転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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お久しぶりです。書きたい話が少し残っていたので書かせていただきました。


おまけ
200話 閑話① 大魔道士と大賢者の共同作業


~~~~大魔王戦役終結から約3か月後~~~~

 

 

「……どうだ、ポップ?」

 

俺は、徹夜明けでしょぼしょぼする目をその声が発せられた方向に向けて凝視する。俺の視界には、照明呪文(レミーラ)によって浮かび上がった洞窟の岩肌が映っているだけだった。

 

どうだろう……? 今の所違和感は覚えない。だけど、これだけじゃあ、まだ成功とはいえない。

 

「……少し、歩いてみてくれませんか」

 

俺の言葉に、姿を見せないまま「分かった……」と返事をする誰か。次の瞬間、(ああ……)、と俺は天を仰いだ。

 

駄目だ。また失敗だ。人の形にくり抜かれた岩肌がぬめっと動くのを見て、俺はそんな感想を抱く。これじゃあ、ジャングルの密林に現れた捕食者(プレデター)のステルス迷彩のようなものだ。ダッチ率いるコマンド部隊の目はごまかせても、マァム達の目はごまかせない。

 

俺のその仕草に、師匠も14回目の失敗を悟ったのだろう。望んでいた効果を発揮できなかった呪文を解除し、苦々しい表情でいつもの魔道士然とした姿を現す師匠。

 

「また失敗か……。良い所までいっていると思うんだがな……」

 

「ええ。静止状態ではかなりいい感じなんですけど、動くとどうも……」

 

そして二人して、広いホールのようになっている洞窟の中央でうーん、と首を傾げる。

 

 

ここはかつて師匠と共に極大消滅呪文(メドローア)・零式の習得に向けて修業にいそしんだバルジの絶海に浮かぶ孤島の中央にある洞窟の中だった。外ではもう太陽が新しい朝の訪れを告げている事だろう。

 

俺は昨日、リンガイアで顧問の仕事を終えエルサと一緒にアバン荘に戻ろうとしていた所を、突然やってきたマトリフ師匠に連行される形でここまで連れられてきていた。エルサはまあ、いつも空飛ぶ靴を鞄に忍ばせて出勤しているから、アバン荘には帰れただろう。

 

それから夜通し、俺はマトリフ師匠にとある魔法の開発を手伝わされていた。眠い目をこすりながら指にはめている指輪に目を落とすと、集中していて気づかなかったが、何件かの着信があった形跡があり、俺はひくっと頬を引くつかせた。

 

昨日は土曜だったから、今日はオフ日だ。本当なら今日は、ランカークス村に戻って開校に向けて準備をしているルーン達と色々と詰めたい事があったが、まあそちらの方は後で挽回できるだろう。問題はこの着信の方だ。

 

「師匠……、さすがに何の連絡もせずに外泊したのはやばかったかもしれません……」

 

俺はシェアハウスの同居人達の顔を思い浮かべて、師匠にそう呟くように言葉を発する。

 

「はっ、気にするな! 後で、通信環境が悪かったとでも言っておけばいいさ。それにお前、正直な事を言ったらやばい事になるのは分かっているだろう?」

 

「それはそうなんですが……」

 

まいったな、と頭を掻きながら師匠にそう返事をする俺。そうだ、確かに師匠の言うとおりだ。いったい俺は皆に何と言えば良いというのだ。

 

 

まさか馬鹿正直に、姿隠し(レムオル)の開発を手伝っているなんて、言えるはずがないのに……。

 

 

まったく、師匠もとんでもない呪文の開発に取り組み始めたものだよ。先日は、大魔王戦で切り札となった呪文返し(マホカンタ)の開発に、一生の仕事になると意気込んでいたのに、この姿隠し(レムオル)の開発にはどう見てもあれ以上の情熱を傾けているように俺には思えた。

 

大魔王戦役後、アポロさん達に瞬間移動呪文(ルーラ)などを伝授していたのは知っていたが、それ以降音沙汰ないな、と思っていた師匠がまさかこんな魔法の開発に心血を注いでいたとは……。まあ、同じ男としてその気持ちは分かるけどね、師匠。

 

「でも師匠。えっと、デスカールでしたっけ? 師匠らしくないじゃないですか。そのデスカールから呪文の詳細を聞き出さないまま倒しちゃうなんて」

 

俺のその問いかけに、頭をがしがしと搔いていた師匠が、悔し気に舌打ちする。

 

「ちっ! 俺も今更ながらに後悔しているぜ。見ただけで充分だと思ったが、まさかこれほど苦労するとはな。もう少し生かしておくべきだったか」

 

デスカール……。まさかあのロロイの谷から、はるばるこんな所までやってきていた魔族がいたとはな……。狙いは分かっている。師匠も言っていたが、おおかたバルジの島に落ちたピラァの黒の結晶(コア)の再起動を狙っていたのだろう。しかし、デスカールには不運な事に、そして俺達には幸運な事に、この地には今もって地上界最強の大魔道士である師匠がいた。

 

 

「そのデスカールの使っていた姿隠し(レムオル)には、違和感は無かったんですよね?」

 

「ああ、俺でなければ誰も気付きようがない程完璧に周囲の景色に溶け込んでいた。俺でも、魔力の残滓を追ってどうにか捉えただけで、素人ではまず見分けが不可能なほどだったぜ」

 

うーむ……。俺と師匠は互いに向き合いながら地べたに胡坐をかいて座り込み、洞窟の真ん中で唸り声を上げる。

 

完璧に周囲の景色に溶け込んでいた……か。でも、先ほど師匠が唱えた姿隠し(レムオル)は、動き出すと、ヌルっと背後の景色が動き出すような気持ち悪さが際立った。

 

「やっぱり、この術式の一小節が肝なんじゃないですかね……?」

 

俺は足元に落ちていた羊皮紙の一枚を手に取り、師匠にその一部分を指し示しながら見せる。その羊皮紙には、姿隠し(レムオル)を構成する恐ろしく長い術式が、書きなぐったように記載されていた。

 

「ああ、俺もそう思っている。その一小節、反転式を使う事でもっと短くできるよな? だからそれで空いたスペースに何かが当てはまりそうなんだが、その何かが分からねぇ……!」

 

