~~~~ロロイの谷の戦線 左翼 オーザム軍~~~~
「殺せー! バーン様の御前ぞ! 見苦しい所を見せるなー!」
右手に大ぶりの大刀を握った竜戦士シュプリンガーの集団が、地響きを上げて前方の人族の軍に切り込んだ。いや、切り込めてはいなかった。その直前、鞭のように振るわれた太刀筋にその全身を切り刻まれ、シュプリンガーだった物体の肉片がバラバラと宙を舞った。
その鞭は蛇腹状に変化した鎧の魔剣の刀身だった。もちろんそれを振るったのはヒュンケル。蛇腹剣を刀身の形状に戻したヒュンケルは、進撃を止めたシュプリンガーの集団に声を張り上げる。
「死にたい者からかかってくるがいい! 魔界の住人など、これ以上一歩たりとも進ませぬ!」
「クッ! 人間ごときがぁ!! おい、ホークブリザードを先に行かせろ!」
魔物の軍勢の中からそんな声が上がると、後方より青色の羽を持つ凶鳥が何羽も出現し、その高度を上げ始める。
「行かせるかよ! 魔法兵、火炎呪文だ! アバンに良いところを見せてやれよ!」
オーザム国王ライオネルのその発破に、かつてアバンに火炎呪文の手ほどきを受けた魔法兵が士気をあげる。直後、高度を取って飛翔するホークブリザードに火矢が殺到し、その半数が地上に堕とされた。
しかし火矢を免れたホークブリザードは、眼下のオーザム兵達を憎々しげに睨み、その嘴に氷の冷気を溜め始めた。
それに気づいたライオネルが、「いかんっ! 各自頭上からの攻撃に注意せよ!」と言葉を発するのと、頭上より『こごえるふぶき』が放たれるのは同時だった。
少なくない被害を受ける事を覚悟したライオネルが手をかざして、衝撃に備えるがその衝撃はいつまで経っても襲ってこなかった。
目を開けたライオネルが、その理由を悟った。突如目の前に現れた女性が光り輝く膜を展開し、降り注ぐ『こごえるふぶき』を防いでいたのだ。
「エイミ……」
ヒュンケルが、自身に背中を見せて高度な防御魔法、
「ふふふ。どうかしら? 私だって、少しは強くなっているんだから」
「ははは。なんだ、堅物かと思っていたが、なかなか手の早いところもあるじゃないか、ヒュンケル」
共に戦線を維持していた事で気安くなっていたライオネルが、エイミの表情で全てを察しヒュンケルをそう揶揄した。苦い顔を浮かべるヒュンケルに、なおもライオネルは続ける。
「よしっ、決めた! お前達、この戦いが終わったらオーザムに移り住めよ。エイミ殿に関してはレオナ姫と交渉が必要だが、なーに、俺に任せておけ。良い風の入る一軒家を構えてやるからよ!」
その言葉に、ヒュンケルの武技を目の当たりにして尊敬の眼差しを向けていた北の兵士が、次々と賛同の言葉を上げる。
「町自体をこれから再建するから、軒並み新築だぜ?」と悪戯っぽく笑うライオネル。
「えっ!? そ、そんな一軒家だなんて……、気が早いですよ、ライオネル王。私達、まだそんな……」
エイミが顔を真っ赤にしてライオネルに声を上げる隣で、ヒュンケルは呆れたようにライオネルを見た。
「王、まだ戦いは終わっていない。そんな戯れ言はこの戦いが終わってからにするのだな。そら、新たな敵が来たようだぞ」
そう言って、ヒュンケルは剣を肩に担いで新たに現れたシュプリンガーの集団に突っ込んでいく。ライオネルも剣を構え、前方を睨んだ。
「まっ、そりゃそうだな。だけどな、ヒュンケル。今を生きる強い意志を持つためには、未来に思いを馳せる事も大事なんだぜ。さあ、正念場だぞ、お前達! 気合いを入れろぉッ!」
オォォーと、鬨の声を上げてオーザムの兵達も新たな敵に向かっていった。
「ふむ……。思うように進めぬな。たかが人間ごときにふがいない事よ。誰か、状況を報告せよ」
キングレオ、デスカールと並んで三魔貴族と形容されるゾルデが、つまらなそうに前線を見て呟いた。その全身は黒いフルプレートの鎧で覆われていた。その何も映さない空虚な右目の奥からは、ぼわっと不気味な赤紫の光が覗いている。そう、ゾルデはアンデッドだった。
「はっ、どうやら腕利きの剣士が立ちはだかっているらしく、なかなかそこを突破できずにいるようです。ですが先ほどボトク殿が前線に向かいましたので、それも時間の問題かと」
