転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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165話 氷の競演

~~~~ベンガーナ王国 南部 ロックハート砦~~~~~

 

 

「ハァッ、ハァッ!」

 

体力ばかりか魔力までもが限界に近かったエルサは、荒い息を吐きながらも、必死に膝をつかないよう前を見据えていた。彼女の隣では、弟のルーンがやはり眼前の敵を睨んでいる。

 

彼女達のいるロックハート砦の城壁の上には、もう自力で立っている者の方が少ない有様だった。深夜、日が変わると同時に砦に大挙して侵攻してきた妖魔師団の前に、次々と兵士は倒れていった。今、砦の中央にある広場は、怪我を負って戦えなくなった者達で埋め尽くされていた。エルサの友人であるタバサとリッカが回復呪文を、ラドルの村の御用商人であるヘンケンが薬草を施しているが、怪我人があまりに多く間に合ってはいなかった。

 

 

「くっくっく。お前が噂されていた『氷の女王』か。ここまでよく戦ったものよと誉めてやるが、所詮は人間。身の程をわきまえよ」

 

妖魔師団を率いるベルドーサが、空にふわっと浮かびエルサを含む僅かに残った戦士達を見下ろして嘲笑した。そのベルドーサの頭部に生息する無数の蛇までもが、舌をチロチロと出してエルサ達をあざ笑っているように見えた。

 

「今日でこの砦は陥落する。その次はベンガーナの町よ。かの大国ベンガーナを下せば、ザボエラ様率いる妖魔師団の力は魔王軍内で確固たるものとなろう。喜ぶがよい。そなたらは、そのための貴重な礎よ」

 

「――ふざけるな!」

 

密かにベルドーサの隙を伺っていたジャンが、宙に浮かぶベルドーサ目がけて飛んだ。その手には鋼の剣が握られていた。しかし、その剣がベルドーサに届くより前に、ベルドーサの前に現れた魔物の尾でジャンは薙ぎ払われ、石畳に叩きつけられた。

 

「――! ぐっ!? がはっ! お、おのれ……!」

 

血反吐を吐きながらも、再び立ち上がろうともがくジャン。その手に握られていた鋼の剣は、叩きつけられた衝撃からか、根元からへし折れていた。

 

 

「ジャン隊長! ――氷系呪文(ヒャダルコ)!」

 

エルサの突き出した腕に呼応して氷の槍が創生され、それが一斉にベルドーサに向かった。しかし、先ほどベルドーサを守った魔物が再びその前に立ちはだかり、その氷の槍の全てを自身の強固な鱗で防ぎきる。

 

「くっ、また……! なんて硬さなの……!」

 

エルサは悔しげにそう吐き捨てる。そう、先ほどから彼女の放つ氷系呪文による攻撃は、全てこの目の前の魔物によって防がれていた。

 

「クックック。無駄、無駄。このスノードラゴンは、わざわざお前のためにマルノーラ大陸より移送した魔物。氷系呪文を唱えれば唱える程、スノードラゴンは力を増す。もはやそなたらに勝ち目など無いわ……!」

 

悔しげに唇を噛みしめるエルサ。悔しいが、ベルドーサの言う通りだった。

 

ベルドーサを、その長い胴体でとぐろを巻いて守るようにしながら空に浮かぶスノードラゴン。全長がゆうに10mを超える蒼色の鱗を纏ったドラゴンで、エルサがどれほど氷系呪文を唱えてもそれを意にも介さず、そのドラゴンの強靭な鱗はいかなる刃によっても傷つける事が叶わなかった。

 

(……姉ちゃん、ギガンテスを倒したあのやり方は……)

 

エルサの隣に立つルーンがそう小声でエルサに話しかけるが、エルサは首を振った。

 

(だめよ、ルーン。あのドラゴンは、ギガンテスとは違うわ。近づく前にあのブレスで凍らされちゃうわ。覚えているでしょう?)

