「やはり貴様が死神……殺人鬼か……」
呆然。唖然。
しばらく俺たちは誰もが口を利けなかった。
最初に口を開いたのは黒生寺だった。
驚くほどにブレのない声色だが、いつも以上に眉根を寄せて険しい顔立ちなのは明らかだ。
誰もが警戒している中、「ええ」と白河は軽やかに返事をした。
「そうですね……いえ、ちょっと待ってください。違いますよ? 死神であって殺人鬼ではありませんからね?」
「ちょ、ちょっと。待ってくれ……! 二重人格なんだろ? 辺見ルカリスって」
「はぁぁ……物わかりが悪い方々ですね。その脳みそはとってつけたものなんですか? たしかに二重人格と、なんとかの一つ覚えみたいに十和田さんは言ってましたが……でも、あくまでそれも『ウワサ』に過ぎないんですよ。私は私のままです。最初からあなたがたの言う『白河海里』という青年の内面知る人間など、あなた方にいないでしょう?」
白河はいつになくハキハキと語り始める。
重苦しい雰囲気の裁判だというのに、場違いなほど溌剌としていた。
「あのね、もう一度言いましょうか? 私は、今の今まで、最初から辺見ルカリスだったんです。いわば白河海里と偽った辺見ルカリス……ご理解されましたか? まあ、わからないでしょうね!」
白河は、ニッと歯を見せて笑った。
人付き合いが苦手と言っていた、不器用で冷淡な顔立ちが信じられないほどの笑顔。
……いや、彼を白河といっていいのか?
今までの白河の形を保っていない。
純粋な自然から生まれた毒が、悪意の劇薬へと変貌していくようだった。
「ちなみに『人間は白紙』でしたっけ? あれ、私は書いてませんからね。どこかの困った誰かさんが三流探偵事務所の情報を使って描いたみたいでして……辺見ルカリスっていう名前もそこから取りました。つまり、逆輸入というわけでして。正しく私のことを言うなら“便宜上辺見ルカリス”とも言えるかもしれませんね?」
「な、なかなかとんでもないのが出てきたわね……じゃあ両親を殺したのは実の息子だっていうオチかしら……?」
「ええ!? なんてひどいことを! グロいミステリーばかりお読みになるからって、そんな悪趣味で下世話な発想はいけませんよ!」
「っぬぁ?! なななぁぁ……っ!? わ、わ、私が好きなミステリーは重厚かつエスプリが効いた作品よ……!?」
白河の言葉を喰らい、錦織は白目を剝きながら手を戦慄かせる。
「ってか話聞けっての! 死神なことは変わりないでしょーが! だからアンタのお父さんもお母さんもアンタのせいで死んじゃったんでしょ!?」
「真田さん? その耳ちょっとおかしいんじゃないんですかね?」
彼は出来の悪い人形のように、こてんと首を傾げた。
かと思えば、じんわりと両の目玉から水が溢れて……ぐしゃと目や頬を中心に顔に寄せて肩をしゃくり始める。
「う、うう……っひ、ひどい……っ! あんまりじゃないですかっ! みんな私の話なんて1バイトも聞いてくれないんですか!? そもそも七島さんが言ったじゃないですかっ! 辺見ルカリスは潔癖な死神だって! ええ、そうですよ! 私はあなたがたと違って、人を殴ったり、ナイフを振り回したりする蛮行など一度もしたことないというのに!」
『ほわわ! 泣いちゃいまちたよ!?』
「……とにかくですよ。私の両親が殺されたのは事実です」
さ、さっきから、なんなんだ……?