そうなんだよな。俺が今指し示した一小節は、姿隠し(レムオル)を唱えたデスカールから閃めきを得た師匠が書き付けた術式が記載されているんだが、少し間延びしている。師匠が言うように、一つの術式に二重の意味を持たせる反転式を活用する事で、ここはもっと短くできるはずなんだ。問題は、それによって生まれた空白に何を組み込むか、だ。

 

ステルス……。ステルスねぇ。先ほどの師匠の姿で連想した捕食者(プレデター)もステルス迷彩を使っていた。まあ、あれはじっくり見るとダッチ達でも違和感を覚えるステルスだったが……。

 

そう言えば、ステルスと言えば、レーダーに映らないステルス機能を持った戦闘機なんてものも前世にはあったな。確か、世界初の実用ステルス機F-117『ナイトホーク』とか、最新型ならF-22『ラプター』とか……。

 

別に俺は前世で軍事オタクだったわけではないが、某フライトシューティングゲームはやった事があり、それなりに有名どころの戦闘機の名前と簡単な機能程度は、そらで言える程度には知っていた。

 

あれって確か、塗料が肝だったって聞いた気がするんだよな。後は……、そうだ。その独特の形状も意味があったはずだ。特に初代のステルス機であるF-117なんて、カクカクした造形が特徴だった。あの造形が敵から照射されたレーダーを反射しづらくさせていて、そのためにミサイルなんかといった外装も内部に格納していたんだよな。

 

ん……? まてよ……? 俺は何かに気づきかけた気がして、姿隠し(レムオル)を構成する術式の一小節を凝視する。師匠は長年空白のままだった一小節に、光を照射する呪文の術式の一部を組み込んでいた。それは確かに必要な術式だったんだろうと思う。だけど、それだけじゃあ足りなかったんだ! 

 

足りなかった術式、それは……造形だ!!

 

「――師匠、分かった気がします!」と、思わず立ち上がって声を張り上げる俺。ドーム状の洞窟内に俺の声が反響する。そんな俺を、驚いて声も出ない様子の師匠が見上げるが、それに構わず俺は言葉を続ける。

 

「造形ですよ、師匠!」

 

俺の言葉が理解できないのか、師匠は「……造形?」と繰り返す。もどかしさを感じた俺は更に続ける。

 

「ええ、造形です。良いですか、師匠? いくら光を当てても、当てられた側が皺だらけだったり、汚れていたりしたら十分に光を受け止める事ができませんよね? 光を十全に受け止めようと思えば、受け止める側にもそれ相応の加工が必要とは思いませんか?」

 

「受け止める側にも加工が必要……。――! そうか、つまりこの一小節に足りなかった術式は……!」

 

俺は大きく頷き、言葉を発した。その発した言葉は師匠と重なる。

 

「「――変身呪文(モシャス)!!」」

 

それから俺達は食事を取る事も忘れ、ついでにマァム達に連絡する事もすっかり忘れ、姿隠し(レムオル)の開発に没頭した。

 

「くっ。俺の考えが間違っていたのでしょうか。変身呪文(モシャス)の術式はどこも複雑すぎて、反転式を使ってもこの空白部には組み込む事が……」

 

「いや、違うぞ、ポップ。そこには反転式、それも3重(トレス)反転式を使うんだ。ほら、こことここを繋げて……」

 

「そんな技術が……。勉強になります」

 

師匠とそんなやり取りをしていると、あっという間に数時間が過ぎていた。

 

 

 

「……どうだ、ポップ? これなら見破れないだろう?」

 

師匠の言葉が、俺の右から左に流れていく。つまりそれは、師匠がその言葉を移動しながら発しているという事。にもかかわらず、師匠の姿は何処にも見えない。強いて言えば、師匠が移動する際に、足元に転がった小さな砂礫だけが微かに飛び跳ね、それが師匠がそこにいる事を俺に悟らせていた。

 

「……ええ、完璧です、師匠。完璧な姿隠し(レムオル)です。やりましたね、師匠!」

 

それは、この地上世界に伝説の呪文姿隠し(レムオル)が誕生した瞬間だった。やはり足りなかった最後のピースは、俺が閃いた通り変身呪文(モシャス)だった。変身呪文(モシャス)の呪文を構成する術式の一小節を師匠の高度な魔法技術で最小化し、姿隠し(レムオル)の足りなかった部分に入れ込む事で、師匠が組み込んでいた光の術式が十全にその効力を発揮し始めた。

 

それは、身に着けた衣服の皺を整える、衣服に付着した微細な塵埃を取り除くといった、ほんの少しの変身。それが足りなかった最後のピースだったのだ。

 

 

 

「よしっ!! 姿隠し(レムオル)開発の成功記念に飲みに行くぞ!」

 

「はいっ、師匠!! 後、わざわざ魔界から姿隠し(レムオル)の伝授に来てくれたデスカールにも、感謝感激の祝杯が必要ですね!」

 

姿隠し(レムオル)を習得してご満悦の師匠のお言葉を断るはずもなく、俺達はパプニカの夜の町に繰り出す事で意気投合するが、意気揚々と洞窟から出ていこうとしている師匠の背中に俺は声を掛ける。

 

「あ、待ってください、師匠。ちょっと、さすがにそろそろマァム達に連絡しないとまずいんで……」

 

「……ああ、それならお前がさっき姿隠し(レムオル)を習得している間に、俺が連絡してうまく言っておいたぞ」

 

「え……、そうなんですか? マァム達なんか言っていました?」

 

「いんや、何も? そんな事より早く行くぞ、ポップ! パプニカの下町に、最近営業を再開したばかりの俺の行きつけの店があるんだよ」

 

「あ、ちょっ、待ってくださいよ、師匠」

 

そうして俺達は二人連れだって、師匠の言う行きつけの店に向かうのだった。

 

 

 

「まあ、ありがとう、二人とも! この店の宝物にさせてもらうわね!」

 

俺と師匠のサインが書かれた色紙を、大切に胸に押し抱きいそいそとバックヤードに下がっていく紫色のドレスを纏った赤毛の女性。その様子を徹夜状態でアルコールを摂取した人間特有のうろんな瞳で見つめていた俺だったが、直ぐに頬に添えられた手で視線を剥がされ横に向けられる。

 

「ほらぁ、ポップ君。姉さんに見とれてないで、こっち見てよ、こっち♪ はい、あーん♪」

 

俺の視界いっぱいに胸の谷間を強調したきわどい衣服を纏ったバニー嬢が映る。そしてバニー嬢はサクランボに似た果実を、俺の口に押し付けるようにして放り込む。

 

