転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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196話 エピローグ① アバン荘の日常

~~~~大魔王戦役終結から1年後 9の月~~~~

 

 

チチチチ、という小鳥の鳴き声が、かすかに聞こえた気がする。俺は、ベッドの中に感じる俺以外の心地よい体温を有する何かを無意識にもぞもぞと抱き寄せて、朝の至福の微睡みを甘受した。うーん、ぬくぬくだ。しかも柔い。ここは楽園か。

 

しかし、次の瞬間怒号と共に大きく部屋の扉が開けられる音で、俺の意識は強制的に覚醒させられた。いや、正確には、扉が開けられると同時に俺の腕の中から飛び出すように出て行った何かによって、俺は目覚めていた。

 

「パンッ! あなた、またポップのベッドに勝手に潜り込んで!! あっ、こらっ、待ちなさい!!」

 

8畳ほどの俺の部屋の中でドタバタと何かが駆け回る音がする。俺が眠気眼をこすりながら目を開けた時には、2階にあるはずの部屋の窓枠に足をかけて、元気よく外に飛び出す15歳前後の少女が一瞬見えただけだった。その少女の寝間着からは長い尻尾が覗いていた。

 

その後を追いかけて、窓枠に手をつき外を見下ろす女性。その女性は、パンに逃げられた事で八つ当たりをするかのように、俺を振り返って声を荒げた。

 

「もうっ、本当にあの子ったら性懲りもなく! ポップもポップよ。何か間違いが起こってからじゃ遅いのよ!」

 

「……間違いって、どんな間違い?」

 

まだ寝ぼけていた俺は、そんな惚けた返事をその女性、つまりマァムに返す。途端にマァムは顔を真っ赤にして、手に持っていた箒を俺に放り投げてきた。とっさに布団の中に首を竦めてそれを躱す俺。

 

くすくすくす。寝ぼけていたわけじゃない。俺は確信犯的に彼女のそんな表情を見たくて、彼女をからかっていた。しかし、あまりからかうとマァムは直ぐに手が出てくるからな。その辺りの距離感をもう把握している俺は、布団から顔を出して言い訳をする。

 

「無茶言うなよ、マァム。マァムにも気づかせない程のパンの気配隠しに、俺が気づくわけないじゃないか。それに、扉に鍵をかけてても、知らない間にベッドに潜り込んでくるんだから手に負えないよ」

 

マァムの剣幕を余所に、上半身をベッドから起こした俺は暢気に大きな欠伸をした。

 

「もうっ! 誰よ、パンに解錠呪文(アバカム)なんて教えたのは!」

 

多分、それはアバン先生だよ、マァム。ちょっと前にカールの城にパンも含めた皆で遊びに行った時、パンがアバン先生に教えて欲しいと、ねだっていたのを俺は目にしていた。

 

「はー……、もう良いわ。それよりポップ、メルルが朝ご飯の用意ができているって言っていたわよ。顔を洗って、早く起きてきなさい」

 

そう言って、マァムは肩をプリプリと怒らせて部屋から出て行った。

 

「やれやれ、もう少し寝ていたかったけど仕方ない。俺もそろそろ起きようか」

 

いそいそと起き上がった俺も、余所行き用の服に着替え始めた。

 

 

 

俺が吹き抜けになっている階段を降りて1階のダイニングに着いた時、そこはもう皆が忙しそうにしていた。ダイはちょうど朝食を食べ終えた所のようで、口いっぱいに頬張った白米をゴクンッと飲み込んだ後、俺にいつもの元気な声をかけてくれた。

 

「あっ、おはよう、ポップ!」

「ピピピィッ!」

 

「おう、おはよう、ダイ。それにゴメも。何だ、いつもは寝ぼすけのくせに、今日はやけに早くないか?」

 

俺は、テーブルの上でプルルンと体を震わせているゴメの身体をそっと撫でた。

 

