プロローグ①
今日も巨大な学園は、都会の真ん中の一等地にあった。
誰しもが「ここは世界の中心だ」と疑わない佇まいで。
『私立 希望ヶ峰学園』
それは、ありとあらゆる分野における超一流の高校生を集め養成する政府公認の学園。
各方面の才能溢れる生徒たちを磨きあげ、各界に優秀な人材を送り出している。
学校にしてはまだまだ浅い歴史ではあるが、輩出してきた才能はどれも素晴らしいものであり、各方面、日本中、いや世界でも注目され続けている。
ある者は、帝王学を叩き込まれ、数多くの企業をまとめあげた凄腕のエリートである『御曹司』
またある者は、小中高校と水泳の記録を次々と塗り替えてきた、オリンピック候補生の『スイマー』
さらには、3000人の構成員を携える指定暴力団跡取りの『極道』……これは、ほんの一例にすぎない。
多くの才能の卵が、この学園で生み出され、新たな世界に導く“希望”となって羽ばたいていったという。
こうして聞けば、非の打ちどころのない学園に思えるだろう。
しかし、学園の歴史を紐解くと、歩んできた歴史が光り輝く道ではない。
希望ヶ峰学園は一時期、『ある事件』によって、やむを得ず休校……いいや、廃校に近い状態になっていた。
それでも、各方面から復活の声。なによりも学園のOBやOGたちの活躍や支援によって復活へと至った。
再開当初は細々とではあったが、今では全盛期ほどに活気が溢れる学園へと返り咲いた。その姿はまさに、学園そのものが『希望の象徴』とも言われるほどだ。
そして、この学園に入学して無事に卒業できれば成功も同然と言われている。
期待と不安。
憧れと焦燥。
希望と飛躍。
多くの感情が混ざり合いながら、俺は、今。
この学園の寄宿舎へ向かおうとしていた。
今日は2月28日。
この日は、月の終わりだけでは無い。
それは、“学園生活に終止符を打つ前日”でもあった。
他の生徒たちが足早に談笑しながら歩き去るのを傍目に一息つく……『浮足立つ』というのは、まさにこのような状況にふさわしい言葉だろう。
さて、少し遅れたうえに、オーソドックスではあるかもしれないが自己紹介しよう。
俺の名前は、『七島 竜之介(ナナシマ リュウノスケ)』
『超高校級の書道家』……いちおう、これが俺の肩書だ。
ほとんどの人が予想する通り、書に精通していて、数々の賞を貰っている。
しかし、テレビなどのメディアはあまり好きではないため、顔出しはせずに細々と活動を続けてきた……そんな説明だと、華々しい活躍を送っていないように思えるかもしれない。
それでも、書道界では俺の名前は知られている……つもりだ。
書には何十万の価値がつくようになり、自分が憧れていた書道家にも歓迎されるという待遇を受けて、ようやく自分が歩んでいる道の大きさに気づかされたのだ。
しかし、どんなに有名になっても、成功同然の卒業が決められた今になっても、俺には書道家の自信がなかった。
この気持ちが、どこからやってくるのか?
それは、かれこれ入学式前からさかのぼる。
≪私立希望ヶ峰学園 補欠入学通知≫
七島 竜之介 様
おめでとうございます。
あなたは補欠として、第95期生“超高校級の書道家”の肩書で我が校に招き入れることになりました。
ある日、このような通達が家に届いた。
それは俺が希望ヶ峰学園ではない、普通でありきたりの高校で3年間を過ごしていた時。
卒業まで残り僅かで、大学入試に士気を高めようとしている1月初めのことだった。
これは夢か? はたまたイタズラか?
滑稽なことに、頬をつねってみたり、父親にお願いして学園に問い合わせてもらったりしたものだ。
事情は通知にあるように至ってシンプル。どうやら、俺の他に『超高校級の書道家』が入学を決められていたのだが、その生徒が事故で辞退せざるを得ないことになった。そのため枠が余り、代わりとして、俺が新たに『超高校級の書道家』として選ばれたと言うのだ。
国語教師の父、司書の母、絵本作家の姉と、たしかに文系の家ではあったが、名門の書道の家に生まれたわけでもない。
書道は小学校3年生の時に、父の勧めでやってみて、その面白さに目覚めてずっと取り組んでいただけだ。
それでも学校の書道は毎回金賞、学校外の老若男女が応募するコンクールでも1位を取れることがある。
自分でも手ごたえはあるほうだと思っていたし、少しずつ有名になっていくのは実感していた。しかし、それより大きな存在がいることは言うまでもなくわかっていた。越えられない壁が俺の前にいつも立ちはだかっていた。
――二番でもいいじゃないか
教師でありながら、勉強では放任主義の父はそう言った。
この言葉は、なぐさみにも思えて最初こそは反発を覚えていた。
悔しくて惨めで、負けたくないという闘志を再び燃やしてくれたものだ。
しかし、いつからだろうか?
父の言葉に肯定している自分が現れた。
手をどんなに伸ばしても、やはり届かなかった。
どんなに頑張って書き続けていて、素晴らしい作品ができたとしても。
もっと大きな存在は、一つ書くだけで称賛されるんだ。
結局、俺はそのような才能を持つ人間ではない。普通よりちょっと上、それが俺に似合う。気がつけばそう決めつけるようになっていた。
希望ヶ峰に行きたい……そんな望みも、小学生までの俺には少なからずあったが早々と道を諦めていた。だから、これからは大学生活から、就職をして、うまくいけば家庭を持って、平凡な生活を送れればいい。
……そんなはずだったのに。
まさかこのような形で、“希望”を手に入れるとは。
通達が届いた時、両親は目を丸くし、姉は歓喜の悲鳴をあげたものだ。渦中の俺は呆然とするしかできなかった。
そして母も姉も、あの『二番でいい』と慰めていた父も。
俺に希望ヶ峰に行くことを勧めて今に至るのだ。
今でも入学式で見た桜が脳裏にひらひらと舞い散る。
それは綺麗と言うより、だれかの涙のようだと咄嗟に思った。
晴れやかという言葉には程遠く感じられる思いが焼きつき、ずっと桜に問いかけていた。
――どうして、俺なんかが?