「どう? 美味しい、ポップ君? もう一個食べる? どれが食べたいのかな? またあーんしてあげるね♪」

 

「は、はい……、とても美味しいです。そ、それじゃあ、次はそのロウの実を……」

 

そんな会話を交わす俺達の隣には、やはり頬を赤く染めにやけた顔の師匠が。師匠の手が、師匠の隣の椅子に腰かけているバニー嬢のむちむちの網タイツに伸びるが、そこはさすがにプロのバニー嬢。触れられる前にその伸ばされた手の甲をギュッと抓る。

 

「うふふ、駄目よ、お爺ちゃん。お痛しちゃぁ」

 

「い、痛てて……。くっくっく。やりやがったなぁ。これならどうだ……!」

 

「キャーー、何するのよ、お爺ちゃんのH!」

 

師匠の両手が、神速の速さでバニー嬢の胸をタッチし、バニー嬢が腕を胸の前で組んで師匠と距離を取る。くっ、またしても俺に見せつけるかのように幻惑手技呪文(ゴッドハンド)を……! 師匠は今日だけでも、既に胸に4回、お尻に3回ヒットさせている。マァム達に封印されていなければ、俺も師匠と一緒にダブルゴッドハンドを放てたというのに……!

 

血の涙を流しながら、俺は周囲を伺う。そう、ここはパプニカの町の一角にある酒場。その名も『月のバニー』だった。姿隠し(レムオル)の呪文の完成祝いと、後ついでに大魔王打倒祝いに俺達は二人連れだってこの店に来店していた。俺はこの店には初めて来たが、師匠はパプニカの町が魔王軍に蹂躙される前から時折来店していたらしい。

 

うーむ、クラリスがいたロモスのあの店も実に魅力的だったが、このパプニカの店のレベルもなかなか……。そんな事を考えていると、いつの間にか俺達の席に付いていたお胸の大きな二人のバニー嬢が姿を消していた。理由は……、ああ、分かった。照明の絞られた店の奥に視線を向けると、奥にあるステージの上に何人ものバニー嬢が集まり始めていた。

 

「くくっ。良いねぇ、やっぱりこの店はこうでなくちゃいけねぇ。おい、ポップ。ここじゃあ見にくくていけねぇ。場所を変えるぞ。ついてこい」

 

そう言って師匠は席を立ち、カウンター席の方に酔いを感じない歩き方で向かう。その後ろをついていき、カウンターの端にある背の高い丸椅子に腰かけた師匠の隣に腰を下ろす俺。

 

カウンターの向こう側にいたオールバックに髪を整えた渋いバーテンダーが、こちらにちらっと視線を投げる。そして彼は、馴染みらしい師匠の好みの酒を知っていたのか、無言のまま干し葡萄の香りがふわっと漂うウイスキーをオン・ザ・ロックでグラスに注ぎ、それを師匠の前に滑らせる。そして俺に(何になさいますか?)と視線で問うてきたので、「ウイスキーを炭酸で割ったものを。1対3ぐらいで」と答える。

 

初めて注文されたオーダーだったのか、不思議そうな表情を顔に浮かべるバーテンダーだったが、すぐに俺の注文通り、前世で言う所のいわゆるハイボールを、ことりと俺の前に置いてくれた。

 

確かに師匠の言葉通り、先ほどまで座っていたテーブル席より一段高い所にあるこのカウンター席からは、きらびやかなライトに照らされて妖艶に踊り始めたバニー嬢達がよく見える。俺は、ハイボールで喉を湿らせながら、後方のステージに視線を向ける。

 

十数人のバニー嬢が横一列に並んだかと思えば、次の瞬間には一糸乱れぬ動きで花が開くように放射状に広がる。バニー嬢達は、そんな風にダイナミックにステージ全体を使いながら、時折足を高く掲げくるくると舞っている。ステージの周囲には大勢の客が集まり、彼らは、時折推しのバニー嬢の名を叫びながら、かぶりつくように見つめていた。

 

うん、これはあれだな、前世で一度見た事のある、フランスのフレンチカンカンという踊りに似ているな。俺は、そんな印象を彼女達の踊りに対し抱くのと同時に、パプニカもようやくここまで復興したか、と感慨深い思いに浸った。

 

しばし師匠と俺は、軽快な音楽に合わせて踊るバニー嬢達の華麗なダンスを声もなく見つめていたが、20分ほどしたところでダンスは終了し、バニー嬢達は後方のバックヤードに引き上げていった。

 

もう少し見ていたかったな、と名残惜しい思いでステージから下がっていくバニー嬢達を見つめていた俺だったが、不意に「……ポップ。リンガイアはどうだ?」という問いかけが耳朶を打った。

 

振り返ると、師匠はグラスの中の丸い氷を指でくるくると回転させながら、俺に顔を向けていた。

 

「リンガイアですか? ええ、特に問題はありませんよ。でも、思ったより仕事が多くて大変です。顧問ってもっと楽な仕事だと思ってたんで、ちょっと驚きました」

 

そうなんだよな。顧問ってもっとこう、王様から相談されてちょこちょっと助言するだけの仕事だと思っていたのに、カミーユ君以外にもいろんな人が相談事を次々と持ち込んできて、結構大変なんだよ。エルサが秘書について交通整理してくれているからまだなんとかなっているけれど、エルサがいなかったら大変だったよ、ほんと。

 

「そうか……。リンガイアの貴族共とはどうだ? 上手くやっているか?」

 

「貴族ですか? そうですね、バウスン将軍、じゃなかった、バウスン宰相やノヴァが、貴族の人と会う時はだいたい一緒に付いていてくれているんで、特に問題なくできているかと。まあ、仲が良いかと言われると、まだそれほど……」

 

そう師匠に返事をしながら、「あ、でも……」と最近の話を師匠にする。

 

「ほんと最近なんですけどね、少しづつ貴族の人達が、俺に医療魔法をかけてくれないかって言ってきてくれ始めているんですよ」

 

俺は、最近貴族に頼まれ邸宅にお呼ばれして、貴族の家族である病人の治療を依頼され始めている事を師匠に話す。声を掛けられて希望された日に家に伺うと、確かに奥さんやお子さんが病魔に侵されていて寝込んでいるんだよな。結構重篤な状態に陥っている病人もいて、本当なら声を掛けられたらすぐにでも行きたいのに、貴族は体面を気にするのか、『申し込んですぐに来てもらっては顧問を軽んじているように周囲に受け取られるのでそれは……』、と遠慮する。ほんっと、貴族って面倒な……。

 

「ほう……。リンガイアの貴族共がそんな事を……」

 