「うん、今日は外に行くから、その分朝から読み書きとか、計算問題とか詰め込まれているんだよ。テムジン先生、厳しいしさ、俺、頭痛くなっちゃうよ」

 

「ははは。でも、この間の『手紙送り』じゃあ、ちゃんと自分の力だけでソアラさんとバランに宛てた手紙を書けていたじゃないか。去年から比べたら、たいした進歩だと思うぜ」

 

「うーん、そうだけどさー。俺、どうせ勉強を習うならテムジン先生じゃなくて、ポップから習いたかったよ」

 

……残念、ダイ。それは俺も考えなくもなかったが、姫さんから怖い笑顔で止められたのさ。まあ、ダイが勉強を習うためにパプニカに毎日通うっていう口実がなくなったら、姫さんはダイとの接点がなくなるからな。一緒に住んでいる俺達とは違って。

 

 

 

「おはようございます、ポップさん。今日はポップさんの好きな和食ですよ」

 

俺が自分の椅子に腰掛けるのと同時に、厨房からメルルがやってきてその優しい笑顔を向けてくれた。俺は、メルルから白米の盛られたお椀を受け取りながら返事をする。

 

「おはよう、メルル。今日はメルルの当番だったんだ?」

 

「はい。先日バダックさんから、たくさん干物をいただきましたので、焼き魚にしてみました。後、だし巻卵と梅干も用意しましたよ。ポップさん、お好きですよね?」

 

「好き、好き、大好き。ありがとう、メルル。いただくよ」

 

俺はお箸を持って、ちょうどいい焦げ目の付いた焼き魚から手をつけた。うん、美味しい。やっぱり日本人は和食だなー。お、このほうれん草のお浸しも絶品だ。この味付けは、多分レイラさんのお裾分けだな。いつも貰ってばかりだし、今度レイラさんにお返しを考えないといけないな。

 

俺がもぐもぐと食事をいただいていると、2階からルーンがバタバタと降りてきた。ルーンはもう食事を終えているんだろう。直ぐにでも出て行けそうな格好をしていた。

 

「おはよう、ポップさん。またパンが潜り込んでいたの? マァムさんがすごい剣幕だったけど」

 

「や、おはよう、ルーン。そうなんだよ、まぁいつもの事と言えば、いつもの事なんだけどね」

 

俺とルーンが顔を見合わせて苦笑いをしていると、ルーンの姉のエルサが厨房から出てきた。そのエルサは、俺と同様に余所行きの服装に着替えており、その上にエプロンを着けていた。

 

「やあ、おはよう、エルサ。厨房にいたんだ」

 

「おはようござます、ポップさん。はい、メルルさんのお手伝いを。あっ……、もうまた寝癖を直さずに……。駄目ですよ、ポップさん」

 

俺の寝癖を見とがめたエルサは、「あはは……。これでも、直しているつもりなんだけどね」と苦笑いを浮かべる俺を軽くねめつけて、俺の後ろに回った。ひんやりとしたエルサの指が、俺の髪に触れるのが心地いい。

 

「ははは、姉さん、もうポップさんと結婚しているみたいだね」

 

その弟の言葉に、エルサが動揺したのが分かる。だって、俺の頭の後ろ半分が突然氷に包まれたから。うーん、エルサって氷結魔法にかけては俺に並ぶほどの魔力を有しているんだけど、細かな調整が苦手だったり、感情の機微で呪文が暴走しやすいのが玉に瑕なんだよな。

 

「えっ!? きゃっ! もう、ルーン、余計な事を言わないの! ご、ごめんなさい、ポップさん!」

 

「いいよ、いいよ」と苦笑いを浮かべながら、自分で頭に熱風呪文(メラパ)の魔法をかけ、氷で固まった髪を溶かしていく俺。

 

その俺のそばを、ダイがリビングに面したテラスに駆けて行く。そしてその後ろを、ゴメがパタパタと追いかけて行った。また横着して、玄関からじゃなくてテラスから出ようとして……。

 

「じゃあ皆、行ってきまーす!」

 

その場にいる皆が「行ってらっしゃい」と笑顔で見送る。そして靴を履いて庭に出たダイは、肩にゴメが乗ったのを確認して、瞬間移動呪文(ルーラ)を唱えた。途端に光の矢と化したダイとゴメは、東の空に飛んでいった。

 

