断捨離をかねて衣装ケースを整理していて、ふと気付いたことがある。
私が持ってるの、オールインワン*1の服ばっかだ!
おかげで夏用も冬用も衣装ケースがかさばってしょうがない。
思えば今春は幾つかのキャミワンピとボウタイワンピしか着回してないかもしれない、いくら着痩せ効果があるからといってちょっとものぐさすぎたか。
幼き頃、在りし日のピアノコンクール会場。
右も左も分からなかった私は大人しく母親の着せ替え人形としての役割を全うしていたのだけど、見ず知らずの女性が私の女性観を大きく変えたのだ。
二十前後くらいの女性が、品の良いグレーのボウタイワンピースでピアノを弾くのを見た。
私は一瞬にして心を撃ち抜かれた、大人の女性ってこうなんだ、って。
周囲の女性と違って、これぞ発表会の衣装でござい、というようなギラギラした意匠が一切ない潔さがとても良い。
ワンピ一枚を着てしまえばそれで完結するという手軽さも、ファッションとして実用的で美しく思えた。
無駄がない。
というか、今でこそ分かるが多分あの人、単に衣装用意するのが面倒で普段使いのボウタイワンピ着てきただけなんだろう。
一張羅という趣じゃなかったし。
それでも私の目にはその人のワンピースが他の誰よりも凛々しく、華々しく映ってしまって、そこで嗜好が完全に定まってしまったのだった。
今でも夏が近付くと、あの日の景色を思い出す。
色んな香水が混じった会場の空気、司会に名前を呼ばれてステージに上がる演奏者の緊張感、そんなものとは無縁だと言わんばかりに散歩中迷い込んでしまったみたいなボウタイワンピで颯爽と愛の挨拶を弾いて去っていった、謎のお姉さん。
清楚で華奢、清潔なホワイトサボンの香り。
誰もが思い浮かべる女性らしい女性の原風景として、私の心の真ん中にはあのお姉さんのシルエットがある。
遠く夜霞に浮かぶ影はもう酷く曖昧で顔も思い出せないけど……今もどこかで元気でいるだろうか。
私も今、あなたのようにものぐさなファッションばかりしています、歴史は繰り返す。
自堕落な春のファッションを反省して今夏に活かすと誓おう。
今のローテにフレアスカートも追加することにする、こないだ対バンしたバンドさんからもらったバンドTシャツもトップスに活かせるだろう。
閑話休題。
季節は巡って、今は初夏。
両親の代わりに公共料金の払い込みに最寄りのコンビニへ出掛けるだけでも少し汗ばむような陽気になってきた。
夏は、もうすぐそこまで来ている。
私たちのバンド、Roseliaの活動はまだまだ発展途上の段階。
最初に完パケ*2まで持っていったシングルはマスタ音源を動画投稿サイトにも投稿しており、インディーズのバンドとしては中々数字が回っている。
願わくば、この音源にPVが付けられればバンドとしての世界観も伝わるし音源の訴求力も高まるんだけど、流石にこの短期間にプロモーションビデオの作成までは手が回らなかった。
ちゃんとしたスタジオ借りて、衣装借りてカメラマンさんを雇って……となると平気で7桁の金額が飛んでいく、今の私たちではとても手が届かない。
いつも通っているスタジオの店員さんの知り合いにデザイナーさんがいたので頭下げてわざわざ画像素材を作ってもらい、その素材(お洒落な風景画)を音源にくっ付けて Official Audio という形で投稿しているけど、余裕ができたらいずれ何らかの形で改修したいと思っている。
Roseliaとしてのオリジナル楽曲は、現在3曲。
まだまだ持ち曲が少ないので、持ち時間が余ればヒットしたアニメソングやビルボートチャートに載っているような今が旬の曲を私たちなりにアレンジしてカバーした楽曲でお茶を濁している。
所詮素人に毛が生えた程度の女子高生バンド、既存曲に対して革新的なバンドアレンジなどできる筈もなく、流石にオリジナルの楽曲と比べればアレンジは凡庸そのものだけど、スタジオで各自静寂を埋めるようにバッキングフレーズを持ち寄って盛り上がるのも中々楽しい経験だった。
何より、いくらオケが私たちの作る凡庸なものであってもボーカルが一線級なのでしっかり形にはなる。