 

その言葉に、ルーンは悔しげに俯いた。ルーンは決して忘れていなかった。開戦早々にあのドラゴンの放った『こごえるふぶき』によって、数多くの戦士が戦闘離脱を余儀なくされた事を。

 

そんな姉弟の会話に、額から流血しながらも愛用の斧を構えていたリックが口を挟んだ。

 

「おい、エルサ、ルーン。言ったよな、いざという時の事を。今がその時じゃねえのか? 俺が時間を稼ぐから――」

 

「無理です、リックさん」

 

リックの言葉を、エルサが明確に否定した。

 

「今私とルーンが背を向けたら、この城壁を彼らに突破されて砦は内部から崩壊します。今からこの砦を脱出するのは不可能です」

 

「ちっ! だけどなあ……!」

 

リックは舌打ちを返しながらも、エルサの言葉が正しい事を理解していた。そもそもリックは2つの思惑違いをしていた。1つはエルサとルーンがこれまでの砦の防衛線における活躍で、防衛側の主戦力に数えられてしまった事。そしてもう1つは、エルサ自身が多くの村人を置いて逃げ出す事を良しとしなかった事だ。

 

「私は絶対に逃げません……。ルーンは……」とルーンを気遣う視線をエルサが向けるが、そのルーンもあっけらかんと笑みを浮かべた。

 

「俺も逃げねえからな。姉ちゃんが戦っているのに、俺だけ逃げるなんてかっこ悪いまねできっかよ……!」

 

 

妖魔師団を率いるベルドーサは、気丈に自身を睨むエルサを舐め回すように見つめた。

 

「ふむ……、しかし、よくよく見れば、人間にしてはなかなか美しい女ではないか。あるいは、ザボエラ様が気に入られるやもしれん。ここで殺すのは惜しい……か。おい、女。命乞いすれば貴様だけは生かしておいてやらんこともない。ザボエラ様の下で飼われる気は無いか?」

 

その言葉にエルサは、そのアイスブルーの瞳に強い意志を宿して強く反発した。

 

「ふざけないで……! そんな生き方をするために、私はあの日を生き延びたんじゃないわ! そんな風にして生きるぐらいなら、死んだ方がましよ!」

 

「チッ! 所詮は脳の足りぬ人間か。良いだろう、この上はそなたを氷の彫像へと変える事で、死出の旅へのたむけとしてやろう。やれ、スノードラゴン……!」

 

主人に命じられたスノードラゴンは、そのかみ合わされた(あぎと)からシューシューと氷の結晶の混じった白い煙を放出し始めた。

 

そしてスノードラゴンは獰猛な笑みを浮かべながら、徐々にその(あぎと)を開いていき、とうとうその大きく開いた口から全てを凍らせる『こごえるふぶき』を放った。その射線上にはエルサ達。

 

「させない! ――氷系呪文(ヒャダイン)!」

 

エルサは最後の力を振り絞り、突き出した右手から氷雪のエネルギーを放出する。

 

スノードラゴンの放った『こごえるふぶき』と激突する氷雪のエネルギー。当初こそ両者のそれは拮抗していたが、直ぐに限界が訪れる。魔法力が尽きたのか、次第にエルサの放出する氷雪のエネルギーが衰えていく。それと比例するように、エルサ達の身体を白く冷たい氷の息吹が徐々に包み込んでいった。

 

パキ、パキと自身の体が徐々に白く凍り付いていく音を耳にしながら、エルサは傍らのルーンとリックに謝罪した。

 

「ごめんね、ルーン、リックさん。精一杯やったけど、これが限界みたい。本当にごめんなさい」

 

その謝罪に、ルーンとリックが笑みを浮かべて答えた。

 

「仕方ないよ、姉ちゃん。精一杯生きた結果だよ。父ちゃん、母ちゃんも分かってくれるよ」

 

「そうだ、謝るなよエルサ。こいつらをこれほど引きつけたんだ。無駄死にじゃあないさ。後は、あいつらがやってくれるさ」

 

エルサは徐々に意識が遠のいていく中、もう一度ポップさんの笑顔を見たかったな、と最後に頭に思い浮かべた。

 

ギュッと目を瞑ったエルサは、氷雪の息吹がその全身を包み込むのをじっと待っていた。

 

しかし、何故かその時がいっこうに訪れない。最初に異変に気付いたのは、ルーンだった。

 

「ね、姉ちゃん……。見てよ、これ。緑色の光だよ。これって、あの時と一緒だ……」

 

ルーンのその言葉に、エルサは恐る恐る目を開ける。すると、確かにルーンの言う通り彼女達の周囲を半球状の緑色の光膜が覆い、いつの間にか氷雪の息吹はその光膜の表面を凪いでいくのみとなっていた。その光膜には覚えがあった。あの時も、私とルーンはこの光膜に助けられた。

 

