転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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久しぶりの閑話投稿になります。少し長くなりましたが、まあ、閑話ですから良いでしょう(笑) 


220話 閑話㉑ 再会した大勇者と大魔道士

大魔王戦役から2年余りが過ぎたある日のカール王国の王城にある女王夫妻の私室。一時は魔王軍の手によって灰燼と化したその場所は、現在かつての面影を取り戻したようかのように、品の良い調度品が適所に配置され、その部屋の主にとって居心地の良い空間が形成されていた。

 

現在その私室には、1日の執務を終えようやく一息を付いている女王フローラとその夫アバンがいた。アバンは、部屋の中央に設置された小さなテーブルの周囲を囲む椅子の一つをそっと引いて、妻であるフローラに「……どうぞ、今お茶を入れます」と声をかける。

 

アバン同様、既に私服に着替えていたフローラは夫の気遣いにフッと笑みを浮かべながら、促されるままその椅子に腰かける。その妻のゆったりとした所作が常より気を配ったものだった事にアバンは気付いただろうか。妻が席に着いたのを確認したアバンは、壁際の腰の高さほどの棚の上に置かれているケトルを、彼自身の手に寄る熱を発する魔道具の上に静かに置いた。

 

彼ら二人は、カール王国にとって最も尊まれるべき者達であり、他国の例に習うなら私室とはいえ、部屋には彼らの身の回りの世話をする者が数名控え、お茶を入れると言った些事などはその者達が行うはずであった。

 

しかし彼らは公的な場はさておき、私的な場でそのような者を身近に置く事を控えていた。それが、今日(こんにち)ではカール国内で理想の夫婦と呼ばれる二人でも、かつて長い別離を余儀なくされていた時期があり、それがためにその期間を少しでも取り戻そうとしているためなのか、あるいは、復興が進んだとは言えカール王国の台所事情を鑑みたためなのか、どちらなのかは定かでは無かった。

 

ただ、日が頭上にある時はそれぞれ女王として、あるいは王配として多忙に過ごしている彼らが、夜の帳の降りたこの時間を大切に思っている事は、彼らが纏う穏やかな空気が告げていた。湯が沸くのを待っている間、アバンは花の模様が表面に描かれた白い陶磁器の蓋を開ける。その瞬間、部屋の中にふわっと紅茶の香りが広がった。

 

「お休みの所、失礼します。アバン様に、大魔道士マトリフ様が面会に来られておりますが、お通ししてよろしいでしょうか?」

 

鼻に漂う茶葉の香りをBGMに妻好みの紅茶を淹れる準備をしていたアバンと、その彼の楽し気な背中を穏やかな瞳で見つめていたフローラに、私室の外に控えていた従者から扉越しにそんな言葉が投げかけられた。

 

「マトリフが……?」と呟いたアバンは、フローラを伺うように視線を投げかける。そのフローラが自身の無言の問いかけにこくりと頷きを返したのを確認したアバンは、扉の向こうの従者に「どうぞ、来てもらってください」と返事をする。

 

従者も、余人が面会希望に来たのなら時刻も時刻である事から翌日にするよう勧めるが、面会希望の相手が魔王戦役と大魔王戦役で『勝利の立役者の一人』と名高い大魔道士マトリフであり、その上、彼と女王夫妻の友諠の深さを聞いて知っていた事から、その返事を半ば予測して声をかけていた。

 

そのため、返事を聞いた従者は我が意を得たりとばかりに、「承知しました。では、マトリフ様。どうぞこちらに」と続けるが、直ぐに「あ、あれ? いない? そんな馬鹿な……」と戸惑いの声を上げる。その不審な言葉にアバンは首を傾げながら自ら扉を開き、扉の外に所在無げに佇んでいた従者に問いかけた。

 

「どうしましたか、ピピンさん?」

 

ピピンとは、国王夫妻の近辺を警護する栄えある従卒に就いたばかりの成人したての、まだ頬にそばかすが残る初々しい青年だった。そのピピンは、カール王国が世界に誇る大勇者であるアバンを前に、緊張した様子で背筋を伸ばし返答する。

 

「はっ、そ、それが今しがたまでそこにマトリフ様がいたのですが、私が振り返ると忽然と消えておりまして……」

 

徐々に声が小さくなっていき恐縮しきりの若い従卒。アバンは優しく慰めるようにその青年の肩に手を置いた。

 

「なるほど。では、マトリフは面会希望を出したものの、急用を思い出して帰ってしまったのでしょう。まだ従卒になって日の浅いあなたは知らないでしょうが、気まぐれな彼にはよくある事です。あなたの責任ではありませんよ。さあ、もう職務に戻りなさい。今夜はいつになく冷えます。体調を崩さないように暖かくするんですよ」

 

敬愛する主にそう声をかけられたピピンは、鉄の入った左右の靴のかかとをカツンと打ち合わせ、若者らしくはきはきした口調で「はっ! 承知しました。ピピン、職務に戻ります!」と、回れ右をして持ち場に戻って行く。

 