笑ったと思ったら、さめざめと泣き始めて、今はケロリと肩を竦めている。
彼の色素の薄い肌も相まって、血が通った同じ人間なのかと一瞬錯覚するほどに……なんにも、わからない。
「私が5歳の時……それは突然訪れたのです。それは私の家に押入るなり鎌を振り回して両親の喉を切り裂いたのです。ええ、忘れもしません。忘れたくとも、いっときも忘れることはできません……狂気という名の微笑みを浮かべた唇。不揃いのひしゃげた瞳。そして、なんと言っても……私の両親の返り血で染まった醜い化粧顔。信じがたい光景に、私は現実を忘れるように気を失いました。
……そして私が目を覚ました時、それは跡形もなかったように消えていました。残された置土産は父と母だったものでした。黒い血の『うみ』に浮かんでいて……ちなみに膿ではなく海ですからね! ……それはさておき。その時、ある言葉が私の中でパッと現れたのです。それは私だけではないはず。私と似たような体験をすれば多かれ少なかれ、だれでも思うこと。私は幼心にこう思ったんです」
激しい感情の波が嘘のように、彼は滔々と話し始めた。
その語り口は、子供に対して童話を読み聞かせるような静謐なものだった。
俺の脳裏にもパッ、と真黒の血しぶきの光景が浮かび上がり、思わず眉をひそめる。
そして、白河は一息と共に『光景の感想』を吐いた。
「ああ、汚いな……って。そう思ったんです」
それは白河らしくもあり、思いもよらない言葉だった。
「き、汚いだって……? で、でも両親だろ!?」
「ええ、両親でしたよ? でも、それ以上に汚らわしく、ただただ醜い。体液、バイキン、排泄物……人はこうも汚いもので構成されているのか。私はその瞬間、咄嗟ではありましたが、そう認識したんです。
あの時から、そして今この瞬間も……この思いは変わらず、私の胸に存在しています。どんなに内面が聖人君子であろうと、あなたがたが内面といってるものも外面に過ぎず、人間の中身というのは誠に汚らわしいものだ……私はそう理解したのです」
たしかに、彼は過剰とも言えるほど綺麗好きだった。
それは嘘でもなく、俺たちもまた清掃委員故だろうと信じていた。
だけど……。
――人間の中身というのは誠に汚らわしいものだ。
……俺たちのことも、最初からそう思っていたというのか?
「こうして孤児になった私は叔父夫妻に預けられました……しかし、厄介者として叔父に虐められ、叔母にも無視される日々。ああ、思い出すだけでも蕁麻疹が立ちます! 叔父叔母もやはり汚い存在だったんです!」
「それで……あ、あんたが殺した……」
「えっ……ひ、ひどい! やっぱり話を聞いてくれないじゃないですか! こんな非力な私が原始人以下の野蛮な真似をするはずがないでしょう!? 叔父夫妻を殺したのは見回りに来ていた警察官です」
「あ?! なんだって警察が……いや待て。おめーが唆した……洗脳したってことかよ……!?」
萩野が身を屈めるように腰を折り曲げ睨みつける。
だが白河は気にせずに肩を竦め、そっと指を組んだ。
「『警察官は正義の味方だから。きっと必ず。どんなことをしてでも弱い人を助けてくれる。私は信じています』……私が彼に言ったのは、これだけです」
これだけ。
しかし、その瞬間、一瞬だけだが背筋が逆立った。
「そうしたら……なんと叔父夫妻は亡くなってしまいました。その警官が正義という狂気を名目に殺人鬼となってしまったんです!」
「な……っウ、ウソつけっ! ンなバカな話があってたまるか! だいたい虐められてたにしても殺意はあったんだろ!? 殺したいとは思ってたんだろ?!」
「わっ!? どうして、そんなことを考えられるのでしょうか、おぞましい……私は一度も「死んでください」とか、「殺してください」と言ってはいませんし思ってもみませんよ! これで殺人鬼呼ばわりなんて、あんまりではないですか! じゃあ、私はこれから一体なにを喋ればいいんでしょうか!?」
またしても、めそめそと白河は泣き出す。
涙がライトに当たって、ぎらぎらと乱反射して弾ける。
そのきらめきが、今は腹立たしく忌々しさがチラつき始める。
「つまり絵本に描いてあった人たちも、こんな風に……みんな、あなたが誰かを唆して『殺意』を与えて殺させたの?」
「……与える? いやですね天馬さん。その言い方だと私が殺意を持っているようではありませんか! 元々の彼らの心の中に汚らわしい殺意は不快害虫のように潜んでいただけに過ぎません。
大きかれ小さかれ、あるいは卵として……私は彼らの『それ』を見つけ出しただけに過ぎません。そして彼らは醜い殺意とやらに蝕まれて自滅しただけてす。飛んで火に入る夏の虫……というべきですか? 違います?」
「それじゃあ……井伏は? 井伏はなんなんだ!?」
「も、もう泣くのも飽きてきましたよ……みんなして殺したのは私みたいな言い方してぅうぇぇんっ!!! あ。でも、たしかに、私は井伏さんに会ってお話をしましたよ。この学園に入学する前に猪鹿先生の病院で」
「パパ……っ父の病院で……? そもそもどうしてあなたが……!?」
