「……………ま」
「……な……し……」
「七島っ!!」
途切れ途切れに聞こえていた声が、少しずつ繋がっていく。
完全な「七島」という呼びかけに、ハッと目を覚ます。
気が付けば自分が寝転がっているのはシーツだった。
頭上には眉間に皺を寄せた萩野の顔。
「おめー心配かけやがって……っつっても今回は仕方ねえか……」
沈痛な表情の萩野で、すぐさま記憶がよみがえる。
あの時、ロッカーを開けて、その中から出てきたのは―――
「っ、そ、そうだ!! ……って、ここはどこだ?」
「保健室だ。倒れたまんまにすんのは悪いからって運んで来たんだよ」
「……! い、いやそんなことより、ロッカー……ロッカーだ……!」
『ああっロッカーに! ロッカーに!』
俺の枕元に座っていた萩野の隣に不気味な笑顔が映り込む。
萩野がその姿を見て、勢いよく仰け反るが、すぐさま体制を直して睨み付ける。
俺も脳の中枢がカッと炎を当てられた如く火照る。
「おっ、おめーっ! また湧きやがって!」
『殺人はロッカーで行われたー! 第2の殺人事件っすよ、七島くーん! うぷぷ、ねえねえ今どんな気持ち? どんな気持ちー?』
「うるさい、黙れ……お前のせいだ……っお前のせいで井伏がっ! 井伏が!!」
右腕を振り上げようとするが、それを萩野が気づいてすぐさま掴みとられた。
拳がぶるぶると震えるが、悔しいことに萩野の力には敵わず制止する。
『いやいや、たしかにボクは動機を渡したけど、あくまで渡しただけだからね? それをどう加工するかはオマエラ次第なわけだったわけだからね? ここまで言えばわかるよね? ドーユーアンダスタン? というわけで、うまく起きあがれなかったせいで遅れを取っちゃってますね、七島くん!』
遅れと聞いて、ある疑念が湧いた。
すでに、捜査は始まっているということか?
慌てて時計を探そうとする俺に気づいたのか、萩野は袖を捲くって腕時計を見やった。
「井伏の死体が発見したのは恐らく“10時”だ。そんでもって今は“10時半”だぜ」
『でも、気を病んで胃に穴をあける必要はないよ? ボクはクマ界のナイチンゲールって呼ばれようと努力しているぐらい優しいからさ』
「努力してるだけじゃねーか!」
『というわけで、はい、七島くん。マナクマファイル・THE2! うぷぷ、時間切れは多分ないから、まったりスロー捜査をしちゃってください!』
マナクマはぴょいんとマヌケな音を立てて去る。
騒ぐだけ騒いで、煽るだけ煽る……毎度のことで慣れてきてもいいはずなのだが、やはり腹立たしい。
いや、今はそんなことに対して時間を割いている場合じゃない。
……目の前の事件に、向きなわなければ。
改めて、マナクマに手渡されたタブレットを確認する。
被害者:井伏 歩夢(超高校級のアルピニスト)
場所:第2ロッカー室
死亡推定時刻:深夜2:00
備考:頭部に打撃痕。首にかけての複数の切り傷
頭部から鎖骨にかけて液体が付着している
やっぱり、井伏だった。
認めたくなかったが、無情な文面が事実を明らかにしていた。
「そんな調子じゃ難だとは思うけどよ……とりあえず現場まで一緒に行くか? ほら。肩貸してやるから」
「あ、ああ、ありがとう」
萩野の左肩を借りて、俺はゆっくりと腰をあげる。
右手を使って、萩野は衝立を退けると……。
「……えっ!?」
衝立を退けた瞬間、俺は声が飛び出していた。
なんだこれは。散乱しているガラス破片に書類。倒れたイス……めちゃくちゃじゃないか!?
「お、おい、これ」
「……言っとくけど、俺はやってねーぞ」
「いっ、いや、なんでこんな風に」
「ンなの俺が知りたいぐらいだぜ? 来た時にはこうなってやがったんだからな」
だからって、これではまるで……なにか争いがあったようじゃないか。
ガラスの破片を踏まないように避けながら2つの棚を見る。
1つ目の“戸棚は赤色”だ。いくつかの書類が入っていて、戸の“ガラス”は、ぽっかりと割れていて、水色の破片があちこちに落ちている。
“2つ目の棚は緑色”で、たくさんの薬品がずらりと並んだ棚だ。なにか“動かされたような跡”があるが……?
一応、右から順にどのような薬があるかはメモしておこう。
ワインボトル風の大きさで少し年季が入ったような薬瓶。並びは“赤、黄、緑、青、紫”と……。
「しっかし改めて見ると、ひでえ荒れようで……って、あ? なんだ、これ」
萩野が一つ目の戸棚を見て、あるものをつまみあげた。
彼が見せてくれたのは、手のひらにおさまる小さな金の……これはなんだ?