その背中をしばし見つめていたアバンはその後、ゆっくりと扉を閉め再び自身と妻の私室に戻る。椅子に腰かけていた彼の妻は何かを言いたげな視線を彼に投げかけるが、アバンはあえてその視線に気づかない様子を装い、コポコポと沸騰しているケトルの前に移動した。

 

そのままアバンは熱を発する魔道具に手を添えその発動を止めた後、ケトル内の湯を、妻好みの紅茶となるよう配合していた茶葉の入った耐熱ガラスのグラスに注ぐ。そして複数のティーカップとグラスを手にしたまま彼の妻がくつろいでいるテーブルに移動するアバン。

 

コトッと微かな音を立てながらティーカップを妻であるフローラの前に置き、その隣の自席の前にもティーカップを置く。更にアバンはもう一つのティーカップを自身の向かいのテーブルの上に置いた後、妻、自身、そして無人の席においたティーカップに、微かにバラの香りが漂う湯気の立つ紅茶を慣れた手つきでゆっくりと注いでいく。

一見して理解不能な夫の行動だったが、妻であるフローラは楽しそうに目を輝かせながら、自身の前にある湯気の立つティーカップに手を伸ばして、こくりとその喉を動かす。

 

「ふふ。やっぱりアバンの入れた紅茶は美味しいわね。これもドリファンから習ったのかしら?」

 

「ええ、彼からはたくさんの事を習いました。習ってばかりで何もお返しできないのが心苦しいのですが……」

 

アバンは、3つのティーカップに順に紅茶を注いだ後妻の隣の席に腰を降ろし、自身もそのティーカップに手を伸ばしながら応える。

 

「彼はお返しなんて望んでいないように思えるんだけど。でも、そうね。私も彼にはとてもお世話になったし、一緒に何をお返しすれば良いか考えましょう」

 

寄る年波には勝てず昨年とうとう執事を辞去したいと伝えて来たドリファンに、「まだあなたの力が必要です。どうか、もう少しだけ私に力を貸してください」と慰留していたアバンは妻の言葉にこくりと頷きながら、無人の席で湯気だけを立てているティーカップに視線を投げかける。

 

「それより、マトリフ。紅茶は温かいうちに戴くのが鉄則ですよ。早く席に付いたらどうですか?」

 

当然のことながら、無人の空間に投げかけられたその言葉に返事をする者はいない……はずだった。しかし、その言葉に呼応するかのように突然アバンの眼前の椅子が誰かに後ろに引かれたように動き、椅子の座面に敷かれた厚いクッションが僅かにたわんだ。それだけではない。テーブルの上に置かれたティーカップが突然宙に浮き、そこに人はいないはずなのに、まるでそこに人がいるかのように上下に動く。

 

「……ふむ。良い線言っているが、ドリファンの淹れた紅茶と比べたらまだまだだな。くくく。女王も夫には採点が甘いと見える」

 

否……、そこに人はいた。辛口の採点と共に、徐々にその椅子に腰かけていた者の姿が露わになってくる。現れたのは、先ほどピピンが煙に巻かれて目を丸くする事になった原因を作った大魔道士マトリフだった。

 

そのマトリフはゆっくりと紅茶を喉に流し込みながら、ニヤッと笑みを浮かべてアバンを見つめていた。アバンは、突然現れた自身のかつてのパーティーの仲間であり、竹馬の友でもあるマトリフの姿を見ても特に驚いた様子は見せず、ただ苦笑いを顔に浮かべながらその辛辣な評に応える。

 

「そうですか、それはまだ私も精進が足りませんね。フローラからはお墨付きをもらったのですが……」

 

そう言って妻に顔を向けたアバンは、妻から「ふふふ。アバンの淹れてくれる紅茶には愛情が込められていますから。私にとっては彼の紅茶が一番なのよ」との返事を頂く。

 

「けっ。相変わらずお熱い事で結構だな」と皮肉気に言葉を発するマトリフに、今度はアバンが苦言を呈する。

 

「マトリフこそ、あまりカールの若い兵士をからかわないで下さい。彼、あなたが突然消えてびっくりしていましたよ」

 

「くくっ。かつて大陸最強を謳われたカール騎士団の練度を試したのよ。あれがロカやホルキンスなら気づいていたぜ。臨時の騎士団長であるお前が気付いていたようにな」

 

「無茶を言わないで下さい。皆、一朝一夕には育ちません。少しずつ先人の残した物を自分のものとしているのです。大丈夫、そのための努力を続けている限り、いつかは彼らも辿り着きますよ」

 

「なるほどな。まあ、お前の言う通りなんだろうな。もっとも、俺にはあの坊やが育つ未来を目にする事は無いだろうが……な」

 

「マトリフ……?」

 

不意に言葉に影の灯った親友の表情を訝んだアバン。その怪訝な表情をしたアバンからのそれ以上の詮索を嫌ったのか、マトリフは「そんな事より……」と言葉を続けた。

 

「そんな事より、覚えているか、アバン。大魔王戦役の終結から時を置かずカールのお前の邸宅で星を眺めながら一緒に酒を飲んだ日の事を……」

 

「もちろんです。あの夜空の見える自室であなたと語り合った日の事を忘れることなどできません……」

 

