~~~~大魔王戦役終結から30年後~~~~
ホルキア大陸の南海岸に位置する海港都市パプニカ。その町の北東にある高台には、大魔王戦役中に再建されたパプニカの王城が当時と変わらぬ姿のまま存在している。
また、その高台から見下ろす海岸は、色鮮やかな建物が重なるように立ち並ぶ城下町とエメラルドブルーの海とのコントラストが相まり、世界一美しい海岸線と讃えられている。
その海港都市パプニカの海に面した南区には、各国から訪れた商船が整然と停泊する港に加えて、ドムを含めた様々な海産物を取り扱う魚市場が併設されていた。そして中央区に目を移せば、この町の特産品である縫製品や宝飾品、あるいはパプニカブランドで名高いガーネットワインを始めとした様々な嗜好品を扱う商業区画が集中しており、その区画を多くの人や荷馬車がせわしなく行きかっていた。
その中央区に整然と立ち並ぶ商業店舗のうち、大通りから一本入った通りにある、シックな色合いの店の裏口がカチャリと開き、一人の赤毛の女性が姿を現した。
その女性は、まだ甘い葡萄の香りが僅かに残る空のワイン瓶を束ねたケースを、店舗裏の一隅に積み重ねるように置き、ふー、と額に浮かぶ汗を拭いながら一息ついた。彼女の頬には西日が差し込み、薄く化粧を施したその頬を茜色に染め上げていた。
「今年の夏は暑くなりそうね……。イエッタ氷屋組合に多めに氷を発注した方が良いかしら」
一人そんな事を口走っていた彼女の背中に、不意に声が投げかけられる。
「あの……、もしかしてルイーダさんでしょうか? 『月のバニー』の?」
「ええ……、そうですが、……あなたは?」と、ルイーダと声をかけられた女性は、成人してからこれまでの三十年余に及ぶ営業で自然と身についた社交的な笑みを顔に張り付けながら振り返る。そこには、20代前半と思わしき一人の青年が。
その青年は、小さめの黒いバッグを、袖まくりした白いワイシャツの肩にかけ、額から浮き出た玉のような汗をハンカチで拭いながらルイーダを見つめていた。
「ああ、良かった。事前に手紙をお送りさせて頂いておりましたが、私、ウエスト・ギルドメイン新聞社で専属記者をやらせてもらっていますワーナー・ブレインと申します。初めまして、ルイーダさん。弊社の大魔王戦役終結30周年記念企画である『時代を彩った英雄達 彼らの今を訪ねて』についての取材に、ご協力頂いてよろしいでしょうか?」
その言葉を聞いてルイーダは、数週間前に届いていた手紙を頭に思い起こし、得心がいったように「ああ、あなたが……」と呟き、直ぐに「どうぞ、表に回って、入ってらして」と涼やかな声を発した。
まだ日が完全に落ちていない営業前の『月のバニー』店内では、数名のスタッフが開店に向けてテーブルの拭き掃除や、椅子を整然と並べたりと、忙しそうに立ち働いていた。また、店舗奥の広い空間に鎮座しているステージに目を移せば、私服姿の女性ダンサー達が、時折流れる音楽に合わせて踊りの練習に余念がない様子だった。
「何が良いかしら? 仕事中でしょうから、余り強くないお酒が良いわよね? ハイボールで良い?」
こういった店の営業時間前の様子を物珍しそうに見つめていたワーナーだったが、カウンターの向こう側より投げ掛けられた言葉に、ステージから視線を剥がして振り返った。
「ああ、すいません。営業前のお忙しい時間にお邪魔してしまい。ハイボール、おかまいなければ、ぜひ頂きたいです。ハイボール発祥の店と言われるこちらで頂けるなんて、ベンガーナに戻ったら同僚に羨ましがられます」
「ふふふ。発祥は発祥だけど、今ではどこの国でも飲めるじゃない」と、言葉を返しながら慣れた手つきで氷の入ったグラスにウイスキーと炭酸を順に注ぎ、マドラーでそれをかき回すルイーダ。
「はい、どうぞ」
ルイーダは、微細な気泡がグラスの底からシュワシュワと表面に浮かび上がる様が涼しげなグラスを、カウンター席の端に腰を下ろしているワーナーの前にそっと置く。
