ギルドメイン大陸とは異なり、ラインリバー大陸には国家と呼べる国は一つのみ。その国の名は建国以来200年を超える歴史を誇るロモス王国。ロモス王国の国内には現在4つの町と3つの村が存在し、その国土の2/3を鬱蒼とした森林地帯が占めている。
150年前の戦役中はその森林に凶暴な魔物が多数生息し、それがためにその森林地帯は総じて『魔の森』と呼ばれていたが、それはかつての話。熊や猪と言った獣は変わらず森に生息しているものの人を襲うような凶暴な魔物は現在存在せず、人と魔物は互いに得意分野で協力し合う共生関係が実現していた。
ロモス王国は他大陸とは異なる文化を二つ有しており、その一つは食文化であるが、それは熱帯の多雨地域である大陸南部の穀倉地帯に端を発している。その地帯で収穫される米は大魔王戦役以降最も世界に流通した穀物であり(海産物はドムである)、世界の流通量の半分がこの国で収穫されたものとも言われている。
当然米を用いた料理は多数存在し、白米の上に具材を乗せて楽しむ丼料理や、酢飯の上に魚の切り身を乗せた寿司という料理などは特に広く知られている。それらの料理の数々は大魔王戦役以降より爆発的に増えており、それには戦役後に『食の伝道師』の異名でも呼ばれたポップ・マーカストンの関与があったという記録が残されている。
そして、もう一つの他国と異なる文化。それはこの国が特に武道を奨励している点である。それを象徴しているのが、大魔王戦役から数えて今年で50回目となる大武術大会の存在である。ロモスの町には世界で唯一の闘技場が存在し、3年に一度我こそはと世界中の強者が集結し、激しい戦いが繰り広げられている。
また、闘技場と並んでこの町の名所となっているのは、町の南区画に存在する武神流道場であろう。『武神流』とは、もともとロモス北部の森林地帯に居を置いていた『武術の神』ブロキーナを祖とする流派であり、その名は魔王戦役、大魔王戦役と立て続けに発生した戦役時に、『アバン流』の名と双璧を成すほどの輝きを発した。
その流派の名を冠する武神流道場であるが、現在通称『マァム道場』とも呼ばれており、大魔王戦役以降、世界中に多くの門下生を輩出している。『マァム』とは、大魔王戦役における勇者
彼女は、大魔王戦役終結後ほどなく第1回大武術大会の褒賞として武道場を当時のロモス国王シナナから与えられ、以後武神流の普及に力を尽くした。もっとも、彼女の伝授した武神流は、彼女が師ブロキーナより教わった武術に、独自の解釈を取り入れた新たな武神流と呼ぶべきものであり、それは、『武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、有為の人物を育成すること』と残された彼女の遺言からも読み取れる。
遺言……ね。俺は、ロモスの王城の一角にある『大武術大会記録室』内に設置されていたロモスの歴史を説明した資料から視線を剥がした。
学校の教室ほどの広さの室内には、俺以外にも旅人らしき人達が室内に陳列されている記録や記念品に興味津々の様子で目を落としている。
「会ってみたかったなぁ……マァム」と、俺が一人こぼしていた時、観光客らしき集団がぞろぞろと室内に入ってきた。その先頭には、ガイドらしき女性の姿が。
「皆さま、こちらには1か月後に開催を控えた大武術大会の、第1回からの表彰者の記録が余す事なく残されています。記念すべき第1回の大会の優勝者はマァム・クロフォード、彼女は決勝戦で勇者――」
(ちょうど良いや。せっかく説明してくれているんだから俺も聞かせて貰おう)、と俺はその観光客の集団の傍まで移動する。ガイドの女性は、透明のパネルにはめられた歴代の優勝者の名が記された説明板に時折視線を投げながら、慣れた様子で説明を続けている。
え……。第2回と第3回の表彰者の名前にクロコダインの名前があるんだけど、クロコダインってば、戦役後にこんな大会に出てんの? ていうか、クロコダインは大魔王戦役時にこの国に侵攻した軍団の長じゃないか。よく出場を許してくれたもんだな。
そう言えば原作でも魔物のチウが普通に大会に出場していたし、ロモス国民って、あまり昔の事にはこだわらない国民性なんだろうか?
