覚悟を決めたアバン先生が、ハドラーに対して駆けて行く。止めなければ。俺はこの後に発生する光景を知っている。倒れている場合じゃないだろう、ポップ!
ああ……、アバン先生が
俺は、自分の胸に置かれた身代わりの石をアバン先生に投げると同時に、大声で叫んだ。
「駄目です、アバン先生! 先生は生きて下さい!!」
「きゃっ!」
ハッ、ハッ、ハッ……。アバン先生は!? ハドラーは!? 上半身を起こした俺は、息苦しさに胸を押さえながらも、周囲を素早く見回した。
……あれ? ここは、デルムリン島でハドラーと戦った洞窟じゃない? まず正面に壁が見える。その壁には、何が描かれているのか判読できないが、小さな額縁が掛けられている。部屋……だな。
しかし薄暗い。部屋に差し込む淡い光に釣られて窓の外に目をやると、下弦の月が夜空に浮かんでいた。あ……、ダイが俺の右手側にあるベッドで眠ってる……。ここって、もしかして……。
「……ポップさん? 大丈夫ですか?」
へっ!? 突然ダイのベッドと反対側からかけられた言葉に驚き、俺は振り返った。
そこには、心配そうに俺を見つめるメルルがいた。
俺はどうやらベッドに横になっていたようだ。そしてメルルは、そのベッドのそばにある丸椅子に腰を掛けていた。
状況を理解した俺は、思わず赤面してしまった。そうか、夢か……。最近は見なくなっていたのに、どうして今日に限って見てしまったのかな。俺、変な事を口走らなかっただろうか?
「あ、ああ。ごめん、メルル。ちょっと変な夢を見ていたみたいだ。……ずいぶんと暗いね。今、何時なんだろう?」
「……今は、日がちょうど変わったぐらいの時間だと思います。あの……ポップさん、まだ怪我がきちんと塞がっていないんですから、横になっていた方が……」
そう言って、メルルは上半身を起こしていた俺の身体を、再びベッドに横になるようにやんわりと押さえた。
俺は、その行為に抵抗する事無く従った。しかし、日が変わった時刻だって? 確か、百貨店で魔物と戦っていた時はまだ日が出ていたはずだけど、いったい、これは……。横になった俺は、独白するように呟いた。
「……ん? 俺、いつベッドに横になったんだろう? あれ、何かその辺の記憶があいまいだな……?」
「ポップさんは、血をたくさん流し過ぎてあのデパートの屋上で気を失われたんです。それで、皆でポップさんを宿まで運んでこのベッドで休んでもらっていたんですよ。熱も少し出ていたみたいだから、私、心配で……」
メルルが、心底心配したという顔で俺の様子を伺う。
「そんな事になってたのか……。どうりで記憶が無いわけだ。でも、誰がここまで運んでくれたんだろう? ダイかな?」
「いえ、ポップさんのお仲間の女性の方が、えっと、こうやって……」
メルルがやってくれたジェスチャーは……、マジか……。それって、お姫様抱っこって奴じゃないのか? しかも俺の仲間の女性って、それマァムだよな? 姫さんがそんな事できっこないし。
え、俺、マァムに先日のロモスでのおんぶに続いて、お姫様抱っこされちゃったの? もう俺の男としての尊厳、下限方向に限界突破してないか?
