ダンガンロンパ(仮)-よみがえり-   作:冷凍かに缶

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学級裁判編 前編


 

 

▼学級裁判 弁論準備

 多かれ少なかれ、人は皆、罪を抱えている――それは超高校級と称えられる生徒たちも同じこと。

 一回目の裁判を乗り越え、傷を癒やすように日常を取り戻していく最中、変わり果てた姿で発見されたのは『井伏歩夢』

 彼は何故殺されてしまったのか? マナクマが語った『イノシカイチョー』の意味とは?

 彼の笑顔を奪った真犯人に罰を下せるのか?

 再び、裁判場に少年少女たちの慟哭が響き渡る……

 

 

▼コトダマリスト

 

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 " 準 備 完 了 "

 


 

 

 厳重なエレベーターから、ようやく俺たちは解き放たれた。

 眼前に広がったのはマナクマの瞳に似た青色の壁で囲まれた裁判場だった。

 深海まで潜ってやってきたような深く濃い色は、心の底から鬱屈とさせる感情をこみあげさせる。

 各々が裁判場を眺めている中、「うぷぷ」とマナクマが嬉しそうに飛び出してきた。

 

 

『毎回、裁判場はイメチェンしてくからね! これだと、みんなもマンネリせずに楽しめるっしょ? っしょ?』

 

 

 こいつ、人の死をなんだと思って……!

 拳をぐ、と筋がはち切れそうなほど握りしめる。

 

「七島くん」

 

 静かだけど、咎めるような鋭い天馬の声。

 悔しさが頭を占める中、俺は握り拳を解いた……。

 

『うぷぷ、ほらほら、みなさん。さっさとお席につきやがりましょうねー! とっとと始めやがりましょうねー!』

 

 俺たちは足取り重く、裁判台に立った。

 バツ印をつけられた藤沢に井伏の遺影。

 そして、鉛筆のマークで作られたバツ印の四月一日の遺影が嫌でも目に付く。

 

 今回の裁判で、ここにまた……

 

 いや、それとも、俺たちのこの席に……?

 

 ……いや、こんなことを考えるのは野暮だ。

 辛くとも苦くとも、俺たちは生き延びなければいけないと決めたはずだ。

 始まらないでほしいと願っていたものが、再び始まってしまう。

 

 命がけの言及。

 命がけの弁明。

 命がけの騙し合い。

 命がけの希望。

 そして、絶望。

 

 ……命がけで俺たちは真実を探し当てるんだ。

 

 

 そして、俺たちは、この命を賭けて今度も裁判を生き延びるんだ。

 

 

 

 

 

" 学級裁判 開廷! "

 

 

 

『まずは、学級裁判の簡単な説明をしようね。学級裁判では、正しい“クロ”を指摘することにまず重きを置いてます。正しいクロを指摘できれば、クロだけがおしおき。だけど、間違ってシロを指摘してしまったら、クロ以外の全員がおしおきされて、残ったクロだけが晴れて卒業となります! では早速、議論してくださーい』

「議論って言ってもなにから始めればいいのよ……! なにもかもおしまいよ……このまま、みんな終わるんだわ……!!」

「だーかーら! なんでおめーはすぐに終末的な思想になるんだよ!? いーから、はじめっぞ!」

 

 マナクマの開始の合図。そして錦織と萩野の掛け合いで裁判は始まった。

 ……でも、本当に大丈夫なのか?

 って言うか、前にもこんなやり取りを聞いたような。

 2人のやりとりに咳ばらいをしながら、「まずは」と口を開いたのは紅だった。

 

「遺体状況から確認しましょう。"マナクマファイル"によると、被害者は井伏歩夢、遺体発見場所は第2ロッカー室。頭部には打撃痕、首にかけて複数の切り傷が見られる……とのことね」

「吾輩も確認したが、すべて正しい情報だぞ!」

「こんな科学者の意見なんて、ちっとも信用できないなあ?」

「目くらましだけのペテン師よりは信じられる……だが、そんなことよりも俺はわかってんだ……」

「なにが、ご存じなのでございますか? 今日のお夕飯のメニューでございますか?」

「この事件の“犯人”だ……」

「なるほど…………って、それは、まことでございますか! 黒生寺さま!?」

 

 角の悲鳴に似た声と同時に、黒生寺の言葉に一斉に皆が注目する。

 

 疑念、焦燥、興味。

 多くの視線が黒生寺の双眸に集った。

 黒生寺は、鋭い眼差しで一点を睨みつける。その矛先は彼と対照的な色を纏った――

 

 

 

「貴様だろ……優男……」

「……私、ですか?」

 

 

 白河だった。

 静かな驚嘆や、息を飲む音が混ざり合う。

 「そうかも……」という一声が少し飛んだが、それは誰の言葉かは判別できなかった。

 

「もう一度、言っていただけませんか?」

「何度でも言ってやろう……貴様がガイシャを殺したんだろ……」

「へけ? ねえねえガイシャってなーに? 会社とはちがうの?」

「被害者のことを指す警察関連用語よ……言うなれば隠語ね……ふふふ……やっと司書らしい情報を言えたわ……!」

 

 先ほどの絶望的な顔とは反対に勝ち誇ったように、錦織は顔を赤らめながら不敵に微笑む。

 そんなに知識が言えたことが嬉しいのか……?

 

「じゃあインゴはなーに? 鳥の仲間?」

「隠語は仲間内で通じる言葉みたいなものね……つまりは業界用語とも呼ばれていて……」

「むむう。ギョーカイってギョーザに似てるけど」

「だあぁぁっ!! おめーら、ちょっと黙ってろ! 大豊は後で辞書でも読んどけ!」

 

 萩野のツッコミが入り、ようやく二人の質疑応答ループが終わった。

 そんな萩野の怒号を遮るように、十和田が大きく溜息を吐き、黒いステッキの先をぴっ、と黒生寺の方向に向けた。

 

 

 

「っていうかさ。自分のことを棚にあげて、よく言えたもんだねえ? お前こそ、いかにも怪しいクセにさあ?」

 

「何度でも言え……だがな、ガイシャと、そこの白野郎はロッカールームにいたことは事実だ……貴様はロッカールームでガイシャを殺した後に、ロッカーの中で隠れてたんだろ……姑息な真似をしやがって……」

 

「私はそんなことはしません」

 

「じゃあ、これはどう説明する……? ガイシャが持ってた“黒いバッグ”……これは貴様が入っていたロッカーにあったそうだな……」

 

 

 

 白河は少しだけ目を伏せた。

 どうやら珍しく返答に困っているようだ。

 

 

 

「たしかに“黒いバッグは、私と一緒にロッカーに入っていました”ね。しかし、私自身、そのようなものを入れた覚えはありません。そもそも私はロッカーに入ったのではなく閉じ込められたんです。深夜に後ろから何者かに襲われて」

 

「モンデュー!? お、襲われたって……なんてコアな犯人なんだ!」

 

「ランティーユ……あなた、いったい、襲われたって言葉はどういう意味で教わったの?」

 

「んなことはどうでもいい……あの白野郎がガイシャを殺してロッカーに隠れたんだ……ごくろうなことに、“鍵”もかけてな……!」

 

「いや、それは違うぞ」

 

 

 俺は黒生寺の言葉を否定する。

 白河に向けられていた標準は、俺へとすぐさま移り変わった

 

「あ……? 誰だてめえ……」

「ミドリムシ、忘れられちゃってるみたいだねえ?」

「な、名前を忘れられても、言わせてくれ。白河は少なくとも、自分一人では“鍵”はかけられないんだ」

「ふん……そんなわけあるかよ……」

「あるんだよ黒生寺。ロッカーの使い方をよく思い出してくれ。“ロッカーは開けるとき”だけじゃない。“閉めるときにも電子生徒手帳で読みこませなければならない”んだ」

 

 紅に教えてもらった“ロッカーの使い方”を俺は指摘する。

 彼女自身も「そうよ」と頷いている。何人かの人も知っているのか「なるほど」と納得しているようだ。

 

「え、えーと、えーと……ああ、思考回路がショート寸前でございます!」

「つまりね、白河くんが誰かに閉じ込められていたっていう話は本当みたい。ロッカーは閉める時も、外側から電子生徒手帳を読み込ませなければいけないから……だから、“白河くん一人では、ロッカーに鍵をかけて入るってことはできない”んだよ。こういう芸当はよっぽどの不運でない限りできないかもね」

 

 天馬の自虐的な不運はともかくとして。

 俺はゆっくりと彼女の話に対して頷いた……。

 

 

 

 

 

「その幻想をぶち抜いてやろうか……!!」

 

 

 

 

 だが、地の底から飛び出たかのような重低音が話を破る。

 眉間をぐいと寄せて、黒生寺は眼光を飛ばす。

 BB弾銃を取り出し、俺のこめかみを狙うかのように銃口を向けてきた。

 

「てめえ……さっきからなんなんだ……ごちゃごちゃ説教とは良い度胸じゃねえか……」

「べ、べつに俺は説教をしたいわけじゃないぞ?」

「そもそも知恵不足だと思われちゃ我慢ならねえ……俺にも根拠がある……」

 

 黒生寺は、自分の考えを押し通すために俺と戦うつもりなのか。

 ならば、俺は……その考えを正してみせる!