ボトクとは、ゾルデの配下の一人であり魔道士然としたローブの下に植物を模した肉体を有する魔物だった。
「ふむ……。ボトクか。奴に任せてもよいが、せっかく地上に出たのだ。俺も暴れさせてもらおう。……出るぞ!」
ゾルデは、左右の腰に佩いている2本の太刀をスラッと抜き放ち、前方を光を映さない目で睨んだ。
「はっ!」
魔界で並ぶ者無きとまで唄われた剣豪ゾルデが前線に出る事で、魔王軍のボルテージは最高潮に達していた。
~~~~ロロイの谷の戦線 右翼 ベンガーナ軍及び冒険者~~~~
「ゴオオオーーー!」
エウレカの里から援軍としてきたゴーレムのゴレムスが、グレイトドラゴンの首をヘッドロックして押し倒す。ズズーンとその衝撃で大地が揺れた。
「よしっ、後はあたいに任せな!」
大剣を大きく振りかぶったイザベラが、その巨大なグレイトドラゴンの首に剣を振り下ろした。ガキィッと硬質な音が周囲に響いた。
「くっ、な、なんて固さだい! ええい、とっととくたばっちまいな!」
イザベラの振り下ろした大剣は、グレイトドラゴンの鋼鉄の皮膚に遮られ刀身の半分も打ち込めてはいなかった。
しかし、「グ、グギギギ……」と力を込めるイザベラの刀身の上に、同じくエウレカの里から来たキングスライムがズシンッとのしかかる。そのキングスライムの質量も加わり、ようやくイザベラはグレイトドラゴンの首の切断に成功する。
「やー、助かったよ、あんた。ゴーレムの兄ちゃんも大した馬鹿力だ」
イザベラはご機嫌でゴレムスに手を掲げる。「……?」と、首を傾げるゴレムスにイザベラはこうするんだよ、とゴレムスの手に自分の手をパチンとぶつける。そして手のないキングスライムには、撫でるようにその大きな体に手を沿わせた。
「イザベラ、まだ気を抜くな! 次が来たぞ! っていうか、また重量級かよ! どうなってんだよ、全く!」
イザベラとパーティーを組んでいる魔法使いのユーリが、前方から迫ってくるダークマンモスの群れを見て注意の言葉を発する。黄色い体表を激情からか真っ赤に染め、土煙を上げて向かってくるダークマンモス。その大きく長い牙にも注意は必要だが、何よりもあの重量級の進撃を止める必要がある。周囲の冒険者に緊張の糸が張り詰めた。
しかし、突如ダークマンモス達が足を掬われたように突進の勢いを減じ始めた。いや、掬われたというより、泥沼に沈みつつあるようだった。
「ドロヌーバの魔法で動きを止めたんだよ。さあ、今のうちにやっつけよう!」
いつの間にかユーリカの隣に立っていたリリパット族のルールーが、手に持った弓矢を構えてダークマンモスに放ち始める。
それを見て、周囲の冒険者達も次々に矢やナイフ、あるいは攻撃魔法を放ちダークマンモスを討伐していった。
「まいったな……」
氷系呪文を放ちながらそうぼやいたユーリカの言葉を、側にいた僧侶クラウスの耳朶が拾った。
「どうした、ユーリカ?」
「ん、いや……俺、この戦いが終わったら冒険者を廃業しないといけないかもって思ってね。だってさ、俺もう、ゴーレムに、ドロヌーバ、リリパット、ああもう全部言い切れないけどさ、ここで一緒に戦った魔物ともう殺し合う事なんてできないぜ。たとえこいつらじゃなくても、こいつらの仲間や友達、家族かも、と思うと、もう魔法を向けられないよ」
「ははは。違いねえ! 俺もだよ、ユーリカ。俺はもう、大ネズミどころかネズミの駆除にも抵抗を感じるようになっちまったよ!」
「いや、さすがにネズミは駆除して下さいよ! でも、私も同じですよ。さっき後方に運ばれた時に怪我を癒やしてくれたホイミン君、かーいかったなー。もう家に連れて帰りたいくらい!」
周囲の冒険者達もユーリカの意見に賛同し皆口々に同じ事を口にしていた。
そんな周囲の様子を見ながら、やれやれ、とクラウスは肩を竦める。そして、毒を受けてクタッと萎れていた踊る宝石が、
その様子を見つめながらクラウスも思った。一度治療した相手と矛を交えるなんて将来は、俺も遠慮したいな、と。