「そ、そうなんだ……。それで、皆は? ああ、ダイはいたな」
俺はもう忘れてしまおうと、首を僅かに振って、俺の隣でシーツを跳ね除けて眠っているダイを見た。ああ、よく見るとゴメもそのダイの枕元で夢の世界に旅立っているようだ。
「あの後すぐに、レオナ姫が宿を取ってくださって……」
ふむ……。結構派手にやってしまったから、お忍びでベンガーナに来ている姫さんの立場が悪くならなかったか心配だったが、メルルによると、どうやらそれは杞憂だったようだ。どうやらこの町の守備隊長が、俺が気を失った後駆けつけてきたらしいが、彼らはどうも自分達がヒドラやドラゴンを倒した事にしたいらしく、その空気を呼んだ姫さんが、身分を隠したままこれ幸いと手柄を譲ったらしい。
まあ、市井の人達には姿も見られているから完全にごまかす事は出来ないだろうが、少なくとも守備隊の口からベンガーナ王に俺達の報告が行く事はなさそうだ。
「私達は、ポップさんのお仲間の女性の方達と一緒に隣の部屋で休んでいます。マァムさんとレオナ姫も、何度もポップさんの様子を見に来ていたんですよ」
「そうなのか。それは心配させちゃったな」
そう答えた時、俺の腹から「ぐーー」という腹の虫の鳴る音が響いた。
「あ……」
「ぷ、くすくすくす……。お腹空いてたんですね、ポップさん」
くすくすと忍び笑いをするメルルに、俺は頭をかきながら「面目ない」と答えた。いや、だって今日の……いや、もう昨日か。昨日の昼に食べたたこ焼きから後、俺何も腹に入れてなかった事になるもんな。そりゃー、お腹もすくさ。
「ふふ。ちょうど良かったです。ロウの実を剥いて持ってきたんですけど、良かったらいかがですか?」
「え、ロウの実!? 食べたい、食べたい。久しぶりだなー。メルル、良く俺の好物知ってたね?」
「ふふふ。だって、前にランカークス村で一緒に遊んでいた時、おば様が作ってくれていたポップさんのお弁当に、いつも入っていたじゃないですか。分かりますよ」
そう言いながらメルルは、隣のテーブルに置いていたらしいロウの実が乗った皿を手に取った。ああ、良い匂いがする。俺、昔からこの果物が好きなんだよな。この実は、前世でいう所の桃のような見た目と味をしている。甘くて、瑞々しくて、そして、……前世をどこか思い起こさせてくれる果物。
「そうだったかな……?」と赤面しながら、俺は少し身体を起こし、それを受け取ろうと手を伸ばした。しかし、……。
――痛っ! 途端に、肩にズキンッと痺れるような痛みが走り、俺は思わず肩を抑えてうずくまった。
「大丈夫ですか、ポップさん! まだ動いちゃだめですよ……!」
「あ、ああ。ごめん、ごめん。まさかまだこれほど痛みが残っているとは、思わなかったよ……」
俺は改めて自分の左肩を見つめた。これは、あれだな……。サタンパピーにガッツリと肉を喰いちぎられた時の怪我だな。包帯をきつく巻かれているし、怪我も癒えてはいるけど、その引き攣るような痛みはまだ残っていると見える。
「あ、あの……ポップさん。良かったら、その……私が食べさせてあげましょうか……?」
「え、メルルが? あ、いや、良いよ、そんな悪いよ。頑張って自分で食べるよ」
「だ、駄目です……! 明日、もしポップさんの体調が戻っていたらテラン国に向かう予定になっていますから、少しでも身体を回復させておかないと。だから、せめてこれくらいの事はさせてください」
テランへ? ああ、そうか。ダイのルーツを探りにテランに行く事になったんだな。そうか、いよいよだな。