そう応えたアバンは、遠い目をして2年以上前の在りし日の事を脳裏に思い浮かべた。

 

 

 

~~~~大魔王戦役終結の3日後 カールの町 ジニュアール家跡地~~~~

 

 

「アバン様、本当にこの魔道具も売りに出して良いのですか? 先々代の当主の代からジニュアール家に残されていた貴重な魔道具なのですが……」

 

瓦礫の下から出て来たまだ使えそうな魔道具を手にしたドリファンが、やはり隣で崩れたがれきの下を漁っていた主人であるアバンに問いかける。そのアバンは瓦礫をどかす手を止め、ドリファンを振り返った。

 

「ええ、ドリファン。今のカール王国にとって喫緊の課題はいかにして早急に国を復興させるか、です。我が家に伝わる魔道具だろうと武具だろうと、金銭に替えられるものは全て換えてしまいましょう。そして少しでもカール王家による王国の復興の足しにしなければ。魔道具や武具などは、また作れば良いのです。それより、家を無くし今日食べる物も無いカールの民の命を繋ぐための外貨の足しとする方が何より重要です」

 

「カールの民……ですか。ふふふ、このドリファン。アバン様がそのような事を口にされるようになったと、歴代ご当主様の墓前に報告しなければなりませんね」

 

カールの民とアバンが口にしたことで、幼少期より支えていた主人が、女王陛下の隣で国を導いていく決意をいよいよ固めた事を察したドリファンが、実に嬉しそうに何度も頷く。そのドリファンの姿に気恥ずかしい物を感じながらも、その言葉を否定せずアバンは応える。

 

「フローラ……女王には長い間待たせてしまいましたからね。ですがこれは責任……ではありませんよ?」

 

「分かっておりますよ、アバン様。責任とは、義務が付随します。アバン様が女王陛下をその隣で支えようと決心なされた事は決して義務感からでは無いでしょう。アバン様が女王陛下の隣に立つことを望み、そして女王陛下もアバン様に隣に立ってもらう事を望んだ。思えば15年前にお二人はそれを互いに望んでいたはずなのに、時代がそれを許さなかった。

ですが、ようやくお二人にその時が巡ってきた。このドリファン、非難を覚悟で申し上げますが、この時に至った15年間は決して悪い時代ばかりでは無かったと思えます」

 

アバンは、長年ジニュアール家に仕えてくれた家宰のその言葉にこくりと頷いた後、気を取り直すようにパンと手を叩いた。

 

「さあ、まだまだジニュアール家には家宝と呼べるものがあったはずです。父も祖父も、歴代当主も、カール存続のこの危急の時にそれらが役立つ事を望んでいるはずです。私が許可します。じゃんじゃか売ってしまいましょう!」

 

そして、無残に崩れた家の修繕も後回しにして彼らは再び瓦礫の中から価値のありそうな物を探す作業にとりかかり、大魔王戦役終結から数えて3回目の夜を迎えた。

 

 

 

「こんな物しか用意できず、申し訳ありませんが……」

 

日が落ちたため、蝋燭の灯で周囲を灯しながらかつてのアバンの自室に足を運んだドリファン。そのドリファンは心苦しい表情を顔に浮かべながら、やはり蝋燭の灯で自室を微かに照らしていた主人に、米がまばらにしか入っていない雑炊の入ったお椀を手渡す。アバンは、破顔しながらそのお椀を受け取り、絨毯すら焼け落ちて敷かれていない硬い石床の上に腰を降ろした。

 

「何を言うのです、ドリファン。私にはこうして横になる事の出来る家があり、お腹を満たす事の出来る食事がある。これ以上を求めていてはバチがあたります」

 

「ですが……」

 

主人がそのような人柄である事を承知している一方、このような粗末な食事しか用意できなかった事を心苦しく思う、執事としての矜持が彼に謝罪の言葉を述べさせていた。そんな時、壁の一部が崩れて庭園との境が曖昧となった壁の向こう側から、彼らに投げかけられる言葉が。

 

「ちっ、久しぶりに来てやったら二人そろってしみったれた事を言ってやがる。本当にこれが、数日後には女王と結婚する男の生活かよ」

 

「「マトリフ!/マトリフ様!」」

 

二人の言葉が重なる。アバンは当然として、ドリファンもマトリフとは面識があった。魔王戦役では主人の右腕として最後まで隣で戦い、そして大魔王戦役では、主人不在の間は主人の弟子達を時に厳しく、時に優しく見守り、戦役において欠く事の出来ない役割を果たした不世出の大魔道士。今、愛用の白いローブを纏ったその大魔道士は、月の光をその身に浴び、暗闇の中に朧げに浮かび上がっているように見えた。

 

「……マトリフ、会いたかった。会って、あなたには礼を言わねばならないと……」と、アバンが崩れた壁の向こう側に立つマトリフに近づく。

 

「けっ、よせよ。男に礼を言われたって嬉しくもないんだよ。それより、いつまでもこれを受け取りに来ないから、直々に持って来てやったぜ。いい加減、場所を取って迷惑だったんだ。お前が責任を持って処分しろ」

 