俺の話を聞いて師匠は、グラスに注がれた琥珀色をしたウイスキーで喉を湿らせる。俺はコクっと師匠の喉が動くのを見つめていたが、師匠は何やら遠い目をして吐息を吐くように言葉を発した。

 

「ポップ……。俺はかつてパプニカで仕官していた時、パプニカの貴族共からさんざんな嫌がらせを受けた」

 

そして師匠は、俺に魔王ハドラーとの戦いの後で起こったパプニカ王宮での陰惨な嫌がらせの数々を口にした。

 

「師匠……」

 

実のところ、そう言う事があったと言う事はかつて師匠の口から簡単に聞いた事があったし、原作の知識でも知っていた。しかし、実際に詳細を聞いて俺は、何とも言えない鉛のような物を飲み込んだように感じた。店内に静かに流れるBGMが、途端に俺の耳に届かなくなる。

 

「ポップ……、貴族共には心を許すな。奴らは、お前が思っている以上に、したたかで悪辣だ。どんなに笑顔を見せて近づいてきても、その裏ではどんな事を考えているか分かったものじゃない」

 

その言葉は、リンガイアの貴族達に医療魔法の有益性が徐々に浸透し、少しずつ彼らに受け入れ始めてもらっていると感じていた俺にとって、冷や水を浴びせられたように感じた。

 

「で、でも、師匠。全部の貴族がそうじゃないでしょう? バウスン将軍だってリンガイアの大貴族ですが、俺にとても良くしてくれますよ。そ、それに、そうだ。国は違いますが、同じ貴族であるテムジンさんはどうですか? 師匠はこの間、テムジンさんから丁寧な謝罪を受けたって言っていたじゃないですか?」

 

「テムジンか……。ああ、確かにあいつは、かつてはいけ好かない奴だったが、人が変わったようだったな」

 

そうテムジンの事を語る師匠。そうだよ、師匠は大戦後にパプニカの城でテムジンに会った際、誠意のこもった謝罪を受けたって、嬉しそうに言っていたじゃないか。かつてのリンガイアの貴族に、いけ好かない連中が多かったというのは事実かもしれない。でも、そんな貴族だって、国を想う国民の一人には違いないんだ。おそらく彼らは、破壊されつくした国の有様を見て、気持ちを入れ替えようとしているんだよ。きっと、テムジンやバロンのように……。

 

「だけどな、ポップ。テムジンやバロンは例外中の例外と思え。元来、貴族って言うのは、生まれながら選民意識の強い、青い血の生き物なんだ。フローラやレオナを筆頭とした各国の王族、それにアバンやバウスン親子、後アキームもか。お前の周囲には幸いにして、王家も含めてこれまで貴族らしい青い血の思考をする貴族はいなかったかもしれん。だが、そんな貴族は本当にまれなんだ。だからポップ。油断だけはしてくれるな。良いな?」

 

俺の事を想ってくれるその師匠の言葉に、俺は「はい、分かりました……」と返事をする。だけど師匠。俺、本当の意味で貴族の事ってよく分からないよ。だって、前世の日本では貴族なんていなかったんだよ? イギリスならともかく、日本ではせいぜい『上級国民』って言葉がネットを賑わすぐらいだったんだし……。そんな俺の戸惑いを師匠は感じたのか、幾分眼光を和らげて俺を見つめた。

 

「まあ、お前はどうしても、前世の社会構造に意識が引っ張られているから、肌身では分からんか……」

 

そんな会話を師匠と交わしていると、「やっほー、お二人さん。何を真剣な顔をしているのよ? ほら、向こうで飲みなおしましょうよ」、「ふふふ、私達のステージどうだった?」と、先ほどまで一緒に飲んでいた二人のバニー嬢が戻って来たので、俺と師匠の会話はそこでお開きとなった。

 

 

 

「えー、姿を隠しちゃう魔法なんて、絶対嘘でしょう!」

 

「そうよ。エッチなお爺ちゃんとポップ君がとっても有名な魔法使いって事は知っているけど、ここは賢者の国よ。そんな魔法これまで聞いた事ないわ」

 

再びバニー嬢に挟まれる形でテーブル席で飲み始めた俺達だったが、話題はいつの間にか、つい先ほど俺達が開発した姿隠し(レムオル)の呪文に。

 

「何だと? 良いだろう、だったら、お前達に見せてやろうじゃないか。おい、ポップ。お前も一緒にやれ!」

 

先ほどカウンター席で醸し出していた大魔道士然とした姿から、ただのHなお爺ちゃんと化した師匠は、椅子から立ち上がりそう俺に声を投げかける。それに「良いですよ」と返事をして、師匠の隣に立つ俺。

 

「よし、じゃあ、いくぞ。「姿隠し(レムオル)!」」

 

俺と師匠の声を重なる。途端に俺達の姿は、俺達以外の者の瞳に映らなくなる。それに呆気にとられる二人のバニー嬢。

 

「ほ、ほんとだ……。ほんとに消えちゃった……」

 

「す、すごい……。こんな呪文があったんだ。って、もう店から出ていったんじゃない?」

 

「ばーろい。ちゃんといるよ。ほれ、ひひひ」

 

「きゃっ! ちょっ、誰!? お爺ちゃんでしょ!」

 

「もうっ! 姿を消してHな悪戯をするなんて、反則よ!」

 

姿を消した師匠が、バニー嬢の胸とお尻に次々にタッチしている。もはや幻惑手技呪文(ゴッドハンド)を唱えるまでもない。姿形が見えないのだから、やりたい放題だ。

 

(おい、ポップ。お前もやってみろよ!)

 

(い、いや、さすがにそれは……)

 

(馬鹿野郎。このために開発したんだろうがよ! ――! そうだ! ポップ、バックヤードに行くぞ!)

 

そう言って、俺の腕をわしっと掴んで歩き出す師匠。

 

(え、バックヤード? ちょ、ちょっと。何をしに行くんですか、師匠?)

 

(分かるだろうが! 今あっちじゃあ、バニー嬢が汗を流しているじゃねえか。覗きに行くんだよ!)

 

(ええ!? い、いや、それはまずいでしょう! や、やめておきましょうよ、師匠!)

 

(構やしねえよ、減るもんじゃねえんだ! ていうか、そんな事を言いながら、お前も行こうとしているじゃねぇか!)

 

(ち、違っ! こ、これは、体が勝手に! お、大神家の呪いが時空の壁を越えた!?)

 

ど、どういう事だ、これは!? 見えない何かに背中を押されているかの如く、俺の足が止まらない。

 

(ひっひっひ。大神家だか何だか知らねえが、さすがは俺の一番弟子だ! よしっ、いざ行かん、桃源郷へ!)

 