よほど喉が渇いていたのか、「ああ、ありがとうございます。それでは、遠慮無く」と、その言葉通り遠慮なくグラスに手を伸ばし、それを口元に運ぶワーナー。彼の喉がこくっ、こくっと動き、グラスの中の液体を半分ほど飲み干した所でようやくグラスを口から離し、恍惚とした表情をルイーダに向ける。
「ああ、陸に上がって初めて頂く飲み物でしたから、五臓六腑に染み渡ります。とても美味しいです、ルイーダさん」
「そういえば、今日はラインリバー大陸からの定期船が到着する日だったわね。船から下りて直ぐにこちらに来たのかしら? あ、でも定期船は昼前後には着いたはずよね?」
「はい、港に着いた後、まずはパプニカの王城に行って、レオナ女王とダイ殿下に面談するアポイントを取らせて頂きました。その足で『ホルキア南海岸の宝石』と名高いパプニカの街並みを見物させていただきながら、こちらに来させて頂いた次第で。幸いお二人とは、明日の夕刻に面談出来る運びとなりました」
「あら、そうなの。それは良かったわね。でも、そうなると、明日は夕刻まで時間を持て余すわね」
そのルイーダの言葉に、ワーナーは「いえいえ」と手をパタパタと振る。
「ベンガーナのクルテマッカⅧ世国王に面談の申請をすれば、1週間ほど待たされたりする事はざらですよ。それに比べれば、自国でもない他国の民間人に、面談を申し込んだ翌日に会っていただけるなんて、破格の待遇と言えます。
せっかく社命でホルキア大陸に来たのですから、明日は地底魔城見学の半日ツアーに参加した後、女王夫妻が結婚式を挙げられたという大聖堂の中を見物しようと思っています。あ、もちろん大戦の慰霊を祭った勇者の丘にも足を運ぶ予定ですが」
「そう。大聖堂はちょっと大変だけど、最上階まで自分の足で登ってみる事をお勧めするわ。大戦時にパプニカの町を襲撃した鬼岩城が、どれほどの大きさだったのか分かるんじゃないかしら」
「鬼岩城……ですか。当時12歳だったダイ殿下が勇者の剣で一刀両断したと伝わる魔王軍の拠点だった城ですね。吟遊詩人の奏でる歌を聞いた事や、実際にそれを目撃した方から何度か話を伺った事がありますし、壁画で拝見した事もありますが、本当にあの大聖堂に匹敵するほどの巨大さだったんですか?」
ルイーダは、自身が20代半ばで実際に目にした鬼岩城の大きさを説明するが、当時まだ生まれてもいなかったワーナーにはそれを実感する事が難しかったようだ。
「まあ、詳しい話はあれと直接対峙したダイ殿下とレオナ女王に明日直接伺うと良いわ。ラインリバー大陸からこられたと言う事は、ポップ君やマァムちゃん達の取材はもう終わったのかしら?」と問いかけた。
『氷の大賢者』という名で知られる不世出の魔術師であり、同時に新生リンガイア王国の実質的な宰相の地位にあるポップ・マーカストンと、武神流の後継者であるマァム・マーカストンを“君”や“ちゃん”を付けて呼ぶ目の前の女傑に、ワーナーは頬を幾分引きつらせながら答える。
「え、ええ。時間の都合上マァム師範とはロモスにある彼女の道場で、ポップ大賢者とメルルさん、それにエルサさんにはネイル村のご自宅で取材をさせていただきました。ポップ大賢者は今でもよくこちらに?」
「ええ、たまにダイ殿下……、呼びにくいからいつもの通りダイ君と呼ぶわね。ダイ君と来ているわよ。ふふふ。あの子達との付き合いは、もうかれこれ30年ぐらいになるかしら」
「ダイ殿下も、こちらに来られるのですか!?」と驚くワーナーに、ルイーダは咎める視線を向ける。
「あら、心外ね。うちはそりゃあ、女の子にちょっときわどい格好で接客させたり、踊らせたりしているけど、お触りとかは禁止しているから真っ当な商売をしている方よ」
「そ、そうですか。でも、あの悋気が強いと噂されるレオナ女王がよくそれを許していますね?」
「ぷっ。初めてダイ君がこの店に来た時は、それは大変だったわよ」
「えっ! そ、それはどのようなものだったのですか!?」
