ダンガンロンパ(仮)-よみがえり-   作:冷凍かに缶

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Chapter2 罪は深き叫べよ男と女
(非)日常編 裁判翌日の波乱


 

 

 

 

 

 

Chapter2 罪は深き叫べよ男と女(おとめ)

 

 

 

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 

 

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 

 

 

 椅子からおもむろに立ちあがった。

 ……が、思わず足がもつれて倒れてしまいそうになる。

 

 結局、一睡もできなかった。

 さすがに疲れていたので転寝はしていたのかもしれないが、寝た心地はまったくない。

 重い頭をさすりながら食堂に向かうと、ほとんどの人が集まっていて着席していた。

 

「……萩野、おはよう」

「お、おう。遅いじゃねえか。また着れるYシャツ探しに手間取ったってか?」

 

 萩野は最初はぎこちなく笑みを浮かべていたが、また視線を落としてしまった。

 芸術作品だって同じだ。

 完成は程遠いのに、壊すのはあっけない。

 壊れてしまった日常を復活させるのは苦労するだろうことが今、この場の空気から嫌でも感じ取れてしまう。

 

 今いるのは、萩野に天馬。ランティーユに大豊……やっぱり、俺が数えると遅い。

 一目見ただけで把握できた四月一日の才能は凄いものだ。

 磔にされた血塗れの身体を思い出して、また前頭葉がずんと重みを増した。

 彼女たちを思い出すたびに、このようなことが何度も起きてしまうのだろうか……?

 

 

「諸君よ。いつまでテーブルだけを見つめる人生を送るのかね?」

 

 

 唐突に、マグカップを片手に持った円居が口を開いた。

 絆創膏を貼りつけたままの左手で、眼鏡をくいと押しあげる。

 裁判場で見せた背中の曲がった落ち込みようから一転して、ぴんぴんしている。

 彼の言った「立ち直りは早い」とはこのことだったのだろうか。

 

「ア、アンタみたいな、イカレ科学部に今後のことなんて聞かれたくもなかったわ……」

「まあまあ、そう言うな! よく案ずるより産むがやすしと言うだろう? 悔しい気持ちは痛い程理解できるが、あれこれ悩むよりも、行動を起こすべきだとは思わんかね? まず我々はなにをすべきなのか。では、答えていこうではないか」

「これ以上、コロシアイを起こさないこと。一番はこれだと思う」

 

 天馬の言うことに、みんな顔を見合せながらもゆっくり頷いていた。

 恐る恐るであったり、本当にそう思っているのか分からない人もいるが……いや、こんな疑心暗鬼になっていてはダメだ。

 それこそ、また悲劇が起こってしまう!

 

「もちろんそれは第一条件だな。では二つ目はいかがかね?」

「マナクマは何者なのか。希望ヶ峰学園は一体どうなってしまったのか。それを探るべきですね」

「私もそれに賛成よ。私たちの持っている情報量は明らかに少なすぎるわ」

 

 白河の意見に、紅も同調する。

 

「では、そのためにはなにをすべきか? それには、やはりアクションを起こさなければならないのだよ」

「そ、そうは言うけれど、もう誰も指示してくれる人いないじゃないの……私、これじゃあ、お荷物じゃない……どうすればいいのよ……!?」

「おめーは指示待ち人間かよ!?」

「指示できる人なら、白河くんがいいんじゃないのかねえ?」

 

 そう言ったのは、手に豆をのせて鳩に餌付けをしている十和田だった。

 ……って、あれ?

 

「『白河くん』ってどういうことだ?」

「たしか私は妖怪クラゲと呼ばれていたはずですが」

「君の考えはキライじゃないから、ぎりぎり合格点。今日からは人として扱ってあげる。ありがたく思えよ?」

「は、はぁ……それはどうも。恐縮です……」

「超高校級の清掃委員ってバカにしてたけどさ。マジックの練習後の掃除とかで便利そうだよねえ。それにさ、裁判の時なんか悪くなかったよ。この場をまとめるんなら、彼がいいんじゃないかなあ? 水槽の藻以下の奴らの中ではさ、ぎりぎりまともだろ」

 

 つまり、白河は妖怪クラゲから昇格したということか。

 たしかに、まともだけど掃除に口うるさいのが俺にとっては困るんだよな。

 

 それに、裁判時は頼もしかったのは本当だけれど……。

 あまりにも落ち着きを払いすぎている姿は、少しだけ薄気味悪さも感じてしまった。

 どうして、あんなにも冷静に……今まで信頼してきた仲間の四月一日を牽制できたのだろうか。

 

「ちょっと待てっつーの、ラードボール!」

 

 だが、そんなやりとりの中で真田が勢いよく立ち上がる。

 アイラインが強く塗られた目がキッ、と吊り上がっていた。

 

「なんだよ、ぬりかべ厚化粧」

「ぬ、ぬりかべって!? リーダーは白河よりも、もっとピッタリの人がいるでしょーが! 紅ちゃんだよ!」

 

 真田がそう言って、紅を指さした。

 指名された紅は黙って彼女の話に耳を澄ませているようだ。

 そんな中、黒生寺が腕を組んで目を瞑りながら鼻息を鳴らす。

 

「ふん……どっちもどっちだ……力不足だろ……」

「はあ!? あんたマジでNWN?」

「寝不足わんこそばヌードルだと……?」

「“なんにも、わかって、ない”! ここにいる男子は全員リーダーに向いてないからハンタイ! 白河はガサツっていうより細かすぎるからダメ! 変なトコロにまでシンケー使ってこっちも余計イライラしちゃうでしょ!」

「あたしも紅っちがいいな! 白河っちよりもおっきいもん!」

「ウィ! マドモアゼルが言うなら、ぼくもマダム紅に一票!」

 

 ランティーユは完全に金魚のフン状態だな。

 それでも渦中の紅は黙ったままで動きを見せない。

 

 

「へえ……? 男がリーダーに向いてないなら、あいつはどうなんだよ? “前までリーダーぶってたヤツ”はさあ」

 

 

 前まで、リーダーぶっていた。

 たった一言で、軽快だった言い合いの空気が一気に冷え込む。

 眉をキリリとさせた真田は一転して真顔になった。

 

「っ……! ア、アンタ、四月一日ちゃんの悪口まで言うつもり……!? ふざけんなってのっ!!」

「……ふざけてる? あのさ、ふざけてるのはどっちか脳みそ絞って考えれば、すぐにハッキリするはずだけどねえ。女優さんの命を奪った挙句に、僕らを皆殺しにしようとした張本人。まさか、もう忘れたのか? 君だって、あいつに裏切られてるクセに、まだ『仲間』とか『友だち』だと思ってるんだあ? 脳内幼児向けアニメなのかなあ?」

「そ、それは……っ」

 

