~~~~破邪の洞窟~~~~
カツーン、カツーン……。石畳を叩く規則的な靴の音が、照明だけが照らす薄暗く狭い洞窟内に反響する。
「――ひゃっ!?」
「――ひっ!」
先頭を歩くマァムとその後ろを歩いていたメルルが、同時に奇妙な声を上げた。
「どうしたの、マァム、メルル! もしかして敵!?」
メルルの後ろを歩いていたレオナが、2人が急に立ち止まり声を上げた事で、周囲を警戒する素振りを見せた。
最後尾を行くフローラも油断なく周囲を見渡した。しかし、マァムとメルルは困惑した表情を浮かべるだけで、敵を発見したような素振りは見せなかった。
「え……、あ、ち、違うの、皆……。何だか急に背筋がぞくっと冷たくなった気がしちゃって、つい声が……」
「マァムさんも……ですか? 私もなんです。突然、寒気が襲ったような気がして……」
マァムとメルルは互いに不思議そうな表情で見つめ合った。
「ちょっと、ちょっと。マァムもメルルも長時間の探索で疲れが溜まったんじゃない? そろそろ小休憩した方が良いんじゃないかしら……?」
レオナの言葉に、フローラも頷いた。
「そうね。はやる気持ちも分かるけど、休んで体調を整える事も重要よ。このろうそくの減り具合だと、地上はもうすぐ夜明け頃じゃないかしら。ちょうど良いわ。あそこの踊り場で、朝食を取りがてら少し休憩しましょう」
そのフローラの言葉に、皆が頷いた。
「このサンドイッチ、メルルが作ったものよね? 私、最近は3食共メルルの作った食事をいただいているから、分かる様になっちゃったわ」
「あっ、分かります、フローラ様。私もメルルの作ったサンドイッチ大好きなんです。あーあ、ポップ君が羨ましいな。こんな美味しいご飯を、これから毎日食べられるなんて」
フローラとレオナの言葉に、メルルは思わず赤面していた。
「そ、そんな、サンドイッチなんて誰が作っても同じですから……」
そう口にしながらも、ポップが喜んでくれるかもしれないと思うと、つい顔が綻んでしまうメルル。マァムは、そんなメルルを見ながら、私も母さんにもっと料理を習っておくんだったな……、と心の中で呟いていた。
「ふふふ。メルルもマァムも、随分とポップの事が好きなのね。羨ましいわ、私も昔、あなた達みたいな頃があったわ」
「えっ、な、何を言っているんですか、フローラ様!?」
「そ、そんな……!」
そう微笑むフローラに、マァムとメルルは顔を真っ赤にしてワタワタと手をばたつかせた。
「くすくすくす。そんな事言って、フローラ様も随分とポップ君の事を気に入ったように見えましたよ? 一昨日の晩、2人だけでいったいどんな話をしていたんですか」
それは、マァムとメルルも気になっていた事だった。フローラとの2人だけの話し合いの後、ポップはまるで憑き物が取れたように晴れ晴れとした表情をしていた。もちろんそれは2人にとっても喜ばしい事だったが、自分達が関知しない所であれほどポップに影響を及ぼされると、2人としては不安にもなろうというものだった。特にポップが年上の美人に弱い、と言う事を知っている2人にとっては……。
「ふふふ。それは私とポップだけの秘密よ」と、マァムとメルルが耳をそばだてて聞いている事を知ってか知らずか、フローラはそうはぐらかす。そして、「でも……」、と続ける。
「でも、レオナ姫の言うとおりちょっと気に入っているというのは確かね。……そうね、いつか私に子供が授かる事があったとしたら、彼のような子に育って欲しいな、と思う程度には気に入っているかしら」
「「「……」」」
その言葉に、マァムとメルル、そしてレオナは無言のまま一様に顔を見合わせた。彼女達の表情が語っていた。
それって、彼の事を最大級に気に入っているって事じゃないかしら……と。
マァムとメルルは新たに警戒すべき女性が現れた事を確認しあい、レオナも戦後の各国によるポップ争奪戦に強敵が現れた事を改めて認識していた。
~~~~最後の砦~~~~
「ふわぁ。うーん、良く寝た、良く寝た。体調も絶好調だな」
俺は、砦の中で割り当てられていた寝室を抜け出し、トボトボと食堂に向かっている所だった。マァムとメルルがいないので、寝ぐせ上等、あくび全開で完全に緩みきっている。でも、それが良い。やっぱ、時にはこういう時間も男には必要だな。
食堂に入るとちょうど昼時なのか、大勢の人でごった返していた。俺は、配膳の列に並んでトレイに湯気の立っているスープとパン、それにベーコンにスクランブルエッグ、サラダをよそってもらった。今日の昼ごはんは随分と豪華だな。明日が決戦だから、大盤振る舞いしているのかな?