まさにそのような小話が聞きたくてこの店も取材対象として来訪していたワーナーは、手帳を手にカウンターの向こう側に身を乗り出すように前のめりになる。
「ふふふ。焦らないの。そうね、あれは、レオナ女王とダイ君の結婚前夜だったわね……。事前にポップ君が店を貸し切りさせて欲しいって言ってきて、その夜『独身最後の夜を満喫するぞっ』って、二人そろって来店したのよ」
「ふむふむ。それで?」
「しばらく二人は店の女の子を交えて楽しそうに会話していたんだけど、そりゃあ、来るわよね。女王が。だってここは、あの子のお膝元なんだもの。くすくすくす」
あの子……。大魔王と直接対峙するほどの胆力を備え、今では長い歴史を有するパプニカ王国の歴代君主の中でも英邁闊達さでは比肩する者無しと評される女王まであの子呼ばわりか、と目の前の女性に対する認識を更に上方修正しながら、ワーナーは続きを促す。
「でもね、その日はポップ君が上手だったの。彼ったら、あの子が来る事まで想定して店を貸し切りしていたのよ。女王が店に乗り込んでくると、多分ポップ君が色々と仕込んでいたんでしょうね。たった二人しかお客さんのいなかった店に、次々にお客さんが転移してきたの。
それもやってきたのは人間だけじゃ無いわよ。銀色の身体の戦士達や、リザードマン、鬼面道士や大ネズミといったたくさんの魔物達、耳の欠損した戦士もいたかな、とにかくたくさんの人達。多分皆、ダイ君の近しいお友達だったのでしょうね」
ルイーダが遠くを見るような視線で店内を見回す。
「それからは大宴会、ううん、あれは1日早い結婚披露宴だったわね。ポップ君の演奏で皆がステージの上で踊ったり、歌ったり……。ぷっ。
「なるほど、それは実に楽しそうですね。ああ、そうか。もしかしてその日のパーティーが起因になって、ルイーダさんは『魔物使いのルイーダ』という異名で呼ばれるようになったんですね?」
コロコロと笑っていたルイーダだったが、ワーナーのその言葉に、一転して目を細めて彼をねめつける。
「それはちょっと納得いかないわね。私はただ、パーティーの後、現れた魔物達に店の片付けを手伝わせただけよ。それが『魔物使いのルイーダ』と呼ばれる原因になるなんて」
ふふふ、と笑みを浮かべながら、ルイーダの話をメモに書き留めたワーナーは、「それでは、この店への来店は、ポップ大賢者にとってもダイ殿下にとっても奥様方に公認されたと?」と尋ねる。その問いかけにルイーダは、指先を顎に当てて首を傾ける。
「公認……は、どうかしら? 若い時はやっぱり、時々怒り心頭のマァムちゃん達やレオナ女王があの子達、特にポップ君を連行……、ううん、迎えに来ていたわね。あ、でも最近はあまりそう言うことも無いから、今は公認状態なのかしら? まあ、もう二人ともそれぞれ成人した子供のいる歳だものね……」
そう言いながらもルイーダは、「それでも時々時間を気にしているから、門限はあるみたいだけどね」とか、「あまり帰りが遅いと、殺気立った様子の奥様達が迎えに来る事は今でもたまにあるわね」と続ける。
1週間程前に大賢者の自宅で会った、虫も殺さないのではと思えるほど可憐で優しげだったメルルと殺気立つという言葉がワーナーの中でどうしても繋がらなかったが、彼はいったんペンを置き、周囲に視線を走らせた。
そしてその泳がせていた視線が、店の壁に掛けられた1枚の色紙に固定される。
「あの、ルイーダさん。あれってもしかして……」
その声に、ルイーダも壁に掛けられた色紙に視線を投げかけ、こくりと頷く。
「ええ、マトリフちゃんとポップ君のサイン入りの色紙よ。ふふふ。二人のサインが並んだ色紙は、世界広しと言えど、この店にしかない貴重品なのよ」
「ええ、本当にその通りですね」と、色紙を見つめながら感極まったようにワーナーが呟く。酒が入っていたためなのか、色あせないよう額縁に入った色紙に記されたその筆跡は、両者ともに幾分崩れていた。
それは、その出会い自体が奇跡と呼ばれ、その出会いが無ければ大魔王戦役の勝利は無かったとまで謳われる彼らが、確かにこの大地で人生を交差させた確かな証明であった。
