マルノーラ大陸は、ギルドメイン大陸の北に位置する大陸である。その形はちょうど前世でいうところの日本の北海道に酷似している。海路でランツェの町からその大陸までは、半島を大きく迂回しおおよそ2日程度といった距離だ。ただ、今は海流が南から北に向かっているため、風の恩恵があれば、うまくすれば1日程度で着くかもしれないらしい。
「うー、なんか突然寒くなってきたんですけど……。もうすぐオーザムなんですか?」
俺は船に用意されていた毛布に包まり、レイドさんに話しかけた。レイドさんというのは、ランツェの町までライオネル王の名代としてアバン先生を迎えにきた使者の方だ。
朝一番でランツェの町に来たレイドさんの要望を受け、アバン先生と俺は直ぐにレイドさん達の船に乗りこみ、オーザムに向かうことになった。レイドさん達の乗ってきた船は内洋を移動するための漁船とは違い、外洋を移動するためかかなり大型の帆船だ。船内には船室やシャワー室も備わっている。
レイドさん達にとっては、ランツェの町について直ぐにトンボ帰りすることになるが、そんなことは全く問題ではないらしい。
そんな事より、一刻も早く主君の希望通りアバン先生をオーザムに招待し、主君と会わせたいらしい。主君思いの人だ。
今日の朝にランツェの町を出発し、今は辺りが薄暗くなってきた。もうすぐ太陽が完全に水平線に沈みそうだ。今は8の月なので、1年の内で最も暑い気候のはずだが、俺は寒さに震えている。
「いえいえ、オーザムの玄関口にあたる港に着くのは明日の午前といったところでしょう。ですが、この辺りはもうマルノーラ大陸の永久凍土である山脈から吹いてくる北風が届く位置ですので、冷たく感じるのです。我々からすれば懐かしい匂いのする風で、故郷に帰ってきたと感じるのですが、南の大陸育ちの方にとっては、つらいでしょう。暗くなってきましたし、良かったら船内で食事も用意していますので、中に入っていてください」
そういって、レイドさんは船室への扉を指さす。
「……うーん、そうですね。じゃあもう少ししたらそうさせてもらいます」
外は風が冷たいが、初めて見る外洋の景色に名残惜しいものを感じていた俺は、完全に日が落ちるまでは景色を楽しみたいと思い、もう少し甲板に出ていることにした。
「レイドさん。私はかつて魔王と戦っていた際に、剣術の修業のためにマルノーラ大陸を訪れたことがあります。少々時間が無かったため、オーザムに立ち寄り王にあいさつをすることは無かったのですが、何故現オーザムの王であるライオネル王は私に興味を持ったのでしょう?」
俺の隣で外洋の景色を眺めていたアバン先生が、レイドさんにそう尋ねる。
「ライオネル王は、8年ほど前に前王の崩御を受けて、玉座に就かれました。元々オーザムの出身の方ですが、玉座に就かれるまでは、見分を広めるために南の大陸を旅していたと聞いています。その旅の間にアバン殿の勇名を聞き及んでおり、何か事が起こった際には知恵を拝借したいと考えていたようです」
アバン先生に問われたレイドさんがそう答える。
「なるほど……。つまり、今がその『事が起こった際』、という訳ですね?」
「……そういう事になります。詳細は王とお会いした際に……」
「ええ。分かりました」
うーむ、何やらきな臭い話になりそうだな。俺達で解決できる話だと良いけどな。俺は、徐々に近づいてくる氷の大陸に目をやりながらそう考えていた。
そのうちに、太陽が完全に水平線に沈み辺りが真っ暗になったので、俺とアバン先生は船内に移動し、軽く食事をいただいた後、割り当てられた船室で早めに床に着いた。
「おーい、そっちロープが短いぞ。もっと長いのを取ってくれ! お前はそれを係留してくれ」
「スーザン、タラップの用意を頼む!」
俺は、寝室としてあてがわられている部屋にある小さな窓からそそぐ明るい太陽の光と、船員の人達の大きな声で目が覚めた。
目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのか理解できず寝ぼけた頭で混乱したが、直ぐにオーザム行きの船の中の2段ベッドの中だということを思い出した。
上半身を起こして、下のベッドを覗くと、そこで寝ていたはずのアバン先生はもういなかった。
小窓に目を移すと陽射しがかなりきつい。太陽が昇ってかなりの時間が経っているようだ。
俺は布団をめくり2段ベッドを降りると、窓から入り込んでくる冷気を感じ、思わず身をすくめた。
「おー、なんかめっちゃ寒いぞ。8月の気温じゃないぞ、これ。息も白いし……」
