温泉街を連想させる、刺激的な硫黄の匂いが辺りに広がっていた。だがその場に華やかな旅館といった物はない。あるのは固まりかけのどす黒い色をした溶岩と、焦げた木材へ纏わりつくように燻る赤い炎。それらに囲まれながら胡坐をかいて座る赤髪の男は、辺りで燻る赤い炎を幾らか纏いながら、先日の噴火による火山灰で満たされている曇天を意味なく見上げていた。
不思議と熱さ等を感じない赤髪の男は、けれど自身の現状が異常である事には気づいていた。溶岩こそ冷えて無害になりつつあるが、それでも人ひとり殺めて十分に足り得る熱量。充満した硫黄の有毒な成分も、何もかもを燃やそうとする赤い炎も。それらはやはり、他人を軽々傷つけるに足り得る物であると知っていた。とはいっても緑髪の男――桔梗を引き連れて来た白髪の青年に、内心で僅かにすら動揺することはなかった。
「やあ、お兄さん。大丈夫かな♪」
桔梗を少し離れた所に置いた青年が、男の真向かいにまで来て声をかける。初対面の歳上という状況ものともしない、相手を酷く嘲るような態度だ。だが赤髪の男にとっては、それも景色以上に心揺らされるようなものではなかった。強いて言うのであれば、ここまで来れた割に随分と顔色が悪そうだ――とぼんやり考えた。
「おーい、僕の声聞こえてる?」
無視を決め込もうとした赤髪の男の目の前で、青年は何度も声をかけながらにこにこと手を振った。景色は、ここまで執拗に話しかけようとして来ないだろう。やることが無かったと言うのも事実、元来短期の性分がある赤髪の男は馬鹿にしたように鼻で嗤って口を開く。
「バーロー、燃えてんだぞ。大丈夫に見えんのなら医者に行った方がいいぜ」
自身の身体に纏わりつく炎を顎で指しながら、赤髪の男はのろのろと胡坐から体勢を変える。膝に置いていた両肘を持ち上げ、後ろへと倒す上半身を地面へ手をつく事で支える。目の前で佇みながら見下ろしてくる青年の表情が、体勢を変えた男にはよく見えた。
青年は環境だけでなく、赤髪の男の態度にも物ともしない。にこにことした表情を一切変えずに答える。その様子は馬鹿にされていることにすら、全くもって気づいていないようだった。
「医学なら数世代先のものまで知ってるから、まあ暫くは要らないかな」
青年は赤髪の男にとって意味がわからないまでも、後ろで呆れる桔梗にも聞こえる程に馬鹿真面目に答えた。赤髪の男は未だに青年たちが来た意図を掴めないものの、こちらも同様で表情に変化はあまりない。
「だからまあ、お兄さんが死のうとしているのも分かる」
だが自覚ある2言目に、赤髪の男の片方の眉が持ち上がる。
「それはお兄さんの生命力が炎のように実体化しているんだけどね。当然、炎だから燃え尽きもする。だから落ち着いて、まずは話を――」
「うるせえ」
諭すような口調で語り始めた青年を、赤髪の男は剣のある声音で口を挟んで凄む。赤髪の男はいよいよ変わらない表情の青年に、言いようのない不気味さを感じ始めていた。だが目の前の青年に内心を悟られることのないよう、男はポツリと一言だけ口を開いた。
「消えろ」
端的に、伝えた一言は刺々しいものだった。
「それは"死ぬ気の炎"。誰しもが扱い得るこの先の時代に無くてはならない力さ」
青年は赤髪の男の言葉に間を空けるが、直ぐに無視して説明を続ける。赤髪の男の表情が徐々に険しさを増すのを、青年は理解しながら続けた。
「僕ならお兄さんに、その正しい扱い方を教える事ができるんだけど♪」
締める言葉は、赤髪の男の現状を嘲るようだった。少なくとも、初対面の赤髪の男にはそのつもりで話していると捉えられている。だがこの時点では、赤髪の男は不気味さを通り越して青年に呆れを感じていた。会話にならず、言っている意味も意図もよく分からない。おかしな奴が現れたといったところだ。ただそれも、次の瞬間に変わる。
「こんなふうにね♪」
炎が灯った。
赤髪の男は青年が人差し指に嵌めていた指輪へ、僅かに橙色の炎が灯ったのを驚愕した眼差しでもって見た。手をかざさずとも不思議な温かさを感じさせる炎を見た。見て、赤髪の男は気づく。この炎は、
青年たちとは離れた所で様子を見守っている桔梗も、聞こえ辛いまでも空気の変化を感じ取ったのだろう。青年に近づかないよう告げられているため動くことはないが、額から暑さとはまた違った要因による汗を顔に滲ませている。ピリピリと剥き出しの肌を溶岩の熱以上に刺激するような空気は、赤髪の男が肺へ空気を取り込んだ事で一旦鎮まり次の瞬間に沸騰する。