 

 

「いいか、そこの"白髪野郎が“犯人"だ……それは間違いはねえ……」

 

「いや、黒生寺。もう一度考えるんだ。白河は今回の犯行には関わっていない」

 

「考えるだ……? それは、こっちの台詞だ……さっきのロッカーの話が本当かウソかはどうでもいい。“ガイシャも白野郎も2人ともロッカールーム”にいたことは事実……だから白髪野郎が共犯者……ヤツが犯人だ……」

 

「共犯にしては手が込みすぎだ。それにデメリットが大きすぎるぞ」

 

「言い切れるって言うのか……大体、“ガイシャがロッカールームで殺された”ことは変わりないだろ……ならば、その部屋で一晩夜を明かした奴が、犯人としか考えられねえ……」

 

「止めが甘いぞっ!」

 

 書の“はらい”の如く、彼の言葉を勢いよく退けさせる。

 裁判場が静まり返るが、それに合わせて俺は言葉を繋ぐ。

 

「黒生寺。“井伏がロッカールームで殺された”って、本当に言いきれるか? それにしては……ロッカールームは綺麗すぎないか?」

「綺麗……だと……?」

「でも、白河って“清掃委員”っしょ? 服のヨゴレもイッパツでオトすぐらいの」

「い、いや、さすがにムッシュ白河でも、血の掃除は難しいんじゃないのかな?」

「血を完全に消すというのは骨が折れる作業になります。半日は有にかかりますし、なによりも、私はロッカーに入れられていたのでそのようなことはできませんよ」

「じゃ、じゃあ……マナクマが……掃除したんじゃないの……?」

「いや、白河が言うには、“マナクマの掃除が行われるのは後三日後”だ。そうだよな、マナクマ?」

『あんまり業務的な裏事情言いたくないんすけど、そーなんす!』

 

 黒生寺はマナクマの言葉を聞いて舌打ちをして、そのまま腕を組みそっぽを向く。

 不服ではあるが、認めてくれたのだろう。

 

 

 

 しかし……。

 

 

 

「ロッカーが犯行の現場ではないことは芙蓉でも理解ができたのでございます。で、では……どこで井伏さまは殺されたのでございましょうか?」

 

 角の疑念、いや、恐らくみんなの疑問点である言葉が飛び出した。

 ある程度の憶測はついているが……なんとも不可解だ……。

 

 

 

 

「みなさん。今回の事件解明の前に、少し片づけたいことがあるのでよろしいでしょうか?」

 

 

 

 突然、一つの声があがった。

 涼しげな印象を彷彿させる白河だった。

 だが、玉座の上のマナクマが、ぶーぶー、とバツ印をつくった。

 

『ちょっとちょっと! 脱線はダメだよ! 事故っちゃって責任者が平謝りしなきゃならないからね!』

「“イノシカイチョー”のことと関係があるかもしれない、と言ったら?」

『ああ。それならいいよ』

「撤回はやすぎんだろ!?」

「なあ、白河……イノシカイチョーは、本当にこの事件と関係がある……のか?」

 

 俺がそういうと、白河は少しおどけたように肩を竦めた。

 まさか、はったりか?

 いや、でも……分からない。

 白河の意図を汲み取るのは俺には難易度が高すぎる……でも、俺も気になるのは事実なんだよな。"イノシカイチョー"のことは。

 なにせ、わざわざマナクマがみんなの前で読み上げたぐらいだからな……

 

 

 

 

「まず、私がみなさんにお話したいのは、井伏さんの作文のことです」

 

 ――井伏の作文。

 『井伏の』というよりも、作文という言葉に反応した者たちが何人もいたのを見逃さなかった。

 そのような反応をするのは無理もない。むしろ、それは至極当然のことだろう。

 

「実際にご覧になったほうが早いでしょう。それでは円居さん、例の作文を」

「う、うむ……わかったぞ……」

 

 渋い柿を食べたように円居は唇を歪ませた。

 彼は薄汚い白衣のポケットから作文を取り出して、その文章を提示した。

 名前も書かれているし、井伏のものだということは疑いないはずだが、問題は……。

 

 

 

 

 まだ中学生の頃。

 滑落して足に怪我を負ったときに、父の勧めた病院に入院することになった。

 絶望的事件でも多くの人々を救った大きな病院で、医療体制も一流だったため、足はすぐに回復した。

 

 そんな退院間際のある日。

 俺は、今は使われていない旧病棟の屋上に来ていた。

 見舞いにきた交流のある登山家の大人たちが、こっそりそこでタバコを吸っていたからだ。

 彼らだけでなく、見舞い客や、マナーの悪い病院スタッフもそこでタバコをふかせていたみたい。

 俺は大人たちと、「調子はどう?」とか「次の山は」みたいな他愛もない話をしていた。 

  

 その時だった。あの人がやって来たのは。

 あの人は恐ろしい形相で自分に掴みかかってきたのだ。

 

 

 

 

 

 あまりにも謎が多いことだ。

 裁判場のみんなも疑念に溢れた顔立ちだった。

 

「へけ? これが井伏っちの作文?」

「な、なによ、この尻切れトンボ……罪の内容が書かれていないじゃない……」

「それもそのはずだ。吾輩が最初に見つけた時、この作文は複数枚あったからな! だがな、吾輩がポケットに丸めて入れてしばらく作業をしていたら、いつの間にか、“ほとんどが消えていた”のだよ!」

「は? それってさ、オカシくない?」

「そうだろう、そうだろう! 神隠しに遭った気分だぞ! ちなみに神隠しというのは科学的に……」

「いや……あのさ、アンタが怪しくない? ってハナシなんだけど?」

「ふははは! そうだろう、そうだ……って、あれ?」

 

 円居はこてんと玩具のように首を傾げた。

 真田は肩をすくめて、呆れたように溜息を吐く。

 

 

「だって、アンタしかその作文のコト知らないってことでしょ? じゃあ、アンタが容疑者の候補っつーワケだけど?」

「たしかに。そういう茶番はカンタンだろうねえ?」

「まっ、待ちたまえ! 吾輩を疑っているのか!? 吾輩のどこが怪しいというのだね!?」

「円居っちは、全体的にあやしいのだ!」

「吾輩自体が怪しいだと!? そ、それは…………認める!」

「認めんなよ?! でもよ、円居が犯人だとおかしくねーか? なんでわざわざ全部隠さずに1枚だけ残すんだよ?」

 

 たしかに、萩野の言う通りだ。

 円居が作文を隠した犯人だとしたらおかしい。

 “一部分だけ隠す”なんていう奇妙なことはしないはずだ。

 天馬が「うーん」と考え込むように少し首を傾げた。

 

「作文全体じゃなくて、“なくなったページ”が、誰かにとって都合が悪かったのかな? 円居くん、落とした記憶はある?」

「まったくないぞ! 常に細心の注意は払ったのだよ……だが、ある時にふとポケットをもう一度確認したら、他の作文だけなくなっていたのだ! こんなこと、ぶっちゃけて、科学部としてもおかしいとしか言いようがないぞ!」

「じゃ、じゃあ……アンタ……食べたんじゃないの……!?」

「バカなことを! 吾輩は、読まずに食べた白ヤギさんではないぞ!!」

 

 ……そうなるのって。

 

 

 

「なんだか……スリの犯行に遭ったみたいじゃないか?」

 

 俺の“スリ”という言葉で、わずかに裁判の空気が揺らいだ。

 誰かが動揺したのだろうか? 整然とした場が綻んだように見えた。

 

 

「七島さんの言う通り、手慣れた犯人……その可能性が高いですね。おそらく、紅さんの“保健室の鍵を盗んだ方”と、井伏さんの“作文を盗んだ方”は同一人物と私は睨んでいます」

「そうなの? たしかに私も落とした感覚はなかったけれど……」

「だから、このような情報隠滅をしたのが、今回の井伏さんを殺害した犯人ではないか……今、私はそう考えております」

 

 井伏を殺害した犯人と聞いて裁判上の空気が熱くなる。

 疑心暗鬼の視線が交差し、口舌のバトルが開幕する。

 

「お、おいおい! 誰だっていうんだよ!?」

「じゃあ黒生寺がアヤシイって! だってアンタ、夜中、ずーっとトレーニングルームにいたんでしょー?」

「俺は犯人じゃねえ……そこのアマが証拠になる……」

「はい、芙蓉たちにはアリバイがございます! 芙蓉は黒生寺さまとトレーニングルームで一晩中お手合わせをしておりましたので!」

「そ、そもそも、アンタたち……お、お手合わせって、なにしてたのよ……! 男女二人きりでお手合わせなんて、どっ、どどどどう考えても」

「×××じゃねえ…………今の銃声音はなんだ……?」

『検閲だよ、検閲! ボクにだって、そういう権利はあるの!』

 

 まあ、今のは……マナクマが正しいかもな。

 角が唾をごくりと飲んでから、「あの」と呟く。

 

「芙蓉は、黒生寺さまと戦っていたのでございます」

「ふん……鍛錬中に、このアマがやって来たから……追い返そうとしただけだ……」

「一進後退でございました! 格闘術の取っ組み合いで揉みくちゃでございましたのです!」

「マジー? 角ちゃんたち、マジもんのファイティングっちゃったわけ?」

「で、でもよ、男女二人で夜中って言ったらどう考えても……ま、まあいい。っつーか、おめーら少年漫画かよ!?」

「漫画は喧嘩したら仲良しこよしになるだろ……だが、俺は違う……このアマを……俺は本気で潰すと決めた……この学園での……俺の目標となった……」

 

 黒生寺の殺気がさらに黒くなったように見えた。

 殺気なんて抽象的で、目に見えないはずなのに、なぜかそう見えたのは……なんなのだろうか。

 しかし、俺の隣に立つ角は平然と、朗らかな笑みを湛えていた。

 

「黒生寺さまは、十分、お強いのでございます。芙蓉を目標にすることはないのでございます! 芙蓉はこんな怪我をしてしまったのでございますから……」

「でも、ムッシュ黒生寺のほうが、ヴィンテージパンツのようにボロボロじゃないか!」

「貴様うまいこと言ったつもりか……? お前の骨の髄まで食いちぎってやるぞ……」

「ウーララ!? そ、それはカンベンしてほしいし、ムッシュこそ、さらにうまいこと言うね!」

 

 ランティーユはひきつり笑いを浮かべながら、強盗に遭った銀行員のように両手を上にあげた。

 黒生寺もなんというか……弱いんだか強いんだか分からないな……。

 

 

 

「でもさあ、共犯って可能性もなくはないんじゃないかなあ? イロモノな夫婦だしさあ」

 

「そうは言うけどムッシュ。共犯をしてメリットはあるのかい?」

 

『はい! 共犯しても、クロだけが卒業ですからね! 殺ったね!』

 

「そ……っ! そそ、そーなのだ! だだだだいたいさ、こ、この中に犯人なんていないのだ! いないよね?! あっ! いちおう言っておくけど、あたしは井伏っち殺してないのだ!! だ、だってドロボーは人殺しなんてしないもんね!? そうなのだもんね?!」

 

 

 

 …………ええと、さて。

 

 これは、どう指摘すればいいのか困るな……。

 とりあえず、俺はポケットに手を突っ込んで"あるもの"を取り出した。

 

「ドロボーが人殺しをするかは、さておきだけど……まず、みんなにこの作文を見てもらいたいんだ」

 

 そう言って、俺は捨てられるはずだったあの“作文”を提示する。

 多分、これで、いいはずだよな……?