一本芯の通った力強い歌声は一種の反則だと理解させられた。
とはいえ既存楽曲のカバーは権利関係が色々と煩雑でインターネットには投稿し辛いし、やはり楽曲制作が追い付くまでの間に合わせ、という共通認識があり、そんな空気感も手伝って、最近の湊さんはスタジオ練習もそこそこに、すぐさま帰宅してしまう頻度が増えた。
制作の方は中々煮詰まっているらしく、難しい表情を浮かべていることも多い。
スタジオ帰り、一緒になってみれば立ち寄った公園で開催されていた猫の集会を鯖缶片手に物陰から眺めていたりする、愉快なバンドリーダーである。
というわけで、今月は差し迫ってライブの予定はないし、スタジオ練習も週末に一度。
つまり今のRoseliaは、なんというか充電期間のような感じ。
私、Roseliaのキーボード担当白金燐子は、昨日自室で練習しすぎて手首が炎症を起こしてしまったので、今日を休養日と定めゆっくり腰を据えて衣替えをしていた。
依然、焦燥感は抱えている。
それでも、湊さんが持ち寄るデモ音源のクオリティが想定を遥かに上回るものだったという安心感が今は大きい。
プロ志向の湊さんは、あれで楽譜も読めるしギターだって弾き語りどころか、他所のかなり売れてるバンドからギタリストとしてサポートの要請が来たこともあるぐらいには実力を買われているらしい。
当然作詞作曲もできるし、共有されてくる楽曲のクオリティには目を見張るものがある。
素人が手慰みで作ったようなものとは明らかに一線を画す、職業作家を目指しているのか疑うレベルのそれは巷で流れているメジャーレーベルのバンドのものと何ら遜色ない。
1コーラス聴いただけで、私たちは『本気で』戦っていけると確信した。
湊さんは何一つ嘘を吐いてはいない、言葉の通り愚直なぐらい誠実に音楽と向き合っているし、それを仕事にしていく人になるだろう。
彼女は私たちが安心して背中を預けるに足る人物だと、音源は言葉以上に雄弁に語っていた。
湊さんは、時間さえあれば必ず良い音源を作ってくる。
こればっかりは焦ったところでどうにもならないし、今は既存楽曲の個人練習を徹底する以外にできることがない。
バンドのブランドイメージを大切にしすぎて近寄り難い印象を与えるのも良くないし、発信力のあるアカウントでメンバーのプライベートな何気ない瞬間のオフショットを発信するアカウントでも作りたい所、今度湊さんに相談してみようかな……と、Roseliaの広報面に悩んでいると足元の布が少し振動した。
去年の秋口に調子に乗って増やしすぎたニットワンピ(処遇に困っている)に埋もれていた携帯を掘り出して確認してみると、珍しい人物からの着信を告げている。
「あっ、燐子~! こっちこっち!」
「りんりんだ~~~!」
「皆さん、お疲れ様です」
呼ばれたファミレスに向かってみれば、バンドとしては何も予定のない休養日にも関わらずRoseliaが勢揃いしていた。
手を振って迎えてくれた今井さんのいるテーブルへ向かえば、その向かいに座っていたあこちゃんが立ち上がって結構な勢いで飛び込んでくる。
抱き留め、そのまま抱き締めて今日のあこちゃん成分を補給。
あまりにもいとしい……
「りんりんはやっぱりワンピースが似合ってる! 大人っぽくて綺麗~……」
本当にこの娘は、どうしていつもピンポイントで欲しい言葉をくれるんだろう。
キラキラした瞳が映す色はきっと私の視界より何十倍も眩くて、時々少し涙が出る。
あこちゃんは、とても律儀でまめな人だ。
一緒に遊んだ日は必ずお礼の連絡をしてくれるし、会った時の第一声でこうして服装を褒めてくれる。
細やかな気配りは誰であっても色好く映るし、人タラシの片鱗を感じるのだ。
私が守護らねば。
ちなみに私はスマホの周囲に転がっていたもこもこのニットワンピをそのまま着てきた。
いや、衣替えがてら部屋の掃除もしようと掃除機かけてたりしたから中等部の頃のジャージ着てたし、流石にそれでは外に出られないので……