「ふふふ。ダイさんはいつも元気ですね」と、エルサがその光の矢の残光を見ながら呟いた。そして、俺の顔をのぞき込んで、微笑む。

 

「ポップさん、私、ここで皆さんと一緒に過ごせて毎日が夢のようです。ありがとうございます」

 

エルサのブロンドヘアが、テラスから部屋の中に注ぎ込まれる朝日を反射してキラキラと輝いていて、思わず見とれてしまうほどの美しさだった。

 

「そんなのは、俺の言う言葉だよ。こちらこそ、エルサにルーンと一緒に過ごす毎日が楽しいよ。これからもよろしくね」

 

そう、俺達はネイル村の外れに建ててもらったログハウス調の大きな家で、皆でシェアハウスをして暮らしていた。家が出来たのが大魔王戦役の終結から3ヶ月ぐらい経ってからだったから、もう一緒に暮らし始めてかれこれ9ヶ月ほどになる。

 

住人は、俺、ダイ、マァム、メルル、エルサ、ルーン、パン、ゴメの8人だった。結構な大所帯だが、ゴメはダイの部屋で、パンも普段はリビングに置いてあるお気に入りのソファで寝起きしているし、まだまだ使っていない部屋も沢山あるから、手狭と感じた事はない。お風呂も、数人が一度に入れるほど大きいのを構えてもらっているしな。

 

元々、マァムとメルルにはそんな生活も良いねと話していたが、本当に実現するとは思わなかった。そしてその中に、エルサ達も加わるとはより一層思わなかった。

 

 

 

発端はちょうど1年前。あのバーンに勝利した直後の俺を交えた4人での話し合いの時だった。俺がブリザードの嵐に放り込まれた瞬間、どこに用意してあったのか突然大きな布が俺達の周囲を覆い、天井を除いて完全に取り囲まれた状態になった。それはまさに、戦場における陣屋みたいな感じだった。

 

そして、ガチガチに緊張した様子のチウがいそいそとその中にやってきて、これもどこから用意したのか4人分の椅子を置いて、逃げるように出て行った。ちなみに暖かい珈琲も置いていってくれていたが、俺がそれを飲んで落ち着こうとした時には、もうその珈琲は凍っていた……。

 

そして行われた話し合い。もうほんと、色々な意味で衝撃的だった。まずミサンガの意味。そしてそれが分かった後のエルサの俺への思い。

 

 

 

『えっと、エルサさん。ミサンガについては、本当に申し訳ない。俺がその意味を取り違えていたのであって、マァムやメルルは悪くないんだ。怒るなら俺に――』

 

『エルサ……』

 

『えっ?』

 

『エルサと呼んでください。私だけ、さん付けは疎外感を感じて嫌です……』

 

『あ、いや、でもエルサさんは年上だし、呼び捨てにはちょっと抵抗が―― 痛っ!』

 

俺の隣で椅子に腰掛けていたマァムから、神速の蹴撃が俺の足に飛んだ。その無言の行動の意味を悟った俺は、顔を引きつらせてエルサさん、いやエルサの言う通りにする。そしてひとしきり謝罪した後、俺はエルサの言葉を待った。こんな適齢期の綺麗な女性を、知らなかったとは言え1年以上も待たせていたとは。もうこの場で刺殺されても、何も言えないなと考えながら。

 

『ずるいです……』

 

その小さく呟かれた言葉の意味が分からず、俺は思わず首を傾げた。するとエルサは、今度こそはっきりと顔を上げて口を開いた。

 

『マァムさんもメルルさんも、ポップさんと長い時間を一緒に過ごしています。私は、たった2週間だけです。ずるいと思います』

 

しばらく俺達の間に沈黙が流れた。その沈黙を破ったのはメルルだった。

 

『……分かりました。私達は、この戦いが終わった後どこかに家を借りて一緒に住もうと話していました。よろしければ、その家にエルサさんも一緒に住みませんか? そこで皆で一緒に暮らす中で、新しい関係を模索してはいかがでしょう?』

 

ギョッとした俺は、メルルの顔を凝視した。

 

