side ライオンヘッド
ギルドメインの大森林は、異様な静けさをまとっていた。いつもなら鳥のさえずりが聞こえ、時折猿や鹿の鳴き声が聞こえるはずだが、皆息を潜めているかのように、静かな沈黙が続いていた。その原因は、森の中にある小高い丘の上で静かに横たわっている1匹の魔物に有ることは明白だった。
その魔物の種族は、ライオンヘッドだった。名は無い。その魔物は集団を嫌い、この世界に生まれ落ちてからこれまでずっと1匹で生きてきた。従って、その魔物にとって名は必要なかった。そもそも名など付けられようものなら、付けた相手の息の根を、その魔物は即座に止めてきただろう。
今、ライオンヘッドは時折不愉快そうにうなり声を上げながら、目を閉じている。寝てはいない。
その左目にはわずかに矢傷の跡が見えるが、今はほとんど癒えている。その傷を付けられたのは今から約2ヶ月前。付けた人間を決して許さんと、しばらくは浅い森で網を張っていたが、とうとう見つけられなかった。一度はその人間の住処と思わしき川向こうの集落に襲撃をかけることも考えたが、敵がどれほどの数存在するか分からず、その慎重な性格から結局襲撃は行わなかった。
その後、大森林の奥地に移動したライオンヘッドは餌となる個体を捕食しつつ、気まぐれに周囲に生息している魔物に襲いかかっては殺戮するといった遊びをしつつ過ごしていた。この森は餌となる哺乳類が多く生息しており、また様々な魔物も存在するため遊び相手にも事欠かず、ライオンヘッドは気に入っていた。
ライオンヘッドの耳がピクリと動いた。その鋭敏な感覚が捉えたのは、自身に向かってくる魔物の発する音だった。珍しいと思った。通常魔物は、自分から逃げようと離れていく。しかし、この魔物は自分の存在を把握していながらこちらに向かってきている様に見える。面白いと思ったのか、先ほどまで不機嫌そうに唸っていた様子から一転、両目を開けその口にわずかに笑みを浮かべて、音の聞こえてくる方向をじっと見つめた。
その数分後、茂みを大きく左右に分けて、1匹の魔物が姿を現した。その魔物は、ワニのような外見をした巨体を有し、2足歩行で現れた。その大きな右手には、水晶を埋め込んだ斧を持っている。
その魔物は、小高い丘の上で横になっているライオンヘッドを見上げ、口を開いた。
「我が名は、クロコダイン。そこにいるのは、ライオンヘッドだな? お前と話がしたくてここまで来た」
クロコダインと名乗った魔物は、ライオンヘッドに人語でそう声をかけた。人語を操る魔物は多くない。ライオンヘッドは人語を理解はするものの、自ら人語を使うことは出来ない。ただし、魔物は魔物特有の感覚で、互いの意思の疎通を図ることが可能だ。
(……何の用だ、リザードマン。我には、お前と話す理由が無い)
「ふっ、お前に理由は無くとも俺の方にはあるのだ。まあ、聞け。俺は近いうちに地上に侵攻を開始する魔王軍において、軍団長への就任が予定されている。俺は、自らの軍団を盤石のものとしたい。そこで、このギルドメインの森に生息する凶暴なライオンヘッドの噂を耳にし、俺の軍団にスカウトしようとここまで来たのだ。……どうだ? 俺と共に、人間どもの国を侵略しないか?」
クロコダインはそうライオンヘッドに向けて声をかけた。そして、ライオンヘッドの回答はクロコダインの正に求めていたものだった。
(我は群れる事を好まぬ。それに、我より弱い魔物の下に付く気も無い。我を欲するのであれば、我を倒してみるのだな)
そう答えを返したライオンヘッドは、その場でゆらりとその身を起こし、クロコダインに言い放った。
「うわっはっはっは! そうこなくてはな! さすがは噂に聞くライオンヘッドだ。良いだろう、俺が勝てばお前は俺の下に付け。お前が勝てば、俺はお前を軍団長に推薦し、俺がお前の下に付こう」
そう言い放ったクロコダインは、右手に持っていた斧を近くの大木に投げつけた。
「武器を持っていては、公平では無いからな。さあ、始めよう!」