お腹を鳴らしながらどこか席は空いていないかなと食堂内を見渡すと、知った顔がいる事に気が付いた俺はそちらに足を向けた。
「やっ、お早うさん、ダイ。それにノヴァも」
俺が、テーブルを挟んでダイとノヴァの向かいに腰を下ろすと、2人は呆れたような顔を俺に向けた。
「お早う、じゃないよ、ポップ。もうお昼だよ。いつまで寝てんのさ。何度も起こしたのに、全然起きないし」
「そうですよ、ポップさん。一緒に朝ご飯を食べようと思って起こしに行ったのに、シーツを頭からかぶって全然起きないんですから。酷いですよ」
「ははは、悪い悪い。ほとんど完徹状態だったから、眠くて眠くて。ノヴァは、昨夜からダイの修業に付き合ってくれていたんだろう? ありがとうな。でも、お前も病み上がりなんだから、あまり無理はするなよ」
そう声を掛けながら、俺はノヴァの着込んでいる黒い鎧にも声を掛ける。
「シーザーも元気そうだな。ノヴァとは上手くやっているか?」
「ああ、問題ない」というシーザーの返事を聞きながら、俺は右手でフォークをベーコンに突き指し口に運ぶ。うん、美味しい。この香辛料はロモス原産とみた。
「僕の事より、ポップさんの方ですよ。右手を失うほどの大怪我を負っているのに、昨日はどこに行っていたんですか? 父さんも、ポップさんの帰りが遅いのを心配していましたよ?」
「そうだよ、ポップ! 俺、バダックさんにポップの右手の代わりになる義手を作れないか相談しようと思ってたのに、肝心のポップがいないから困ったんだよ」
「そうだったのか。それは済まない事をしたな」とダイに返事をしながら、俺は右手に握ったスプーンで冷製スープをすくい口に運ぶ。うん、これも美味しい。この磨り潰したジャガイモはカール産とみた。
「全く、少しは自分の身体の事を考えてくださいよ、ポップさん。俺、ポップさんの右手の代わりを……」
「本当だよ。ポップが右手が無いと不便だろうから、俺だっていろいろと考えているのに……」
うん、うんと2人の話を聞き流しながら、俺は食事を続ける。しかし、不意にその2人の言葉が途切れたので、不審に思った俺は顔を上げた。
すると2人は、何故か俺が右手に握っているフォークに刺さったプチトマトを、その目を大きく見開いて凝視していた。
何だ、物欲しそうな顔をして……。この2人、そんなにプチトマトが好きなのか?
