裁判場は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
パソコンの画面に、いつも明るく振る舞っていたマスコットキャラクターはいない。
『マナミに卒業の権利はないね。ざーんねんむねんの残ねえちゃん!』
「ア、アンタは、怪盗がマナミしか殺せないってことを知っていたのね……!?」
『マナミを改造して、クリックして頭がボーン! なんて、できる人がいるかと思ったけど。んもう、思った通りの期待外れまっしぐらルートだったよ』
マナクマは白け顔で、だらしなく玉座にもたれた。
結局、俺たちは、最初からアイツの手の上でおちょくられていたのか。
『でも、角さんを殺してくれたクロには感謝だよね。おかげで裁判が盛りに盛り上がってますから!』
「なにを言おうが念仏モンだろーけど……血も涙も腐ってやがるな」
萩野も怒りを通り越して、マナクマにあからさまに軽蔑していた。
それに対して、「まあまあ」と辺見が白々しい様子で宥める。
「マナミさんのことは非常に残念ですが、今の問題はだれが角さんを殺したかですよね? ……そんな顔しないでくださいよ、黒生寺さん」
「黙れ……」
「それはダメでしょう? 黙ったら試合終了なんですから」
そんなことは、みんな分かっているんだよ。
紅も辺見をちらりと一瞥してから、彼女らしくない重い溜息を吐いた。
「角は転落死でいいのよね。その後、怪盗はどうなったのかしら?」
「そうだな。少し、怪盗の足取りを抜き出してみるのがいいかもしれない」
俺はもう一度、今まで出てきた証拠品を挙げた。
AM 1:30~2:00 植物園 LSA
Reanimation_Charging 0230-0300 LSA
「2時から2時半の間が不自然に空いてるね。怪盗の先生はどこに行ったんだろう?」
「なあ、黒生寺。怪盗は呼び出されて時間が経過した後、どうするのか覚えているか?」
「本来ならそのまま職員室に戻るか、次の授業の教室に行くか……」
「じゃあ、つまりは角が転落した後、2時から2時半の間。植物園に怪盗はいなかったのかもしれない。だから、犯人はその間に、美術室まで落ちた角を植物園まで戻したんだろう」
俺の言葉を聞いて、心元なさそうにみんなが頷き始める。
そんな中、「むむむぅ」と大豊は不服そうに腕組をする。
「でもでも、落ちちゃった角っちを戻すって、どーやって?」
「犯人が"角さんを抱え上げた"のではないでしょうか? よこらっせって。私には無理ですけど!」
「物理的にできそうなのは、ボクサーとガンマンぐらいよ……ガンマンは足の怪我してるから厳しいかしら……」
「俺じゃねーし、なんでそーなんだよ!? っつーか、あんときは俺も病気だっただろーが!」
「てこの原理で、"人力ではない物の力で引き上げた"とかあるかな?」
「"マナクマの出現通路を使った"とかは? 怪盗も使えていたみたいだもの」
「どう考えても"転送装置"がなければ無理だ……」
「そ、その発想は奇想天外だね。ムッシュ?」
今の発言の中から選び出すとしたなら……彼女の発言がしっくりくるかもしれない。
「天馬の意見に賛成だ。角は引きあげられたんだろう」
「え!? ひきあげたって、どーやって!?」
「"ホース"を使ったんだ。犯人は大木にそれを巻きつけて、もう片方の端を角の体に……」
「なるほど"ホース"、ですか。スーホの白い馬は名作でした。しかしですね」
突如として割って入った辺見は、一旦言葉を切った。
「その汚れ、落とさせていただきます」
飛び出したのは紛れもない、反論の合図だった。
「お前……急になんなんだ?」
「ホースで角さんを引き上げた。ええ、面白い推理だと思いますよ。推理作家にでもなったらいかがでしょう? ……だけど、それって本当に可能なんでしょうか? もし、よろしければ、私の話を聞いてもらえますか?」
なにを、ふざけたことを。
辺見はニタリと笑って細い指を向けた。
俺の意見を正そうとしているみたいだが……。
だけど、その反論が正しいかどうかは俺が見極めてみせる。
「私が言いたいこと、それは"ホースだけで角さんを引き上げられるか"? ということです。"犯人が超高校級の馬鹿力”であっても、"美術室まで落ちた角さん"を、植物園から引き上げるのは難しいと思います」
