俺がサーラの私室を出ると、扉の近くにそのサーラが静かに佇んでいた。彼は俺に気づくと左手に握った杖をかつ、かつ、と響かせながら近づいてきた。
「どうじゃった? ポップのメッセージは受け取れたかの?」
「はい。確かに。色々と、ありがとうございました」
サーラに返答した俺は、彼の失われた右腕に目をやる。その視線に気づいた彼は苦笑いを浮かべ弁解するように口を開いた。
「ほっほっほ。その顔から察するに、ポップの日記に書いておったな? まったく、あやつめ。儂が、貸しておった腕を回収しようとした時には、儂の腕はあやつと一緒に灰になっておったわ」
「くすくすくす。そんな事はないのでは? 彼の日記では、ちゃんとあなたに腕を返しに行くと書かれていましたよ。どうして、腕を返してもらわなかったんですか?」
するとサーラは、俺の全てお見通しですよ、という表情を避ける様に顔を背け、ボソッと呟いた。
「あやつめ、いらぬ事まで日記に残しおって。ふん、天国に行っても両腕が無いと不便じゃろうと思うたのよ。それに、儂の腕もあやつの新たな旅路に同行させたかったしの。そんな理由ではいかんかね?」
「いえ、とても納得する理由でした。ありがとうございました、サーラさん。また、ここへ来ても?」
俺のその問いにサーラは「もちろんじゃ。そなたはもうエウレカの里の民じゃからのう」と答えた後、どこに持っていたのか俺に1着のローブを差し出した。
「その恰好では、このエウレカの気候はつらかろう。これに着替えていくと良い」
何だろうと思い受け取ったローブを開いて、俺は腰が抜けるほど驚いた。そのローブは色こそ緑色から白色に変わっているものの、その特徴的な胸のレリーフから、明らかにポップ・マーカストンが大戦中に身に着けていたと伝わる『ドラゴン・ローブ』そのものだったからだ。
「ちょっ、これ、もしかしてドラゴン・ローブですか? え、15年前にカンダタに盗まれた品がどうしてここに……?」
「ほっほう。巷ではそんな事になっておるのか。じゃが、それは間違った情報じゃな。それをパプニカの王城から盗み出したのは、『スライムと愉快な仲間達』じゃ」
「な、何ですか、そのおかしな集団は……?」
どこかで聞いた事のある集団名に俺が頬を引くつかせながら聞くところ、それは以下のような物だった。サーラ曰く、15年前に諸国漫遊中だった一匹のスライムがテランの里の占星術師から『ポップ・マーカストンに近しい者の星が落ちた』という星読みを受けたそうだ。その星読みを受けたスライムは、『だったらそいつのためにポップがかつて身に着けていた衣服を用意せねば』と、友人のキラーパンサーに助力を請い、パプニカの王城からドラゴン・ローブを盗み出したとの事だった。
「ぬ、盗み出したって……パプニカの宝物庫は相当厳しい施錠をしていたと聞いた事がありますが」
「ふむ。ちょうどそのキラーパンサーが、
「
俺のその問いにサーラは、「まあ、あれはセリーヌの娘じゃから多少の常識外れはあってもおかしくはないの」と呟きながら、何故か離れた所で他の魔物とじゃれ合っている灰色の毛の混じったベビーパンサーを見つめた。
「え、それで、本当にこれを俺が受け取って良いのですか? 俺、パプニカから窃盗犯と間違えられません?」
「そのために、そのローブの色を変えておるじゃろうが。それに、胸のレリーフも何故か形状が若干変わっておるから、それがかつてポップが身に着けていたドラゴン・ローブだと気づく者はまずおらんよ」
ほ、本当に……? うーん、まあサーラがそこまで断言するならまあいいか。それに、実際旅人の服じゃあ、ここは寒すぎる。俺は元ドラゴン・ローブを遠慮なく受け取り、さっそく旅人の服の上から着込む。
「うわ、めちゃくちゃ温かい。それに、凄く肌触りが良いですね」
「うむ、白衣が良く似合っておるぞ、カナタ」
白衣……? ああ、本当だ。緑から白いローブに姿を変えたこいつを羽織ると、確かに一見医者の標準装備である白衣に見えなくもない。