「ありがとう、あこちゃんもよく似合ってるよ。 ネックレスも新しいのだよね、とってもかわいい……」
『かっこいい』を大切にしているあこちゃんはパンク寄りのゴシックなファッションのことが多くて、小柄で溌剌として太陽のように明るい人柄もあってか、ゴテゴテした装飾の服も原宿系の派手なデザインやオーバーサイズの服も卒なく着こなしてしまう。
今日の黒と赤を基調としたオーバーサイズのカットソーにワンポイントあしらわれた、月にのっかった猫のネックレスもかわいい。
というか軽く見渡すと、湊さんは涼し気な素材のカーディガンだし氷川さんは上品なネクタイ付きブラウス、今井さんはデコルテのラインで素肌が出るデザイン以外は私と同じようなニットワンピース、皆して以前のスタジオ練習の時より涼し気な装いになっている。
今井さんのニットワンピースの方が私のものより裾が長いから肌面積は少ない筈なのに、なんだか女性的で少しえっちに見えるのはどうしてだろう。
くびれのラインも凄い、同性の私から見ても綺麗なスタイル。
満足するまであこちゃんを撫でまわしてから席を譲ってもらえば、その隣で自分の前に抱え込むようにフライドポテトの皿を置いている氷川さんに挨拶される。
氷川さんファミレス来るとそればっかだ、せめてサラダと一緒に注文して欲しい。
「急に呼び出しちゃってごめんね~……結局メンバー全員集めちゃった」
訊けば、最初は制作で煮詰まってる様子の湊さんを見かねて、気分転換がてら今井さんが食事に誘ってここに来たらしい。
そこに偶然氷川さんが居合わせ同席、折角ならと私とあこちゃんもお呼ばれした、という経緯。
あこちゃんも今着いたばかりのようで、鞄から制汗スプレーを取り出す所だった。
私にも貸して下さい。
あ、爽やかで良い香り。
対面に座る湊さんは、何故かずっと今井さんにされるがまま大人しく頭を撫でられている。
あこちゃんの出待ちに付き添った時も思ったけど、時々この人のこと猫みたいに見えてくる時があるな……
ぼーっとしている湊さんの視線の先に人差し指をそっと差し出してゆっくり動かしてみれば、視線で追いかけてくる。
たまに学校の裏に出没する野良猫の姿に重ねながら続けてたら、急にがぶっと噛まれかけて急いで避けた。
あぶない……!
「人を猫みたいに扱わないで」
「友希那、どうどう。 まあまあ落ち着いて……」
フーッ……がるるるる……と威嚇されてしまう。
全然懐いてくれてない!
けど意外とノリは良いんだよなあ。
「嫌われちゃいました」
「この程度で嫌われるなら、白金さんは既にこのバンドにはいないと思います」
確かにそうかもしれないが酷すぎる。
最近氷川さんもこういう時の私の扱いが目に見えて雑になってきている。
まあ、仲良くなれたみたいで嬉しいからいいんだけど。
何も言い返せないのも少し癪なので、氷川さんの目の前の皿に手を伸ばしてポテトフライを口にすると、ぐぬぬ……みたいな表情をされた。
え、まさか本当に1人で全部食べきるつもりだったんですか。
Roseliaのメンバーと談笑しながら、テーブルの中心に鎮座する料理に宿敵を見てしまい内心頭を抱えていた。
豚肉とセロリのペンネ。
何故こんな、どうして……
セロリを、セロリを入れないで欲しい。
豚肉とトマトのペンネを作る際にはしめじや玉ねぎで代用して下さい。
丹精込めて育てている農家さんには大変申し訳ないが、セロリなどという巨悪がこの世にのうのうとのさばっていることは到底許容できない。
忘れもしない、買い出しから帰った母がたおやかな笑みとともに告げた食材の名前を。
その日、突然に平穏は崩れた。
地中海沿岸からもたらされた災厄、平気な面をしてお味噌汁に浮かぶそれに私はなす術もなく敗れ去った。
今はバンドメンバーといるので素知らぬ顔で平然と食しているが、これは強靭な理性によって我慢しているだけ。
子どもだろうが大人だろうが関係なく、苦手なものは苦手なのだ。
よくこんな青々とした植物を最初に口にしようと思えたなあ、何事においても先達は偉大だ。
今もなお、口腔内に広がる混沌には果てがない!