仕方ないな、と苦笑を浮かべた俺は、ポイ、ポイと立て続けにプチトマトを2人の口に放り込む。
「「――む、むぐっ!?」」
「もうやらないからな、食いしん坊どもめ」
突然口にプチトマトを放り込まれて、もごもごと泡を食ったように慌てている2人を、俺はハハハと笑った。
しかし2人は、口に放り込んだプチトマトをどうにか咀嚼したかと思うと、次の瞬間食堂の外にまで聞こえそうなほどの大声を張り上げた。
「と、トマトなんてどうでもいいんだよ! どうしたんだよ、その右腕はッ!?」
「そうですよ、ポップさん! バーンに右腕を切り落とされていたはずでしょう!?」
「へ……?」
テーブルに身を乗り出すようにして叫ぶ2人を見て、一瞬俺は呆然として固まっていた。
あ、ああ、そうか……。なんか新しく繋いだ右腕が余りに自然なものだから、右腕を失っていた時期があった事をすっかり忘れてしまっていた。
ダイとノヴァが大声を出したものだから、周囲のテーブルで食事を取っていた人達まで何事かと目をむいて、こちらに顔を向ける。
ザワザワ……。「本当だ。氷の賢者殿に腕が……」、「え、義手? でもあんなに精巧な義手なんて……」という声が、時折漏れ聞こえてくる。
まいったな、この状況を何と説明したものかな……。
他に何か良い言い訳があるかな。あの後エルサさんの所に行ったりしてバタバタしていたから、何も考えてなかったな。
……うーん、いいや、もう! めんどくさい。これで通しちゃえ!
「えっと……、そうそう。何か知らないけど、朝起きたら勝手に生えてたんだよ。あはははは」
「「……」」
俺のこの言葉に、眼前の2人ばかりか周囲の人達全員が絶句したまま固まった。
「ポップって、実は人間じゃなかったんだね。そっか、だからキャンプの時あんな事を……」
俺の爆弾発言からしばらく経ち、ようやく時が動き出したようにざわめきが戻った食堂内。ダイが遠い目をしながらブツブツと呟いている横で、ノヴァも何やら納得した表情をしていた。
「ポップさんにかかっては、神の奇跡も思うままなんですね。ますます尊敬しました! この戦いの後は、是非リンガイアへ! 僕達兄弟が力を合わせたら、リンガイアの復興も直ぐに――」
「行かねえっつうの。ていうか、お前。いい加減、俺を兄扱いするのやめろ」
「何を言っているんですか! 僕はあのロモスの戦いの時から、ポップさんを兄と慕っているんです! ポップさんも認めてくれたじゃ無いですか!?」
そのノヴァの言葉に反論しようと口を開きかけたが、俺より早くダイが反応した。
「ちょっとノヴァ! ポップは俺の兄貴だよ! 取らないでよ!」
「いや、ダイ君。ポップさんはとても器が広いから、ダイ君も僕もまとめて弟と認めてくれるよ。安心してくれ」
「え、本当? うーん、それならまあ、良いけど。でも、やっぱり独占したい気も……」
肝心の俺の意見を聞こうともせずに、勝手な事ばかりほざいているこいつらに俺が頭を抱えていると、それに輪をかけるように練兵場の方からカン、カンと言う耳障りな音が聞こえてきた。
あー、うるさいな。そう言えば俺、この鐘を鳴らしているような音で目が覚めたんだった。何なんだよ、一体。
「なあ、ダイ、ノヴァ。さっきから響いているこの甲高い音、何か知ってるか?」
ダイは首を傾げるが、どうやらノヴァは答えを知っているようだった。「確か……」、と前置きしながら口を開く。
「父さんから聞きましたけど、ベンガーナのアキーム隊長が何やら戦車の砲身を改造しているみたいですよ。何でも、遠方まで届くように射程距離を伸ばす改造をしているとか……。何を撃ち込むつもりなんでしょうね?」
「……」