父親の名前を出されて、紅は全身を一気に強張らせ始める。
海から出てきた怪物を船から確認するように、彼女は証言台から大きく身を乗り出す。
「なにせ親を猟奇的な事件で亡くした子供ということで精神療法を受けておりましたので。……本当にすみませんでした! みなさんが猪鹿先生を知ってる知ってるというものだから、私も言うタイミングを逃してしまったんです!」
「そんなことより、あなたはなぜ父を殺したの!?」
「だから紅さん。あなたのお父様を殺したのは井伏さんで」
「じゃあ、なにを井伏に言ったの!?」
「うーん……とはいえ、彼には大したことは話してはいないのですがね」
白河は考え込むように頬に手をあてながら口を開いた。
「『猪鹿先生って奥さんや娘さん、良き職場仲間に囲まれて幸せものですよね。笑顔がなくても人は絶頂の幸福に至れるのですね。あなたはどうですか?』……せいぜい、そのぐらいですよ?」
それは、紅の顔立ちをますます強張らせるのに十分な言葉と声色だった。
息を飲み、口を開くもいったんは声が出ないようだった。
「……な……なによそれ……?」
「井伏さん、お家に問題を抱えていたみたいでね。私にはその問題がなんなのかは知る由もないですが……特にお父さんのことを毛嫌いしていたそうです。それなのに猪鹿先生も少しというか、だいぶ鈍い方というか。井伏くんのお父さんと知り合いだったからリップサービスだったのでしょうね。井伏くんのことを『お父さんによく似ている』と本人に言ってたそうですよ。井伏さんは笑って誤魔化して流していたそうですが、フツフツと怒りや憎い気持ちが湧いていたようです」
「ア、アンタのその言い方はなんなの……? アルピニストの内面や出来事にやたらと詳しいじゃない……!?」
「まあ、こちらに関しては井伏さんが捨てた日記を見る機会がありましたのでね?」
「は、はあ!? 完全にプライバシーの侵害じゃねえか!?」
「まさか! 先程の卑怯な誰かさんと違って、井伏さんご本人が不要だと捨てたのですから。私はリサイクルしたまでですよ?」
海外ドラマのオーバーリアクションの如く、白河は手のひらを真上に向けてやれやれと笑う。
しかし、以前から、どこか人の心や思いに対して無頓着だったとはいえ……
それがこんなにも意図的で悪意を持っていたなんて。
「私は当然井伏さんではありません。だから彼が猪鹿先生を突き飛ばしたのは殺意か、殺意ではなかったのかの真偽はわかりません。しかし、その行為が善であれ悪であれ殺人罪であることには変わりない。……それだというのにですよ! そんな卑劣な行為を隠してのうのうと生きていたことには驚きを隠せませんでしたね!」
「ふ……ふざけないで! あなたが望んだことでしょう!?」
「望んだ? 私が? そんなバカな! それを望んだのは井伏さんではないですか!」
どうして井伏は言わなかったんだ。
会っていたならなおさらだ。
今の話だと白河の顔も知っていたはずだ。
……いや、井伏だから言えなかったのかもしれない。
彼は優しすぎた。猪鹿への微かな嫌悪感ですら日記に隠していたぐらいだ。
だから、すべて自分のせいだと抱え込むしかなかったのだろう。
思わず唇を噛んでしまう。そんなことまでヤツが計算に入れていたようじゃないか。
「だから、井伏さんは私に再会したくなかったようですね……あの日もです。前回の『罪の作文』の動機が言い渡された夜。彼に『少しお話がしたい』というと苦笑いされちゃいましたよ!」
「トーゼンだし! アンタはタンスにいる虫とドウルイだっつーの!」
「うう、またしてもひどい言われよう……」
真田に吠えるように詰められても、彼はしょんもりと肩を落とすだけだ。
その悲しみも、どこか演技くさく生々しさが感じられなかった。
「とにかく、お話をしていると、彼は自分が殺した罪を紅さんに告白すると言いました……そうそう、そのときでしたね。私が彼の紅茶に致死が至るほどではないのですが、ちょっとだけ薬を入れたのは」
「な……!? おめー! スポーツマンに薬盛るとか殺人そのものじゃねーか?!」
「ふうん、罪を犯した彼にスポーツマンという言葉は似合うのでしょうかね? とにかくです。そしたら、彼のおなかが痛みだしてね! 毒といってもまあ死にませんよ。良薬口に苦し。副作用強めの薬です。棚の藍色のボトルの薬なんですけど……おっと、そうか。うっかりそれを戻す前に写真を撮ったから、みなさんが知らないのは当然ですか!」
「……お前が写真を撮ったのか?」
「そうそう死神なりのヒント。どうですか? 助かったでしょう?」
……完全に嘲られていた。
そして手中に井伏どころか、俺たちも嵌められていたのか。
「腹痛で苦しむ彼に、保健室の橙色の薬が腹痛を治す薬だったと伝えました。そしてもう一つ……私はプールに行くということを告げて去りました」
「あ? 行けとは言ってねーのか?」
「そんなことをしなくても、私が行くと言えば井伏さんは向かうでしょう?」
どういう意味だ……いや、考えたくない。
こいつは井伏の心をも利用しようとしていたのだろう。
新たな罪を。絶望を。この学園で背負わすために……!