「消えろって、言ってんだろうがバーローォッ!!!!」
赤髪の男による全身の力が込められた激昂と共に、身体と辺りで燻っていた赤い炎が火柱のように曇天を貫かんと立ち昇った。いつか相対する術師の火柱を思わせるそれは、紛れもない地獄絵図として青年たちの前に現れた。一面に木霊した激怒の声量を含め、赤髪の男の心情を表すに十分過ぎるほどのものである。
桔梗の表情はいよいよ焦りを隠せず、立ち昇る炎によって分たれた青年の容態を思い強く手を握る。少し前の青年と同様の現象に驚きこそ少ないが、何もできない現実を知っているからこその無力感で内心を占めていた。対して桔梗の心配を一身に受ける青年だが、やはり顔色こそ悪いものの堂々とした立ち振る舞いを見せていた。突然の火柱へ僅かに目を丸くさせるものの、既知のものを見つめる様子でなるほど――と、顎に手をやって何度か頷く。動じない青年の態度に再び虚をつかれる赤髪の男だが、次の一言で思考を無理やり白紙に変えられる。青年はそうなる赤髪の男を想像だにせず、或いは分かった上で一言だけ口を開いた。
「お兄さんは悪くない」
たった今、出会ったばかりの青年による弁護である。
「お兄さんの炎に、意図せず活火山を誘発させる力はないんだ。この土地は元々、いつ噴火するかも分からない場所だった」
桔梗が僅かに聞こえた言葉に辺りを見渡す。火柱の隙間から覗く焼け焦げた木には、僅かながら住居の形を残すものがあった。ヘリから降りて歩いて来た途中でも聞き及んでいたが、山麓にあった村とはこの場であったのだと桔梗は結論付ける。
赤髪の男にとっては、この場が村であったかどうかはどうでもよい。自身が住んでいたから分かるという訳ではなく、それ自体はここに来るまでに人伝できくこともできるからだ。その為、赤髪の男にとっては、感情を抉りだそうとするほどの青年の前半部分に内心が惹き付けられる。これ以上何を知っているのか、これ以上何を自身へ告げるつもりなのか――と。ただそれも、次の青年の一言によってどうでもよくなってしまう。
「妹さんが亡くなったのと、あなたの力は何も関係がない」
気づけば赤髪の男自身も意識しない内に立ち上がり、勢いよく目の前にいた青年の左頬を強かに握られた拳で打ち付ける。それは技術もへったくれもない、あまりにも赤髪の男自身の力に任せた一撃だった。
「ッ!!」
痛みと驚きに苦悶の声を上げながら青年は大きく吹き飛ぶ。赤髪の男の拳によって吹き飛び倒れ込んだ先は、不幸中の幸いにも火柱の無い場所。だが地面に散らばる煤が身体中に塗れ、青年の痛ましさを強調付けた。
「ボス!!」
離れた所から桔梗が状況の悪化を察して大きく叫ぶ。だが赤髪の男は火柱を超えられもしないだろう桔梗に一切気にも留めず、黙々と剣のある表情で吹き飛んだ青年へと近づいた。未だ握りしめられたままの右拳は、余程力強い物であったのか僅かに赤みを残している。
赤髪の男は痛みに顔を歪めた青年を再び強打し、弱々しい抵抗を抑えて正面から馬乗る。胸元を筋の張った左腕で掴まれた青年の左頬は、見ただけで手加減のなさが伝わる痛々しい色彩でもって腫れ上がっていた。
「腹立つなあ、ガキの癖に訳知りですってか?」
それでも赤髪の男は、心情も気にせず続けていた青年の言葉を少なくとも一部は否定せずにいる。何故ならば実際、青年の言葉は男が内心で震えるほどに的を得ていた。
赤髪の男は早くに両親を亡くし、妹と2人でこの土地にあった村で暮らしていた。そしてある時、不意に赤髪の男からそれ以外を焼き尽くす炎がその身に灯ったのだ。
赤髪の男は、脳裏へ容易く映し出せる程に覚えている。先日に再び立ち昇った自身の炎とそれに呼応したように吹き出した、赤黒い溶岩へ呑まれる村人達の姿を。お前のせいだ――そう、絶叫しながら全身を燃やす人の形をした煤を。赤髪の男はありありと覚えていたからこそ、捨て置けはしないと残りの一部を否定するよう口を開く。或いはそれは自身の罪を告発する、投げやりな懺悔かのように。
「だが惜しいな。妹は焼け死んだんじゃなくて「村人に殺された」んだ、よ」
不意に重ねられた言葉で、青年の胸元を握る腕から赤髪の男の力が抜けた。青年はいきなり落とされたことによって後頭部を強かに打ち付ける。度重なるダメージに頭をふらつかせるが、殴られた際に端から血を流しながらその口を開く。