「ふふふ。ありがとうございます。この白衣に似合うよう精進しますね。それでは、ありがとうございました、サーラさん。また来ます!」
そう声を投げかけ、俺はエウレカの里を後にした。
「よう、遅かったな。その様子じゃあ、知りたかった事は知れたようだな」
「まあ、そのローブは……。ふふふ、良く似合っているわよ、カナタ」
洞穴から山道に出ると、出てすぐの場所にロックとフェルンが所在無げに立っていた。
「すいません、ポップ・マーカストンが残した日記を読んでいたら、時間が過ぎていました。お待たせしましたか?」
「まあ、待ったっちゃあ、待ったが、どうせ俺達はここで別れるんだから別に良いさ。なあ、フェルン」
「ええ。カナタ、私達はここであなたとお別れする事にするわ。ランカークスの町からならベンガーナ医療大学までの定期馬車が出ているから、後は一人でも行けるでしょう?」
彼らの言葉に俺は動揺する。そんな、大学までは一緒に行動できると思っていたのに……。
「そんな顔すんなよ。お前との旅、楽しかったぜ」
「カナタ。あなたがこの旅で何かを掴もうとしていたと同時に、私もこの旅で何かを掴もうとしていた。その何かを掴めた今、この旅の目的は果たせた事になるわ」
「一体何を掴めたんですか、フェルンさん?」
俺のその問いにフェルンはフッと口角を上げる。
「鏡を見てごらんなさい、カナタ。それが答えよ。また会いましょう、カナタ」
そう言ってロックと共に俺に背を向けるフェルン。そんな彼らに俺は大声を張り上げていた。
「あの、ありがとうございました、
その途端、彼らの歩みがピタッと止まる。そして二人が同時に、左手の人差し指にはめていた指輪に右手を触れた途端、二人を白煙が包み込む。山脈に吹き降ろす強い風がその白煙を直ぐに拾っていく。白煙が薄れた後そこに立っていたのは、陽光を浴びてキラキラと輝く2体の白銀色に輝く戦士だった。
その色彩を除けば一見して人間の戦士と誤認しそうな男が、嬉しそうな顔を隠そうともせず振り返る。
「やっぱり気づいてやがったか。まったく、あいつの関係者は侮れねぇなあ」
そしてもう一人。白煙が発生する前はフェルンが立っていた位置にいる、頭部が馬の形をした戦士も俺を振り返り、ニヤッと笑みを浮かべる。
「よく見破った。いつから気付いていたのか、聞いても?」
「……薄々とは気付いていましたよ。ていうか、二人ともあまり俺に隠そうとはしていなかったですよね?」
図星だったのか二人は顔を見合わせて肩を竦める。
「でも、確証を持ったのは、あの時。パプニカでカンダタの収集した宝箱の中身を確認していた時です」
そう、あの時俺は勇者アバンが開発した『ミエールの眼鏡』をかけたままフェルンを振り返った。あの時眼鏡越しに見たフェルンは、今俺の目の前にいる馬の姿を模した姿で立っていた。もっとも、それが見えたのは、俺があの時かけていた『ミエールの眼鏡』が別の物に改良されていたからだ。
あの眼鏡の蔓にはこう刻印されていた。『ラーの眼鏡』と。
「なるほど、あの時か。確かにアバン殿はポップの
「ああ、確かに。くくく、あの師弟はさ、弟子が新しい魔法を開発したら、今度は師匠がそれを打ち破る魔道具を開発するという事を繰り返していたんだぜ。おかしな師弟だろう?」
「本当ですね」とロック、いやヒムに言葉を返した俺は、フェルン改めシグマを見据える。
「俺からも聞かせて下さい。シグマさん。あなたはロモスで会った時から、俺がポップ・マーカストンの関係者だと察していた気がします。どうしてそれが分かったんですか?」
すりにあって困っていた俺を助けるまでは偶然の出会いでも、そこから俺の旅に彼が同行するという流れになったのは、偶然の一言で片づける事が出来ない。俺が彼の答えを待っていると、シグマは口角を上げて口を開いた。
「……ふっ。それはこれだよ」
シグマが差し出した手には、彼がフェルンを名乗っていた時に髪に刺していたかんざしが握られていた。
