っていないだけなのにもう懐かしさを感じている面々が立っていた。
「ポップさん!」
俺の顔を見るなり、門の内側からメルルが駆けて来て抱き着いた。その勢いに思わず後ろに倒れそうになるが、背中をマァムが支えてくれた事で、俺はどうにか踏みとどまる。俺達が死んだと思っていたのか、想像していた以上の熱烈な歓迎だった。メルルは俺の胸に顔をうずめて、薄らと涙を浮かべている。
俺の隣では、姫さんがマァムと、次いでノヴァに背負われたダイに涙ぐみながら抱き着いている。
「マァム、よく無事で。ダイ君は……」
「大丈夫よ、レオナ。ダイも、もうすぐ目を覚ますはずよ」
ダイの容態をマァムから聞いたのか幾分安心した素振りで、俺にも姫さんが声をかけてくる。
「ポップ君も、本当に無事でよかったわ」
そう言って姫さんは俺の両手を取ろうとして、初めて気が付いたようだ。俺が右腕を喪失している事に……。
「ポップ君、腕が……!」
「――! ポップさん、そんな……」
姫さんの言葉に、メルルが俺の胸元から顔を上げる。メルルも気が付いたようだ。2人とも蒼白な顔をして、俺の右腕と顔を交互に見つめる。彼女達の後ろに続く戦士達から、ざわっと小さなどよめきが上がった。
「ははは……。失敗しちゃってね。万が一の時は撤退するつもりだったけど、大魔王はその撤退すら満足に許してくれなくてさ」
何でもないかのように言った俺に、もう一度メルルが、今度は慎重に俺にギュッと抱き着いた。
「……良いんです。ポップさんが戻ってきてくれただけで、私は。……お帰りなさい、ポップさん」
お帰りなさい、とかけられた言葉に、俺もようやく帰って来たという実感が沸いた。ふふふ、メルルの顔を見ると安心するな。
「ああ、メルルも無事でよかったよ」と、俺に残された左腕で微かに震えるメルルの背中をキュッと抱きしめる。
そして俺を気遣うように見つめている姫さんに視線を向けて、何でもない様子を繕って姫さんにも言葉を返した。
「悪いね、姫さん。もう姫さんに、リュートの音色を奏上する事が出来なくなったよ」
「……馬鹿ね。だったら次は、私とリュートの連弾をしましょう。きっと楽しいわよ」
俺の軽口に姫さんは乗っかる事を選択したようだった。少し目を伏せた後、ニコッと俺に笑顔を見せてそう言った。
「ははは。姫さんとの連弾か。それも良いけど、あの耳が馬鹿になりそうだった金切音は勘弁してほしいんだけどな」
俺の揶揄に姫さんは、「――何ですって!?」と腰に手を当てて怒った
「お話し中失礼。あなたが世界連合の旗手であり、パプニカ王国第1王女のレオナ姫でよろしいかな? 初めまして。私はオーザム王国国王ライオネル。先般の大事な一戦に遅参した事、この場を借りてお詫びする」
俺達の会話が途切れるのを待っていたライオネルさんの挨拶に、姫さんはハッとした表情を浮かべ、直ぐに表情を引き締め返事をする。
「丁重なご挨拶痛み入ります、ライオネル王。こちらこそ初めまして。パプニカ王国第1王女のレオナと申します。オーザム王国の事は聞き及んでおります。王都奪還、おめでとうございます。そして、未だ国内が落ち着かない状況の中での国王自ら軍を率いての参陣、心からお礼申し上げます」
「なんの、礼はこれからのオーザム兵士の働きぶりを見てからにしてもらおう。今の所は、こいつらを助けた事ぐらいしか、誇れる事はしちゃあいない」
そう言って親指で俺達を指し示してニヤッと笑うライオネルさんを見て、姫さんは社交的な笑みを薄めて笑った。
「くすくすくす。いえ、彼らを救ったという一事だけで、将来勲一等の功績として歴史に名が残るかもしれませんよ?」
「ははははっ! お前さんもそう思うか? 実を言うと、俺もそんな気がしていた。気が合いそうだな、レオナ姫」
「ええ、本当に。ふふふ」
初対面のはずなのに、長年の友であったみたいに笑いあうライオネル王とレオナ姫。2人共、コミュ力高えなー。
「ところで、ここには王族はレオナ姫だけか? ベンガーナは迎えに来てくれたアキーム殿が代表らしいが……」
「いえ、もう一人王家の方が参陣してくれています。その方は……」