俺がそんな事を考えていると、俺の目の前にフォークに刺さったロウの実が突き出された。思わずメルルの顔を見ると、暗くて分かりにくいが恥ずかしそうに俺の事を上目づかいで見つめていた。
その仕草がなんだかリスのようであまりに可愛らしく、俺は思わず笑みを浮かべ、仕方ないかと諦める事にした。
俺が「はい、あーん」と大きく口を開けると、メルルがおずおずと俺の口にロウの実を差し入れてくれた。
「うん、美味しいよ、メルル。ありがとう」
「ふふ。良かったです。まだたくさんありますから、いっぱい食べてくださいね」
結局俺は、メルルが差し入れてくれたロウの実をきれいさっぱり全て頂いた。
「ごちそう様、メルル。美味しかったよ」
「ふふふ。元気が出たみたいでよかったです」
……その後、俺達はどちらともなく窓から見える月を見上げた。そして、どういう訳か沈黙が流れたので、俺は月から視線を剥がし焦ったように口を開いた。
「えっと、メルル。そろそろ部屋に戻らないと明日も――「ポップさん……」」
とっ……、何だろう。メルルが思い詰めた様子で俺の名を呼んだ。
「ポップさん……。さっきの言葉、先生は生きてって、アバン様の事……ですか?」
ああ、やっぱり俺はそんな事を口走っていたか……。参ったな。どう説明したものか……。
「ポップさん、とても、……とても苦しそうでした。私がポップさんの苦しさを取り除ける、なんて思っていませんけど、話す事で楽になる事もあると思います。もし良ければ、私に話してくれませんか?」
メルル……。いや、駄目だ。あの時の事を話すと、メルルはきっと俺に寄り添ってくれるだろう。だけど、それではメルルに余計な心の重荷を背負わせる事になる。そんな事は、……。
俺がメルルのその言葉に躊躇していると、メルルはそっと俺の手を握った。
「ポップさんは、5年前から少しも変わっていません。自分だって辛いのに、いつも自分の事を後回しにして……。だから、私ずっと決めていたんです。次にポップさんに会えたら、私だけはポップさんの事を最優先にしようって。それぐらいしないと、ポップさん、いつまでたっても自分の事を考えてくれないから」
そう言ってメルルは、花のように優しく俺に微笑んだ。
「メルル……」
その5年前と変わらない、いや、5年前より強い意志を宿したその笑みにほだされた俺は、何故だか思わず寄りかかる選択をしてしまった。
そして俺は、メルルにアバン先生の最後を語った。それは、ダイにすら語っていない内容を含んでいた。
「……。アバン先生は、自身が身に付けていた身代わりの石を俺に渡して、
これがダイにも言っていない事だった。あの時、俺の首に身代わりの石を掛けなかったら、アバン先生が死ぬ事は無かった。この事をダイが知ったらどう思うだろう……。マァムが知ったら……?
表面上は俺を責めないかもしれない。だけど、心の奥底では思うだろう。俺より、アバン先生に生きていてもらいたかったって……。
……怖い。……そんな事、知りたくない。寒気を感じた俺は、思わず自分の腕で自分の身体をかき抱いた。先ほどあれほど感じた肩の痛みが、なぜか麻痺したように朧気にしか感じなかった。
駄目だ、あの日の事を語り始めたら、どんどん自分の感情が乱れていくのを俺は自覚した。
「氷の賢者だって? バカバカしい……! 世界中の誰もが思うはずなんだ! 勇者アバンと俺、どちらに生き残って欲しかったかなんて。子供でも分かる事だ。俺が、……俺が死ねば良かったんだ!!」
俺は両手で顔を覆った。いつからなのか、俺の頬には涙が伝っていた。あの時のように……。駄目だ、何を言っているんだ、何をやっているんだ、俺は。こんな事まで話すつもりは無かったのに……!