“金の飾り”だろうか。動物のようなものが象られているが……アクセサリーというより、小さな飾り類にも見える。
「なんだこりゃ? 猫か?」
「いや、犬じゃないか?」
「あ? どう見たって猫だろーが」
「え、でも、この耳の形は犬……」
「ンなわけあるかよっ! 猫だろ! これは猫! キャット! もっと言えば、にゃんこだろ?! 毎週『世界のにゃんこウォーキング』を見てたから、にゃんこには自信あるんだっ! なめんなよっ!?」
「わ、わかった、わかった! じゃ、じゃあそういうなら猫なんだろうな! 猫!」
どちらにせよ、犬にも猫にも見えるんだけどな。
……というか、萩野って猫派だったのか。
とにかく、この保健室でなにかあったことは確かだろう。
まずは、現場だ……俺たちは2階へと向かう。
扉を開けると、まず第1ロッカー室には紅がいた。
いつの間にか着替えていたようで、あの水着の妖艶さから、ぴりっとしたキャリアウーマンに戻っていた。
ちょっと残念だが、やはりこの紅が一番彼女らしいと瞬間的に感じた。
俺たちの姿に気づいて、紅はすたすたと近づいてくる……その顔は曇り顔だ。
「七島、大丈夫?」
「あ、ああ、問題ないよ」
「無理はしないでちょうだい。……でも、まだ信じられないわ。どうして井伏が……」
「まったくだぜ……あんな人畜無害の塊みてえなヤツを殺すなんて相当の悪人だろうからよ……! だからぜってーに井伏のためにも犯人を見つけてやるからな!」
そういって、萩野が握りしめた左拳を右の手のひらに打ちつけた。紅も憤る彼の顔立ちを見て、真剣な眼差しで頷く。
「それで、紅はどうしたんだ?」
「私は今回も見張り。それと、この時間を使って事件についてまとめているんだけど……不可解すぎることが多いわ。決定的な死因もわかっていないし……それに、“保健室の鍵”がなくなっていたのよ」
「保健室の鍵が?」
「交代で、私と井伏は鍵を保管しているんだけど……私が持っているはずの鍵がなくなっていたの」
「いつ無くなったとか、わかるか?」
「朝方にないって気づいたから、昨日の夜時間かしら……ごみを捨てに行くときに落としたのなら間が抜けてるわよね」
保健室の鍵がなくなったか……。
だとすると、保健室の部屋が荒らされていたことと関係があるのだろうか?
「そういえば。2人はここの"ロッカー"は使ったことある?」
「いや……書道で大きな道具は使わないから」
「俺も使わねーな。部屋に置きっぱなしにしてるぜ」
「じゃあ、“ロッカーの仕組み”は知らない? 私はよく楽譜や楽器を保管するために使っていたの。参考になるなら教えるわ」
そういえば、あまり詳しくは知らなかったな。
聞いておいたほうがいいかもしれない。
俺たちの様子を見て、紅はポケットから電子生徒手帳を取り出した。
「ここのロッカーを使うには"電子生徒手帳"が必要なの。"緑色のランプ"がついているロッカーを開けて物を入れる。そして扉を閉めて、同じく電子生徒手帳を読みこませれば"赤いランプがついて"施錠されることになるわ。開けるときは、もちろん閉めた時と同じ電子生徒手帳を使って開くのよ」
「“開けるときも閉める時も、電子生徒手帳は必要”ってことだな」
「よかった。一発で分かってくれて」
「い、いや、誰だって分かんだろ。こんぐらいはよ」
「だって……大豊は……『なんでそもそも電子生徒手帳でロッカー開けられるの?』って聞いてきたのよ?」
……ま、まあ、でも、普通の人なら分かりやすい仕組みだな。
ふと、一つだけ"赤色のランプ"のロッカーを見つける……これは使用中だろうな。
「なあ。ここにもう1つ、“使用中のロッカー”があるけど……これは?」
「私もわからないわ。いつから使用されているのかどうか……」
「うーん? 誰のだ?」
萩野が生徒手帳を取り出して当ててみるが、首を傾げるだけだった。
俺もカードリーダーで読み込ませてみたが失敗した。
紅もそれを見て、電子生徒手帳を当てるが、軽いブザーのような音が鳴るだけだった。
「んー、今んとこはわかんねーか……おい七島。そろそろ現場に行こうぜ」
「じゃあ紅。後でな」
「ええ。くれぐれも、また倒れないように……お大事にね」
そう紅に釘を刺されて、ちらりと萩野が「まったくだ」と言わんばかりに肩を軽く竦めた。
第2ロッカー室には、オレンジのジャケットを羽織って、水着のまま立ちつくしている真田。
歯を鳴らして震えるランティーユ。
鼻水を垂らしながらベンチに座っている大豊。
三人の姿を見て、奇妙な葬列を見たような感覚が押し寄せる。
「あ、七島っ! オソイっつーのッ! アンタが最後だよ……!」
俺たちの姿を見て、真田が裸足のままやって来る。
遅れてランティーユも近づいてくる。
大豊も顔をあげて気づいたのか、立ち上がって鼻水を垂らしながら駆け寄り……。
「うわああぁぁあん萩野っちぃっ!」
「うおぉっ!?!」
彼女は萩野の胴に思いっきりダイビングした。
なんとか支え切れたようだが、腹に命中したため、萩野は殴られたときと同じような表情に変わった。
「あ、ああっ!? ムッシュ萩野! 君ってやつは! ぼくの目の前でマドモアゼルに不埒な真似をするなんて、ジャパニーズ肝っ玉だね!?」
「どう考えたって、全然ちげーだろ!」
「さあ、マドモアゼル! ムッシュ萩野より紳士的で愛の深いぼくが君の四股を抱きし」
「うるちゃいのだ、ランティーユゥ! 萩野っちのほうが大きいし筋肉がついていて抱きがいと頼りがいがあるのだー! ほら、ここなんかこんなに」
「だあああっ! おめー、んなとこ触るんじゃねーぞ!」
「い、いけないマドモアゼル! ムッシュのむさくるしいところを触ってはー!」