「これは、私の戦友の形見なんだが、これをこうして髪飾りに加工してくれたのはポップなのさ。そして、彼だけがこれを『かんざし』と呼び、彼以外の者は皆これを髪飾りと呼んでいた。君以外はな……」
『そのかんざし、とても似合っていますね。赤い飾り玉が金色の髪によく映えています』
フェルンと出会った時の会話を思い出し、思わず俺はアッと声を上げた。
「質問は以上かね、カナタ?」
「いえ、もう一つ聞かせて下さい。では、どうしてあなたはポップの関係者かもしれない俺に助力してくれたんですか? 何があなたをそうさせたんですか?」
「何がそうさせた……か」と呟き、シグマは眼下に広がる緑の絨毯に視線を投げかけた。
「カナタ……。私はかつて、ポップに返しきれない程の恩義を受けた。なのに、彼はその恩義を返しきる前に逝ってしまった。だからせめて、彼の同郷らしき人間に手を貸してやりたくなったのさ」
その答えに俺は深く頭を下げ、「よく分かりました。ありがとうございました」と告げる。
俺が再び顔を上げた時、シグマは右手の指を一本だけ立ててこう言った。
「カナタ。私がかつて、自身がこの世界に存在する理由を彼に尋ねた際に、彼から送られた言葉を君に送ろう。それは、こういうものだった。『……時間はたっぷりあるんだ。これから世界を見聞して、じっくりとその答えを探してみたらどうだ?』と。私はあれから150年経ってもこの世界を知り尽くしていない。それどころか、日々新しい発見ばかりだ。君はまだ15年だろう? 見極めるには早すぎるのではないかね?」
「そう……ですね。貴重な助言、心から感謝を申し上げます。ありがとう、フェルンさん。いや、シグマさん」
シグマはこくりと頷き、山道の向こう側を指差した。
「カナタ、先ほど君が通った山道の反対側の道を少し登った場所にポップが眠っている。良かったら、ランカークスへ戻る前に寄ってみると良い」
「はい、必ず」と答えた俺に、ヒムが大声を上げる。
「カナタ! デルムリン島にいるクロコダインの旦那が最近腰痛気味で元気が無いんだよ。お前が休みの日に大学まで迎えに行くから、一度旦那の容態を見てやってくれないか?」
「はい、もちろん」と応える間にも彼らの背中は小さくなっていくが、吹き付ける風が彼らの会話を拾い俺まで届けてくれる。
「ていうか、お前本当にあの女の姿になっている時は別人みたいだな。まさかとは思うが、あの時ダイに口づけされた事でおかしな世界に目覚めたんじゃないだろうな?」
「…………そんな事はない」
「なんだ、その間は!? 怖ぇぇよ! あ、そう言えばお前、また小説で俺をトラブルメーカー扱いしやがったな。たまにはお前がその役をやれよ!」
「断じて断る。私は事実に即していない事は描写できない。それに、君もなかなか読者人気は高いと聞くぞ。確か、私とアルビナス、フェンブレンにブロックを除いた中では、君がハドラー親衛騎団で一番人気だったはずだ」
「おっ、そうなのか? それは悪い気はしねぇなあ。へへへ。……うん、ちょっと待て。お前今、誰と誰を除いたって――」
ふふふ。まさかハドラー親衛騎団と1カ月近くも共に旅をする事になったなんて。こんな事、誰に言っても信じてくれないだろうなぁ。
そして俺は、彼らの姿が見えなくなるまで、その彼らの背中を見つめていた。
ギュッギュッと雪を踏みしめる音が耳朶に届く。だが、ドラゴン・ローブを身に着けている俺に、ここに来たばかりの時に感じた強烈な冷気は全く感じなかった。
「ああ、ここか。雪がここだけ払われている。そっか、俺が洞穴の中に入っている間に、ヒムとシグマが清めてくれたんだな」
そこは狭い山道から一転してちょっとした広場のようになっていた。その広場から眼下を見下ろせば、鬱蒼とした森林が視界いっぱいに広がっていた。その先には海の蒼い色と日の沈む直前の橙色が溶け合い、複雑なグラデーションが絵の具を横に引いた様にどこまでも広がっていた。
良い景色だ。ちょっと地球上ではお目にかかれないような絶景だ。こんな景色だから、先輩はここにお墓を作ってもらったんですか?