俺はそう独り言を言いながら、自分のリュックの中からできるだけ厚手の服を引っ張り出し、寝間着から着替えて、外に出た。
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アバンは、まだ辺りが薄暗い時分に船が減速を始めた事に気が付き、目が覚めた。
昨日は早めに就寝したため、睡眠時間は十分取れている。ベッドから身を起こし、2段目のポップが寝ているベッドに目を移すと、未だ熟睡しているポップの姿があった。
慣れない船旅に疲れがたまっていたのかよく眠っており、その足は布団を跳ね上げてしまっている。アバンは、弟子のその寝相を見て苦笑しながら、跳ね上げられてしまっている布団を再びポップにかけてやった。
その後厚手の服に着替え、髪を整えたのち、ポップを起こさないよう静かに部屋を出た。
甲板に出てアバンが最初に感じた感想は、『懐かしい空気』だった。
この刺すように冷たい風、しかしどこか清涼な匂いもその中に感じる。それは、かつて魔王ハドラーとの戦いの最中修行で立ち寄ったマルノーラ大陸での日々をアバンに思い起こさせた。
あの時は、大魔導師マトリフと共にこの大陸に上陸した。まだアバン流刀殺法が確立する前の事だった。
実体のないエネルギー生命体に対する攻撃手段を得るために、『ブリザード』や『ひょうがまじん』のいるこの大陸が修行にはうってつけとマトリフに勧められたからだ。
おかげで、アバン流刀殺法で最も難度の高い空裂斬をこの大地で会得することができた。
アバンは、マトリフの事を考えていた。マトリフは今どこにいるのだろうか? 魔王との戦いの後、彼がパプニカ王国に仕官したことまでは知っているが、ほどなく彼はその仕官先を出奔してしまった。
詳細は把握していないが、彼の性格を考えると、それも無理のない事のように思えるが、私にだけは行先を教えておいてほしかったと考えるのは傲慢な考えだろうか。
今私はマトリフではなく、マトリフと同じく魔法の才能にあふれた弟子のポップと共に、再びこの地を訪れた。その不思議な巡り合わせに私は思わず運命という言葉を思い浮かべた。
……そろそろポップに話しておいた方が良いかもしれない。私が旅の途中で、彼と再会する前に力及ばず倒れてしまった時のために。アバンは、そっと身に着けている鞄をなでた。
ポップに私の後始末を頼むのは心苦しいが、頼める相手と言えば、ポップしかいないだろう。私は既にポップに全幅の信頼を置いている。私の認識では、彼はとうに弟子という存在でなく、相棒として捉えている。
彼が魔法使いとして次のステップに移るためには、私ではなくマトリフに師事をした方が良いのだが、その肝心のマトリフの所在が不明だ。
私では、彼をこれ以上の高みに導くことが出来ない。そうだ、そろそろ彼の卒業も考えないといけないと思った。
「これはアバン殿。お早いですな。昨晩はゆっくり休めましたでしょうか?」
薄明かりの中、忙しそうに働いている船員のうちの1人がアバンに声をかけてきた。
「おはようございます、レイドさん。おかげさまでゆっくりさせていただきました。昨晩からずっと働いて?」
「いえいえ。我々も交代で休憩を取っておりますので、お気になさらず。ポップ殿はまだお休みで?」
レイドは、いくつかの指示を部下らしき船員に行い、アバンの側に来てもう一人の同行者について尋ねた。
「ええ。彼は育ち盛りですからね。よく食べて良く寝ていますよ。若いというのは良いですね。なかなか真似が出来ません」
「ははは。何をおっしゃいますか。アバン殿も十分お若いですよ」
2人は薄明かりの中、談笑をしている。既にマルノーラ大陸が間近に迫っている。遠くに、凍った樹氷が連なる森と、港らしきものが見える。右手側の海上には、港から出航したのか、漁船が数隻確認できる。
その先の水平線には太陽が徐々に姿を現してくる様子が見えた。その景色は素晴らしく、アバンは同行者も起こしてあげれば良かったかなと考えていた。
「後、1時間もすれば港に着きますよ。その後はソリで1時間ほど移動すればオーザムの町につきます」
「なるほど。以前私がマルノーラ大陸に来た際にはルーラの魔法で来たので、ゆっくり大陸を見る余裕がありませんでしたが、こうして見てみると、広大な大陸ですね」
「ええ、大陸の中央には広大な湖があり、多様な動植物が生息する森林も大陸中に繁茂しています。見てお分かりのように、冬は氷点下まで気温が下がり住むには過酷な地ですが、それでも我々には愛すべき故郷です」
レイドからは、自身の生まれ育った故郷に対する愛着が強く感じられ、思わずアバンは微笑んだ。