既にライオンヘッドはいつでも飛びかかれるよう戦闘態勢を取っていた。
まずはスピードを用いた攪乱を狙い、ライオンヘッドが左右に小刻みに動きながらクロコダインに迫った。クロコダインはライオンヘッドの素早い動きに目を左右に光らせながら、どっしりと両の足で構えた。
左右の横の動きから突如としてクロコダインに突撃するライオンヘッド。クロコダインはその素早い動きを捉えるのは困難と判断し、両腕を頭部の前で交差し防御態勢を取る。ライオンヘッドの鋭い爪がクロコダインを捉え鮮血が飛び散る。更にライオンヘッドは決してその場にとどまらず絶えず動きながら、引いては飛びつくという動きを繰り返す。
次第にクロコダインの全身が血に染まっていく。その間クロコダインは防御態勢を崩さず、静かにライオンヘッドの動きを腕の間から目で追いかけていた。
クロコダインの出血を見て好機と捉えたライオンヘッドは、爪での攻撃から、己の最も強力な武器、牙での攻撃に切り替えることにした。とどまること無く常に動き続けながら、クロコダインの構えた腕の隙間から覗いた喉元に食らいつくべく、突進した。
「――甘いわ!」
しかし、その隙はクロコダインがあえて見せたものだった。
その鋭い牙の攻撃を、自らの左腕を犠牲にすることで防いだクロコダイン。ライオンヘッドは喉元への攻撃は失敗したものの、それではこのまま左腕を食いちぎってやろうと牙を深く突き立てる。しかし、クロコダインの鋼のように硬い皮膚は、易々とその牙を通させない。
そして、その隙にクロコダインはそのまま右の拳をライオンヘッドの腹部めがけて殴りつけた。
「ガゥアー!!」
うめき声を上げながらライオンヘッドは背後に吹っ飛んだ。ライオンヘッドの皮膚は十分強固なものの、クロコダインのそれと比べると防御力が低い。その一撃はライオンヘッドの身体の内部も損傷させ、そのスピードを奪うのに十分な威力を持っていた。
しかし、よろめきながらも立ち上がったライオンヘッドはなおもクロコダインに対して爛々と目を光らせ、その口から「……ベ・ギ・ラ・マ」とつぶやいた。
その言葉によって、閃熱呪文特有の光跡がライオンヘッドの口に徐々に集約していく。その光景を見てクロコダインはよける様子も無く、更に腰を落とし右腕に闘気を集中させる。
そして、ライオンヘッドの口から
「――獣王痛恨撃!!」
そう叫びながら、右腕より闘気流の渦を発生させ
ドドォーーン!
辺り一帯に轟音が響き、この戦いを固唾をのんで見守っていた周辺の動物、魔物が一斉に逃げ出した。闘気流に巻き込まれた周辺の木々が次々に倒れ、舞い上がった土砂が土埃を発生させた。
クロコダインは、油断せずライオンヘッドのいた地点を見据えている。徐々に土埃が晴れて視界が晴れてくると、全身傷だらけのライオンヘッドが苦しげに横たわっていた。
それを見て、クロコダインは声をかける。
「俺の勝ちだな、ライオンヘッドよ。だが、久しぶりに俺も血を流した。お前の力は本物だ。今後はその力を俺の下で発揮すると良い」
(…お前の勝ちは認めよう。約束通り、お前の下についてもいい。だが……)
「分かっている。お前は群れるのは好かんのだろう。まだ大魔王様が地上侵略を開始するまで数年の時がある。お前はそれまでここで力を蓄えていると良い。時が来れば、迎えをよこす。その時こそ俺の下でお前の力を発揮してくれ」
(……承知した)
ライオンヘッドはそう返事を返し、森の奥に体を引きずりながら去って行った。
それから約4年の歳月が過ぎた。
ライオンヘッドはクロコダイン戦で傷ついた身体を癒やし、ギルドメイン大森林の奥地で周辺の魔物を狩ることで、自らの力を高めていた。
もはやこの森でライオンヘッドにかなう魔物は存在しなかった。『ごうけつぐま』など問題にならず、時折遭遇する『オークキング』も『おおさそり』も敵では無かった。
そして、知らぬうちにライオンヘッドの毛並みはこれまでの黄金色から、暗い紫色に変色していた。それを自覚した時、自身はライオンヘッドからバクーモスという名のライオンヘッドの進化種に進化したことを悟った。