「次に円居さんに会いました。イノシカイチョーという単語に反応したのをたまたま見かけてしまいましてね……だから、井伏さんが猪鹿さんを殺した現場に居合わせていたことを教えたんです……案の定、彼は相当動揺しましたね。彼もまた井伏さんと話をしたがっていたので、『彼は今夜プールで十和田さん、黒生寺さんと一緒に泳ぐ予定だ』と教えて差しあげました」
毒蛇の喰らいあい。
円居も井伏も、猪鹿の罪を抱え続けたかったんだ。
それが、猪鹿殺しの処罰に当たると考えていた。
だけど、その罪が明るみに出されることは、贖罪が終わってしまうことの恐怖だったんだ。
許されたいけど、許されてはいけない。
その思いが……あいつらを殺した。辺見によって殺されたんだ。
「そしたら……なんと円居さんが井伏さんを殺してしまいました! 私もびっくりしちゃいましたね!
しかし、やはり円居さんも本当に愚かですね。彼もまた汚れた罪人でもあり死の商人だった。許しなどいらないと言いながら、心の奥底で許しを乞う惨めでプライドだけが肥大した囚人です。自分の罪を勝手に抱えて、重みに耐えきれずに、相手の命を奪うなんて……実に汚らわしい。相手を破滅させる力があるのなら、まず最初に自らが壊れればいいものを……まったく、情状酌量の余地がゼロですよね!」
今までのひた隠ししていた毒が一気に放出される。
裁判上の空気が今までになく腐敗していくのが肌でも感じ取られる。
「血まみれで汚れた円居さんは、更衣室にいる私を見つけてまたしても動揺していました。私は彼に殺人のことは今回は内緒にすると告げました……が、彼は疑心暗鬼になっていて……というか、嫌がっていましたね」
「嫌がっていたとは、どういうことでございますか……?」
「彼は諦めていたんです。四月一日さんの裁判や処刑を見て逃げ切るのは難しい、そもそも外に出るなどもってのほかだ……そのような、不貞腐れた態度だったんですよ。だから、私は少しだけ話をさせていただきました」
「話って……なんの?」
いつも穏やかな表情を浮かべている天馬も、顔が強張り薄ら汗もにじんでいるようだ。
「『円居さん、自首をしてはいけません。あなた自身の犯行を誰かに告白した時点で、私が代わりにあなたの罪を紅さんにお伝えします。更衣室からすべてを聞いていました。円居さん、このまま死んではいけませんよ。私も手伝いますから』 ……ね? カンタンでしょう?」
――非道だ。
部外者がそのような手を差し伸べるのは優しさではない。侮辱そのものだ。
救いの手を騙った破滅の手だ。
「なっ!? おめー、本気で肩持ってるじゃねーか!?」
「いやですね、なにをおっしゃるやら……私は彼に選択肢を与えたまでですよ。他人の生命を奪ってまで手に入れた卒業の権利を、ボイコットするなど、それはそれで冒涜ではありませんか。彼の殺人は信念や生き延びたいという意志はなかった。嫉妬やエゴという情によって動いたもの…………彼は無駄に頭が良い方ですからね。自分が悪いことをしたと認めてしまい、一時は良心を持ってしまった。愚かな知識のせいで、卒業という権利を捨てようとした。
だから、彼に生き延びることを選ばせました。彼に情を棄てさせたんです……ええ、それだけです! 大体ね、汚らわしい殺人者に潔い告白なんて、身の程知らずでしょう?」
たしかに円居は作文、罪を知らされるのを頑なに避けていた。
それは、円居のプライドが許さなかった……いや、違う。
紅に真実を明かしたくなかったんだ。
自分が紅の父親、猪鹿公孫樹に死をもたらした罪を。
だというのに、この脅迫は……残酷だ。
だから裁判の終わりには自らの死を持って、嘘の罪をでっちあげてまでも真実の罪を。
自分の抱えた思いすべてを命と共に葬ろうとしたんだ。
それを許さなかったのは……いや、それに水を差したのも。
「しかし、その前に冥途に行く前の置き土産をいただけませんか」
吐き気を催したが、生唾を代わりに飲みこむ。
