白金は鈍色に輝く   作:蒸留

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あなたの旅が、どうか美しくありますように

「りんりん、本当に大丈夫……? 一旦外に出よっか」

 

「……だ、大丈夫だよあこちゃん……心配させちゃってごめんね……」

 

 人混みの苦手な私にとって、閉所、暗所、密集の三拍子揃い踏みのライブハウスという施設は中々の拷問だった。

いつだって私を導いてくれる大切な友人、大天使宇田川あこちゃんがくりくりした深紅の瞳を心配そうに揺らしている。

実を言えば大丈夫ではないが、好きな人の前ではいつだって恰好付けたいものでとりあえず定型句で返答してしまう。

本音を言えば、早くカフェに戻ってショートケーキあこちゃんに食べさせてあげたい。

軽い吐き気さえしてきた、モンブラン頼まないでおいて本当に良かった。

 

「ううん、あこのわがままでここにいるんだもん。 確かにライブ楽しみにしてたけど、りんりんの方が大事だよ! カフェに戻ろう?」

 

 至上の女神ことあこちゃんは、慈悲深くも友人の体調を優先しようとしている。

私の不甲斐なさのせいで既にあこちゃんの笑顔を曇らせてしまっている……音楽を楽しみにしているあこちゃんにこれ以上水を差したくない私は、ドリンクカウンターで貰ったペットボトルの水を口に含んだ。

 

「……私は大丈夫。 それより、あこちゃんが言ってたかっこいい人、私も見てみたいな」

 

 優しい優しいあこちゃんから気遣わしげな視線を感じても、私の意志は固い。

体調が万全でないことは否定しないが、それはあこちゃんの尊い予定を変更させてしまう理由にはならない。

私が折れないことを悟ったあこちゃんは、ふにふにしたちいさな手を差し出してきた。

 

 促されるまま、私はあこちゃんと手を繋ぐ。

華奢な手から伝わるぽかぽかの体温で少しだけ落ち着いた。

あこちゃんの手はなんだかいつだって暖かいし、血行が悪い私の指先は冷たいようであこちゃんを驚かせてしまった。

もうダメっ!ってなったら繋いだ手を揺すって、そしたらすぐカフェに戻ろう、とあこちゃん主導で非常時の動線を確保した上で、お目当てのバンドが出てくるまで待機することになった。

 

 現在地、最後方のドリンクカウンターから周囲を見遣る。

ライブハウス『CiRCLE』。

それほど古い施設ではないようで、防音材で設計された統一感のある黒一色の空間はそれなりに清潔感がある。

私の人生には縁がなさすぎて知らなかったが、調べてみるとワンドリンク制、というライブハウスは割と一般的らしい。

法律上、ライブハウスは興行場ではなく飲食店になる。

小さなライブハウスでは設備投資の関係上、興行場の許可申請を取得するハードルが高い。

飲食店営業許可申請を取得してしまって、入場の際に強制的にワンドリンク分の金額を徴収し飲食店の体裁を取った方が楽、というちょっとした法律の抜け穴を利用した施設なのだ。

このライブハウスはさっきまで2人でお茶していた屋外テラスのカフェも併設されているので、他のライブハウスよりは全うに飲食店を名乗れる気もするが。

 

 ライブハウスという空間自体に思うところはないが、それほど広くない空間にとにかく人が多くて目が回る。

話し声、匂い、距離、気を許していない人、不快感を催す要素ばかりで、もらった飲料水も底が見えてきた。

頭痛は増していく一方で、最悪バレないように抜け出したい……という浅知恵はあこちゃんには筒抜けで、左手にしっかりと繋がれたかわいいおてては私の不在を許してくれない。

せめてあこちゃんだけでも楽しんで欲しいのだけど、指先から力が伝わってしまわないように気を配ってしまっているぐらいには余裕がない。

いつまで気丈に振舞っていられるか分からなくなってきた。

めげそう。

お、おうちに帰らせて……

 

 想像以上の人混みにすっかり憔悴した脳内で、あこちゃんの言葉が繰り返し巡っている。

『CiRCLE』に併設されているカフェ、肌寒い木枯らしに折節の移り変わりを感じる屋外テラスで、ショートケーキに舌鼓を打つあこちゃんはフォークで生クリームをすくいながら教えてくれた。

 

『あこ最近、ライブハウス通いにハマってるの!』

 

『ライブ……ハウス……?』

 