 勝気な真田も口ごもってしまった。

 彼女を慕っていた真田にとっても複雑のようだ。

 十和田は嫌味な笑みを満遍なく顔に浮かべていたが、瞳の奥からギラついた憤怒の視線を投げかけていた。

 

 “殺人者”……。

 四月一日が藤沢を殺してしまったのは事実だ。

 でもさすがに、十和田の言いようは極端じゃないか。

 

 だって四月一日も、仲間だったんだ。

 助け合ってきただけではない。一番積極的に発言してみんなのために一生懸命だったじゃないか。

 すべては、あのマナクマの動機が原因にすぎないんだ。

 そんな中、大きく舌打ちをしたのは黒生寺だった。

 

「うるせえ……なんにせよ、俺は束縛されるのはごめんだ……これ以上、喚くならブッ殺すぞ……」

「うわあ。このゴキブリ野郎、まだそんなヤバンなことを言うんだねえ?」

「やめてください、二人とも。空気が淀みます」

「やめさせてほしいなら俺を殺せばいい。殺せるものならばな」

 

 唐突に、黒生寺は椅子を蹴飛ばして立ちあがった。

 そして、あのBB弾銃が手に握られ俺たちに向けられていた。

 俺は――いや、毒づいていた十和田も、あのケンカっぱやかった萩野ですら軽く息を飲んでいた。

 すぐさまBB弾銃は降ろされたが、黒生寺の鋭く、真っ黒な眼差しは止まない。

 

「だいたい甘すぎるんだ、てめえらは……どんな世界でも人は死ぬってことを知らないのか? 命を守れないヤツはさっさと死ぬ。それは当然のことだ。理不尽に死なないだけまだマシだろうが。百戦錬磨がなんだか分かってない、てめえらに言っても無駄だが……俺に命や倫理の説教をする時点でアタマがおかしいな……イヤなら殺せ。殺しがイヤなら、俺にいちいち指図すんじゃねえ……」

 

 それは、威嚇するサソリの姿だった。

 黒生寺のオーラや殺気が一段と濃くなったように感じられた。

 

 

 

「あなたのことはイヤじゃないわよ。それに私たちは、あなたの倫理や考え方を正したいわけじゃないもの」

 

 

 黒生寺の強大なオーラに対して立ち向かった……いや、口を開いたのは紅だった。

 彼女は冷静に、それでも神経を尖らせているようでもなく、「お喋りをしたい」と言わんばかりの口ぶりだった。

 

「私がリーダーになるかならないかは、みんなの意見に任せるわ。けれど、これだけは言わせてちょうだい。まずは、黒生寺。好き勝手するなら勝手にしなさい。でも、マナクマのルールに適応しなければ、どんなに警戒心が強いあなたでもマナクマには敵わない。それだけは忘れないで。それに真田も。女性のために努力しているのは分かるけれど、性別で優劣を決めつけるのは、女性のために……いいえ、あなたのためにもならないわ。十和田も、人の神経を逆撫でる物言いは控えたほうが身のためね。ケンカで怪我するのはイヤでしょう?」

「うっ……ご、ごめん。ちょっとヒートっちゃった……」

「チッ……」

「げえ。三割も当たらない占い師みたいなアドバイスどうもでーす」

 

 真田はだいぶ落ち着きを取り戻したようだ。

 十和田も露骨にイヤそうな顔をしていて相変わらずの反応だが、それ以上の言葉は飛び出してこなかった。

 そして、黒生寺も舌打ちをしたものの乱暴にまた座り直した。

 やはり彼もマナクマには敵わないと悟っているようだな。

 

 静かに正してくれた紅に、白河も安堵の表情を見せていた。

 

「紅さん、お見事です。やはり指揮者であるあなたのほうがリーダーに向いているのでは?」

「リーダーね……でも、指揮者だけじゃ音楽は作れないのよ。それと同じ。私は一つ一つの『個性』がぶつからないように整えているだけ。そもそもリーダーが偉いっていうのはおかしな話だわ。この学園生活では、まとめ役も含めて、みんなで高め合うべきよ」

「では、こうしましょうか。今のところは二人でまとめましょう。それでいいでしょうか?」

「……まあ、勝手にすればあ?」

 

 黒生寺を少しだけ一瞥して、十和田はギンバトの頭を撫でている。

 とりあえずは終息はした、ということでいいのか。

 

 

 

 

「み、みなさま、みなさま~~っ!!! タイヘンタイヘンでございます~~~っ!!!」

 

 

 

 

 険悪な空気の終息と同時に甲高い声が響き渡った。

 扉から慌ただしい足音を鳴らしながら、食堂に飛び込んできたのは……魔法少女の角だ。

 「大変」と言う言葉に反応して、思わず俺は身震いをしてしまった。

 と言うか、角は来ていなかったんだな。

 

「チッ……今度はなんだ……」

「は、はひい、そ、それがでございますね。あのですね。そのですね。ああっ、黒生寺さま! おはようございます! 今朝はとても天気がよろしゅうござい……あ、天気は分かりませんでございますね!」

「早く言え……喉ぶち抜くぞ……!」

「は、はいっ! あの、芙蓉が今しがた確認したところでございますと、本校舎のシャッターがあがって、二階にあがれるようになっていたのでございます! それに一階のお風呂も開放されていたのでございます!」

 

 

 一瞬の沈黙。

 

 

「あ、そっか。学級裁判が終わると校舎の一部がカイホーされるって……あれってマジな話だったんだ?」

 

 真田が少しだけ困ったような笑みを作って、毛先をくるくると弄んだ。

 それも、やはり“あの事件”と踏襲されているのか。

 本校舎の二階か。たしかあそこには……。

 

「トレーニングルームにプールだな! これで思いっきり体は動かせるぜ!」

「と、ととと、図書室……!」

「科学室も忘れてはいけないぞ! と言うかさっきの流れだと、吾輩もリーダーの候補としても入ってもよかったのではないのかね?」

「あと、ロッカールームもあったかな」

 

 彼らのいうとおり『トレーニングルーム』・『プール』・『図書室』・『科学室』・『ロッカールーム』――そんなラインナップだったはずだ。

 図書室が利用できるということで、錦織は今まで見たこともないほど浮足立っている。

 瞳が官能的で怪しげになりながらも、赤面している……よ、喜んでいるのだろう、きっと。

 

「そうと決まれば早速トレーニングだ! 体を動かして吹っ切れさせなきゃな!」

「ようし! あたしも走りまくるのだー!」

「ぼくもマドモアゼルのトレーニング姿を、すみずみまで鑑定させてもらうよ!」

「ふははは! 科学室は吾輩のホーム! カルメ焼きが作り放題だな! しばらく籠らせてもらうぞ!」

「わ、わわわわ、私も、むふふふ、そ、その、と、図書室に……」

「錦織ちゃんトリッパーしてる? うーん、なんかインスピレーションわくもんないかなー」

「私も二階に行かせてもらいます。まずは掃除をしなければ!」

「そうね。私もちょっと二階を探索してくるわ」

「つまらん……俺は寝る……」

「はあ、つまんないのは同感だなあ。一部のヤツらにしか楽しめないところばっかじゃん」

 

 そう言って、ぞろぞろと食堂からみんなが去っていた。

 さて、俺はどうしようか。萩野といっしょにトレーニングルームに行ってみようか?

