「ここがネイル村……ですか」
「そうよ。随分と意外そうだけど、想像と違ったのかしら?」
俺の隣に立つフェルンが、俺の反応を伺うように問いかけてくる。
「いえ、想像とはぴったり合います。逆に想像通り過ぎて意外だった感じで……」
「ははは。何だよ、それ! 想像通りだったんなら良いじゃねぇか」
ロックに笑われた事で、俺も自身の言葉がおかしい事に気づき「本当ですね」と照れ笑いをした。
今俺達の眼前には、ネイル村の牧歌的な景色が広がっている。俺が想像通りだったと言った理由は『ダイの大冒険』で描写された景色とほとんど変わっていなかったからだが、今はあの時代から150年が過ぎている。その上、この村は
村の中を流れている小川沿いの小道を俺達は歩いて行く。途中ですれ違う村人達が、にこやかに挨拶をしてくれる。そんな彼らに挨拶を返しながら、俺は周囲にそっと視線を投げかける。村には、ロモスの町で見たような多種多様な飲食店は存在しない様で、住居以外の建物と言えば、村の入り口近くにちんまりと開いていた道具屋と、遠くに見える左右を二股に分かれた小川に囲まれた小さな教会ぐらいのものだった。
「ふふ。ポップ・マーカストンの暮らした家に行きたい気持ちは分かるけれど、まずはあの教会に行ってみましょう、カナタ」
隣を歩くフェルンの言葉に、俺はわずかに首を傾げる。
「それはかまいませんが、何故ですか? 教会でお祈りを捧げるためですか?」
「行けば分かるわ」
そのフェルンの言葉に更に首を傾げる俺だったが、大人しくフェルンの言葉に従い俺達は教会に足を運んだ。
教会の周囲は二股に分かれた小川に囲まれていた。当然その小川を渡るために石造りの橋がかけられている。
「この橋は、めがね橋って呼ばれているのよ。ほら、こちらから見ると、まるで眼鏡のように見えるでしょう?」
透き通るほど透明な水が降り注がれる太陽の光をキラキラと反射し、その上に大小様々な大きさの異なる石を巧みに組み合わせて架けられている二連の橋が、まるでヨーロッパの田舎の風景を絵葉書に落とし込んだかのように美しかった。
「本当ですね。水面に橋が映りこんで、本当に眼鏡をかけているみたいです」
「変わんねぇよなぁ、ここは昔から……」
「昔から……? ロックさんの言う昔っていつの事を指しているんですか?」
俺の問いかけにロックは、「昔っていやぁ、昔さ。それ以上でも以下でもねえよ」と俺の言葉を煙に巻くような答えをよこす。
……まあ、良いけどね。
ぎぎぎぎ……。
小さな教会の正面に備え付けられている馬蹄形をした木の扉を押し開くと、石床と木の擦れる音が周囲に響いた。扉を開いた事でそこから差し込まれた光が教会の室内の半分ほどを照らす。扉から奥に向かって左右には数列の質素な長椅子が。そして長椅子と長椅子の間の通路には赤いカーペットが敷かれており、その先には赤や黄色、緑と色鮮やかなステンドグラスを背景にして大きな十字架が備え付けられている。
日頃から良く掃き清められているのか、外気が侵入しても埃一つ立たない静謐な室内には誰も……いや、違った。奥の十字架の前で一人祈りを捧げる青い神官服姿の男がいた。その男は俺達をゆっくりと振り返り、柔和な笑みをその顔に張り付かせて口を開いた。
「おや、旅人のようですね。教会にお祈りに来られたのですかな?」
歳は40代といった所だろうか。首を傾げた仕草で肩程まで伸ばされた黒髪がゆらりと揺れる。
「ああ、いえ。祈りに来たわけでは。えっと俺達は……」
言いよどんでいると、隣のフェルンが俺の代わりに応える。
「我々はポップ・マーカストンの事を知るためにこの村に来たのですよ、神父」
「ああ、なるほど。だからこの教会に……。ふふふ、よくご存じでしたね」
ご存じ……? どういう事だろう? 俺のその疑問の表情で察したのか、神父さんが「おや?」と首を傾げる。
「ふむ……。この教会が、氷の大賢者 ポップ・マーカストンが結婚式を挙げた場所だと知って来られたのでは無いのですか?」
「えっ!? ここでポップ・マーカストンは式を挙げたんですか!? パプニカの大聖堂でも、ベンガーナやリンガイアといった大都市の教会でもなく!?」
この二、三十人も入ればすし詰め状態になりそうな小さな田舎の教会であの有名人が式を? 神父の言葉が俄かには信じがたく、俺は周囲をきょろきょと見渡す。しかし、よくよく考えれば失礼な俺のその反応を神父は半ば予想していたのか、クスクスと含み笑いをする。
「ふふふ。初めて聞く者は皆、驚きますね。実際ポップ・マーカストンは、ロモスはもちろん、カールやベンガーナにリンガイア、更にはオーザムでも各国に招待され結婚披露宴を開いていますから、式をそれらの都市のいずれかで行ったのだろうと思われがちです。