……なんだか、別の意味で奇妙な雰囲気になったな。
真田が萩野とランティーユに対して腰に手を当てて軽蔑したように見ている。
「あー、もうっ。なんだし、このゴチャマゼリンは……」
「……真田はスイカ割りからこのままの格好なのか?」
「しょっ、しょーがないじゃん。着替えるヒマもなくって、白河に見張りに頼まれたしさー! 一応ジャケットは大豊ちゃんに借りたし、裁判前には着替えるってば……それに……なんかアシ、動かなくて」
「足?」
よく見ると、真田のふくらはぎは小刻みに震えている。
それは、寒さのせいではないのは明らかだ。
俺たちの空気を察して、萩野たちがすぐさま静かになり収束する。
「無理もないよ、マダム真田……こんなの……あまりにショッキングすぎる」
「……なあ……井伏は」
俺がそういうと、ランティーユが慌てて横に退けた。
その先に見えたのは……床に転がっている小柄な青年だった。
周りには絡み合った白いテープ。一見すると白いシーツの中で眠っているようにも思えた。
綺麗な栗色の髪と、緑色のTシャツが真紅に濡れいる。
彼は灰色の天井を仰いでいた。その顔は、いつもの笑みは二度と訪れないことがハッキリと分かるほどの――虚無。
「あ、あのさ、ムッシュたち。気持ちはわかるけど、あんまり怯えた顔しないでくれよ? ぼくも怖くなっちゃうからさ……さっきまでムッシュ円居が来て検死を行ってくれたんだ……大体はマナクマファイルと一緒だったんだけど、細かい点を挙げるとすれば2つ。1つは“首の切り傷は非常に細かい”ということ。そして、頭の打撃痕は“2個”あったということが分かったんだ。それと……首の傷になにか“破片”が埋め込まれているみたいで……ムッシュ白河に検出してほしいって言われちゃって! もうてんてこ舞いで、辛くて……ううう、もうお部屋に戻りたいよ……」
「い、いいから、頑張れよ。な? 大豊にいいとこ見せたいんだろ?」
「ウィ! も、もちろんだよ! だからゴエモンの如くがんばっているのさ!」
ランティーユは涙目になりながらも、胸をふんと張ったが……大丈夫なのだろうか。
“細かい切り傷”に、“二個の打撃痕”、“埋め込まれた破片”……マナクマファイルの書き方は大ざっぱで曖昧だから、この情報はありがたいところだ。
「そういやよ、白河が入ってた……って聞いたけどよ、そのロッカーにあったバッグって、井伏のじゃねーか?」
「ウィ、そうみたいだね。ムッシュ白河は第1ロッカー室に閉じ込められてたけど、そのロッカーにはこのカバンしかなかったから一応こっちに移動させたんだ」
「なるほどな」と頷きながら萩野が“黒いボストンバッグ”を持ち上げる。俺が最期に井伏に会った時も、彼が背負っていた……あのバッグだ。
萩野が中を広げて確認するも、空っぽのようだ。
「ほーん? でっけーな。色々入れられそうじゃねーかよ」
「うんうん! めちゃんこデカいのだ! さっきあたしも入ったんだよ!」
「は? マジかよ!? おめーエスパーゴトウか?」
「むう、エスパーはそんなことするわけないのだ! っていうか『入れ』って言われたのだ、白河っちに」
「白河にぃ?」
「事件のためって言われたから……だから、手足をたためば、みんな入りそうなのだ!」
「みんなは、ムズカシくないかなー? 黒生寺とか、十和田はムリすぎっしょ」
人を入れるっていう発想はいかがなものか……入れたとして、背負って運ぶのは無理そうだ。
まあ、せいぜい数メートルぐらいは引きずれるだろうけれど……。
大体気になるところは、このぐらいだろうか?
そんなことを思っていると、「そーだ」と真田から声がかかる。
「七島! 白河と円居から伝言……っつーかオシラセ?」
「なんだ?」
「えーと、なんか……『大事なものが見つかったから時間があり次第、ダストルームへ来てくれ』だってさ。なんの話?」
……なんだ、大事なものって?
真田も知らなそうだから、問い詰めても混乱するだけかもしれない。
とりあえず、実際に向かってみるか。
「白河と円居なあ……? とりあえず俺はもう少し別んとこ調べてみるからよ」
「ああ、わかった」
「一旦俺は科学室見てくるぜ。なんかあったら言えよ?」
「あ、ああ……ありがとう。でも大丈夫だ」
「クロは二人までの殺人が可能だ……ない、とは言い切れないからな」
真剣な面持ちで萩野は俺の瞳を見つめながら言いきった。
「ああ……気をつけろよ」
科学室に向かう萩野の肩をぽんと叩く。
萩野は少し笑みを浮かべながら、背を向けひらりと右手を振り返した。
ダストルームに向かうと真田の言う通りで、円居と白河がいた。
二人とも焼却炉の前に向かい合って立っている。
白河は相変わらず無味乾燥な顔立ち、円居は白衣のポケットに両手を突っ込んでなにか話をしているようだが……。
「あの、円居」
「……おおっ、七島! またホウ酸団子を食べた例の虫のように倒れたと聞いたが大丈夫だったのかね?」
「あ、ああ……なんとか……それより真田から大事なものがあったって聞いたんだけど」
そういうと、円居が「しまった」と言わんばかりに顔を歪ませる。
眼鏡に阻まれていてもわかるほどのオーバーリアクションで、擬音で表すなら『ギクリ』だ。
「七島よ。良いニュースと悪いニュース、そして普通のニュース。その3つがあるとすれば、一番最初にどれを聞きたいかね?」
「う、うーん……時と場合によるような」
「むむむ、一番困る答えだな! じゃあ普通のニュースからだ。白河よ、言ってやってくれ!」
白河が少し目を伏せて、ポケットからなにか取り出す。
マス目があることからこれは作文用紙か? なにかが書かれているが……?
