キーンコーンカーンコーン……
『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』
今日も椅子の上で目を覚ました。
萩野に度々「ベッドで寝ろよ?」と言われているけど、なかなかできないものだ……
椅子から立ち上がり、扉を開けると……
「!! 天馬……!?」
目の前に天馬が立っていた。
まさかの出迎えで、思わず俺は硬直してしまう。
天馬もこちらをじっ、と見つめているものだから……ええと、どうすればいいのか。
「おはよう、七島くん」
「あ、ああ、おはよう。どうしたんだ? こんな朝っぱらに」
「ねえ。2人でお風呂に行かない?」
「…………へっ!?」
なっ、一体どうしたんだ!?
銭湯なんて、そんな!! 朝から二人でお風呂って!?
「そ、そんないきなり言われても……!? お前、い、いいのか?」
「七島くん、寝ぼけてる?」
ちらり、と天馬は目を逸らす……視線の先にあったのは、監視カメラだ。
…………あっ、そういうことか。
急激に頬が熱くなる感覚とともに、俺はまともに天馬を見ることができなくなった。
「わ、わかった、行こう」
銭湯の脱衣所に辿り着くと、ほとんどの人が集まっていた。
萩野に角、真田に十和田、白河だろうか?
それぞれ眠そうに、あるいは訝しげな表情で、清々しい朝の空気とは言い難い。
萩野が入ってきた俺たちに気づいて「よっす」と手をひらりと振ってくれる。
「いったい、どうしたんだ?」
「角さんの話によると、マナミが気になることを話したそうでして」
「は、はい、みなさまの意見も伺いたいのでございます! 一人だけで考えていると、芙蓉の脳みそがこそばゆくなるだけでございますので……」
「ったく、めんどくさいなあ。なにも朝っぱらに呼ばなくてもねえ?」
大きなあくびをしつつも、十和田もなんだかんだ来ているじゃないか。
きっと情報を知りたいが故に来たのだろうけど……。
「それでさ、マナミちゃんはどうしちゃったワケ?」
『くすん……くすん……』
そんな異様な集まりの中、デスクトップに映し出されたマナミはしくしくと泣いていた。
頭には毒々しい小さなきのこが生えている……奇妙な演出だ。
「おいおい。泣いてねーでさっさと言えって……」
『錦織ちゃん、信じてくれまちぇんでちた……馬の耳に念仏でちゅ……』
「あ? どーいうことだ?」
『あ、あの子は、悪い子じゃないはず……あちきも先生も信じてるんでちゅから……!』
「あの子とは、どなたのことですか」
白河が尋ねると、マナミは大きく目を見開いて叫んだ。
『へ、へんみ、るかりすでちゅ!』
その声が脱衣所に響き渡った次の瞬間には、しんと静まり返る。
……へんみ?
「るかりす?」
俺は首を傾げながら周囲を見回すと……そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。
さっと目を伏せる者。口元を覆ったりする者。
いつも威勢のいい真田は顔が強張り、横柄な十和田も平然を装って肩の鳩を撫でているが手が震えている。
冷静沈着な白河ですら……あの病的なほどまでの青白い顔が真っ青に染まっている。
な、なんだ? この異様な雰囲気は……。
そんな中、パソコンの画面にはデジタル文字が映し出された。
"辺見 ルカリス"
……なんだか芸名みたいだな。
「な、なあ、萩野。"辺見ルカリス"ってなんなんだ?」
「へ? おめー知らねーのか? ま、まあ……世間知らずっていうかウワサに弱いもんな……」
萩野は腰に手をあてながら、困ったように顔を背ける。
大きく息を吐いてから、彼はもう一度こちらに向き直す。
「辺見ルカリスはな……“殺人鬼”だ」
「……さっ、殺人鬼!?」
「ま、まあ、あくまで都市伝説だし、実際にいるかどうかはわかんねえけど……でも、あいつ、絵本も書いてるらしいんだよ。タイトルはたしか……『人間は白紙』だったかな?」
「殺人鬼が絵本なんて出すのか?」
「まー、それすらもウワサなんだけどな」
それにしても殺人鬼なんて。
有名どころといえば、ジェノサイダー翔ぐらいしか知らないが……。
何者なんだ。本まで書いている殺人鬼って?
「辺見ルカリス……あくまでウワサにすぎませんが、推定5~10人は殺害しているシリアルキラーと聞いたことがあります。萩野さんのおっしゃる通り、辺見ルカリスという名義で『人間は白紙』という絵本が突如として全国各地の学校やカフェに置かれたようですね」
「うちもワイドショーで取り上げられてるのみたけどさー。その絵本の内容が未解決事件のハナシ? らしいんだよね。だから、その絵本を描いた辺見ルカリスが殺人鬼じゃないかーってテレビやネットで盛り上がってたっぽいよ。ブキミだから“死神"とか言われてんだっけ? アクシュミにもホドがあるって」
「え!? ほ、本当なのか!?」
5~10人なんて相当じゃないか、しかも死神って。
それにしても、こんなことまで知らない俺って一体……
そんな中、「ほわわ」と奇声を発したのはマナミだった。
『だ、だから、違いまちゅよ! それは誤解でちゅ!!』
「どうして、錦織さんはそのことを調べているのかな?」
『あ、あの……錦織ちゃんは、この学園に今、辺見ルカリスが潜んでいるなんて言い出ちたから……辺見ルカリスが、この学園の鍵を握っているんじゃないかって……』
辺見ルカリスが潜んでいる? この学園に、今……!?
