~~~~パプニカ 王城前広場~~~~~
「さて、着いたは良いけど、誰か知っている人に会えないものかな?」
俺は、高台にあるパプニカの王城前でぽりぽりと頭を掻いていた。ダイのお弁当を持ってパプニカに来たは良いが、俺の今の立場はアバンの使徒という肩書きの前に、リンガイアの官士という立場になっている。さすがにアポなしでここより先に勝手に立ち入るのは憚られるし、かといってお弁当を手渡したいから、という理由だけで衛兵に話を通すのもちょっとな、と考えていた。
ダイにメールを送っても良いんだけど、あいつ鈍いのか、メールになかなか気がつかないんだよな。
どうしたものかね、と思いながら俺は背後を振り返る。パプニカにはわりと頻繁に来るが、来るたびに復興が進んでいるのが分かる。この高台からはパプニカの城下町が見渡せるが、もうあの凄惨な大戦があった事が想像できないほど家々は綺麗に整えられており、街道も大戦以前にも匹敵するほど整備が進んでいる。街道の整備は、姫さんがフローラ様に教えを請うたらしく、カール王国にも負けない立派な街道が整備されつつあった。
これはリンガイアも負けていられないな、と内心決意していた時だった。
「あら、ポップ君。どうしたの、今日は?」
その聞き覚えのある声に俺が振り返ると、そこには期待通りの女性がいた。
「ああ、エイミさん。おはようございます。良かった、知っている人にお会いできて」
そして俺は、ここに来た目的をエイミさんに伝えた。
「くすくすくす。そんな理由で、ここで立ち尽くしていたの? いくらリンガイアに仕官していたって、ポップ君ならいつでも歓迎するわよ。気にしすぎよ、ポップ君。あっ、だから最近パプニカに遊びに来ても、お城じゃなくてバダックさんのお家に泊まっているわけ? 姫が寂しがっていたわよ」
「いやー、やっぱり堅苦しい王城内より、気を張らないでいいバダックさんの家が居心地いいですから。それに姫さんが寂しがっているって、結局その姫さんも、バダックさんの家に泊まっているんですから、絶対に寂しがってなんかいないですよ」
俺はバダックさんの家で夜通し皆でトランプをして、そのまま朝まで雑魚寝した日の事を思い出しながら、エイミさんにそう返した。
俺の言葉に、「それもそうね」とコロコロ笑うエイミさん。幸せそうだな。大戦中に時折見せていた陰りがエイミさんの顔に見えない事に俺は安堵した。エイミさんの事もあるが、エイミさんが幸せそうなら、きっとあいつも幸せだろうしな。
「引っ越しの準備は進んでいますか? もうすぐですよね、エイミさんがオーザムに移るのは?」
「ええ、ようやく引き継ぎが終わったわ。ライオネル王が早く早く、って急かすものだから大変だったわ」
そう苦笑しながらも、新しい生活に期待している様子で笑うエイミさん。
「ふふふ。早くヒュンケルの所へ行ってやらないといけませんね。あいつの食生活終わっているから、きっと今か今かとエイミさんを待っていますよ」
ヒュンケルは、あの大戦終結からそれほど間を置かずにオーザムに渡った。それは、あのロロイの谷でのヒュンケルの戦いぶりにいたく感じ入ったライオネルさんが、どうしても来て欲しいと懇願した結果だった。ちょっと驚いたが、俺もオーザムの質実剛健な気風はヒュンケルに合っていると思う。それに、パプニカはどうしても過去がつきまとうから……。
と言う事で、ヒュンケルは、今はオーザム国で戦士団長の職に就いている。ロロイの谷ではオーザム兵士の最前線に立って孤軍奮闘していたらしく、その実力を知っている皆から諸手で受け入れられたと聞いている。
問題はエイミさんだった。ライオネルさんはエイミさんにもオーザムに来てもらいたがっていたが、それはさすがにパプニカからの引き抜き案件という事になる。姫さんも最初は難色を示していたが、エイミさん本人のたっての希望もあり引き継ぎをしっかりする事という条件で、ヒュンケルから約1年遅れでオーザムに移る事が決定した。後、ちゃっかりオーザムとパプニカ間の相互貿易の約束も取り付けていたから、姫さんもなかなかしたたかだ。
ライオネルさんは、エイミさんにオーザムの筆頭宮廷魔術師という新たな役職を用意して待っているらしい。エイミさんは大戦後、マトリフ師匠から
そのエイミさんは、俺の言葉に少し顔を赤らめながら、それでいて若干心配そうに額に眉を寄せた。
「でも、私あまりお料理が得意じゃないのよ。もう少しメルルに習っておけばよかったわ」
そういえば、エイミさんは時々メルルの下に料理を教わりに来ていたな。それを思い出した俺は、エイミさんに安心するように伝えた。
「大丈夫ですよ、エイミさん。ヒュンケルは舌が肥えていないから、どんなにエイミさんの料理が不味くても食べてくれ――。 い、いひゃいです、エイミさん……」
俺の頬をムギュッと捻ったエイミさんは、眉間に皺を寄せて俺をねめつける。
「失礼ね! 私は料理が得意じゃないだけで、別に不味くはないわよ! それに、……ヒュンケルは、お、美味しいって言ってくれているわ……」
得意じゃない=不味いのどこが違うんだ、ヒュンケルが上手いと言っているならそれでいいじゃないか、と思いながらも、俺はこれ以上余計な事は言わないでおこうと、ヒリヒリする頬を摩りながら考えていた。
「はいはい、惚気話は良いですよ。それじゃあ、これダイに渡しておいてくれますか?」
俺は照れ照れしているエイミさんに、ダイのお弁当を渡した。
「ええ、分かったわ。ポップ君は、今日は大学に行くのかしら?」