聞かなきゃ良かった。俺は、新たな頭痛の種がまた一つ増えた事を悟った。……ていうか、まだ諦めてなかったのかよ、あの南斗人間砲弾。ちょっと冗談抜きで、あのおっさんを物陰に呼び出して、
「え、えーと、そう言えば、姫さん達はまだ破邪の洞窟から戻って来てないんだよな?」
俺は一縷の望みをかけて
「うん、まだだよ。えーと、今レオナ達が潜ってからえっと、何時間かな……」とダイが両手の指を折り曲げながら計算し始めるが、長くなりそうだったから俺が後を引き継いだ。
「昨夜の10時頃から潜っているから、今13時間ぐらい経った頃だな。確か20時間を想定していたはずだから、リミットまで後7時間と言った所……か」
「大丈夫なんでしょうか、彼女達……?」
「大丈夫だよ、ノヴァ! レオナが、一度決めた事をそうそう諦めるはずないもの!」
「そうだな。他ならぬ姫さんだからな。俺も大丈夫だと思うよ」
姫さんのあの行動力は、こういう時実に頼りになる。俺は、あのおてんば姫が首尾よく
……ていうか、頑張ってくれないと俺達は砲身に突っ込まれて、砲弾として
頼むぜ、姫さん。俺は左手首に巻いた3つのミサンガにそう祈る様に願った。
そして、どうやら神様は俺の願いを聞き遂げてくれたようだった。姫さん達が満面の笑みを浮かべて地上に戻って来たのは、それから約5時間後だった。その一報を自室で聞いた俺は、いかれたおっさんを人気のない場所に呼び出すために書きかけていた手紙をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に放った。
炭であぶられた肉の焼ける良い匂いが漂う中、俺は右手の甲の上に置いたブラックロッドをペン回しの要領でクルクルと回転させながら、その感覚を手になじませていた。うん、良いね。魔力で伸び縮みしてくれるから邪魔にならないし、これはサブ的に棍を使っている俺とも相性がいい。これなら、闘気が使えないためいまいち威力の乗らない俺の地竜閃も、これからの戦いで使える事があるかもしれない。
これを提供してくれたロン・ベルクに感謝だな。俺は、肉を焼いている焚き火の向こう側で酒壺を傾けて一気飲みしているロン・ベルクに視線をやった。
「ふふふ。そのロッド、随分と気に入ったようですね、ポップさん。はい、焼けましたよ。明日は大一番ですから、しっかり食べてくださいね」
「ありがとう、メルル。メルルこそ、洞窟から戻ったばかりで疲れているだろうに、給仕は良いからメルルも食べなよ」
俺は、甲斐甲斐しく網の上で焼けた肉をよそってくれるメルルに声を掛けた。
懐の懐中時計を手に取ってみると、今は午後8時過ぎだった。ちょっとした小学校の運動場ほどの広さはある砦の広場。そのいたるところから肉の焼ける良い匂いとにぎやかな声が聞こえてくる。それはフローラ様の、『最後の夜は皆で広場で食事をしましょう』という、いきな提案で生まれていた。
……最後の夜。そう、周囲にいる多くの兵士や冒険者達は今から約3時間後の日付が変わる前に、ロロイの谷を目指してここを出立する予定になっている。そして俺達は、遅れて明日の朝この砦を出立する。
ジーナは、間に合わせてくれるだろうか。任せな、と太鼓判を押してくれたが、ユーリカさんによると今も部屋で作業をしてくれているようだ。後で差し入れを持って行って、様子をうかがってみるか。
「でも、洞窟から戻ってきたらポップ君に右腕が生えているんだもん。本当に驚いたわよ」
俺がそんな事を考えていると、姫さんが焼けた肉にがっつきながら、今日何度目かの言葉と共に俺の右腕に視線を投げた。
「ははは。神様の奇跡とメルルのおかげだよ。姫さんこそ、よく
「もちろんよ!