『うん。 知る人ぞ知る、自分だけのバンドを見つける……それって、カッコよくない?』

 

 カトラリーをなんでも使いこなす、誰にでも人当たりよく柔和でとっても育ちの良いあこちゃんはこれでも中等部の3年生、『カッコイイ』ものを探究しているお年頃。

好奇心旺盛な彼女は大きな深紅の双眸を輝かせて、夢中になれる自分だけのとっておきを探している。

 

『でね、ついに見つけたの。 あこだけの、超っカッコイイ人!』

 

 そのライブハウスにて、あこちゃんのお眼鏡にかなう人物は遂に見つかったらしい。

あこちゃんは容姿で人を判別しない。

好悪の情に見目を勘定しないというか、とりわけ奇抜な容貌にも全く偏見を持たない。

あこちゃんのお姉さんのように少し中性的で凛々し気な人物に憧憬を向けることはあっても、モデルや俳優等、一般に端麗とされる人種にもあまり興味がなさそうだから、元々あまり容姿に頓着はないのだと思う。

つまり、あこちゃんはその鋭い嗅覚で才覚を感じ取ったということ。

興味を抱くのは当然の流れだった。

 

『……そうなんだ。 それはとっても、良かった』

 

 叶うことなら、あこちゃんのカッコイイは私が独占していたかった。

初めて自分の薄汚い独占欲の発露を自覚して、惨めさに虫唾が走る。

 

─────唄が、聴こえた

 

 誘われるがままここに来たのは、単なる好奇心だった。

あこちゃんが素晴らしいと思うバンドに、音楽体験に触れて、私はどう感じるのか。

クラシックやピアノコンサートならまだしも、バンド音楽に疎い私が身体が発する危険信号を無視してまで見たいものかと言われると疑問を呈する所で、苦手な人込みによる疲弊もあってもう抜け出してしまおうかと思った、その瞬間だった。

 

─────それは、銀河を揺らすような唄

 

時に繊細で、触れたら跡形もなく壊れて影も形すら失ってしまうような、いたずらに感傷だけ残して枯れる花の散り際にも似た唄

 

時に暴力的で、身勝手なまでに苛烈な様で触れるものの全身に熱を呼び覚ます、限りある命を燃やすよう、死に急ぐような紅蓮の業火にも似た唄

 

 そんな、唄が響いた。

私もあこちゃんも、多分それ程音楽鑑賞の経験はない。

技術の巧拙なんてまるで分からなくて、それなのに名前も知らない少女の歌声によってもたらされた、胸中に渦巻く憤怒を、悲哀を、歓喜を飼い殺す術を知らなかった。

歌声には色があった。

人間の歌はこれ程饒舌だっただろうか。

細胞が彼女の歌を求めている。

気付けば披露する予定だったプログラムは全て恙なく(つつがなく)終了したらしく、無感動に持ち時間の終わりを告げるMCが脳内を滑る。

湊友希那、私の安穏と停滞を破壊した革命家の名だった。

 

 

 

 

 

 その後のこと。

熱の冷めやらないあこちゃんに誘われ、余韻に包まれたままライブハウス併設のカフェで夕食を取っていると、今夜を彩った主役が丁度ライブハウスから撤収する所に遭遇した。

 

「あこっ、ずっと友希那さんのファンでした……っ! …だ…だからお願いっ、あこも入れてっ!」

 

 かねてより私にバンド結成願望を打ち明けていたあこちゃんは、ドラムの経験者であることをアピールして湊さんのバンドに加入したい旨を必死に伝えているが、取り付く島もない様子。

確かに、彼女の音楽にはドラムが欠けている。

あこちゃんから少しだけ聴いた覚えがあるが、バンドにとってベース、ドラムの所謂リズム隊と呼ばれる楽器はサウンドの要らしい。

音作りの地盤となる2つが安定していれば全てが安定する、と言われているのだとか。

 

 けれど、この人のバンドが要求するレベルは相当高いだろうことは想像に難くない。

湊さんの歌声はテレビで流れてくるようなメジャーレーベルのバンドのものと何ら遜色なく、何というか文字通り次元が違う。

ボーカルには個性があって絶対にこれが正義というようなものはないけど、湊さんの歌声は1つの最終到達点みたいなもの。

その歌声が浮いてしまわないようなサウンドを形作るのに、必要な楽器隊の練度はどれくらいだろうか。

少なくとも、未経験者よりはマシ、程度のドラマーが加入する初めてのバンドとしては随分レベルが高いと思う。

 