期待を胸に目を前方に向けると、城壁の外に飛翔呪文(トベルーラ)で宙に浮いた人間の背中が見えた。今彼女達を優しく覆っている光膜がその人間の前に突き出した右手から発せられている事は、その魔法の光跡を辿れば明らかだった。

 

エルサの瞳に、自然と涙が溢れていた。ずっとその無事を祈っていた人物。一向に迎えに来ずやきもきさせていた人物。……会いたい、……会いたいと毎日願っていた人物の背中がそこにあった。

 

「ポップさん……」

 

そのエルサのつぶやきが聞こえたのだろうか。前方で彼女達の盾となるかのように魔物の大群に対して立ちはだかっていた人物が、肩越しにエルサ達を振り返った。その顔は、誰しもに、もう大丈夫だと安心させる笑みを浮かべていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

俺は、スノードラゴンの放出した『こごえるふぶき』の前に身を投げ出し、即座に防御光膜呪文(フバーハ)を唱えた。グッと押される力を突き出した右手に感じるが、即座にその強度を上げる事で対処する。(よしっ、安定した)と俺が感じた時、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 

ハッとして肩越しに後ろを振り返ると、そこには俺を見つめる女性がいた。……ああ、良かった。生きていてくれた。俺はその事に、思わず膝から崩れそうになるほど安堵していた。

 

先ほどラドルの村に瞬間移動呪文(ルーラ)で移動した際には、村人がどこにもいなくて、しばらく呆然自失で佇んでしまった。偶然、硝煙と肉の焼ける嫌な匂いが風に乗って運ばれてきたのでここまで文字通り飛んできたが、そうか、皆この砦に避難していたんだな。

 

エルサさんの側には、弟のルーン、そして村長のリックさんと言う懐かしい顔ぶれもあった。

 

良かった、無我夢中でブレスに飛び込んだけど間一髪で間に合ったみたいだ。皆、体の一部が白い氷雪に覆われていて寒そうだが、今のところ命に別状はなさそうだ。俺も、ここに来てヒュンケルの十八番芸をマスターできたと見える。

 

俺は皆を安心させようと笑顔を顔に浮かべ、同時に背後の彼らに左手を突き出した。唱える呪文は広域回復呪文(ベホマラー)。彼女達の周囲にも怪我をした兵士達が大勢いるようだから、最大出力だ。直ぐに俺の左の掌から青い清浄な魔法の粒子が放射状に広がっていき、エルサさん達はもちろん、その周囲の怪我をしている兵士達にもその光がふりそそがれていく。その効果は直ぐに現れたようで、信じられないような顔をしながら兵士達が徐々に立ち上がってくる。

 

うん、やっぱり二重魔法詠唱(ダブルキャスター)は便利だな。あらためて、サーラさんに感謝だ。

 

そんな事をしていると、ようやくスノードラゴンの放出していた『こごえるふぶき』が途絶えた。同時に、俺達の周囲を覆っていた白い靄が晴れていく。

 

俺達が物言わぬ氷の彫像になっていると思っていたのだろう。思惑と外れて驚愕した様子の魔物が、そこにいた。

 

「馬鹿な!? 何故、彫像になっておらん! ――! 貴様は何者だ!?」

 

髪の毛が無数の黒い蛇になっている気色の悪い魔物が俺を誰何するので、俺は答えてやった。

 

「俺か? 俺の名はポップ。大賢者ポップだよ」

 

「大賢者ポップだと!? ――! そうか、氷の賢者か! いや、しかし、奴は死んだはずでは!?」

 

「おいおい、勝手に殺すなよ。俺はこの通り、ピンピンしているぜ?」

 

俺はニヤッと笑みを浮かべて、目の前の魔物に対峙する。

 

「チッ! まあ良い。貴様を殺せばザボエラ様もお喜びになる。獲物が自ら目の前に現れたようなものよ……!」

 

「獲物か……。果たして、どっちが獲物かな? さあ、今度はこっちから行かせてもらうぞ。――火炎呪文(フェニックス)!」

 

俺が右手を振りかざすと、即座に火の鳥が出現し、スノードラゴン目指して飛翔した。

 

「――何ッ! それは大魔王様の!? ええい、スノードラゴン! 迎撃だ!」

 

その指示に従い、再びスノードラゴンが口から吹雪のブレスを放った。

 

無駄だ!