「はい。午後から講義がありますから」
「そう、じゃあマリン姉さんによろしくね」
「分かりました。あっ、エイミさん。結婚式の日取りが決まったら教えてくださいね。ヒュンケルの奴、そういうの全然俺達に言ってくれないんで。後、マァム達がエイミさんのドレスに針を入れたいって言っていましたから、また声をかけてやってくれませんか?」
この世界、結婚式で着る女性のドレスを仕立てる際に、新婦と親しい女性がそのドレスの一部分に針を入れて、新婦の末永い幸せを願うという風習がある。マァム達は今そのために、プロ級の腕前を持つレイラさんに時々針を習っていた。
「ええ、分かったわ」と、花のように微笑むエイミさんに俺は手を振って、その場を離れようとする。しかしその寸前、不意にエイミさんが俺の体を背後から抱きしめた。フワッと鼻をくすぐるその香りは、ずいぶん前にバルジの島で抱きしめられたマリンさんと同じ香りだな、と場違いな事を考える俺。
「どうしたんですか、エイミさん? こんな事をされたら、俺ヒュンケルに殺されちゃいますよ?後、マァム達にも……」
「ふふふ、ヒュンケルは分かってくれるわよ。他ならない君だもの。ありがとうね、ポップ君。私ね、今とっても幸せよ。私、どうしてだか、全部あなたのおかげだと思っているの。姉さんが命を取り留めたのも、パプニカが奪還できたのも、地上に住む全ての種族が一つになれたのも、大魔王を倒せたのも、何よりヒュンケルが私の隣にいてくれるのも……」
その大仰な言葉に、俺はエイミさんに抱かれたまま苦笑する。
「……そんなの、俺一人の力な訳ないじゃないですか。皆が頑張ったからですよ。皆がそれぞれにできる事を頑張って、皆がちょっとだけ他者を理解し敬って、それが積み重なったから今の結果があるんです。俺の力なんて、そのうちの一つに過ぎません」
エイミさんは抱きしめていた俺の身体をそっと離して、クスッと笑みを浮かべた。
「ポップ君は変わらないわね。君はずっとそのままでいてね。私、ポップ君がいてくれたら世界はもっともっと良い方向に変わっていく気がするの。……半年前は、本当に世界中の皆がショックを受けたのよ?」
半年前……。ああ、あの事件か。あれは確かに俺にとっては大事件だったな。世界中の皆がショックを受けたというのは言い過ぎだと思うが……。エイミさんは俺を気遣うような表情をした後、幾分真剣な顔をして続けた。
「次に会う時は、私はオーザム王国の所属になっているかもしれないわね。海を挟んだ隣国の敏腕宰相であるポップ君とは、色々と調整させてもらいたい事も出てくると思うわ。これからもよろしくね」
敏腕宰相……。おいおい、いったい誰の事を言っているんだ、エイミさんは。リンガイアの宰相は、将軍職をノヴァに譲ったバウスン元将軍だよ。
「俺の役職は顧問ですよ、エイミさん。バウスン宰相に伝えておきますね。でも、隣国同士仲良くするのは大賛成です。こちらこそ、これからもよろしくお願いします」
そして俺は、エイミさんと握手を交わしその場を離れた。
なお、後日ヒュンケルとエイミさんの結婚披露宴で、完全に出来上がってしまった俺とマトリフ師匠がダブルパキ祭りをしてしまい、その後1年間に渡って
~~~~リンガイア王城 顧問執務室~~~~~
「お疲れ様です、ポップさん」
俺が目を開けると、目の前にエルサが立っていた。ここは、リンガイア王城内の奥まった場所にあてがわれた俺の執務室だった。俺は、
この
そんな便利な呪文だが、実は我がアバン荘では使用に当たって厳格なルールが定められている。それは、事前に
あれは俺がリンガイアでの執務を終えて、アバン荘に帰ろうとした時の事だ。何かの用事でエルサがいなかった俺は、アバン荘にいるはずのマァムをイメージして
すると、あろうことか入浴中だったマァムの湯船にダイブするという幸運な、もとい、不幸なハプニングが発生したのだ。あくまでハプニングだ。決して、マァムがいつもその時間帯に汗を流していると言う事を知っていたわけではない。そう、決して。
その不幸な出来事があって、それまでは頻繁に用いていた
「トイレに入っている時に、現れたらどうするの?」
もう、満場一致でルールが定められたね。議論の余地は無かった。俺はその後、余計な事を言ったダイの頭を軽く小突きながら、事前に連絡する事でかろうじて使用する許可を得られたのだ。さもなければ、この呪文も
「やあ、エルサ。ちゃんとダイのお弁当は届けてきた……よ……。って、何してるの、エルサ?」
俺の話もろくに聞かず、エルサは俺の身体に顔を寄せて何やら鼻をクンクンさせている。美人って得だなー。こんな行動をとっていても、可愛いんだもんな。俺がそんな事を考えていると、エルサはジト目になって俺を睨めつけた。
「ポップさんから、他の女性の匂いがします。この匂い、……もしかしてエイミさんですか?」
うお、何この猟犬も真っ青な鼻の効き具合は……。しかも相手の特定までしているし。エルサ、恐ろしい子……。
「あ、いや、多分ダイのお弁当を渡した時に移ったんだと思うよ。ただそれだけだって。は、ははは。もうすぐ結婚するエイミさんと、何かあるわけないじゃないか。嫌だなぁ」
エルサは俺の言葉に返事をせず、ただ俺との距離を突然詰めて俺に抱きついてきた。エルサの両腕が俺の背中に回され、その顔は俺の胸に埋められている。
「エ、エルサ……?」
「上書きです……」
「え……?」
「ポップさんから、私か、マァムさんか、メルルさん以外の女性の匂いがするのは嫌です。だから上書きしています。もう少しこのままでいてください」