ざわ、と俺たちはすぐさま全員で顔を見合わせた。
皮膚に覆われた内面を見透かす様な視線が突き刺された。
きっと、俺もそんな目つきになってしまったのだろう。
「それって、本当に本当なのでございますか!?」
『あっ! でも、みなちゃん、これは錦織ちゃんの杞憂にすぎまちぇんよ!? だって、そんなわけあるわけないじゃないでちゅか! そんなわけが!』
「ふうん? それはどうかなあ?」
マナミの言葉を遮ったのはのんびりとした十和田の声だ。
だけど、その声色の端々にはトゲが仕込まれていた。
「たしか辺見ルカリスって、二重人格とか言われてたんじゃなかったっけ? かつてのなんとかサイダーみたいにさあ」
「おっ、おめーどこ情報だよそれ!?」
「逆に知らないんだあ? その情報網、君の脳と一緒で隙間だらけなのかなあ?」
十和田は呆れたように萩野に溜息を吐く。
言葉こそ意地悪だが、かなり真剣で……誰をも拒むように睨みつける。
「辺見ルカリスは最低最悪の条例違反の犯罪者だ。そこの妖怪クラゲは5~10なんて言ったけど、本当はもっとだろうねえ。辺見ルカリスの事件って気づかれないだけでね。自分だけは平気。恨みなんて買ってない……なんて思っていても、ヤツは平気で狙ってくるって言うみたいだよ? 誰もがみんな辺見のせいで、罪に苛まされる可能性はあるんだよねえ……だからさあ、おかしくないんじゃないのかなあ? こんな風に」
十和田はどこからともなく白いハンカチを取り出す。
それを、ふ、と息を吹きかけると、瞬く黒に変わった。
くるっぽー、と十和田の肩にいるハトが警鐘のように鳴いた。
「僕らの中に潜伏している、なんていうのも考えられなくはないよねえ?」
「なっ……!? バカなこと言ってんじゃねーよ!? だいたい、これ以上、殺人が起きてたまっか!」
「どうだかねえ? 言っておくけど、これからも殺人は起きるよ。絶対に」
殺人が起きる。しかも絶対。
それは予言というよりも、不吉の前兆だった。
十和田の言葉はアテにならないものだが、俺たちを震え上がらせるのには十分なものだった。
そして、すぐさま萩野が「おいこら」とメンチを切る。
「さっきからふざけたこと言ってんじゃねーぞ……っ! おめーになにがわかんだよタヌキ! 未来からやって来たからわかるって言いてえのか!?」
「しかし、私も十和田さんの意見には一理あると思いますよ」
「ど、どういうことでございますか。白河さま?」
白河が少しだけ咳払いをする。
意見を求めていなかったのか、十和田は彼を疎ましげに見遣っている。
「昔、いつだったか、このような話を聞いたことがあります。水槽に入った金魚を思い浮かべてみてください。長方形の水槽に100匹いれば彼らは自分がとにかく最低限生きられるように必死に泳ぎますよね? 一方で、同じ水槽に五匹いたら快適なスペースができて、余裕ができます……しかし、実際はそうはいきません。金魚は縄張りを広くするために、他の金魚にちょっかいを出します。言ってしまえば、大きいものから弱い者を無意識か、はたまたわざとか……排除をしようとします。そのせいで、小さい金魚は弱り最終的に死に至る」
「……なにが言いたいんだ、白河」
「集団が小さくなればなるほど一致団結するというわけではない。小さな世界だからこそ、却ってエゴやワガママが激しく顕著なものになる。おそらく十和田さんは、それを恐れているのでしょう」
「あのさあ? なに勝手に人を臆病にしているのかねえ?」
つまり、白河は……いや十和田は……。
「十和田くんは、あの殺人や処刑を見ても自分は生き残れるんじゃないかって思う人がいる……そう言いたいの?」
「不運だってそうだろ。ここまで無傷で生きてるなんて、なかなかの幸運……いや悪運かなあ? それともこれから先でオダブツってか?」
「アンタ! 天馬ちゃんに不吉なこと吹っ掛けるなっての!」
「でも、そうかもね。不運じゃなかったら、嬉しい……けど、才能がなくなっちゃうから……うーん、難しいね」
二回も絶望とも呼べる凄惨な事件が起きて、人が殺されている。
だけど、生きたいという思いはみんな一緒……だからこそ、事件はまた起きるというのか。
……でも、そんな後ろ向きなことを考えていては、これでは。
キーンコーンカーンコーン……
天馬がそう言ったと同時に、チャイムが鳴り響く。
時計を見ると、八時……さきほど朝のチャイムは鳴ったはずだ。
ざざ、とモニターの電源が付いた。
砂嵐の中にぼんやりとクマのシルエットが映し出される。
『ほら、集まっ』
『てよね』
『どうし』
『た』
『の』
『うぷ』
『ぷぷぷ』
『ぷ』
『ホラー演出作家も悪くないね。目に見えた字数稼ぎだね。というわけで、体育館にお集まりくださーい』
マナクマのアナウンスだった……銭湯に監視カメラはない。
だが、見られているようで背筋に鳥肌が立つ。
最悪のタイミングでの、"動機"の予告だった。
『ほ、ほわわわっ! こ、これがウワサで聞く動機ってヤツでちゅかー!?』
「やれやれ、こんな話をしているときに。胸糞悪いなあ……ったく、またみんなしてエサ待ちの鯉みたいな口しやがって。どけよ、超高校級の粗大ゴミども」
頭を掻きながら、十和田は入り口付近にいた人を押しのける。
そして足をどかどかと言わしながら去って行く。
続いて、俺たちも高鳴る心臓を抑えながら、体育館に向かうことになった。
久しぶりの全員集合――午前9時か。こんな早くの呼び出しとは。
体育館にはすでに、紅、ランティーユや黒生寺、錦織に大豊も集まっていた。
そして、今まで以上に俺に突き刺さる視線は、異様ともいえるものだった。
俺が入った瞬間、緊張に漂った空気が張り詰めるのに、呼吸が一瞬おかしくなりそうだった。
『はあ、お集まりいただけましたかな?』
気がつくとマナクマはステージの上で、くたびれたテディベアのようにどっしり座っていた。
だけど、様子がおかしい。
いつもに比べて、底抜けで苛立つほどの明快さがないような……?
「おい。俺らを呼びつけたクセに、その態度はねーんじゃねーのか?」
「いったい、なんの御用でございますか? 芙蓉たちはもうマナクマさまに屈することはしないのでございます!」
『……あーあ。秋田』
「な、なによ……!? 私が秋田美人のように美人じゃないっていう嫌味をみんなに言いふらすために呼んだの……!?」
さすがに被害妄想すぎないか?