 でも、よく俺も萩野と一緒にトレーニングを手伝ったことがあるが、すぐにぶっ倒れてジャマになってしまっただけだったからなあ……。

 

 

「ねえ、七島くん」

 

 

 肩をとんとんと叩かれた。

 振り向くと、天馬がじっとこちらを見つめていた。

 彼女の隣には、眉間にしわを寄せていかにも悲しそうな角も。

 

「ど、どうしたんだ2人とも。二階に行かないのか?」

「あの、七島さま。あちらは……」

 

 角が視線を投げかけた先には……。

 テーブルで転寝しているかのように顔を覆って俯いている人物がいた。

 

 

 

 それは――。

 

 

 

 

「井伏、さま?」

 

 

 

 恐る恐る角が近づいて、俯いたままの井伏に向かって声をかける。

 その声に反応して、おもむろにその顔が明らかになる。

 目元が腫れあがっていて痛々しく、思わず息を飲んだ。

 トレードマークのサンバイザーも外していて、俺の知らない別人のようだった。

 

「い、井伏、大丈夫か?」

「ああ……ははっ、七島くんに、天馬さん。角さんも……うん、俺、大丈夫……なのかな?」

「どうしたんだよ井伏。お前らしくないぞ」

 

 あんなにいつも楽しそうな笑顔で、明るかったのに……。

 俺は彼の顔を覗き込もうとする。

 

 

 

「……四月一日さんも、藤沢さんもいなくなっちゃったから」

 

 

 

 だが、二人の名前が出てきて手が硬直する。

 いつも笑っている井伏。今でも笑みをゆっくりと作っている井伏。

 しかし、その笑顔がいつも以上に無味乾燥だった。

 

「昨日まで2人ともここにいたよね? あの2人は俺だけの幻なんかじゃなかったよね? ……全然リアリティがないっていうか。どっからどこまでが本当だったんだろうって。今も夢なのか現実なのか……あはは、俺ってば変なこと言ってるね……」

「井伏……お前の気持ちは痛いほどわかるよ。だから、今はゆっくり休めばいい」

「でもさ……俺、足手まといになってるよね? みんなは立ち直って前を向いてるのに、俺だけ……ははは、情けないな。黒生寺くんも言ってたように、このままじゃ俺はやられちゃうだろうな」

「そう見えているけど、みんな心は同じだよ。回復の時間や方法が違うだけ。井伏くんは今は思いっきり悲しんで、それから考えればいいと思う」

「いつでも芙蓉たちは相談にのるでございます! だから、心配はノープロブレムでございますよ井伏さま!」

「……あはは、ありがとう。……そうだね、がんばらなきゃね……うん。笑顔笑顔……っはは……」

 

 

 そう言って井伏は微笑んだまま、また顔を隠してしまった。

 

 超高校級という生徒は、どうしても個性が立って我を押しやすい、と授業で学んだことがある。

 でも、井伏はどちらかといえば超高校級の生徒の中では珍しい、気を遣うタイプの人間なのだろう。

 本当に絶え間なく笑顔を見せているのは、相当疲れることだ。

 きっと相手のためを思って無理をしているのかもしれない。

 

 相手のことを思ってどうしても、我が張れず、苦しんでいる。

 今、俺たちがとやかく言っても逆効果かもしれないな……。

 

「井伏さまは今は休養期間でございますね。どうかご自愛を……それでは、芙蓉も二階の探索に行ってまいりますでございます」

 

 そう言って、ふわふわとスカートをなびかせながら角は去って行き、天馬と二人きりになった。

 もちろん井伏はいるけど完全に突っ伏していて話の輪には入ってくれなさそうだ。

 

 ……そう言えば、朝食の時、天馬の周りには人が少なかった。

 萩野も天馬と目を合わせるのをためらっていたような。

 

 

 

『私は学園に入れた大きい幸運を、不運で支払わないといけないみたい……だって、それが超高校級の不運って言われる理由なんでしょう?』

 

 

 やはり、彼女の言ったこと……あるいは動機の映像が流れてしまったことが原因なのか。

 彼女の不運に巻き込まれたくないから?

 不幸になりたくないから?

 

 ……それでも天馬はいつもの物静かな横顔を見せていた。

 

「なあ、天馬は大丈夫か?」

「七島くんは?」

「……あの、質問を質問で返すのはよくないぞ」

「うん、知っている。私は平気だよ」

「本当か?」

「私まで悲しい表情をしてたら、それこそみんな不幸になっちゃうから。せめて私は元気でいたい……そういう意味で立ち直りは早いほう。多分だけど」

「強いんだな。天馬は」

「うーん、そうなのかな」

 

 そう言って、天馬は首を傾げていた。

 相変らず雲をつかむような、ふわふわとした言動だな……。

 

 

「……それで、私の質問の答えは?」

「ん? あ、ああ、俺は元気だよ」

「でも、クマができてる」

 

 ……えっ?

 天馬にそう言われて、目元に指を当ててしまった。

 彼女がコンパクトミラーをポケットから取り出してくれた。

 鏡を取り出して、彼女は少しだけ顔を曇らせる。

 

「割れちゃってるけど」

 

 天馬が見せてくれた鏡には、蜘蛛の巣が張られたように亀裂が入ってしまっていた。

 でも、彼女の言う通りで、反射された俺の目元には薄汚れたクマが浮かび上がっていた。

 

「寝不足?」

「いや、そんなに眠くないよ。なんていうか……書道で寝食忘れて没頭することはマレじゃないから。慣れてるっていうか」

「でも、なんか見ていて不安になる」

「そ、そうなのか?」

「だって不健康は不運を招きやすいから」

 

 端的ではあるが、なんとなく天馬が言いたいことは分かった。

 

「とりあえず、気をつけておく。なるべく睡眠は取るから」

「うん、そうしてね。私はしばらく食堂にいようかな……私もずっと食べてなくて。……どんな時でも、おなかって空いちゃうものだね」

 

 そう言って、天馬は調理場に向かって行った。

 包丁とかで怪我をしなきゃいいが……さて、俺はどうしよう。

 そう言えば、銭湯も開放されていたって言ってたっけ?