私は知らないうちにどれだけの罪科を抱えたのだろう、せめて今生で贖いきれればいいのだけど……
数ある食物の中で好悪があるのは当然と言えるし、人の好き嫌いを私は笑わない。
なんなら代わりに引き受けるぐらいの器量があるのだけど、翻って自分のそれを易々と開示するのはその、恥ずかしい。
歓談に集中しているふりをして逡巡していると、皿に残った僅かなセロリは全て今井さんの口元に運ばれた。
そっと、さりげなく私にウィンクを浮かべて。
い、今井さん……!
混迷とした暗雲立ち込める世界に、雲間を切り裂いて一筋の光が差した。
なんたること、薄明光線は実在したのか。
求めてやまない光は今ここに、バンドの中にあった。
今井さんはこんな風に、誰に誇ることもなく幾度も人を救っているのだろうか。
こうして、私はまた一つ今井さんへの信仰を深めることとなった。
なんだか今日の出来事それ自体が、私たちRoseliaの関係性の縮図のように思えてきた。
そもそもこの会合の起点は今井さんからの電話だったし、今のセロリの件に限った話でなくて私たちはこれまで幾度となく今井さんの存在に救われてきた。
今井さんは群を抜いて社交的な人。
あこちゃんが尊敬と信頼を寄せる理由も分かるというぐらい、人と交友関係を築くのが抜群に早い。
実際に話していても分かるが、今井さんは本当に一挙手一投足に至るまで人を良く見ている。
相手が今何を望んでいて、何を嫌っているかを判断する観察眼が特別鋭い。
キャッチボールが正確かつ巧みというか、相手に良い印象を残すのがべらぼうに上手い。
明らかに今井さんと一緒の時だけ人に話し掛けられる回数が多く、それらは揃いも揃って今井さんの友人たちなのだから凄い。
彼女の会話は人を選ばない、だからバンドの外部との折衝役になるのは自然の流れだった。
ライブのブッキング関係の連絡やスタジオの予約、音源の関係で手伝ってもらっている音響関係のスタッフさんとの連絡役等、外部との折衝は今のところ大小を問わず全て今井さんに受け持ってもらっているが、彼女は別にそれをさして苦にもしていない。
いつもいつも本当にありがとうございます。
それどころか、普段の日常生活さえ私たちは今井さんに大いに助けられている。
あこちゃん以外割と話し下手で聴き手に回ることが多い私たちは今井さんがいないと会話の切り出し一つもままならないし、スタジオ練習の詳細な段取りとタイムスケジュール作成も、ライブの際の音出し、PAさんへの指示出しにもかなり救われている。
スタジオでもライブハウスでも、サウンドチェック時の今井さんは際立って手際が良い。
よくお世話になっているライブハウスでは私のキーボードの数字も私が何か言う前にPAさんに指示出ししてくれるんだけど、どこで知ったんだろう、私多分教えたことない気がするんだけど……
一度、今井さんが所用でスタジオ練習を急遽欠席したことがあって、結局あの日は私が一日中今井さんの模倣をしてなんとか事なきを得たが、一日大変な目に遭った。
体感して分かる偉大さ、『も~、仕方ないな~♪』で済む仕事量を優に超過している!