錦織の牙を剥かんとする表情に対して、マナクマはふすぅと間の抜けた鼻息を吐いた。
その鼻息は重く、紙すらも吹き飛ばないように思えた。
『ボクさ。もう飽きちゃったよ。コロシアイ』
「……は?」
マナクマから放たれた「飽きた」と「コロシアイ」という言葉が結びつかなかった。
俺たちはその意味を汲み取れないまま、マナクマを食い入るように見つめる。
「だーかーらー」とマナクマは色褪せた青い瞳を向けた。
『もう人が殺す殺されるとかうんざり。そもそもデスゲームって似たような展開ばっかりで飽和気味だしオクタゴン……じゃなくてオワコンなんだよね。だから、“今日の夜10時までにコロシアイが行われなかったら、その時間きっかりに正面玄関の門を開けます”から。そんでもってとっととお家にお帰りください。以上です』
「…………は、はあっ!?」
それは初めてコロシアイ生活が始まると宣言された時と一緒。
俺は強い疑念の声を自然と発していた。
今、なんて? 門を開ける、だって……?
「ウーララ! どういうことだい!? ぼ、ぼくの聞き間違いかい?」
『聞き間違いじゃないし……』
「ホンキで言ってるワケ!? 殺さなかったらみんな出れるってこと!?」
『どうぞどうぞご自由に。開けっ放しにするから』
「どういう風の吹き回しかねえ? どうせ直前で取り消すんじゃないの? 卑怯者だしさあ」
『卑怯者は唇が青いヤツだけがすることです』
「ふん……これで帰れるってわけか……」
黒生寺はつまらなそうに腕を組みながら呟いた。
コロシアイをしなければ、出られるなんて思ってもみないチャンスだ!
……だけど。
「……ふざけてる。それって藤沢に四月一日、井伏や円居は無駄死にみたいなものじゃないかしら」
『無駄死に?』
「主犯の気まぐれで殺された彼らとリスクなしで出られる私たちは雲泥の差。正気とは思えない動機だわ」
『ふうん。じゃあ、紅さんは出たくないんだ?』
紅は冷たい顔立ちのまま、それ以上はなにも言わなかった。
……だけど、彼女の意見は至極もっともだった。
四月一日も円居もここから出るために、あるいは秘密を隠すために殺人を犯した。その行為自体は許されるべきことではない。
だけど、もしも、この状況をいま、殺された彼らが聞くことができたならば……。
報われない。この言葉に尽きる。
「しかし、外の世界はどうなっているのでしょうか? それは教えていただけますか?」
『ダメダメ。それを知りたいからオマエラ出たいんでしょ? お楽しみは取っておかなきゃ』
そのマナクマの言葉に、一旦、空気が重苦しいものになった。
第一の事件のきっかけとなった映像……あれが嘘か真かを知ることはできる。
嘘なら万々歳、だけど……マナクマの言う通り本当なら?
俺たちはどこに行けばいい?
警察に通報でもすればいいのか?
でも、こんなことになっても、助けが来ないなんて……
様々な思惑が頭の中で飛び交っては闇の中へと消えていく。
『そうそう、これだけは言っておくよ。ここは生き延びることさえできれば、"殺人が許されている唯一の場"……誰でも殺せるんだよ。そのことをお忘れなく。ほんじゃまか』
そう言って、マナクマはぴょいんと一回ジャンプするとそのまま穴に落ちたかのように消えた。
……いったい、なにが言いたかったんだ。
狐につままれた、いやクマにつままれた気分で、だれしもがポカンとしていただろう。
そして、その疑念は俺たちの心に得体の知れない闇を残していった。
しばらく俺たちは体育館でお互いに顔を見合わせた。
驚き、戸惑い……絶望ではないが、微かな期待を滲ませた顔立ちも見えた。
「つまり、これって……今日、殺人がなければ出られるってことでいいのかな?」
「バンバンザイってヤツ? お祝いにクスダマでも作ろっか?」
「どーなってんだよ……でも、なんか気味悪くねえか?」
「そんなのいやなのだっっ!!!」
天馬たちの話に割って入ったのは、大きく幼い声……大豊だった。
しかし、その声は彼女たちに向けられてはいない。
「そ、そんなのゆるさないのだ! 七島っちは、あたしに謝るまではぜったいに外に出さないのだ!」
……矛先は俺だった。
「……大豊さん、もういいのでは? あなただって外に出たいでしょう。七島さんはひどいことをしたかもしれませんが、命に関わりはありませんよ」
「っで、でもっ! いっ、いやなのっ! あたしいやなのだ!!」
激しいタップダンスのように地団太を踏む大豊は怒りに満ち溢れていた。
そんな中、彼女に「ねえ」と呼びかけたのは紅だった。
「大豊、あなたの怒りの気持ちはわかるわ……でも、本当に七島が脅迫状を送ったとは私は思えないのよ。もう少し考えてみましょう。七島も真実を見つけたい気持ちはきっと」
「ぜったいちがうもん! っていうか、なんでそんなこと紅っち言えるの!? 紅っちも人殺しのくせに!」
――人殺し。
飛んできた刃物に似た言葉に、紅の顔中の神経が一瞬にして張りつめる。
萩野は目を見開くと同時に彼女を庇うように立ち、大豊をギロリと睨みつける。
「お、おめーなぁ……っ! よくもンなことが言えたもんだな!?」
「うっ、うるさいのだっ!! こんなのいやなのだ、こんな信じられないところ、いたくないのだ! で、でも外に出てもみんな一緒なんていやなのだ……!」
「マ……マドモアゼル。ちょ、ちょっと一旦落ち着こうか。ねっ?」
「うるさいうるさいっ! ランティーユは黙ってよ!」
「だっ……だからってマドモアゼル! さっきのマダム紅への言葉はあんまりじゃないか! 取り消すんだ! それに本当はそんなこと思ってないだろ!? だって君は純粋で」
「純粋ってなんなのだ! あたしのことなんも知らないくせに! 馬鹿ランティーユ!」
“なにも知らない”という言葉に、ランティーユもまた怯んだ。
「ま、待ってくれ。なあ大豊。俺が悪いなら、謝るから……」
「謝ってもどうしようもないのだ! 七島っちは、ひどいのだ! ううん、みんなみんな、ひどいのだ……! だ、だ、だいたい! あ、あ、あたしのこと、みんな信じてくれないんでしょ!? だから、あたしもみんなこと信じないのだ……っ!!」
大豊の言葉はめちゃくちゃだった。
だけど、言葉の端々になんだか聞きなれない言葉が出た。
あたしのこと信じてくれない……って?
「みんなが俺が犯人だ」って信じないっていう意味なのだろうか?
……果たして、本当にそうなのか?