だけど、止まらなかった。止められなかったんだ。誰かに、その通りだ、と言って欲しかった。俺の心の声を肯定し、責めてもらいたかった。
「ご、ごめん、メルル……! 俺、こんな事まで話すつもりは――。――!?」
突然メルルが俺の背中に腕を回し、俺の頭を自身の胸に優しく押し抱いた。
「……メルル」
俺は驚きのあまり、身体が硬直していた。
「聞こえますか、ポップさん。私の胸の音……」
「あ、ああ。聞こえる……。聞こえるよ、メルル……」
トクン、トクンと、規則正しく脈打っているメルルの心臓の音が俺の耳を打つ。そのまるで振り子のように正確に刻まれる鼓動を聞いていると、先ほどまでの昂ぶった俺の感情が、徐々に落ち着いていくのを感じた。
どれほど、そうしてもらっていただろうか。あれほど荒ぶっていた俺の激情が、いつの間にかさざ波のような穏やかな水面に変わっていた。
「ご、ごめん、メルル……。情けない所を見せちゃったね。わ、忘れてくれるとありがたい……」
俺は、羞恥からメルルと顔を合わせる事も出来ず、そっとメルルから身体を離した。
「良いんです、ポップさん。……私、嬉しいんです。私、ずっと、ポップさんが弱い所を見せられる存在でありたいと願っていましたから。だから、とても嬉しいんです」
俺の泣いた所を見て嬉しいと笑うメルルに対して、ほんの少し憮然とした顔で俺は反論する。
「い、いや、一応俺も男なんで、あまりそういう所は見せたくないし、見られたくないんだけど……」
……たとえマァムにおんぶされていても、お姫様抱っこされていたとしても、俺は男なんだよ!
「ふふふ。じゃあ、私だけです……。これからも、私だけに見せてくださいね」
「い、嫌だってば。前にも言っただろう? かわいい女の子の前では、男はかっこをつけたくなるものだって……」
「かわいい? くすくすくす。もうそんな言葉では、動揺しませんよ、私。私もちゃんと成長しているんですから。ふふ。あの時一緒に食べたお芋、美味しかったですね、ポップさん」
メルルはそう言って、ほんの少し得意げに胸を張った。ふふふ。そうか、あの時は、俺の言葉に真っ赤になって怒っていたけれど、もうその手は通用しないか。
俺がそんな事を考えていると、メルルが俺の手を握った。
「……ポップさん。たとえ世界中の皆が、ポップさんではなくアバン様が生きている事を望んだとしても、私だけはポップさんが生きていてくれて良かったと心から思っています」
「……メルル」
「ううん、私だけじゃありません。他でもない、アバン様こそがポップさんが生きる事を望んだんです。どうか、アバン様のその想いだけは、……それだけは忘れないで下さい」
その言葉は、俺の心の奥底に生じた亀裂を埋めるように、沁み渡って行った。糾弾してほしかった? ……違う。これ以上自分を偽るなよ、ポップ。俺はただ、誰かに認めて欲しかったんだろう? 自分自身が惨めで愚かしいと思うけれど、誰かにそう言ってもらう事を俺はずっと求めていたんだろう?
だから俺は、自然と感謝の言葉を紡ぐことが出来た。
「……ありがとう、メルル。俺、メルルと再会できて本当に嬉しい。メルルさえ良かったら、俺、ずっとメルルと一緒にいたいと思っている」
「え!? あ、あの、ポップさん。それって、もしかして……」
……? メルルが突然頬を赤く染めて、上目づかいで俺を見つめる。なんか変な事言ったか、俺? ……あっ! さっきの俺の言葉って、まるでプロポーズみたいじゃね!?