「その通りだな。ホースだけでは引き上げられない」
「ご理解が早くて助かります! あのホースは"ボロボロでした"から」
「でも、ホースがボロボロになっていたのは、"大きな力"を加えたことによる損傷とも考えられないか?」
「さっきの話と、矛盾されてません? 女性に体重の話はNGとはいいますが、人間である以上、一定の重さがあります。そんな彼女を"大きな力を持って引き上げるのは無理"に決まっていますよ」
「止めが甘いぞ!」
辺見が発した綻びに、俺は言葉で持って打ち払う。
自分の言葉が吹き飛ばされて、辺見は目をぱちくりと戸惑わせた。
「ですから、角さんを引き上げるのは無理であって」
「往生際が悪いのはお前だ。角を引き上げるのはできるんだよ」
角がホースでどうやって引きあげられたのか。
俺が持っている証拠を使えば証明できるはずだ。
「犯人は、ホースの他にも"芝刈り機"を使ったんだよ」
「しば、かりきですか?」
辺見だけでなく、今度は植物園にいなかった者たちも目を見開かせているようだ。
「犯人は"芝刈り機"と、"ホース"の両端を使ったんだ。一つは転落した角に結び付けて、もう片方は"芝刈り機"に。そうして"芝刈り機"を動かして、引き上げたんじゃないのか?」
「そ、そんなことできるのかしら……?」
「説明書を見たけど、できてもおかしくないはずだよ。馬力も自動車と同じぐらいみたいだから」
「なるほどな。さっきも言った通り、怪盗も2時から2時半の間はいなかったみてえだもんな。それなら、第2工学室に誰もいない状態で、角は引き上げられたってことか」
萩野も納得している様子で顎を引いている。
角の死因、角を引き上げたカラクリがだいぶ絞れてきた。
しかし、問題は、それを行った張本人なのだが……。
「ようし! これで、犯人もバッチリわかるね!」
「え?! マドモアゼル、本当かい?」
「わかんないの!? こんなの“ホースを持ってる人”だよ!」
「ウーララ! さすが、灰色の脳細胞の持ち主だね!」
「なっ、なにが、さすがなの……!? そんなの消防士ぐらいしか思いつかないわ……!?」
髪の毛を掻きむしる錦織を傍目に、辺見はふうと溜息を吐いた。
「それで」と言わんばかりに、わざとらしく大豊に向き直った。
「そこまで言うなら、あなたには分かっているんですね? そのホースの持ち主を」
「えっ? ええっと……そ、そーだ! 萩野っち! グローブを洗うって言ってなかった!?」
「ねーよ!? ってか犯人扱いすんな!」
「それに萩野くんは"R"の文字が入ってないよ。ホースの表面に薄ら書かれた"R"の文字から考えれば、名前に"R"が入っている人が、ホースの持ち主じゃないかな」
ホースが必要な才能と考えていいのだろうか?
俺たちの中で、Rという文字がある名前の人。
亡くなった人たちも含めて数えてみよう。
まずは俺に、錦織詩音。大豊てら、白河海里、黒生寺五郎、紅紅葉。
死んだ者たちも含めれば、円居京太郎、真田斑だ。
ランティーユも、たしか綴りに入っていたはずだ。
並べてみると9人。半数以上だ。あてずっぽうでは当てられないようだろう。
いいや……待てよ?
今大豊から飛び出した、"洗う"って言葉。
もしかすると、アイツのものなんじゃないか?
「なあ……辺見、お前じゃないのか?」
「はい? 私がなにか?」
「このホース、お前のも、」
「はぁ!?」
な、なんだ?
俺の言葉を遮り、辺見は珍しく怒気を強めた。
「なにを馬鹿なことを」と手を戦慄かせる。
いや……そもそも、まだ指摘していないのに、なにを怒っているんだ?
「まったく、なにを言うかと思えば……七島さんなら、真面目に議論してくれると信じていたのに! 私とホースってどう関係があるんですか!?」
「……あ、わかった! 清掃用じゃねーか!?」
萩野の指摘に、辺見は、びくん、と肩を震わせた。
すぐさま震えを治めるように、ぶんぶんと大きく首を振っている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。……なんですか? 私、疑われているんですか?」
目に涙を溜めているが、これは動揺しているのか?