そう言ってマトリフは背後を指差す。アバンとドリファンがその指の指し示す先に視線を移すと、そこには溢れるほどの武具や魔道具が詰まった宝箱が。

 

「マトリフ……、これは……」

 

「何だ、忘れたのか? これらは魔王戦役の際に、お前と一緒に手に入れたやつだろうが。俺がいったん預かっておいてやったが、いつまで取りに来ないから持って来てやったのさ」

 

「ですが、マトリフ、これらはあなたが……」

 

確かにマトリフの言う通り、マトリフの背後にある宝箱に詰まった物の中には彼と共に旅をしていた時に手に入れた覚えのある品もいくつかあった。ただ、当時のアバンはそれらの所有権をマトリフに譲っていたし、そもそもマトリフは彼とパーティーを組む前から独自に集めていた品も所有していた。宝箱の中には、そうした彼がもともと所有していた品が多数含まれているように見える。

 

「良いんだよ。もともとこいつらは処分をしようと考えていたんだ。お前の弟子達の面倒を見てやった礼だと思ってこれらの処分はお前がするんだな。……分かったな、アバン?」

 

その、仕事を押し付けようとする言葉の裏に隠された親友の真意に気づかないアバンではない。アバンは、崩れた壁越しにマトリフの手を取り「ありがとうございます、マトリフ」と口にする。そしてやはりマトリフの真意に気づいたドリファンも、マトリフに対して深く、深く礼をしていた。

 

「ああ、だから、仕事を押し付けてやったんだから、礼なんかいらねえってんだよ。それより、俺にもそのドリファンの料理を分けてくれよ。ドリファンの料理をいただくのなんて、魔王戦役の時以来だしな」

 

その言葉にドリファンは「はい、直ちに……!」と厨房に踵を返す。そして再びアバンの私室に粗末な食事を運んだ彼は、旧交を温め合う二人の邪魔をしてはならないと、執事である自身に割り当てられた部屋に戻って行った。

 

 

 

「……改めて、マトリフ。弟子達の事、とりわけポップの事について礼を言わせてください。ありがとう、マトリフ。あなたのお陰でポップは大賢者に至り、大きく成長する事が出来ました」

 

「……ああ、ポップか。まあ、確かにあいつには世話を焼かされたな。だがまあ、俺にとっても得る物が無い訳では無い出会いだったから、やはり礼には及ばねえよ。それより、お前。よくあいつを見出して守り、育てたもんだぜ。あいつがいなかったら、大魔王戦役は……」

 

そこまで口にしてマトリフは、グイッと手に持ったひびの入ったグラスを口に運ぶ。そのグラスには、マトリフがパプニカから持ってきたワインがなみなみと注がれていた。アバンもその様子を見つめながら、やはり手に持ったグラスを僅かに傾ける。マトリフの言葉の続きは予測がついていた。

 

大魔王戦役は誰か一人が欠けても勝利に結びつく事が無かった。それはあの戦いに関与した者の誰もが口にしている共通認識であり、アバンもその見解には強く同意する。しかしあえて言わせてもらえれば、その誰か一人が欠けても勝利に結びつかなかった戦士達を一人も欠けずにまとめ上げたのは、あの自身に関して無自覚・無頓着かつ引っ込み思案で女心に極端に疎い緑衣の魔術師だった、と彼は確信を持っていた。

 

「……1年と少し前。ランカークスの村で初めてポップに会った時、私はあの子が(きた)る魔王軍に対する嚆矢(こうし)になると思いました。何故、そう思ったのかと問われても答えようがありません。ただ、勘と……しか言いようがないのですが、このような言い方をすればあなたは怒りますか?」

 

「……いや、そうとしか表現できねえお前の気持ちも分かるよ。あいつは……特殊だからな。なあ、お前は気付いているのか? あいつは――」

 

「ここではない世界の記憶を持っている……ですか?」

 

「――!? やっぱりお前、気づいていたのか……?」

 

アバンの言葉に、常に冷静さを失わないマトリフが動揺を示す。その証拠に、彼の手に持ったグラスが僅かに揺れ石床に灰色の染みを作った。

 

「ええ……。最初はただ違和感を感じていただけですが、彼と共に旅をするうちに、そうと考えなければつじつまが合わない事が多々ありまして」

 

アバンはマトリフにそう応えながら、彼との1年に及ぶ旅の間での彼の言動を脳裏に思い浮かべる。勝利の願掛けを意味するミサンガ、聞いた事もない旋律と噂に上がった事もない旅の吟遊詩人、知らないはずの食材を用いた料理の数々に、極めつけは突拍子の無い発想の数々……。それらは、アバンに一つの結論を導き出させる事に十分な材料だった。

 

それらを説明されたマトリフは「そうか……」と嘆息と共に発し、アバンの目を見据えた。

 

「だったら話は早え。お前に言いたい事は、お前がこうして戻ってきたからには、これからはお前があいつの面倒を見ろって話だ」

 

「面倒を……?」

 

「そうだ、面倒だ。あいつは色々とおかしな奴だが、……良い奴だよ。お前にしか言わないが、俺はあいつを本当の息子のように思っている……。……何を笑っているんだよ、アバン?」

 