「これは……?」
「昨夜の大豊さんの作文です」
「……えっ!? お、おい、なんで白河が持っているんだ? だって、それは」
「昨夜、私がこれはゴミではないと判断させてもらいました。代わりに捨てると預かり、こっそり保管させていただきました……もちろん無許可ですので、大豊さんにはご内密に」
そう言って白河は人差し指を立てた。
う、うーん……白河も抜け目がないというかなんというか。
でも、本当に捨てられても困るものであったことは確かだけれど。
名前はペンかなにかで塗りつぶされている……念には念を入れたようだな。
万引きをしてしまった。
金に困っているという理由で、金品を盗んできた。
いままでバレたことはない。。
サラリーマンから ■布から時計、■指 もなんでも盗んだ。
身なりのいい女、弁護士など……金目のある人をねらって、スリもやった。
一番金があったのは、■■公■樹
アイツを狙ったときは金には困っていなかったのに。
どうしても、魔がさすと、スリルに身をまかせてしまう。
このまま、ずっと続くのだろうか。
なんというか、物騒なことをしてきたんだな……。
作文用紙の使い方に慣れていないのか、文章があまり整っていないのが気になるが……。
それも、まあ、大豊らしい……のかな……?
全体的に文字が汚くて判別できないものがあるのが厄介だな。おそらく最初は財布、と指輪か、腕輪とかだと思うけど。
“■■公■樹”
これは、まったくわからないな……。
「七島さん。一応、この証拠は切り札として使っていただければ幸いです」
「あ、ああ、わかった……で、良いニュースと悪いニュースは? 円居?」
俺は円居を見たが、彼は設置されている焼却炉の中を覗き込んでいた。
円居は、「なんだねこれは……」と呟いたと同時に手を伸ばして。
「うぐっっっ!?!」
円居は火が燃え盛る焼却炉にためらいもなく手を突っ込んでいた。
「お、おいっ! 円居!?」
「円居さんっ!? あなたなにをして……っ!」
俺と白河が駆け寄り、焼却炉の中に突っ込まれた円居の手を慌てて引っ張り出す。
白河は霧吹きスプレーを取り出し、そのボトルの水を使って円居の両手にそれをかける。
鎮火は成功したが、腕の包帯が焼け落ちていて見るに堪えない。
円居はううっ、と呻きながらも、焼却炉の火を恨めしそうに凝視している。
「あなた、まさか自責に囚われているつもりですか? ……悪いニュースをそれほどまでに言いたくないとでも?」
「まさか! 焼却炉になにか物が入っていると思っていたのだが……」
そういって、円居は這いよるように再び焼却炉に近づいて覗き込む。しかし、首を振って扉を閉めて、付属している赤いボタンを押した。
「やれやれ、見間違いのようだな……しかし、灰を一塊は手に入れられたぞ! いかがかね?」
「いりません。それよりもニュースを」
白河に促されると、円居は大きく溜息を吐いた。
そんなに、言いたくないことなのだろうか。
「そうだな、まずは悪いニュースがいいだろう。吾輩は嫌いなものから先に食べるタイプだからな! 七島よ。真田は、井伏のリュックから作文の束が見つかってそれを円居が預かっている……ということを聞いたかね?」
「そ、そうなのか? そんなこと聞いてないけど……」
「それは当たり前だ! 吾輩はそんなこと言ってないからな! どちらにせよ、その答えは言えないのだがね」
「どういうことだ?」
「その大事なもの。吾輩のポケットに入れておいた“井伏の作文が消えた”んだ」
どういうことだ。
俺は円居にさらに強い視線を投げかける。
凄んでいると思われてしまったか、円居は少し身じろいだが、正すように咳払いをする。
「言っておくが、吾輩は確かにこの手でポケットに入れたぞ! 細心の注意を払って、『吾輩の後ろに立つな』と言わんばかりに気を付けたのだぞ。だのに! このざまだ! 吾輩のポケットはからっぽ……正直信じられんのだよ、神隠しにあった気分だぞ。ちなみに神隠しを科学的に解明するとだな」
「そのニュースはここまでにしませんか、円居さん。良いニュースも話しましょう」
「ああ、そうだな。作文が消えた……と言ったが、全部ではないのだよ。ラッキーなことに“1ページだけ残っていた”のだ!」
そう言って、円居は俺にその作文の一部を見せてくれた。
たしかに井伏の署名もあって、題名も自分の罪となっている……。
まだ中学生の頃。
滑落して足に怪我を負ったときに、父の勧める病院に入院することになった。
絶望的事件でも多くの人々を救った大きな病院で、医療体制も一流だったため、足はすぐに回復した。
そんな退院間際のある日。
自分は、今は使われていない旧病棟の屋上に来ていた。
見舞いにきた交流のある登山家の大人たちが、こっそりそこでタバコを吸っていたからだ。
彼らだけでなく、見舞い客や、マナーの悪い病院スタッフもそこでタバコをふかせていたようだ。
自分は大人たちと、「調子はどう?」とか「次の山は」みたいな他愛もない話の受け答えをしていた。
その時だった。あの人がやって来たのは。
あの人は恐ろしい形相で自分に掴みかかってきたのだ。
「……これは?」
短い文はわかりやすい、というわけではなさそうだ。
病院に、あの人……?