 

 

 

 

 

 万引きをしてしまった。

 金に困っているという理由で、金品を盗んできた。

 いままでバレたことはない。。

 サラリーマンから ■布から時計、■指 もなんでも盗んだ。

 身なりのいい女、弁護士など……金目のある人をねらって、スリもやった。

 一番金があったのは、■■公■樹  

 アイツを狙ったときは金には困っていなかったのに。

 どうしても、魔がさすと、スリルに身をまかせてしまう。

 このまま、ずっと続くのだろうか。

 

 

 

 

「うん? なんだねこれは。鼻をかんだ後の紙ごみかね?」

「少し字がちぐはぐだね。日本語に慣れてないっていうか……あっ、でも、ぼくじゃないよ!」

「いいえ、分かってるわ。だって、これって……」

「ちょ、ちょっと……ウソでしょ!?」

 

 事を知っている女子たちが、この作文を見て明らかに狼狽え顔をしかめ始める。

 

「これはある人物が落とした作文なんだ。俺じゃなくて、白河が保管したものなんだけどな」

「ふうん……それなら、これはだれの作文なのかなあ?」

 

 十和田の声に合わせて、ゆっくりと一呼吸を置く。

 そして、俺が指名したのは――。

 

 

 

「なあ大豊。お前なんじゃないのか? お前が“保健室の鍵”を」

「うわ゛ああああぁぁぁん!! ごべんなざいなのだぁあああぁぁっ!! あたしが盗んじゃったのだぁぁ!!!」

 

 

 え!? は、早いっ!?

 

 俺の困惑とともに、大豊はぐしゃぐしゃの号泣顔で動揺があっという間に広がる。

 たしかに、ドがつくほど単純でなにごとにも素早い彼女ではあるが、ここまでいきなり自白モードだと逆に話を広げづらいな……!?

 なにより、この大豊の表情に、真っ先に飛んできたのは、「ムッシュ!」という怒声であった。

 

 

「なんてことだ! ムッシュ、マドモアゼルを異端者のように扱って、紳士として恥ずかしくないのかい!? いきなりそんなことを根拠もなしに言うなんて、あまりにも残酷じゃないか!」

「い、いや、根拠はあるんだ。この作文は大豊が確かに持っていたことが……紅や角、真田、白河も知っている」

 

 ランティーユは、俺がそう言ったメンバーの顔をきょろ、きょろと確認する。

 

「ウ……ウソだろ? そ、そんな……ぼ、ぼくは……信じないぞ、ぼくは! だって、マドモアゼルは……!」

「お前が信じられないのも分からなくはない。けど……これが、事実なんだ。大豊を見れば分かるだろう?」

 

 俺の言葉。そして、白河達の視線にも気づいたのか。

 ランティーユは、う、うう……と汗と涎と鼻水、涙も一気に出して裁判台に両肘をついて頭を抱えた。

 相当、大豊と一緒に……いや、大豊とは別の意味で参っているようだ……。

 

「お、おい大豊、泣くのはいいが答えろ! どうしてそんなことをしやがったんだよ?!」

「だっ、だだっでぇっ!! ごわがったんだもん! “あんなメモ”が、とどいぢゃっだんだもん゛っ!!」

 

 滝のような涙を流しながら、おんおんと彼女は泣いている……でも、大豊の口から出てきた“ある言葉”が引っかかった。

 

「な……なあ、メモってなんだ?」

「ふごんっ、うぐんっ……な、なんなのだぁ……」

「さ、さっきお前が言ってたことだよ。“あんなメモ”って……それって、見せ……られるか?」

「ん゛ぐっ、おぐっ……ご、ごれなのだぁ……」

 

 しゃくりあげる大豊から、小さな方眼紙のメモが差し出された。

 端が波を打ったようにささくれていることから、なにかのメモ帳から破いたのだろう。

 そこには、なにかが書かれているが……。

 

 


 

 ほけんしつの かぎを くれない もみじ から ぬすめ

 そして ほけんしつを めちゃくちゃに しろ

 さもなくば おまえの つみを ぜんいんに ばらす

 おまえの つみは すでに おみとおし

 


 

 

 

 ……なんだ、これ?

 機械的な文字にシンプルな文章だ……手書きの文字ではないのは明らかだ。

 

「なんだ? これは怪文書かね?」

「コンピューターで入力した文字のようでございます……」

「ねえ、これって“和文タイプライター”で打ったんじゃないのかな?」

 

 天馬の言う通りだ。

 あのタイプライターは、キーボードでいう“かな入力”式だ。

 平仮名のみで書かれているのも頷ける。

 

「なあ大豊。これが届いたのはいつか、分かるか?」

「びえっぐ、うえっぐ……あ、あさ8時ちょっと前に……ドアをあけたら落ちてたのだぁ……っ」

「じゃ、じゃあ、朝の8時ぐらいに、紅に会ったのか?」

「ぞ、ぞうだよぉ。ぐ、ぐれないっちの、おべやを、ぴんぽんって鳴らしたのだぁ……!」

「……言われてみればそうね。あなた、朝方に私の部屋に来たわよね? “8時ぐらい”に……まさかあの時なんて」

 

 つまり、大豊はこの脅迫をもらったから、紅の元に行って、彼女から盗んで保健室を荒らしたというわけか。

 ……でも、なんで大豊が“保健室を荒らす必要がある”んだろう?

 

 

「でも、そーなるとよ……この脅迫状って書いたの錦織になるんじゃねーか?」

「は、はぁ……っ?!」

 

 俺の疑問の前に、萩野が錦織の名を出した。

 その言葉が発されるや否や、錦織は病気がちの大和撫子顔から、三白眼と歯茎を剥き出しにして鬼の形相へと変わる。

 

「ま、まさか、タイプライターが図書室にあるから……? 科学室=科学部並に単純すぎて心外だわ……!!」

「なにもそんな嫌がることではないだろう! 単純ではないはずだぞ!」

「そ、それは、アンタの場合でしょう!? 私は不快なのよ……っ!!」

「でも錦織。天馬から聞いた話だけれど、あなたはずっと図書室にいたのよね?」

 

 紅が指摘すると、少しだけ錦織はバツが悪そうに視線を落とす。

 

 

「ぐっ……! 口伝えの情報は好きじゃないけど……でも、指揮者の言う通り……夜中は図書室にいたけど……でも、知らないのよ……誰か来ていたなんて……」

 

「おいおい、んなことあんのか?」

 

「あ、あるのよ、そんなことが! 第一、私は“図書準備室にずっといたの! わかるはずない”でしょ!?」

 

「いや、わかるだろ!? 普通はよ!」

 

「待った!」

 

 萩野が怒号を飛ばすが、俺はそれを止めた。

 少し萩野が豆鉄砲を喰らったように目を見開いて疑念の瞳を向ける。

 

 

「錦織の意見に賛成だ。図書準備室は“防音”なんだ。話し声も聞こえない。それなら誰かが来てもわからないはずだぞ」

 

 俺はきっぱりとそのことを言い切った。

 だけど、萩野も負けじと鼻息を鳴らして、俺よりも数倍も大きくて堅い握り拳を作った。

 

「なるほどな。だがよ七島。そうは言うが、錦織の疑いは完全には晴れねえんじゃねえか? 一応は図書室にいたってことは、錦織も認めてるじゃねーか」

「あ、ああ。それは……えっと……」

「ちょ、ちょっと……! なに口ごもってるのよ……!? ますます、私を袋小路に追い詰めるつもりなのね……!? 私が嫌いだから!? それとも逆に好きだから意地悪するタイプなの!? そうやって、人の好感度を弄ぶつもりなのね?!」

「で……でも、仮に錦織が図書準備室にいたなら、他にも犯人がいるってことにはなるんじゃないのか?」

「そ、それでも、仮に、じゃない……とんだ気休めにもほどがあるわね、爪の根元に白い部分がないクセに生意気よ……!」

『仮? 仮といえば、この小せ……うがんぐっ!』

「というか、爪のことは気にしてるから指摘しないでくれ! じゃなくて!」

 

 ああ、だめだ……わけが分からなくなってきた。

 今は一体なんの話をしているか分からなくなって、混乱してきたぞ……。

 「あの」と白河の声が一旦飛んでくる。

 

「七島さん、大丈夫ですか? とにかく誰が大豊さんに送ったかは、今は保留しましょう。脅されたとしても現にやってしまったのは……彼女ですから」

「が、がのじょっで……あ、あだじのご……? う、うわああああああぁぁぁぁん!!!」

「あああ……お、お願いだから、泣かないでくれ、マドモアゼル!  ぼくはたとえ、君がジャンヌ・ダルクの如く火刑にされようとも、身を呈して助けてあげるから……た、頼むよ、マドモアゼル……そんな……泣くのはノンだよぉ……」

「そ、そーだよ、大豊ちゃん! 心のコーセイぐらいはできるよ! コーセイできるのに、しないヤツなんてたくさんいるんだからさ……」

 

 そう言って真田がちらりと黒生寺を睨みつけていた。

 相変らず、抜け目がない正義感だな……。

 

 

「とにかくよ。大豊に聞こうぜ。どうして井伏を殺しちまったかを……」

「待ってちょうだい」

 

 萩野の促しを止めたのは紅だった。

 なにかを考え込む仕草で、顎に手を当てて深刻そうに一点を見つめる。

 

「そんなことあるのかしら? 大豊が鍵を盗むなんて……」

「あーあ、またお情け? こんなアホなチビにできっこないって? アホだろうがチビだろうがなんだろうが、やったことは変わりないよねえ?」

「そうだけど……でも、大豊が……?」

 

 なんだかさきほどから、紅が納得していない様子だ。

 たしかに彼女は仲間思いで情に深い一面はあるが、理論的な思考も持ち合わせている――ちょっとだけ踏み込んでみるか?