「でもレオナ、無茶しないでよ。本当に
「分かっているわよ、ダイ君。そういえば、マァムの姿がさっきから見えないわね。どこに行ったのかしら?」と、キョロキョロと首を巡らせて不思議そうにする姫さん。
その質問には、フローラ様が答える。
「マァムなら、さっきレオンに誘われて、向こうのカールの戦士達と懇親を深めに行ったわよ。皆、マァムの姿にロカの在りし日の姿を重ねているから大喜びしていると思うわ」
「そっか、マァムのお父さんはアバン先生のお仲間であったのと同時に、カール王国の騎士団長でもあったんでしたね」
なるほど。カールの戦士にとって、ロカ団長の忘れ形見であるマァムが一緒に戦ってくれていると言う事に、特別な想いがあるんだろうな。
「そういえば父もいませんね? まだ会議室でしょうか?」
ノヴァのその問いにも、葡萄ジュースで喉を湿らせていたフローラ様が答えた。
「将軍は、あちらの冒険者や兵士が集まっている方で食事をしているわ。死の大地での戦いで随分と交流が深まったようね」
「……へー、父はあまりそういう付き合いはこれまでしていなかったんですけど、意外です。あっ、僕もリンガイアの兵達の方に顔を出してきますね。メルルさん、ごちそう様でした。美味しかったです」
そう言って席を立って離れていくノヴァを見て、ライオネル王も席を立つ。
「俺も、オーザム兵が羽目を外し過ぎていないか様子を見てくるとしよう。ポップ、明日ロロイの谷で……な」
「はい、お休みなさい、ライオネルさん。ノヴァも気を付けてな」
ノヴァもライオネルさんも兵を率いて先発するから、次に会うのはロロイの谷という事になる。俺は2人に片手を上げて見送った。
「戻ってきたわね、ポップ。ねえ、アバンからの手紙にあったのだけど、あなたが以前奏でた曲を、アバンが随分と気に入っていたみたいね。良かったら、私にも聞かせてくれないかしら?」
それは、俺がジーナから頼んでいた物を受け取り、皆の元に戻ってきた時だった。フローラ様が思い出したように俺に顔を向けてそう言った。
「え? ああ、それは多分『荒城の月』という曲ですね。良いですよ。ちょっと待ってください」
そう断って、俺はベルトに巻いていた鞄の中からオカリナを取り出す。
そして、オカリナをそっと口に咥えて息を吸い込んだ。
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~~~~♪ ~~~~♪
パプニカから持ち込まれたワインで喉を湿らせていたユーリカの耳に、哀愁の漂う、どこか望郷の念を呼び起こす旋律が風に乗って運ばれてきた。
「誰が吹いているのかな……? 初めて聞く曲だが、パウロは知っているかい?」
「いや、俺も初めて聞くよ。だけど、どこか故郷を思い出させる、心に沁み渡るような曲だな……」
パウロは、目を閉じてうっとりとその旋律に身をゆだねている。ユーリカは、パプニカの魔法兵であるパウロと『死の大地』での戦いで知己を得、同じ魔法使いと言う接点から親しくなりこうして共に酒を酌み交わしていた。
ちょうどそこに、ユーリカのパーティーメンバーであるイザベラが、酒樽を脇に抱えて戻って来た。
「イザベラ、まだそんなに飲むのか?」と、驚くユーリにフンッと鼻を鳴らすイザベラ。
「砦に残していったって、腐らせるだけだろう? パプニカ産のワインにそんな無体な真似が出来ると思うかい? それに、うわばみのクロコダインがいないんだから、あいつの代わりにあたいが飲んでやるしかないじゃないか」
イザベラらしい言いように、「飲みすぎて、バウスン将軍が言っていたように、ポップ君の手を煩わせる事の無いようにしろよ」と苦笑交じりにユーリは返す。それは、残った酒を皆に配るよう指示したバウスン将軍から同時に、「あまりに酩酊してしまった者は、氷の賢者の呪文で頭から水をかぶってもらうからな」と言われた警告を覚えていたからだった。
「ふん、分かっているよ。それより、ジーナは何処に行ったんだい? 辺りにはいなかったが……」