バーーーン!!

 

その時だった。突然、店の扉が音を立てて大きく開いたのは。

 

突然の大音響に、扉の方向に視線を向ける師匠と俺。そこにいたのは、今この場では絶対に会いたくないアバン荘の三女傑だった……。

 

 

 

大きく開いた扉から外の外気が店の中に入り込み、真っ白になり恐怖のあまり抜け落ちた俺の髪を数本風にさらっていく。そんな恐怖体験をしている俺の耳朶に、眼光鋭く店内を見回した彼女達の言葉が届く。

 

「いないわ……。おかしいわね、レオナの話ではまだ店から出ていないはずなのに……」

 

「いえ、マァムさん。水晶球が反応しています。近くにいるはずです……」

 

「私もそう思います。どこからかポップさんの匂いがします……」

 

入り口で仁王立ちする彼女達の発したその言葉の意味を俺の脳が理解した時、俺の髪が更に数本風にさらわれていく気がした……。間違いない、彼女達の狙いは俺だ。

 

(……ポップ)

 

もう駄目だ、死んだ……。『ポップ・マーカストン、宵闇に死す』。間違いない、明日の紙面はこんな記事が世にでるはずだ。

 

(……ポップ。おい、ポップ!)

 

(ひぃっ!? ご、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません。許してください!)

 

姿を消したままそう土下座するように地べたに座り込んだ俺を、同じく姿を消した師匠が呆れたように見下ろす。

 

(何言ってんだよ、ポップ。大丈夫だ、幸い俺達の姿は今あいつらに見えちゃいねぇ。――ずらかるぞ!)

 

なんと頼もしい師匠だろうか。透明になった師匠から後光が差しているように感じた俺。そ、そうだ。神の差配か、偶然にもマァム達が店に入ってきた時、俺達は姿隠し(レムオル)によって姿を消していた。大丈夫だ、現行犯で掴まらない限り死刑にはならないはずだ。

 

(ようやく落ち着いたか。よし、行くぞ。音を立てるな。声を上げるな。息を止めろ。俺についてこい)

 

(はいっ! 一生ついていきます、師匠!)

 

そして俺達は、この死地から逃れるための行動を開始した。

 

 

 

抜き足、差し足……。誰からも見えていないとはいえ、大魔道士と大賢者がまるで泥棒のような所業。いや、泥棒でも何でもいい。とにかくここから脱出する事だ。

 

いつの間にやら、店を訪れていた俺達以外のお客さんはその姿を消していた。無理もない。どう考えてもここは戦場だ。彼女達の脇をすり抜けるように、多くの客がこの場から立ち去っていた。大丈夫、俺達も逃げられるはずだ。

俺達には、デスカールが授けてくれた姿隠し(レムオル)があるんだ。高級な静粛性の高い絨毯が店の床一面に敷かれているのも、俺達に味方してくれていた。これなら足音を立てずにここから逃げ出せるはずだ。

 

そんな時、戦陣を組んで周囲を油断なく見渡している彼女達が言葉を発した。

 

「マァムさん。ここは私が……」

 

「エルサ? 分かったわ、お願いね」

 

その言葉と共に、エルサの突き出した右手からキラキラと氷の結晶が迸る。……? 何をしているのだろう? エルサは氷系呪文しか行使できない純然たる魔法使いだ。姿を隠した俺達を探知する魔法など使えないはずだが……。

 

っと、いけない。師匠に遅れる事無くついて行かなくては。数歩前を行く師匠に遅れまいと、足音を立てずに進む俺。

 

……その時だった。パリンッという、ガラスの割れるような音が響いたのは。途端に凍り付いたように動きを止める俺。だが、その音の発生源は俺では無かった。それは、俺の数歩前を歩く師匠の足元から発せられていた。

 

(ちょっ、師匠! それはまずいっ――)と思う間も無かった。「――そこぉっ!」の言葉と共にマァムが音の発生した方向(つまり師匠のいる場所だ)に突進し、まるで目に見えているのかと錯覚しそうなほど正確に師匠の頭にごちんっと、拳を落とした。

 

どさっ……。一言も発する事無く白目をむいた師匠が、ホールに敷かれている絨毯の上に崩れ落ちる。既に意識を手放したのだろう。姿隠し(レムオル)の呪文が解除され、その姿が露わになる師匠。

 

「やっぱりマトリフおじさんだったわね。あの音ならおじさんだと思ったわ」

 

そう独り言を言いながら、「……とすると、ポップはこの辺りかしら?」と、手で空を切るように両手を伸ばす。

 

……ごくっ。マァムの伸ばした手が俺の眼前数センチのところで空を切った。だが、幸運な事にマァムは俺とは反対の方に歩みを進め、そこで再び手を伸ばし始める。

 

あ、危なかった……。つばを飲み込む音すら発生させるのを危惧した俺は、足元に目をやって先ほど師匠が引っかかったトラップの正体に気づいた。何とクラブのホールの床の至る所に、金平糖サイズの氷の粒が散らばっているのだ。

 

しまった……。これが先ほどのエルサの狙いだったのだ。師匠はこの氷の欠片を踏んでしまった事で、彼女達にその位置を知られてしまったのだ。

 

「ポップ、いるんでしょ? 今諦めて出てきたら、一発で許し上げるわよ? でも、出てこなかったら連撃よ……?」

 

トラップに囲まれ微動だに出来ずにいる俺の耳朶に、マァムのそんな非情な宣告が届く。そのマァムの隣では、メルルが相変わらず水晶球を握り締め、「むっ……、きてます、きてます」と眉間に皺を寄せて、Mr.マリックの如くぶつぶつと呟いている。バーテンダーも含めた店のスタッフは皆、巻き込まれてはかなわぬと壁際に避難していた。

 

どうする……? マァムの言葉通り諦めるか? いや、いや……、連撃が単発になった所で、紙装甲の俺にとって大きな違いはない。どう転んでも死ぬのだ。だったら、諦めてなるものか。俺はかつて、あの絶望的な死地だった大魔宮(バーンパレス)からも生還したんだぞ。

 

グッと奥歯を噛みしめ、前方に見える外へと繋がる扉を睨みつける俺。考えろ、考えるんだ、ポップ・マーカストン。今こそ、『勇者一行(パーティー)の頭脳』と呼ばれた男の真価を発揮する時だ。

 

そして考えをまとめた俺は、ほんの少しだけ身体全体に魔力を纏わせ、ふわっと紫色の絨毯から靴底を浮かび上がらせる。ほんの数センチ。ほんの数センチだけ俺は、飛翔呪文(トベルーラ)で浮かび上がったのだ。

 