 

「紅、なにか気になる点があるのか?」

「あのね……私が今日初めて大豊と合った時間は朝8時……自室で水着の準備をしているときにやって来て、突然“体当たりされたのよ”……」

「体当たりでございますか?」

「まるでスペインの闘牛のようだったわ。ドアを開けるや否や、大豊がいたの。あいさつをしようと思ったら、私の懐に走ってきてぶつかってきたものだから。思わずしりもちをついちゃったの。それで、すぐに逃げられちゃって。その時は私も寝ぼけてたこともあって、大豊が転んだだけかなと思ったから、大して気にも留めなかったのよ。でも、今考えれば、その時に盗まれてしまったのかしらと思って……」

 

 ……え? ちょっと待てよ。

 たしかに、紅が納得する理由もわからなくはない。

 だけど、言葉の端々に違和感が残っている。

 

「なあ、大豊。これっておかしくないか?」

「えっ? な、なにがぁ……?」

「だって大豊……お前は万引きやスリをしてたんだよな? それなのに、こんな当たり屋のようなやり方だったら、さすがにバレるんじゃ……」

「……へけ? な、なんの話……?」

「なんの話って……おめー万引きしてたんだろ?」

 

 大豊は猫口のとぼけた顔で、ぴょこんと首を傾げる。

 ……あれ、なんだかおかしくないか?

 

「おい、大豊。だってお前の作文には万引きって……」

「あ、あたしの作文が、まんびき? あ、あの……ほんとうは言いたくなかったんだけど…………作文って、こ、これのことだよね?」

 

 そう言って、もごもご口を動かしながら大豊が見せたのは……作文用紙じゃないか。

 そこに、大きな文字で書かれているのは。

 スクリーンに映し出された作文は。

 

 

 

 

 

 

 

 あたしのつみは、としおのゲームをかりぱくしたことです。はんせいしてます

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 ……………………え?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……ええええぇぇぇえぇぇえっ!?」

 

 

 

 

 

 

 最初に素っ頓狂な声をあげたのは、まさかの白河だった。

 だけど無理はないだろう。俺だって、大きな声で叫びたかった。

 

「な、なんだね、これは! ありえないぞっ!?」

「マドモアゼルったらお茶目さんだね……で、でも、ちょっと、今はどういうことか分からないけど!」

「あ、ああ、えっと……つまり……わけがわからないのでございます!」

「みっ、みんな、いったい、どうしちゃったのだ!?」

「あ、あのね、大豊、私たち実は見ちゃったのよ……昨日、あなたがゴミ捨ての時に転んだ時に、あなたが手に持っていた作文が見えちゃったのを……」

「ど、どういうことなのだ!? と、としおのことみんな知ってたの!?」

「そうじゃなくて……あなたが手に持っていた……」

 

 紅の言葉にぽかんとした表情であったが、やがて、大豊も顔を青ざめさせて「はむうっ!?」という奇声をあげた。

 『万引き』、大豊から放り投げられた作文の字面は……いや、待てよ。

 

 あの字は、大豊のものじゃなかった?

 現に俺は、大豊の字を知っていたじゃないか。

 第一の事件が起こる前の、四月一日の勉強会の時。

 あの時に見た大豊の字と、ダイナミックで今見た字とそっくりじゃないか。

 

 

 そうだ、"万引き"だけの文字を見ていた、俺たちが勘違いをしていただけだ!!

 

 

 しまった。あの時見たのは一瞬だったのもいけなかった……!

 しかし、万引きの作文が大豊のでないのなら、あの作文は誰のものだ?

 

 

「大豊、一体、どうしてお前は作文を二つ持っているんだ? じゃあ、あれは誰の作文だ?」

 

 

 そう言って、俺はスクリーンに映し出された“万引きの作文”を指さす。

 しかし、大豊は口を閉ざしてだんまりだ。目も閉じている……言いたくないのか?

 

「大豊、教えてくれ。“万引きの作文の本当の所持者”と“保健室の鍵を盗むようにと言われた人物”は同一人物なのか?」

「あ……あうう……それは、言えないのだ……」

「い、言えないって……アンタ、犯人とグルね……!?」

「ち、ちがうもん! “捨ててほしいって頼まれた人”は言えないけど……そもそも“保健室の鍵を盗んで”って頼まれたのは、あのメモだけで、名前も書いてないし、メモだけ置かれてたからわかんないのだ!」

「じゃあ、“作文を捨ててほしいって頼んだヤツ”だけでも答えろよ!?」

「や、やなのだっ! そんなことしたら、きっと、あんなことやこんなことされちゃうのだ!」

「なななななんんだってえええっ!? マドモアゼルに×××や××××を……!?? なんてこった、許さないぞ! ぼくは絶対にマドモアゼルを救う! 犯人をとっちめてやるぞぉっ!」

「そんなことは言われてないのだ!!」

 

 あの、“タイプライターの脅迫状”と盗んだ人物は……同一人物。

 これが、真犯人なのだろうか?

 

 白河はごほん、ごほんと声を整えて困惑を滲ませる。

 

 

「え、ええと? では、あなたは井伏さんの作文を盗んでいない……?」

「そんなの知らないもん! あたし、持ってないもん! 井伏っち殺してないもん!」

 

 

 やはり、か。

 大豊は井伏を殺してはいないか……なんとなく殺したことに泣いている感じでもなかったしな。

 しかし、あまりに単純だと、信じていいのか信じられないか迷うところだな……。

 

 

「諸君、“脅迫状”はひとまず置いておいておこうではないか! 大豊が知っている、作文を捨ててほしいと頼んだ人を探すのが賢明ではないかね? そうすれば、自然と“脅迫状”を送った人物も分かるはずだぞ」

「はぁ、肝が冷えました…………大豊さん、これが最後です。言ってくれませんか、作文を捨ててほしいと頼んだ人は誰ですか?」

「の、のーこめんとなのだ……」

「黙秘権ですか、仕方ありませんね……どちらにせよ、あなたが黙っていようが、犯人は見つけますよ」

 

 冷静さを取り戻した白河は静かに言い渡すが、その瞳の奥は完全に軽蔑の色を示していた。

 裁判場では強かれ弱かれ、不審の眼差しが矢のように大豊に突き刺さっている。

 ただ、一人、ランティーユだけは……大豊以上に物苦しそうに彼女を見つめていた。

 

 

「じゃあ、もう一度。作文用紙を見てみようよ」

 

 

 淡々とそれでも穏やかに天馬はみんなを促した。

 大豊のことも気になるが……でも、今は、こちらに集中しよう。

 

 

 

 

 万引きをしてしまった。

 金に困っているという理由で、金品を盗んできた。

 いままでバレたことはない。。

 サラリーマンから ■布から時計、■指 もなんでも盗んだ。

 身なりのいい女、弁護士など……金目のある人をねらって、スリもやった。

 一番金があったのは、■■公■樹  

 アイツを狙ったときは金には困っていなかったのに。

 どうしても、魔がさすと、スリルに身をまかせてしまう。

 このまま、ずっと続くのだろうか。

 

 

 

 

 これが大豊の作文でないなら、誰の作文なのかが問題だが……。

 

 

 

「それにしても、さっきの井伏の作文と、スリがどう関係するのかが分からないわ」

「それは後半部分を見なければわかりません。だから、井伏さんの作文を盗んだ人を――つまり、万引きの作文を書いた人を探しましょう」

「ってか盗みをしそーなヤツって言ったら、やっぱりコイツしかいないっつーの!」

 

 真田が長い付け爪の指で示したのは黒生寺だった。

 最初の言い合いで疲れたのか、黒生寺の目つきは寝起きの如く悪い。

 

 

「たしかに、俺は金には困ってた……だが、今は金がなくても生きられる世界だ……盗みなんてするかよ……」

 

「どうして、大豊さんに頼んだんだろう? 運の良し悪しにせよ、捨てるってことは、自分でやったほうが安全だと思うよ」

 

「単純に、“大豊に罪をかぶせようとした”んじゃねーのか?」

 

「なんてヤツだ……こんなに幼気で無垢なマドモアゼルに、なんて卑劣な行為をっ! きっとマドモアゼルのイノセントなハートに嫉妬した悪魔が犯人なんだね!?」

 

「きっとダストルームにイヤな思い出があって行けなかったのでございましょう……芙蓉も病院は怖い思い出しかないのでございます……」

 

「そ、そういうもんなんかよ?」

 

 

 天馬の言う"自分で捨てなかった点"と、角が言う"ダストルームに嫌な思い出"……とは言えないかもしれないけど。 

 今ある情報と、この言葉を繋ぎ合わせれば……。

 もしかしたら、答えが導き出せるかもしれない。

 