へー、姫さん以外に王族が加わってくれたんだ。でも正直、姫さんに加えてライオネル王が加わってくれたんだから、気位が高いだけの他の王族は必要ないんだけどな、と不敬な事を考えていたら、姫さんが俺達に視線を向けた。
「……とっ、いけない。その前にエイミ。ポップ君達をゆっくり休める所に案内してくれないかしら。何をおいても、彼らにはまず休息を取ってもらわないと」
その後俺達は、エイミさんやメルルに、砦の中の一室内のベッドに押し込められるように放り込まれた。エイミさんにはその道すがら、ヒュンケルの事を話しておいた。ヒュンケルの事を心配していないはずがないのに、エイミさんは「あの人は不死身だから」と気丈に前だけを向いていた。そう、だな。あいつは不死身だ。あいつやおっさんが死ぬ所なんて想像できない。きっとまた、俺達パーティーの頼りになる前線として復帰してくれるはずだ。
「ふー、ふー。はい、口を開けてください、ポップさん」
メルルの吐息で少し冷まされたスープが、俺の口元にそっと運ばれる。そのスプーンを見つめ、俺は赤面している事を自覚しながらメルルに無駄な抵抗を試みる。隣のベッドから感じるマァムの視線が痛い。
「……えっと、メルル。スプーンもあるんだし、スープを飲むくらいの事なら片手でも出来るよ」
「……」
しかしメルルは、ニコッと天使のような笑みを浮かべたまま、俺の口元に運んだスプーンを引っ込めようとしない。数秒固まる俺。結局根負けした俺はおとなしく口を開け、メルルの給仕を受けいれた。その後も食事を終えるまでそれは続き、食事の合間にお見舞いに来てくれたでろりん達やユーリカさん達の生暖かい視線が辛かったといったらなかった。
「ごちそうさま、メルル。助かったよ」
「ふふふ。どういたしまして。さあ、お食事の後は寝間着に着替えましょう、ポップさん。私、お手伝いしますね」
そう言ってメルルは俺の羽織っているローブの裾に手を伸ばし、「はい、バンザイしましょう、ポップさん」と更に甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。いやいや、バンザイって……。赤ちゃんか、俺は。
さすがにこの過保護具合に、マァムが控えめに口を挟む。
「ちょっとメルル。あまりポップを甘やかすのも……」
「……え? でも、ライオネル様からマァムさんの船での看護の様子を聞きましたよ? それに比べたらこれくらい……」
「……」
途端に真っ赤な顔で押し黙ってしまうマァム。え、何……? 俺、意識が無い間にマァムに一体どんな看護をされてたの? 今度こっそりライオネルさんに聞いておこう……。
い、いや、そんな事よりまずはメルルだ。いくら何でもまずい。思わずやばい性癖に目覚めかねないほどまずい。メルルに『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』を地でやられそうな気がした俺は、そのメルルの申し出をやんわりと断る。
「着替えくらいの事なら一人でできるよ、メルル。それに、早く片腕の生活に慣れないと、後々困るしさ」
「でも……」
そうやってなんとかメルルをなだめていると、チウが食器を回収するために部屋に入ってきた。
「マァムさん、食事はしっかりと取れましたか? ちゃんと食べないと体力が回復しませんよ」
「ええ、美味しかったわ、チウ。ありがとう」
俺の世話を焼きたがるメルルの気をそらすのにちょうどいいと思った俺は、チウに話しかける。
「チウもなかなか忙しそうだな。少しは休めているのか?」
チウの事はこの砦に辿り着いてから今まで何をする事もなく見ていたが、なかなか忙しそうにクルクルと働いていた。それも驚いた事に、ほとんどの人間の戦士と顔見知りになっているみたいで、随分信頼されて色々な事を頼まれていた。
「聞いたぞ。チウも『死の大陸』では大活躍だったみたいだな。さっき、お前達に危ない所を救われたって兵士や冒険者がお礼を言うために探しに来ていたぞ」
バウスン将軍の別働隊は『死の大地』からの撤退の際、あの爆発の余波を受けてひどい高波に襲われたらしい。その波に攫われて海に落ちた戦士達をチウやその仲間の魔物が助けて回ってくれたと、さきほど来ていた冒険者が言っていた。