「お二人は、いつもここでどのような会話を?」
「そうねー、それはもう色々よ。女の子と楽しく言葉を交わす日もあれば、魔法談議で盛り上がる日もあったり……。ああ、スライムとスライムベスはどちらが格上かで揉めている日もあったかな。ふふふ、あれは何だったのかしら。偉人の考える事は凡人には到底理解できないわ」
「なるほど……。しかし、それほど仲の良かったお二人でしたら、やはり別れはつらかったのでしょうね。大賢者ポップは、大魔道士マトリフ殿の逝去から1か月以上の長きにわたって表舞台から姿を消していたという記録を目にした事がありますが……」
「そうね……」と、在りし日を思い浮かべるように遠い目をするルイーダ。そのルイーダがポンと手を打ち、「一つ面白い話をしてあげましょうか」と、いたずらっぽく微笑んだので、ワーナーは「是非!」と、目を輝かせてペンを構える。
「そう、それじゃあ。……あれは、マトリフちゃんが亡くなってから、初めてポップ君がこの店に来た日だったわ」
ルイーダの口から語られた知られざるエピソード。それは、こんな内容だった。
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カラン、カラン……。
扉の開いた音で、ルイーダは「いらっしゃ――」と言葉を途中まで発したところで、驚きで口を押えた。
「ポップ君……」
「お久しぶりです、ルイーダさん。皆さんも……」と、ルイーダに視線を投げかけ、次いでその隣のバーテンダーや、彼の来店に気づいた様子のバニー嬢に声をかけるポップ。
そのままポップはカウンターの端から二つ目の椅子に腰を下ろしハイボールを注文した後、「それと、ウイスキーをオン・ザ・ロックで。あの干し葡萄の香りの強い奴。……分かりますか?」とバーテンダーに問いかける。
ポップの意図を察したバーテンダーは無言のままこくりと頷き、まずポップの前にハイボールを滑らせ、次いでポップの隣のカウンターの端の席にウイスキーグラスをそっと置いた。
そこは、在りし日の彼の師の定位置。
フッと憂いのある笑みを浮かべたポップは、そのまま一人カウンターに肘をつき、自身のグラスをテーブルの上のグラスに軽く当てた後、口元へ運んだ。そんな彼の背後から数人のバニー嬢が近づくが、カウンターの内側にいたルイーダが、それを視線で止める。
ルイーダは分かっていたのだ。今日の彼が、誰との会話を求めてこの店に来たのかを……。ルイーダも、バーテンダーのレイモンドも、故人と声なき言葉を交わす彼の邪魔をしないよう、一定の距離を保ち見守る。
どれほど時が過ぎただろうか。俯き加減に喉を湿らせていたポップが顔を上げた。その様子を見て、ルイーダが「もう良いの、ポップ君?」と声をかける。
「はい……」
「そう。ちょっと痩せたんじゃない、ポップ君? ちゃんと食べてたの? 奥さん達には、ちゃんと知らせているんでしょうね? 彼女達、とても心配していたわよ?」
「はい、妻達にもここに来る前に連絡しました。もう49日も過ぎたし、マァムのお腹には子供もいます。あと数か月もすれば父親になるっていうのに、いつまでも塞いでいるわけにはいかないですから」
「そうよ、ポップ君。大地に帰っていく命があれば、大地に芽吹く新たな命もある。そんな命の循環を、この大地はずぅっと昔から見守っているのよ。……って、ふふふ。その大地を守った君に、私なんかが偉そうな事を言っていたらいけないわね」
そう言ってペロッと舌を出し、笑みを浮かべるルイーダ。
「いえ……、とんでもないです。本当にそうですね。そんな生き方を望んでいたはずなのに、身近な人が亡くなっただけで動揺するなんて……。はーー。本当に自分の弱さが嫌になります」
そう言って、いっそう肩を落とした素振りをするポップ。そんなポップに、彼より幾分年長のルイーダが諭すように声を掛ける。