「氷川さん、こんにちは」

 

「……白金さん? えぇ、こんにちは。 驚いたわ、白金さんはこういった場所にあまり縁がない人だと思っていたから」

 

「少し、事情がありまして……」

 

 多少なりとも交友のあるクラスメイトを発見した。

氷川紗夜(ひかわさよ)さん。

品行方正を絵に描いたような才媛で、風紀委員にも所属している優等生。

訊けば彼女は湊さんに招待されて今日のライブを聴いていたようで、実際に歌声を聴いたのが決め手となってスカウトを承諾、バンドを結成したばかりらしい。

ついさっき、圧倒的な歌声で魅せてくれた湊さんから直々にスカウトをもらうレベルで、氷川さんも凄腕のギタリストなんだとか。

ギターなんて、正にバンドの花形。

言っちゃなんだが学校での氷川さんのイメージとあまりにかけ離れていて、逆に似合っている気がしてきた。

ロックやバンドなんて、往年のロックスターのように規制や抑圧、社会的な外圧への反骨心、カウンターカルチャーのマインドが骨子にあるものとばかり思っていた。

氷川さんはそういったイメージとは真反対の規律に厳しい模範生だ。

湊さんだってルックスに優れていても不良というなりではないし、ロックもバンドもとっくの昔に不良の特権ではなくなっているのだろう。

 

「……遊びはよそでやって」

 

 ふと横を見れば、相変わらずあこちゃんが袖にされていた。

いくらなんでも流石に今日いきなりでは、湊さんの側にも判断材料がない。

正攻法で攻めるには、何かしらの手段である程度の練度を提示する必要があるだろうし、今日のところは大人しく引き下がった方が良いので、後ろから小柄なあこちゃんの髪をつむじの流れに沿ってゆっくり撫でる。

あこちゃんが大人しくなる魔法その1は今日も効力を発揮、急にこんなことをしてくるのは私ぐらいなので、振り向くこともなくすぐ後ろに頭を預けてくるあこちゃんが今日もかわいい。

口をすぼめて拗ねているのが顔を見なくても分かる、愛しい……

確実に身体を支えてくれるという信頼がとても良い、でも危ないから私以外にやっちゃ駄目だよ。

 

「あこちゃん、今日はもう帰ろう? チャンスはこれから幾らでもあるよ」

 

「りんりん……」

 

 そのまま、あこちゃん越しに前方の湊さんにこっそりアイコンタクトを送る。

彼女は私の意図を察してくれたようで、すぐに氷川さんと一緒に移動し始めた。

鋭くて助かる。

 

 思うに、メジャーで音楽を売り出すということは総合的なプロデュースに大人の力を借りるということなのかもしれない。

商業的な成功に必要なのは音楽性だけではない。

容姿は勿論、衣装、発言、ファンとの向き合い方等、ウケの良い外向きなブランドイメージは確実に必要になってくる。

歌っている時はあれだけ大きく見えた湊さんも、ステージの外でこうして向き合えば同年代程の少女でしかない。

優れたルックスも、容姿にあまり頓着していないことが伝わるファッションも前回カットしてから大分梳いていないヘアスタイルも、一般的な女子高校生の普通の範囲から逸脱しない。

現実はこんなものだろう。

ハリウッドスターだってオフの時は一私人だ。

私たちが何気なくテレビで眺めるキラキラしたロックバンドの面々も、案外メディアによって作られたイメージなのかもしれないな、とぶーたれているあこちゃんを抱き締めながら思った。

 

 

 

 

 

 あの鮮烈な音楽体験が何か日常に劇的な変化をもたらしたかといえばそんなことはなく、季節の変わり目の冷気に身を震わせながら代わり映えのない日々を過ごしている。

あるがままを享受して生きていくこと、続く日々を慈しむこと。

『足るを知る者は富む』のだ。

 

「氷川さん、お疲れ様です」

 

 強いて言えば、氷川さんとは以前よりも大分距離が近付いた。

校則に則した服装チェック、なんて風紀委員特有の貧乏くじを引かされている氷川さんは、今日も校門前でお仕事中だった。

 

「白金さん。 えぇ、また冷え込んできているから、気を付けて」

 