なんて、苦い唾液なのだろうか。
「さっきから貴様の言うことすべてが理解できん……なぜ面倒なマネをする……?」
「私だってこんな非効率なこと本当はしたくないですよ! それでも……彼らは汚れていた。だから廃棄を促したまでですよ。目には目を、歯には歯を……わかりますよね? 要はくだらない相討ちですね! 人生を無駄にした彼らにはぴったりの結末だと思いませんか?」
「くだらない、ですって……!?」
紅が厳しい眼光を向けると、辺見は呆れるように目を閉じる。
染み一つない白い歯が、嫌に瑞々しい唇から覗かせていた。
「おや? あなたはお父様を殺した方々の肩を持つおつもりで? やはりファム・ファタール……自分の愛おしい者には売春婦よろしくドリアンスムージーさながらのドロドロの愛を注がれるんですね? 実際に……おっといけない! これは私の口からは言わないことにしましょう」
「違う! 違うわ! 井伏も円居もパパも殺したのはあなたじゃない! なにが死神よ!? あなたはれっきとした人殺しだわ! あなたが殺人鬼よ!!」
「論理がめちゃくちゃですよ? 私は人を突き落としていません。私は人を殴りません……ああ、でも、あなたは殴りましたよね? 井伏さんと私。2回! 2回もですよ! 棚に上げるのがお上手でいらっしゃる! 井伏さんも死にかけたのに、自分だけはのうのうと生き延びて『彼らのため』なんて勝手に悲劇のヒロインを演じちゃって……音楽以外にもジョークの才能があるんですね。裁判だというのに、思わず笑っちゃいそうになりましたよ!」
怒りと悔しさで彼女の顔が紅潮する。
一度枯れてもなお、実をつけようとした草木を踏みにじろうとする姿……死神というよりも悪魔だ。
「そ、そもそも、なんでアンタはこんなことしてるのよ……?」
「何回も言っているはずですよ。読んで書いての字の如く。汚らわしいからです。傲慢、憂鬱、嫉妬、欺瞞、顕示欲……その他諸々。そのような見るに耐えない思想、意志、望みを持つ者はいずれなにを引き起こしますか? 言うまでもありません。強盗、詐欺、暴力……そして人としての倫理を外れた殺人。規模を大きくすれば汚職やテロ、戦争のトリガーともいえるでしょう。
私がやってることは、そのような汚れた行為や思想を滅菌すること。殺意という名のサナギがカラを破り、巨大生物として破滅をもたらす前に手を打つ……言うなれば、間引きってヤツですね?」
「つ、つまり、辺見さまも、ある意味では正義ってことでございますか……!? ならば! 諸悪の根源であるマナクマを私ともに撃破いたしましょう!」
「え? 嫌ですよ。たしかにマナクマも忌々しくはないといったらウソではありませんが……でも、あれを排除したら私まで死んでしまうじゃないですか! 自分の命までは捨てたくありませんからね?」
マナクマが腹立たしい気持ちは同じ。
だが、その気持ちが俺たちと『同じ』ということが嘘だろうと本当だろうと嫌悪感しか沸かない。
こんなヤツの倫理観や感情が……俺たちと一緒だなんて。
「ちょ……ちょっと待ちなさいっ! パパはどうして汚れているなんて言えるの!? 私と父親との関係性は確かにあるかもしれないけど……コロシアイが始まるより前にそれを知れるはずがない……!」
「血の繋がったご家族でもご存知ない? 猪鹿先生が安楽死のための劇薬をご所望だったこと」
その途端、紅の顔が青褪めと紅潮で紫に変色した。
憤怒、動揺、軽蔑……。
鮮やかな絵の具が混ざり合うように、彼女の顔色はどす黒く変色する。
「それはっ……ウワサでしょう!? 私は父からそんな話は聞かなかったし、警察や真っ当な報道機関も報じていないわっ! そんなデタラメで父を殺したというの!?」
「本人から聞かなかった、テレビも警察も言ってなかった。……そのような理由で猪鹿先生のことをご理解されたつもりでいらっしゃるのですね」
――本当に、あなたはなにも知らないんですね?