 ……ちょっと行ってみるか。

 

 

 

 

 

 一時間近く、俺は広い湯船に入って体を落ち着かせた。

 実のところ、希望ヶ峰の銭湯は行く機会がなかったため、なんだか新鮮に思えた。

 広い風呂に入るのも悪くないな……。

 

 幸い、誰も来なかったし、ここには監視カメラもさすがについていないので、行儀悪くも湯船で泳ぐこともできた。

 念願だった風呂で泳ぐという夢が叶ったので、ちょっとだけ心が軽くなった気がする。

 やはりネガティブになっていては、なにもできないというのは正しいことなのかもしれない。

 

 

「……あれ?」

 

 

 風呂から出て脱衣所で、半開きになったロッカーが目に付いた。

 その中を覗くと、中には黒い“ノートパソコン”が入っていた。

 手に取って開けて電源をつけてみると稼働はしたが、パスワードを求められた……当然わからない。

 パソコンの表面には『HPA95PC0001』という通し番号と学園の校章が記されたシールが貼られている。

 

 得体が知れないが、なにか有益な情報が入ってそうだ……まずは信頼できる萩野に話してみようか。

 

 

 

 本校舎に向かい、シャッターが取り外されて二階にあがれると確認ができたところで、早速階段を駆けのぼる。

 一段、一段と踏みしめるたびに、ふんわりと甘い匂いが漂ってきた。

 砂糖のような……なんだろう?

 

 二階に辿りついて、辺りを見回した。

 匂いの元は、ここからだろうか?

 そっ、と半開きの扉から部屋の中を覗くと……

 

「また一人、かかったな。トラップ・オブ・マドイに!」

「うわっ!」

 

 中からの円居の声で、思わず声を上げる。

 甘い匂いの原因は科学室だった。円居が大きな机の近くに立っていて、近くの椅子に萩野が座っていた。すぐに俺のことに気づいて軽く手を振ってきた。

 俺も萩野の隣に座ると、彼はすん、と鼻を鳴らした。

 

「おっ、プール……じゃなくて風呂だな? ふけとりシャンプー以外の匂いがすると思ったぜ」

「悪かったな。いつもふけとりシャンプーで」

「そう言うなよ。俺だって使ってるしさ」

 

 軽口を叩きながら萩野は覗き込むように、胸に抱えたパソコンを凝視する。

 

「ん? なんだよそれ。おめーのか?」

「ああ、風呂場にあったんだ。希望ヶ峰学園のノートパソコンらしい」

「マジかよ!? めちゃくちゃ怪しいな!?」

「でも、ロックがかけられてたから中身は確認できないんだ……萩野、できるか?」

「…………あのな。たしかに頼ってくれるのは嬉しいけどよ、そーいうのボクサーの俺に聞くんか?」

 

 だよなあ……。

 気軽に相談できるのはいいが、彼がこの問題を解決できるとは俺も思えなかった。

 円居とも目が合ったが、彼はおおげさに肩を竦めた。

 

「あいにく吾輩も機械は専門ではないので無理だぞ! レポートも未だに原稿用紙で仕上げているぐらいだからな!」

「すげーアナログ人間だな……」

「ふははは、時代の逆走だな! これもまた愉快なことよ!」

 

 円居は愉快気にまたしても笑った。

 それにしても、科学室も同じく書道家には馴染がなく新鮮で、思わずぐるりと辺りを見回す。

 フラスコやビーカーはもちろん、なにに使うのかは到底知りえないような図体が立派な機材が揃えられている。

 そして部屋の奥には出口とは別に“鉄製の扉”があるけれど……

 

「なあ、円居。あの扉はなんだ?」

「吾輩の記憶が正しければ、“科学準備室”だぞ! あいにく鍵がかけられていたのだがね」

「ったく、開かずの間ってワケかよ。マナクマの奴、なんか隠してやがんのか?」

「スライム形状のボスモンスターや、世界の半分を与えてくれるドラゴンが待ち構えているかもしれんな!」

「ねーよ! 科学室は魔王の城なんか!?」

 

 ツボにハマッたのか高笑いを円居は続けていたが……。

 しばらくして少しだけ目を伏せ、鉄製の扉を見遣る。

 

「まあ、あくまで吾輩が聞いたウワサなのだがね。実際、“代物”がある可能性は高いぞ」

「シロモノ……って」

「なにせ良くも悪くも天下の希望ヶ峰だからな! ご存じの通り、保健委員に薬剤師。神経学者にセラピストはもちろんのこと。神の手を持ち合わせた医者や、製薬会社の令嬢でもあったファーマシー……多くの理系、もしくは医療関係者が排出されてきたのだよ。特にOGの薬剤師を筆頭に作られた薬品が、今もこの学園に保管されているらしいからな。有名なのは、先ほどのOGが作った『身体強化薬』だな。これはすごいぞ! 一定時間、どんなひ弱な人間でもコンクリートの壁を粉砕できるほどの圧倒的な筋力と破壊力を即時に手に入れられるのだ!」

「なんじゃそりゃ!? マンガかよ?!」

「あくまでウワサだがな。でも吾輩は信じているがね! とにかく、この学園の科学準備室は魔境だ! 数千……いや、数十万を超える薬品が取り揃えられていることは確かだぞ! 浪漫に満ち溢れる薬はもちろんのこと、人を救える薬もあれば“その逆も然り”だ」

 

 救える薬の逆っていうことは……

 円居は伏し目がちに、無の表情で扉を睨みつけている。

 

「もちろん今、その答えを出すことはできない。一度、絶望によって破壊されたとは言えど、ここに残された薬の量は膨大だ。そして、多くの薬品が保管されている以上、『救済』と言う名の『劇薬』……そのようなものがあってもおかしくないと吾輩は考えているぞ…………なあに、もちろん仮説であって可能性の話だがね! ふはははは!」

 

 救済という名の劇薬――彼の珍しい低い言い方も相まって身が強張った。

 危険な薬もある可能性……か。

 

 一変していつもの不気味な笑顔に戻った円居はガスバーナーの調節をひょいひょいと行っている。

 廊下で歩いている時は、職務質問されかれない変質者を彷彿とさせるが、やはり科学室にいると学会で有名な教授の姿に見えなくもないかな。

 そんな彼の手には料理器具のオタマが握られている。

 

「って言うか……なにしているんだ?」

「俺は腹減っちまってよ。そしたら科学室からなーんか甘い匂いが飛び込んできて……お、できたか?」

「ああ、いっちょあがりだぞ!」

「えーと、それはなんだ?」

「なんと!? カルメ焼きを知らないのか! 人生の半分を塩酸で溶かしてしまったようなものではないか!? さあ、たんと食べるがいい!」

 

 それは言いすぎじゃないのか?