 生真面目さ故の、時候の挨拶染みたお堅い返答にも最近慣れてきた。

怜悧な美人、氷川さんは私に簡単に挨拶を済ませると視線を小脇に抱えたバインダーに下ろして、柳眉を逆立てて何やら難しい表情をしている。

ただでさえ寒いこの季節に、毎日朝早くから立たされて不良生徒の監査など大変だろう、心中お察しします。

 

「お仕事、頑張ってください」

 

「……! ありがとう」

 

 労いの言葉一つでそんなに喜ばれるとは……氷川さん、社畜としての将来が有望そうで少し不安になる。

 

 品行方正な氷川さんの学校外でのバンド活動を知るのは今のところ私だけのようで、近くにお互いの友人がいないタイミングで軽い愚痴を吐いてくれるぐらいには仲良くなれた。

氷川さんのような人間でも、周囲からの『完璧すぎてちょっと近寄りがたい』みたいなパブリックイメージに辟易するなんて、少し予想外だった。

実際話し掛けてみると氷川さんはとても親切だし物腰柔らかな人で、ちょっと気の毒ではある。

 

 私は性善説を信奉しているので、余程不興を買うような対応をされない限りは、人は隣人に優しいものだと思っている。

思想家が説いたように、深淵を覗いた時、深淵もまた自分を品定めしている。

不安で一歩目が踏み出せずに躊躇する時、鏡合わせのように相手もその恐れを抱いているという考え方。

人と誠実に対峙しようとするとそれだけの気力を使うし、皆それを乗り越えて人と関係を築いている。

 

 だから、何ら気にすることはないと思う。

確かに氷川さんは成績優秀で運動神経も抜群、理論的で自分にも他人にも厳しいタイプ、お世辞にも気さくとはいえない。

ただ決して人当たりは悪くないし、近寄りがたい、なんて実際に少し話してみればすぐに拭い去れるような実態と反した悪評に過ぎない。

氷川さんは、本当はとても不器用でかわいらしい人だ。

心配せずとも、氷川さんを好きな人はちゃんと氷川さんの本質を見て氷川さんと接しているだろうから。

 

 と伝えてみると、目を丸くして驚かれた。

レアな表情だ、と惚けていたらジト目を向けられてしまった。

すみません……

 

『何だか吹っ切れた気がします、ありがとう』

 

と真っ直ぐな返事をいただいた。

紗夜さんは、星みたいな人だと思う。

太陽の光を必要としない恒星のように、ただ誇り高く孤高に在ればいい。

柳は緑花は紅とも言うし、何をせずともあの高潔な美しさはやがて多くの人を惹き付けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「あこちゃん、やっぱり待ち伏せはよくないと思う……」

 

「ぅ……でも、諦めきれないから! 今日、今日ダメだったらりんりんの言う通りにするから!」

 

 ライブハウス『CiRCLE』でのライブから1週間と少し。

日常に変化がないのは私だけで、あこちゃんはというとすっかり湊さんに虜だった。

湊さんへの、バンド活動への憧れは日を増すごとに増していくばかりで、あれから毎日毎日、ライブハウスやスタジオなど、湊さんの行く先々へ足繁く通って自身を売り込んでは、にべもなく断られているらしい。

幸か不幸か、あこちゃんの通う羽丘女子学園中等部と湊さんの通う羽丘女子学園高等部は、中高一貫高。

お互い会いに行こうと思えばすぐ行ける距離にある。

今日は偶然にも私の通う花咲川女子学園が早上がりで終わったので、あこちゃんから連絡をもらって2人で高等部まで赴くことになった。

 

 ここは羽丘女子学園高等部、校門。

授業終了後の帰宅タイミングをピンポイントで狙っての、言ってしまえば出待ちだ。

あまり褒められた行為ではないので何度も止めようとしたのだけど、こういう時のあこちゃんの意志の固さは折り紙つきで、仕方なく、私同伴、今日を最後に二度としないこと、を約束してもらって許可した。

何かあっても私がフォローする。

甘やかしているわけではない、決して。

 

 正直言うと、あこちゃんが湊さんに首ったけなのは面白くないけど、あこちゃんがバンド活動をすることに関しては別にいいんじゃないかと思っている。

あこちゃんは意志も責任感も強い。

向上心も強いほうなので、ひたむきに取り組めばどんなバンドにだって加入できる素養は十分持ち合わせている。

 