「すいませーん。どうして表彰者の写真は第10回からしか無いんですか?」
観光客の内の一人がガイドの姉さんにそう問いかける。確かにガイドさんが今指し示している場所には、第10回以降の写真しか存在していなかった。ガイドさんは、その問いかけがある事を予想していたのか、淀みない口調でその問いに応える。
「はい。写真機の魔道具が誕生したのは大魔王戦役終結から27年後です。つまり、第9回大会までは写真が無かったため、残せていないんです」
なるほどね……。考えてみればそりゃそうだよな、とゆっくりと壁伝いに移動しながら、第10回以降の表彰者が映った写真を眺めていく俺。
おや……? なんとはなしに写真を眺めていた俺だが、一枚の気になる写真が俺の眼に入り足を止めた。もしかしてこいつは……。
「ああ、その写真ですね。その写真は第19回大会のものです。おかしいでしょう? その写真を見た人は皆、そうやって首を傾げるんですよ」
俺を観光客の一人と勘違いしたのか、先ほど流暢に説明をしていたガイドが横から俺に声をかけてくる。その声に、他の観光客が「どれどれ……」と集まってきた。
「まあ、本当。二人同時優勝と書かれているのに、その二人が誰かに担がれているわ? ガイドさん、これは?」
「これは第19回大武術大会の表彰状贈呈式の写真です。担がれている二人は、当時カール王国騎士団の副団長だったアーバインと、同じく当時ここロモス王国戦士団の副団長だったレイシャ。彼らは決勝戦で同時に場外負けとなった事で大会初の同時優勝となったのですが、戦いに熱中するあまり審判の制止の言葉を聞かず、際限の無い戦いを繰り広げました。
そんな彼らに掣肘を加えたのが、彼らの祖母であった老師マァムです。彼女は戦いを止めない両者の間に入り、一合で両者を失神させ、そのまま両者をそれぞれ自身の両肩に担ぎ表彰式に出席したのです。
つまり、この写真の中央に写っている女性が老師マァムその人というわけです」
そのガイドの説明に、皆が「へー、この女性があの老師マァム! え、全然老師じゃないじゃないか!?」、「ほんとだ、若っかーー! え、この時マァムって何歳!?」、「ははは、この二人、せっかく優勝したのにかわいそうに。顔も映ってないじゃないか」と口々に騒ぐ。
俺はそんな周囲の言葉を聞き流し、写真の隅を指さしながらガイドに尋ねる。
「あの……、この写真の隅に写っている緑色のローブを着た老年の人物は誰なのでしょうか?」
俺の指の先には、呆れた表情で写真の中央に写るマァムから少し奥まった場所で控えめに立っている、薄緑色のローブを羽織った老境に差し掛かった男性の姿が。
「ああ、その方は、老師マァムの夫であり、氷の大賢者の名で知られるポップ・マーカストンですよ」
……やはりそうか。原作で知っている容貌、そしてアイザック邸で見せてもらった30代から40代頃と思われる容貌から、その答えは半ば予測出来ていた。第19回大会という事は、この時のポップの年齢は70過ぎ……か。
耳が隠れる程まで伸ばされた白髪交じりの髪。年相応に顔に刻まれた皺の数々。写真が小さくて見えにくいが、左手にケロイド状の火傷跡? 少し瘦せているように見えるが、腰は曲がっていない。
「なんと、彼があの高名な『氷の大賢者』? ふーむ、思っていたより、なんというか……」
「なんか普通だね、お爺ちゃん。この人なら僕でも勝てそうだよ」
「そうじゃのう。ガイドさん、この人が本当に……?」
「ええ、紛れもなく『氷の大賢者』で知られるポップ・マーカストンその人ですよ。ボク? ボクが今勝てそうだと言った彼が、初夏のロモスに豪雪をもたらし、パプニカの海を干上がらせたと伝わる不世出の魔法使いなのよ?」
幼児が写真に写る彼を見て普通だと評したのも無理はない。実際彼はあまりにも普通で、特別目立った容貌では無かった。彼は観衆の視線が集中する舞台の上が苦手なのか、今にも舞台から降りそうな位置で、舞台中央に立つ妻とその妻に担がれた二人の孫を柔らかな眼差しで見つめていた。
軽音楽部でギターを弾いていたくせに、ライブ以外で人前に出る事が苦手だった先輩。俺の書いた学術論文が学内コンペに勝ち抜き皆の前で表彰された時、会場の隅から優しい眼差しを向けてくれていた先輩。
先輩……。本当に、あなたなんですか……?