今新たな種族バクーモスとなった魔物は、ギルドメイン大森林の浅い地点で1人の人族を相手に狩りという名の遊びに没頭していた。
それは、少し前のことだった。久しぶりにギルドメイン大森林の入り口の方まで足を伸ばしたバクーモスは、そこで4人の人族を発見し、すぐさま襲撃した。4人のうち、3人は男だったので、最初から味には期待せずに殺すだけに留めた。もう1人はまだ小さな女だった。これまでの経験からバクーモスは女の方、特に小さい方が味が良いことを知っていたので、最初から狙いはこの女だった。
バクーモスは、ただ相手の肉を食らうだけでは無く、食らう相手の絶望も好物だ。この嗜好は、ライオンヘッドの時には無かったもので、バクーモスという種族特有のものなのかもしれない。
そのため、バクーモスは、その女を直ぐに殺すことはせずに、あえて速力を落とし、つかず離れずの距離を追いかけていた。そうやって獲物を追い立てながら、更に絶望をあおるつもりでその女の背中をなでた際に爪に付着した血を舐めた時だった。そのあまりの旨さに、思わず足を止めるところだった。これまでに、人族の女を襲い食ったことはあるが、これほどの旨さでは無かった。
まるで、血の中に太古の神の力が宿っているかのようだった。バクーモスは興奮した。この女を食うことで、我は更に強くなれる。そうすれば、4年前に敗れたクロコダインというリザードマンにも勝利できるかもしれない。
そして、興奮しながら獲物を追いかけることで、逆に自身の背後から迫ってくる人族の気配に気づく事が出来なかった。
その後も獲物を追い立て、十分絶望を喰らい、とうとうその食欲の我慢に限界が来たバクーモスが、いざ獲物を頂こうと獲物に対して右足を振り下ろした時だった。その獲物とバクーモスとの間に、分厚い氷の壁が突然出現した。
ガリィッ!
氷の壁に遮られ、獲物である女にバクーモスの爪が届かない。上質の獲物を前に、バクーモスは我を忘れて氷の壁をたたき割ろうとするが、通常の氷では無いのか、一向に破壊することが出来ない。
そうしているうちに、背後より別の人族の声が聞こえ、バクーモスが振り替えると、そこにはまだ小さい人族の男がいた。
バクーモスはその人族の男を一目見た途端、その人族の男に対する警戒心を最大まで引き上げた。一目見れば分かる。その男の身体からは、あふれんばかりの魔力が立ち上っていた。
バクーモスは、自身の警戒が間違いでなかったことを直ぐに悟った。その男は練達の魔法使いだった。これまで人族の魔法使いと戦ったことはあったが、皆、接近しその首に牙を突き立てることで勝利してきた。だが、この小さな男は決してそのような隙を見せず、氷の壁を無数に展開することで我の攻撃を躱す。そればかりか、同時に我に対する攻撃まで行ってきた。一度に複数の魔法を使いこなす魔法使いをバクーモスはこれまで見たことが無く、最悪の場合は一時撤退することも考えることにした。
自身の周りを氷の壁が取り囲む。バクーモスは不利を悟った場合、いったん撤退するつもりであったが、それが困難になったことを悟った。壁の高さはそれほど高くは無いが、一足飛びでは飛び越えられない。手間取っていては、この男に絶好の攻撃の隙を見せてしまうだろう。追い詰められたバクーモスは覚悟を決め、その目に爛々と力を込め、男を見据えた。
今、バクーモスはその命を終えようとしている。胸部に
バクーモスはおかしかった。もはや自身には指一本動かす力も無いのに、人族の男は我を警戒している。我を強者と見定め、決して油断しようとしない。……ふいに、もう満足だ、と思った。4年前に自身を負かしたクロコダインもそうだった。決して我を弱者と扱わなかった。
我はずっと強くなりたかった。そのため多くの同族や人族を手にかけてきた。だが、それももう十分だ。我より強い者に敗れて死ぬのならそれでいいと、何故か満ち足りた気がした。
……そして、次第に目の前が暗くなり、とうとうバクーモスはその意識を手放した。