「駄目よ、ポップ君。その弱さが、君を君らしくしているんだから。弱さを嘆いては駄目」
ルイーダの発した言葉の何かがポップの琴線に触れたのか、彼は身に着けていたみかわしの服の袖を目元に当てそっと拭い、ルイーダはそれに気づかない素振りをする。
「はい、ありがとうございます、ルイーダさん」
その後二人は故人を偲び言葉を交わすが、不意にポップが「そう言えば……」、とルイーダに尋ねた。
「師匠の葬儀にはルイーダさん達は参列されたんですか?」
「それがね……、皆で大聖堂までお花を持って行ったんだけど、マトリフちゃんの葬儀って各国のお偉いさんばかりだったじゃない? 私達、気後れしちゃって。それに皆が着ているような立派な喪服も私達持ってないし。だからマトリフちゃんには悪いけれど、遠くから手を合わせて、献花せずに帰ってきちゃった」
「そうだったんですか。そんなの気にしなくて良かったのに……」と応えながら、突然ポップが「そうだっ!」と声を上げた。
「皆さん、良かったら師匠のお墓に献花に行きませんか?」
「お墓って……、勇者の丘の事?」
大魔王戦役で没した英霊を祭った石柱がある勇者の丘を想像したルイーダが、首を傾げながらポップに問いかける。
「いえ、勇者の丘ではありません。正真正銘、師匠の身体を収めたお墓です。ホルキア大陸じゃないのでちょっと歩いていける所ではありませんが、俺なら
「あら、良いわね、それ! 皆喜ぶわ! あ、でもポップ君。私達こんな格好よ? お墓参りにこんな格好で行って良いのかしら?」
そう言って、自身が身に纏っている胸元が大きく開いた煽情的なドレスと、奥のステージで踊っているバニー嬢に交互に視線を投げて不安そうに問いかけるルイーダだったが、それをポップが「ははは」、と軽く笑い飛ばす。
「何を言っているんですか、ルイーダさん。師匠の墓参りですよ。逆に露出の少ない服で行ったら、『何しに来たんだ、お前ら』って師匠が文句を言いますよ」
「まあっ、それもそうね。くすくすくす」
そしてポップは、明日の早朝、店がはけた後迎えに来るとルイーダに約束して自宅に戻っていった。
「へえ、いい風の吹く丘ね、ここは……」
「すっごーい。私、初めて
そこは見晴らしの良い丘の上の草原だった。良い風の吹くその緑の絨毯の上で、ドレス姿のルイーダを筆頭に、バニー嬢やバーテンダーといった『月のバニー』のスタッフ20名弱が、初めて見る景色に目を細めていた。
「あっ、あの山の麓に町があるわよ! ポップ君、あれ、なんていう町?」
遠くに見える山頂が削り取られたような山の麓に小さな町が存在する事に気づいた一人のバニー嬢が、そちらを指さしながらポップを振り返る。
「ああ、あれはギュータという名の町です」
「ギュータ? そんな町の名前は、聞いた事がありませんね」
仕事がら世界各地の情報に通じるバーテンダーのレイモンドが、不思議そうに首を傾げる。
「そうでしょうね。あまり積極的には外部と接触しない町ですから、知らなくても無理はないと思います。俺も、師匠に紹介されなかったら知らなかったくらいです。そんな事より、目的の場所はあちらですよ」
ポップがそう言って、少し離れた場所で寄り添うように建てられている2つの白い石柱を指さすと、皆がそちらに意識を向けた。
「これがマトリフちゃんのお墓……。もうお花が供えられているわね。あの町の人達かしら?」
『地上界最強の大魔道士 マトリフ・サザーランド ここに眠る』と刻まれた石柱の周囲に集まる『月のバニー』の面々。
「どうでしょう? 確かにこの墓の墓守はあの町の方々がかって出てくれていますが、この花はカールの国花です。もしかしたら、僕達と同じように遠方から墓参りに来た人がいたのかもしれませんね」
ポップの言葉に数名のバニー嬢が「ふーん……」と頷きながら、マトリフ・サザーランドと記された墓の隣の墓に視線を投げかける。