「迫害なんて、ほんと古臭いよね」
全てが既知のもので当然であるかのように、益々顔色を悪くさせながら青年は赤髪の男に対して言葉を続けた。
赤髪の男は青年に対して何も言うことが叶わず、ただ口をはくはくと開け閉めすることしかできない。赤髪の男にとって目の前で自身が見下ろす青年が、とてもではないが同じ人だとは思えなかった。何も言い返すことができない男の様子を見かねた青年は、再び赤髪の男を下から見上げながらも口を開いて告げる。
「お兄さんは、何も悪くないよ」
「――――ッ!!」
赤髪の男は再度告げられた言葉に、耐えかねるように激情を曝け出した。
「違うッ!!!!」
辺りへまた赤髪の男の言葉が木霊する。だが聞こえた桔梗は最早、上で暴れられている青年自身すら何も動き出そうとはしなかった。桔梗は発狂するように叫ぶ赤髪の男に不思議な既視感を覚えた気がして、青年によって暴かれた荒れ狂う赤髪の男を静かに黙して見守る。
「俺のせいだ!! 俺がこんな物もっていたから村は焼けた!! 俺がこんな物をもっていたから、妹が俺に怯えた村人に殺された!! そうじゃなければ!! そうでもなければ!!」
叫ばれる言葉は全て、ただただ赤髪の男の曇りない本心だった。閉ざされた片田舎にある山麓の小さな村で育った、悲しい程に実直に育ってしまった赤髪の男の。
昨日までの気の良い仲間が自身を悪魔を見る眼で見つめ、変わらず接してくれた妹を赤黒く染まった農具を持って複数人で囲む。赤髪の男が見つけた時には既に妹の身体は冷たく、人を掻き分け遅いと知りながらも暖めなければと考えた瞬間に、妹の真っ白な服を染めた色と良く似た炎と溶岩が噴き出る。最期の最後まで自身を呪いながら、影も残さず焼け溶け散って逝ったかつての仲間達。それをたった1人無傷で呆然と立ち見していた赤髪の男は、善良さ故に自身は悪くないと叫ぶことができなかった。
「俺は、何を恨めばいいんだ」
凄惨な現実は、敵もなしに俯く赤髪の男には直視できなかった。
「ごめんなさい」
聞こえた言葉に、赤髪の男の視線が上がる。青年が発したのだとは気づいたが。いつの間にか俯いていた青年からは、言葉を発したのだろう口元しか見えなかった。
「主人公でもない僕には、難しくてちょっと分からない」
青年が続けた言葉は、酷い開き直りにも似た言葉だった。赤髪の男は呆気に取られる。自身の情緒を滅茶苦茶に掻き混ぜ、無理矢理に曝け出させた青年の本心が読めずに。先ほどまでの超人然とした態度はどこにいったのか――と、赤髪の男は頭を打ってからがらりと雰囲気の変わった青年に対してただただ呆気にとられる。
だが赤髪の男は、それでも青年の続きを待とうとした。身勝手な振る舞いを隠しもしなかった青年の、その見切れた輪郭に何かの雫が伝ったように思えて。これまでの不思議な空気感を纏わせる青年より、よっぽど話がしてみたいと何故か強く思わされ。呆気に取られながら、一言一句聞き逃せまいと続きを待った。
「けど大切な妹さんを、お兄さん達を傷つけた人達を想って自分が許せないと叫ぶようなお兄さんが」
青年はふらふらと頭を揺らしながら言い切る。
「世界を壊す
意味の分からない言葉を、大真面目に言い切った。
「なんだそりゃ」
赤髪の男は青年に対して馬鹿にしたように呟いた。待ってやった上でこれかよ――と。言い切ると同時に気を失った青年には、恐らくは聞こえなかっただろう。元々青年自身の体調も優れてはいなかった。自身の放った渾身の一発を無防備に受ければ、まだ待った方かと赤髪の男は鼻を鳴らす。
だがそれは、青年の上に乗りながら身体をふらつかせ始めた赤髪の男も同様。地元の火山の噴火が起こり、赤髪の男が自身を呪い生を諦めてからどれほどの時間が経ったのか。一般に厳しさを感じる環境にこそ微塵も気に留めなかった赤髪の男だが、飲まず食わずは流石に応えるものがあったのだろう。青年とはまた逆方向、自身の背中側へ引っ張られるような重力を感じながら赤髪の男は口を開く。視線の先には遠くない未来でいがみ合いながらも戦友として認める、火柱が消えたことで慌てふためいた様子の桔梗が走ってくる姿が見えていた。
「
「――ザクロだ、ばーろー」
意識失う最後に仰ぎ見えた曇天に、光が差し込み始めていた。
本当にすんませんでした。