「な、なあ、大豊。やっぱりお前おかしいぞ。いったいどうして……」
「あっ、あたしはっ……!! も、もう、もういやなのだ!! みんなきらいなのだ! もう死んじゃえばいいんだ! あたしも、みんなも死んじゃえばいいんだよぉぉ!」
彼女の言葉は止まらなかった。
その言葉の刹那、ぱん、という乾いた音が鳴り響く。
……まさか、ランティーユか?
心臓が跳ねたが、片方の頬が赤くなった大豊の前に立っているのは……
愛らしい衣装をなびかせた角だった。
だけど、その姿は雄々しく、くっきりとした怒りが見えている。
「大豊さまっ! 命をお大事にするのでございます! 芙蓉たちだけではないのでございます、自暴自棄になってはいけないのでございます!」
角の厳しくも強い言葉に、じわ、と大豊の瞳に涙が溢れる。
頬を打たれても、彼女の顔はまだ衝撃と憤怒に燃えていた。
「う……っ!? う……っわっ、あぁぁああぁぁぁん!!! わあああぁぁぁぁぁぁ!!! みんなだいっきらいなのだぁぁぁぁ!!!」
「まっ、マドモアゼルッ!!」
大豊はわんわん泣き叫びながら、体育館から飛び出していった。
彼女の走りに追いつけなかったが、ランティーユも足をもつれさせながら走り去っていく……
体育館に広がっていた激情が一気になくなって静けさに包まれる。
「大豊さんはともかくとして……私にもマナクマの意図が見えませんが……全員が出られる絶好のチャンスであることは確かです。どうかみなさん。そのことはお忘れなく」
白河がは自らの疑問を落ち着かせるように静かに言い放った。
足早に去っていく者たちを目で追いながら、俺は萩野と一緒に出ようとしたが……彼も動かない。
そして、もう一人。
体育館に佇んでいるのは、紅だった。
「おい、紅……」
「…………効いたわ。やっぱり出しゃばりはよくないわね」
「な、なあ、本当に大丈夫なのか?」
「……ねえ、それよりも。七島たち……ちょっと付き合ってくれない? 時間があったらで構わない。少し図書室で調べたいことがあるの」
調べもの?
唐突な誘いに萩野と俺は顔を見合わせる。
「お、おう。いいけどよ、俺たちでいいのかよ?」
「なかなか調べにくいこと……辺見ルカリスについてだから」
辺見ルカリス。
先ほど、マナミから聞いた殺人鬼の話だ。
「さっき少しだけ角に聞いた。でも腑に落ちないところがあるから、一緒に調べてもらってもいいかしら」
紅の曖昧な言い方に疑問を生じたが、俺も辺見についてはちょっと気になる。
動機や大豊、紅への困惑は一旦置いておき、俺たちは頷いた……。
「ひっ!? あ、あんたたち、なにしに来たのよ……!? 私を、お、襲いにきたっていうの!? しかも3人で!?」
図書室に着くなり、いきなり錦織から非難のお出迎えを受けた。
紅も、なんて返していいか戸惑っているみたいだ。
萩野が呆れた笑みを浮かべながら、手で「落ち着け」のサインを取った。
「まっ、まあまあ……そんないつも陰気な顔してたら10年後に顔歪むぜ?」
「なっ、なによ! 遠まわしに今の顔を否定するなんて……!!」
「べっ、別に否定してねーだろ? だいたい俺は、おめーのことが心配なだけで」
「よ、余計なお世話だわ……さっさと用を済ませたら帰ってちょうだい……あんたたちは飛蚊症って勘違いするほど目障りだから……!」
錦織はそう言いながらも、手は図書室備え付けの古いパソコンのキーボードをたたいている。
こちらのコンピュータでも調べ物をするのか。
随分多忙のようだな……彼女はきちんと眠れているのだろうか。
それにしても、最近は情報に対して必死に思える。
これもマナミを手に入れて、やる気を出したからなのだろうか?
「犯罪心理のコーナーを見てみましょう」
紅はそう言って、俺たちを連れてすたすたと歩き始めた。
早速、心理学の本棚を見ると先客がいた。
しかも、ただの先客ではない。本棚が隠れそうなほどかなり体格が大きい……
「あれ? 十和……」
本棚に立っていた十和田に呼びかけると、慌てて振り返り鋭い眼光を飛ばされる。
そのまま雑誌を乱暴に棚に戻して、どすんどすんと去って行った。
なんだったんだ、今の……?
「十和田はなにをしていたの?」
「さ、さあ? 俺たちの心でも弄びたかったんじゃねーの? とりあえず、さっさと見つけて……おっ、これとかどうだよ?」
萩野は情報源らしき雑誌を手に取った。
……俺の見間違いじゃなければ。
これって、さっき、十和田が読んでいたものじゃないか?
やたらと読み込まれている形跡があるな……創始出版の週刊『真司』の122号。
雑誌を開いて、俺たちは目を通した……。
【謎に満ちた狂気の殺人鬼・辺見ルカリス】
別名『死神ルカリス』
20××年頃に『人間は白紙』という絵本が、辺見ルカリス名義で出版される。
子供向けの表紙、文章づかいでありながらも、過去に起こった未解決事件や不審死のことが克明に描かれていることが、インターネットを中心として考察、特定が始まる。
このことから、絵本に描かれた事件の犯人は、絵本の著者『辺見ルカリス』ではないかと大きな話題になる。
絵本は自費出版で、都内の学校や病院の待合室、喫茶店の本棚に紛れていたことも都市伝説じみた事件性を際立たせている。
インターネット上では、『辺見ルカリス』の特定を進めているが、いまだに正体、消息は不明のまま。現在も各方面で議論は続いている……
なるほど、萩野たちの言う通り絵本を出していたというわけか。
未解決事件や不審死の真犯人、影で葬ってきたと考えられる殺人鬼。
だから、死神というウワサっていうわけか……
萩野はページを軽快にめくるが、「うーん」と渋い顔で唸る。
「……あんまり、有益なモンはねえな」
「やっぱりウワサ程度の内容になってしまうのね」
「まー、捕まってねえ殺人鬼だから仕方ねえよな……秘密機構並の情報があればなあ」
わざとらしく萩野が言って、ちらりと錦織を見るが、彼女は目を伏せているだけだ。
知っているのか、知らずなのか……分からない表情だ。
雑誌をくまなく調べてみたが、後は専門家やライターの御託やゴシップだけだった。
紅は溜息を吐いて、本棚に雑誌を置くと和製タイプライターに向かって歩き始めた。
「……ねえ七島。あなたメモ用紙みたいな紙は持っている?」
紅はポニーテールを揺らしながら振り返った。
「え? えっと、半紙しか持ってないんだけど」
「それはちょっと……真田にお礼の手紙を残したいの。メモ帳の切れ端でもいいの」
「それなら……あ、あれしか、ないんだけど」
恐る恐るだけど、俺はユビキタス手帳を取り出した。
少しだけ紅が目を留めたが、「それでいい」と答える。
「いいのか? だって、これ……その」
「方眼紙のメモなんて珍しいものでもないでしょう。それにシールやイラストを描けば少しはマシになると思うから」
ぴり、ぴりぴり、と綺麗に切り離して、方眼紙のページを渡した。
しばらくタイプライターの前にいる彼女を目で追っていたが、萩野に肩を叩かれる。
「なあ……七島、これ見ろよ……紅にはちょっと見せられないけど」
そう言って、さきほどの雑誌を開いてぱらぱらとめくる。
タイトルだけが目に入る。週刊誌のという立場上、どれも下世話なゴシップのようだが……。
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手品師T田氏の失敗事故は仕組まれたものか。体を張った演出の一部なのか
ブログも大炎上。S田氏のデザイン展"世界の未来を覗いてみた"は死者の冒涜か賛否両論
魔法少女を名乗るS氏はアングラ出身!? 密着取材で判明したヲタク人気アイドルの正体は?