なんだか聞いたことがある言葉も見受けられるが、つっかかる言葉もある。
「しかし、これだけじゃ分からないだろう……だから良いとは言っても悪い寄りのニュースかもしれんな。謎が謎のままだ!」
「……なあ円居。作文は最初全部あったんだよな? なら、お前は全部に目を通したってことか?」
「いいや。みんなで見たいと思ってな……吾輩だけ井伏の罪を見るのは荷が重すぎる。作文だと分かった瞬間に目を通さず仕舞いだ。だからすまないが、内容は一切わからないのだよ」
「そうか……」
「これでニュースはすべて終わりましたね。……ところで円居さん。そちらの手、どうにかしたほうがよろしいのでは」
円居の手を指さして、白河は肩を竦める。
火傷はひどくはないが……元々あった怪我の痕のほうが痛々しい。
「そうだな……しかし、今、吾輩の持ち合わせている包帯の残機はゼロなのだ!」
「なら、萩野に頼んだらどうだ? 萩野はバンテージを持ってたはずだぞ」
「スポーツ用のバンデージは吾輩の腕には合わんのだが……まあ、仕方ない! では、ヤツはどこにいるのかね?」
「萩野なら科学室に行ったよ」
「な、なにぃ! 吾輩のメッカに吾輩無しで足を踏み入れていると!? 実にいけない! 吾輩無しで科学室なぞ認めん! 誰が認めても吾輩は認めんぞぉぉ!!」
そう叫んで、円居は意気込みながらズカズカと足早に駆け去って行った。
炎に手を突っ込んだわりには元気だな……白河もその様子見て、「やれやれ」と首を振った。
「私たちの話はこれで終わりです。七島さんは、これからどちらに?」
「俺は……そうだな、図書室を見に行くよ」
「そうですか……気合を入れてくださいね七島さん。私は、この裁判には絶対勝ちたいのです」
「白河……」
彼は色素の薄い髪を少し揺らしながら憂鬱そうな吐息をする。やはり、井伏のことを気にしているのだろうか……。
「生き残らなければ……あなたを洗えないではないですか……」
「は?」
「あなたの匂いがさらに酷くなっています……ふけ取りシャンプーで紛らわしているようですが、とんでもない。十分に不潔極まりない! この裁判を生き延びなければ、あなたは汚らわしい姿のまま終わりを迎えることになる……いいえ、そんなこと認められません! 絶対にっ!」
「あ、あの白河」
「あああ、我慢できないっ!! ならばいっそ今、私がこの手で……!!」
待て待て待て待て! どうしてそうなったんだ!!
冗談抜きで今は勘弁してくれ!!
俺はボトルシャンプーを銃の如く構えた白河を振り切って、ダストルームを後にした……。
息を切らしながら、図書室のドアを開けると、まず視界に飛び込んできたのは天馬だった。
彼女は考え込む仕草で、なにかを見つめていた。
呼吸を整える意味でも静かに歩み寄って、「天馬」と声をかける。
「七島くん大丈夫? 倒れたって聞いたけど……息切れてるよ?」
「あ、ああ、大丈夫。悪い……また、寝不足だったのかもな」
「……でも倒れるのも無理はないよ」
珍しく心配そうな眼差しを向けられてしまい、「平気だから」と思わず返してしまった。
天馬は再びなにかを見つめている。
視線の先にあるのは……タイプライターか?