「こっちのお墓には、『聖地ギュータ最後の里長 カノン ここに眠る』って、書いてあるわね。あ、側碑には、『悠遠の彼方で会わむ いつの日か』って書いてある……。ふーーん。マトリフお爺ちゃんったら、私達にあれだけHな悪戯をしておいて、本命がちゃんといたんだ」
「ねー、ちょっと信じられないわよね。お爺ちゃん、私にいつもお前が一番だって言ってたのに……!」
次々にジトッとした目をマトリフの墓に向けるバニー嬢達だったが、ルイーダが白い花を一輪手に持ち、マトリフの墓の前に歩み出て片膝をついた。
「ふふふ。私は、マトリフちゃんの心の中を誰か一人の女性が占めていた事に気づいていたわよ」
そしてルイーダはその花をそっとマトリフの墓前に供え、静かに手を合わせた。皆がその様子を静かに見守る。
そしてルイーダがその場を譲ると、皆がルイーダ同様に用意していた花を手に持ち、次々にマトリフの墓の前に立つ。ただ、男性スタッフはさておき、バニー嬢達はやはり思う所があったようだった。
「ふふふ。マトリフお爺ちゃん、とっても楽しかったよ。これは私からのささやかなお礼。受け取ってね。ちゅっ♪」
「マトリフちゃん、あの時店までしつこく追いかけて来た元カレから助けてくれてありがとうね。私、今度こそマトリフちゃんが嫉妬するような良い彼氏を捕まえるからね」
「マトリフお爺ちゃん、私、ときどきお爺ちゃんが姿を消して着替えを覗きに来ていた事に気づいてたのよ。ふふふ、私の着替えの見学料は安くないのに、ただ見していっちゃうんだから。だからこれは、私からの仕返し。天国でカノンさんに絞られると良いわ」
別れの言葉を告げた後、次々と彼女達はマトリフの墓石に口づけをしたり、抱きしめたりしていく。
「まったくもう……、あなた達ったら。せっかくポップ君がこんな機会を作ってくれたのに。ごめんなさいね、ポップ君」
ルイーダが皆の所作に苦笑いを浮かべながら、隣に立つポップに詫びるが、そのポップは実に嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「いえ、とんでもないです。やっぱり師匠へのお悔やみの言葉は、こうでなくちゃいけません。偉い人達の格式ばった別れの言葉なんて、師匠には似合いませんから」
「くすっ、それもそうね。今頃マトリフちゃん、カノンさんに平身低頭で謝っている頃かしら?」
「ええ、きっと。あ、でも、もしかすると師匠、ちょっと寄り道してスライム道を歩んでいる可能性もあるのかな……?」
「……?」
ポップの言葉の意味が分からなかったのか、不思議そうな表情を顔に浮かべるルイーダだったが、「そう言えば……」と続ける。
「ねえ、ポップ君。マトリフちゃんはお別れの時、君に何か言葉を残してくれた?」
その問いかけにポップは、ふっと柔和な笑みを浮かべて雲一つない蒼天の空に視線を向ける。
「……ええ。師匠は最後に、『俺に会いたくなったら、俺の残した術式を見ろ。俺はいつもそこにいる』と……」
「そう。ふふ、良いわね、あなた達は。魔法があなた達をいつまでも繋いでくれていて」
ルイーダの言葉にポップが深く頷き返した時、麓の方から「ポップ君、いらっしゃい! 今日は大勢ね!」という声が彼らの下に届いた。
それに気づいたポップが背後を振り返り、大きく手を振り叫ぶ。
「ああ、チョコマさん、こんにちは! お世話になっていたばかりなのに、またお邪魔しちゃいました!」
麓の方からは、見慣れない紋様の描かれたローブを纏った20代と思わしき美しい女性を先頭に、数人の男女が昇ってくるところだった。
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ルイーダの語ってくれたエピソードを手帳に書き込んだワーナーは、顔を上げる。
「大魔道士マトリフの墓参りですか……。そんな事があったのですね。彼のご遺体が納められた本当の墓石がどこにあるのかは、これまで公表されていませんでしたが、そんな所に……。あの、その場所までは……?」