そう言わんばかりの高みの見物のツラに、猪鹿の当事者ではない俺まで歯がゆさを覚えてしまう。
「“例の絶望的事件”で猪鹿先生は現場で人命救助活動を続けていたものの……患者をまともに救えずに、生き地獄を見せたまま、多くの人を終わりに至らしめた。そんな彼にとって安楽死は救いであり、一種の希望である。そう錯覚してしまったんですよ。そのためであれば、いささかの犠牲もやむを得ない。被験体であったり、資金面であったり。狂信的ともいえるほどに傾倒してしまった。
……だから、猪鹿先生は円居さんにあのようなことを言って科学の道を勧めたワケですし、あなたの指揮者のための留学だって諸外国の医療技術を知るために過ぎなかった。違いますか?」
「あ、あなたが……あなた如きに私たちのなにがわかるの!? 全部なにもかも妄想よ!! あの事件でずっと苦しんできたパパのことをっ!! 父の背負ってきた苦悩を心の闇や狂信で片付けられたくなんかっ!!」
激昂は途中で終わり、紅は崩れ落ちるように顔を覆い証言台に突っ伏せる。
思わずか、真田と角が一斉に紅の席に駆け寄り、彼女を支え背中を摩る。
その真田もまた眉を吊り上げ、顔を赤黒く染めている。
萩野も、ランティーユも不信感と軽蔑を露わにヤツを凝視している。
俺も拳の震えが止まらず、必死に腕を抑えた。
……アイツの顔なんて見たくない。
俺たちの仲間の心を、平気で踏みにじる輩なんて見る価値もない。
そして、しばらく裁判場が無言による停滞に陥ってしまった……。
『いやあねえ、オマエラってば。その歳にして痴話に徒花を咲かせちゃってマセてやんの! 絶句でエンディング迎えるつもりなの?』
「…………白河く……いいや、辺見くん。じゃあ十和田くんを殺したのも、あなたなの?」
マナクマに後を押される形で、ゆっくりと口を開いたのは天馬だった。
ヤツに言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、今はこれが主題だ。
「え? いやだな、今までなにを聞いていたんですか? 私は犯人ではありませんよ」
「ど、どうだか……でも話を聞く限り、手品師にもアンタはハンムラビ法もどきを適応させて殺させたとか……? 罪を犯した科学部やアルピニストのように……」
「だから私は殺していませんよ! 彼は……まあ、今、ここで謎を解き明かしてもね? 物事には段取りがありますので追々分かりますよ」
やはり、こいつはすべてを知っている。
今回の事件のことも……なにか一枚噛んでいる!
そうしてヤツは、喋り疲れたと言わんばかりにわざとらしく溜息を吐いた。
「まあ……なにはともあれ。大豊さん。辺見ルカリスの真似、稚拙ながらご苦労さまでした」
「……っえ? ……あ、あの」
「あなたは今のところ殺人鬼扱いではないみたいですよ。よかったですね?」
唐突に辺見は大豊に対して悪魔的な微笑みを浮かべる。
「『なぜ、七島さんがあなたにひどいことをしたか、わかりますか? ……あなたが、過去に卑怯なことをしたからですよ。……ところで、知っていますか? 殺人鬼、辺見ルカリスのことを……辺見ルカリスは二重人格だそうです。だから、あなたが知らないだけで、実はあなたが、辺見ルカリスの人格を持っているのではないですか? このまま辺見ルカリスを自覚していただければ、あなたと、あなたの大切な人がした秘密や罪を守ります。どうしますか?』」
突然の案内人のような言い方に思わず首を傾げ、周りのみんなも眉をひそめる。
その中で、大豊は「う……」と後ろめたそうに後ずさりをする。
やがて言い終えた辺見は、ふぅ、と軽く息をつく。
「……いやはや、これだけで動いてくれるなんて、単純明快で清々しいですね! もっと言えば、都合がいい女といいましょうか! あなたに辺見ルカリスという役柄をバトンタッチできればよかったんですけどね……」
……どういうことだ?