どうして人に頼られてあんなに嬉しそうにできるんだ、精神が菩薩の領域に足を踏み入れているような気がしてならない。
日頃から細やかな配慮、気遣いを誰にも悟られることなくできる、影日向なく咲く花。
「今井さん」
「うっ……やっぱり燐子は分かっちゃうか~……」
丁度、視線を寄せたから気付いた。
対面の今井さんに手を伸ばして、ほっそりとした華奢な手に触れる。
実はRoseliaで一番無理をしがちなのは今井さんだったりする。
彼女は人の機微には繊細なのに自分のことになるとてんで無頓着になってしまう悪癖がある。
それを気取らせないことだって得意なのだから始末に負えない。
大切にしていたネイルを全部剥がして、本当につい最近まで毎日指先が血だらけになる程練習していたと湊さんから聞いている。
指先の皮が厚くなった今でも、時々こうして腫れるほど無理な個人練習をしてしまう。
単純に長時間熱中し過ぎ、劣化した弦で指先に負担を強いてしまっている、の2点が原因と見た。
きっと、誰より今井さん自身が理解している。
計り知れない重圧があるだろう。
以前経験があるとはいえブランクはかなり長い。
当初ほぼ同じような立場でスタートしたあこちゃんの練度は青天井よろしく今も成長目覚しい。
自分の頭上にだけ大きな薄闇色の澱みが浮かんでいる。
不安という雨雲を振り払って精神の安寧を守るには、もっと練度を高めなければならない。
私が皆の重荷になってはいけない。
焦る程集中は削がれてリズムキープが乱れ、ミスタッチが増えていく。
今日はもう駄目かもしれない、では明日は?
明日課題が解決できる保証なんてどこにもない。
今日できたことが明日もできるだろうか。
こんな進行度で習熟していては、次のスタジオ練習までには到底間に合わない。
篠突く雨、心に汚泥が降り積もっていく。
もうなにをしても決して払拭できない恐怖心に苛まれ……
気持ちはよく理解できる、痛い程に。
でもそれは皆同じなのだ。
私の頭上にも高密度星に似た強い引力を持った闇が常に浮かんでいる。
今井さんの一際長く蠱惑的なまつ毛が、大きな瞳が揺れた。
「楽器店、私もお伴させてください。 いつでも空けておきます」
「燐子……」
「愚痴でも恋愛相談でも、なんでも話して下さい。 私でよければ、ですが……」
雨は、晴れない。
けれど傘を差し出すことはできる。
あるいは一緒に濡れて歩いたっていい。
恐怖や不安はそう簡単に克服できずとも、人と分け合うことはそれ程難しくない。
触れた手を両手でしっかりと握る。
手だけが繋がっていても人肌は十分に伝わる、今井さんのように穏やかな温かさを。
血行が悪く平熱も低い私の手は人より冷たいから、とりわけ温かく感じる。
握っているとぽかぽかして気持ちが良い、とても落ち着く。
細長く、スラっとして女性らしい手。
私より長いすべすべした指。
爪先だって短く美しく磨かれて、ネイルがなくてもきらきら輝いている。
この人はこんな小さな手で、私たちを支えてくれている。
傷なんか絶対に残せない。
今井さんは謂わば私たちの精神的支柱なんだ。
私の目の黒い内は無理なんかさせてあげません。
今井さんのような真面目故に抱え込むタイプには、一人でないことをとにかく毎回懇切丁寧に心に刷り込んでいくしかない。
迷惑なんて思わないし、別に迷惑もいくら掛けてもらったって構わない。
困った時はお互い様なんだ、だから私が塞ぎ込んだ時には手を引いて欲しい。
全員が軽くない責任を負っているからこそ私たちは心を重ねていられる。
一蓮托生。
バンドでいるとはそういうことだと、私は思う。
「……燐子。 いつまでリサの手を取って見つめ合っているつもり」
ジト目をしたお猫様……でなく湊さんの指摘にそれもそうかと握っていた手を離す。
いつの間にか今井さんの頬には薄く朱色が差していた。
全然気付かなかった、すみません。
「そんな優しい目で指撫でられたらハズいよ……」
や、本気のトーンで照れられると私も恥ずかしくなってきた。
急に暑くなってきた気がして手で顔を仰いでいると、氷川さんと目が合う。
相変わらずですねってどういうことですか。
助け船を求めてあこちゃんを見ると丁度今届いた和栗のモンブランにご執心だった。
甘いものが大好きなあこちゃんかわいい、大変な癒し。