「高原の周囲に繁茂していた植物と、眼前に見えた特徴的な山の形状からだいたいの場所の推測はできるけれど、そこまでは言えないわね。下手に皆に知られて、ようやく彼女さんと2人きりになれたマトリフちゃんの眠りを邪魔したくないもの……」
「そう……ですか。いえ、その通りですね。貴重な話を聞かせていただき、ありがとうござました、ルイーダさん」
そう言ってワーナーは周囲を見渡す。思いのほか長く話を聞かせてもらったためか、既に『月のバニー』は営業を開始していたようで、テーブル席のいくつかにはもうお客が付いていた。
「これは取材料です、ルイーダさん」と、懐から厚みの感じられる茶封筒を取り出しルイーダに渡そうとするワーナー。だが……。
「それは受け取れないわ……」
ルイーダは、カウンターの上に置かれた茶封筒をそっとワーナーの前に押しやる。
「ですが……」と食い下がるワーナーに、ルイーダはフッと笑みを浮かべ首を振る。
「良いのよ。でも、一つだけ私の希望を聞いてくれるかしら?」
「は……、何でしょうか?」と、幾分表情を改めて問いかけるワーナー。
「大魔王戦役が勃発した時、あなたはまだこの世界に生まれてもいなかった。だから、どうしてもあの大戦を勝利に導いた人達をあなたが英雄視してしまうのは、分からないでも無いわ……」
「……」
「でもね、私は、彼らを完全無欠の英雄だったと記録に残すのではなく、時に笑い、時に涙する、失敗も、成功もした血肉の通った人物だったと、後世に残して欲しいわ。
いつか遠い未来に、彼らと直接接しなくとも、あなたの書いた記事を読む事で、伝説上の英雄達も自分と変わらない弱い一人の人間だったんだ、と思ってもらえるような……」
ワーナーは、重たい命題をルイーダから与えられたように感じた。しかし、ルイーダの言う通り、遠い未来に彼ら彼女達の事を直接的に知らない人達に、大魔王の脅威に抗った英雄達が時に悩み、傷つき、それでもひたむきに前を向いて運命に抗った人達だったと知ってもらう事は、彼らと同じ時代に生きた人間の義務のように思えた。
だからワーナーは、ルイーダに「はい、きっとルイーダさんに満足してもらえる記事にしてみます!」と、返事をして席を立った。
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『時代を彩った英雄達 彼らの今を訪ねて』
大魔王戦役終結30周年を記念して発行された全13回を数えるこの一連の記事は、紙面掲載の翌年に一冊の書物にまとめられ発刊された。その書物は、大魔王戦役から150年が過ぎた今でも現存する全ての国の図書館に必ず蔵書されていると言っていいほど重版を重ね、幅広い年齢層に認知されている。
この書物の出版元であるウエスト・ギルドメイン新聞社以外にも、当時多くの出版社が大魔王戦役時代の英雄を扱った記事や書物を残している。
しかし、この書物ほど英雄達の人となりを正確に後世に向けて残した書物は存在しないと、人語を介する魔物や魔族といった在りし日の彼らを知る者達が口をそろえており、その理由の一つとして、閑話という形で幕間に差し込まれた各英雄の知られざるエピソードがあげられている。
それらのエピソードを紹介する前に、あなたはご存じだろうか? カール王国のカール国立劇場で現在も定期的に上演され人気を博している『セシル王子の嫁取り物語』【注釈1】も、本書に掲載されたエピソードを元にした劇であるという事を。
もしあなたがいつかカール国立劇場に足を運ぶ機会があったら、2階踊り場から東通路の間の壁にかけられている写真を探してみると良い。その写真に写っているのは、大魔王戦役終結の38年後に初めて上演された『セシル王子の嫁取り物語』お披露目公演に特別ゲストとして招かれた、フローラ殿下夫妻と大賢者ポップ夫妻の姿である。
その他にも、詳細な取材をもとに書き加えられた『レオナ姫の休日』【注釈2】や、『勇者ダイの弟子』【注釈3】、『武闘家マァムの遠吠え』【注釈4】などのエピソードも根強い人気を得ている。