 円居から手渡された硬い物体……なるほど、これが散々言っていたカルメ焼きなのか。

 まんべんなくきつね色にこんがりと焼けているうえに、焦げた砂糖の匂いが鼻の奥に広がり食欲をそそった。

 早速一口、香ばしいカルメ焼きをかじってみた。なるほど、歯ごたえはあるが……。

 

 

 

 …………うっぷ。

 

 

 

 

「どうだ? おいしいだろう! ふははは! そうだろう、そうだろう! おかわりもあるぞ!」

「い、いや……甘すぎないか。これ……?」

 

 円居が身を乗り出しているが、俺は頷けなかった。

 口の中に甘ったるさだけが広がって、思わず顔の下半分を手でおさえていた。

 うう、あまりの甘さで舌が痙攣している……。

 

「おめー、クリスマスケーキにのってる砂糖菓子のサンタがキライなタイプなんか?」

「あんまり率先しては食べないな……」

「なんと、それは悲しき体質であるな……しかし、このなんとも言えない甘さこそが天国にいるような感覚にならないか? 吾輩にとってカルメ焼きは子どもの頃に飲んだ風邪薬のシロップのような夢そのものなのだよ!」

「うーん、俺にとっては夢でもなんでもない甘さだな……」

「まっ。言ってみれば、ただの砂糖だしな?」

 

 思わず萩野と素直に感想を述べて顔を見合わす。

 その後に、円居に視線を戻すと……いつも海に揺蕩う船のような口の形が逆さになっていた。さながら転覆したようだ。

 

 ……まずい、言いすぎたか。

 

 

「あっ……! い、いや、腹の足しにはなるかな」

「別にいいのだぞ、吾輩のゴキゲンを取らずとも。人は人、自分は自分だ。小学校の道徳で習っただろう? 最近の子供もそのような傾向があって、体験学習でカルメ焼きを作ってもまったくと言って喜んでくれなくてな。だからこの程度は慣れているのだよ」

「いや、悪かったって……ってか、最近の子供っておめー、いくつだよ?」

「……あれ?」

 

 萩野のツッコミの途中から、ばたばた、という足音が近づいてきていることに気づいた。

 それは科学室の前で止まり、開いた扉から飛び出してきたのは……。

 

 

 

「た、たたたたたタイヘンタイヘンタイヘンタイでございます~~~っ!」

 

 

 

 ひらひらとゴスロリのスカートがはためいている角だった。

 ツインテールも揺れて、息をふう、ふう、と肩を動かしながら吐き続けている。

 それにしても、今朝から角は忙しそうだな……。

 

「ヘ、ヘンタイって、どうしたんだよ! 脱いだのか? だれが脱いだんだ!?」

「露出魔かね? 春先によく見る光景ではあるな!」

「ど、どうしたんだ、角」

「あっ、あの、しょ、食堂でっ! 黒生寺さまと、天馬さまが取っ組み合いのケンカになりまして……!」

「……んっ? て、天馬って?」

 

 天馬と黒生寺?

 通常ならあまり噛み合うことがない2人だ。

 黒生寺と十和田なら、まだ納得できるが……なんで天馬の名前がここで出てくるんだ?

 

「取っ組み合い、と言いますよりかは、天馬さまが一方的に不利な状況でございまして……とにかく今は応戦をお願いしに参りました! 食堂へ行きましょうでございます!」

 

 角に招かれるまま、俺たちは駆け足で食堂へと向かった。

 たしかに天馬はあの時、しばらく食堂にいるって言ってたけど。

 大変なことになっていないといいが……!

 

 

 

 

 

 

「止めんじゃねえ……ぶちかますぞッ!!!」

 

 

 

 

 食堂に着くなり怒声に出迎えられ思わず立ちすくむ。

 黒生寺は黒々とした太い眉をぎゅっと強く引きながら、今にも人を襲わんとするクマのように両手を振り回している。

 一応ランティーユに足を抑えられているが、あまり効果は無さそうで今にも振り切られそうな勢いだ。

 天馬は床にうずくまり、真田と大豊、白河が介抱している。

 

「天馬!」

「なっ!? なんということだ!」

「お、おいッ!! なにしてやがんだおめー?!」

 

 俺と円居は天馬のもとに駆け寄って、萩野は黒生寺の元に一直線に掴みかかった。

 

「ああっムッシュ萩野、来てくれたんだね! 後は任せたよ! ぼくはマドモアゼルを守るから!」

「バカッ! おめーも手伝え!」

「離せ……タンブルウィードみてえに転がされてえのか……!?」

「んなことさせっかよ! おとなしくなるまで、ぜってーに離さねーからな!」

 

 萩野が羽交い締めにすると、黒生寺の動きは鈍くなる。

 ランティーユも腰を低くして足を必死に抑えているが、今にも蹴られそうだ。

 俺と円居は床にすっかりへたりこんでいる天馬に対して、すぐさま覗きこむようにしゃがんだ。

 

「天馬、一体どうしたんだ!」

「……ごめんなさい」

「謝るよりはまずは説明をしてもらいたいものだね! なにが、どうして、こうなったのか!」

「えっと、厨房でパンを物色した後に食堂に戻ったら、黒生寺くんがそこのテーブルで寝ていて……そのとき、BB弾銃が手に握ってあったけど今にも落ちそうだったんだ。案の定、手から滑り落ちていったから、私、慌ててBB弾銃を受け止めたら……いきなり、パンッて音がして……」

 

 えっ? つまりそれって……?

 

「発砲したってことか!?」

「でも、私も銃の使い方なんて知らないし、触ったこともない。けど、黒生寺くんの手にBB弾が当たって……そしたら急に目の色を変えて掴みかかられそうになって……」

「幸いなことに、芙蓉とランティーユさま、大豊さま、白河さまもいたので、止めることはできましたのでございます。しかし、黒生寺さまの怒りは尋常ではなかったようで、それは物凄かったのでございます! それに、やはり人手は多いほうが思いまして、七島さまたちを呼ばせていただきましたのでございます」

 

 たしかに、人……というか萩野を呼んで正解だった。

 

「しかしBB弾が手に当たっただけで激怒とはな。瞬間湯沸かし器のような沸点の低さだな!」

「まったく、あんたの言うとーり……って、ウマいこと言ってないで、なんとかしてよ! あのままアイツを止めたままでも、なんにもなんないでしょ!?」

「たしかにそうだけど……って、白河はどうしたんだ?」

「白河っちは、くろなまでらのヒジテツを受けちゃって、ギックリ腰なのだ!」

「大豊さん誇張しすぎでは? その……少し腰を痛めただけです……」

 

 白河は天馬よりも参ったような顔で腰をさすっていた。

 まあだろうと思ったけど……だからと言って、俺が手伝っても萩野の邪魔だろう。

 それに、白河の二の舞になりそうだし……。

 

 

 

 

「黒生寺くん」

 

 

 

 ……え?