よし、いける。これなら氷の欠片を踏み抜く事は無い……! 俺は、決して空気を揺るがさないよう、ふよふよとその場から動き始める。

 

横たわる師匠の隣に辿り着いた俺は、心の中で師匠に哀悼の意を表する。

 

(すいません、師匠。師匠の亡骸を回収していく事は出来ません。でも、マァム達ならきっと師匠をねんごろに弔ってくれる事でしょう。だから俺は……行きますね!)

 

かつて大魔宮(バーンパレス)で、俺はもう一人の師からこんな言葉を投げかけられた。

 

『弟子が師を飛び超えてその先に進む事こそが、真に師が弟子に望む事なのです』

 

今、俺は師匠を超えて前に進みます。師匠もきっと、それを望んでいるはず。そして俺は、なけなしの勇気を振り絞り前へと進んだ。

 

 

しかし……。

 

俺の眼前にはいつの間に現れたのか、マァムの姿が。そのマァムの瞳は、未だ姿隠し(レムオル)の呪文が効力を発しているはずなのに、何故か俺に固定されていた。

 

な、何故……。俺は何か失敗したのか? 狼狽える俺にマァムは、目だけが笑っていない事を除けば、一見天使のように見える笑みを頬に張り付けて言った。

 

「くすっ……覚悟は出来ているわよね、ポップ?」

 

「ま、待って! 話せば分かる!!」

 

「問答無用! ――武神流 脚技! 双龍脚!!」

 

ゴファッ!

 

凄まじい風切音が俺の左耳に届いた。だが、俺がそれを認識できたのは、そこまでだった。おそらくそこから更にマァムは、追撃を繰り出したはずだが、予想の通り俺は最初の一撃目で意識を手放したようだった……。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

時は昨日まで遡る。

 

 

日が落ちたネイル村。その村の片隅にひっそりと建てられているアバン荘の木の香る真新しいダイニングで、ポップを除いたメンバーが食卓を囲んでいた。

 

「ごめんなさい、マァムさん、メルルさん。急にマトリフ様が来られて、止める間もなくポップさんを連れて行ったものですから……」

 

「もう謝らなくて良いわよ、エルサ。マトリフおじさんがマイペースなのは皆知っているわ。まあ、師弟なんだから積もる話もあるんでしょう。ポップが連絡一つ寄越さないのは、後で説教しないといけないけれど、別にそんなに心配する必要は無いわよ」

 

「ふふふ。この時間まで戻ってこない所を見ると、明日もどうなるか分かりませんね。私は明日ランカークス村でルッツ君達と大学の事でお会いしますから、ポップさんの都合が悪くなった事を伝えておきます」

 

エルサとマァム、メルルがそれぞれ食後のお茶を口にしながらそんな事を口にする。その横で、歯に青海苔を張り付けたダイが不思議そうに首を傾げる。

 

「そう言えばレオナが言っていたけれど、マトリフさんって、大魔王戦役の後エイミさん達に魔法の修業を付けてからは、ほとんど王城に来なくなったらしいよ。もしかすると、新しい呪文の開発をしているのかもしれないって言っていたけれど……」

 

それを聞いて、やはり口の周りにソースをつけたルーンが口を開く。

 

「じゃあ、もしかしたらポップの兄貴、じゃなかった、ポップさんはその新しい呪文の開発を手伝っているのかもしれないね!」

 

「ピピッ!」とそれに同意するように片翼を上げるゴメ。その横には、ポップが戻ってきた時のためにと取り分けられていたたこ焼きにちゃっかり手を伸ばし、「うま、うま♪」と舌鼓を打っているパン。

 

「「新しい呪文の開発……」」

 

そんな彼らの会話を耳にして、心配そうに眉間に皺を寄せたマァムとメルルに、エルサが首を傾げる。

 

「どうかされたのですか、マァムさん、メルルさん? マトリフ様がいらっしゃるのでしたら、以前ポップさんが身につけられていたという自己犠牲呪文などをポップさんが身につけてくる事は、心配しなくても良いのでは?」

 

まだマトリフの事を十分に理解できていない様子のエルサだったが、マァムはもちろんメルルは、既にマトリフの事は十分に理解していた。

 

「え、ええ……。その心配はしていないんだけど、別の意味の心配が……」

 

「はい……。私も何だか嫌な予感がし始めました。ダイさん、明日の朝、念のためにマトリフ様のご自宅まで瞬間移動呪文(ルーラ)で送っていただけないでしょうか?」

 

「……? うん、別に良いけど」と、不思議そうな顔をしながら、ダイはエルサと顔を見合わせていた。

 

 

 

その翌日。マトリフの自宅に様子を伺いに行ったものの二人に会えず、やきもきしていた彼女達の指輪が一斉に振動したのは、もう夜の帳がとっぷりと落ちた時刻だった。

 

ダイとルーンは、既に就寝のため自室に戻っていたが、マァム、メルル、エルサの3人は食卓を囲み、昨夜から一向に連絡一つ寄越してこない唐変木にいら立ちを募らせていた。

 

「まったく、あいつったら。いくらマトリフおじさんが一緒にいると言っても、いい加減に戻ってきなさいよね」

 

「でも、どこに行ったのでしょうね? ロモスの例の店にもいなかったですし……。エルサさん、リンガイアで、その……ポップさんが行きたがりそうなお店に心当たりはありませんか?」

 

「そうですね……、リンガイアはまだお二人が言われるようなお店は再開していないと――。……? あら、指輪が?」

 

エルサが、自身の左手の人差し指にはめている白磁の指輪に視線を落とす。そして、マァム、メルルも同じ動作を。おそらくグループメールで送られたのだろう。三人が身に着けている白磁の指輪の表面を、青い文字で綴られた同じメッセージが右から左に流れていく。差出人はレオナ。そのメッセージは簡潔にこう記されていた。

 

『変態師弟発見。出没場所は、パプニカ “月のバニー”』

 

3人の頬がひくっと引きつるように動いた。『月のバニー』……。どのような店なのかは知らないが、名は体を表す。ロモスの町で同じ固有名詞を含む店を経験したマァムとメルルには、それは自明の事だった。そして二人より幾分年上のエルサも、その店の想像がついた。

 