「あ……はい……」
それからしばし俺は微動だにせずその場に立ち尽くしていたが、突然部屋の入り口から「ゴホン……」という遠慮がちな咳払いが聞こえた。
「……そろそろ入ってもよろしいでしょうかな、ポップ顧問?」
俺が振り返ると、そこには今日の打ち合わせ相手であるチョコボレース管理委員会の面々が所在なげに立ち尽くしていた。
「……し、失礼しました、皆様」
執務室に備え付けられているテーブルの周囲に腰を下ろした面々に、そっとお茶を出していくエルサ。その顔は未だに赤いままだった。
「えーと、そ、それじゃあ、打ち合わせを始めましょうか」と、先ほどの醜態を頭から意識的に締め出し、俺は集まった人達の顔を見つめた。
テーブルの周囲に集まったお歴々の総勢はちょうど俺を含めて10人。俺の提案で新しく始めたチョコボレースの立ち上げ人がほとんどだが、どういうわけか数ヶ月前より議題はチョコボレースに限らず、国政全体に関しての相談ごともこのメンバーで議論している。
というか、正直に言って、チョコボレース以外の相談事が最近ではほとんどを占めていて、いったいこれは何の集まりだ、という疑念が最近浮かんできていた。
俺の言葉に応える形で、一人の若い金髪の男(若いといっても20代前半で俺よりは年上だ)が席を立ち、報告を始める。
「……という次第で、初めてのチョコボレースの大会『チョコボGP』は大盛況に終わりました。来客者からは、早くも次回の開催希望が殺到しております」
うん、チョコボレースというのは、この世界で言うカルッサという鳥を
ちなみに、『なぜチョコボという名前に?』、と問われた俺は、『チョコッとボらしてもらおう』のチョコボだよと答えておいた。
娯楽の少ないこの世界で、競馬は思っていた以上の盛り上がりを見せた。特に、疲弊したリンガイア国民からではなく、外貨を稼ぐ事を目的としていたため、ベンガーナを中心に他国に売り込みをかけたのがよかった。今や毎週末のレースには他国の王族やお貴族様が札束を握りしめてやってきてくれるほどになっている。
「チョコボGPの収益は……となっておりまして……」
「それほどの収益があったのか!?」
クラウドという名の若い官士の報告に、年配の官士が驚きの声を上げる。無理もないな。今報告のあった額は、滅びる前のリンガイアの年間の国家予算の10%を優に超える。たった一度の大規模なレースでそれだ。これからレースの数を増やしていくと、いったいどれほどの収益になる事か。
「それほどの盛り上がりだったという事ですよ。そうそう、パプニカの女王が大会初めての万馬券を獲得したそうですよ。貴賓席で相好を崩して、ずいぶんと盛り上がっておいででした」
ぶっ! っと、思わず吹き出しかけてしまった。姫さんがチョコボレースの大得意様になっている事は知っていたが、まさか万馬券をゲットしたとは。さすがだよ、姫さん……。
「では、事前の取り決めの通り、収益の5割は孤児院の運営に、3割は学校給食に、残りは国庫に入れるという事でお願いします。そうそう、次回から3連単も導入しましょう。当たりにくくはなりますが、配当は高くなりますのでチョコボレースに慣れてきたお客さんほど喜んでくれるでしょう」
……どこぞのお姫さんなんかは特にな。
議題が次に移る。というかチョコボレースが軌道に乗ってからは、最近はこちらがメインになっている。中堅どころの官士から、リンガイアの港整備についての相談をされたため、俺の見解を伝える。
「もうすぐ、オーザムとパプニカの間で大規模な取引が増え始めます。そこで、リンガイアの港でオーザムとパプニカの商船に課している関税を、大幅に引き下げてはどうでしょうか?」
俺の言葉に、中堅どころの官士が首を傾げる。
「しかしポップ顧問、それでは両国からの収益が減るのでは?」
「いえ、逆です。リンガイアの港はオーザムとパプニカの取引の中継地点としてうってつけの場所です。多少関税で得られる利益が下がっても、彼らが運んでくる商品や彼らに売る商品で儲けたらいいんです。
そのためには、彼らにリンガイアの港に立ち寄ろうと思わせるだけの利を提供する事が肝要です。エリクソンさん、ベンガーナとリンガイアを繋ぐ交易路の整備はどこまで進んでいますか?」
「はっ。ポップ顧問の魔法で石材や鉄等の資材は確保出来ましたので、整備は順調に進んでおります。ただ、国境にそびえる山脈が……」
ああ、あの山脈か。確かにあれを超えるとなると、数日は余計にかかってしまうからな。だけど問題ない。俺は街道整備のルートを助言した時から、その解決法は頭に描いていた。
「その山脈については私に任せてください。おそらく数日中に魔獣が咆哮を上げる事でしょう」
俺の言葉に、勘のいいメンバーが俯いて含み笑いをした。そして最近この会議に入ってきたばかりの新参者は、不思議そうに首をかしげる。
「直線区間は、カールを見習って石畳を整備しましょう。目標は、現在のベンガーナ⇔リンガイア間の運送時間である1週間を2日以内に短縮する事です。それが叶えば、ベンガーナ⇔リンガイア間の交易路は大陸有数の街道となります。
西はベンガーナを経由してカールまで、そして北はオーザムから南のパプニカまでの全ての産物がリンガイアの港を経由して各地に届けられる事になります。一大商圏の確立ですよ」
俺の言葉を何人かのメンバーがメモしている。あれ? 俺、顧問のくせに、なんでこんな事をしているんだ? これって宰相の仕事じゃないのか?