「なあ、天馬、さっきからなにをしているんだ? これって"タイプライター"だよな?」
「うん、“和製タイプライター”だって。“使われたような跡”がある、って錦織さんが言ってたから。ちょっと見てたの」
「使われたような跡?」
「昨日見た埃がなくなっているし、それに……指紋もついているみたい」
近くで見てみると確かに、うっすらと指紋がつけられている。
この指紋の持ち主はわからないが、誰かが触ったことは明らかだ。
「錦織さんは図書室にずっとこもっていたみたい……図書室って言っても、準備室なんだけどね。“防音がばっちり”だからって、すごく重宝していたよ」
「そう言えば、錦織は?」
「気分が悪いみたいで、部屋で休んでいるみたい」
「アナウンスは聞こえたよな?」
「うん、慌てて飛び出してきたよ。古いスピーカーが備え付けられているみたいだから。でも、日ごろの疲れもあってすぐに貧血ですぐ崩れ落ちちゃって……でも、現場には行ったのかな? それなら、みんなと一緒にもう捜査してるのかもね」
そういえば、真田も俺が最後って言ってたな。
という事は、みんな井伏のいる現場には来たのかもしれない。
「そういえば、"図書整理"はできたのか?」
「うん、なんとか。8時から始めて10時前には終わったかな。いかにも古い蔵書とかいらない本は全部倉庫に入れたから。円居くんは借りていた絵本……“マナとクマ”は、結局気にいらなかったって言って、それもついでに倉庫に入れてたみたい。ほとんど別作業だったから、錦織さんや円居くんとはそこまで話せなかったんだ。錦織さんも昨日の夜から図書準備室で作業してたらしくて、説明で話してくれたぐらいだったかも……」
「そうか……怪我はなかったか?」
「うん。広辞苑が10冊ぐらい棚から落ちてきたけど、生きてるから大丈夫」
「……本当に大丈夫か?」
「……うーん、どういう意味で?」
……色々な意味でだよ。
天馬と別れてトレーニングルームに向かうと、そこには十和田と黒生寺がいた。
二人がいがみ合っていないなんて珍しい光景だが――今は、お互いに相手のことをまったく意識していないような感じだ。
黒生寺はつまらなそうにバーベル上げの台に乱暴な格好で項垂れながら座っていた。
……よく見ると顔に絆創膏が貼られている。
一方の十和田は、壁によりかかって、苦しそうにぜえぜえと息を吐いているが……。
「あ、あの、十和田、大丈夫か?」
「だっ、だいじょ、うぶ……なあ? っはぁ、ほんっとうっざ……ぜぇっ、は……だ、いじょうぶなら、立ててるはず、ないだろ……っ」
「お前、ずっとここにいたのか?」
「な、なんで……っ、はぁ、そんなこと、わざわざ話さなくちゃいけないのかなあ……? 君は刑事でもなんでもないくせにねえ?」
よく見ると十和田の太い足が震えていた。
右手をポケットに突っ込み、左手で胸を押さえて挙動不審に目玉を動かしている。
まるで不治の病気に侵されているように肌の色も真っ青だ。
「な、なあ十和田。本当に……」
「うっるさいなあ……! さっさと出てってくれないかなあ!? さっきから、むしゃくしゃしているんだよ……! ついでに、そ、その、ら……ライターもさあ」
「ラ、ライターって……あ、これの」
「出すんじゃねえよ、このクソゲロミドリムシィッっ!」
ポケットからライターを出そうとした瞬間に、十和田がなにかを投げつけてきた。
投げつけられたのはトランプだった。
よけようとしたが、頬に当たって、肌の表面が切れてしまった……黒生寺が大きな舌打ちをして、十和田の襟元をつかんだ。
「ふざけんな……貴様の口に鉛玉を十発ぶち込んでやろうか……? 寝れやしねえ……」
「っは、はあ?! なんだよ、離せよっ! 捜査に寝るほうがふざけてんだろ!? だ、だいたい、ミドリムシが悪いんだよ! ライターなんて出やがってどこの放火魔だよっ!?」
「バカか……ライターじゃ人も殺せねえ……」
「殺せるんだよ! 山の木に一本でもマッチの火をつけてみやがれ!! どうなるかをなぁ!!」
黒生寺は襟元から手を放し、お手上げと言わんばかりに、また乱暴に今度はベンチに座る。
露骨なまでに憎々しげに十和田はどすんどすんと音を立てて、トレーニングルームを去って行った。
しかし、ひどい荒れっぷりだ。
いつもなら、黒生寺にも毒が多めの茶々を入れるはずなのに、完全に落ち着きを失っているな。
今はなんとも言えないけど……うーん、“十和田はライターに怯えてる”……とでも、一応覚えておこうか。
ふと、黒生寺に今度は焦点を合わせる。
「な、なあ、黒生寺。お前は」
「黙れ……目障りだ……寝れやしねえ……」
「でっ、でも、今は捜査中だから寝るって言うのは」
「ふん……だからなんだって言うんだ……」
「えーと、その怪我は。もしかして角と」
捜査のことはなにを言っても無駄だと思って、絆創膏を指摘する。
すると、ぎろりと案の定ではあるが、眼を飛ばされた。
角、で反応があったってことは、やっぱり。
「なにかあったんだな?」
「貴様には関係ねえ……あのアマと俺の問題だ……」
「な、なにがあったかは聞かないけど……いつ、どこでとかは言えないのか?」
「……ここで、一晩中だ……」
「ひ、ひとばんじゅう!?」
「“夜時間の合図”が鳴ってから、“朝の合図”が鳴るまで……だ」
……どういうことだ?
にわかには信じがたいが……後で、もう一度、角にも確認してみよう。
そうだ。そういえば。
俺はライターをポケットから取り出して黒生寺に見せた。
「とりあえず話を聞けてよかった……あと、このライターお前のだよな? 返すから」
「いらねえ……」
「え?」
「クソ重いライターだし、さっき代わりのマッチももらった……俺の肌に合わねえから捨てようと思ってたところだ……勝手に処分しやがれ……」
ひどい言われようだ。
捨てるにしては勿体ない洒落たデザインだと思うが……十和田には今後見せないように、もらっておこうか。
次に食堂に向かうと角がいた。なにかを確認している様子できょろきょろと辺りを見回している。
角、と声をかけると、急いでぱたぱたと子犬のように駆け寄って来た。
駆け寄り方は愛くるしいが、目は衝撃に満ち溢れている。
「七島……さま……井伏さまが……」
「角……」
「……井伏さまの笑顔は、もう見れないのでございますね……写真でしか見れないのでございましょうか? でも、写真なんてどこにもございません……芙蓉たちの記憶でしか、あの笑顔は……もう残らないのでございますね……」
そう言って、涙一筋を頬に浮かべたまま、彼女はデジタルカメラを見つめている。
俺はその“赤いデジカメ”に見覚えがあった。
「あれ? これって……井伏のものじゃないか」
「まあ、井伏さまの所有物でございましたか! 確認をしたら、椅子の上に置いてあったのでございます……!」
「あ、ああ。なくしたって聞いたけど……でも、どうしてこんなところに……?」
角から貸してもらって、デジカメの写真を確認してみる。
ここに来る前に撮ってあったと思われる自然や見たことのない人の写真が次々と映る。
最近の日付のものから確認してみると……“緑色の棚”が、ぱっと映り込む。
あっ……これって、保健室の棚だろうか?