 

 

 突然、別の声が響いた。

 羽交い絞めにされながら今にも飛びかからんとする黒生寺の真正面に立っているのは……

 

 

 

「うおっ、井伏!? あぶねーから下がってろ!」

 

 

 緑のサンバイザーを着けた井伏だった。

 まさか、この食堂にずっといたのか?

 羽交い締めにしていた萩野もすぐさま動揺する。

 

「ふん……アルピニストか……てめえも俺を止めるつもりか……?」

「あ! それなら、ぼくとしては大歓迎だね! やっちゃってくれよ、ムッシュ井伏!」

「……ねえ……うよ」

「……あ? なんだ……? 腹から声出せ……」

 

 

 いやお前が言えたことじゃないだろ……。

 だが、井伏は俯いたままだった。

 

 

 

 

 

「ねえ。黒生寺くん、このままだと死んじゃうよ」

 

 

 

 

 死んじゃうよ。

 

 たったそれだけの言葉で食堂内は静まりかえった。

 足音も、布が擦り切れる音も。

 一切の雑音が、その言葉で一瞬消えてなくなった。

 

「俺が死ぬ……? そう言いたいのか……くだらんことを……」

「うん。そうだよね、黒生寺くんは強いから……でもね、このままだと不幸になっちゃうと思う。自分の命を守りたいのはわかるよ。登山も身を守ることが最優先だからさ」

「ふん……俺に説教するつもりか……」

「あははっ、まさか! でもね、自分ばかりを守り続けていたら、いつか必ずバチが当たるものなんだよ。俺のおじいちゃんがよく言ってたんだけど、ツケっていうのかな? 自分が可愛いあまり守れば守る分、誰かが傷つくようになっているんだ」

「ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねえ……てめえも殺されてえのか……」

「…………よ」

「……は?」

 

 

 

 

 

 

「ふふ……あははっ、うん。いいよ? それなら俺を殺してよ」

 

 

 

 

 ――バカな。

 そう呟いたのは円居だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……そうだ。最初からこうすればよかったんだ。俺はこれ以上、他の人が死んじゃうのは見たくない。だからさ。黒生寺くんの好きなようにすればいいよ」

 

 

 

 井伏は、いったいなにを言ってるんだ。

 

 

 井伏は落ち着きを払っていた。

 いや、むしろ――あの時、初めて会って親指をたててくれた時のような爽やかで屈託のない笑みを浮かべてるじゃないか。

 背筋がぴんと伸びて、今にも晴天の中で山登りに行くかのような。

 そんな井伏のゆったりとした息遣いが静寂な空気から伝わってきた。

 

 

「ぅおっ!?」

 

 萩野の軽い悲鳴がその静寂を切り裂いた。

 黒生寺が勢いよく腕を振り切って、萩野を思いっきり肘で突き飛ばす。

 「おおう!?」という情けない呻きと共に、ランティーユも黒生寺の蹴りが来る前に退けた。

 

 解き放たれた黒生寺は、ポケットからあるものを取り出す。

 彼が手に持っているのは……。

 

 

 

「っ……!? よしなさい黒生寺さんっ!!」

 

 

 

 白河が柄にもなく大声で叫ぶ。

 黒生寺の手に握られているのは、サバイバルナイフか!?

 使い古されているようではあるが、肌を深く抉りそうな禍々しい形状で殺傷力は間違いなくあるだろう。

 黒光りと共に現れ、井伏の頭上に振り下ろされようとしていた。

 

 

 

 

 

 ――これ以上、コロシアイを起こさないこと。

 

 

 

 

 

 

 あの時の天馬の声が脳に響いたと同時に、俺は――。

 

 

 

「お、おい、待て! 七島来るなっ!!!」

「ちょ、七島!? ダメだってばーッ!」

 

 尻もちをついた萩野の怒声が響く。

 それと同時に、真田の悲鳴に近い声も。

 

 

 気がつけば、俺は井伏と黒生寺の間に割り込んでいた。

 

 

 彼らの声は聞こえたが、表情はどうなっているのだろうか?

 背後にいる井伏もどんな顔をしているのだろうか?

 やはり、こんなときでも、彼は笑みを浮かべているのだろうか。

 なにも想像ができなかった。

 

 

 

 

 今は黒生寺の見下ろすような視線だけが、俺の胸に突き刺さっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……暗闇の中で、薬品の匂いが鼻を突き刺す。

 

 

 

 

 

 これは、病院の独特の不快な匂いだ。

 風邪の時の気だるい体と思考回路。

 

 ゆっくりと目を覚まし、まず最初に目についたのは天井で煌々と照らす電気。

 そして右隣には、白いベッド。

 そこで埋もれているのは、真っ白なシーツとコントラストのように黒い服を着ている……

 

「って……こ、黒生寺?」

「お、おい、七島!」

「七島くんっ」

 

 今度は頭上から声が降りかかった。

 はたと見ると、萩野と天馬が俺を覗きこんでいて、二人の不安げな目と合ってしまった。

 

「バッカヤロウ! あれほど来るなっつっただろうが!」

「七島くん、よかった……けど、さすがに心臓に悪いよ」

 

 萩野と天馬の安堵と文句を浴びながら、ゆっくりと尻を浮かせて、体勢を腰掛ける形に変える。

 どうやら、ここは保健室のようだ。

 少し腰がじんと痛むが、それだけで特に痛みはない。

 そして、ぼんやりと様々な疑問が浮かんでくる。

 

「な、なにがあったんだ?」

「おめー、井伏の前に飛び出したのは覚えてるか? んで、黒生寺がナイフを振り降ろそうとしたんだけど……円居も足早ぇのな……」

「円居って?」

「あの時、円居くんも駆けだしていたんだよ。七島くんたちを押しのけて、自前の睡眠薬を黒生寺くんに嗅がせたみたい」

「なんであんなもんを持ってんのかは知らねーけど、あれがなきゃ終わんなかっただろうな……」

「円居が…………な、なあ、アイツは大丈夫なのか……!?」

「左手は怪我しちゃったけど、浅い傷で済んだみたい……私の次に怪我してるかもね、円居くん」

「言われてみりゃそうかもな。しかし、アイツも変についてねえよな」

 

 つまり、俺は円居に助けられたってことなのか。

 

 

 ……あれ?