「そう言えば、宰相のバウスンさんは最近何を――」
「――遅くなりました、ポップさん!」
俺が、最近見かけないバウスン宰相の事を問いかけようとすると、突然部屋の扉が大きく開かれた。扉を開けて入ってきたのは、そのバウスンから将軍職を引き継いだノヴァだった。
「……? あ、あれ?」
取り込み中だった俺達を見て、ノヴァが目を点にしている。さてはこいつ、打ち合わせ時間を間違えたな? 俺の後ろに控えてメモを取っていたエルサがすっと立ち上がり、ノヴァに問いかける。
「ノヴァ将軍、ポップ顧問と将軍との打ち合わせは午前11時からの予定だったのでは?」
「え? あれ、そうだっけ?」と、目をぱちくりさせるノヴァ。そんなノヴァに、彼の装備している漆黒の鎧がため息をつくかのように話しかける。
「だから言ったであろう、ノヴァ。まだ時間にはなっておらぬと。そそっかしすぎだ、お前は」
「すいません、ポップさん。打ち合わせの邪魔をしてしまいました。また出直してきます。――! ポップさん、彼らがどうしてここに!?」
急に鋭い目をしたリンガイアの誇る武の将軍たる『黒衣の騎士』に睨まれ、先ほど報告に立ったクラウドを含む数名の官士がおびえるように縮こまった。
俺はその様子を視界の端に捉え、ノヴァに注意する。
「よせ、ノヴァ。彼らは、カミーユ王の差配によって罪は無いと確定しているんだ。無意味に怖がらせるんじゃない」
俺の言葉に、信じられないと言った顔で俺を見るノヴァ。
「しかし、彼らのせいでポップさんはもう少しで死ぬところだったじゃないですか! それに、エルサさんまで! どうしてポップさんは彼らを……」
「しつこいぞ、ノヴァ。彼らは、ただ主犯の家族だったというだけであの件とは無関係だ。彼らに俺への敵意がない事も、魔道具『嘘発見器』で確認がとれている。これ以上俺のチームの一員を不当に批難するなら、たとえお前でも許さないぞ」
俺の纏う気配の変化に、ノヴァは本気だと分かったのだろう。ノヴァはグッと言葉に詰まり、そのまま肩を落として部屋から出て行った。
ふう、全く。俺の事を大事に考えるのは良いが、そのせいで周りをおざなりにするのは駄目だろうに。今度、こんこんと説教してやるとしよう。
「ポップ顧問……。申し訳ありませんでした。我々のために……」
俺がノヴァの出て行った扉を見つめていると、先ほどノヴァに睨まれて肩を窄めていた3人の官士が立ち上がって俺のそばまで来て頭を下げた。クラウドを含めて皆俺より年長だが、それでも皆が20代前半と比較的若い官士達だ。
俺は立ち上がって彼らに正対し、頭を上げてもらえるよう伝える。
「謝罪の必要はありません。ノヴァ将軍には後で俺からしっかりと言い聞かせておきます。さあ、席についてください。会議を進めましょう」
彼らがこれほど俺に対して平身低頭な態度を取るのには、理由があった。それは、彼らが今より半年ほど前に起こった俺の暗殺未遂事件の主犯者の家族だからだった。
あれは、大魔王戦役が終わって4ヶ月後という頃だった。つまり、俺がこのリンガイアで執務を始めて2ヶ月ほど経った時の事だ。とある旧リンガイアの大貴族が、娘が原因不明の病に倒れてしまい高熱が下がらないのでなんとかならないか、と俺に依頼をしてきた。
もともと俺は、リンガイア国内で目に入った病人がいたら積極的に医療魔法を行使していたため、その貴族の申し出も当然のように受け入れ、エルサを伴って彼の邸宅に治療のために伺ったのだ。
ただ、当時の俺は大魔王との戦いも終わり完全に油断していた。大戦中ならよっぽど切羽詰まった時を除き、魔法を行使する際に一手だけは保険のために残していた。しかし、当時の俺は片手で
……そこを突かれた。
俺が目を閉じ両手で医療魔法を唱えていた時、それは起こった。病人だとばかり思っていたその貴族の娘が、元魔王軍の魔族だったのだ。後から知った事だが、名前はメネロと言ったらしい。突如ベッドから跳ね起きた彼女は、目を閉じ両手を封じられた俺の胸に、いとも簡単に『毒牙の鎖』という、掠っただけでも死に至る刃物を突き込んだ。