薬瓶がずらりと並んだ棚だが……左から順に赤、橙、黄、緑、青、紫の薬瓶が並んでいて……
うん? なんだかおかしいぞ……ちょっと、後でもう一回、照らし合わせてみよう。
とりあえず、今は角に尋ねなければ。
「……そういえば、角。昨夜は黒生寺と一晩中トレーニングルームにいたって、本当か?」
「ええ、その通りでございます! 黒生寺さまとお手を合わせて」
「ど、どうして、そんなことを……」
「もちろんこの世の平和! 正義のため! 愛のためでございます!」
「そ、そうか……? それで、お前はその手は大丈夫なのか? これって、包帯……?」
俺が角の腕に巻かれた黒い……包帯みたいなものを指をさすと、「ああ」と角は力強く頷いた。
「ご心配には及ばないのでございます。芙蓉と黒生寺さまが包帯と絆創膏を保健室に取りに行った時、包帯はほとんどなくなっていたのでございます……だから、黒生寺さまに包帯を譲り、芙蓉は黒生寺さまの助言で、黒生寺さまのスカーフを巻いているのでございます」
「な、なるほど。じゃあ、それは“黒生寺のスカーフ”?」
「そうでございます! ランドリーに置きっぱなしにしてあるから、勝手に好きなように使えとのことでしたので、ありがたく使用しているのでございます! 後で白河さまに綺麗な洗濯の方法を教えてもらわなければございませんね……!」
白河、張り切りそうだな……あれ……でも、待てよ。
「な、なあ、角。黒生寺と保健室に行った時間はいつだ?」
「朝時間のチャイムが鳴ってすぐで……"7時半頃"でございます!」
「なあ、保健室って、荒らされていなかったか?」
「ああ! そういえば、"赤い棚の窓ガラス"が割れていたのでございますね」
「……? それ以外は?」
「それだけでございます! 後は薬品の芳香漂う“整った保健室”でございました」
となると……荒らされていたのは……?
ガラスが割れていたのは……?
一体、どういうことだ?
ピンポンパンポーン…………
『では、ではみなさんよろしいでしょうか? おいでよ、赤い扉の前へ! 行こうよ、エレベーターへ! とびだせ学級裁判へ! というわけで、みんな集まれ!』
マナクマのアナウンスが刑の執行の如く淡々と鳴り響く。
……ああ、ついに来てしまったか。
「七島さま、絶対大丈夫でございます。サポートはいくらでもいたしますのでございます! ぜひ、芙蓉を不要な子と思わず、頼りにしてくださいなのでございます!」
「あ、ああ、ありがとう……」
「さあ、馳せ参じましょうでございます。井伏さまのためにも……!」
俺と角はそう言って、一緒に赤い扉へと向かった。
足取りはやはり重く、まるで処刑室に連れていかれるかのような面持ちになってしまう。
ゆっくりだが……着実に。それへと向かう。
そして、ついに目の前に現れた目前の赤い扉を開いた。
エレベーターホールにはすでに全員揃っているようだ。
久々に見た錦織は俺の姿を見るなり、目をカッと見開いたと同時に、長い黒髪を暖簾のようにして顔を隠した。
彼女も、一応は捜査をしていたのだろうか?