「ここにいるよ、イザベラ」と、そのイザベラの背後から双剣使いのジーナが現れる。彼女の手には、ビールがなみなみと注がれたジョッキが握られていた。
「ポップの奴が急に迷い草の調合なんぞを頼んで来たもんだから、出遅れちまった。持久性を捨てて、即効性に全振りしたピーキーな迷い草が欲しいなんておかしな事を言うものだから、調合に時間がかかったよ。ユーリカ、あたしの食い物は残してあるだろうね?」
「もちろんだよ。さあこの肉が焼けているから、食べるといい」
ユーリカの返事を聞く前から、焚き火の前にどっかと腰を下ろし、串に刺さった肉にかぶりつくジーナ。その隣でイザベラが、ワインを喉に流し込みながら話しかける。
「へー、魔法使いのくせにジーナの迷い草に目を付けるとは、なかなか目の付け所が良いじゃないか。おまけに細かい注文まで付けるとは、こなれているね。勇者パーティーなんぞしているより、冒険者の方がよっぽど向いているんじゃないかい?」
イザベラの言葉には一理あった。眠り草や迷い草は冒険者の間で一般的ではあるが、もともとは魔法の使えない戦士のために生まれた道具であるため、魔法が使える者はあまりそれらを活用しない。特に高位の呪文を使いこなす魔法使いになればなるほど、何処にでも自生する自然植物由来の効能より、自身の呪文の方に頼りがちになる。しかし、腕の良い薬師が調合した薬は、ときに呪文の効果すら凌ぐ事がある。その事を彼らは良く知っていた。
「くくく。世間は狭いという事だね。ポップは、あたしが昔お世話になった人から冒険者のいろはを教わったそうだよ。この戦いが終わって生きていたら、一度ランカークス村に顔を出してみるとするか」
ジーナとイザベラがそんな会話をしている所に、パウロが「ポップ殿と言えば、……」とユーリカに水を向けた。
「そう言えば、ユーリカ。そのポップ殿だが、腕の話は聞いたか?」
「ああ、聞いた。朝起きたら失った右腕が生えていたなんて、ポップ君じゃなかったらどこかの魔物が
冒険者らしく、不思議な出来事にはある程度耐性のあるユーリカが、苦笑交じりにそう評した。そんな時、広場の片隅でどこかの冒険者の張り上げた声が彼らの所まで届いた。
「ジェナスに乾杯! 明日はお前の残した剣で魔物を切りまくってやるからな……!」
その声に、パウロが不思議そうな表情で首を傾げた。
「ユーリカ、あれは一体……?」
「ああ、あれは冒険者流の弔いの儀式さ。ああやって、故人と何かしらの縁のあった奴が先に逝ってしまった奴を送るのさ。そしてそれを聞いた周りの人間は――」
ユーリカがそこまで言った所で、広場のあちこちから「ジェナスに乾杯!」という反唱の声が上がった。
「ああやって、一緒になって声を上げるってわけ。できるだけ賑やかに送ってやろうって事だね。……ジェナスに乾杯」
周りに合わせるように手に持ったグラスを高く掲げながらのユーリカの説明にパウロがなるほど、と頷いている傍から、次々と故人への弔いの言葉が上がる。それは、先ほどから聞こえてくる哀愁漂う旋律の効果も手伝っていたのかもしれない。
「スーザンに乾杯! 俺、まだお前に好きだって伝えてなかったのに、何勝手に逝ってんだよ!」
「馬鹿! お前、知らないのかよ! スーザンはネズミの兄ちゃんに助けられて、ここで飲んでるよ!」
「嘘だろ!?」
「ロイドの馬鹿に乾杯だ! ぎゃははは!」
そんな風に重苦しく故人の名を呼ぶ者もあれば、意図したかどうかは別として周囲に笑いを振りまく者も時折現れた。
そうやって時が過ぎていた時、言葉を発する事に慣れた感のある良く通る声が、広場の一角に響いた。
「
その声に一瞬広場に沈黙が走ったが、すぐに各所から同調する声と、互いのグラスをかち合わせる音が上がった。
「
漆黒の空に一筋の白線を引くかのように1羽の白い鳥が滑空している。その鳥に最初に気づいたのは、オーザムでの戦いで命を落とした戦士を偲びグラスを傾けていたオーザム国主ライオネルだった。
「……あれはハクハヤか? オーザムで何か……」