「あ、いや、ちがっ! そ、そういう意味じゃなくて、この旅を一緒にって――」
「……う、うーん。よくもやったなー、ポップ、ゴメちゃん……。zzz……」
「「――!?」」
び、びっくりした。急にダイが寝言を言ったものだから、思わずビクッとしてしまった。メルルも同じなのか、握っていた手を離してあわあわしている。
「くすっ。随分と話し込んでしまったね」
「そ、そうですね。す、すいません、ポップさん。まだポップさんの体調、本調子じゃないのに……」
「そんな事、何でも無いよ。それに、メルルのおかげで、心のつっかえが随分と取れた気がするよ。本当に、ありがとう。……えーと、それともう一度言うけど、さっき俺が見せたかっこ悪い所は、忘れておいてくれるとありがたいんだけど……」
「ふふふ。さっきのですか? 他の人には話したりしませんけど、私の胸の中には大切にしまっておきますよ。忘れるなんて、とんでもないです。それじゃあ、ポップさん、お休みなさい」
そう言って、メルルがいたずらっぽく笑いながら席を立つものだから、俺は少しだけ意趣返しをしてやりたくなった。
「ああ、お休みメルル。随分長い時間付き合わせてしてしまったけど、部屋に戻ったら俺の所に夜這いに行っていたと思われるんじゃないか?」
「よば――!? も、もう、ポップさん! そういう事を平気で言う所、全然変わってなくて、嫌いです!」
一瞬で顔を真っ赤に染めたメルルが拳を振り上げて、俺の身体をポカポカと叩く。
「ははは。ごめん、ごめん。メルルがどれだけ成長したのか、確かめただけだよ。そうか、“かわいい”は大丈夫でも、“夜這い”は駄目だったか。くっくっく。俺、実は夜這いの意味を知らないんだよ。教えてくれない、メルル?」
「ポップさん!!」
俺達がそんな風にじゃれていると、隣のベッドで寝ていたダイが、ごろんと寝返りを打った。俺達は思わずハッと口を閉ざし、互いの顔を見合わせた後、クスクスと含み笑いをした。
メルルは、扉をそっと開いて、自分達の寝室となっている部屋に戻った。4つあるベッドのうち、自分以外の3つのベッドからは静かな寝息が聞こえてくる。
こんな時間にポップの所に行った事が気恥ずかしかったメルルは、その事を誰にも気づかれなかった事に、安堵の息を僅かに吐いた。
そして、そのままメルルは静かに自分のベッドに潜り込んだ。しかし、誤解だったとはいえ、先ほどのポップのプロポーズとも捉えられる言葉が頭の中で繰り返し再生され、なかなか寝付けそうになかった。
しかもこの後メルルは、ポップの左手首に巻かれているミサンガについて問い正す事を失念していた事を思い出し、再び自己嫌悪に悶える事になった。
メルルが部屋に戻ってしばらくして、レオナを間に挟む形で横になっていたマァムが、そっと寝返りをうつ。その彼女の枕が濡れていた事に気づくものは、誰もいなかった。
~~~~同刻 ギルドメイン大陸 ギルドメイン山脈の麓~~~~
パチッ、パチッという木の爆ぜる音が時折聞こえてくる。クロコダインは、傍の小枝を目の前の焚き火に放り込んだ。そしてそのまま焚き火を挟んだ反対側で腰を下ろしているヒュンケルに目をやった。ヒュンケルのその目は、ただ焚き火の中でゆらゆらと踊る炎を見つめていた。
彼らは今、鬼岩城が存在したギルドメイン山脈の麓で野営をしていた。周囲には鬱蒼と木々が生い茂っている。明日には、鬼岩城のあるはずの場所へ到達できる予定だった。
クロコダインは、ふっと思い出したように懐に入れていた『キメラの翼』を取り出して、まじまじと見つめて口を開いた。
「なあ、ヒュンケル。ポップはどうして、俺達とテランで合流しようと言ったと思う?」
「さて……な。あいつの考えている事は俺には分からん。ただ、……」
「ただ……、どうした?」
「いや、あいつはもしかするとこの先に起きる事を知っているのかもしれない……、いや、忘れてくれ。詮無い事を言った」