だったら、そんな猿芝居に騙されてたまるか。
「ホースにはRの文字が書かれていたんだぞ、白河海里……SHIRAKAWA KAIRI……Rだってある」
「そ、その文字と私が、どう関係があると……っていうか、それだけで犯人扱いですか! 七島さんに決まってますよ! どうせ、ホースで髪を水洗いしているんでしょう!?」
「あのなぁ、いくら七島が風呂嫌いだからってそれはねーんだよ!?」
いや萩野、俺は風呂は嫌いじゃないぞ。
もちろん、今、それを否定すると裁判が変な方向にねじれそうだから言わないけど……。
辺見は顔を覆っておんおんと泣き始めた。
もちろん、本当に泣いているのかは分からない。いつもの泣き真似のはずだが……。
でも、これが本当なら、辺見が犯人ってことなのだろうか?
今までの犯人と違って、罪悪感や躊躇いが沸いてこない。
それは、辺見だからという理由もあるけれど……
なんだろう……そうは言いきれない、この胸騒ぎは……?
「うぇえぇん……!! 寄ってたかってひどいじゃないですか……! いじめ反対です!!」
「だって、あなたしかいないわよ。ホースを使ってもおかしくない才能って」
「たしかに、このホース、私が持っているものにそっくり……じゃなくて! だとしてもですよ! 私は"縛られてました"からね!? そもそも、私は"自分の部屋に入れない"んですよ!?」
「まーたお得意の逃げ腰か!? そうはいかねーぞ!」
…………あれ?
今の辺見の言葉って……。
「ま、待ってくれ。……そうだ。辺見が自分の部屋に入れないじゃないのは本当のことだ」
「えっ? えええぇぇっ!? 自分のお部屋に入れないとかアホまるだしなのだ!」
「それって、"鍵が壊されていた"とか?」
「いいや、それは違う。辺見の鍵は、"ある人"が預かっていて……」
そうだ。俺は知っているんだ。
“アイツ”が、辺見の"鍵"を持っていることを……。
「ふうん……? じゃあ、それが、今回の犯人だっていうのね……?」
俺は錦織にどこか試されるように促されていた。
そう、信じたいものだが……
急速に溜まった唾を飲み込むと酸っぱい味が口内に浸透していく。
人物に照準をぴったりと合わせて、その名前を告げた。
「ランティーユ、お前なのか」
「……えっ?」
ランティーユはぽかんとOの口で呆然の顔立ちとなった。
彼だけでなく、大豊もそっくりな顔で驚いている。
「……へ、へけ? え? ランティーユ……?」
「お、おい……ムッシュ。こんな時に、冗談はよしてくれ。ぼくが犯人だって?」
すぐに彼はいつもの面持ちで笑ったが、微かに頬の肉がびくびくと引きつっている。
犯人と言われたことへの驚嘆か。図星か。それとも。
だけど、俺はすでに“ある事実”を手に入れているんだ。
「辺見の部屋の鍵は、お前が持っていたはずだ。だから、お前なら辺見の部屋にあったホースを使うことはできるんじゃないか?」
4階が開放された時、最初に植物園でランティーユと話したことを思い出す。
「ランティーユ、お前こそ……無理はするなよ」
「辺見のこと? だから大丈夫だって。とにかくアイツの話は……もうやめないかい。ちなみにアイツの鍵は今、ぼくが持っているから、アイツの行動は制限されている」
そう言ってランティーユは、ポケットから鍵を見せてきた。
鍵のネームには白河海里と書かれている。
「……え? な、なに? 本当になにを言ってるんだよ……? ムッシュ。まさかじゃないけど、そんなことでぼくを犯人にしようっていうのかい?」
指摘するとランティーユは顔を青白くさせ、細かく首を振った。
錦織も唇に指をあてて、ジロリとランティーユを睨みつける。
「私とボクサーは保健室にいた……そして死神は縛られている……アリバイがないのは、アンタだけよ、鑑定士さん……?」
「い、いやいや……そんなわけないだろ。アリバイの有無で犯人なんて決めるなんて。それにマダム角と同じで、ぼくも1階から3階にいたんだ。だいたい、1階から3階にいた人が犯人っていうのはありえない話だ」
「なぜ、そう言い切れる……?」
訝しさを滲ませた黒生寺に、ランティーユは小さく咳払いをする。
「言ったはずだよ。植物園と第2工学室の間のタイルは閉じたら行き来はできなくなるって。捜査のときに、その経路は閉ざされていた。だから、1階から3階側の人には犯行はできないんだ」
ランティーユの反論に、俺は思考を巡らせるが……うまく考えがまとまらない。
そんな時に、恐る恐る手を伸ばしたのは錦織だった。
「第2工学室の床に"1枚だけ割れたタイル"があったわ……あのタイルは、大きな重いもので一点で突いた感じだった……」
「それが、一体なんだっていうんだよ」
唾を吐き捨てるかのようにランティーユは挑発的に言った。
彼のことを無視して、錦織はメモ帳になにかを書いているようだが……。
やがて、ペンを止めて紙面を俺たちに見せつけた。
「だから、こうは考えられない……? 魔法少女を引き上げた後、アンタはホースと芝刈り機、そして大木の幹を利用して“重いもの”を落とした……そして、植物園の床に穴を開けて、植物園から第二工学室に戻ったのよ……違うかしら?」
「な、なんだいそれ? そんなバカげたことするわけないだろう!?」
「そ、それによ。おめーの言う“重いもの”ってなんなんだよ?」
「それは…………ええと、書道家。4階代表として答えなさい……」
そこは俺頼りなのか……!?