いやいや、いくら何でもそれはないだろう。いくらメルルの提案でもそれはない。ただでさえ、2人と付き合う事になっているのに、3人目だろう? こんな綺麗な人が、それを良しとするわけないじゃないか。

 

『いや、メルル。いくら何でも、それは無茶苦茶だよ。エルサさん、あ、いや、エルサには俺なんかよりずっと相応しい男がいくらでも――』

 

『分かりました。是非そうさせていただければと思います。ですが、私には弟がいます。弟も一緒でよろしいでしょうか?』

 

『ええ、もちろんです。それで良いですよね、マァムさん?』

 

『ええ、歓迎するわ、エルサさん。元々エルサさんにも声をかけるつもりだったしね』

 

そうして、何故か3人はそれぞれが突き出した手に手を重ねていく。問題の中心には俺がいるはずなのに、彼女達の視界に俺が入っていないのはこれ如何に……。

 

そうして、俺も一緒に暮らすはずなのに俺の意見は一度も聞かれる事なく4人、いやルーンも交えて5人で暮らす事が決定した。

 

そして、話し合いの顛末を知ったダイが、俺も一緒に暮らしたいと強く主張するのは当然で、ダイも人数に含まれたという訳だった。

 

ちなみに、それを知った姫さんとノヴァも、一緒に住みたいと世迷い言を言い出したが、姫さんはエイミさんに、ノヴァはバウスン将軍に止めてもらう事で、かろうじてその動きを封じる事が出来た。

 

 

 

俺が、そんな事もあったよな、と遠い目をしながら頭部を覆った氷を溶かしていると、食器を洗う手伝いをしていたらしいマァムが、エプロンを外しながらやってきた。彼女の衣服は、大魔王戦役時と同じく動きやすそうな武闘着だ。

 

「ルーン、そろそろ行くわよ。準備は出来てる?」

 

「ええ、バッチリです。じゃあ、ポップさん、姉さん。俺も行ってきます」

 

そしてルーンは、慌ただしげにテーブルの上に置かれたお弁当の入った巾着を手に取って、玄関の方に駆けていった。

 

「マァムさん、ルーンをよろしくお願いします」

 

「ええ、分かっているわ。ルーンってすごく筋がいいから、私がお城に出前授業に行っている間は、師範代を任せているのよ」

 

 

そして彼女達は家を出るや否や、慣れた様子で家のすぐ傍に生えている大木の上にするすると登り、そこから木から木へと猿のように飛び跳ねながら、あっという間にその背中が小さくなっていった。

 

彼女達の向かう先は、ロモスの町だった。何故ロモスの町かというと、そこにマァムが師範を務める道場があるからだった。

 

あのロモスでの武術大会の優勝賞品としてマァムの代わりに俺がシナナ王に望んでいたのが、ロモスの南の広場だった空き地に、マァムのための武術道場を建ててくれないか、というものだった。

 

バーンとの戦いが終わってしばらくしてから、王様の使いでマァムが城に行ったら、もう広場に道場ができていたというから俺も驚く。最初は遠慮からか固辞していたマァムだけど、シナナ王から「もう入門希望者がこれだけいるのじゃ」、という入門希望用紙の束を見せられたマァムは、戸惑いながらも師範となるのを承知した。

 

しかし、俺も何度か道場に見学に行ったが、子供から大人まで様々な年代の入門者がいて大変な賑わいだった。しかもそれだけでなく、シナナ王からの頼みで時折お城にも出張して兵士に武術指導までしているらしい。やはり、ロモスの町を二度も救った事、武術大会の優勝者である事などが効いているのだろう。

 

ただ、何故か道場に付きものの肝心の看板が掛けられていなかった。その事を俺は疑問に思ったが、その後道場の奥に隠すように仕舞われていた看板を見つけて、俺は合点がいった。

 

その看板には、『霊長類最強の女 マァム道場』とデカデカと書かれてあった。この看板を製作した人間が今も生きているのかどうかを知るのが恐ろしくて、俺はあえて確認していない。

 