「マァムさん、メルルさん! 行きましょう!」

 

がたっと椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がるエルサ。しかし、マァムとメルルは複雑そうに互いに顔を見合わせるだけだった。

 

「どうかされましたか……?」

 

そのエルサの問いかけに、マァムとメルルはかつてロモスの夜の町で起こった話をする。

 

「情報収集……。なるほど、それなら仕方ないですね。私もお二人に倣ってポップさんの事を信じる事にします。それに、私もその方のいう通り、女性としての器の大きさを見せないといけませんし」

 

そう笑みを浮かべるエルサに、マァムとメルルは微笑みかける。しかし、再び指輪にメッセージが送信される。それはレオナからの第2報だった。

 

『変態師弟のバニー嬢へのタッチ数。バスト4回、ヒップ3回』

 

ゆらり……。背中から黒い炎を立ち上がらせた3人が静かに立ち上がる。どうやら彼女達のいう女性の器とやらはそのメッセージによって一瞬で決壊し、黒い激情が外にあふれ出したようだった……。

 

 

 

マトリフおじさんは、これで良いわね。ふんっ、と荒い鼻息をついて息を整えたマァムの足もとには、頭に大きなたんこぶをこしらえて白目をむいて倒れる大魔道士がいた。

 

さあ、後はポップ。そう考えたマァムは、どうせポップはおじさんの近くにいるのだろうと判断したのか、周囲に手を伸ばしてみるが、その手は空を切るだけだった。

 

マァムが厳しい目で周囲を伺っていると、メルルが彼女の勝負服である武闘着の裾をくいくい、と引っ張りながら「マ、マァムさん……。あれを、ご覧ください……」と口にする。

 

「どうしたの、メル――。……」

 

マァムは二の句を告げる事が出来なかった。メルルも、エルサも、そして壁際に避難している店のスタッフ達を含めた皆の視線が一点に集中していた。

 

そこには、まるで蛍の光のように緑色の光を発する何かがゆっくりと、しかし確実に外に繋がる扉に向かって浮遊している姿があった。

 

マァムがその光を見まがうはずが無かった。その光は、大魔王戦役の末期に伝説の破邪呪文、ミナカトールを発動させた5つの光のうちの一つ。そう、それは、紛れもなく勇気の光だった。

 

 

 

一瞬で左右同時に蹴撃を繰り出す武神流の奥義の一つである双龍脚をポップに放ったマァム。彼女は残心をしつつ、ふーと、息を吐いた。

 

しまったわ、一撃で意識を刈り取ってしまった。ポップが悪いのよ。クロコダインやヒュンケルよりも、ううん、下手をしたらバーンと戦っていた時よりも強い勇気の光を放つものだから、誰にそんなに恐怖を抱いているのよ、と思ったらついつい力が入って……。やっぱりメルル? ううん、意外にエルサかしら? まさか私じゃないわよね? この件は後で問い詰めないといけないわね……。

 

そんな事を考えながら、崩れ落ちたポップの身体を、まるで麻袋を扱うかのように肩に担ぐマァム。さて、おじさんは……、と彼女が地上界最強の大魔道士に視線を向けると、いつ目が覚めていたのか先ほどまで失神していたマトリフが「やれやれ……」とローブをはたきながら起き上がるところだった。

 

「「「マトリフおじさん(様)……」」」と、三人が呟くのを手で制しながら、マトリフは窓際にいたスタッフの一人を手招きし、懐から取り出した紙幣を握らせる。「こいつは迷惑料だ。とっときな」と声を掛けながら。

 

そしてマトリフは、三人、とりわけエルサに視線を固定し声を掛けた。

 

「お前は確か、エルサだったな? リンガイアでポップの秘書をやっている……」

 

「……は、はい! バウスン宰相のご厚意でそのような仕事をさせていただいています」

 

その答えにマトリフはゆっくりと頷く。

 

「そうか。なら、お前に言っておく。リンガイアでは、ポップの側から片時も離れるな。良いな?」

 

「離れるな……? あの、私は誰かに狙われているのですか? でも、私なんかを狙っても誰も得をしないと思いますが……」

 

「……違う。狙われているのは、お前じゃねえ。ポップだ」

 

「「「――!?」」」

 

その言葉に、彼女達の間に緊張が走る。それを気にした素振りも見せず、マトリフは意識を失いマァムに担がれた弟子に視線を投げかけながら続ける。

 

「こいつは、明日の事はよく見える。明後日もだ。だが、今日の事はよく見えてねぇ。遠くばかりを見つめていたら、足元にある小石に躓く事になる。お前は、できるだけこいつの側にいて、こいつに見えてねえ、いや、見えずらい小石を取り除いてやってくれ。それが俺からの頼みだ。聞いてくれるか?」

 

弟子を想うその真摯な言葉に打たれたエルサは、マトリフに対して「はい、必ず! これからは、リンガイアでは、ポップさんから片時も離れません」と応える。

 

エルサは、どうしてもポップに対して遠慮していた。自分が、マァムやメルルといった既にポップと心の通じ合った二人の間に半ば無理やり割り込んだ事を、ポップが迷惑に感じてはいないか、という思いをどうしても捨て切れられずに……。

 

だけど今、ポップにとっての師であるマトリフに、自分のやるべき事をはっきりと与えられた事で、その遠慮が薄れたと感じていた。昨日までは、「良いよ、良いよ、すぐ戻るから」と一人でヒョイヒョイと行動しがちだったポップだが、これからは、どれほど嫌な顔をされても側についていようと、心に誓った。ポップさんに守られるためじゃない。ポップさんを守るために……!

 

「くくっ。良い返事だ。それじゃあ、任せたぜ」

 

そう言ってマトリフは、片手を上げてマァム達に別れの言葉をかけ、悠々と店から出ていった。その後ろ姿を見つめていた彼女達だったが、不意にマァムがボソッと呟いた。

 

「あ……逃げられた……」と。

 

 

 

翌朝、ネイル村のアバン荘の自室で、痛む左右の頬を抑えながら目覚めるポップ。目覚めてすぐに彼は、自身の保有する呪文の中から、苦心の末に習得した姿隠し(レムオル)が消えている事に気づき、人知れず涙を零した。

 

 

 