「いや、角の意見に賛成だ。大豊に作文を捨てるよう頼んだ人は、ダストルームに行けなかったんじゃないのか?」

「ど、どうしてだい!? その人は相当の潔癖症だったりするのかな?」

「恐らくその人物は、今までゴミ捨て場という場所が、本当に怖くて行けなかったんじゃないのか?」

「どうしてそんなことが言い切れるのかなあ? そもそも怖いなんて、なにが怖いっていうのかねえ?」

「火、だと俺は睨んでいるんだ」

『ふぁいやー! ばっよえーん!』

 

 マナクマが場違いなほど大きな声を出すが、それは無視する。

 黒生寺は、マナクマも俺の意見も半分聞き流しているようで興味がなさそうに目を細めた。

 

「火が怖い……? バカバカしい……ガキじゃあるまい……」

「たしかに、そうそうないだろう。火が怖かったから行けないなんて……でも、実際、“そうであるかもしれない人物”が今のところ、俺には一人思い浮かんでいるんだ」

「そ、それは、どなたでございますか?」

 

 俺はその人物を見て、ぴたりと人指し指で示した。

 

 

 

 

「十和田、お前じゃないのか?」

 

 

「……はあ?」

 

 

 

 俺の指摘を吹き飛ばすかの如く、彼は大きな声で疑念の声を発した。

 忌々しそうに、聞いてられないと言わんばかりに大きな鼻息を吹きだす。

 

「アンタ、本気で言ってるの……? コイツは手品師よ……火を怖がるというの……!?」

「まったくだよねえ? そんなのに怖がってたら商売にもなんにもならないよ。ミドリムシは、諭吉も触ったことない貧乏人だからわかんないと思うけどさあ」

「でも、お前は過呼吸を起こすぐらい動揺してたことを俺は知っているんだ。“ライターを見た”だけでな」

 

 ライターというと、真田が「あっ」と声を上げて、ぱちんと手を鳴らす。

 

「そーだよ、うちも見た! アンタ、パニクってたよね?! プールのスイカ割りで『ぎゃー』ってスタコラサッサしちゃってさー!」

「馬鹿だなあ、ライターで動揺なんかするわけないよねえ、急に具合が悪くなってトイレに駆け込んだだけで……大体、寝不足だったからさあ」

「でも、寝不足にしたって、本調子だったじゃねーか? ふっつーにイヤミとか言えてただろ!」

「お前に言われたくないんだよなあ。この暴力沙汰野郎」

「ん、んだとー!? ボクサー馬鹿にしてんじゃねえ!!」

「やめたまえ! そんなにカッカすると青少年に重要な成分であるカルシウムがどんどん減っていくばかりだぞ!」

 

 だんだんと意見がずれてきてしまった……いや、そうさせられているのか?

 十和田は手品を披露するときも、たとえ失敗のときでも、表情を変えずに隠してきたのだろう。

 堂々と、巨体を揺すらせながら……だけど。

 ちらりと、俺の罪悪感が燻りながらも、ポケットの中に手を忍ばせる。

 

 

「……ごめん、十和田」

「あ、土下座してくれるの? 原生生物風情で人間になりあがろうとして申し訳ございませんでしたって謝ってくれるつもりなのかなあ?」

 

 

 

 口先では、勝てないなら……。

 

 

 

 

「種明かしを、してくれ」

 

 

 

 ゆっくりと、俺はポケットからライターを取り出して、彼に見えるように目の前に突き出した。

 

 

 

 

 

「、っあ」

 

 

 

 なにかがぶつかる音が響き渡る。

 一斉にその音に皆が注目する――視線の先の、巨体が小刻みに揺れていた。

 証言台を握りしめ、今にも逃げようと足を震えさせて。

 その顔は一気に色素が失せたように白くなり、目をそむけ、俺を視界に入れようとしない。

 

「っ、や、……なに、して、っお、い、やめ、ろやめろ、ばかやめろそんなものふざけんなやめろ、いやだいやだしまえしまえさっさとしまえよっ」

「あ、あれ? 十和田っち?」

「ちょ、ちょっと……十和田、あなた……」

 

 十和田の両隣に立っている大豊と紅……いや、彼女たちだけではない。

 他のみんなも彼のぶつぶつと呟く十和田の呪詛に近い声に唖然としていた。

 

「これでわかっただろう、十和田は……」

「七島さん、そこまでにしましょう。ライターを貸してくれませんか?」

 

 もう十分だろうと思ったら、白河が突然、俺に向かって尋ねてきた。

 十和田の様子を見て、さすがに罪悪感が湧いたのだろうと一瞬思った。

 だけど、「貸してください」……その言葉になんだか違和感を覚えた。

 

 

 ……まさか。

 

 

 首を振ろうとしたが、有無を聞いていないように、白河は歩み寄って来て手のひらを見せる。

 恐る恐る、俺はライターを乗っけた。

 ちらりとこちらを見た十和田は、白河の手に渡って、少し気が緩んだのか余裕のある横顔を見せた。

 ふ、ふふ、とまた意地悪い笑みを浮かべる。

 

 

「……っあのさあ。ライターだけで僕が炎が苦手なんて立証できないよねえ?」

「は、はあ!? おめー、まだ言うのかよ! あんな、びびっておいてそりゃねーだろ!?」

「びびった? ああ、たしかにねえ。寝不足で倒れかけたら、みんなが一斉にこっちを向いたからびびっただけだよ」

「チッ……ああいえばこう言いやがって……要は、“炎がある場所がダメ”なんだろてめえは……だから、焼却炉のあるダストルームも行けなかった……」

「あれれえ? クソ野郎、忘れちゃったんだあ? 炎のあるところと言えば、調理場もそうだよねえ? あのさあ、僕、何回かあそこにいたよなあ? 僕、炎がある場所でも平気なんだけどなあ?」

「ええ、そう言うと思っていました。しかし、調理場と焼却炉は違いがあります。その違い、ご存知ですか? 七島さん」

 

 “調理場”と“焼却炉”の違い。

 同じ火の気のある場所だが、違いがあるとすれば。

 

「……“焼却炉は人がいると自動的に火が点灯”する仕組みなんだよ。でも、調理場は、人が操作しなければ炎は出ない。人が操作すると分かれば、十和田……お前は逃げるはずだ。だけど……ダストルームはそうはいかない。人が足を踏み入れると“必然的に炎が出てしまうから”。だからお前はダストルームに行けなかった。でも、自分の作文をどうしても捨てたいと思っていた……だから、お前は大豊に作文を捨てるよう脅したんじゃないか。ちがうか?」

「めんどくさいことを言うんだねえ。君が言いたいのは、要するに……いや。やっぱりわかんないなあ。ミドリムシはさっさと水にお帰り」

「わからないならば私が教えましょう。つまり、こういうことですよ」

 

 

 

 白河が言い終わるや否や、ライターを突き出した。

 「え、」と十和田の毒舌よりも前に、素早く白河はライターに火を点し――。

 

 

 

 

 

 

 

「っあ、ああああああぁぁあああぁぁぁぁぁあああぁぁあっ!!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 鼓膜に一点が集中してなにかが突き刺さる。

 耳を引っぱたかれた時のように痛くなるほどの悲鳴だった。

 そして証言台が叩かれる音と一緒に証言台を背に向けて、彼はエレベーターまで走り抜けた。

 

「ぅおっ?! おいっ、十和田!?」

「なっ!? ちょ、ちょっと待ちたまえ!!」

 

 萩野がと円居が慌てて呼びかけながら、エレベーターのドアをめちゃくちゃに叩きつけ引っ掻く十和田を引き留めようと駆けだす。

 二人で両腕を持つようにして連行しようとするが、大きい体格と強い力に難航している。

 

「ま、待て落ち着けって! っつーか、おめーだけ帰んなよ!」

「そ、そうだぞ。十和田よ! こういう時はラマーズ呼吸法をだな!?」

『逃げるなんて青春だねー。子供だけが許される特権だねー。うぷぷぷ……』

 

 裁判場の動揺。マナクマの嘲笑。

 そして……。

 

 

 

「あぁぁぁああぁぁああぁぁぁ……!! いやだいやだいやだぁぁっ!! あぁぁああぁぁぁぁああぁ!!! だれか!! なあだれかそこにいるんだろ助けてっ開けて開いて開けよぉなぁ助けっおねが、だれかっぁ゛、あぁぁっ、うあぁぁあぁああッ!!!」

 

 

 

 

 心臓を千切られているような十和田の絶叫と懇願。

 それらが全て混じり合った……異様な場面であった。

 

 十和田の鎮静化には幾分かの時間がかかった。

 萩野たちが彼をなだめさせて引きずる形でなんとか再び証言台に立たせた。

 立たせた、というより、証言台に立たせてもらっているようだが……。

 

 

 

「あなたは、火の気のあるところに行けないんじゃないんです」

 

 

 一悶着が終わって、最初に口を開いたのは白河だった。

 

 

「火を見ることを恐れるんです。異常なまでに」

 

 

 火が苦手だと薄々確信していながらも。残酷なことをしたにも関わらず。

 白河は眉根一つ動かさずに十和田に言い渡した。

 「くそが」と息を切らしたまま、目元の汗を拭いながら十和田は吐き捨てた。

 

 

 

「……はっ……そ、そうだっ……そうだな……っ! っじゃあ、こう言えば、もっと満足か……!? 僕があのチビに頼んだ……作文を捨てろと頼んだのは僕……っ!」

 

 

 

 十和田はぜえ、ぜえと息を荒くして証言台の縁を必死に拳で握りしめる。

 今にも崩れかかれそうなほどに前のめりになり、声もカラスのようにガラガラだ。

 さらに、十和田は白河をぎらりと睨みつける――裏切ったな、と言わんばかりに。

 

 

 そして。一息をついて――叫んだ。

 

 

 

 

「そうだよっ、僕だ……っ! 登山家くんの作文を盗んだのは僕だ!!」

 

 

 

 

 

 

 十和田の激昂に近い宣言に、裁判は静まり返った。

 最初に呻き声のような声をあげたのは、腕を組み眉間に皺を寄せた円居だった。

 

「ぬ、ぬう。ごん……ではなく十和田。お前だったのか……しかし、なぜ、井伏の作文を盗んだのだね?」

「あ、あのさあ……ぜえ、はあ……そ、そもそも、最初に作文を見つけたのは僕だったんだけどねえ? 登山家くんの荷物からなにかはみ出てるから、なんだろうって思ったら……スリ、って書かれてあってさあ。まさか、彼の作文にも、僕の罪の内容が書かれているなんてねえ……?」

 

 ……井伏の作文に、十和田の罪が?