まあ、看板の事はいいだろう。それより、そんな大勢の入門者に親切丁寧に指導するマァムの表情は、とても生き生きしていた。やっぱりマァムに黙ってでも話を進めてよかったな。俺は、パプニカでキャンプをした日にマァムに師範はどうかと提案した時の、マァムが一瞬見せた表情に間違いがなかったと安堵した。

 

そして、ルーンもアバン先生から武術をかじっていた事もあり、マァムの手伝いと修行を兼ねて一緒に道場に通っている。

 

なお、以前俺達がネイル村からロモスの町まで行くのにかかった日数は5日だったが、彼女達は今、その距離を片道1時間で通っている。いくらあの時は大きく森を迂回しながら進んだと言っても、ちょっと異常な速さだ。マァムに至っては、ルーンの足に合わせていなかったら30分を切れると豪語しているから恐ろしい。

 

 

 

「ポップさん、ダイさんはもうパプニカに行かれましたか?」

 

マァム達が出て行った直後、メルルが厨房から出てきて困ったような顔をした。

 

「どうかしたんですか、メルルさん」とエルサが尋ねると、どうやらダイはそそっかしい事にお弁当を忘れていったらしい。

 

実は俺達のお弁当は毎日メルルが作ってくれている。マァムもエルサも朝食と夕食は当番制で担当しているが、昼食のお弁当はメルルの独壇場だ。栄養バランスと味が両立したメルルのお弁当にかなう者はいなかった。ちなみにマァムの得意料理は前世でいうところの中華料理で、エルサは洋風料理だ。メルルにはちょっとかなわないというだけで、2人の料理もとても美味しい。この3人が月曜日から土曜日は順番に料理して、日曜日だけは3人が一緒に料理している。

 

……俺? 俺はめったに厨房に立っていない。いや、別に亭主関白を気取っているつもりはないんだ。立たせてくれないのだ、彼女達が。俺の作る料理はわりと評判が良い。それはただ、この世界にないレシピを知っているからというだけの事なんだが、やはり男の俺に自分達の知らない料理を作られるというのは気になるらしい。

だから、俺が作りたい料理があったら覚えるので教えてほしい、と彼女達に言われてしまい、最初の一回だけ一緒に作ったら後は彼女達だけで作ってしまう。

 

さて、ダイのお弁当だったな。確かに、テーブルの上にダイ用のお弁当が入った巾着が残されていた。ふむ、仕方ない、かわいい弟分が飢え死にしたらかわいそうだ。俺はその巾着を手に取って、メルルに顔を向けた。

 

「ああ、だったら俺がリンガイアに行く前にパプニカに寄って渡してくるよ」

 

「すみません、お願いできますか、ポップさん。ポップさんは、今日はお弁当は必要なかったんですよね?」

 

「うん、昼はジーンが学食の新しいメニューを試食して欲しいって言っていたから、今日はいいよ。ありがとう」

 

「分かりました。でも、ジーンさんの考案する料理は栄養が偏りがちですので、いつもは駄目ですからね。それじゃあ、午後の講義はポップさんが出られるんですね」

 

「うん、そのつもり。それで良かったよね、エルサ?」

 

俺の予定を把握しているエルサが、すぐに返事をしてくれる。

 

「ええ、ポップさんの今日の予定は、午前中にノヴァ将軍との打ち合わせが1件と、チョコボレースの打ち合わせが1件入っているだけです」

 

「了解。それじゃあ、今日はエルサは先にリンガイアに行っておいてよ。俺はパプニカに寄ってから行くからさ」

 

「分かりました」と、エルサは俺に背を向けて出勤の準備を始める。メルルの方も、エプロンを外して、出勤の準備をするために自室に戻っていく。

 

そう、ダイとマァム達だけでなく、俺とエルサ、メルルもそれぞれ仕事をしていた。仕事……。いい響きだ。魔王軍と戦っていた時は、そんなことより今を生き抜く事に必死だったのに……。

 