お口拭いてあげます。
え、一口くれるの。
じゃあ私のケーキと交換しよっか。
「そういえば、私にメジャーデビューの打診が来たわ。 断ったけど」
不意に、湊さんがこともなげにとんでもないことを言いだした。
確かに、大きなライブハウスに招かれた際はビジネスマンのような装いをした人間が出入りするのを見かけることもある。
ビジネスの形態が大きい彼らは、効率的な広告や販売戦略、大型IPとの楽曲タイアップ、より大きな会場へのブッキング(具体的にはアリーナやドームの単独公演)に大きく貢献してくれる。
その見返りに、発生する興行収入を大きな割合で持っていく。
大手メジャーレーベルを相手にしたこの手の契約は、一般に『メジャーデビュー』と呼ばれる。
訊けば、湊さんの元に訪ねてきたスカウトとの契約では
・レーベルがお抱えの作家に描き下ろさせた楽曲を用意
・ビジネスパートナーを完備、全員が一線級のスタジオミュージシャン
・実質的な『FUTURE WORLD FES.』出場権の獲得
といった条件を打ち出されたらしい。
他にも随分な誇大広告を長々話していたがその大半は忘れてしまったとか。
謎の天才女子高生ボーカルとして鳴り物入りで売り出すつもりらしい。
いかにも大手の芸能事務所が好みそうなシナリオ。
こういうタイプのスカウトは、同じ若者の偶像となるような優れた容姿と類い稀な歌唱力を併せ持った人間を常に血眼で探し求めている。
そこに人格や音楽性は最初から勘定されていない。
少し探せばいくらでも替えが効くような使い潰しの花形ボーカル求人だとしても、アイドル願望を持った向こう見ずの若者なら絵空事の甘言で食いつくだろうという、悪徳なビジネス。
私たちの湊さんが、随分舐められたものだ。
大人たちからしたら、所詮私たちの音楽など子どもの児戯に等しいものなのかもしれない。
よくある女子高生ビジネスの延長線上にしか市場価値のない、学生というモラトリアムの中でのみ通用する子ども騙しだと。
「『FUTURE WORLD FES.』に出場することは私の悲願……それでも、不思議なぐらい心は凪いでいた。 登り詰めるならあなたたちと一緒じゃなければ、意味がないもの」
やはり、私や今井さんが抱えていた焦りは杞憂ではなかった。
湊さんの歌声は既に一人で商業のレベルにまで達していて、私たちがその足を引っ張っているということが事実として証明された。
悔しいと思った。
それでも、この無力感を表に出すのは許されない。
だって、こんな悔しさは欺瞞でしかない。
本当に悔しかったのは私たちじゃない。
私たちを信じて音楽を続けている湊さんは、目の前で業界の人間に自分の仲間を侮られてどんな気持ちでいただろう。
「浮かない顔ね、吉報を届けるつもりで口にしたのだけど……」
湊さんが保留するでもなく、綺麗さっぱり断ってくれたことは嬉しい。
湊さんは、私たちのことを信じてくれている。
それが嬉しくて、悔しい。
地元の小さなライブハウスでRoseliaの演奏力は凄いだなんて持て囃されて、良い気でいた浅ましい自分が酷く惨めで許せない。
私たちの及ばなさが、湊さんにこんなことを口にさせてしまった。
まるで私たちは鳥籠だった、彼女は一人でも大空を羽ばたけるのに。
「……忘れてしまったの? 選択の権利はこちらにもある、あなたが私に言った言葉じゃない」
湊さんが、さっき私が今井さんにそうしたように、私の手を取って優しく握った。
視線が交錯した。
湊さんの楊梅色の瞳の奥に、弱々しく今にも消えてしまいそうな表情の私が映っている。
……今、私が沈んで何になるのか。
大手メジャーレーベルから見た今のRoseliaを、フラットな視点で評価してもらえたのだ。
現状を知れた、と好意的に捉える他ない。
Roseliaは常にできることをしていた。
現状の練度ではこれが最大、毎回そう胸を張って言えるし、安くないチケット代の分の音楽を聴いてもらっている。
それでも、それは地方のインディーズバンドの上澄みとしての評価でしかない。
とんでもないボーカルを抱えた多少上手いインディーズバンド、湊さんのワンマン組織。
これがどうしようもない世間からの評価、現実。
素人としては異次元に上手い、では意味がない。