「それでは、私はこれで。冷えておりますので、体調を崩されませんように」
そう言って、レイドはアバンの側から離れていった。接岸が近いのであれば、彼もやるべき仕事が多いのだろう。
さっそく、移動しながら部下にあれこれを指示をしている。
アバンはその様子を視界の端で捉えながら、朝焼けで徐々に全貌が明らかになるマルノーラ大陸の様子を眺めていた。
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「おはようございます、アバン先生」
俺は、船の欄干に腕を預けて景色を眺めていたアバン先生に後ろから声をかけた。俺の声を聞いたアバン先生は、ゆっくり振り返った。
「おはようございます、ポップ。ずいぶんよく眠っていましたね。……おや? ポップ、あなた寝癖が付いていますよ?」
アバン先生はクスクス笑いながら俺の髪の寝癖を指摘した。しまった、着替えるだけで髪を整えるなんて事はしていなかったな。
「え、そうですか? あはは。まあ俺の髪に寝癖があっても誰も気にしませんよ」
「そういう問題では無いと思いますが……。まあ、良いでしょう。それよりポップ、ご覧なさい。オーザム国が見えてきましたよ」
俺はアバン先生が指を指した方角を見た。
本当だ。港が見える。同じ港でもランツェの町とは大分違うな。
ランツェの町は、漁港が併設されていても町全体はどこかおしゃれな雰囲気の町だった。
家々のレンガが暖色系の色だったからそう感じたのかな。
逆に、こちらの港は、漁港が町の大半を占めているように見えるからか、とても実用的な感じの町だ。
「ランツェの町とは大分違いますね。漁港はあるようですが、町という感じは余りしないというか……」
俺のその疑問に答えてくれたのは、左の方向からかかった声だった。
「ふふ。そうですね、ランツェの町とは違い、オーザムの港は魚や特産品を船に積み込んだり、積み下ろしたりするだけの港ですからね。ここで寝泊まりする人間はまずいません」
俺が左の方向を見ると、レイドさんが近づいてくるところだった。
「おはようございます、ポップ殿。昨晩はゆっくりお休みになれたようで、何よりです」
「おはようございます、レイドさん。船の揺れ具合が丁度寝付きに良かったみたいで、よく寝れました」
「ははは。そう感じると言うことは、ポップ殿には海の男になる資格があると言うことですよ」
うーん、そうだろうか。確かに船酔いには強いのかも知れないが、海の男って筋骨隆々のたくましい男のイメージがあるからな。
それは俺とは真逆のスタイルだから、やはり真に受けたらいけないだろう。
「レイドさん。ここで寝泊まりする人間がいないというのは、どうしてですか?」
「ああ、それは単純にここでは夜は寒すぎて寝ていられないと言うことですよ。暖を取るための手段は限られています。薪を燃やして暖を取るか、魔道具を使い暖を取るか。いずれも高価な物ですので、流通は限られています。ですので、この港で働く人間は、暖を取る術のあるオーザムの町で皆寝起きし、日が昇る頃にこの港に来て、日が沈む頃にはまたオーザムの町に戻るという生活をしているので、他の町のように家と呼べる物がほとんど無いのですよ」
なるほど。つまり暖が無いとたとえ冬で無くても寝られないほど寒い国がオーザムという訳か。聞けば聞くほど過酷な環境だな。
……おや、あれは?
「なるほど。良く分かりました、レイドさん。後、あそこで積み込みをしているのは何ですか? 魚では無いですよね?」
俺は接岸中のこの船の左の方で積み込み作業待ちの大型船を指さした。2m四方の大きさの木箱がいくつも船に積み込まれている。
「ああ、あれはこの国の特産品である魔結晶を船に積み込んでいるんですよ。ここから運ばれた魔結晶はベンガーナ、カール、パプニカ、ロモスに運ばれ、各地で魔道具へと加工され広く利用されています。ご存じなかったですか? ここオーザムの魔結晶の埋蔵量は、ギルドメイン山脈に次ぐ大きさと言われておりますよ」
「そうだったんですか。それは知りませんでした」
知らなかった。オーザムって魔結晶の産地だったんだ。ギルドメイン山脈も万年雪の積もる山脈だし、魔結晶って何か氷点下の環境でこそ生成される条件的なものがあったりするんだろうか。
「そろそろ接岸作業が終わりそうです。アバン殿、ポップ殿、部屋に荷物を残しているようでしたらそろそろ持ってきた方がよろしいかと」
レイドさんのその声で、俺とアバン先生は荷物を取りにいったん船内に戻った。いよいよマルノーラ大陸初上陸だ。楽しみだな。