俺は眼下の景色から視線を剥がし、背後を振り返る。
そこには、白亜の石柱が一つぽつんと立っていた。墓石にはポップ・マーカストンの名と共に、彼の3人の妻の名もあった。ふふふ、皆してここで眠っているんですね。
俺はその石柱の前に移動し、しゃがみ込んだ後手を合わせた。
「すいません、先輩。それに皆さん。今日は急だったことで、何もお供えする物を持って来ていません。次にここに来る時は、皆さんの好物を持ってきますね」
今その石柱の前には一凛の花が供えられていた。花には詳しくないが、その花からは前世で言う所の桃に似た香りが発せられていた。
「先輩……。先輩のお墓にこうして手を合わせるのは七度目になります。魂になった先輩は今何処にいるんですか? この世界ですか? それともあの世界ですか?」
この世界に別れを告げ、あの世界に戻りたいと考えていた俺は、そう先輩に問いかける。
「いえ、どちらでも良いですよね。精一杯生きた。それだけで良いような気がします。大事なのは、生ある時に精一杯生きる事。先輩……、いつか俺にこの世界を去る時が来たら、先輩が残したあの言葉を、胸を張って言える様に生きてみたいです」
だから見ていてくださいね、先輩。俺の心の中にはいつも先輩がいますから、そこから見ていてください。
……それと、ごめんなさい先輩。先輩から最後に頼まれたお願い。それは聞けません。だって、『HUNTER×HUNTER』の最後は俺も知らないんですから。あの作者、休みすぎなんですよ! だから俺も、いつか逝く時はあの作品の結末を教えてもらいたいと遺言を残しておく事にします。
そう俺が心の言葉を発していた時、一陣の風が強く吹き込み、供えられていた一凛の花をはるか彼方まで飛ばしていった。
~~~~1年と2か月後 デルフィン島~~~~
「ミラ先生、さようなら!」
「はい、さようなら。もうお腹出したまま寝ちゃ駄目よ」
小さな子供が母親に手を引かれて家路につく。ミランシャはその日最後の病人を診療所の戸口まで出て見送った。
子供の姿が見えなくなるまで上げていた手を下ろし、ミランシャは深いため息をついた。
「カナタ君、今頃どうしているかな……」
彼女は、今彼はどの空の下にいるんだろう、と空に視線を投げかける。カナタがベンガーナ医療大学を卒業したという報せは、ここデルフィン島まで届いていた。それも尋常ではない成績で。なんとカナタは、カール王国で150年ぶりに誕生した卒業と同時に2級治癒士の資格を得た卒業生となったのだ。
大学を卒業した時点で皆が4級治癒士の資格を得られる。中でも成績優秀な学生は3級治癒士の資格を得られるが、それは卒業生全体の約3~5%ほど。せいぜい毎年10名前後というところだ。それが2級治癒士となると、それこそカールの歴史では1期生のアバン・デ・ジニュアール3世まで遡らなければならない。
「卒業して欲しいとは思っていたけど、ちょっと優秀すぎるよ、カナタ君」
ミランシャ自身が、卒業と同時に3級治癒士の資格を得た女性だ。3級でもカール国内はもちろん、世界各国から仕官の誘いが殺到したが、それが2級になるといったいいかほどか。
彼女は、このカールの片田舎に彼はもう戻ってこないだろうな、という確信があった。現に、3の月の終わりに卒業式を終えているはずなのに、それから2カ月余り経っても彼は島に姿を見せない。
「駄目ね、私。彼がこの世界のどこかで生きていてくれるだけで良いって思ってたのに、今では島に戻って来て欲しいって願っているなんて……」