重いもので、かつ脱出口でもあるから、それなりの大きさがなければいけない。
そうなると考えられるのは……?
「もしかして、懺悔室の鐘にあった"舌"を使ったんじゃないのか?」
「あ? ゼ、ゼツ?」
「鐘の音を鳴らすための金具のことね……たしかに、あの懺悔室のベルなら大きさ的にありえるかも……」
「12時に黒生寺は懺悔室にいたんだよな? それなら、ベルの"舌"の部分は、その時点であったか覚えているか?」
「細けえことは覚えてない。……だが、俺がブッ倒れた時……デカい鐘に頭が当たって……なにかが落ちたような気はした……」
12時は、角が生きている時間だ。
犯人がその後に回収してもおかしくはないだろう。
「植物園には土の整備ではなく、床の整備って書かれてあったんだ。だから……植物園の床は整備されていて、その脱出口もなくなっていて、俺たちが来たときには元通りになっていたと考えられないか?」
『そういうシステマチックなことに触れてほしくはないんだけどさぁ……でも、そゆこと。タイルが割れたら運ぶ、張り替え、そして、壊れたタイルは食べられる』
「ふ、ふん……だから、第2工学室の割れたタイルだけが残っていたってワケね……」
事実このことを知ったのは探索の時だ。
それも俺が読み上げたから、彼は間違いなく知っているはずなんだ。
AM4:00~6:00 床の整備
上記の時間帯は植物室を封鎖いたします。
入園している者は処罰を与えるので注意すること
ランティーユは先程から奥歯を噛み締めているのか。
苦い表情のまま、俺たちに憎悪の視線をぶつけている。
「で、でも……本当に? ランティーユが角っち殺すって……なんで!? 本当だとしたら、どうしてそんなことしなきゃなんないのだ!?」
「マドモアゼル……そうだよ。ぼくは、マダム角を殺す理由も動機もない。彼女に恨みも怒りも持っていないからね」
「そういうマイナス感情だけが、殺害動機になるとは限らないわ……」
ぽつり、と呟いた錦織にランティーユはより一層険しい顔つきに変わる。
動機なんて正直、全然検討がつかないが……。
「…………おや。みなさん、ランティーユさんの動機をご存知ない?」
突如として疑問をあげたのは、すっとぼけた声。
辺見は手をあわせながら、こてん、と壊れた人形のように首を曲げている。
「あんだよ、急におめーは」
「あれ? 捜査のときに、萩野さんには言いませんでした? ……っと、失礼! 萩野さんは聞きたがらなかったから、言わなかったんでしたっけ!」
萩野は、どこか諦めたようにそっぽを向いた。
……なにか、思い当たるやりとりがあったのだろうか?