ドーピング疑惑? 口裂け女ランナー・O豊氏の野菜発言の真相は!?
「これって……」
名前は伏せられているが、俺たちにも聞き覚えがあるフレーズや名前が羅列している。
どれも表舞台に活躍する人々ばかりだ。
「……まあ、こういうのがあっても仕方ないよな。下世話で腹が立つけどよ」
「なあ。大豊の野菜発言ってなんだ?」
「さあな? 発言のダイコンとかニンジンが薬の隠語にでも聞こえたとか?」
ああ、なるほどな……
萩野は俺に雑誌を手渡して、そのまま別の棚に移動した。
俺はさらにパラパラと雑誌をめくり……ある1ページに目を留めた。
【慈善団体N Kヶ峰学園支援に挙手か?】
慈善団体『N』が私立Kヶ峰学園への支援実施を検討しているようだ。
Kヶ峰学園学園長N氏は就任後、自身の経歴や才能を生かしてOB・OGを始めとして学園の支援者を集い結束を固めていたが質と金額は共に年々減少傾向にある模様。
特にI氏の勤める心橋大学病院は、現学園長のN氏と対立傾向にあり前学園長と比較して大幅に支援を削減しているようで……
……どうしてこれに目がついたのかは自分でも分からなかった。
ふと錦織を見た……今は分厚い本を読んでいるようだ。
俺も図書委員なのに、錦織と作業なんてしたことがない。
天馬も白河が一人でやっているって言ってるが……
でも、天馬の場合は白河の優しさもあるのだろう。
錦織に歩み寄ってみると、顔をあげた彼女は右、左と目玉を動かして挙動不審になった。
「錦織、なにか手伝うことは……」
「い、いまさら、なにかしら……!? 小銭稼ぎでもしたいの……?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
手伝いを天馬たちにお願いして、スイカ割りに行ったことを根に持たれているのだろうか……。
ふと錦織は俺が手に持っていた週刊誌を見て、「ふん」と鼻息を鳴らした。
「その雑誌……たしか“望みの母胎”の特集記事も組まれてたわよね……」
「望みの……?」
「“慈善団体N”こと“望みの母胎”――超高校級の絶望が没してから数年後に発足されたボランティアや慈善活動を目的とした団体……アンタ知らないの?」
「いいや。なんとなく……名前だけは知ってた」
俺がそう言うと、錦織は軽く「ふっ」と薄い息を吐いて肩を竦めた。
「知らないわけないわよね……学校や幼児園はもちろん企業や病院に介護施設……国内であれば、いろんなところに蔓延っているもの……絶望が没してから生まれたそれは『失った人たち』の拠り所。家族、友人、仕事……失った人たちの味方となって寄り添い親身になることを信念として掲げ、復興活動やカウンセリングを実施して、なにもできなくなった人々に『希望』を与えた……一応の貢献者ともいえるもの……」
「一応、なのか?」
「だ、だってそうでしょ……世界も人類も、災害級の絶望を一旦抑えただけよ。アンタだって分かってるはず……生まれてこのかた、凶悪事件や嘆かわしいニュースを一度でも新聞やテレビで見ない日があった……?」
「そうだけど……で、でも、あの絶望的な事件よりは断然にマシだろう?」
「ど、どうかしら……? 絶望の事件があってもなくても根本的なことは、なんにも変わってないわよ……特にこの学園……希望ヶ峰学園が最たる例ね」
希望ヶ峰が?