一方の萩野は俺の姿を見てすぐさま近寄ってきた。
「七島、どうだ? ワリぃが、科学室にはなんもなかったぜ……円居も付き添いで、棚を開けてもらったけどよ、成果はなしだ……」
「そうか……でも調べてくれてありがとう」
「なーに、お互い様だ。おめーのこと俺は頼りにしてっからな?」
「そ、そんな、萩野のほうが頼りになるよ。俺はいつも助けられっぱなしだから……」
「まっ、たしかに? 肩貸してばっかかもなー?」
「……たまには、肩を借りても……いいんだぞ」
俺がそう言うと、萩野は一瞬きょとんと目を丸くさせる。
だが、すぐに、「くく」と喉を鳴らすように笑われ、俺の肩をとんと叩く。
いつもの豪快なぶつかるような痛みはなく……それは包み込むような優しいものだった。
「なに言ってんだ。俺はそこまで弱かねーぞ?」
「で、でも、萩野……俺だって」
「おめーのその心だけ十分だっつーの。だいたいな、俺はおんぶされるのは苦手な人間だからな。おめーだって、そこまで、おんぶはせがまないだろ? 自立する心があるんだ。だから、俺は、そういうおめーの心をサポートしているだけだって……へへっ、ちょっと気恥ずかしいこと言っちまったか」
そう言う萩野に、俺は少しだけ張り詰めていた顔を緩ませた。
萩野の肩は大きい。大きすぎる。だから、俺も頼ってしまう。
だけど……本当にそれで、俺はいいのだろうか。
『マナクマきらーい、べったべたの友情ごっこきらーい』
ぎらりと鈍い青の隻眼がこちらを傍観する。
和やかだった萩野の顔が不満に変貌して、大きく舌打ちをする。
『っていうか、まだー? 白河くん待ちなんだけど』
「私ならここですよ」
『あ、いたの? 壁と同化してるから気づかなかったよ』
白河は先ほどから、ぞうきんでごしごしと壁を拭いていたのだ。
マナクマに指摘された今でも拭いているが……。
「なあ、白河……?」
「ああ、すみません……汚れを見ると清潔にしたくなるサガは少し直さないといけませんね。でも清掃が遅れたために、調子が狂ってしまいまして……マナクマも毎日は清掃していないようですので」
「そうなのか?」
「恐らく5日に一回です。一昨日がその5日目だったので、次の清掃日まであと3日です……嘘だとお思いですか?」
いや、嘘だとは思っていない。
白河がこんなことに命を懸けてちゃんと記録している事実に開いた口が塞がらなかっただけだ。
「そうですよね、マナクマ?」
『はいはい、一言一句当たってますよ。まったくさぁ、細かいところに気にする男はケツの穴も小さいって言葉知ってんの?』
「なんとでも言ったらいかがですか? この際言わせてもらいますが、5日に一度の清掃なのだから、もう少し念を入れて掃除をしていただきたいです」
『なにさ、なんなのさ。白河くん、ボクを熊型ルンバと勘違いしてんの? クレーマー? 悪質客?』
「学生の一意見です」
白河の言葉に、『ぶー』とマナクマが不貞腐れる。
それを前に、白河が俺の前に歩み寄る。
「七島さん、エレベーターに乗る前に3つ」
そう言って、白河が萩野をちらりと一瞥する。
ふん、と鼻を鳴らしながら、俺に不安げな視線を残して、少しだけ離れて壁に寄りかかる。
「前に、井伏さんと“泳ぎの約束”をしていましてね」
「泳ぎ?」
「私、前からあのプールで泳ぎたい、って思っていましてね……水泳は得意ですので。そのことを井伏さんに話したら、泳ごうという話になりまして。私の清掃時間に合わせて、昨日の深夜に泳ぐということになっていたんです」
「それは、前から決まっていたのか?」
「ええ、そうです。ちょうどあなたたちがスイカ割りという目論見をしているところで……ね。だから十和田さんと、円居さん、黒生寺さん誘ったんですよ」
なんだか、すごく交流の企画にしては聞きなれない名前が羅列されたが。
「十和田と黒生寺も? そもそも円居だって湿気が苦手って聞いていた気がするんだけど……」
「この学園生活の鍵を握るのは、彼らの性格の更生だと思いましてね……と言うのは言い過ぎですね。ただ単に、井伏さんが黒生寺さんと勝負したがって誘われていました。十和田さんは井伏さんが仲良くなるために、円居さんも、井伏さんが水泳向きの体しているから、っていう理由で約束していたみたいですね……ただ、彼らに伺ったところ、どの方もプール場には訪れなかったそうですね」
「そうなのか……」
「私は行く予定で、井伏さんにもその前に会って話していたのですが……あの時、彼ともっとよく話しておけばよかったです」
たしかに、白河はロッカーに閉じ込められていたわけだしな……。
井伏も果たして来たのだろうか?
でも、あの夜の井伏は腹痛だったんだ……行けたのかは謎が多い。
そもそも、あの腹痛は本当だったのだろうか?
疑うのは難だが、腹痛なんて、本人が言わなきゃ腹痛なんてわからないものだ。
ましてや今は医者もいないのだから……。
……もっとも、答えを返せる人はもういないのだけれど。
「それと、2つ目……希望ヶ峰学園の焼却炉は入ると“自動的に炎がつきます”、誰もいないと“自動的に消えます”」
「…………ええと、それが、どうしたんだ?」
「念のための確認です」
白河の言葉は引っ掛かりを覚える。
彼は無駄なことは言わない。
無駄なことは言わないからこそ、この言葉は……。
『もう、なにをそんな一部の嗜好家が涎を撒き散らしそうなほど鼻息荒く近寄ってんのさオマエラ! 早く乗れよ! 俺様のエレベータの中にズプズプっと入っちまえよ!』
マナクマに急かされて、俺は我に返る。
その言葉にみんな次々と、多種多様な足取りで入り込む。
「七島さん、私たちも行きましょう」
「あ、ああ……」
俺と白河もエレベーターの中へと向かった。
それと同時にゆっくりと扉が閉まっていく。
井伏……必ず、お前を殺した犯人を見つけだしてみせる。
そして俺たちは…………
今回も、生き延びなければいけないんだ。
「ああ、失礼しました。3つ目を忘れていましたね」
「この事件は“イノシカイチョー”が鍵になっています。どうかお忘れなく」
施錠の音と同時に、白河の声が耳の中に響いた。
そして、エレベーターは轟々と俺たちを乗せて奥底へと沈み始めた――――
忌々しく恐ろしい。もう二度と来ては行けなかった禁忌の場所へと。
裁判場へと俺たちは再び堕ちていく。