 問題は、相手の方。

湊さんの才覚と音楽に掛ける気迫は、少々異常だ。

恐らく、そんな湊さんと懇意にしていた氷川さんも、また然り。

他のインディーズバンドが全て子どものお遊びに聴こえてしまう程、土俵が違う。

土台となる練度が桁違いなのは、それだけ意識が高いことの表れだ。

遊びは他所でやって、と湊さんも言っていたし、あのクオリティなら本当にプロを目指して活動しているのかもしれない。

流石に、周囲が皆その様子のコミュニティでは息が詰まってしまわないだろうか。

同じ趣味を持つ仲間は、時に刺激にも重荷にもなりうる。

何もプロを目指して活動するだけがバンドの道ではない筈だ。

学生同士下手の横好きで笑い合って、時々ライブハウスで大きな失敗をしたりして良い思い出になったと振り返る、そういうゆるい部活動の延長のような、有り触れたバンドだっていい。

最初から茨の道であることを承知で進むことはないんじゃないか。

 

「……あこちゃん。 1つ、訊いてもいい?」

 

「? なあに、りんりん?」

 

 羽丘女子学園は進学校だし、中高一貫校で受験せずともそのままエスカレーター式に進学できるにも関わらず、現状でもあこちゃんが日々の生活の中でそれなりに勉学に時間を割いていることを、私は知っている。

偉すぎる、かわいい……

 

 お姉さんと一緒にダンス部に所属していること、よくお世話になっている先輩がお姉さんと同じくらい大好きでとても尊敬していること、以前からよく聞いている。

中等部、今後進学する高等部においても、あこちゃんにとってダンス部での生活は何ものにも代えがたい貴重で大切な時間の筈。

部活動のコスチュームで踊っているあこちゃん、他の全てをかなぐり捨ててでも見てみたい。

一度でいいから。

恥ずかしい、の一点張りで私の前では踊ってくれないんだよなあ、あこちゃん……

 

「───あこちゃんは、本当に湊さんのバンドに全部を賭けるの……?」

 

 こういう人一人の学生時代の尊い人生経験を切り捨てて、全てを音楽活動に捧げること。

端的に言えば、プロを目指すというのはそういうことに他ならない。

音楽で生きていこうとすると、途端に人生設計は相当シビアなものになる。

実るとは限らない分野に、膨大な時間と熱意を投資すること。

自らの意思で、足元に敷かれている安定が担保されたレールから逸れること。

液晶の裏で何気なくパフォーマンスを披露しているミュージシャンの笑顔の裏には、強い強い覚悟が潜んでいる。

 

 今のあこちゃんは湊さんの歌声に完全に脳髄を灼かれてしまって、多少盲目的になっているのは否めない。

一過性の熱病に浮かされている。

それでも思春期の自意識と青さが思いもよらない方向に昇華することだってある、私はそれを一概に否定はしない。

 

ただ、人生は漫画やドラマではない。

脚本、演出、構成の人間が見せ物として作り込んだ創作の世界とは違うから、思い描く未来に辿り着けないこともある。

その先にだって、容赦なく人生は続く。

夢の果てに焦がれて、現実の残酷さに打ち捨てられ、遠い将来に今日この日の決断を悔いたとして、それは遅すぎるのだ。

 

 普段2人きりではデレデレしてばかりいる私の柄でもない真面目な表情に当てられて、途端にあこちゃんの表情が真剣さを醸した。

うぅ、ごめんねあこちゃん……

本当はちっちゃな頭を撫でまわしたいし、毎日ケーキ食べさせてあげたいし、こんな母親面した説教臭い小言を言いたくなんかない。

あこちゃん、考えてみたらまだ中等部の3年生なんだもんなあ、いっぱい遊びたいし部活も楽しみたいし、そんな時期に決断を迫られるなんて酷すぎる。

 

 けど、私はあこちゃんを本当に愛しているから、他人面で毒にも薬にもならない応援の言葉を投げかけて、今後を大きく左右するかもしれない重大な人生の岐路に立たされているあこちゃんの選択を黙って傍観していることなんて、どうしてもできない。

あこちゃんには、ずっと笑っていて欲しい。

いつか来る最期の瞬間でも、一つの後悔もないように生きて欲しい。

それだけなんだ。

押し付けがましいありがた迷惑かもしれないけど、やっぱり好きな人には幸せに過ごして欲しいよ。

 

 急に何かにぶつかったような衝撃に襲われて、倒れないように身体を支える。 

ふわりと、清廉な生花の花束のような香りが鼻孔をくすぐる。

これは、あこちゃんの香り……?