俺が口を開こうとするや否や、錦織は目の前の本を手のひらで閉じて俺の目を捕らえる。
カウンターに座っているにも関わらず、彼女の姿が大きく見えて一瞬後ずさってしまう。
「かつて、この学園が“人工的な希望”を作ろうとしていたことは授業で習っているはずよね……だけどそれを生み出すために影で卑劣な実験が行われていたわ。被験体は予備学科……それが設立される前からも、前段階の実験で裏の世界から人を買っていたというデータも残っているけど……」
裏の世界って……
でもたしかに、あの頃の希望ヶ峰学園は極道や軍人を始めとした危険な才能もスカウトしていた。
そういう組織との繋がりがまったくないとは俺も強くは言い切れない。
「問題は、その実験を誰が行っていたかよ……超高校級の絶望? いいえ、彼女はすでに実験が終了して完成したカムクライズルを利用しただけに過ぎない。カムクライズルは絶望への対抗策でもない。絶望が脅して作らせたわけじゃない。…………私が、なにが言いたいか、分かるわよね」
本の表面に置かれた錦織の指先がぐ、ぐ、と爪痕を残すように立ちあがる。
「最初から、この世界に……希望ヶ峰学園に希望なんてない。“江ノ島盾子”が産み落とされる前も。死んだ後も。なにもかも。結局変わってないのよ」
江ノ島盾子――。
それを聞き分けたのか、萩野の雑誌のページをめくる動作、紅のタイプライターを叩く指先が一瞬だけ止まった。
錦織は元々の声が小さい。
萩野や紅には恐らく話の内容は聞こえていないだろうけれど、それでも……。
錦織は再び手元の本に視線を落とした。
「……あんたは絶望が憎い?」
「……? どういう意味だ?」
「ふ、ふん………別に答えなくてもいいけど……こんな根暗司書の質問なんてゴミカスですものね……!」
「い、いや、まだなにも言ってないだろ……俺は……絶望は嫌いだ……だって、そのせいで、希望ヶ峰学園は廃校に追いつめられて、挙句の果てに世界まで壊されて……でも、そんな過去の歴史よりも、今自分たちが、そんな絶望によって殺し合いをさせられている状況が一番気に食わないんだ」
「ふうん……じゃあ、あんたは、外に出ることを望んでいるのね……?」
「ああ出たいよ。できれば、できることなら出たいと思っている」
「……できることなら?」
「でも、怖いんだ。外の世界が」
怖い、ですって。
錦織は眉間に少しだけしわを寄せた。
海の上の小さな小舟にいるように、俺の頭の中がゆらゆらと揺蕩う。
自分でも考えたこともないようなことが、つらつらと言葉になって表れたことに、俺は驚きも疑問も感じなかった。
「俺は、臆病だから……このまま出て本当にいいのかって思っているんだ。なんにも分かっていないまま、真実もハッキリしていないのに……でも……本当に俺たちは真実を知っていいのか。知らぬが仏というように、知らないほうがいいかもしれないって……心の片隅で思ってしまう自分もいる」
「ふん、本当に臆病……しかも、情けないぐらいにブレた答えだこと……でも、臆病だと分かっているのに、恐ろしいと思いながらも……どうしてあんたは一番怖い真実に対して気をかけるの? 手を突っ込もうとするの?」
どうして……
そう言われても、俺は首を振るしかできない。
「それは……その……わからないんだ……その思いがどこからくるのか。だけど、探さなきゃって思うんだ。変かな」
「おかしい。意味が分からないわ……」
「そ、そんなばっさり言わなくても」
「いいえ、言わせてもらう……そんなハッキリしない態度で真実を見つけるなんて無理。おこがましい。残酷な真実を知った時、必ず折れるときがくる」
必ず折れる。
まるで死刑宣告をされたような気分でなんだか胸糞が悪くなった。
だけど、錦織の言葉は――俺の胸の中にある曖昧な思いに突き刺さる。
「真実にウソはない。だからこそ絶望も希望も練りあわされている、怪物のようなものよ……それを受け止めるなんて……アンタみたいな弱い男にできることかしらね……」
もしかして、俺は錦織に試されているのだろうか?
錦織は、情報を求めている。
誰よりもなによりも、真実を知ろうとする才能の一つだ。
本や、データを知り尽くし、真実を見極めた少女に……俺は……なんて答える?
「だけど……俺は怖くても……それでも真実を探し出したいって思う。どんなに残酷な真実でも向き合う。絶対に。みんなのために、自分のためにもだ」
思いより先に、言葉が吐いていた。
だけど錦織は一つも心を動かされない様子で本を捲っていた。
「そう……それなら、一つ、忠告させてもらうわ……真実に立ち向かうには、その『情け』を棄てることね。真実に『誰かのため』なんてない」
錦織の異形を見るような視線が俺を一直線に突き刺す。
――誰かのため、以外なら、なんのために真実を探す?
俺は錦織に疑問を向けようとしたがやめた。
彼女は答える気はなさそうだ。
……それは、俺自身が探す答えの気がしたから。
「深い真実を知りたいと本気で思うなら……さっさと人間を棄てることね」
錦織はそれっきりなにも話さなかった。
萩野のところに戻ると、なにやら漫画を読んでいるみたいだ。
週刊少年マガゼットか。ボクシングの漫画も連載されていたっけ。
萩野に近づくと、すぐに顔をあげて「よう」と笑ってくれた。
「へへ、久しぶりに読んだけど、なかなか面白かったぜ。……あ、そーだ、さっき思いついて紅にもちょっと話したんだけどよ」
漫画雑誌をパタンと萩野は閉じて向き直る。
「みんなで夜6時ぐらいにさ、集まって話さねーか?」
「話?」
「いや、別にカタイ話し合いじゃなくてよ。修学旅行の最終日みたいなヤツでさ! まさか、おめーは先公の襲撃にビビッて寝るタイプじゃねえだろうな?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
「よっしゃ、決まり! そうと決まれば他のみんなも誘うぜ! 美術室6時集合……あっ、錦織も来いよな?」
「つ、ついでがてらに私の名前を出さないでよ……!?」
「まあ、さっきの通りだからよ。こんなふざけたコロシアイだったけどよ、語り合おうぜ。最後なんだしな?」
にっと笑った萩野をかわして錦織は顔を本に埋める。
萩野が望んでいるのは修学旅行の最終日展開だけではないかもしれない。
殺人を起こさせないため……そのようにも思えた。
紅はまだなにか本を探しているようなので、俺たちは彼女と別れて、図書館を去った。
萩野もさっきの計画をみんなに伝えると言って颯爽と廊下を走って行って、俺は一人で帰ることになった。