その言葉通りマトリフの眼前でクスクスと含み笑いをし始めたアバンを、マトリフはじろっと睨む。地上界最強の大魔道士に睨まれても、大勇者は顔色一つ変えずに応える。

 

「くすくすくす。すいません、世捨て人のような生き方をしていたあなたに、随分とポップは好かれたものだな、と思いまして。マトリフ、あなたがそんなに自分以外の人間を気にかけるのは、ロカ以来ではありませんか?」

 

「ロカ……か。まあ、否定はしねえよ。あいつの馬鹿さ加減と、親友を想う暑苦しいぐらいの性根は確かにポップに共通するところがあるな。って、そんな話はどうでも良いんだよ」

 

「そうですね、話の腰を折ってしまいましたね。すいません、マトリフ。面倒を……ですか。もちろん彼は私にとって大事な愛弟子ですから、これからも彼を公私に渡って支えていくつもりですが、……マトリフ。あなたらしくありませんね。何故ポップの事を私に託そうとするのですか? まさかあなた……」

 

マトリフの真意を見抜こうとアバンが眼鏡をキラッと輝かせ、マトリフを見つめる。マトリフはその視線を払うように、パタパタと手を振って応える。

 

「違ぇよ。そんなんじゃねぇ。だが、お前もポップも忘れているのかもしれないが、こう見えて俺も、種族としちゃあ人間なんだ。さすがにあいつの行末をこの先十年も二十年も見守って行くってのは無理だ。だからお前に託そうと思ったんだよ。あいつの秘密と共にな。だが、お前が奴の秘密に辿り着いているっていうのなら話は早え。……あいつの事を頼むぜ、アバン?」

 

「……改めて託されるまでもありません。彼は、私とあなたの弟子です。これからも師として彼を見守っていきますよ。ですが、マトリフ。あなたもまだまだポップを導く役割から降りるには早いですよ。いえ、ポップだけではありません。私も、フローラも、マァム達も、皆あなたを頼りとしています。これは古き友人としての願いです。マトリフ、あなたは迷惑に感じるかもしれませんが、これからもできるだけ長い時を私達と共に生きましょう。何だったら、私達を看取るほどまでに。ふふふ、ポップならきっとそう言うはずですよ?」

 

そのアバンの悪戯っぽい視線にマトリフは思わず顔をしかめる。

 

「ちっ、全く、お前達を看取るほどだって……? やっぱりお前達は、俺を人間以外の種族だと思ってやがるな。まあ、良い。大魔道士として前人未到の領域を常に切り開いてきたんだ。まだまだ、ポップの青二才がたどり着けない領域に俺の足跡を残してから逝ってやるよ」

 

「ふふふ、その意気ですよ、マトリフ」

 

 

そして二人は遅くまで盃を交わし合った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「あの日、あなたと屋根の無い部屋で空を見上げて眠りについた日の事は忘れもしません。まるで、魔王戦役の時のように、ロカ、レイラと一緒に野営をしていた日々を思い出すような経験でした」

 

「くく、あの後、干し肉を炙るために部屋の中で焚火を炊いた事を、次の日二人そろってドリファンに叱られたっけなぁ」

 

そんな彼らの楽し気なやり取りに、彼の隣のフローラが少女のように頬を膨らませて反応する。

 

「まあ。当時、屋根の無い部屋で寝ていたのは私も同じですよ。あの日、そんなに楽しい酒席をあなたの家で開いていたと知っていたら、私も乾パンと干し肉を持ってお邪魔したのに。どうして私を誘ってくれなかったのですか、アバン?」

 

妻からそのように水を向けられてたじろぐアバン。そのアバンは、話題を変えようと考えたのか、「そう言えば……」と、今度はアバンからマトリフに水を向ける。

 

「ポップから聞きましたよ。あなたがマァム達に授けた封印呪文(マホドーン)という呪文。本来は私に掛けるために開発した呪文だったとか?」

 

「ああ、あれか……。まあ、そうだな。だが、お前は隙が無かったからなぁ」と苦笑いを浮かべて肩を竦めるマトリフ。そのマトリフにアバンは更に尋ねる。

 

「では、もうその呪文を私に掛ける事は考えていないのですか?」

 

「くくっ。もうお前に封印呪文(マホドーン)はかかっているだろう……?」

 

そう揶揄するように応えたマトリフにアバンは首を傾げながら、「どういう意味ですか……? 私に思い当たる節はありませんが」と、疑問を口にする。それに対してマトリフはアバンから視線を剥がし、フローラの方を顎で指し示しながら続ける。

 

「かかっているだろう……? 愛する妻と、これから生まれてくるお前の子供からの封印呪文(マホドーン)が」

 

「「――!」」

 

マトリフの言葉、……とりわけ最後の言葉にアバンとフローラは驚きに目を見開いた。

 

「気づいていたのですか、マトリフ?」

 

「……驚きました。まだ城の誰にも言っていないのに……」

 

アバンとフローラがそう口にするが、マトリフはそんな彼女達に勝ち誇ったように胸を張る。

 