それを尋ねる前に、すぐに辺見が死神の宣告をした。
「そこまでして“ドーピング”は隠したかったんですか?」
横文字だけが、脳内にはっきりと浮かび上がる。
「ウーララ!?」と悲鳴がランティーユから発せられる。
「……マドモアゼル!? まさか……!?」
「!! ちっ、ちがうのだ!! あたしはっ」
「彼女の否定は至極もっともです。彼女はドーピングしていません。むしろ大豊さんは被害者……でもありませんね! 知らずしてさせてしまったというべきですか?」
彼女の言葉を、怯えながらもランティーユは待っていた。
大豊は裁判をぐるりと見渡しながら、涙目になっていた。
「な、なあ、大豊、頼む。話してくれ……俺たちは怒らないよ」
俺が言うと大豊はきょときょとと目を震わせる。
それでも……やがて、ごくんとツバを飲み込んでくれた。
「あ、あの、あたしの、競技のコーチなんだけど……昔、おっきい大会の前に『友達にも分けておいで』って、飲み物を渡してきたことがあったのだ。だからいっしょに走る子に渡して……そ、そしたら……」
「そのお友達に薬の陽性が出たんですよね?」
「……っ?! おいっ、お前!」
思わず辺見に怒号を投げてしまう。
たどたどしくも自分の言葉で喋ろうとしているのに……結論の横槍で邪魔してきやがった。
「ってか待てよ! 陽性っておめー!?」
「はむぅっ!? まっ待ってよ! あ、あたしは悪くない……はず、だもん………だ、だって、知らなかったのだ! それでボトルを渡したあたしが疑われて……でもコーチもがんばってウワサを消してくれて! 渡したその子も、あ、あたしは悪くないって言ってくれたから……っ!」
大豊のドーピング疑惑の記事は、どうやらその事件に関する火種だったのだろう。
そして、辺見も事件を知っていた。
だからそれを利用して、大豊を脅していたというのか……!?
知らなかったにしても、大豊も加害者に加担してしまった。揺さぶるのは難しいことではないだろう……
「だ、だから、あたしは悪くないはずなのだ…っ! コーチだってあの子だってなにも悪くないもん! だってあれは事故のようなもので……!」
「事故? あれをあなたは事故とおっしゃるのですね! お友達が最後にどうなったか、あなたはお忘れで?」
「っ!! あ、あ……!? そ、それはやめて……!」
「やめて? 私はあなたと違って乱暴なマネはしません。事実を話すだけですよ? まあ、あなたのおっしゃる大切なコーチさんが揉み消したようですが……しかし、あの絵本を見ればわかるでしょう?」
……絵本?
辺見の言葉に従うのもシャクだが、絵本の内容を思い出す。
「……それって三番目の紙のこと、なのか?」
三番目の紙は 夢見るコトリ
飛べない現実みせたのに まだ夢みている
それじゃあ ずっと夢の中で おやすみなさい
背中をドンと トラックにひとおし
手足も 肺も ぺっちゃんこ
ルカリスは亡き人に言った わるく思わないでね
夢見るコトリ。その夢はきっと大豊と同じく競技人生の成就だ。
そして飛べない現実……それは競技人生が潰されたことじゃないか?
ドーピングで陸上界から追い出したけど、それだけでは足りず……
これも大豊のコーチとやらに死神が唆したのか?
井伏の話と、同じように……!