そのヒュンケルの言葉にクロコダインは、顎に手を当てて「ふむ……」と考え込む。
「確かに、時折俺達の見ていないものを見ているように感じる事はあるな……。だが、そんな事は些末な事よ。俺は、あいつが気に入っている。お前もそうだろう?」
クロコダインのその真っ直ぐな問いかけに、ヒュンケルはフッと笑みを浮かべた。
「まあな……。あいつは飄々としているように見えて、その実は涙が出そうになるほど本気で生きている、そんな男だと俺は思う。ダイもマァムも、そんなあいつだからこそ慕っているんだろう」
「はっはっは。涙が出そうになるほど本気で生きている、か。確かにあいつの生き様はそう形容するのがしっくりくるな。だから俺達は、今にも泣き出しそうなあいつに手を貸してやりたくなるのかもしれんな」
ひとしきり笑った後、そういえば……、とクロコダインはヒュンケルに問いかけた。
「なあ、ヒュンケル。お前はパプニカで出会った女性と食事に行く約束をしていたのではないのか? その約束を守らず、こうしてここに来て良かったのか?」
突然話題を変えたクロコダインに、ヒュンケルは苦い表情を浮かべた。
「クロコダイン、分かっているだろう。俺は戦う事しか知らない男だ。明日にも命を落とすかもしれない俺が、彼女の想いに応えられるはずがないではないか」
そのヒュンケルの言葉に、クロコダインは夜空に浮かぶ下弦の月を見上げ、遠い目をした。
「ふむ……。かつてこんな事を言っておった御仁がいたな。『たとえ明日死を迎えるとしても、今日の幸せは確かにここにある』、と」
「何を言っている――」
「たしか、バルトス……と言ったな、その御仁は」
「――!? クロコダイン、お前は……」
驚きに目を見開いたヒュンケルに、クロコダインは静かに続けた。
「15年前、俺はハドラーの旗下にいたわけでは無いが、その根城は訪問した事がある。その折に、ハドラー旗下最強の戦士と名高かったバルトス殿と言葉を交わす機会があったのよ」
そしてクロコダインは、当時を思い出すかのように瞑目した。
ギィィィン!
クロコダインの振り下ろした斧による重い一撃を、バルトスは手に握る6本の剣のうち、左腕にある3本の剣の腹で巧みに逸らす。バルトスの剣から火花がチリチリと散った。見事に斧の一撃を逸らしきったバルトスは、間髪を入れずに右腕の3本の剣をクロコダインの肉体に立て続けに振るった。
しかし、その剣による斬撃は全てクロコダインの鋼鉄の皮膚に覆われて通らなかった。そればかりか、逸らされたクロコダインの斧は大地に深くたたき込まれ、周囲に土塊を吹きあげた。
「ぬうっ!?」
噴出する土塊に思わず顔を覆ったバルトスを、今度は横薙ぎの一撃が襲う。しかしバルトスは、その一撃を6本の剣で巧みに受け止めたかと思うと、衝撃を逃がすかのように後方に大きく跳躍した。
距離を取って睨みあう両者だったが、その後どちらからとなく矛を収めた。
立ち合いを終えた二人は今、手ごろな石の上に腰掛けて和やかに会話を交わしていた。
「バルトス殿の剣の冴え、誠に見事だった。俺の身体がこの硬い肉体でなければ、あそこで勝負はついていたな」
「なんの、その硬い肉体こそがクロコダイン殿の研鑽の賜物と言えるのでは? それに、クロコダイン殿の斧を受け止めた時は、思わずこの細腕が吹っ飛んだかと思いましたぞ」
「バルトス殿はご謙遜だ」と、クロコダインが楽しげに笑う。そうしてひとしきり笑った後、クロコダインはバルトスに神妙な面持ちで、「不躾な質問になるが、一つだけ教えていただけないか?」と口を開いた。
「なんなりと、クロコダイン殿」
「貴殿はハドラー殿が生み出した禁呪法生命体。であれば、不愉快な想像をして申し訳ないが、ハドラー殿が万が一亡くなられたら、貴殿も共に命を落とすではないか。たとえ貴殿がどれほどの研鑽を積んでおろうと、自分の責に寄らずに……。なのになぜ、貴殿は自身の技をそこまで突き詰める事ができるのだ?」