観衆の評価の軸そのものを上振れさせなければ、先はない。
若さを担保に評価を頂いているこのモラトリアムの間に、商業で音楽をしているメジャーのバンドよりも更に練度を高めなければいけない。
一人一人の練度もバンドとしての音作りもステージングも、当たり前だけど私たちはプロと比較してまだまだ全然勝負にならない。
この街で一番とか、そういう井の中の蛙で満足している場合じゃないんだ。
「私たち、もっと頑張ります。 湊さんに二度とそんな思いして欲しくないから」
「うん。 もっと大きいステージでも、胸張って友希那の隣でベース弾きたい」
「……そうね。 『FUTURE WORLD FES.』はもう湊さんだけの夢じゃないもの、あなたをそこへ連れて行きたいと、ここにいる全員が心から思っている」
「あら。 私は連れて行ってもらおうだなんて思ってないわ。 この5人で頂きに立つのだから」
今日この日、私たちの決意表明はきっと暫らく忘れられない。
当初、私にとってRoseliaはあこちゃんのためのバンドだった。
それでも今は、私たちを選んでくれた湊さんの選択に、その強い信頼に心から報いたいと思っている。
話の間中ずっと、栗本来の素朴な甘みとホイップクリームをめいっぱい詰め込んだ美味しいモンブランを心ゆくまで堪能していたあこちゃんにぽしょぽしょ耳打ちする。
もう、お口こんなに汚して、拭いてあげるからこっち向いてじっとして。
「私、友希那さんの歌をもっともっと沢山の人に届けたいです! 勿論、この5人で!!」
「あこちゃんもこう言ってます」
「言わせた……!?」
「……白金さん……」
「私はなにもしていません」
湊さんはふざけた様子の私たちに笑みを浮かべて、ただ穏やかに眺めていた。
「意外、と言う他ありませんね。 孤高のボーカリスト湊友希那さんともあろうお方が、お友達とバンドごっこに興じることに夢中になってしまったのですか?」
侮蔑、嘲笑、憐憫。
腐る程浴びてきたそれらにはいい加減慣れっこだった。
人はみな、他人の人生に無意識に自分の人生を投影させて、自分の物差しでしか他人を評価できない。
たった一度きりの人生、千差万別の経験を万人に当てはめることなどできないのに。
針の穴に糸を通すような細い線を通して、私の父はかつてメジャーデビューを果たしたのだ。
凡百の人生程度の価値観と同列に語られるなど、不愉快甚だしい。
「誤解が二つ。 まず一つ、私は一度も孤高のボーカリストだなんて恥ずかしい二つ名を名乗ったことはないのだから二度と使わないで欲しい」
まあ。
音楽家の経験があるとはいっても、今の父は普通の商社に勤めているし、たとえ将来作り手に回れたとしても生涯音楽の仕事で生計を立てていくのは確かに難しいだろう。
なるほど、それは就業人口の少ない、選ばれた人間にしか務まらない職業だと言えるかもしれない。
私は、天から才覚を与えられたという自負がある。
その才能を持って生まれた人間の義務を果たす、それだけだ。
「そして二つ。 仲良しこよしのバンドごっこで頂点を獲れない、と誰が決めたのかしら。 あなたが今日私の、私たちのRoseliaを侮ったこと、必ず後悔させてやるからよく覚えていなさい」
そして。
私は別に誰にどう評価されていようと、然程気にしない。
幼い頃から他人の評価軸が高い所にあって、歌声を厳しい批評家たちに曝されていた父を見て育っているから、責任を持ってくれない日和見の他人の意見なんて碌なものではないと身を持って知っている。
それでも、私の友人たちを、戦友を、同胞を、最愛を、何の独自性もない手垢に塗れた中傷で傷付けられてそのまま黙っていられる程、人間ができていない。
誰もが名前を知る超大手のレーベルの営業の人間が、せいぜい高校二年の小娘の気迫に恐れおののいて半歩のけぞっているのを見て、少し溜飲を下げる。
彼女たちは、それぞれ私がその才覚を見初めてスカウトしてきた。
まあ、中には多少強引な自薦や勧誘があったことは否定しないが、それらの巡り合わせは結果、良い方向に作用した。
この先、私の運命を預けることになんの憂慮もない。
私の描いた音楽。
私の信頼するメンバー。
そして時間。
今の環境には全てがある。
正しく積み重ねれば、Roseliaは必ず評価される。
後はもう、登り詰めるだけだ。