そう自己嫌悪に陥った彼女は青い空から視線を剥がし、診療所に戻ろうと扉に手をかけた。
その時……。
「おーい、ミラ姉! 帰ったよー」
微かに耳に届いたその声に首を傾げながら背後を振り返るミランシャ。港から内陸に位置する診療所までの道は傾斜がついている。その緩やかな坂道を徐々に彼女の見慣れた姿の少年が昇ってくる。
「カナタ……君……?」
その少年の名を最後まで呼ぶことは出来なかった。何故なら彼は、見た事もない珍妙な乗り物に乗っていたからだ。彼はやはり見慣れない白いローブを羽織り、前後に丸いわっかの付いた乗り物の上で必死の形相で足を漕いでいた。
ようやく坂の頂点に達した彼は、浮かせていた腰を椅子のような物の上に降ろし、それからはすいーっと気持ちよさそうにその乗り物に乗って緩い坂を下って来て、驚く彼女の目前で急停止した。
「ただいま、ミラ姉! ……どうしたの?」
「お、お帰りなさい、カナタ君。な、何なのこの変な乗り物?」
「ああ、これ? これは在学中にマーカストン工房に依頼して作ってもらった自転車だよ」
「じ……てん……しゃ?」
目をぱちくりさせながら、銀色に光る自転車と今カナタが呼んだ乗り物に手を触れるミランシャ。その様子をおかしそうに見つめるカナタだったが、すぐに我に返ったミランシャから詰め寄られる。
「そ、そんな事より、カナタ君、遅い! 卒業したって聞いていたのに、どうしてこんなに時間がかかったのよ!」
「ご、ごめん、ごめん。帰りに立ち寄るって約束していたパプニカに寄って、それからデルムリン島にも立ち寄っていたから時間がかかっていたんだよ。あそこの魔物達、不健康な奴も多くてさ、診療に時間がかかってかかって……」
パプニカに加えてデルムリン島と聞いてミランシャの心がずきっと痛む。おそらくカナタはパプニカ王国もしくはデルムリン島を管理しているロモス王国に治癒士として雇われたんだ、と。
「そう……なんだ。それでカナタ君は、今日は孤児院に挨拶するために戻ってきたのね……?」
その言葉の意味を理解できなかったのか、カナタは一瞬首を傾げるがその後すぐに「あっ、そうだ、そうだ」と背負っていた鞄を足元に降ろし、その鞄に手を突っ込む。そのまま彼はガサゴソと鞄の中を探っていたが「あった、あった」と笑みを浮かべて何かを引っ張り出し来た。
「はい、ミラ姉。これ、デルムリン島にいた時に、たまたま島にやってきた大ネズミから貰ったんだ。今は壊れているけど、直せば使えるらしいし、ミラ姉、こういう変な物好きだったでしょ?」
そう言ってミランシャの手を取りそれを渡すカナタ。ミランシャの手には、一方に吹き口、もう一方には獣の頭部がレリーフされている笛のような形状をした物が置かれていた。
「……なーに、これ?」
「ふふふ。『獣王の笛』っていう魔道具の一種だって。どう、気に入った、ミラ姉?」
ミランシャはその笛というより、屈託ない笑顔を見せたカナタに安堵したのか、くすっと笑みを浮かべて頷いた。
「ありがとう、カナタ君。大切にするわね。それで、カナタ君はいつまで島にいられるの? 明日にはパプニカ? それともロモスに帰るのかしら?」
「何の事ですか……? パプニカにはこの間行ったばかりだし、デルムリン島はともかくロモスには俺特に用事はないですよ?」
「え、でもカナタ君、パプニカかロモスの国に仕官したんじゃないの?」
「――!? 何言ってるんだよ、ミラ姉。仕官なんてしていたら、俺ここに戻ってくるわけないじゃん。俺、決めたんだ。このデルフィン島とデルムリン島の両方で治癒士をやるって」