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大魔王戦役の末期において、世界中の戦士がこのカール王国東部の森の中にある『最後の砦』に集結し、魔王軍に対して反撃の狼煙を上げた事は、広く知られている。ロロイの谷で行われた最終決戦では、有名、無名を問わず多くの戦士が参加し、同時にその多くの命を散らしていった。戦役終結後、ロロイの谷にほど近い小高い丘の上に、その戦いに参加した全ての戦士の名前が刻まれた石碑が設置された。その石碑には、戦役から150年経った今でもお、名もなき人々が花を手向ける姿が時折見受けられる。
大魔王戦役終結後、『氷の大賢者』ポップ・マーカストンが唱えた『人と魔物が手を取り合って築き上げる新たな世界』の構想に、当初から賛同の意志を示したのが、この最終決戦に参加し生き残った兵士や冒険者達に多かったのは、興味深い事実である。
今となっては文献で記されるのみであるが、魔王軍との最終決戦においては人族だけでなく、多くの魔族や魔物も同じ志のもと、魔王軍に抗ったと記録されている。本来、兵士や冒険者と、魔物達は相容れない関係であるにも関わらず、共に傷つき、共に助け合い、共に強大な敵と対峙する中で、彼らの間に特別な感情が芽生えた事は想像に難くない。これは、数多くの犠牲を出した大魔王戦役における、数少ない報いの一つと言えるのかもしれない。
後に、ポップ・マーカストンがこんな言葉を残している。
『大事なのは、互いに相手に敬意を持って接する事です。その事を忘れさえしなければ、この世界に調停者である
大魔王戦役終結後、一人の記者が、最後の砦に集った名もなき戦士達の声を丁寧に拾った記事を残している。以下は、その記事の抜粋である。
「悲壮感? いやー、確かにあの時は後の無い状況に追い込まれていたけど、そんな風に思った事は無かったな。なんていうかな、ただ皆で準備した盛大な祭りを翌日に控えて興奮していた、というのが正確な気がするな」
「俺、勇者様が皆の前で大魔王は強い、勝てる保証は無いって言っていたのを今でも覚えているよ。俺が故郷に残してきた息子と同じような歳の勇者様が、皆の前で内心の不安を必死に隠しながら、そんな事を言ったんだぜ? あれを聞いて俺、大した力もないくせに、勇者様を助けてやりてえって、心から思ったんだよな」
「俺、霊長類最強の女武闘家とあの晩組手をしたんだぜ! どうだ、うらやましいだろう! 「ぎゃはは。組手だって? お前はただ、あの子の尻に手を伸ばして投げ飛ばされただけじゃねえか! しかもその後、カールの戦士団にやきを入れられて無かったか!?」 ――うるせえっ!」
「あの……記者さん。呪いのベルトって知っていますか? いえ、あの砦で、不気味な顔の描かれたベルトの呪いを解くことのできる術者はいないかって、周囲にしきりに尋ねていた方がいらして。あの方が呪いから解放されたかが、私ずっと気になっていて……」
「北の勇者……? ああ、会ったぜ。勇者殿達だけじゃない。他にも、ロモスの勇者に、獣王遊撃隊の連中、名の知れた冒険者達。本当、よくあれだけのメンツがあの時あの場所に集ったもんだよ。最後の決戦に参加するために剣1本携えてあの砦に行った事は、俺の数少ない自慢の一つだよ」
「『
「……まあ、確かにあの戦いの後、冒険者は引退したな。別に怪我をしたとかじゃねえよ。どうしてもあの戦いで、俺の受けた怪我を癒してくれた魔物や、俺の代わりに傷を受けてくれた魔物の顔が思い浮かんで……な。多分、そういう奴他にもたくさんいると思うぜ。だけど、冒険者は魔物と対峙するだけが仕事じゃねえからな。害獣駆除や迷宮探索に比重を移した奴も多くいるぜ?」
前後の事情が分からないため理解が困難な発言も中には存在するが、大魔王戦役において大きな役割を果たしたこの『最後の砦』に集った戦士達の残した言葉を取りまとめた書物は、現在カール王国の国立図書館にて、どなたでも閲覧が可能である。
もし興味があるようなら、大魔王戦役から150年を迎えたこの節目の年に、是非花の都カールを訪れた際に立ち寄ってみる事をお勧めする。