少しして、あこちゃんが突進するようにして勢いよく私に抱き着いたことが分かった。

一瞬フリーズしちゃった、あまりにかわいくて事故とかで即死して天国に辿り着いたかと思った。

まだ生きてあこちゃんを愛でていたい、それぐらいの権利はあると思う。

 

「……りんりんにこんな事言わせちゃってごめん。 あこは大丈夫だよ」

 

 小柄なあこちゃんは私の胸と下腹部の間あたりに顔を埋めていて、後頭部しか見えないから表情が分からない。

それでも、声色がなにより雄弁にあこちゃんの感情を伝えている。

あこちゃんは優しいな。

普通、友達にこんな偉そうな事言われたら怒る所だと思うんだけど。

自分より友達を優先してしまうような情け深さ、心配だなあ。

 

 ともかく、あこちゃんの覚悟は十分伝わった。

私なんかの憂慮を全部全部吹き飛ばしてしまう芯のある声色で、あこちゃんが背負おうとしているものの大きさも。

これでようやっと、私の方も覚悟が決まったというもの。

こんな裏技を使ってしまうのは、あこちゃんのためにも自分のためにも、湊さんたちのためにもならなさそうだな、とつらつら考えていた事を本当に実行する日が来てしまうとは。

 

 「……あなた、一体……」

 

 気付いたら、私たちのすぐ隣に湊さんが居て声にならない悲鳴が出た。

そうか、確かに高等部の校門の近くに思いっきり他校の制服着た生徒が出待ちしてたら目立つだろう。

あこちゃんを見て用事だろうと近付いてきてくれたのか、律儀な人だ。

こちらから伺う手間が省けた。

 

 

「湊さん、こんにちは。 あこちゃんが何度もすみません……」

 

「え、えぇ。 いえ、それはいいのだけど……」

 

「私はあこちゃんの友人の白金 燐子(しろかね りんこ)と言います。 気安く、燐子と呼んでくださって構いませんよ」

 

「白金さんね、覚えたわ」

 

 つれないなあ。

こうして向かい合って立ってみると、湊さんって私と同じぐらいの身長なんだ。

雰囲気が、なんとなくあまり懐いてくれない野良猫に似ている。

当たり前だけど結構警戒されている、まあ今からもっと威嚇されるようなこと言うんだけど。

 

「湊さんのバンド、キーボードが必要ですよね。 せっかく湊さんの歌声が重厚なのに、シンセサイザーが同期音*1じゃ味気ない」

 

「……何が言いたいのかしら」

 

 あれ、もっと怒ってくると思ったけど、意外と冷静。

あこちゃんの友人ということで、最初からある程度信頼を獲得できていたりするんだろうか。

まああこちゃんは間違っても誰かから恨みを買うようなタイプではないし、正直湊さんみたいなタイプが相手だとしても人懐っこい人柄で割と懐柔できそうな気がする。

 

「私はピアノ、キーボードが弾けます。 幼い頃にですがコンクールで優勝したこともあります。 バンドに貢献できると思います」

 

「……つまり、あこと同じバンドメンバーの自薦に来たってこと?」

 

「その通りです。 回答は今すぐにではなく、何か課題の音源を頂ければ、必ず3日以内に仕上げるのでスタジオで私と合わせて頂いて、それからの判断としてもらっても構いません」

 

「……」

 

 釣り餌は上々。

明らかに湊さんの纏う雰囲気が変わったことが、手に取るように分かった。

これは向こうにとって決して悪い条件ではない筈だ。

湊さんは妥協を許さず、かなり真剣にバンドメンバーを吟味していると聞く。

私には技術という明確な利点がある。

実際には経験があるジャンルがクラシックに偏っているため、キーボードやシンセはほぼ未経験と言っていいので誇大広告もいい所なのだが、交渉の場において真に要求されるのは自信。

後々のリスクが大きすぎるので0をそれ以上にしてはいけないが、1を大きくする分には見逃されている側面がある。

こちらにブレない芯があれば、否、あるように居丈高に振舞えば、相手は虚像に勝手に怯んでくれる。

情報が効果覿面のうちに、一番大切な事を加え入れる。

ここからが一番大事なのだ。

私にも、あなたにも。

 