俺は、写真の隅に写っている初老の男に指を這わしながら一人問いかけていた。
「ネイル村に繋がっている通りはここで良かったんだよな。……お腹空いたな」
俺はロモスの王城を出た後、ネイル村に繋がっているはずの通りを一人歩いていた。この通りを進むと、ネイル村まで続く『
ここロモスには闘技場と並んでもう一つの観光名所、『マァム道場』も存在するが、マァムについては先ほど王城でその姿をこの目で拝む事が出来た。
そのため、それより確実にポップの記録が多数残っているであろう、彼がその人生の大半を過ごしたネイル村に俺は向かう事にしていた。
きゅるるる……。
そう決めていた俺だったが、不意に腹の虫が切なく泣いた事で足を止める。そう言えば今日の朝にカールとロモスを結ぶ定期船の船内で軽食を頂いてから、何も食べてなかったな。
そう考えて足を止めた俺だったが、折よく俺の周囲には飲食店が多く立ち並んでいた。ちょうど昼下がりの傾き始めた時間に差し掛かっていたためか、それらの店の店先には多くの客が列を成している。
俺はたすき掛けにかけている鞄の中に手を突っ込み、ウサギの皮をなめした手の平サイズの財布を取り出す。この後はパプニカに行って、それからギルドメイン大陸に戻って……。船賃足りるかな?
もともと俺は、カールの町からベンガーナ医療大学行きの荷馬車の乗車券をフレデリカ女王より頂いていた。だが、俺は急遽その旅程を変更し、カールの町からはるばるロモスまで来てしまっていたので、その乗車券が紙屑になってしまった。
今の俺にあるのは、デルフィン島で診療所の手伝いをした時に貯めた、なけなしの数百ゴールドだけだ。
……麺類なら腹に溜まるかな? 俺は周囲を見渡して、一番値段の安そうなラーメン店に視線を止めた。店先に立てかけられているメニュー表の看板に目を落とすと、麺の茹で加減で硬め、柔めの分けがあるようだが、何故かその両端はマァムレベルとスライムレベルの記載が。……? 何故……?
――どんっ!
とっ、なんだ、なんだ! 俺が一人看板の前で首を傾げていると、突然背中から加えられた衝撃に思わず地面に膝をつく。背後を振り返ると、一人の男が脱兎のごとく駆け去っていく所だった。
なんだよ、そんなに慌てて……と、呑気な事を考えていたのはほんの一瞬だった。まさかっと、と思った俺は、自分の手を見て真っ青になる。
財布が無い!!
「おい! 返せよ! それは俺の全財産なんだぞ!」
立ち上がり、既にずいぶん遠くまで離れてしまった男を追いかけ始める俺。周囲の人間がなんだ、なんだとこちらに注目するが、皆呆気に取られているのか手助けをしてくれる様子は無かった。
逃げる男は一瞬こちらを振り返り、(盗られる奴が馬鹿なんだよ!)と言いたげな目を俺に投げかける。ば、馬鹿でも何でもいいから、それを返せよ! それが無かったから俺は……!
必死で男に追いすがるが、男の方が足が速く、どんどん距離を離されてしまう。みるみる間に小さくなる男の背に、俺が諦めかけた時だった。
ヒュンッ!
――! 俺の頬のすぐ隣を、背後から一筋の光が駆け抜けた。
その光は俺を追い抜いた後、一瞬で遠くを逃げる男の財布を握った右手の甲を貫く。
「ぎゃっ! ち、ちくしょう!」
一筋の光。それはどうやら矢のようだった。男は手の甲に刺さった矢を抜かないままこちらに一度だけ悪態をつき、そのまま駆け去っていった。男が去った後には、矢が刺さった時に落としたと思われる俺の財布が落ちていた。
「はあっ、はあっ。よ、良かった。これで旅が続けられる」
俺はその場に駆けつけるなり落ちた財布を拾い上げ、それを大切に胸に押し抱く。そうして荒い息を整えていた俺に、涼し気な声が投げかけられた。
「財布を取り戻せて良かったわね。でも、お上りさん丸出しで無防備に財布を取り出したあなたも不用心だったわよ?」
俺はその声の主の方に振り返る。そこにいたのは、弓を右肩にかけ、背中まで伸びた豊かな金髪をポニーテールにしてまとめている20代前半のように見える女性だった。橙と緑を基調とした服装でミニスカートをはいている姿は、まるでドラクエ5に出てくるビアンカの服装みたいだな、という感想を抱く俺。
とっ、いけない。先ほど弓矢で俺の財布を取り戻してくれたのは、おそらくこの女性だ。
「すいません。旅慣れていないもので、油断していました。財布を取り戻してくれてありがとうございます」
「良いのよ。でも、この先も旅を続けるつもりなら、もっと用心をする事ね。150年前と違い凶暴な魔物の数は減ったけど、手癖の悪い輩は変わらずその辺にたくさんいるわ」