「ええ、その通りです! 情けとはいえ罪を見なかったことにした彼女は殺されてしまったのです! 元々彼女のことが邪魔だった醜い殺人鬼によってね」
「や、やめてよっ! コーチは悪くないのだ……!!」
「ええ、だれか一人は悪くないことは認めましょう。だけどね、必ず一人は諸悪の根源なのは間違いないですよ? おわかりですか?」
「あ、あたしも、悪くないもん……で、でも、コーチも悪くないと思うのだ……だってコーチは……あたしのことをいつも気づかってやさしくて……あ、あの子だってライバルだったけど、あたしの大切なお友達で……だ、だからっ。だれも悪くなかったはずだもん……っ!」
「私には理解できませんね。どうして、そんな人たちを守りたいんですか? ……あ、わかりました。同じ穴のムジナというヤツですかね? 同類だから同情している。それなら納得です。しかしゴミ以下の殺人鬼を守るぐらいなら、ランティーユさんに恋心を抱けばまだいいものを……ああ、可哀想なランティーユさん! 殺人鬼が大好きな嘘つきの女の子を愛するランティーユさん! なんという悲恋なんでしょう! 映画化間違いなしですよ!」
「Tais-toi! 彼女を侮辱するなッ!!!」
ランティーユから母国の言葉が爆破したように飛び出す。
語気からして、「黙れ」と言ったのだろう。
「しかし、大豊さん。私はあなたほど愚かな人間を見たことがありませんね。感情に任せて動く人は私は汚物に等しいと思います。それこそ殺人鬼と同じ。罪深い人間だと思いますよ。周りを汚染させる前に自滅すべきだというのに」
「は、はあ……? 愚か……? 汚物……だって? ふざけたことを!! いいか、君がマドモアゼルたちにしたことは脅迫で犯罪だ! 恥知らずめ!!」
「……脅迫ですか? ……は、は、は……そうですか、これを脅迫と……しかし、大豊さんが行ったことは殺人未遂ですよ? 多くのことに巻き込んで、巻き込まれて、私も多少は大変だなとは思います。
しかし、普通ならば、たとえ間違えて人を傷つけた、死に追い詰めたら罪悪感に苛まれますよね? それでも、大豊さんは自身を悪くないと言います! 赤の横断歩道で渡った人を轢き殺した運転手が、それでも自分は悪くない、人殺しじゃないと言い訳しているのと同じだと思いませんか?」
「殺人だけが君の言う『至極最悪な罪』だと思うのなら正させてもらおうか」
ランティーユは一段と低い声で言い放った。
穏やかな美しい水色の瞳が刺々しく変貌する。
「君は……いいや、お前はマドモアゼル、マダム紅やムッシュ七島たちの心に傷を負わせたんだ……! それだけじゃない! ムッシュ井伏に、ムッシュ円居……多くの人生に傷や泥をつけて葬ったんだぞ!? 一生消えない心の傷……侮辱というのは殺人同等に重い卑劣な罪だ! それを知らないのか、いいや、わからないのか? マドモアゼルやマダム紅の涙が見えないとでもいうのか! お前には心がないのか!? 魂が腐っているのか?!」
ランティーユは絞り出すように叫ぶ。
「どうなんだよっ!! 辺見ルカリス!!」
慟哭に似た激怒は裁判場に木霊して集約される。
しかし……辺見はその声を溜息一つで吹き飛ばす。
「ああ……そうですか……ええ、一字一句、身に染みました。それならば、今回の裁判で私を有罪にしたらいかがですか?」
一瞬にして裁判が凍りついた。
「……ああ。でも、無理のようですね。だってこれは“学級裁判”ですものね!!」
それは嘘偽りない事実。
今、俺たちが立たされている現実だった。
「みなさんも3回目なので、ご理解されていますよね? この学級裁判は『学園内で発生した殺人の実行犯を当てることが目的』だということを……何度でも言います。私は殺人を犯していません。……もっと言えば、私は犯人を知っているんですよね」
ざわと空気が異様な動きを見せた。
これは、当事者によるものなのだろうか。犯人にしかわからないだろう。
辺見はふ、ふ、と息を漏らしていた。
「しかし、言うのはやめましょうか。あの人も必死ですからね……そもそも、ここで潔癖を示されても困ります。自業自得と言わざるを得ない醜い感情に葛藤しながら汚く葬られるのをしばらくは見守ることにしましょう!」
仮面が剥がれ、悪意のみが現れている。
あの頃の日々には戻れないと知った。
俺たちは、白河海里を失った。
今、目の前に立ち塞がるのは白河の顔をした悪魔だった。
「あなた方が裁くべきは私ではありません。なにより私に罪はありません。今、この場所で裁かなければいけないのは十和田さん殺しの犯人です。ええ、私は何度でも言いましょう! 声が枯れてもあなたたちにお伝えしましょう!」
俺たちは、間違っていた。
俺たちは、選択を誤った。
「私は無罪なんです!」
俺たちは……やはり、ここから出るべきだった。
例えどんな世界であろうと、学園に謎が残っていようと。
最悪の黒鳥が目覚めてしまう前に。
俺たちは、この学園から卒業しなければならなかったんだ…………。