俺は一階に降りて、部屋に戻ろうと寄宿舎の廊下を歩いていると……。
「ムッシュ! いざ、デュエル!」
「うわっ!?」
突如としてランティーユが廊下の曲がり角から飛び出してきた。
退けようとしたが、俺はYシャツの袖を掴まれてしまった。
そして勢いよく引っぱられ、小走りで走らされる。
そして、俺たちはある部屋へと入り込むことになった。
壺や絵画。少し格式高いものが机や床に置き、壁にかけられているが、間取りは俺と同じの部屋だ。
「ここは」
「ぼくの部屋だよ、ムッシュ」
掴まれていたYシャツの袖がようやく自由になった。
ランティーユは俺の目の前に立って、俺の目を見つめる。
いや、見つめるなんてものじゃない。完全に射とめようとフォーカスを定めている。
「あ、あの……デュエルってなんだ?」
「デュエルは言い過ぎたかな。ただ……ぼくも、マドモアゼルのことで気が立っているからね……強く言い過ぎるかもしれないから、デュエルって言わせてもらっただけだよ。ああ、座って。立ち話じゃ大変だからさ」
そう言って、ランティーユが椅子を押し出して、俺に座るように促す。
ランティーユも椅子を引っ張って来て、腰をおろした。
ちょうど目線が彼とばっちり合って、腰に不快な汗が流れ続けている。
「要件は、なんだ?」
「ムッシュ、その言い方はぼくが人質を取った犯人みたいだからやめようね? ……そうだね、今からいくつか質問に答えてくれないかな?」
「質問、って……」
「おっと、尋問じゃないよ。難しい質問はしないし、一言や二言で済ますようにはするからね!」
笑みを浮かべていたランティーユだったが、俺の沈痛な表情を見てさっと顔色を変えた。
全てを見透かさんとする瞳が、俺の瞳に焦点を合わせる。
「だけど、正直に答えてくれ」
「正直にって……」
「悪いけど、君に拒否権はないよ、ムッシュ。君はぼくの質問に『本当のこと』を話せばいいんだ」
拒否権はないと言われて、思わずぎょっとしてしまった。
だけど、ランティーユは平然としている。
本当に、断れない雰囲気だ。逃げるのなんてもってのほかだろう。
「さて、早速始めようか。一つ目。君は、マドモアゼルに脅迫文を送ったのかい? そうか違うかを聞かせてほしいんだ」
「いや……送っていない……」
「じゃあ、なんで、君の持っているメモ帳と、あの紙のページはぴったり合うのやら……二つ目。君はメモ帳のページを破ったのかな?」
ストレートに聞くんだな。
たしかに気がたっているようだ。いつも穏やかな海のような青い瞳が、嵐の前のように棘だっている。
俺の沈黙に少しだけ苛立ちをこめて、ランティーユは目を細める。
「ムッシュ? もう一回、質問言おうか?」
「……ええと、その大丈夫だ」
「なら、答えてくれ」
「それは……わからない……」
「おいムッシュ、しっかりしてくれよ」
ぱん、とランティーユは彼自身の細い腿を叩いた。
俺はその音と、ランティーユのぴしゃりと言い放った声に肩を震わせた。
「もう一度言おうか? どうしてそうなのかわからないじゃなくて、君が破ったかどうかを聞いているんだよ」
「わ、わかったよ、俺は、破っていない!」
「…………ウィ、わかった」
ランティーユは吐息をして、手袋をはめた手でモノクルをいじる。
「パルドン、ムッシュ。きつい言い方をしたね」
「い、いや、いいんだ。俺がはっきりしないから」
「……三つ目。君の部屋に誰か来たことはある?」
「萩野と天馬は第2の裁判が終わった後に、来たことがあるぞ」
「それだけかい?」
「もしかしたら白河も裁判後に……?」
「なんだって?」
「い、いや、やっぱりなんでもない」
曖昧な言葉に、少し眉間にしわを寄せてランティーユは目を伏せた。
そして、しばらく考え込むように顎に手をあてる。
「2回目の裁判後ならいいんだ。さっきの質問は忘れて……じゃあ、次の質問。君は以前に銭湯を使ったことがあるかい?」
「えっ? なにを一体聞いて……」
「君の疑問は必要ないから。君の答えを聞かせてくれ」
でも疑問しか残らない。
だけど、また怒られるのも嫌だ。正直に答えよう……
「ああ、1回だけだ」
「いつ? 何時間ぐらい使ったかい?」
「ええと、1回目の裁判が終わった後に、1時間ぐらい……」
銭湯に、1時間……自分の言葉を改めて繰り返して思わず息を飲んだ。
……いや、まさか?
ランティーユのガラス玉を彷彿とさせる水色の瞳が俺を映し出す。
俺の考えを知っているかのように、同意の色を持っていた。
「そう。恐らくはだけどね。いくらなんでもメモを破って盗むなんてスリでも難しいよ。君はいつも衣服の中に、そのメモ帳を入れていたのに」
「じゃ、じゃあ、銭湯で盗んだっていうのか?」
「それは、まだわからないよ。他の所で巧妙な技を使って破ったのかもしれないしさ。これは一つの可能性さ。ムッシュが犯人ではないっていうね」
「で、でも……もし、もしも……俺が嘘をついていたら……」
「おい、ムッシュ。馬鹿にしないでくれよ!」
ランティーユが鋭い言葉を投げかけた。
温厚なランティーユにしては珍しい、というより初めて聞いた怒声だった。
「ぼくは、超高校級の鑑定士だ! こんな至近距離で本気で目を見れば、嘘を吐いているかいないかなんて、わかるんだよ! 君の目は嘘を吐くのを嫌う目をしていることが分かったんだよ、ぼくにはね!」
「ご、ごめん、ランティーユ」
「だから、君がマドモアゼルやマダム紅に脅迫状を送った犯人であるとは確定できない証拠はできた。後は真実に向かうだけだ、ムッシュ。でも、ぼくは君を完全に信用はしない」
「矛盾していないか? 嘘を吐くのが嫌いな目ってさっき……」
「そうだ。君自身の瞳が矛盾している」
そう言ってランティーユはポケットから虫眼鏡を取り出した。
俺の瞳の中が、嫌でもじっくりと覗き込まれる。
「君の嘘は厄介なタイプだよ。相手に嘘を吐くのは嫌いでも、自分には平気で嘘を吐く目をしている。無自覚にね」
どうしてここまで当ててくるんだ。なんだか恐ろしさを感じる。
今の感情もばれただろうか。わからない。
でも、ランティーユはなにも言わずに腕を組んで溜息を吐く。
「それに……ぼくとしては、あの銃声も気になるね」
「昨日のか? お前、あの時はいなかったよな?」
「あれは、マドモアゼルを助けに行こうと部屋に駆け付けたから分からなかっただけさ! だけど、マダム角に聞いて確認したんだ。家庭科室のミシンと、技術室の電球に当たった銃弾……本当にあれは二つともムッシュ黒生寺が撃ったものなのかな?」