そしてカナタは、人間に加えて魔族や魔物の治癒士を目指している事をミランシャに告げる。
「2級治癒士になったと言ってもそれは人間に対する話で、魔物には良いとこ4級治癒士レベルなんだよ。種族によって全然体内構造が違うし、もう毎日勉強だよ。あっ、だからミラ姉。俺、週の半分は向こうの島にいるから、しばらく大変だけどよろしくね」
「島の治癒士って……、それじゃあ、カナタ君は晴れて2級治癒士になったっていうのに、どこの国にも、どこの会社にも就職しないの? カナタ君はそれで良いの? 2級治癒士だよ?」
そのミランシャの言葉に、カナタはちっちっち、と指を左右に振る。
「だめだめ、ミラ姉。俺を治癒士と呼んじゃあ。俺を呼ぶなら、
「ど、ドクター……? 何、それ?」
「ふふふ。俺が知っている限り離島の医者として最高の医師の一人さ」
そのどや顔に、1年前のまだ世界に絶望する前のカナタの表情を思い出したのか、ミラ姉は噴き出すように笑みを浮かべた。
「もう、調子に乗っちゃって。でも、どうやってデルムリン島に行くの? あそこってここから随分遠いでしょう?」
「そこはこの自転車の出番さ。デルムリン島に滞在していた時に、リザードマンが『空飛ぶ靴』っていう魔道具についている魔結晶を、もう自分には必要ないからって、この自転車に着けてくれたんだ。だから、この自転車で海を渡ってデルムリン島に通うってわけ」
「そ、そんな機能が付いているんだ。へー、なんだか面白そう。今度私にも乗り方教えてくれる、カナタ君?」
「もちろん。ミラ姉様に補助輪を用意しておくよ。あ、2ケツも出来るようにしておくから、今度一緒にデルムリン島に行こうよ」
そのカナタの笑みにハッと思い出したようにミランシャが手を打った。
「そうだ。カナタ君が戻ってきたら君に大学卒業のお祝いに渡そうと思っていた物があるのよ。ちょっと待ってて!」
そう言うや否や診療所の中に飛び込んでいくミランシャ。カナタはその様子を首を傾げながら見つめていたが、すぐに彼女は紙袋を持って戻ってきた。
「じゃあ、カナタ君。ちょっと目を瞑っててくれる?」
「目を……? え、もしかして、お祝いって……、ああいう系!? も、もちろん良いですよ!」
何を勘違いしたのか、突然顔を赤らめたカナタは、彼としては幾分キリッとした顔のつもりで目を閉じた。意味の分からない事に、「ミラ姉、これくらいで良いですか?」と、ミランシャが背伸びをしなくていいように若干膝を曲げる。
「……? 良いわよ、その態勢で。じゃあ、ちょっとそのままじっとしていてね。カチャ、カチャ」
カナタの耳に、自身のローブを束ねているベルトを外す音が聞こえてくる。
「そ、そんな、ミラ姉!? いきなりなんて積極的な……! い、いや、俺は大丈夫ですよ。どんなミラ姉も受け入れますから。どんとこいです!」
そんなカナタの意味不明な決意をよそに、ミランシャの手は動く。そして彼女は「うん、良く似合ってる!」と発し、カナタの腰に廻していた手を離した。
「良く似合ってる……? 何の事ですか、ミラ姉?」
「ふふ。もう目を開けても良いわよ、カナタ君。見てみて、これが私からのプレゼント。この間、本土の古物商が島に来た時に、カナタ君にぴったりだと思って手に入れていたのよ」
そう嬉しそうに手を叩くミランシャとは対照的に、カナタの表情はすぐれない。何故なら、先ほど彼の脳裏には、どこかでよく聞いた覚えのある『デロデロデロデロデロデロデロデロ デンデロン♪』という音が鳴り響いたからだった。