いや、その試みは成功しなかった。もしそれが俺の胸に突き立っていたら、俺は今頃この世にはいなかっただろう。
俺の代わりにそれを受けたのは、いつも俺の隣で俺をサポートしてくれていたエルサだった。咄嗟に俺とメネロの間に割って入ったエルサの胸に、その刃は吸い込まれていった。
状況に気づいた俺は、即座にエルサに
徐々に心臓の鼓動が小さくなっていくエルサ。俺の代わりとなって死のうとしているエルサ。ネイル村の片隅で一緒に暮らし始めて1ヶ月。マァムやメルルに対しては抱いていない心の壁を、まだどこかエルサに対しては遠慮という形で残していた俺は、その時エルサに心の底から詫びた。
突然、エルサの全身から力が抜けガクッとその身の重みが増した。それを感じた瞬間、俺の中で何かが爆発し、新たな力に目覚めた。
(だめだ、まだ死なせない……! こんな終わり方は絶対にさせない!)
そう俺の魂が吠えた時、俺の身体から突然吹き上がるような魔法力が迸った。それは、もう限界を極めたつもりでいた俺の魔法力のどこにこれほどの魔力が、と思わずにいられないほどの圧倒的な魔力だった。その瞬間、俺の中に新たに『
気がついたら、エルサの鼓動は戻っていた。
その後、逃げ出したメネロはもちろん、その暗殺計画に加担した貴族達は急報を聞いて駆けつけたノヴァによって倒されたか捕らえられたりした。暗殺計画に加担した大多数の貴族達は旧リンガイアで利権をむさぼっていた連中だった。彼らは、リンガイア出身でない上に、年若い俺が高い地位に就いている事に不満を募らせていて、そこを魔族につけ込まれていた。
首謀者である彼らが重い罪を受ける事は、止めようがなかった。しかし、俺が害されかけた事で視野狭窄に陥ったカミーユやノヴァが、彼ら首謀者の息子を含む一族にまで刑を課そうとしたのを、他ならぬ俺自身が必死に止めた。
「親が犯した罪を子にまで背負わせるのは、絶対に駄目だ。新生リンガイアが踏み出す最初の一歩を、血で汚すつもりか!」
そして紆余曲折の末、首謀者の息子達である彼らは先日ようやく謹慎を解かれ、職務に復帰した次第だった。
俺は背後のエルサをチラッと振り返った。彼女は最初から俺の背中を見つめていたのか、俺と視線が合うとニコッと微笑みを返してくれた。皆は変わらないと言うが、あの日以降、俺自身は彼女に対する態度が変わったと思う。今では俺は、エルサに対してマァムやメルルに抱く愛情と変わらない想いを抱いている自覚がある。
「そういえば、その件で活用された嘘発見器の魔道具は今どちらに? 国宝級の魔道具と私などは思いますが、城内の宝物庫に保管しておいた方が良いのでは?」
官士の一人が、先ほどの俺とノヴァの会話で出てきた嘘発見器に関心を持った。その嘘発見器とは、俺に対する暗殺計画に関与しておらず俺に対して殺意なども無いという、彼らの言い分を証明するために、俺がその時わざわざ製作した縦横約1m、高さ1.5mにも及ぶ直方体の大型魔道具だった。天板には頭部ほどの大きさの水晶球を埋め込んでおり、その水晶球に対象者に手を触れさせイエスかノーで答えさせると、およそ百発百中でその答えが嘘か誠か分かるという優れものだった。
「あれは新生リンガイア王国の持ち物じゃなくて、俺個人の持ち物だから我が家に保管しています。大丈夫、人手に渡らないよう日頃から厳重に保管していますから」
俺の言葉に、納得したように頷く官士。うん、我がアバン荘にちゃんとあるよ。外枠は、厚紙をただ黒く塗っただけの代物だから、今はパンの遊び場として活用している。中身? 中身は多分今頃、ベンガーナ医療大学で教鞭を執っているんじゃないかな。城の宝物庫に納めるだなんて、冗談じゃない。
……だって、嘘発見器の中身はメルルなんだから。
あの時、計画に関与していない、俺に対する殺意が無いという事を証明できなければ刑を免れない立場に立たされていた彼らのために、俺は即興で
メルルも、「ポップさんへの殺意があるかないかを確認する事は他人事ではありませんので、お手伝いさせていただきます」と二つ返事で了承してくれたから、俺は身体を丸めたメルルを箱の中に隠し大勢の前で魔道具もどきを実演し、実際に彼らに対して使用する事で、ようやく彼らに対する極刑を回避する事が出来ていた。