「はい、ご忠告感謝します。あの、もしよろしければお名前を聞かせていただけませんか?」
俺のその問いかけに、目の前の女性は切れ長の瞳をふっと緩ませ口角を上げた。
「私……? 私の名はフェルン。あら……? これ、あなたのじゃないの?」
そう言ってフェルンと名乗った女性は、落ちていた紙片を拾い俺に差し出す。
「あっ、大学の入学証……。はい、俺のです。拾っていただきありがとうございます」
地面に財布が着いた時に、財布から落ちたのだろう。俺は手渡されたそれを再び財布に入れ直す。
「それ、ベンガーナ医療大学の入学証よね? あなた、治癒士を目指しているの?」
「ま、まあそんな所です……」という煮え切らない返答をする俺に、フェルンは首を傾げる。その動作で、彼女の金髪の髪に刺さっている髪留めに気づく俺。その髪留めは、銀色の細長い棒の先に丸い飾り玉が付いていた。
「そのかんざし、とても似合っていますね。赤い飾り玉が金色の髪によく映えています」
「……。そう、ありがとう。ね、あなたの名前も聞かせてくれない?」
そう問われて俺は自分の名前を伝えていなかったことに気づく。
「――! し、失礼しました。俺はデルフィン島のカナタといいます。ロモスへは、ちょっと寄り道で……」
「寄り道……? デルフィン島から大学に行く途中に寄るにしては、ロモスは遠回り過ぎないかしら?」
「あー……、それは……」
カール王国でもその名を知る人の少ない離島デルフィン島なのに、ロモスの人間にその地理的場所まで知られていた事に軽い驚きを受けながら俺は口ごもる。
「……なるほど。大学に入学する前に医療魔法の創始者であるポップ・マーカストンの足跡をたどって、彼の人となりを知りたかったと……」
「ま、まあそんな所です。ずずず……」
あの後俺とフェルンは先ほど目を付けていた店に場所を移し、食事をしがてら旅の目的について話をしていた。ラーメンのスープを残すなんてもったいない、とばかりに最後の一滴まで飲み干した俺はフェルンに視線を投げかける。彼女は、「もう食事は終わっているから」と、お礼にご飯をおごらせて欲しいと言う俺の言葉を固辞して、テーブルを挟んだ向かいに腰をかけている。
「勉強熱心じゃない。……それが本心なら……ね」
うっ……。俺の言葉に納得したように見えたフェルンだったが、その切れ長の目をさらに細めて、俺の心の内を覗き込もうとじぃっと俺を見つめる。
「ほ、本心ですよ……。やだなぁ、どうしてそんな事を……?」
「なんとなく、かしらね。……ねえ、カナタ」
「……、な、何でしょうか?」
テーブルの向こうで彼女が足を組みかえた拍子に、彼女が髪に差したかんざしの紅玉がキラッと光った。
「もし良かったら、あなたが大学に辿り着くまで、私も同行して良いかしら?」
「いいっ!? ふぇ、フェルンさんがですか!? ど、どうしてそんな……」
余りに意表を突かれたその言葉に俺は思わずのけ反る。
「特に意味は無いわ。私も別に目的があって旅をしている訳じゃないし、……強いて言えば面白そう、かしら」
「面白そう……ですか」
「ええ、ポップ・マーカストンの足跡を追うなんてこと、私もしたことが無いわ。良かったら私も同行させてくれないかしら。ほら、旅は道連れ、という言葉もあるでしょう?」
旅は道連れ、か……。確かに、な。俺としても先ほどのほれぼれするような弓の名手であるフェルンに同行してもらえると心強い事この上ない。別に人目を忍んでポップ・マーカストンの正体に迫ろうとしていたわけじゃない。まだ出会ったばかりだけど、悪い人ではなさそうだし……。
「そう、ですね。俺の方には断る理由がないので、フェルンさんが良ければ一緒に旅をしますか?」
「決まりね。そうと決まれば、さっそくネイル村に行きましょうか。あ、でも、ごめんなさい」
そう言って席を立ったフェルンだったが、彼女は何かを思い出したのか、右手の人差し指を立てて俺を振り返った。
「ここを出る前に、連れに君の旅に同行するって事を伝えたいんだけど、付き合って貰って良いかしら?」
「もちろんです。連れの方がいたんですね。で、その連れというのは、今どちらにいらっしゃるんですか?」
「鈍った身体を鍛え直すって言ってたから、多分あそこね」
「……あそこ?」
首を傾げた俺に、フェルンは頷く。
「武神流道場。マァム道場って言った方が分かるかしら……?」
……どうやら俺は、どう転んでもマァム道場に縁があったようだ。