「エルサ、とんでもない数の魔物が向かってくるぞ。できねえなら、今のうちに言っておいてくれ。今ならまだ逃げられる」
リックが、前方から地響きを立てて迫り来る魔物の集団を見て頬をヒクつかせていた。ソルジャーブル、ゴールデンゴーレム、竜戦士etc.と、いずれも地上では見た事のない魔物の集団に、そんな怖じ気づいた声が出るのも無理はなかった。
「エルサ嬢、どうだい? いけそうかい?」とジャン。
「は、はい……。な、なんとか……」
氷結魔法に開眼したとはいえ十分な戦闘経験のないエルサは、血走った目でこちらを蹂躙しようと迫ってくる魔界の魔物の集団に、顔色を無くしていた。
そんな時、目の良いルーンが迫ってくる魔物の後列にある集団がいる事に気がついた。
「姉ちゃん……。あの牛みたいな魔物の後ろに、ローブを着た魔物の集団がいるよ? あれ多分、悪魔神官の仲間だよ」
「え……、悪魔神官……? 本当。最近見なかったのに、あんなにたくさん……。ウフフフ……」
エルサの口から漏れた恍惚とした笑い声を、その場に居合わせた男性陣は皆聞かなかった事にした。
「ジャン隊長、リックさん、ルーン。少し私から離れていてください。悪魔神官がいる以上、手加減ができるとは思えませんので……」
ゆらり、とその白魚のような右手を前方に差し出すエルサ。ジャン達は言われるまでもないとばかりに、周囲の兵士達にも絶対に近づくなと声をかけ、エルサから一定の距離を取った。
エルサは深く瞑目した。体内に氷雪の嵐が渦巻き始めるのを感じる。唱えようとしている呪文は、氷結系魔法最大最強の呪文『
それがあの日、ポップがロックハート砦に救援に来た際に見た
体内で増幅した氷雪のエネルギーを一つの形にまとめる。エルサが用意した器は、子供の頃両親に何度も読み聞かせてもらった絵本に出てくる氷雪の女神シヴァだった。
次の瞬間、エルサを中心に白い霧が発生した。ギルドメイン大陸の9の月に入ったばかりだというのに、厳冬期のオーザムを超えるほどの冷気が周囲に漂う。リックが両手で身体を押さえブルブルと震え始める。ジャンの吐く息が白い。ルーンは期待に満ち溢れた目で姉を見つめていた。
徐々に白い霧が一つの形に凝縮していく。そして、全ての霧が一つにまとまった時、エルサの指の先に人間の倍ほどの大きさの、雪のように白い肌の女性が出現していた。……その容姿はどこかエルサに似ていた。
その人ならざる女性のしなやかな右手が真っ白な唇に添えられる。するとその唇から、白く輝く息が発せられた。
『地獄の使い』の1体、バルテューザはどんどん近づいてくる前方の集団を見てほくそ笑んだ。魔界に人間はいない。以前から人間を捕獲して様々な実験をしたいと渇望していたところに、今回のバーンからの誘いがあった。かつて共に悪魔神官として魔界で轡を並べていたバルバロッサは、ザボエラという男の甘言に乗って地上に出た後消息を絶った。
……愚かなことよ。バルテューザはバルバロッサを心の中で嘲笑する。私のようにタイミングを待たなかったために、そのような最後を迎える。だが、私は違う。おそらくあの人間共の背後にはもっと多くの人間がいるのだろう。思わず舌なめずりをしたところに、敵集団の先頭に立つ人間に気がついた。
バルテューザの、は虫類のような目が大きく縦に伸びた。美しい……。悪魔族にもかかわらず、こちらをはたと見据える女の瞳にバルテューザは魅了された。
決めた。あの女は殺さず魔界に連れて帰ろう。バルテューザが下卑た笑みを仮面の下に浮かべた瞬間、彼の下半身は一瞬で氷霧となり砕け散った。しかし切断面が即座に氷で止血されたため痛みは感じなかった。もっともそうやって生きながらえたのも、瞬きひとつする程度の時間でしかなかった。彼は自身の身体に起きた変化に気づく事無く、その289年の生を終えた。
バルテューザはある意味幸せだったのかもしれない。悪魔神官に連なる種族であったため、他のどの種族よりも疾く、痛みを一切感じる事無く命を散らす事ができたのだから。
白く輝く氷霧が去った後、辺り一帯には駆けている格好のまま凍りついている魔物の群れの姿があった。それらはまるで、樹氷のようでもあった。