「へへへ、大魔道士様を舐めるんじゃねえぜ。他の誰も知っていない事を知っているからこそ、俺は大魔道士なんだよ」

 

その不敵な言葉に、マトリフならさもありなん、と納得した表情を浮かべる二人。

 

「それは理解しましたが、フローラやその産まれてくる子供が封印呪文(マホドーン)を私に掛けたとは……?」

 

「なんだ、自覚がねえのか? お前はもう、妻やこれから生まれてくる子供のためにも、あんな自己犠牲呪文を使おうなんて考えもしていないだろう? だからそれが、お前に妻とこれから産まれてくる子から掛けられた封印呪文(マホドーン)ってわけさ」

 

そのマトリフの言葉にフローラは深く頷き、アバンに視線を投げかける。彼女の右手は、自然と自身の腹部に置かれていた。

 

「そうね。私はもう、……ううん、私とこの子はもうあなたに封印呪文(マホドーン)をかけていたのね。ふふふ、アバン、その封印は一生解いてあげないわよ」

 

その言葉に苦笑いを浮かべながらアバンは、「それは仕方ありませんね。他の誰よりも、他のどの呪文より強力に、私に掛けられてしまっていたようですし」と肩を竦めながら応える。マトリフは、その二人の様子を優しい目で見つめながら、「くく。さしずめ、大勇者特効の封印呪文(マホドーン)だな。俺がかけるより強力だよ」と、楽しそうに呟いていた。

 

 

 

そうして彼らが束の間の歓談を楽しんでいた時、突然マトリフが「そうそう、肝心の用件を忘れる所だった」と、膝を打つ。

 

「用件……? 何ですか、それは?」

 

「ああ、おそらく明日だけどよ、ポップの奴がネイル村で結婚式を挙げやがるぜ」

 

「「――!」」

 

驚いた二人は、「それは本当ですか?」、「随分急ですね?」と口々に口にする。

 

「ああ。お前達なら知っているだろう? ポップの結婚式の日取りにベンガーナが口を出してきたって事は?」

 

その言葉に二人は苦い顔をする。もちろん知っていた。先日開かれた世界の首脳陣が集まる世界会議でベンガーナのクルテマッカ王が、ポップの結婚式の日程と場所に注文を付けてきたことに。その言葉の背景に、ポップを使って自国の影響力を世界に発揮しようとしている意図がある事は明白だった。

 

「……ポップは私達を結婚式に招待してくれようとしていたのですが、クルテマッカ王がそれに待ったをかけて来たのです。特定の国の公的な立場の者だけを呼んで何かを企んでいるのでは、と……」

 

フローラのその言葉にマトリフは頷く。

 

「まあ、あの男の言いそうな事だな。で、ポップはそんな政治的なパフォーマンスに自分達の結婚式が使われることに嫌気が差して、明日それぞれの家族だけを集めてネイル村で結婚式を決行しようとしているのさ」

 

「どうしてマトリフはその事を……?」と尋ねるアバンに「くくっ。蛇の道は蛇って奴さ。俺には色々な所に情報通がいてな」と応えるマトリフ。

 

「それでだ、俺が今日その話をしに来たのは、お前達に一緒にその結婚式を見に行かねえかって誘うためだ。手を焼かされた愛弟子、それもアバンにとっては愛弟子同士の結婚式だ。見に行きたいんじゃないか?」

 

そのマトリフの言葉に喜色を浮かべるアバンだったが、同時にその喜色に影が差す。

 

「師として、友人として、彼らの結婚式に行きたいのはやまやまですが、公的な王配という立場で彼らの結婚式に出席するとカールとベンガーナの間に余計な緊張を生むやもしれません……」

 

「アバン……」

 

アバンが彼らの結婚式に出席したいと望んでいる事に気づいているフローラは、アバンに気づかわし気な視線を投げかける。だが、そんな彼らにマトリフは「くくくっ」と笑いかける。

 

「おいおい、アバン。お前、王配としての硬い仕事ばかりやっていて、自慢の何をしでかすか分からない切れ者ぶりが鈍ったんじゃないのか? それを解決するための手段を、お前はもう目にしただろう?」

 

試すようなその問いかけにアバンは首を傾げながらマトリフを見返す。そのマトリフが不意に既にぬるくなったティーカップを口元に運ぶ。その瞬間、アバンはマトリフの問いかけへの正解に辿り着く。

 

「――! そうか、姿隠し(レムオル)の呪文! あれを使ってポップ達の結婚式に出席しようというのですね?」

 

ご名答、とばかりにマトリフは片方の眉を上げる。

 

「ダイとレオナにはもう話をつけてある。ヒュンケルにもだ。後はお前達だけだ。どうする?」

 

その問いかけにフローラはアバンに顔を向ける。

 

「行ってらっしゃい、アバン。私もポップ達の結婚式に立ち会いたいけれど、この子の事もあるし、今回は遠慮しておくわ。代わりに、結婚披露宴をカールで開く時にはしっかりと立会させてもらうつもりよ」

 

自身に宿ったばかりの子の事を第一に考えるフローラのその言葉に、アバンは頷きを返す。

 

「……分かりました。それでは、フローラの代わりに、彼らの結婚式を目に焼き付けて来る事にしましょう」

 