「私が言うと、みなさんウソだの言いますからね……そういうわけで、マナクマ」
『あのね、ボクはオマエのリモコンじゃないんだよ! リモコンはこっち!』
つぶらな瞳をつりあげながらも、マナクマはリモコンを取り出した……。
背の高い棚の前で、小さな頭が蠢いている。
その人物は、探るように人差し指を本にあててなぞりあげているようだ。
「ランティーユさん。掘り出し物は見つかりました?」
その背後で、後ろで腕を縛られたままの辺見が声を投げた。
重たい溜息でランティーユは無視する。
「うう、シカトだなんて。七島さんがあなたのことを優しいなんて言ってましたが、まったくのウソですね。……あなたは、真人間のフリした悪魔ではないですか」
「よく言うよ、死神が」
背表紙を軽くたたき、ランティーユは振り向いた。
図書室は薄暗いせいか、彼の陶器のような顔は影を帯びているようだった。
「でも、そうでしょう? 錦織さんにナイショで、彼女のテリトリーとも言える図書室を探ってるのですから。あなたもズルい人ですね?」
「彼女だけの図書室じゃない。ここは、みんなの図書室だ」
「強情でいらっしゃる……しかし、これからどうなるのでしょうね? もしも、このまま、事件が起らなかったらと考えると」
「やっぱり悪魔はお前だよ。また事件を望んでるなんて」
「だから私は死神ですってば! ……でも、事実ではないですか? コロシアイが起こらない限り、次の階も開放されない、大豊さんたちにも会えない。そして、なによりも………なにも起こらない。停滞な日常が続くだけですよ」
停滞――その言葉に、ランティーユの瞬きの回数が多くなったのは気のせいなのか。
だが、その気のせいを辺見は嗅ぎ付けたのか。
長く揃った睫毛を揺らしながら、そっと目を瞑る。
「なにもわからない。真実が見つけられない。そうして人生を終わらせる。ランティーユさんはそれを望んでいると」
「ちがう。そんなわけない」
「おや、それは望んでいない? ふふ、それじゃあ、やっぱり」
なにが楽しいのか。
歌うように笑う辺見は、瞼を開いて瞳を見せつける。
怪物が息を潜ませた海底色の瞳が、ランティーユを捕えあげた。
「あなたも、“その答え”に辿り着いているではありませんか。心の奥底では望んでいるんです。いつか、また、この中の誰かが、」
辺見の最悪な予言は、打音で叩き切られる。
その音が鳴るや否や、俺も思わず目を反らしてしまった。
すぐさま映像に戻ると、辺見は「うぐぇ」と情けない呻きを発していた。
右頬も少々赤くさせていたが……すぐさま、微笑に変わる。
見破ったぞと言わんばかりの、したり顔で。
「ほら。そんな顔して。結局、あなたもそうじゃないですか。あなたの行為が動かぬ証拠です。あなたにも“悪魔”がいる。大好きな大豊さんに見られなかったのが、せめてもの救いですね?」
映像の中のランティーユは……。
辺見と、自らの手を交互に何度も見遣っていた。
零れ落ちそうなほどに目を大きくさせて、じり、じりと辺見から後ずさりをし始める。
「ぼくは………っそれでも、コロシアイは望んでない。望まない。お前の望む未来なんかにはしたくない! 絶対に、してやらないからなっ!! 一生学園に住むことも、コロシアイもさせない!!」
「ムリですよ。それは、あなたが一番おわかりでしょうに。そうやって自分を言い聞かせることで、奮い立たせているんでしょうけれど。……あなたにも、“悪魔”はいるんですよ。そうして、いずれ“悪魔”に唆されて、知らず知らずのうちに、悪夢の中で罪を犯すのでしょうね。……いま、私の頬を打ったように」
ランティーユの手のひらは拳に変わり、寒気を訴えるように震わせる。
その震えは果たして目の前の悪魔への怒りか、殺意か。
ゆっくりと拳を手のひらに戻して、ランティーユは、一瞬だけ、すん、と鼻を鳴らす。
涙を奥へとしまいこんだ子供のように。
「しかし、理解できませんね。あなたは、どうして、そこまでして真実を求めていらっしゃるんですか?」
「ぼくは……ランティーユ・クレール。超高校級の鑑定士だからだ」
「ここで自己紹介ですか? 私だって、超高校級の清掃委員の…………って、やめやめ。こんなの不毛ですからね!」
「わかってるじゃないか」
ランティーユは吐き捨てると、よたよたと千鳥足で去っていった。
数分もしないうちに、次はバツの悪そうな顔で錦織が入ってくる。
「な、なんか今、出てったけど……」
「さあ。私は知りませんよ。勝手に喚かれていただけですので」
錦織は肩を竦めて、しばらくパソコンのキーを5分間程度叩いていた。
やがて彼女はパソコンから離れ、辺見にはなにも言わず、図書室の鍵を閉めたようだ。