 いったい、どういうことだ? 

 

 

「じゃあ、お前は本当に万引きを……」

「っ、ああ……はいはい、その話は後にしようか。そこで作文を隠そうと思ったら、そこのイカレ科学者がやって来て、僕の手から、『証拠を見つけたのかね?』とかなんやら言って取り上げただろ? だから盗んだまでだよねえ」

「ん、んん? あの時?」

 

 きょとんとする円居に対して、十和田は呆れたように、もしくは疲れたように溜息を吐いた。

 円居から取られたものを取り返すため、というのが十和田の名目上の盗みの理由か。

 でも、それにしても……。

 

「でも、火が苦手だったなんて。そういえば、あなただけだったわね……前回の捜査の時も現場に来なかったのは……」

「そんなこと僕が一番分かってるけどなあっ……! 女優さんに顔向けできないじゃないか……」

「どうして、そこまで火を怖がるんだ?」

「火に嫌な思い出があるから……以外になにがあるとでも?」

「あ、あんた、明らかにヒステリーに近い症状だったわよ……」

「いっ……い、や、ちがう……僕は病気じゃないっ! おかしくなんかないからなっ!」

「ぬ、盗みはダメなことだし、マドモアゼルを利用したことは絶対に許せないけど……でも、トラウマなら意地を張らなくても」

「っな、ト、トラウマだあ!? ち……ち、ちがう、ちがう!! ちげえよ! ふざけんなっ!! なんなんだよ!? 僕は病気でもなんでもないからな!? 頼むから、詮索は鬱陶しいからやめてくれないかねえ!?」

 

 彼らの声を吹き飛ばすかの如く怒鳴り散らし、十和田は証言台を肘に置いて頭を抱えた。

 盗みをした張本人なのだが、この炙り出しだと、申し訳なさのほうが勝るな……。

 

 

「しかし、あなたの思い出や身の上はともかくとして……スリをしていた事実は重要ですよ」

「ご、ごめんね、十和田っち……」

「チビでバカでアホで走ることにしか脳がない虫ゴミは単純だからさあ。『捨ててきたら、おなか触らせてあげるよ』って言うだけで、うまく行くと思ったのにねえ。あーあ、期待外れだったなあ」

「そ、そんなあ……チビって言わないでほしいのだ……」

「マドモアゼル、君ってなんてポジティブなんだ……白無垢を着た天使のようにピュアだよ……」

 

 何故かランティーユが涙を流し始めて、鼻水もだらだらと落ちて口に入りかけている。

 なんだかんだ言って、ランティーユが一番泣いてないか?

 

 

 ……だが、そんな中、どこからともなく喉を鳴らすような笑い声が聞こえた。

 

 

「くく……ようやくボロを出したか……クソタヌキ……」

「……うへえ、なにその気色悪い笑い」

「喜べ……てめえの墓場がようやく決まったようだ……そのために泳がせた甲斐があった……」

「っはぁぁ? 悪いとは全く思わないけど、このゴキブリ、なにいってんのかわかんないねえ?」

「黙れ……これを見て、まだ言えるか……?」

 

 黒生寺はジャケットの内側から、折りたたんである黒い布をとりだした。

 そして、布をを見せびらかすように、ばっ、と広げる。

 隣の錦織が、「うっ……」と呻いて顔をしかめた。

 それは黒い布だった。黒で見づらいが……それでも染みの色は……

 

 

「…………は、はあ!? そ、それ……っていうか……なんでお前が持って……!?」

 

 

 

 たしかに血が付着していたことは明らかだった。

 水洗いをしただけなのか薄らと血らしき痕が見える。

 しかし、これを見て十和田が再び脂汗を流して動揺し始める。

 

「ランドリーの乾燥機の中に見つけた……狡猾なクソタヌキにばれないために、この時まで隠していた……」

「おめー意外と汚ねーマネを、いや奇策ってことか? ……っていうか、マジかよこれ!?」

「そ、そんなっ! で、でも本当にこれ十和田っちのものなの?!」

「ふん……ここに、"TOWADA YAKICHI"って書いてあるのが見えねーのか……」

 

 よく見たら、刺繍がきちんと入っている……黒生寺の言う通り、これは十和田のものだろう。

 

 

「えー、ちがうのだ! だって十和田っちの名前は、漢字の10って書いて」

 

「さようでございます! このローマ字は十和田様の名前を示しているのでございます!」

 

「だっ、黙れよ電波女っ! い、いいか、僕の名前は、漢数字の十と、和風の和に、田んぼの田の十和田なんだからなっ!?」

 

「あ! そーいや、アンタさ! ランドリー付近で朝うろちょろしてた……」

 

「だからさあ! これを“探すために出歩いてた”って言っただろ厚化粧! その頭はマネキンなのかなあ!?」

 

 

 十和田が慌てて反論を繰り返しているが、彼の意見は不利に近かった。

 だけど、十和田の証言だけじゃ無理だが……俺の証言があれば。

 

「いや、待ってくれ! 十和田がその布を探していたことは本当だ!」

「あ……? この化け狸を信じるってのか……」

「"黒い布"は、現に井伏が持っていたんだ……昨日の夜、見たんだ。彼のボストンバッグの中から黒い布がはみでていたんだ」

「……へっ? つ、つまり……登山家くんが、見つけてくれたってことか?」

「ああ、そういうことだよ」

 

 珍しく素直に驚いた様子の十和田に俺は頷いた。

 だが、それに対して、錦織が咳払いをしながら睨みつける。

 

「ま、待ちなさいよ……アンタの言う本当は本当に正しいのかしら……その手品師が嘘を吐いていることだってあるじゃない……」

「嘘だあ? よく言えたもんだねえ、このゲロクサ女」

「わ、私の嘔吐物は……無臭だったわよ……!!!」

「どうだかねえ? 信じられないけどなあ?」

「えっと、錦織さん。証明手伝おうか?」

「いらないわよ!? と、とにかく、アルピニストが夜中に持っていたなら、手品師が殺して、布をランドリーに残したっていう可能性もあるんじゃない……!」

 

 確かにその可能性も一理はある。

 だけど…………黒生寺の持っている布をもう一度見る。

 長方形……いや、違う。“四角の右端のカド”が、切り取られている……?

 これって、もしかすると。

 

「十和田が犯人じゃない理由……角の腕に巻いている黒い布……それで証明できるかもしれないぞ」

「え!? 芙蓉でございますか!?」

「……角、本当にお前が巻いてるのは黒生寺のスカーフなのか?」

「は、はい。たしかに芙蓉は黒生寺さまから、『黒いスカーフがランドリーにあるからそれを勝手に使え』とのことで、拝借したのでございます。多少、大きかったので切ったのでございますが……」

「ほー、なるほどなあ…………って。それじゃねーかおめーよぉっ!?」

「え、ええっ!? ど、どういう意味でございますか!?」

「つ、つまり“角の巻いているその布”が、“十和田の黒い布の一部分”なんじゃないか?」

 

 その話を聞いて、角が慌てて巻いている布を取り外した。

 そして、黒生寺が持っている布と合わせると……ぴったり“黒い布”が整った長方形になった。

 黒生寺は不服そうな顔をした後に、ぎろりと角を睨み付ける。

 さすがの角も、「はう」と両手を頬に挟んだ。

 

 

「……だが……それが、どうしたって言うんだ……」

「角がこのランドリーに行ったのはいつだ?」

「"朝の8時"ぐらいだと思いますでございます。この……黒い布を裁断して、そのまま部屋に戻って巻いてから、プールには向かったのでございます」

「つまり、角が訪れる前に犯人がランドリーの乾燥機の中に、その布を入れたってことは間違いないな?」

「だがな……それもタヌキの犯行だろ……何度言えば……」

「でも黒生寺。名前が書いてあるのに、ランドリーに置きっぱなしにすると思うか? 洗うためとは言えさ」

 

 そういうと、黒生寺は眠そうな目を少しだけ見開き、軽く歯ぎしりをしたようだ。

 

 

「えーと。つまりさー? 犯人は“十和田の布”をセンタクキにポイクシャして、十和田を犯人にしようとしたって言いたいワケ?」

「では、“黒い布”は、なにに使われたのだろうかね?」

「恐らく……井伏を包んだんだろう。何者かが井伏をボストンキャリーバッグに入れて運ぶために……ロッカールームが犯行場所じゃないからな」

「恐らくそうでしょう。バッグに井伏さんを入れ、どこかからロッカールームに運んで……バッグが血で濡れていないのは、“黒い布”を使ったからでしょうね」

「僕を犯人に着させるため、ってことだねえ……はぁぁぁ……ムカつくなあ。そこまで恨み買われて生きているつもりじゃなかったんだけどなあ」

「お、おめー、それマジで言ってんのか……?」

 

 まあ、そこのところは十和田らしいと言ったところか……。

 俺の隣に立っている角が少ししゃくりあげながら、さめざめとアニメのキャラのように手を頬にあてて涙を流している。

 

「あ、あの、十和田さま! その、布を切ってしまってごめんなさいでございますぅ!! こ、このお代はいつかきっちり耳を揃えてお返しいたしますでございますから、どうか、どうか!」

「……まあ、命助けてくれたから、多少はマケてあげるけど……じゃあ、100はよろしくね」

「ありがとうございます! ワンコインなら、なんとか……」

「いや、お札のほうだよ。万札ね」

「ええと、それはつまり……ひゃっ、ひゃっくまんえーん、でございますか!!! ……あ、ああっ……」

 

 十和田の言葉を聞いて、角は白目を剥いてそのまま背中を後ろに倒して……って、危ない!