その問いかけに、バルトスは首から架けていた星の形をした折り紙に目を落とした。そして、クロコダインを見つめて笑みを浮かべた。
「……たとえ明日死すとしても、今日の幸せは確かにここにあると気づいたのですよ」
「む……? それは、どういう意味ですかな、バルトス殿?」
意味が分からなかったクロコダインは、首をひねりながらバルトスに問いかけた。
「フフフ。確かに、儂のように禁呪法で生を得た魔物は明日をも生きられるかどうか分からない存在。そんな儂が研鑽を積む事に、いったいどんな意味があるのか、と考えた事はあります」
バルトスの言葉に、静かに耳を傾けるクロコダイン。
「だが、儂のそんな考えは、人間の赤子を育て始めた事で変わりました。赤子の成長は早いですぞ。日々、新しい発見がある。そんな子供を見ていると、たとえ明日死ぬかもしれないとしても、今日この瞬間の幸せは確かにここにある。ならば、儂はそれで良いとある日思ったのです」
「それで良い……」
「ええ、この勲章もそうです……」
バルトスは首に架けた星の形をした折り紙を掲げ、心の底から嬉しそうに笑った。
「良いでしょう、これ? 儂の育てている人間の子供、ヒュンケルがくれたのです。明日の事は分かりません。ですが、今この瞬間の幸せは本物です。儂は、明日ではなく、今日この瞬間の幸せを大切にしたいのです。剣術も同じです。明日生きられなくとも、今儂は生きている。ならば、儂のやる事は変わりません」
その言葉に、クロコダインはなるほど、と頷き、そして頭を下げた。
「下らない事をお尋ねした。この通り、お詫びする。そのヒュンケルという子供には、先ほど会いましたな。俺の愛鳥に餌をやってくれておりました。良い子ですな」
そのクロコダインの言葉に、実に嬉しそうにバルトスは頷いた。
「くっくっく。嬉しい事を言って下さる。あの子の成長していく姿を1日、1日と見続けていきたい、それが儂の今の望みです」
「はっはっは。いや、楽しい話を聞けて良かった。バルトス殿、お達者で……!」
そう言って腰を上げたクロコダインに、バルトスも立ち上がり手を差し出した。
「クロコダイン殿、儂こそそなたに会えて良かった。無遠慮な事とは承知の上で言わせていただくが、もし儂が死んであの子が1人残されたら……」
クロコダインは、バルトスの差し出した手を握り返した。
「皆まで言わずともよい、バルトス殿。何が出来るかは分からぬが、俺に出来るだけの事はしよう」
「かたじけない。恩にきます、クロコダイン殿」
ヒュンケルは、クロコダインから亡き父親バルトスの話を聞き、思わず夜空を見上げた。
「父さんがそんな事を……」
「うむ。バルトス殿は、明日では無く、今を精一杯生きる事を自身に課しておった。お前もバルトス殿を父と慕うのなら、将来の事を案じて今を捨てるような生き方はやめてはどうだ?」
ヒュンケルはクロコダインのその言葉に答えず、ただ静かに夜空に浮かぶ月を見ていた。
「……そうか。俺がミストバーンの下で育てられていた時、お前が時折顔を見せていたのは、父さんに頼まれていたからか……」
「ふっ、それだけではないがな。お前のその孤高の心は、バルトス殿によく似ている。俺は、どうしてだかバルトス殿に会いたくなった時、お前の顔を見に行っていたのよ。お前を見ていると、あの御仁を思い起こすからな」
「俺が父さんに……? ふっ、もうよそう、クロコダイン。明日には鬼岩城に着くだろう。場合によっては、バランやミストバーンと言った軍団長との戦いになるやもしれぬ。身体を休めておこう」
そう言ってヒュンケルは、ゴロンと横になる。その様子をしばらく見つめていたクロコダインは、空に浮かぶ月を見上げた。
(バルトス殿、願わくば今一度だけヒュンケルに進むべき道を指し示してやってはくれまいか)
月は、そんなクロコダインの切なる願いに、ただ淡い光を返すだけだった。