 

スノードラゴンの放ったブレスが火の鳥に直撃する寸前、その火の鳥がバレルロールする。そしてそのまま、ブレスの側面部を螺旋状に回転しながら、火の鳥がスノードラゴンめがけて加速した。

 

一瞬でスノードラゴンとの間合いを詰めた火の鳥を、俺はそのままブレスを吐く奴の大きな口の中に突っ込ませた。直後、スノードラゴンが闇夜をつんざくような悲鳴を上げた。

 

「ギャァオオオオーーーー!!」

 

燃え盛る火炎を口ばかりか目や鼻からも噴出しながら、その長い体を宙で苦しそうにのたうたせるスノードラゴン。しかし、じきにその叫び声が収まったかと思うと、次の瞬間には重力に従いその身体が地面に落ちていった。その巨体が大地に落ちた瞬間、スノードラゴンだった物体はバフッと言う音と共に粉々に崩れる。その後、その身体は大量の灰へと姿を変え、最後は風に巻き上げられて散って行った。

 

「ス、スノードラゴンが……まさか……そんな」

 

サラサラと風に乗って運ばれていくスノードラゴンの遺灰を、呆然とした顔で見降ろす不気味な魔物。

 

「氷の彫像とはいかなかったが、これが俺の死出の旅へのたむけさ。受け取ってくれ」

 

俺の挑発に、魔物は目を爛々と光らせ、頭部に生息する無数の蛇はシューシューと舌を震わせた。

 

「お、おのれー。よくもスノードラゴンを……。その上、あまつさえ大魔王様の火炎呪文まで模倣するとは……! 氷の賢者、許しがたし……!」

 

「おいおい、火炎呪文(フェニックス)はバーンの模倣じゃないぜ? あれは俺のオリジナルだ。バーンの方こそ、俺の呪文をパクってんだよ。そこんところ、間違えるなよな」

 

うん、大嘘だ。多分バーンのカイザーフェニックスは、俺が生まれる前から存在している。だけど、それがどうした。こんなのは言ったもん勝ちだ。商標登録は俺がもらったぜ。

 

「おのれ、減らず口を! 貴様には、氷の彫像すら生ぬるいわ! スネークヘッドよ、こやつを石へと変えよ! 石像となって、未来永劫バーン様の築く理想郷を眺めているがよい!」

 

その声と同時に、奴の頭部に蠢く無数の細い蛇が一斉に俺を見つめ、その目を赤く光らせた。一瞬、ドクンッと動悸が激しくなったのを俺は感じた。しかし、次の瞬間にはバチッと何かを弾いたように、俺の鼓動はまた自然な状態に戻った。

 

「何だ……? 今、何かしたのか?」

 

「なっ、ば、馬鹿な!? 貴様、石化耐性を持っているのか!?」

 

「石化耐性……? そんな物、もって生まれた覚えは無いけどな。ていうか、そんな物騒な技を使うなよ」

 

あっぶねー。何で失敗したか知らないけど、俺知らないうちに石化の呪いを回避していたみたいだな。もしかして、俺の身体の中に溶け込んだ(ドラゴン)の血のおかげか?

 

「くっ……! 石化が通じぬのなら……決めたぞ、氷の賢者。貴様にはスノードラゴンと同じ苦しみを与えてやる。灰と化して消え去るのだ。サタンパピー! ――やれ!」

 

何だ、何をするつもりだ。魔物の声で、奴の背後に展開する十体以上のサタンパピーが、詠唱を始めた。そして、詠唱の終えた全てのサタンパピーが火炎呪文(メラゾーマ)を放った。

 

しかし驚いた事に、その放った先は俺ではなく目の前の魔物にだった。複数の火炎呪文(メラゾーマ)をその身に受けたと言うのに、まるで動じていない魔物。まさか、これは……。

 

「クックック。驚いたようだな。そうだ、これがザボエラ様から我が授かった切り札よ。配下の呪文を集束し、我の呪文を上乗せして放つ究極の呪文。それこそがこの集束呪文(マホプラウス)。さあ、これまでだ、氷の賢者!」

 

チラッと背後のエルサさん達を一瞥する。こいつは、火炎呪文(フェニックス)ではきついかもしれない。……万が一にも押し負ける訳にはいかない場面だしな。

 

「……なるほど。ザボエラにしては良い呪文だ。俺が教えてもらいたいくらいだぜ。腐っても妖魔師団長という所か……」

 

「ほざけ……。今、引導を渡してくれるわ……! ――火炎呪文(メラゾーマ)!!」

 

その言葉と共に、明らかに通常の火炎呪文(メラゾーマ)とは異なる熱量の火炎が俺に迫ってくる。この熱量は、かつてバルジの塔で受けたフレイザードの五指爆炎弾(フィンガーフレアボムズ)をも明らかに上回っていた。

 

だが、その時既に俺の両の掌には、紅蓮の炎が半環を描くように噴き上がっていた。

 

間に合うという十分な目算の元、ゆっくりと最後のセットアップを行う。両の掌を胸の前で組み合わせる事で、それは完成した。

 

「なっ!? そ、その呪文は、まさか……!」

 

「そのまさかさ。 ……極大閃熱呪文(ベギラゴン)

 

呟くように俺が最後の詠唱を口にした瞬間、ドンッという腹に響く音を残して、俺の両の掌から灼熱の閃光が放たれた。その閃光は向かってくる火球のど真ん中を瞬時にぶち抜き、術者である魔物を一瞬で蒸発させ、その背後に展開していたサタンパピーの集団に直撃した。

 

漆黒の夜空に、突如巨大な火球が誕生した。ビリビリという大気が震えるような振動が発生し、その直後、熱風が周囲に吹き荒れた。

 

俺も咄嗟に飛翔呪文(トベルーラ)の強度を上げなければ、その熱風に吹き飛ばされる所だった。

 

吹き荒れる熱風が収まった後、火球に覆われていた空間に敵はただの一体も存在していなかった。

 

……ふー、どうにかなったな。俺は額に浮かんだ汗をローブの袖で拭った。

 