それは、俺も気になっていた。
二つとも黒生寺が撃ったというのには、もしかしたら誤りがあるかもしれない。
「紅も言っていたんだ。二つの銃声の音が違うって」
「そうか……さすがマダム紅は指揮者なだけあるね」
「間違いなく、実弾も込められていました……みなさんに言うのも難なのですが、真実もお話しておきましょうか。あそこに黒生寺さんが訪れていました」
「私たちが見かけるや否や、足早に去っていきました……そして、案の定、既定は五丁ある拳銃でした。それが四丁しかなかったという点で……」
3階が解放された時に、白河は言った……5丁あるはずの拳銃は4丁しかなかったこと。
しかし、銃声が鳴ったあの朝、紅は2つの銃声の音の違いを指摘した。
……それによって、導きだすことができる答えは。
ランティーユはぴっと人指しゆびを立てた。
「気になったんだよ。だから、ぼくはあの騒動の後、技術室に行ってみたんだ……そしたら案の定さ、“拳銃は3丁しかなかった”」
「……! それって……!?」
「ムッシュ黒生寺以外に銃を撃った人がいるってことさ。そして今もなお銃を持っている人がいる。ぼくたちに内緒でね」
ぞわと身の毛がよだった。
錦織に怖くても立ち向かうと言ったが……何度真実を聞いても、俺は何度も慄いてしまう。
もう、真実なんてたくさんだと言って恐慌状態になってしまう日も……いや、そんな日は訪れさせてたまるか。
喋り終えてランティーユは緊張が解けたのか。
椅子の背もたれによりかかって、大きく息を吐いた。
「君は理解してくれてちょっと安心したよ……でも、マドモアゼルはわかってくれないんだ。でも、彼女のせいじゃない。ぼくが、彼女にきちんと真実を伝えられていない。何度も話すのに、彼女はいつも苦しい顔をしている……あんなマドモアゼルは見たことがないよ! さっきだって、あんなこと言うなんて……好きな人の初めて見る表情っていうのは、場合によっては春の訪れのようにときめくこともあるよね! でも……こればかりは、どうしても心臓がキリキリと締めつけられるものだよ」
「それでも……ずっとそばにいるんだな」
「ウィ……でも、すぐ逃げられてしまってね。ぼくだけじゃなくて、誰が話しかけてもダメなんだ……ただね……時々“だれか”とは会っているみたいだ」
時々“だれか”と会っている?
「最近、廊下を歩いているときに遠くの曲がり角でマドモアゼルの声を聞いたんだ。『わかったから』『わかったって』って必死に繰り返していてね……ぼくが曲がり角に着いたときには話は終わっていて、マドモアゼルもいなくて、相手もわからなかったけど……ムッシュじゃないよな?」
「い、いいや、俺じゃないよ」
首を振りながら、彼の話を反芻するように繰り返してみる。
大豊がだれかと話している。『わかった』という承知の言葉。
それって、いったい誰に……?
「な、なあ。その話し相手ってさ、もしかしてマナクマとか……もっと言えば」
「第三者。罪人や元怪盗の可能性はないか、そう言いたいんだな……ちがうかい、ムッシュ?」
俺が言い切る前に、椅子をギ、と臆病な音で引いてしまった。
ランティーユはいつの間に膝に手を置いて、じっ、とこちらを見据えている。
手癖もなく、感情も見透かせてくれない――だが、彼には俺の心などすべて『お見通し』のようで。
ごくりと奥にしまいこむようにツバを飲み込む。
「……っああ、そうだ。一つの可能性としても考えられないか?」
「そうだね。良いんじゃないかな。君が考える分ではね」
『ぼくはその可能性に同意できない』
それは一種の意志表明だった。
目と鼻筋の間を拭い押すように、ランティーユは指先を当てる。
「……悪いね。ムッシュ。君や君の意見を否定しているんじゃない。ぼくは彼女を信じているんだ。これは彼女に対する感情もあるけど、鑑定士としての意見でもあるんだ。彼女の『価値』を見極めて見出して『真』と判定を下したんだ。だから、やすやすと君の言葉だけを信じて鑑定結果を覆すわけにはいかない。ぼくは絶対にマドモアゼルの味方でいる……そのうえで、ぼくは真実を探し当てる」
錦織のさきほどの言葉がフラッシュバックした。
真実を見つけるには情けはいらない……人間を棄てる……
さきほどの疑いの眼差しは本物だった。価値を見つけるために、真実を欲する瞳は俺の心に棘を残した。
「なあ、ムッシュ。最後の日だからって油断は禁物だ。この学園は謎が渦巻いている……忘れないで。謎は危険を呼び寄せる要因の一つだということを」
ランティーユのいつもの穏やかな笑みが、遠くにあるもののように思えてきた。
ランティーユと別れて、俺は彼の部屋を出ると……廊下で、萩野と白河がしゃがみこんでいた。
なんだか焦っているようだが…………?
「萩野どうし……えっ、紅!? どうしたんだ!?」
しゃがみこんでいる萩野たちの足元に紅が倒れていた。
目を瞑り、血が薄くなった顔で廊下に倒れ伏せてしまっている。
これは……どういうことなんだ!?
「わ、わかんねえ……! 廊下で倒れてんのを白河が見つけたんだがよ……!」
「す、すみません、私もどうしていいか……」
「平気なフリして溜め込んでやがったのか……!? おい、紅っ! しっかりしろ!」
萩野が揺さぶっても、紅は起きない。
まさか……いや、でもアナウンスは流れない。恐らく気絶しているだけだろう。
それでも、あの動機の後だ。いつも以上にピリピリと神経が過剰に働いてしまう。
「とりあえずっ俺は紅を部屋まで運んで休ませておく!」
「私も手伝います」
「いやっ、俺だけで十分だ!」
「お、おい、そんな一人で背負わなくても」
「一人でいいって言ってんだろ! だいたい、おめーらの筋肉に手伝ってもらっても、俺の心配が増えるだけなんだよ!」
もっともな戦力外通告を喰らって、俺たちは萩野が紅を背負って去っていくのを見ているしかなかった。
鮮やかで軽いフットワークであった。
確かに、俺たちがなにかしても、転んだり支えきれなかったりの別の意味で惨事になっていたかもしれない……。
ぼんやりとしていた俺に、「七島さん」と声をかけたのは白河だった。
彼は少し不器用そうに頬を緩ませて、人さし指を廊下の先に向けた。
「……えっと、では、私たちは、お茶でも飲みませんか? ……なにを怯えた顔しているのですか?」
「い、いや、そのYシャツ……俺、だいぶ汚れて……」
「……………最後の日ぐらい、服の汚れのことは一旦置いて仲良くしましょう」