 

 

「じゃあ、なんで俺は寝てるんだ?」

「おめー、それすらも覚えてないのか? 失神したんだよ。バッターンって後ろに倒れて後頭部直撃……ってか正直円居の怪我よりもおめーのほうが重症だったんだぞ!?」

「な、なんでだ?」

「ンなの知らねえよ! ちゃんと食事取ってなかったんじゃねえのか?」

「睡眠不足っていうのもありそうだけど……」

 

 珍しく天馬が俺に対してじろりと睨むように見つめてきた。

 呆れたような、心配のような。

 あの目つきで睨まれたら、後頭部がまた痛み始める……。

 

「そんなわけでぶっ倒れたお前を、俺と天馬で運んだってわけだ」

「ご、ごめん……で、この黒生寺はどうなるんだ?」

「一応、円居によると睡眠薬の効果は、個人差はあるけど5時間ぐらいらしいな。鎮静剤としての役割もあるみてーだから、大丈夫だとは思うぜ」

「ただ、私はあまり黒生寺くんと話さないようにって言われたけど」

「しかしよぉ……ケンカっぱやいってことは知ってたけど、コイツってあんなに短気だったか? なんだかんだフツーに過ごせてたじゃねーか」

 

 萩野が隣のベッドで熟睡している黒生寺を呆れたように一瞥する。

 でも、黒生寺は悶着を起こしやすいのは事実だ。

 十和田との仲は特に最悪ともいえるほどひどいし、生きている死んでる異性同性問わず、今朝に始まったことではないがすべてが乱暴だ。

 捜査や裁判の行動を見る限り、協調性もゼロに等しくマイペースで自分優先だ。

 元々、ガンマンというのは、ならずもののことを示すこともあるので、黒生寺もそのような類だったのだろうか。

 

 あのナイフを振り上げた瞬間の顔。

 それが、本来の黒生寺の姿なのかもしれない……。

 

「そう言えば、井伏は?」

「ああ。井伏は紅や白河たちが話を聞いているみたいだぜ。カウンセリングってヤツ? ……しっかし、なんであんなこと言ったんだろうな? 笑いのツボが変だけど、あいつも、あんなこと言うヤツじゃなかったよな?」

「井伏くんは、だいぶ精神的に参ってるのかも。白河くんたちの話も聞かないと分からないけど……でも、井伏くんだけじゃない。私たちが思っている以上にみんなの傷は深いかもしれない。黒生寺くんだってそうかも」

「おいおい、あいつの肩持っていいのかよ? おめーに襲いかかってきたんだぞ?」

「じゃあ、萩野くん。私が今、なにを思っているか分かる?」

「…………は、?」

 

 天馬の質問に、萩野はきょとん、と目を瞬かせた。

 

「……なんだいきなり。んなのエスパーじゃなきゃわかんねーぞ」

「うん。それだよ」

「……お、おいおい……だから、どういうことだ」

「私たちはエスパーじゃない。だから、みんなの気持ちは全部は簡単には汲み取れない。心は人それぞれ違うし、ある出来事の感じ方も、価値観も違うし、その表現も違う。だから、あの人はこういう人だから大丈夫とか、逆に危険って言うのは、ちょっと変だと思う」

 

 俺たちは、藤沢、四月一日の死を引きずっている。

 心の内ではまた進まなければと思いながらも、俺たちは堂々巡りをしているだけじゃないか?

 

 快活で人当たりがよく振る舞っていた藤沢の苦悩。

 みんなを導いてきた聖人君子ともいえた四月一日の怪物じみたプライド。

 どちらも学級裁判で知ってしまった一面。

 萩野も暗い目を伏せて考え込むように腕を組んでいた。

 

 

 

 その時、保健室の引き扉が開く音がして、俺たちはそちらに視線を注ぐ。 

 

 幽霊のような長い黒髪。

 萩野の肩が震えたが、あれは錦織だ。

 頭を下げたまま入ってきたが、俺たちの視線に気づいたのか。

 顔をあげると彼女は、「ひっ」と軽い悲鳴をあげた。

 

「な、なな、なによ、三人して保健室にいて……い、営み中かしら……?」

「んなわけねーだろ! って言うか、おめーこそ、なにしに来たんだよ?」

「わ、私はさっきから図書室にいただけよ……紙で指を切ったから、絆創膏をもらおうと思って来ただけで……も、文句あるの? 司書は青春やドッキリロマンスなイベントとは無縁だから保健室に来るなって言いたいのね……!?」

「お、おう……なんていうか……おめーはあんなことがあっても相変わらずというかなんというか……」

 

 萩野がひきつり笑いを見せると、錦織は慌てて視線を反らした。

 青白い唇に指先をあてて、なにか考え事をしているようだ。

 やがて、自信がないかのように背を丸めながら俺たちにおずおずと近づいてきた。

 

「ま、まあ……残念なぐらいな不運と……いちおう、同じ文系の書道家には、お情けとして情報を分けてあげても構わないかしら……?」

「錦織、どういうことだ?」

「さっき図書室で手に入れた情報のことよ……大した情報じゃないけど、私の頭を整理するためにもアンタたちに教えてあげようかと思って……」

「って言うか不運と書道家ってなんだよ? ここにボクサーもいるぜ!?」

「ア、アンタには言いたくないわよ……うるさいし、バカだし……せいぜいおまけで聞かせてはやるから、感謝しなさい……」

「サラッとストレートな悪口言ってんじゃねーぞ!?」

「錦織さん。情報ってなにかな?」

 

 天馬の促しとともに、錦織は改まって真面目な面持ちで息を吸った。

 

「まず学園の資料ファイルをかたっぱしに調べてみたわ……このコロシアイに関係する有益な情報はなかったけど……」

「あんだよ、そんな報告はいらねーぞ?」

「さ、最後まで聞きなさいよ、この生き急ぎボクサー! だ、だいたい、私のせいじゃないわ……向こうが情報を隠蔽しすぎなのよ……」

「インペーって、なんだよ?」

「隠されているっていう意味よ……」

「い、いや、それはさすがに知ってるからな!?」

「ふん……私たちに関する資料ファイルは、名前と肩書きが陳列されているものがあったわ。でも、それ以外のこれと言った詳しい情報は、ごっそりと消えていたの……」

「やっぱり、マナクマのせいか? 相変わらず卑怯なことを……」

「マナクマのしわざ……だけかしらね?」

 

 俺の言葉に反応した錦織は、少しだけ首をかしげる。

 そして、また考えるように唇に指をあてる。

 

「図書室にあるパソコンのデータ資料も調べてみたけど、情報はほとんど削除されていた……でも、誰によって削除されたかぐらいは分かったわ。ほとんどは本当に未明のIDによるもの……でも、数点の削除には“希望ヶ峰学園のID”も混ざっていたのよ……」

「錦織さん、それってどういう意味?」

「資料を削除したのはマナクマだけじゃない。希望ヶ峰学園側、内部の者が情報を撹乱……つまり消した可能性が高い……そう言いたいのよ……」

「お、おいおい。まさか学園がマナクマとグルっていうんじゃねーだろうな?」

「どうかしら……? 正直、結論を出すにはまだまだ情報が足りなすぎる……」

 