ちなみに、俺がそんな魔道具を開発したという噂を聞いたマトリフ師匠がアバン荘に確認に来た際に真相を明かすと、師匠は笑い死にするんじゃないかと思うほど大爆笑して帰って行った。帰り際に、「お前は油断しすぎだ!」と俺を叱責するのも忘れなかったが。
「さあ、そんな事より打ち合わせを進めましょう。えーと、次はオーザムとの取引の品目についての相談でしたっけ?」
そうやってひとしきり皆の相談事を聞き終えた俺は、エイミさんの事もあり最近感じていた疑問について口にした。
「……そういえば、パプニカではリンガイアの宰相は俺だと誤解されている節があります。バウスン宰相の面子もありますので、今少しバウスン宰相を前に押し出してはいかがでしょう?」
宰相であるバウスン元将軍を日陰に追いやり、顧問である俺が他国から宰相だと誤解されるのは、バウスン元将軍もいい気持ちはしないだろうし、俺もそんな誤解を受けるのは嫌だ。そう思って、確かに最近影が薄く感じるバウスン元将軍を前に押し出すべきだと言ったのだが、何故か集まった皆が微妙な表情をする。
「どうかしましたか? 俺は何か間違った事を言いましたか?」
俺の言葉に皆が顔を見合わせるが、先ほど俺にチョコボGPの収支を報告した金髪の若者クラウドが怪訝な顔をして言った。
「ですが、他国はさておき我が国の実質的な宰相は、現在ポップ顧問と言って差し支えない――」
「――おい、馬鹿っ! その話はここでは――!」
「え? ――! あっ、し、失礼しました! 今の私の発言はお忘れください!」
御髪の後退しているベテランの官士が、突然クラウドの説明を遮る。……おい、待て。恐ろしく気になる発言を、今クラウドはしていたぞ。
すっと目が据わるのを自覚する俺。その俺の纏う気配が先程のノヴァの時と同様に変わった事を、俺を除く9名の官士も認識したのか、誰からともなくウッと息をのむ声が聞こえた。
「ねえ、クラウド
「ラ、ライフストリーム? あ、いや、私はただ……」
「私はただ……、なんですか? ……ん?」
俺の素朴な疑問に、何故かしどろもどろになりながらもクラウド君が答えてくれた内容によると、どうも新生リンガイア王国憲章の第106条に答えがありそうだった。
俺はおもむろに立ち上がり、執務室内に備え付けられている本棚から新生リンガイア王国憲章を綴った真新しい分厚い書物を取り出した。この書物は随分前にバウスンが置いていったもので、実務的に役に立つ事はほぼ無いので、改めて読む必要は無いと言っていたものだった。その言葉を疑いもしなかった俺は、今初めてその書物を手に取っていた。そしてパラパラとページをめくり、問題の第106条を見つけ出した俺。
そこには、『第106条 新生リンガイア王国においては、大魔王戦役以前のリンガイア王国における宰相の執務の全てを、顧問の掌握する職務とする。なお、併せて新生リンガイア王国における宰相の職務は、大魔王戦役以前のリンガイア王国における顧問の職務とする』と、明記されていた。
かつてヤマガイの村のカミーユの自宅でバウスンと交わしたやりとりが、俺の脳裏に蘇る。
『……もう良いです、分かりました。頭をお上げ下さい。ただ、俺には医療大学での仕事もありますから、あくまでリンガイア王国では顧問の仕事に限定させてもらいますよ?』
『ああ、もちろんそれで結構だ。では、ポップ殿の希望通り
その時には気がつかなかったが、巧みに新生リンガイア王国と、リンガイア王国の名称を使い分けていたバウスンを思い出した俺。
まるで、たちの悪い詐欺に引っかかったような感覚に陥った俺は、不意にめまいがして思わずふらっとよろめいた。
あの男、大魔王戦役以前と以後のリンガイア王国で、宰相と顧問の仕事をそっくりそのまま入れ替えやがった。しかも憲章を書き換えるという恐ろしく手の込んだやり方で……! 国王と要職につく複数の人間の裁可が必要な憲章の変更など、そう簡単にできる事ではない。いったい、いつからこの仕込みをしてやがったんだ、あいつ……!