二人の会話を聞いていたマトリフは深く頷き、立ち上がった。

 

「話は決まったな。それじゃあ、式は明日の正午だ。集合場所はレイラの家だからな」

 

そしてマトリフは彼らの私室に面しているバルコニーに身体を進め、東の空に消えていった。

 

 

 

その翌日の正午過ぎ。姿を隠したアバン達の前では、神父が朗々と神への宣誓の言葉を述べていた。

 

「本日、これより神の御名においてポップとマァム、メルル、エルサの結婚式を行います。まず、神への誓いの言葉を。なんじポップはマァム、メルル、エルサを妻とし、すこやかなる時も病める時もその身を共にすることを誓いますか?」

 

神父の前に立つポップがその問いかけにはっきりと「誓います」と応える。次いで神父は、白いウエディングドレスを纏った三人に視線を投げかけ、再び言葉を紡ぐ。

 

「なんじマァム、メルル、エルサはポップを夫とし、すこやかなる時も病める時も、その身を

共にすることを、誓いますか?」

 

「「「はい。誓います」」」

 

三人は一瞬顔を見合わせ、直後声を揃えてそう応えた。

 

その後彼らは指輪の交換を行い、神父に神の前で誓いの口づけをするよう促される。皆の視線が四人に集中する中、ポップはややぎくしゃくした動きで三人に順にバードキスを行う。その様子を、ポップの両親、マァムの母、メルルの祖母、そしてエルサの弟が温かい表情で見守っている。

 

(ぷっ、ポップ君ったら腰が引けちゃって。もっと堂々とキスをすれば良いのに。ねえ、ダイ君?)

 

(でもみんなの前でキスをするなんて、ポップじゃなくても恥ずかしいよ)

 

(あら、ダイ君がそんな事を言っていたら駄目よ。私達の結婚式は、どーんと派手にやるんだから。場所は大聖堂。衆目を集めるだけ集めてやるつもりよ♪ かっこいい所を見せてよね、勇者様)

 

姿を消したまま、(えぇ……)と引きつった笑みを浮かべるダイと、ふふん、と胸を張るレオナ。そんな彼らにアバンが指を口元に当てて(しーー)と沈黙を促していると、突然神父が空に両手を高く掲げ、声を張り上げた。

 

「おお 神よ! ここにまた新たな夫婦が生まれました! どうか末長くこの4人を見守って下さいますよう! アーメン」

 

そして彼らは神父の前から下がり、彼らの家族が紙吹雪と祝福の言葉を投げかける中、それぞれに笑みを浮かべながら左右に長椅子が並ぶ中央の通路をゆっくりと、姿を消したアバン達の方へ歩いて行く。厳かな宣誓の儀式が終わった事で安堵したのか、四人の表情は皆柔らかなそれに代わっていた。マァムがポップに甘える様に背後から飛びつき、思わずポップがたたらを踏む。

 

アバンはその様子を見つめながら(……良い結婚式ですね。まるで彼らの前途を数多の神々が祝福しているような……)と呟く。

 

(ふっ、ああ、あいつらにはこれから先、いったいどんな未来が待っているんだろうな。まあ、大魔王をも倒したあいつらだ。きっと悩みながらも、あいつららしく困難を克服していくだろうさ)

 

アバンは、隣で目を細めて彼らを見つめているマトリフに(ええ、本当にそうですね)と応えた後、ちらりとその隣の白髪の青年に視線を投げかける。その青年も、他の者達同様本日の主役である四人に対して、優しい眼差しを送っていた。

 

(……ヒュンケル、オーザムでの暮らしはどうですか? あなたは昔から直ぐに服を脱ぐ癖がありましたが、治りましたか? オーザムでそんな事をしていては、いくらあなたでも風邪を引いてしまいますよ)

 

その言葉に、穏やかな笑みを浮かべていたヒュンケルが途端に仏頂面に変貌する。

 

(いつの話をしている、アバン。いい加減、俺を子ども扱いするのは止せ。それに……服を脱ぐ癖はエイミにうるさい程注意されているから……問題ない)

 

(くっくっく、お前達アバンの弟子は、お前と言い、ポップと言い、ダイと言い、皆女の尻に敷かれてやがるなぁ。まあ、師であるこいつからして女の尻に敷かれているんだから、無理からぬ事かもしれねえが)

 

二人の会話を聞いていたマトリフからそんな揶揄の声が飛び、アバンは苦笑いを浮かべながら、彼らの傍まで来た四人のうち、とりわけマァムを見つめる。

 

(……ロカ、あなたの愛娘は、自分自身で生涯の伴侶を選びましたよ。あなたの曇りなき眼は確かにマァムに受け継がれています。だから安心してくださいね。きっとマァムは幸せになります)

 

そう心の中でロカに語り掛けながら、周りの者同様に手を叩いて祝福を送っていたアバン。そのアバンに、一瞬マァムが視線を合わせ、まるで来てくれてありがとう、と言わんばかりに控えめな笑みを返していた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「なあ、マァム。互いの家族だけを呼んだ小規模な式だった割には、随分と俺達を祝ってくれる拍手が多くなかったか? あの教会の構造って、思った以上に音が響く様に出来ていたのかな?」

 