 隣にいたため、彼女の背中をなんとか支えて頭から倒れるということは避けられた。

 

 ボストンキャリーバッグに入れて運ぶ、ということを話した時に思い出した“犯行場所”……

 それらもそろそろ、明らかにしないといけないだろうな……少しずつ、確信とまではいかないが。

 

 

 

「十和田さん。そろそろ、あなたが盗んだ井伏さんの作文の後半部分を渡していただけますか? ダストルームに行けないあなたですから捨てるという選択肢はできない。だからお持ちですよね?」

「ダメだって言ったら、お前はどんな顔をする?」

「……どんな顔をすればいいんでしょうか」

「冗談だけどなあ? だって、僕は犯人じゃないからさあ。まあ、こういうの渡さないと困るの僕だから見せるけど…………ああ、だけどさ」

 

 くく、と笑いながらも、その笑顔はいつも以上に歪んでいた。

 いつも身に着けている道化の仮面が剥がれかけているような。そんな感想を抱かせた。

 しかし、その仮面がふと、削げ落ちた。

 

 

「僕が隠したかったのは自分の罪だけじゃない」

「え?」

「あんまり情は持ちたくないけどさあ……僕たちは女優さん……藤沢さんの思いを踏みにじったまま死なせちゃっただろ? あのクソアタマが硬い女によって、秘密の話をばらされちゃって殺されちゃって……だから、登山家くん……井伏くんの作文も、正直なところ、見せたくなかったんだけどなあ。それでも見たいのかよ? なあ、お前らは、わかっているのか? 僕の持っている井伏くんの作文は遺書じゃない。井伏くんの悔やんでいる罪だ。それでもヒトモドキたちは見たいのかなあ?」

 

 俺は十和田に射竦められていた。

 作文は井伏の遺書じゃない。

 俺たちは井伏の罪を……彼の秘密を知ろうとしてしまっている。

 

 

 

「そこでね。交換条件として誰か一人の罪をバラすとかは、どうかなあ?」

 

 

 

 十和田の意見に頷きかけた刹那、彼はとんでもない条件を持ちだしてきた。

 

 

「は、はあ!? なによ、それ……! さっさと見せろって言ってんだから、見せなさいよ……!?」

「やだね。僕だってこんな形で作文を発表されるなんて思ってもみなかったしさあ」

「あなたの気持ちは分かるわ。だけど、他の人たちの罪を明かすのは私も反対よ」

「そーだよ! っつーか、やっぱり、アンタが犯人でしょ? ゼッタイそーだって! そんなコト言うなんてさ!」

「何回言えばわかってくれんのかなあ、犯人じゃないって言って……だけど……っああ、もう……知るかよ!! この際、僕が犯人とか犯人じゃないとかどうでもいい!!」

 

 十和田は証言台の縁を握りしめると、檻に閉じ込められた動物のように大きく揺さぶる。

 

 

 

「何度も言うぞ! これは僕のためでもあるけど、井伏くんのためだっ! 彼だって、こんな形で自分の悔やんでいる罪を知られたくなかったはずだっ!!」

 

 

 

 だが、十和田のいう事は、その通りでもあった。

 井伏がいない、その今――俺たちが井伏の罪を知っていいのだろうか。

 

 俺の罪は……しょうもないものだけど……。

 俺が明かせば、一応、交換条件には達するはずだ。

 少しずつ、俺は手をのろのろと挙げようとした瞬間――。

 

 

 

「うっし、わかったよ。じゃあ俺だ」

 

 

 

 誰かの声……いや、誰じゃない。

 誰よりもなによりも知っている声。

 

 

 

「俺の罪が交換条件だ。これでいいだろ? なっ、十和田」

「……え、萩野!? ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 俺は考える前に、萩野に声をあげていた。

 だけど、萩野はこちらを向かず十和田に視線を集中させている。

 

「い、いや、十和田、萩野じゃなくて俺が罪を言う! だから萩野は言わなくて」

「いいよ? 君は勝手に言ってればあ? 君の罪なんて等価交換にならないだろうけど。だけど……このチンピラの罪は等価になるって言ったら、君でもさすがに殴るか?」

「っっ!! 十和田、お前……!」

「七島、落ち着け。大丈夫だからよ。罪を話すぐらいで俺は死にゃしねえさ」

 

 「萩野」という呼びかけは俺の喉の中で止まる。

 俺の言葉は、彼の笑みに終着した。

 彼は笑っているのに、何故か不安がいっぱいだった。

 ああ、なぜだ。この笑顔に、なにもかも――いつも誤魔化されているような気がして。

 俺の不安をよそに、すう、と腹式呼吸で萩野は息を吸って、俺たちを静かに見据えた。

 

 

 

「いいか、話すぞ…………まあ、最初は罪っていうより、導入っつーか前提条件みたいな話だ……あー、そうだな。俺はな、“イノシカイチョーってヤツに会ったことがあるんだ”」

 

 

 

 萩野から飛び出した言葉は、判場の空気を騒然とさせることは簡単だった。

 

 

「な……っなに? どういうことだね!?」

「あの人と会ったことがあるって……萩野、あなたはいったい……?」

「あー、いや、違うな。会ったっつー言い方は、間違いか……正確には乱闘しちまったんだ。中学ンときか」

 

 ……えっ?

 乱闘。この言葉で、イノシカイチョーはボクサーだったか。

 そんなことを思ったが、そんなわけがない……

 

「バ、バトった!? イノシカイチョーってセントー民族なワケ!?」

「イノシカイチョー……戦闘能力はいくつだ……?」

「いや、違うだろ。チンピラのことだからリンチでもしたんだろ」

「そ、そんなことないだろ!」

 

 十和田の言葉に俺はすぐさま否定をした。

 だって、こんなことおかしいじゃないか。

 

「そんなことするはずないだろ! 萩野はボクサーだ! 厳しいジムに入っていたんだぞ! そんなことしたら一発で破門になって……!」

「中学ンときだ七島。まだクソみてえな生活してる頃だよ」

 

 俺の弁明が萩野の一言で吸いこまれる。

 

 

「リンチというより、いわゆる親父狩りだ。同じ掃き溜めのような不良どもとな……でも、信じてくれねーかもしれないが、自分は止めたほうなんだぜ。かたっぱしに不良どもをぶちのめした……はずだったんだけど……例のイノシカイチョーには同類だって思われたみたいでよ。ま、当然の反応だろうけどよ。殴られかけたんだ。それに思わず体が反応できなくてよ……そのまま……あいつの肩に……その、一発だけ拳を入れちまって、あいつの腕を壊して……いや、壊すっつーのも、違うな」

 

 

 どうしてだ。萩野。

 どうして、こんなこと。

 心臓が落ち着かない。心拍音のテンポが定まらない。

 必死に抑えようとしても、いつものリズムが刻めない。

 

 

 

「二度と動かない状態にさせたんだ」

 

 

 

 なにも知らなかった。

 

 

 なにもわからなかった。

 

 

 なにも教えてくれなかった。

 

 

 

 

「ジムのほうも、こんな過去あったら一発で破門なんだけどよ……希望ヶ峰学園の入学が決まってたのもあってオーナーも守ってくれたんだ。過去は過去だ、もう二度と繰り返さなければいいって……その言葉に俺は甘えちまった。だが、その後だった」

 

 

 

 俺は、知らなかった。

 

 

 俺は、萩野のことを。

 

 

 

 

 

「イノシカイチョーが転落死したっていう話を聞いたのはよ」

 

 

 

 

 

 俺は、知ろうとしなかった。

 

 

 俺は、分かろうとしなかった。

 

 

 

 

 

「すまなかった、七島」

 

 

 

 

 

 萩野の絞り出すような声が、ぽつりと裁判場に落とされる。

 試合でも滅多に見せない苦悶。萩野の悲鳴にも思えた。

 彼の大きくて屈強な体が降り曲がり、俺に向かって頭が垂れる。

 

 

「こんな卑怯だけどめっちゃくちゃ大事なこと、本当はおめーに先に言うべきだったんだけどな……ごめんな……こんな形で……だが、どうしても、これだけは知られたくなかったし、言いたくなかったのは確かだ。それに、お前に頼る問題じゃない。これは俺の罪だからな」

 

 

 ああ、そうだ。俺は知っている。

 萩野は強いんだ。

 

 

 

 

 

 

「お前の優しさに頼れなかった、俺のせいだ」

 

 

 

 

 

 そして、この謝罪は萩野の強さでもあり。

 

 

 

 たった一つの――

 

 

 

 

 

 

 

「僕が言うのもなんだけどさあ。最悪な話を聞いちゃったなあ……」

 

 

 

 

 十和田の声が萩野の波紋を掻き消した。

 十和田が萩野に向ける表情は……あれは、なんなのだろうか。

 いや、疑問を感じる余地もない……あれは、軽蔑だ。

 俺の中で、腹の底に、喉にカッと火が立ちのぼる。

 

 

「……まったく、どこまでいっても馬鹿は馬鹿だよなあ、ほんっと……人の腕壊すなんてさ。やっぱりお前はサイテーだよ。相手の人生をぶっ壊すなんてさあ……生きてる価値ないよねえ……」

 

 

 ダメだ。

 

 ダメだ。ダメだダメだ。

 

 

 ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ……

 

 

『あれー? 七島くん、オトイレー?』

「あ、あんた、しょ、書道家……!?」

「……っ!? おっ、おい! バカっ七島よせっ! 俺は……ッ!」

 

 

 俺は裁判台を降りて走り出す。

 俺は十和田に向かって一直線に駆けだす。

 

 壇上から突き刺さる瞳の数など、どんな色なのか、気になるものか。

 萩野の制止もどうだっていい。

 

 だけど、萩野の強さを馬鹿にするなどあってたまるものか!!