ですが、正真正銘、彼が神に対して生涯の伴侶への愛を誓ったのはこの教会ですよ。資料室には、彼と彼の妻が神に対し永遠の愛を誓った誓約書が残っています。
これは伝え聞いた話ですが、当時彼の結婚式を何処の国が取り仕切るのかが、大魔王戦役以後定期的に開催されるようになった世界会議の場で話題に上った事があるそうです。それを知ったポップ・マーカストンは、自身の結婚式が政治に利用されるのを忌避し、当時神父の不在だったこの村に懇意にしている神父を呼び寄せ、半ば極秘に式を挙げたと伝わっています。
ですから、立会人として式に参加した者は、彼と3人の妻の親族、それに勇者ダイという十人にも満たない人数だったそうですよ」
なんと……。本当にこんな小さな教会で結婚式を挙げたんだ。神父は「ただ、それがゆえに、せめて披露宴だけは各国で開かせて欲しいと言う、当時の為政者の頼みを断る事が出来ず
「まっ、3人もの女と結婚っていう耳朶を集める事をするからそんな事になるのさ。自業自得だ」
「それに、大魔王戦役の復興期にこれ以上無いと言うほどの慶事だったから余計にね」
ロックとフェルンがまるで見て来たかのように語る。
「せっかくこちらまで足を運ばれたのです。あれも見て行ってはどうですか? きっと気に入っていただけると思いますよ」
神父の先導で俺達はその後ろを付いていく。連れて行かれた先は、十字架のある前方の壁際だった。「どうぞ、ご覧ください」という神父の指し示した壁に目をやる俺達。
そこには、縦横2mにも及びそうなほどの1枚の絵画が架けられていた。
「これは……」
「ああ、これか……。ふっ」
「久しぶりに目にしましたね、これは」
そこにあったのは、一人の男性と三人の女性を描いた水彩画だった。中央の男性は白地に金色の刺繍が施された衣服を。そして三人の女性は皆、子細は異なれど純白のウエディングドレスを着用している。
「神父様。これはもしかして……」
「はい。ポップ・マーカストンとその3人の妻の結婚式の一場面を描いた絵画です」
やっぱりそうか。その答えを半ば予測していた俺はもう一度絵に視線を戻す。これは写真で言う所の記念写真ではなく、彼ら彼女達の結婚式でのほんの一瞬を瞬間的に捉えたスナップ写真というべきものだった。
真ん中にはポップ。その右側にはおそらくメルル。左側にいる女性は髪色から判断するにエルサという女性だろう。マァムは、……ふふ。ポップの後ろから、まるでポップに飛びつく様に抱き着いている。そのため、マァム、メルル、エルサのこぼれんばかりの笑顔とは裏腹に、ポップは前につんのめりかけた態勢で苦笑いの表情を顔に浮かべていた。
彼ら彼女達の左手薬指に指輪がはめられている所を見ると、厳かな指輪交換の儀式を終え、ようやく一息つけたタイミングだったのかもしれない。
「……とても良い絵ですね。本当に、4人の幸せそうな様子が絵から伝わってくるようです。これはいったい誰が書いた絵なんでしょうか?」
神父は俺の問いに、絵画の右隅を指さす。その指先につられて視線を投げた俺は、そこに書かれていた製作者の署名を見て思わず大きく目を見開いた。そこにあったのは、アバン・デ・ジニュアール3世という名だった。
「ポップの師アバンも結婚式に呼ばれていたのですか?」
「いえ、彼のもう一人の師マトリフ共々呼ばれていなかったはずなのですが、何故か結婚式から数か月後に教会宛にこの絵が送られてきたそうですよ。彼の結婚式の立合者の記録は残っているのですが、そこに彼の名はありません。その場にいなかったはずの彼がどうしてこの絵を描けたのかは、謎のままです」
「くっくっく。その場にいなかったと言っても、本当にいなかったとは限らねえんじゃねえかなぁ」
「確かに……。大魔道士マトリフと言い、勇者アバンと言い、ポップの師は一筋縄ではいかない御仁ばかりでしたからね」
二人の言葉を聞き流しながら、俺はじっと絵に見入る。それは、4人の末永い幸せを願う感情がキャンバス上に表現されたような温かみのある絵だった。
「なるほど。では、今から村はずれにあるかつてポップ・マーカストンの住居だった家に行ってみるわけですね」
「まあ、この村に来たからにはあそこに寄らなきゃ始まらないからな」
「でも、今そこには誰か住んでいるんでしょうか? お住いの方が中を覗かせてくれたら良いのですが……」
神父は俺の言葉に「その心配は無用です」と応えてくれる。
「あの家には今は誰も住んでおりません。時折あなた方のようにポップ・マーカストンを信奉する旅人が来られますので、そう言った方々のためにあの家は解放しています。ですから、見学する事に何の心配もいりませんよ」