俺は新生リンガイア王国に仕官を、エルサはその新生リンガイア王国での俺の秘書をしてくれている。そしてメルルは、ベンガーナ医療大学の常勤講師だ。

 

メルルの講師はともかく、俺が新生リンガイア王国に仕官する羽目になったのは紆余曲折があった。あれは、大魔王戦役終結の一ヶ月後の事だった。世界に残された黒の核晶(コア)の処理(消し飛ばしたよ、俺が)、世界各地で開かれる祝勝会や式典への出席、アバン先生とフローラ様の結婚式、といった目白押しだったイベントを終えてようやく落ち着いた俺が、リンガイアのヤマガイの村にいるカミーユの下へ行った時だ。

 

カミーユとは、アバン先生との旅の間に立ち寄ったヤマガイの村で知り合った男の子だ。旅が終わったら一度顔を出す約束をしていたため、遅くなったが俺はランカークスの実家から瞬間移動呪文(ルーラ)で彼の家に飛んでいた。

 

そこで俺は、ノヴァとバウスン将軍に嵌められた。おかしいと思ったんだよ。俺がヤマガイの村についた途端、物見櫓から信号旗みたいなものが上がって、ラッパが吹き鳴らされたんだから。そしてそのラッパの音は、遙か遠くベンガーナの町の方向に数珠つなぎに鳴らされ続けていくんだ。

 

ずいぶんと物々しい雰囲気だなと思いながら、カミーユの家に向かうと、彼の家で実はカミーユがリンガイア王家の血を引く落とし子だという事を知らされた。そしてカミーユは現在、ノヴァやバウスン将軍を中心とする旧リンガイアの幹部から、新生リンガイアの国王に付いてくれと泣きつかれているらしい。それに対してカミーユは、なぜか俺がカミーユの補佐としてリンガイア国に入ってくれたら受けても良いと、彼らに伝えてしまったと。

 

 

もうね、いったい何がどうしてこうなったって感じだったよ。俺はただカミーユとそのお母さんの様子を確認した後、お茶をいただいたら帰る軽いつもりでそこに来ていたんだよ。それがいきなりリンガイアの国王予定者に、補佐して欲しいって頼まれるんだもの。俺の人生でこれほど意味不明で突発的な事態に巻き込まれたのは、大魔王戦役中を含めても初めての事だったよ。

 

そして俺が戸惑っていると、突然ノヴァとバウスン将軍がカミーユの家になだれ込んできて、彼らまで頭を床に擦り付けんばかりに俺に懇願するんだ。いや、懇願じゃないな、あれは。あれは脅迫というんだ。

 

俺がうんと言うまで、帰さんとばかりに玄関前に仁王立ちするノヴァ。涙を流さんばかりに俺に手伝って欲しいと縋るカミーユ。そしてバウスン将軍から情理を尽くして語られるリンガイア国民が置かれている厳しい現状。

 

もう断れる雰囲気じゃなかった。ただ俺は、その時ルッツ達と医療大学設立に向けた活動をしていたので、その活動と併任で良いのなら、という条件付きでリンガイアに仕官する事を受け入れた。

 

しかし、実際のところ、リンガイアへの仕官はちょうどよかったという側面もあった。当初俺が希望していたカールへの仕官の話は、アバン先生がカールに入った事で俺の中では消えた所だったし、オーザムはあいつが、ロモスはマァムが、パプニカはダイとくれば、バランス的に俺の仕官先は限られてくる。

 

それに、大魔王戦役でその力をほとんど削がれていない強国ベンガーナを、西からはアバン先生のいるカールが、東からは俺のいるリンガイアが目を光らせておく必要もあった。これは、誰にも言っていないし言われてもいないが、多分アバン先生は俺にその役割を期待している気がしていた。

 

さて、そのリンガイアでの俺の肩書きだが、それは『顧問』だ。顧問というとお年寄りが引退後に付きそうな役職だが、要するに何でも幅広く相談を聞く役職だ。それなりの給金も貰っているし、相談されれば分かる範囲で助言もする。

 