「ただし、条件があります。 私と一緒に、あこちゃんをバンドに加入させてください。 私と、あこちゃんの2人でバンドに加入できませんか」

 

「……!?」

 

「りんりん!?」

 

 あこちゃんには、ピアノを弾けること、黄泉へ向かうかもしれない旅路に私も一緒に向かうのを決めたこと、一切なんの説明もしていない。

当然湊さんより驚いているあこちゃんの眼を真っ直ぐ見つめて、口元に人差し指をあてる。

しーっ。

ごめんね、ちょっと静かにしててね。

少しの間、私を信じていて欲しい。

悪いようにはしないから。

 

「……条件なんて、随分と大きく出たわね。 選ぶのはこちらよ」

 

「勘違いしないでください、選択の権利はこちらにもあります。 まず、この条件を吞んでください。 従って頂けないなら、この話は全てなかったことになります」

 

「くっ……してやられたわね……!」

 

 一度決めてしまった以上、うだうだ悩んでいる時間はない。

最効率でバンドに加入する方法がこれしか思いつかなかったから採用しているまでで、もっと時間があるならちゃんと人心に配慮した、こんな脅迫染みた真似に打って出るつもりはなかった。

バンドでプロを目指す、というのも考えればそれなりに多様な道があるので一概に言えないが、とにかくどうなりたいのだとしても練度が必要不可欠な筈だ。

この中で一番若いあこちゃんでさえ中等部の3年生、これはスタートには大分遅い方だと思う。

ともかく一日でも早くスタジオ練習をして現状を知らなければ、個人練習を徹底する段階なのか、スタジオ練習を多く入れてバンドとしての音を合わせる段階なのか、今後の方針さえ絞れない。

手段を選んでる暇など、こちらにはない。

 

 

 

 

 

 

 

 その後のこと。

湊さんには随分と苦手意識を持たれてしまったけれど、私とあこちゃんは無事に湊さんのバンドに加入することができた。

あこちゃんが言っていた『よくお世話になっている、お姉さんと同じくらい大好きでとても尊敬している先輩』とは、意外な形で初顔合せを果たすことになった。

今井リサさん。

あこちゃんのダンス部の先輩で、同時に湊さんの幼馴染みで親友でもある彼女は、過去のベース経験から湊さんのバンドのベーシストとして収まった。

 

 Roselia(ロゼリア)

湊さんが命名した、私たちのバンド名だ。

薔薇(Rose)と椿(Camellia)を掛け合わせた造語で、青い薔薇をイメージしている。

薔薇の花びらには、青色の色素が存在しない。

品種改良によって人工的に生み出されるまで青い薔薇、というのは不可能を表す単語だったのだ。

転じて、自然界に存在しない品種である青い薔薇は、現在は悲願の成就や奇跡といった縁担ぎ的な意味合いで利用される言葉となった。

大それたことを為そうとしている私たちの名に相応しい。

それはそうと、随分ロマンチストな側面があるんですね、と氷川さんと二人で弄ってみたら、物凄い嫌そうな顔で抗議されてしまった。

随分嫌われたなあ。

あこちゃんは何故かその横で不貞腐れていた。

ほっぺた膨らませててかわいかったので指で突っついたら怒られた、愛おしい……

 

 Roselia。

その実態が私か今井さんがいないとスタジオの予約もろくにできない音楽以外ポンコツの野菜嫌い集団(勿論私も含む)だった事が発覚したり、湊さんがなにやら仄暗いものを抱えているFUTURE WORLD FES.というロックフェスに出場するためのコンテストで一波乱があったりと、私たちはその後も常に波乱万丈な音楽生活を迎える事になるのだけど、それはまた別の話だ。

 

*1
事前に録音、打ち込みしておいた音やフレーズのこと 足りない楽器隊の音を埋めるが、生音ではないため迫力に欠ける




2022年 冬のバンドリ祭 主催のShiozaki☆Koube様

『月輪より滴り』作者の落元和泉様
(『月輪より滴り』をランキングから拝読させて頂いた際に
冬のバンドリ祭の宣伝をされていて当企画を知りました)

冬のバンドリ祭参加者の皆様

に厚く御礼申し上げます


以下、本編に関する蛇足

本当はバンドストーリー1章分、20,000字前後で一気に投稿するつもりでした
ざっくりしたプロットはあります
続きはいずれ、気が向いたら……

追記
なんと続きました
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