この書物は、在りし日の英雄達を神聖視する一部の歴史家にはあえて無視をされる類ではあるものの、本書に外部監修として携わり、本書物が発刊される際の推薦文を依頼されたポップ・マーカストンは、以下の言葉を本書に贈っている。
『おかしな期待を抱かれてはいけないため、最初に言っておく。この本には、ほんの少しの過ちも犯さない完全無欠な人間は、一切登場しない。だけど、今この本を手に取っている君が、この本の中のどこかに確かにいるはずである。
この本を読み終わった時、君が助けを求めている誰かに手を指し伸ばしたくなる事を、あるいは、君を助けようと手を伸ばしている誰かの手を君が掴む事を考えてくれたなら、それは私にとってこれ以上ない喜びだ』
もし君がまだこの書物を手に取っていないのであれば、今すぐに町の図書館あるいは、書店に足を運び、手に取ってみて欲しい。きっとこの書物から得られるものがあるはずだ。
かくいう私も、この書物から、恐れても良い、怯えても良いという事を学んだ。大事なのは、それを受け入れる事、そして、それから目をそらさない事。
それを理解した時、私は、自分自身でも気づかなかった新しい自分を発見できたのだ。是非君にも、最早直接見る事も言葉を交わす事も叶わなくなった、英雄と呼ばれた彼らの生きざまを知って欲しいと念じ、筆を置くとしよう。
アイザック・デ・ジニュアールⅦ世
【注釈】
1.『セシル王子の嫁取り物語』
フローラ女王夫妻の第一子であるセシル王子が、ポップ・マーカストンとマァム・マーカストン夫妻の長女を妻に迎える際に、ポップ・マーカストンから課された『私より強い男で無くば娘はやれぬ』という試練を、父アバンに助言をもらいつつ突破する際のやり取りを物語にしたもの。
この物語は、カール国内での定期的な劇場公演はもちろん、子供の学芸会の発表でも頻繁に演目に上がるため、カール王国の民ならまず知らぬ者はいないほど認知されている。
2.『レオナ姫の休日』
大魔王戦役の最中に、後の新生パプニカ王国初代女王レオナが、公務外にベンガーナの町で経験したとある出来事。レオナ女王は期せずして怪我をした女優の代わりとして舞台の上に立つ事になるが、この出来事は、彼女が分け隔てなく人助けを行う心優しい女性であると同時に、豪胆無比な性格を有している事を裏付ける貴重な記事となっている。
3.『勇者ダイの弟子』【注釈3】
大魔王戦役の最中パプニカ王国を魔王軍から奪還した直後の、勇者ダイとパプニカに住む一人の少年との交流を描いた記事。後に新生パプニカ王国初代女王の座に就くレオナの伴侶となる彼は、曇りのない眼と誠意をもって言葉を尽くす様が人々に強く印象付けられているが、そんな彼でも幼少期は他者との交流を苦手としていた側面があったという事がこの記事から読み取れる。
4.『武闘家マァムの遠吠え』【注釈4】
この記事は、著者であるワーナー・ブレインがパプニカの町を取材中に、とある商人から聞き及んだ内容を記事にしたものである。その内容は、パプニカの西部に広がる森林に住まう、猿を筆頭とした霊長類が武闘家マァムの遠吠え一つで駆けつける、という俄かには信じがたい話であったが、実際にその光景を目にした者が複数名存在している事と、大魔王戦役時死の大地に出立する際に、大賢者ポップが彼女にそのような特技があると口走っていたという事を証言する者からの裏付けは取れている。
このエピソードが含まれた書物は、大魔王戦役終結の31年後に発刊されているが、このエピソードによって一時は沈静化していた彼女の代名詞である『霊長類最強の女武闘家』の異名が、再び脚光を浴びる事となる。
なお、余談であるが、本書の著者であるワーナー・ブレインは、とある事情からこの書物の発刊後数年間、ロモス王国に足を踏み入れる事を躊躇していたと、後に語っている。
本編は既に完結しておりましたが、この二人の物語は本話を持ってようやく完結出来たように思えます。この二人の物語は、書いていて一番楽しかったです。