結果的には無傷で勝利した格好だが、スノードラゴンはともかくとして、あの髪が蛇に変化していた名も知らない魔物は、それほどたやすい相手ではなかった。少なくとも、隻腕では苦戦を強いられていたはずだ。

 

集束呪文(マホプラウス)……か。ザボエラが開発したと言っていたが、悔しいがなかなか良い呪文と認めざるを得ない。言ってみれば、あれはドラクエの世界ではポピュラーな連携電撃呪文(ミナデイン)に近い気がする。守る対象が背後にいて余裕が無かったが、時間さえあれば習得してみたかったな。

 

「おーい、ポップの兄貴―! こっち、こっち!」

 

そんな反省を宙にふよふよと浮きながらしていたら、背後から俺を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。

 

 

 

 

 

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side エルサ

 

私の身体の半分以上を覆っていた氷雪が、溶けるように消えていく。同時に、全身に受けていた凍傷や裂傷による怪我が嘘だったかのように引いていった。ルーンやリックさんも同じようだ。2人とも目を輝かせて、痛みの引いていく自分の身体を見つめていた。

 

私達の周囲は緑色の魔法の粒子が覆っていて、先ほどまで感じていた気が遠くなりそうだった冷気は、全く感じられなくなっていた。

 

あの日と同じだ。あの日もポップさんは無数の魔物達による魔法攻撃を、こうやって光の膜を張って私達姉弟を助けてくれた。

 

……ただ、あの日と違う事にも私は気がついた。

 

それは、私達の怪我を治療するために、ポップさんが突き出している左手が負っている傷だった。昨日今日でついた傷でない事は明らかだった。あの日のポップさんの手は、こんな怪我は負っていなかった。

 

あれからポップさんは、いったいどれほどの死線をくぐり抜けてきたんだろう。ずっとラドルの村で祈っている事しかできなかった自分の無力さが悔しかった。

 

 

 

私の目の前で、あれほど強く頑強だったスノードラゴンが断末魔の悲鳴を上げている。その大きな口からポップさんの放った、おそらく火炎呪文(メラゾーマ)だと思われる火の鳥を突き入れられて。無数の小さな火の粉をその翼から零しながら夜空に羽ばたいた火の鳥は、本当に伝説に聞く不死鳥のようにとても美しく、こんな状況だというのに私は思わず魅入られていた。

 

あんな風に炎を動物の姿に変えるなんて、私は想像した事もなかった。……私にもできるかしら? もちろん私は火炎呪文は唱えられないけれど、氷系呪文ならもしかして……。氷系呪文の最上位呪文、氷系呪文(マヒャド)……。これまでは、唱えようとすると暴発してしまいそうな予感におののき、一度も試していなかった。でも、あんな風に氷系呪文(マヒャド)を動物か何かの形に整える事が出来たら、もしかして……。

 

 

 

あの、髪が蛇に変化している異形の魔物に凄まじいほどの魔力の高まりを感じる。ポップさんが私達を一瞬振り返った。もしかして、私達がいるせいで逃げる事ができないのだろうか。

 

私は、何かできる援護はないだろうかと、とっくに魔力の枯渇した身体を振り絞り、どうにかして氷系呪文を唱えようと深く集中した。氷系呪文(ヒャド)でも良い、何かやれる事を……!

 

そう考えていた私の肩に、ポンと置かれる手があった。それは、ポップさんの回復魔法で怪我が癒えたジャン隊長だった。

 

「……エルサ嬢。もうそのように無理をする必要はない」

 

言われている事の意味が分からず首を傾げる私に、ジャン隊長は視線をポップさんに向けたまま、言葉を続けた。

 

「今、『氷の賢者』殿が放とうとしている呪文。私は文献でその存在を知っているだけだが、記述されていた通りの特徴的な予備動作……。間違いない……」

 

いつも冷静なジャン隊長が、珍しく興奮したように目をキラキラと輝かせていた。

 

「皆も『氷の賢者』殿から目を離すな! 生涯で二度と見る事叶わぬ大呪文だぞ!!」

 

その声に、怪我の回復した周囲の兵隊さん達が、見逃してなるものかと我先にと城壁に集まってきた。

 

「……こいつら、ポップの呪文が押し負けたら、そのまま一緒に焼け死ぬって事を分かって集まってんのかね?」

 

リックさんが、先ほどまでの悲壮な表情からうって変わって、子供のように目をキラキラさせている兵隊さん達を呆れたように皮肉った。

 

「何言ってんだよ、リックさん。ポップの兄貴が負けるわけないさ!」

 

ルーンまで兵隊さん達に交じって、視線をポップさんに固定したまま大声を張り上げた。

 

瞬きする事すら惜しむようにポップさんを見つめるルーンに苦笑しながら、リックさんも「まっ、それもそうなんだけどな……」と、まるで物見遊山のように城壁の腰壁に肘をつき、じっくり鑑賞する姿勢をとった。

 

魔法使いでありながら、呪文に関する知識をほとんど持ち合わせていない私は、そんな周囲の様子に困惑した。

 

その時、「……極大閃熱呪文(ベギラゴン)」というポップさんの静かな、しかしそれでいて頼もしい力のこもった声が聞こえた。

 

同時に、まるで朝日が昇ったかのような目も眩むような閃光が闇夜を切り裂いた。その閃光は、向かってくる巨大な火球の中心を貫いて霧散させ、その先の魔王軍の軍勢に突き刺さった。

 

ドォォォォーーーン!!