「そうだったんですか。でも、誰も住んでいないって……、それじゃあポップ・マーカストンの子孫は今何処に……?」
「くすくすくす。マーカストン姓を名乗っている子孫は、今や世界各地にいますよ。ロモスはもちろん、パプニカ、ベンガーナ、テランの里、それにリンガイア。ランカークスの町のマーカストン工房なども有名ですね。聞いた事はありませんか?」
ああ、そう言えばデルフィン島にも噂で伝わっていた。マーカストン工房で打たれた剣や鎧は白眉の出来だと。それに随分昔の話になるが、ベンガーナのとある貴族の家にもポップ・マーカストンに繋がる血筋の者が輿入れしたと。っと、そもそも俺の母国のカール王家もポップ・マーカストンの子孫に当たるんだった。
「聞いた事があります。では、現在ポップ・マーカストンの子孫はネイル村にはいないと言う事ですね?」
だから今あの家には誰も住んでいないのだろう。そう考えて発した俺の問いだったが、神父はその問いにはフルフルと首を振る。
「いえ、そんな事はありません。このネイル村にもマーカストン姓を名乗る者はおりますよ」
「何処におられるのですか!?」という俺の問いに、神父は悪戯が成功したような表情で応える。
「あなたの目の前に。私がこの村に住まうポップ・マーカストンの子孫になります。初めまして、カナタさん。私の名は、ルクスン・マーカストン。正確には、系譜を辿るとメルル・フォーサイスに連なる者という事になります」
「では、ルクスン神父はこの教会内に住居を構えながら、ポップ・マーカストンの家を管理されているわけですか? どうして彼の家に住まわれないのですか?」
俺のその問いに、ルクスン神父は「ははは……」と笑う。
「あの家は、妻一人、子一人の私達家族が住まうには広すぎます。それこそポップ・マーカストンのように妻を三人も娶り、子供を七人も設けるほどでないと」
ああ、それは確かに。身の丈に合わない広すぎる家に住まうと、維持管理するだけでも大変だ。手頃な広さの住居に移り、先祖の家を管理して行くのが自然と言えば自然な流れだ。
「さて、長話で旅の方の貴重な時間を奪ってしまいましたね。是非ポップ・マーカストン一家の暮らした家を見学していってください。彼が亡くなってから80年が過ぎましたが、猫に齧られたような傷のついた家具や壁に描かれた落書き等の数々から、彼ら一家が確かにそこで生きて暮らしていたという実感を得られる事でしょう」
そんな会話を交わしながら俺達は再び教会の扉を開き外に出る。小川に囲まれた教会の敷地内には色とりどりの花が咲いている。その花畑の中から、教会を訪ねる際には耳にしなかった子供達の賑やかな声が聞こえて来た。
「あははは! やーい、スラぼう、こっちだよぉ!」
「ピキィ!」
「あ、ミンミンがそっちに行ったぞ! 気を付けろ!」
驚いた……。4,5人の子供達とスライムやスライムベスと言った魔物が仲良く鬼ごっこをして遊んでいた。それがいつもの光景なのは、そんな彼らを遠目に見守る大人達の優しい眼差しが語っていた。
「こら、君達! お花畑の上で遊んだら駄目だっていつも言っているでしょう! 遊ぶのなら向こうの広場で遊びなさい!」
俺達を見送るために教会の外まで付いてきていたルクスン神父が、わんぱく盛りな子供達と魔物にそう注意する。途端に子供達と魔物の一団は「やべっ!?/ピキッ!?」などと口々に言葉を発し、脱兎のごとくその場から立ち去っていく。
「ははは。随分と村人と魔物との距離が近いのは、やはりこの村がポップ・マーカストンの暮らした村だから、ですかね?」
俺の問いに、駆け去っていく子供達を「全く……」と呆れた様子で見つめていたルクスン神父が応える。
「それもありますが、この村では特にスライムとスライムベスへの対応が甘いんですよ」
言っている事の意味が分からず俺が首を傾げると、ルクスン神父は続ける。
「嘘か真か知りませんが、ポップ・マーカストンが今際の際に『いつか村にスライムとスライムベスが遊びに来たら、決して粗略に扱わず懇ろに応対してやってくれ』という言葉を残した、と聞き及んでおります」
……何だ、それは。さっぱり分からない。ポップ・マーカストン、一体それは何を意図した言葉なんだ? 大魔王すら凌駕したと讃えられる智者の考える事は、俺のような凡人には分からないな。
釈然としない思いを抱きながら、俺達はルクスン神父に別れを告げ教会を後にした。
ここで独自解釈が一つ。アバン先生は絵の達人でもあった。でも、何故かアバン先生なら納得できてしまいますよね?