俺の言葉にチウは、照れくさいのか髭をひくひくさせてそっぽを向いた。
「そ、そんなの当り前さ。一緒に戦ってたんだから。僕は僕の出来る事をやっただけだ。お、……お前の方こそ大変だったな。そんな身体になるまで戦って……。痛くなかったのか?」
「そりゃー、痛かったさ。でも、お前と同じだよ。俺も俺の出来る事をやっただけだよ。そんな事より、ごめんな、チウ。せっかく皆が力を貸してくれたのに、俺が……」
ノヴァに発破をかけられたとは言え、やはりどうしても申し訳なさがこみ上げてきた俺はチウにそう謝罪する。しかしチウは俺の謝罪の言葉を受け取る事無く、言葉を返す。
「何言ってるんだよ。お前が一番大変な所を受け持っていたんじゃ無いか。お前で駄目だったんなら、他の誰がやってもできなかったさ。それぐらい、皆分かってるよ!」
「チウ……」
「ふ、ふん! ただでさえ弱いお前が片手になったんだ。何か困った事があったら、場合によっては助けてあげない事もないから、ちゃんと言うんだぞ! あっ、マァムさん! 必要な物があったら言ってくださいね。何を置いても駆けつけますから!」
マァムに笑顔を振りまきながら部屋を出て行くチウの背中を見つめていると、そのチウと入れ違いになるように姫さんが部屋にやってきた。おや、姫さんの後ろに続く女性は初めて見る人だな。仕立てのよい服装から推察するところ、彼女が姫さんの言っていたもう一人の王族だろうか。
その女性は、腰まで届きそうなほど長い金色の髪を背中で束ね、穏やかな視線を俺達に向けていた。歳は、姫さんより幾分年上のように見える。背も高いしアバン先生と並んだら栄えそうだな、と俺が思っていると、姫さんがその女性を紹介してくれた。
「皆にはまだ紹介できていなかったわね。こちらの方が、私達にサババからこの砦に移るよう進言してくれた、カール王国の女王フローラ様よ」
――!
俺はとっさに言葉を返せなかった。そんな、まさか目の前の女性がアバン先生の……。
「えっ! でも、カール王国の女王様って、行方不明だったんじゃあ……」
そのマァムの問いには、フローラ女王と紹介された女性が応えた。
「ええ、私はあの日、全ての民の港からの脱出を見送った後、一握りの騎士達とカールの町を離れ、カール国内で魔王軍に反撃する機会を狙っていたの。そんな時、レオナ姫が世界中の戦士を束ねてサババに集結したと耳にしたので、こうして皆とこの『最後の砦』で合流したのよ」
「ふふふ。そういう事よ。フローラ様が生きておられた事は、これからの魔王軍への反攻作戦において大きな意味を持つわ。……? どうしたの、ポップ君?」
姫さんが、不思議そうな顔で俺を見つめる。しかし、今の俺はそれどころではなかった。俺はベッドに肘をつきながらも、どうにか体を起こす。「ポップさん、安静にしていないと――」と声をかけるメルルの声ですら、今の俺には気にとめる余裕がなかった。
そのままよろめきながらもベッドから降りた俺は、姫さんの前を素通りし、フローラ女王の前まで進んだ所で両膝をついた。そしてそのまま深く
ああ……、ずっと、ずっと言いたかった言葉を、ようやく俺はこの人に伝える事ができる。
「フ……、フローラ様。すいません……、すいません……。俺がアバン先生を殺しました。俺が未熟だったから、アバン先生は死んだんです」
俺の言葉に、フローラ様はもとより、部屋にいる皆の息をのむ気配がした。だけど俺はそのまま続けた。
「どうか……、どうか許してください。いや、違う。……許さないでください。どうか、俺を裁いてください。お願いします……、フローラ様……」
部屋の中には俺の懺悔の言葉だけが響いていた。きつく目を閉じた俺の瞼の裏に、粉々に砕けた『カールの守り』が浮かび上がる。
その時、俺の両肩が何かに包み込まれた。俺が、涙と鼻水でくしゃくしゃになっているであろう顔を上げると、俺の肩を抱きしめていた人はフローラ様その人だった。
フローラ様は俺のその情けない顔を見てふっと優しい笑みを浮かべた後、皆を見回し声をかけた。
「皆、悪いけれど、私とこの子の2人だけにしてくれないかしら」