「バウスン・ヴァレスタインは、今どこにいやがる!?」
突如響いた俺の怒声に、執務室の窓の軒先に止まっていた鳥が慌てて飛び立っていった。
「まったく、何が智将だよ。何が名将だよ。とんだペテン師じゃないか……! なあ、これどう思うよ、バウスン宰相の息子のノヴァ将軍?」
俺は、なし崩し的に終わった官士達との打ち合わせの後、のこのこと部屋にやってきたノヴァの頭にポクポクとチョップを落としながら凄む。
「い、いや、もう勘弁してくださいよ、ポップさん。僕は父がそんな大それた秘め事をしていたなんて、これっぽっちも知らなかったんですから……」
「馬鹿! 知らなかったで許されると思うなよ! 親の罪を子が背負うのは当然だ! 一生言い続けてやるからな、覚悟しておけ!」
これまでの自分自身の主張を180度撤回し、バウスンの息子ノヴァに唾を飛ばす俺。
しかし、俺もどうして1年近くも気づかないかね……。自分自身のあまりのうかつさに俺は深いため息をついた。顧問に就任直後、俺はバウスンに「宰相業務に慣れていないので、手伝ってもらえないだろうか」と頼まれ、バウスンの傍らで補佐していた時期があった。今思えば、あれは俺の宰相業務をバウスンが傍らで補佐していたという事なのだろう。
バウスンの補佐を始めて2ヶ月ほど過ぎた頃、「もう十分だな……」とバウスンが呟いたので、俺はもうバウスンに俺の補佐はいらなくなったのだろうと思っていたが、あれはバウスンが俺の補佐をこれ以上する必要がないだろうと判断した言葉だったのだ。
考えれば考えるほど腹が立ってきた俺は、ノヴァの頭をチョップする力を徐々に強くしていった。
「い、痛いですって、ポップさん。もうほんと許してくださいよ……!」
「うるさい! もうヴァレスタイン家は、アバン荘に出禁だからな! 何があっても、もう呼んでやらん!」
「それは酷いですよ! また遊びに行かせてくださいよ!」
「まあまあ、お二人とも。珈琲を入れたので、よかったらどうぞ。」
そんなやりとりを俺がノヴァとしていたら、常に俺のそばにいてくれているエルサが、ノヴァと俺の前にコトッとかぐわしい香りの漂う珈琲カップを置いた。そして、俺に虐められているノヴァを不憫に思ったのか、ノヴァに別の話題を投げかける。
「ノヴァ将軍は、最近お休みの度にポルトスの町に行かれているようですが、何かあの町に御用がおありなのですか?」
ポルトスの町? ポルトスの町と言えば、ロモス王国の北西にある町の事だよな。リンガイアから遠く離れたあの町に、ノヴァがどんな用事があるんだ?
「あっ、そうなんです。そうそう、実はその件もポップさんに相談したかったんですよ。実は今人捜しをしておりまして……」
ノヴァの相談とは、例のピラァが落とされたポルトスの町に黒の
「わっ、素敵ですね、ノヴァ将軍。次に会えたら名前を伝え合う約束をしているなんてロマンチックです! ポップさん、是非協力してあげましょうよ!」
その手の話が好きなエルサが、目をキラキラさせて俺を見つめる。
「えー、なんで俺がノヴァのために……。俺は、ヴァレスタイン家とは金輪際関わりたくないんだけど……」
既にヴァレスタイン家を不倶戴天の敵と認識し始めている俺がそんな後ろ向きな答えを返すと、「――ポップさん!」とエルサが睨んできた。
エルサに弱い俺は、彼女のその鋭い視線に両手を挙げて降伏の意思を示す。
「はー……、分かったよ。それで、ノヴァ。その女性の特徴はなんかないのか? 俺もポルトスの町は復興の手伝いによく行っていたから、何か分かる事があるかもしれないし、一応聞いておくよ」
「はい、ありがとうございます! えっと、その女性は俺より幾分年上のように見えました。背中まで伸びた水色の髪とライトブルーの瞳が印象的なとても美しい女性です」
「水色の髪? ライトブルーの瞳? 年上の美しい女性……?」
「はい、それと、まだ幼い弟さんがおられました。後は、どういうわけか、ものすごく効く
「……」
……クラリスじゃないかよ。うん、間違いないよ。ロモスの町でバニー嬢をしていた女性だ。ものすごく効く
クラリスなら、あの戦いの後パン屋の復興を手伝いに行っているし、今でも時々カレーパン目当てにパンを買いに行っているから間違いないよ。しかし、クラリスの口からこいつの名前が出てきた事がないんだけどな。あっ、そうか。クラリスもノヴァの名前を知らないのか。
うーん、どうしようかな。こいつに伝えてやろうかな。でもなー、あんな綺麗な女性、こいつにはもったいないよな。
俺がうんうん唸っているのを見て、何を勘違いしたのかノヴァが残念そうな顔をして席を立った。
「さすがに、これだけでは分かりませんよね……。もう少し自分の力で探してみます」
そう言って肩を落として部屋から出て行こうとするノヴァを、俺は思わず呼び止めていた。ふう、仕方ないな。
「あー、ノヴァ、力になれなくてすまない。それで、申し訳ないついでに厚かましいお願いですまないんだが、ポルトスの町にさ、美味しいカレーパンを出す店ができているんだ」
「……カレーパン?」
「そうそう。カレーライスなら、前にうちにお呼ばれした時に食べた事あるだろう? ようするに、あのルーが中に入った揚げパンなんだけどね。それを今度ポルトスの町に行ったらお土産に買ってきてくれないか? 店が分からなかったら、有名だからその辺の誰かに聞けば教えてくれるよ」
ノヴァは俺のその言葉に、笑顔で「分かりました。きっと買ってきます」と言って出て行った。