本当に希望や才能に溢れていたのは辞退した書道家のはずだ。
俺はただの二番手であり、凡人だ。
そして、俺は『平凡』を受け入れていたんだ。
才能も、心構えも、正真正銘の『超高校級の書道家』なんかじゃない。
入ってしてすぐに、補欠で入ったことは学園中の噂にもなった。補欠入学というのは希望ヶ峰学園側にとっても珍しいことだったのだ。
そして、そんな俺が影で囁かれたあだ名は。
『超高級の幸運』
でも、そちらのほうがお似合いだ。
むしろ、それで呼ばれていたほうがよかったのか。
何故なら、これは本当のことだから。
俺は生まれもった才能や実力で『書道家』を掴み取ったのではない。
これは完全なるお零れであり、『幸運』だったのだから……
「よおう、しっけた顔の七島くんよぉ!」
突然、俺の肩に軽く衝撃が加わった。
振り向くと、がたいの良い男子生徒がイタズラっ子のように笑っていた。
長身で、強かな筋肉が薄いYシャツ越しからでも分かるぐらいに、たくましい体つきだ。
「まったくよ……なにを悩んでいるんですかー。明日は卒業式ですよー? 周りは希望と夢と愛に溢れた良い表情だって言うのに。ゾンビの幽霊みたいな顔してんの、お前だけだぜ。いろんな意味で、目立ってんぞ!」
そう言って、彼の肩が俺の肩とぶつかる。
今度は、肉体に痛みが生じるほど強烈だった。
「でさ、なにを悩んでんだ? 進路は決まってんだろ?」
「別に悩んでないよ。ただ、お前の才能はすごいなあって思っていただけで」
「なんじゃそりゃ。嫉妬ってことか? ……あのな、七島。お前の才能を言ってみろ」
「しょ、書道家だけど……」
「この学園生活で書道のことで猛勉強して、それでも自分のことを『書道家だけど』は、ねえんじゃねえのか? 最後だから言わせてもらうぜ……もっと自信持てや! この学園でいろんなことを学んで、そんで卒業の証も明日になったら貰える! そしたら、お前はもう立派な書道家なんだぜ!」
「わ、わかってるよ」
よし、と言って、彼はまた笑った。
彼は『萩野 健 (ハギノ ケン)』『超高校級のボクサー』だ。
萩野健――彼は中学時代、年上の不良たちと大騒動を巻き起こすほどの喧嘩をしてしまい、学校からも登校禁止を下された札付きの不良だった。
しかし、その喧嘩を見ていた元ボクサーの飲んだくれの男に腕を見込まれて、ボクシングの道を歩み始めたという。
練習を積み重ねるうちに恵まれた才能と努力が開花して、強靭な体を作りあげ、わずか数年で世界チャンピオンにまで辿りついた奇跡の王者だ。
それは『超高校級』としてふさわしい才能の持ち主で、俺の憧れだ。
そして学園生活での級友でもあり、人と話したがらない変わり者であった俺の唯一の親しい友人だ。
ちなみに、かつて、この学園にもボクサーが在籍していたそうだが、萩野曰く『推測に過ぎないがあっちはクルーザー……いわばヘビー級ってヤツだろうな。俺はスーパーウェルター級。中間よりちょっと軽め。別名ライトミドル級だ』とのことだ。
「それはそうとよ。もう寄宿舎に戻るのか?」
「ああ、特に予定も無いし」
「だろうと思った。まっ。こっちも送別会、めんどくさくて断っちまった」
「そうなのか?」
「ああいうほどほどに親しかった奴と、バカ騒ぎするとヘンに疲れるんだよ」
軟派に見えるが、場に簡単に流されない芯の強さもある。
荒っぽいのは玉にキズだが、あっけからんとした言い方は嫌いじゃない。
そういうところに、ずっと助けられてきた。
「ええっと4時か。他のヤツらは送別会で忙しいとみなすと……そーだ! 食堂に行って、最後になんか飲みながら、のんびりしないか?」
なるほど、それは良い考えだ。
最後の日だ。一緒に語り合うと言うのも悪くない。
ここまで仲良くしてくれたことへのお礼も言いたかった。
「うん、そうだな。最後なんだし、な」
「よっしゃ、その返事を待っていた! 飲んで喋りまくろうぜ! あ、そうだ、スクワット200回して負けたほうが、おごりとかどうよ?」
「俺が不利じゃないか」
減らず口を叩きながら、俺たちは食堂に足を踏み入れた。
最後の食堂。
最後の語らい。
最後の学園生活。
最後の日常。
……そうなるはずだった。
「……えっ?」
食堂に片足を踏み出した途端、視界が溶けていく。
まるでコーヒーにミルクを注いだようにぐるぐるぐるぐると、黒と白が混ざり合っていって照明だけがキラキラと輝いていて目が痛くなる。
いいや、そんなことよりも!
自販機は?
食堂は?
萩野は?
学園は?
次々と浮かんでいっては消えていく。いや、なにもかもが溶けていく。体も、手も、足も、脳も。ありとあらゆる体の感覚がどんどんと朽ち果てていく。
そして――最後に訪れたのは。闇。
……最後なんかではなかった
これは、始まりだったんだ。
これが絶望的な、“終わりの始まり”だったなんて、俺たちは知る由もなかった……。