 そう言われてみれば、昨日の殺人事件の発端である動機……。

 あの映像もたしか、裁判の時に。

 

 


 

『思春期まっさかりのジャリガールが、別に見せるわけでもないのに下着に気を遣うようにさ、ボクも映像には細心の気を払ったのです。映像はもちろん、本物であることは変わりありませんけどね? でもさ、明らかに、映像がかぶっていたヤツいるんだよね……』

 

 

「映像がかぶったって、どういう意味なの? マナクマが撮ったものじゃないの?」

 

 

『あらやだ、奥さん知らなかったの? 今回の動機は、ボクが撮影したんじゃなくて、希望ヶ峰学園のコンピュータに入っていたのよ』

 

 


 

 

 ……“映像が希望ヶ峰学園のコンピュータ”にあった。

 この言葉が本物なら、マナクマと希望ヶ峰学園が密接につながっているとも言えなくない。

 むしろ、怪しすぎる。なら、このパソコンにも。

 

 眼鏡をいじっている錦織を見て、ふと、あることを思いついた。

 こちらの視線に気づいた錦織が、妖怪に出くわしたかのように、ひいっ、と小さな悲鳴をあげる。

 

「な、なによ……人のことジロジロと蠢く毛虫を見るような目で見ないで……!」 

「えっ!? ち、ちがうって……! あの、なあ、錦織ってパソコンは使えるか?」

「は、はぁ……? 私とチャットでもしたいの……?」

「いや、パソコンの操作が得意かどーかを聞いてんだろ?」

「……情報は本だけじゃないわ。データ化された情報も私の管轄ではあるけど……それがなに? あんたたちは、私をオタクと見立ててヒエラルキーの優越に満足したいの……!?」

「そ、そうじゃなくて! 希望ヶ峰学園のノートパソコンが見つかったんだ。そこに、重要そうなデータが入ってそうで……なあ、錦織、パソコンのロックは外せるかな? パソコンが得意なら、頼みたいんだ」

 

 「希望ヶ峰の……?」と言って、錦織の眉根は少し下がった。

 しかし、すぐに視線を落として、ゆっくりと頷いた。

 

「まあ……情報が入っているなら……で、でも、できなくても蔑むのは無しよ……!」

「わかってる。やってくれるだけでありがたいんだ」

「ありがとう、錦織さん」

 

 俺が差し出したパソコンを、賞状をもらうかのように錦織は受けとった。

 錦織は薄いノートパソコンを、しっかりと胸に抱きとめる。

 

「ただ、パソコンの知識自体はかじり程度だから……って、今バカにした目になったでしょ!? 情報を集めて組み立ててればロックぐらいは解けるわよ……!」

「マ、マジかよ。司書だからって、ちょっとバカにしてたけど、おめーすげーな。ハッカーにもなれるんじゃね?」

「や、やっぱりバカにしてたのね、このボクサー! どうせ私は薄汚いゲロ女で悪かったわね……!」

「うおっ!? まだおめー根に持って」

 

 俺は萩野の肩を思わず殴っていた。

 ここで、今、彼女の気持ちをどん底に落としたら、ノートパソコンを割ってしまいかねない。

 

「錦織、頼むよっ。お前しかいないんだ」

「わ、わかったわよ……補足として言っておくけど、私の情報の記憶はキャパシティ……要領の問題でほとんど一時的なものだから、かつての人工の希望のように才能を変えられるほどのものじゃない……いわゆる残念な司書なのよ……それに、ハッカーなんて大嫌い。物事には常に真実がつきもので、正しい情報こそが秩序を構成するのよ。それを乱す情報の改竄や隠蔽なんて、情報を扱う者としては絶対に許せない。だから…………このパソコンのデータは意地でも突き止めてみせるんだから……!」

 

 錦織の細い指はパソコンが今にも割れそうな勢いで力を入れているようだった。

 俺らを何故か睨んだ後、棚からむんずと絆創膏の箱を取り、そのまま颯爽と去って行った。

 それにしても、錦織がパソコンができるとは意外だった。

 それに、最後のあの迫力はすごかったな……。

 

「な、なんか今、初めて錦織って役に立つんだなって思っちまったよ。司書ってあなどれねえな」

「うん。錦織さん、カッコよかったね」

「でも、それにしてもよ。司書じゃなくても錦織って残念だな……黙っていれば、そこそこのヤマトナデシコなのに、自分をへりくだしやがって。謙譲語かよ?」

「うーん、その例えはどうなのかな?」

 

 でも、萩野の言いたいことは少し分かる。

 錦織は強かな黒髪で肌も白い。なんだか幽霊みたいだが、顔をあげて笑顔を見せれば和風美人だろう。

 問題はいつも不機嫌そうな顔をしていることと、被害妄想がひどいことだろう……。

 

 

 

 キーコーンカーンコーン……

 

 

 

 

『午後10時になりました。今から夜時間となります。一定の部屋にロックがかけられますので、すみやかにお部屋にお戻りください。では、よりよい青春のためにも! おやすみなさい』

 

 

 

 

 夜時間のアナウンスが鳴っても、黒生寺は微動だにせずシーツに埋もれていた。

 ……息はしてるよな?

 

 

「私たちは戻ろう。七島くん、立てる?」

「黒生寺はこのままでいいのか?」

「いいんじゃね? アイツも朝言ってたように自分の命は自分で守れるヤツだろうしよ。それに明日の朝に白河と紅が様子見るって言ってたしな」

「そ、その二人で大丈夫なのか?」

「しょーがねーだろ、こいつの場合は。白河たちで妥協しとこうぜ……」

 

 まったく、黒生寺は敵を作りすぎだ……。

 ぐうぐう寝ている黒生寺を傍目に俺たちは保健室を後にして、それぞれの部屋に戻った。

 

 みんなのいろんな思惑が渦巻いている……

 それでも、ゆっくりでいい……またみんなと協力しなければ。

 さもなければ、俺たちは、あの血の匂いを、裁判を繰り返してしまう……。

 

 

 

 

 まだじんわりと痛む後頭部を労わるように部屋に戻り、俺はさっさとベッドで眠りについた……。

 

 

 

 

 

 


 

 

『マナクマ劇場』

 

 

 ある日、ボクは小さい頃に、ダディと語り合ったんだ。

 この世に生きる喜びと悲しみのことを、ダディは小鳥にとどめをさしながら教えてくれたね。

 「どんなに悲しくても泣いちゃダメなんだ」

 そう言ってボクにアンクルホールドをかけながら、優しく言ってくれたね。

 

 やがて月日は過ぎて、今になってダディの言ってたことが分かるようになったんだ。

 だから、これからは、そんなに悲しくない時に思いっきり泣くことするよ!

 

 グリーングリーンラベル。今日も鮭がうまいね、ダディ!

 

 

 

 

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