「くすくすくす。そのお店に、彼女がいるんですか?」
エルサが上目遣いに聞いてきたから俺は、すっとぼけておいた。
「何のこと? 俺はただ、美味しいカレーパンが食べたかっただけだよ」
「ふふふ。そういう事にしておいてあげます。それより、そろそろ大学の方にいかないと遅れるのではないですか? ジーンさんとお約束があったのでは?」
っと、いけない。エルサの言葉で時間が無いことに気づいた俺は、その後ギルドメイン大陸初の医療大学 『ベンガーナ医療大学』に向かったのだった。
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あなたは、『バウスンの一刺し』という言葉を知っているだろうか? いや、一度は学士を志した者にとって、この言葉を知らぬ者などまずいないと言っていいだろう。実際大魔王戦役から150年経った現在も、学業に励む学生の口から『バウスンにやられた』、『バウスン許すまじ』という恨み節が時折漏れ聞こえてくる事がある。
この言葉は、想定外の問題や、思いもかけない引っかけ問題がテストに出た際などに使われる言葉だが、バウスンの名は知っていても、その発端となった出来事を正しく理解している学生は多くない。知っているとすれば、『氷の大賢者』ポップ・マーカストンの熱烈な信奉者か、あるいは、新生リンガイア王国出身で歴史に詳しい人物だけだろう。
この言葉の語源はちょうど今より150年前、大魔王戦役前後まで遡る。戦役終結後、世界各国で水面下で獲得競争が進行していた『氷の大賢者』ポップ・マーカストンを、一計を講じて新生リンガイア王国に取り込んだのが、バウスン・ヴァレスタインその人である。
現在の新生リンガイア王国の前身であるリンガイア王国で智将と呼ばれた彼は、大魔王戦役時に落城するリンガイア首都から多くの国民を脱出させる事に奮励。国が滅びた後は、地下に潜って水面下で魔王軍に対する抵抗戦線を構築。その後、世界連合の旗を掲げたパプニカ王国レオナ姫の呼びかけに応じた彼は、以後実質的な戦術指揮官として、『死の大地』、『ロロイの谷』と続く戦場で全軍の指揮を執った。
彼は直接的には大魔王バーンと対峙したわけではないため、一般的にアバンの使徒達と比べた場合の知名度はそれほど高くなく、むしろ彼の愛息であったノヴァ・ヴァレスタインの方が知名度が高いと言っても良かった。
しかし、所属の異なる多数の兵士や冒険者、果ては魔物達までも有機的に統合し、寡兵をもって圧倒的多数の魔界の魔物達を相手取ったその手腕は、あまりに過小評価されているのでは、と一部の識者から指摘され、現在その評価が見直されようとしている。
そのような輝かしい戦績で彩られたバウスン・ヴァレスタインであるが、彼がつかみ取った戦果で最高のものは、と尋ねると、新生リンガイア王国の歴史に詳しい者ならほぼ間違いなく、『氷の大賢者ポップ・マーカストンを自国に引き入れた功績』を挙げるのは興味深い話である。
このポップ・マーカストンを自国に引き入れた策略こそが、『バウスンの一刺し』の語源である。彼は自国の宰相と顧問の掌握業務を巧みに偽る事で、当時どの国もが獲得を狙っていたポップ・マーカストンをまさに一刺しして、自国に引き入れる事に成功したのである。
生前、この件について問われたバウスン・ヴァレスタインの残した言葉が現在まで残されている。
『大賢者ポップを新生リンガイア王国に迎え入れるために取った策略は、私にとって最も神経を使うものでした。ご存じの通り、彼は大魔王バーンをも欺いた地上一の切れ者でしたから。カミーユ王のご実家で行った彼との交渉中、私は心の震えを彼に見抜かれないか気が気ではありませんでした。
事が彼に露見した時、私は、もし私が突然この世から消失しても決して手を下した者を捜さないよう息子に伝えたものでした。幸いにも、私はこのように長生きできていますがね。
しかし、それほどの覚悟を持って彼を新生リンガイア王国に迎え入れた私の決断が正しかった事は、現在の我が国を見て頂ければ分かっていただけるのではないでしょうか。もしかすると私は、この件で後世に悪名を残してしまうかもしれませんが、そのような事、この新生リンガイア王国の目覚ましい発展の前には些事に過ぎません』
現在世界に存在する六大国のうち、国の政務を司る役職の頂点に『宰相』を設けている国はベンガーナ王国、カール王国、ロモス王国の三国である。そして、新生パプニカ王国はその地位に『三賢者筆頭』を、オーザム王国は『筆頭宮廷魔術師』を当てているが、唯一異彩を放っているのが新生リンガイア王国である。この国のみ、国の政務を司る役職の頂点を『顧問』とし、『宰相』は国王の後見もしくは相談役としての役割が与えられている。
この新生リンガイア王国のみ宰相の意味合いが他国と異なっている点が、世界史のテストで引っかけ問題として度々出題され、各国の歴史を勉強する学生達から、『バウスンの一刺し』という言葉がひっかけ問題を示す代名詞として、現在まで独り歩きする形で伝わっているのである。
今より150年前に、『バウスンの一刺し』によって新生リンガイア王国の実質的な宰相の地位に就いたポップ・マーカストン。そして、後世にまで悪名が残る事を覚悟して一計を講じたバウスン・ヴァレスタイン。
彼らが、今もその言葉が若干意味合いを変えながらも残っている事を知ったとしたら、これをどのような表情でそれぞれ受け止めただろうか、実に興味が尽きない。