 

閃光に遅れて、ベンガーナの町まで届いたのではないかと思えるほどの爆発音と、この砦を覆えるほどの大きさの火球が宙に発生した。周囲の大気がビリビリと震え、一瞬その火球に向かって身体が吸い寄せられそうになったが、ほんの一呼吸後には、今度は反対に吹き飛ばされそうになるほどの爆風が私達を襲った。

 

リックさんなんか、その爆風をまともに浴びて仰向けにひっくり返ってしまった。私は、身体を低くし腰壁の影に入る事で、どうにかしてその爆風をやり過ごす。

 

そんな大気が乱れ狂ったように吹き荒れる中でも、兵隊さん達は互いに身体を支え合いながら興奮を抑えられないように口々に語り合っていた。

 

「ジャン隊長……あれが……!?」

 

「そうだ……。あれこそ、全ての攻撃呪文の頂点に立つと言われる閃熱(ギラ)系最強の呪文、極大閃熱呪文(ベギラゴン)だ。まさか本当に、この目で見られるとは……。陛下がアキーム殿に、彼をスカウトするよう密命を与えたという噂を聞いた事があるが、それも頷けようというものだ」

 

「すっげー……。あれだけいたサタンパピーが、一体も残っていないぜ。あっ、地上の魔物達も散り散りになって逃げて行ってら! やった、勝った、勝ったぞーー!」

 

その声に、皆が笑顔で口々に勝ち鬨を上げ始めた。

 

良かった……。もう駄目かと思っていたけれど、ポップさんが助けてくれた。

 

私は未だ吹きすさぶ風になびく髪を抑えながら、こちらに背を向けたままのポップさんを見つめた。

 

「おーい、ポップの兄貴―! こっち、こっち!」

 

ルーンの声に気が付いたのか、そのポップさんがこちらを振り返った。先ほどの眩いほどの閃光が嘘だったかのように今は再び夜の帳が下りていて、その表情はここからでは伺う事が出来なかった。

 

ゆっくりとポップさんが砦の城壁に近づき、その城壁の上に足をトンと接地させた。私は思わず駆けだしていた。誰にも、ルーンにも、リックさんにも渡したくない。最初にポップさんを独占するのは私だ。1年以上も待たされたのだから、神様もそれぐらいは許してくれるはず……!

 

ドンッと音を立てる勢いで、私はポップさんの胸に飛び込んだ。飛び込んだ瞬間に分かった。ポップさんは、1年前に別れた時より身長が随分と伸びていて、もう私の身長を超えているようだった。私は、ポップさんの存在をもっと感じようと、両腕をポップさんの背中に廻した。

 

「エ、エルサさん……? ……ど、どうしたの? そんなに怖かった? ごめんよ、遅くなって」

 

「……本当です。遅いですよ、ポップさん。ずっと待ってたんですよ……」

 

私は気恥ずかしさからポップさんの胸に埋めた顔を上げられないまま、ずっと音沙汰の無かったポップさんを責めた。

 

「あ、ああ……、ごめんね。ラドルの村には行ったんだけど、この砦の事は知らなくて。ちょっと迷ったものだから、ギリギリになっちゃって……」

 

「……全く、それでようやく迎えに来たのかよ。エルサも待ちくたびれちまってたぜ?」

 

リックさんの声が、背中越しに聞こえてくる。そんな、別に待ちくたびれたりはしていないのに。私は、ちょっと遅いな、って思っていただけで……。思わず赤面するのを自覚しながら、そんな事を考えていた私だけど、次のポップさんの言葉に私の頭は真っ白になってしまった。

 

 

「えっ? ……別に誰も迎えになんか来ていませんよ?」

 

その言葉に、私達をはやし立てながら見守っていた周囲の皆さんが一斉に沈黙し、周囲を完全な静寂が包んだ。

 

私も、呆然として顔を上げる。ポップさんは私と顔を見合わせて不思議そうな表情をしていた。最初に気が付いたのは、リックさんだった。

 

「迎えに来てねえって、お前、エルサからミサンガを……。――!? あっ、お前、ミサンガが増えているじゃねえか!?」

 

その声に驚いた私は、ポップさんから距離をとってその左手首を凝視した。……本当だ。私が渡したミサンガの他に、新しいミサンガが2つもポップさんの手首に巻かれていた。

 

「えっ? ああ、そうですよ。同じパーティーの、マァムとメルルっていう女の子から貰ったんです。勝利の願掛けなんで、いくつあっても良いじゃないですか。明後日には決戦だから、ご利益があると良いんですが……」

 

そうあっけらかんと笑うポップさんに、私は困惑して頭が上手く働かなかった。勝利の願掛け? どうして迎えに来て欲しいという意味のミサンガが、そんな意味になるのだろうか? もしかして、私の頭がおかしくなったのだろうか?