もっとも、優秀な野球選手が優秀な野球監督になるとは限らないように、政務は素人の俺が一体何ができるのかという問題はあるんだが。今は、国王となったカミーユのガス抜き要員としての仕事がメインで、後は外貨を稼ぐために俺が提案して始めたチョコボレース(要するに競馬だ)の運営に携わっているくらいである。

 

 

 

「それじゃあ、行ってきますね、ポップさん」

 

エルサが、手に自分の靴が入った袋を持って外に出た。そのエルサは、今羽の生えた靴を履いている。メルルも俺に続いて外に出る。

 

「行ってらっしゃい」と俺が返事をすると、エルサは羽の生えた靴に「リンガイアへ」と言葉をかける。すると、靴に生えた羽が突然パタパタと羽ばたき始め、徐々にエルサの身体が浮き上がる。そしてその高さが俺の背を追い越すくらいに達した瞬間、ピョーンとリンガイアの方角へ矢のような速さで飛んでいった。

 

「いつも思いますけど、これって便利な魔道具ですね、ポップさん」

 

エルサ同様に羽の生えた靴を履いたメルルが、エルサの飛んでいった先を見つめて感嘆の声を上げる。

 

ふふふ、そうだろう、そうだろう。これは某国民的ゲームからヒントを得た瞬間移動呪文(ルーラ)を付与した魔道具を靴に縫い込んだ『空飛ぶ靴』だった。あらかじめ決めた場所にしかいけないため、先ほどエルサが履いた靴はこことリンガイアの往復しかできないが、魔法の使えない者でも魔力の充電さえしたら使用可能という優れものだ。靴型にする意味があったのか、とは皆に聞かれた事だが、そこが一番大事な所でそればかりは俺は譲らなかった。

 

実はこの『空飛ぶ靴』は、デルムリン島で生活しているクロコダインのおっさんにも提供している。どうやらおっさんは、ロロイの谷で共闘したセリーヌに熱を上げているようで、どうしてもエウレカの里に行きたいというおっさんの熱意に負けて、おっさん用の特大サイズの靴(靴のサイズはなんと70cmオーバーだ)を作ったのだ。

 

そして、デルムリン島からギルドメイン大陸の間にある大海原で、空飛ぶワニの目撃例が相次いでいる事から、その熱は今も冷めていないと思われる。まあ、俺はおっさんもセリーヌも両方好きだから、おっさんの恋がうまくいってくれる事を陰ながら祈っている。

 

実際俺が先月エウレカの里に遊びに行った時、セリーヌはおっさんとギルドメインの森を駆け回っていたから、案外セリーヌも悪い気はしていないのかもしれない。

 

「それじゃあ、私も行きますね」

 

メルルもエルサに続き、空を飛ぶ準備ができたようだ。

 

「うん、俺も昼前にはそちらに行くから」

 

あれほど賑やかだったここシェアハウス『アバン荘』も、俺達以外は皆外に出払っていて、今は俺とメルルの2人だけだった。パンだけは唯一どこにも行っていないが、あいつは、日中は魔の森で遊び倒している。

 

メルルが少しだけ周りを気にする素振りを見せたので、俺も周囲をできるだけ自然に見えるようにチェックした。この『アバン荘』は、ネイル村の外れに建てられているので、めったに村人の姿はない。

 

周囲に誰もいない事を確認した俺とメルルは、少しギクシャクとしながら軽くキスをした。キスといっても、鳥がついばむくらいの別れの挨拶を兼ねたライトキスさ。それでも、メルルの頬がうっすらと赤らんでいる。俺も似たようなものだろう。まあ、付き合っているんだからこれぐらいはね。

 

あっ、もちろんキスまでだからな。それ以上にはまだ進んでいないぞ! ダイやルーンもいるんだ。情操教育上よくない事はしていない。

 

それに、実の所、俺はもう少しこの関係を続けていたいと願っていた。やっと手に掴んだ平和なんだ。そんな駆け足で生き急がなくても、ゆっくりと人生を謳歌していけたらなってね。

 

 

靴の羽が羽ばたき、空に浮かびだしたメルルに手を振りながら、俺はそんな事を考えていた。

 

 

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