 

 

 いつもは筆を握っているだけの手のひらが鋭い握り拳を作った。

 

 

 

 

 そして、十和田の頬に――――

 

 

 

 

 

「十和田くん」

 

 

 

 

 ――っ!

 

 

 天馬の凛とした声が響いた。

 俺の足が止まった。十和田の冷酷な表情が天馬に向けられる。

 

「なんだと思ったら……不運女かあ。で、君は説教? それともビンタをするのかなあ?」

「ううん。私は萩野くんの過去を知ったけど、後悔はしてない。私は萩野くんの勇気を尊敬している。本当なら十和田くんや、大豊さんの罪がいたずらに明かされたことも本当は許されないことだし、こんなことはあってはいけないこと。だから、私は十和田くんと大豊さんの罪も軽蔑しない。私は受け止める。私は2人のことを知っているから」

「はあぁ、知ってるってねえ……まだ二週間も経ってないだろ。それで全部わかったっていうのかなあ?」

「ううん、まだ知らないことだらけだね。たぶん、これからも知らないことが多いし、すべてを知ることはできないと思ってる。だけどね、それでも私は、萩野くんも、十和田くんも大豊さんも……ここにいるみんなこと、これからも知りたいと思っている」

 

 知りたい、その言葉に十和田が少し怯えたような瞳を見せる。

 萩野も怪訝気味だが目を見開き、大豊も口をぎゅっとへの字にさせている。

 

 

 

「たしかに井伏くんは、作文を見せたくなかったかもしれないけど……でも、なにが書かれていようと、私は井伏くんは笑顔がステキで明るくて、だれにでも優しい、私たちの仲間だってことは忘れない。私は彼の今まで生きてきた証を見て判断する。不運如きが、こんなことを言うのも変かもしれないけど……でも、不運だからこそ言わせて」

 

 

 

 天馬の真っ直ぐな、底知れぬような瞳が、十和田を、萩野を、大豊を、みんなを。

 そして、俺を……覗いてきた。

 

 

 

 

 

「私は、真実を知りたい」

 

 

 

 天馬が言葉を紡ぐと、十和田は彼女の瞳から逃げるように目を伏せた。俺の握りしめられた拳も……また力無き手のひらへと戻った。

 十和田は、ちらりと俺を見た後、シルクハットを取り外した。

 

 

 

「ったく……なあ、ミドリムシ。君はさっき種明かしをしようって決め顔で言ったよな。でもド素人丸出し。へったくそすぎんだよなあ」

 

 

 シルクハットの中に大きな掌を突っ込んで、その中をかき混ぜるように探り、そして手を放り投げた。

 彼の手から放たれたのは、作文用紙たち。

 言葉通りの紙吹雪。ハトの大群のように、数枚の作文用紙がひらひらと宙に舞い飛び上がった。

 

 

 

 

 ――これが本当の“種明かし”だ。

 

 

 

 

 そう言わんばかりに、十和田は肩を落として舞い散る作文を眺めていた。

 滑らかに、作文が重苦しい空気の中で踊る。

 その作文用紙をカメラが追い、文章がスクリーンに映し出された……。

 

 

 

 

 

 

 掴みかかれたことによって、あの人と自分は揉み合った。

 自分は怖くなってしまって。

 

 ……ああ、この人は、なんて醜い姿なのだろう。

 恐ろしい、気持ち悪い、腹立たしい、どっかにいってくれ。

 負の感情のまま、強く、突き飛ばしてしまったのだ。

 

 もちろん屋上だからフェンスが備え付けられていて、あの人は金網に背を打ち付けた。

 襲ってきたのは向こうとは言え「しまった」と思い、すぐに「すみません」の準備をしようとした。

 だが、咄嗟だったこともあって頭になかった。

 この屋上は、本来立ち入り禁止の旧病棟で建物自体が老朽化していたことを。

 

 彼の背を打ち付けたフェンスが外れた。

 あの人は、屋上からパッと瞬く間に消えた。

 

 そのまま下へ下へと落ちたのだ。

 屋上から、真っ逆さまだった。

 赤い車に一回バウンドして、そのまま駐車場のコンクリートへと叩きつけられる音を聞いた。

 血が瞬く間に染みになって、服が摩擦で擦れ、あの人の目玉がぎょろりと飛び出しているのを上から見ていた。

 

 早く、警察に連絡しようと言ったが、周囲の大人たちが止めた。

 将来は山のエキスパート、しかも政治家の息子。

 殺人の罪をかぶせたくない、そもそも関わりたくないと彼らは言った。

 未成年の凶行を止めなかった自分たちに非があると責められたくなかったのだろう。

 

 当時、あの時の自分も殺人を認められなかった。

 幸か不幸か、彼らと自分の利益が重なってしまった。

 人が転落した。自殺だ。彼が止めようとしたがダメだったと口裏を合わせた。

 そして、罪を感じる暇もなく、気がついたら、周囲がなにもかもを埋め合わせをして『自殺』という判定が下された。

 

 新聞にも、雑誌にも、自分たちのことはなにも書かれていなかった。

 ただ、あの人の衣服には金品がまったくなかったため、強盗殺人ではないかと一部週刊誌では書かれているようだ。

 実質、同学年のスリらしき人がこの近くでうろついていた。

 超高校級の手品師がスリであるという噂も少なからずあったらしいが、そんなことはわからない。

 

 しかし、結局殺したのは、この自分、井伏歩夢だ。

 その事実は、自分の中では変わらない。

 一生涯、消えない過去と真実。

 

 

 

 

 俺は、人殺しだ。

 

 

 

 

 この学園内に、自分が殺したあの人の“娘”がいることは知っている。

 苗字を替えているが、いつか、必ず。

 

 

 

 

 この罪は明かさなければいけないのだろう。

 

 

 

 そして、それまで自らを断罪し続けなければいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――これ、は。

 

 

 

 あの人という言葉で終わっているが……俺はこの内容に似たものを聞いたことがあった。

 ざら、と脳内で映像が乱れる。

 

 作文用紙を見て、みんなは声を出すのも忘れて静かに困惑していた。

 みんな――そう、俺も含めて……。

 

 

「……それで? これを見てミドリムシくんはなにをしたい? こっちは右頬も左頬もがら空きだけど?」

「……マナクマ」

『なーに?』

「お前が最初に読み上げた、あの作文……もう一度、教えてくれ」

『あの作文? はいはい、わかったよ。もう一回読み上げてあげるからさ。ぼうやよいこだ寝んねしやがれー!』

 

 そう言って、マナクマは再び例の作文を読みあげはじめた。

 

 

『私はイノシカイチョーさんを見殺しにしました。

 中学3年生の時、私は死体を発見しました。健康診断のためにやって来た病院。

 私は人気の少ない駐車場を歩いていました。

 最初はホームレスが寝ているのかと思いましたが、全く動かなかったので私は心配になって駆け寄りました。

 それは新聞で見たことのある顔、イノシカイチョーさんだということがわかりました。

 しかし、その頭は血だらけで、服も破れ、生気のない瞳がぎょろりと飛び出していて、今にも目玉が飛びかかりそうなほどこちらを見つめていました。

 助けなきゃ。

 そう思いましたが、足がすくみ、石のように硬くなって動けませんでした。通報もできませんでした。

 私ができたことは、そのまま逃げることだけでした。

 ちなみに、後に知ったことですが、偶然にも目撃した同年代の学生が、私を含めて5人もいたそうです。

 イノシカイチョーさんはあの時点で、助からなかったでしょう。

 しかし、もし私が助けを呼ぶことができていたら……このことを考えると、私は罪深い人間と思わざるをえません』

 

 

 つまり、そういうことなのか?

 

 十和田はシルクハットを被り直しながら、マナクマを睨みつけていた。

 暴くべきではないと主張した井伏の罪。

 

 

 

 

 俺たちが辿りついた結論は、たった一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イノシカイチョーを殺したのは……井伏なのか……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一生、笑顔でいること。

 

 

 それが自分に課した罪だ。

 人を殺して笑顔でいる。

 表向きは優しく、裏は狂った人間であり続けるように。

 影を見せず、おぞましい罪を知られないように。

 

 同情されないように。

 自分は人殺しである“異端者”であることを忘れないように。

 苦しいけれど、笑顔でいることの罪。

 

 

 永遠に、苦しみを味い続けるために。

 

 

 しかし、これは正しいことだったのか。

 笑顔でいる度に、感情が叫ぶ。

 人間でありたいと思うようになって、また人間になろうとする甘えた自分が抱きついてくる。

 

 

 

 じゃあ、俺はどうすればよかったんだろう。

  

 

 

 感情を持たずにいればよかったのだろうか。

 

 あの人の代わりに落ちていればよかったのだろうか。 

 

 屋上に行かなければよかったのだろうか。

 

 怪我をしなければよかったのだろうか。

 

 

 

 アルピニストにならなければよかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 じいちゃん。俺はなにもかも間違えてしまった。

  

 間違えたまま、太陽に睨みつけられながら生きてしまっている。

 

 だけど、死ぬまで自分の罪は消えることは絶対にない。

 

 

 

 あの日から、俺は白に呪われている。

 

 

 白い太陽に照らされて、白を殺して真っ黒に汚れた。

 

 

 俺は白には二度となれない。二度となりたくない。

 

 

 

 

 

 

  

 だから、どうか、この穢れた心のまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わりがくるその時まで。地獄に落ちる日までどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は笑顔のまま、生きられますように』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

" 学級裁判 中断 "

 

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