 

困惑して言葉が出ない私に、助け舟を出す様に声がかけられる。

 

「ハア、ハアッ! いやー、歳を取るとこの階段を登るだけでも、きついきつい。と、それよりポップ君。久しぶりだね。噂は聞いているよ。大活躍らしいじゃないか」

 

「え? ああ、ヘンケンさん。こちらこそお久しぶりです。商売は順調ですか?」

 

ヘンケンさんが、息を乱しながら広場から城壁の上まで駆け上がってきて、ポップさんに気さくに声をかけた。

 

「ははは、こんなご時世なんで中々商売繁盛とはいきませんね。それよりそのミサンガ、勝利の願掛けなんですね。それはポップ君の故郷の風習で……?」

 

「え、故郷? ああ、そうですね。故郷と言えば故郷ですね。肌身離さず身に着けていたら、勝利をもたらしてくれる幸運のブレスレットって言いますよね? それが何か?」

 

「いやいや、何もありませんよ。しかし、明後日が決戦ですか。そんな大変な時に来援に来てくれた事、誠に感謝します」

 

「そんな事は……。あっ、もう日が変わっているんだった。明後日じゃない、明日ですね。――いけね! そろそろ戻らないと、マァム達が迷宮から戻っているかも……!」

 

「またマァムに朝帰りしてって叱られかねないぞ」と青い顔をして、急にワタワタし始めたポップさん。

 

「すいません、皆さん。ゆっくり話したいのはやまやまですが、今ちょっとバタバタしてまして。落ち着いたらまた顔を出しますので、今日の所はこれで。エルサさん、ルーン、今度また顔を出すから、その時にあらためて……!」

 

「え、あの……ポップさん……。まだ話が……」と、私は思わずポップさんに手を伸ばしたが、ほんの少し遅かったようだ。

 

「じゃあ、皆さん。お疲れっした! ――瞬間移動呪文(ルーラ)!」

 

私の伸ばした手は、僅かに間に合わず宙を掴んでいた。

 

 

 

ポップさんは、風のようにさっと現われて、やはりさっと去って行ってしまった。皆があっけにとられて、声も出せずに押し黙っている。そして、時折私を気遣うような生暖かい視線が私に投げかけられる。

 

「ね、姉ちゃん。その、気を落とさずにな。ポップの兄貴も深い訳があった……と思うぜ」

 

「そ、そうだぜ、エルサ。まあ、迎えに来てくれたのでは無かったかもしれないが、顔を見せに来てくれただけでも良かったじゃないか」

 

ルーンとリックさんの慰めの言葉が、全く耳に残らなかった。ううん、分かっているのだ。ヘンケンさんとの会話で理解ができた。ポップさんの故郷では、何故かミサンガの意味合いが違ったのだ。

 

そう言えば私は、ミサンガの意味を説明した上でそれをポップさんに渡したわけでは無かった。それはもちろん、どう考えても違う意味に捉えないだろうと思っていたからだけど、それは世間知らずな私の傲慢な考え方だったのかもしれない。

 

だからそれは良い。百歩譲って、だけど、それは良い。ただ、気になるのはポップさんに新たにミサンガを渡した2人の女性だ。彼女達もその意味が分からずポップさんにミサンガを渡したのだろうか。

 

いや、違うはず。根拠は無い。ただこれは私の女の勘だった。絶対にあのミサンガを渡した2人の女性は、ミサンガの世間一般的な意味を分かっているはず。もちろん先に渡している私のミサンガに込めた思いも。それが分かった上で、ポップさんにミサンガを渡している。という事は、これは私に対する……。

 

親友のタバサとリッカが以前私に言っていた。「恋は戦争よ」と……。その時は、何を大げさな、と笑って聞き流していたけれど、今なら分かる。私は戦争を仕掛けられている。

 

1人思案する私の側で、そのタバサとリッカの声が聞こえた気がした。

 

「皆、今のエルサに近寄っちゃ駄目よ!」

 

「そうよ、ルーンも離れて! あの黒いオーラが見えないの!?」

 

何やら失礼な事を言われている気がする……。ふふふ。おかしいわね。私はただ、ポップさんにあのミサンガを贈った2人に会ってお話がしたいだけなのに。

 