「……ベ、ベルト……?」
自身の腰に見慣れないベルトが装着されているのを見て、更に不吉な予感が増していくカナタ。そのベルトの表面にあるレリーフを見た瞬間、彼はまるで雷に打たれたように微動だにしなくなった。
「こ、このキノピオのようなターバンを頭に巻いた卑猥な笑みを浮かべた男の顔が模写されたバックルは……、ま、まさか……まさか……ありえない……」
「ああ、それ? ふふふ、古物商の方が言うには、それは大昔に至高の魔法使いと呼ばれた大魔道士の顔があつらわれたベルトらしいけど、ふふふ。本当かどうか怪しいわね」
その言葉を聞いた瞬間、彼は大声で叫んでいた。
「いや、本物だから、これ!! ――は、外れねぇッ!!! なんで、こんな呪いのベルトが150年経って俺の前に!?
その叫び声は、初夏のデルフィン島の全域に響くほど大きなものだった。
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カナタ・グラングリード。
ベンガーナ医療大学の149期生であり、史上5人目の、卒業と同時に2級治癒士の資格を得た治癒士である。
彼はその後医療魔法の創始者ポップ・マーカストン以来の特級治癒士の称号を得、ポップ・マーカストンの再来と呼ばれることになるが、彼自身は紹介される際には、終生『
なお、彼が常に身に着けていたベルトは、魔王戦役から大魔王戦役時に地上最高の魔法使いの一人と謳われた大魔道士マトリフ・サザーランドの手による物ではと噂されたが、彼自身がその問いを投げかけられる事を忌避していたため、その真偽は定かではない。
彼の医療活動の拠点は、大学を卒業しその生を87歳で終えるまで一貫して離島にあった。主に出身地であるデルフィン島と、かつて怪物島と呼ばれたデルムリン島で治療行為を行っており、デルムリン島はともかくデルフィン島には、多くの将来を嘱望される若い治癒士が彼の技術を盗むために訪れたという。
彼の業績で特筆すべきは、彼の治療行為の対象が人間のみならず、むしろ魔族や魔物達の方が多かったという点である。後の歴史家の一人は、この一事はポップ・マーカストンすらなしえなかった業績であると強く主張しており、一説によれば彼は魔族に請われ、魔界にまで治癒行為を施しに行ったと伝わっている。
私生活においては、デルフィン島で共に医療行為に従事していた女性と医療大学卒業から数年後に結婚し、彼女との間に5人の子を授かったと記録されている。彼のプロポーズの言葉は「責任を取って下さい!」だったとも言われているが、内容的に考えると、女性の方からそう責められたと考える方が自然であろう。
彼の墓石はデルフィン島を一望できる高台の一隅に今もあり、ときおり魔族や魔物がその墓前に花を手向ける姿が目撃されている。
生涯を離島での診療に捧げた『
はい、これで外伝『氷の大賢者の足跡を追って』(いわゆるカナタ編)シリーズは完結です。既に投稿済みの『閑話③ポップ・マーカストンの書』は、この外伝のすぐ後の話になります。投稿の順番が前後してしまったので、いらぬ伏線が新たに誕生してしまいました。
本作における長編シリーズは今の所これで打ち止めのつもりです。後は単発で『ポップ・マーカストン暗殺未遂事変』や、ほのぼの日常系が構想としてありますが、その執筆に入るのはしばらく後にしようと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。また感想など頂けますと幸いです。