「ふふふ。家族だけって言っても、私達には血が繋がっていない家族もいるじゃない。彼らも祝ってくれたからじゃない?」

 

「どういう意味……?」

 

「くすっ。おじさんも、あんな呪文の使い方をするのなら私も目くじらを立てたりしないのに。そんな事より、今日からは私達も晴れて家族になったわね。これからもよろしくね、()()()()。浮気したら、閃華裂光拳よ?」

 

「あ、マァムさん、抜け駆けは駄目ですよ。ポップさん、私も、これからもよろしくお願いしますね。浮気をしようとしても、星読みですぐに分かりますからね?」

 

「ポップさん、こんなふつつか者ですが、すえ長くよろしくお願いいたします。浮気されたら氷の彫像にして庭に――」

 

「だぁーー! 分かってるってば。浮気したらドロドロに溶かされるわ、すぐに見破られるわ、氷の彫像にされるわっ、て運命が待っているのが分かっているのに、するわけ無いだろ! そんな事より、俺の方こそ、今日からよろしくお願いします! こんな俺だけど、どうかお見捨てなく。歳を取っても手を繋いで歩いて行けるような関係を目指すんで、一緒に幸せになろうな!」

 

 

 

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アバン・デ・ジニュアールⅢ世とマトリフ・サザーランド。この両者の名は、紛れもなく魔王戦役から大魔王戦役へと続く激動の時代を代表する英傑として、大魔王戦役から150年が過ぎた現在でも広く知られている。

 

彼ら両者に共通するのは、魔王戦役における勇者一行(パーティー)の一員である事に加えて、共に、大魔王戦役において対魔王軍陣営で中心的な役割を果たした『氷の大賢者』ポップ・マーカストンの師であるという点であろう。

 

ポップ・マーカストンが勇者アバンの導きによって『賢者』に至り、更には大魔道士マトリフの導きによって『大賢者』の高みへと至った事は、彼を研究する歴史家のみならず広く世に知られている公然の事実であるが、その彼がアバンの創設したアバン流殺法の棍術の使い手であり、大魔王戦役の勃発以前に初伝の認可をアバンから頂いている事を知っている者は、さほど多くない。

 

それは、彼の並外れた魔法力と、円熟期には千の呪文を操ると謳われた『大賢者』としての側面が恒星のような輝きを発する影に埋もれがちな技能であるが、彼がこの技能に特別な思いを抱いているのは、戦後の彼の『アバン先生から伝授された“アバン流棍殺法”は俺の宝』、『どれほど強力な呪文を操っても、この技が俺の存在証明(アイデンティティ)である事は変わらない』などと言った発言から、読み解く事が出来る。

 

大魔道士マトリフは大魔王戦役終結後ほどなく他界したため、ポップ・マーカストンとの師弟関係の期間としては短いものになっているが、彼とアバンの師弟関係はその生涯に渡るほど長い期間に及んでいる。そのため、彼らにまつわるエピソードはマトリフのそれより多く残されており、写真機に代表されるように時に彼らは協力して魔道具を開発したり、時に互いに知恵を絞りギルドメイン大陸で勃発する問題に対処するなど、大魔王戦役当時と変わらない理想的な師弟関係をその生涯に渡って構築した。

 

また、彼らはただの師弟関係ではなく、時に医療魔法の分野ではその師弟関係が逆転していたり、果ては互いの子息にとっての義父の関係になるなど、その関係性が歳を重ねるごとに異なる点などが、多くの後世の歴史家の興味を集めている。

 

最後に、晩年を迎え前述した二人の師を弔ったポップ・マーカストンが残した言葉を紹介しよう。この言葉は、彼の死後ベンガーナ医療大学の校訓ともなっており、その言葉が刻まれた石碑はベンガーナ医療大学の門をくぐった生徒が最初に目にする場所に、今でも残されている。

 

『人生において、尊敬に値する師を得るばかりでなく、誰かにとっての師となりえる事は、この上ない喜びである。それは、自身の成長を促すだけでなく、遠い過去と遠い未来を繋げる悠久の刻にその身を委ねる事を意味する。若者よ、師を得、研鑽に励むと良い。そして、いつの日か、君が次代の若者を導く師となるのだ。それが、歴史の糸を紡ぐという事だ』

 

勇者アバン、そして大魔道士マトリフという稀有な師を得たポップ・マーカストン。医療魔法の分野における彼の弟子は、大魔王戦役から150年が過ぎた現在、彼に直接的に師事した者だけでなく間接的に師事した者まで含めると、優に万を超えるとも言われている。

 

そして今日も、ポップ・マーカストンに憧れ医療魔法の習得を志す若い学徒が、ベンガーナ医療大学の門戸を叩いている。

 

 

 




この二人をメインに書こうと決めたのは、本作どころか原作でも彼らの会話が無かったことから、大戦後二人が再会したらどんな会話をしただろうと夢想した事が契機でした。ポップは師に恵まれましたね。
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