~~~~後日 カール王城でのとあるやり取り~~~~

 

 

「アバン先生、こんにちは」

 

「おや、ポップ。今日はどうしましたか? 顔が随分と腫れていますが……」

 

「顔の事はお気になさらず……。それより、ちょっとアバン先生に、この『アバンのしるし』の事で尋ねたい事がありまして……」

 

「ふむふむ」

 

「このしるし、光って欲しい時には光らないのに、光らなくていい時は光るんですけど、どこか壊れてません? ていうか、嫌がらせですか?」

 

「嫌がらせなどと、何を言っているのですか。私があなたに嫌がらせをした事が、これまでに一度でもありましたか?」

 

「ミサンガの意味を教えてくれなかった件といい、知らぬ間に人間砲弾の弾頭に推薦されていた件といい、一度ならず嫌がらせを受けた覚えがありますが……」と、ぶつぶつと恨み言を口にするポップに苦笑しながら、ポップから手渡されたアバンのしるしを検分するアバン。

 

「ふむ、特におかしなところはありませんよ。お返ししますよ、ポップ。それはそうと、ポップ達が活動している新しい学び舎の件ですが、いつから入学希望の募集をかける予定なのですか?」

 

返されたアバンのしるしを首にかけながら、ポップはアバンに返事をする。

 

「大学ですか? それなら、後1か月もしないうちに各国に通知を出す予定です。……それが何か?」

 

「いえ、特に何もありません。ふふふ、ちょっと気になったもので。それより、せっかく来たんです。フローラが喜びますので、会ってやって下さい」

 

「はあ……」

 

 

 

後日、各国から戻ってきた大学への入学希望者リストを確認し、「また先生にやられた……」と額に手を当てるポップだった。

 

 

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