意を決した私は、リックさんの名を呼んだ。何故かリックさんはビクッと身体を震わせて、直立不動の姿勢を取った。

 

「お、おう。な、何だよ、エルサ」

 

「『キメラの翼』、まだ残っていますよね……?」

 

「ばっ、お前、ここでそれを言うなよ!」

 

「『キメラの翼』……?」

 

事情を知らないジャン隊長が不思議そうな表情をするが、私はそれを無視する。今の私の関心事は、2人の女性だけに向けられている。

 

「残っていますよね……?」と、もう一度私はリックさんに尋ねた。既に魔力は枯渇したはずなのに、何故か私の全身からは氷の結晶が冷気とともにとめどなく放出されている。どういうわけか、周囲の皆さんが私から距離をとっている。ルーンまでもだ。

 

「お、おう……。……あるよ」

 

顔を青ざめたリックさんが、やっと私の問いに応えてくれた。

 

その答えに満足した私は、ふっと笑みを浮かべた。

 

 

その瞬間、私から距離を取っていた皆が一層離れたような気がした。

 

 

 

 

###########################################

 

大魔王戦役終結から150年を迎えた現在。それは、『氷の大賢者』の名で知られるポップ・マーカストンの逝去から80年を数えた事を意味する。

 

その間、数多くの魔法使い達が、かつて存在した2名の不世出の魔法使いが至っていた高みに到達する事を夢見て不断の努力を積んできた。それは並大抵の努力で到達できる場所ではなく、多くの魔法使いがそこに到達する事叶わず、抱いた夢を後人に託して今日まで至っている。

 

しかし、その80年の間にたった一人だけ、ある限定された分野に限ってではあるが、かつて存在した大魔道士と大賢者の至った高みに到達し、さらにその先の深淵に足を踏み入れた者がいる。

 

その者の名は、『セシリア・E・リューガリオン』。旧姓は『セシリア・マーカストン』と言い、ポップ・マーカストンの曾孫に当たる女性である。

 

彼女の名が広く世に知られたのは、ポップ・マーカストンの逝去から7年後にあたる、彼女が16歳の時だった。

 

それは当時、ベンガーナ西部に位置するキルルギ火山がちょうど活発に活動を始めていた時期だった。未明に発生したキルルギ火山の大噴火によって生じたマグマが、麓の町に流れ込まんとしていた時、偶然その町に滞在していたセシリア・マーカストンが、誰も見た事のない氷系呪文を行使し、その大量のマグマを瞬時に凍結させ町を救って見せたのだ。

 

彼女がその時に行使した氷系呪文は、当時知られていた氷結魔法の最上位に当たる氷系呪文(マヒャド)をも超える氷系呪文(マヒャデドス)だったと伝わっている。彼女は母方の血が濃いのか、氷系呪文しか習得していない純粋なる魔術師であったが、こと氷結魔法においては過去および現在に及ぶまで余人の追随を許さない才能の持ち主だった。

 

残念ながらその氷系呪文(マヒャデドス)については、彼女もポップ・マーカストンの教えを尊び公表していないため、その詳細は伝わっていない。しかし、彼女が氷系呪文という一点において、前人未踏の領域に足を踏み入れたのは間違いのない事実である。

 

なお、この時の功績により彼女には当時のベンガーナ国王クルテマッカ十三世より感謝状が与えられ、それが縁となり翌年彼女はベンガーナ王国宮廷魔術師として招かれている。この時のクルテマッカ十三世の喜びようは現在まで伝わっており、「クルテマッカ八世の代からの悲願をようやく果たす事ができた」と涙ながらに述べたという逸話が残っている。

 

彼女がベンガーナ王国の招きを受け入れた理由は当時様々に噂されたが、そのうちの一つとして、王宮で感謝状を授与される際のエスコート役を務めたリューガリオン家の嫡男が彼女に一目惚れし、その熱烈な求愛に根負けしたため、とも伝わっている。

 

そして彼女は後年、そのリューガリオン家の嫡男と結ばれる事になるのだが、それはまた別の物語である。

 

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