咳払いをしても、辺見は1人だった。
ごろん、と寝転がった彼は、それを夜空に見立てるように天井を見上げていた。
「…………おやすみなさい、ランティーユさん。錦織さん。みなさん。どうか、あなたたちが恐れている悪夢が本物にならないことを。心から祈っています」
「…………へえ。そうかい」
映像が終わるや否や、ランティーユは呟いた。
顔をあげると……憤怒、侮蔑、恥辱が混ざりあった赤黒い顔が飛び込んできた。
一流のガラス職人が作ったような透明な瞳は歪みを起こしているようだ。
彼の輪郭がハッキリ見えないのは、俺の気のせいなのか、心の迷いのせいなのか。
「これが証拠と言うには難しいけど……私が図書室を出た後に魔法少女と出会ったなら……アンタも魔法少女に出くわしていて、そのときに別のやりとりがあったかもしれないわね…………」
「あ、そう。それじゃあ、ぼくを犯人にすればいい。その覚悟があるならね」
「ランティーユくん……?」
錦織の推察に対してランティーユは無の表情で、ハッ、と息を吐き捨てる。
白い手袋を身に着けた手のひらで、証言台を叩いた。
「投票に入ってくれ」
「え? お、おい、ランティーユ」
「なんだよ? 君たちがそう言ったんじゃないか、ぼくが犯人って。……でも、疑われてこそ一人前の世界だからこそだから仕方ないよね。疑えばいい。さあ、疑えよ」
「え?! ランティーユ? ちょ、ちょっと、ねえ!」
濁ったレンズのまま、大豊の言葉も無視して刃向う。
「この命を使って試せばいい。ぼくが悪魔じゃないっていう証拠を。投票で決めてくれ」
熱に浮かされたように、ランティーユは裁判場をぼんやりと見渡していた。
それを一笑するように、錦織はフッと息を吐きかけた。
「それじゃあ、お望み通り終わらせましょう……」
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってよ?! ランティーユ、角っち殺したってほんとなの!?」
そのとき。
心もとないランティーユの顔立ちが、躊躇うような怯えた表情に移り変わった。
「……ぼくは……殺してない。でも、みんなはそう思っている。ぼくが気がふれているって映像を見て、それを証拠に信じている。それだけの話だよ」
「……………! っな、なに言ってんの!? じゃあ、ダメだって?! そんなの!」
だが、そのやりとりを「ちょっと」と錦織が塞ぐ。
「アンタは今までの裁判で、なにを見てきたの……? 犯人なんて、みんなそう言うのよ……!」
「で、でも……!! みんな、ランティーユが犯人って本当に思ってるの!? たしかにアホでストーカーで気持ち悪いこといっぱい言うけどっ! それでも、ランティーユが人殺しなんて」
「じゃあ、他の容疑者は誰がいるっていうの!?」
怒気を強めて叫んだ錦織に、大豊は唇を真一文字にして口ごもった。
信じたくないという思いは、俺たちも大豊も一緒だ。
だけど、ランティーユは……。
「je ne suis pas le diable……」
悲鳴も、泣き言もあげることもなかった。
俺たちに分からない言葉を呟き、がっくりと諦めたように項垂れるだけだった。
「おい……おめーら待ちやがれ!!!」
そのとき、鶴の一声。
いいや。獅子の怒声が空気を割った。
曲がっていた背筋が思わず伸び、声の先を振り向く。
――萩野。
肩で息を切らした萩野は錦織によって睨まれる。
「なっ、なんなのよ……急に……?!」
「おめーら、なに流されてやがんだ? 全員に言ってやるよ。特にランティーユ、俺は……おめーに投票するのが怖い。おめーが犯人なんかじゃないって、俺の中で叫んでやがるんだ」
「あ、当たり前じゃない……っ! いつだって、そうだったでしょう……!!」
「ああ、そうだ。いっつもそうだ。だけどな。今回は違う」
萩野の気迫は凄まじく。血肉に喰らい付こうとする獣そのものだった。
ひたすらに渇望し、求め、それを手に入れようとしようと拳を伸ばす。
「ランティーユ。俺はおめーのことを本気で信じきれてねえんだよ! 不完全燃焼を起こしてやがんだよ!! これでいいのかってな!!」
萩野の声が、意志が。
俺の脳内の警報と共鳴して耳鳴りを起こした。
「Mais…………でも、さぁっ!!」
ランティーユはモノクルを外して、ぎらりと萩野を睨みつけた。
それは、負けじとなにかを探し出す小柄な猟犬の姿だった。
「そんなこと言ったって……どこにも証拠が見つからない以上、ぼくたちは駒を進められないだろう! 証拠や理由があってこそだ! なのに、それがないなら……っ! だったら、ぼくが犯人でいいっ! もうどうだっていい! あんな……あんなこと言われて……! 白黒つけられないぐらいなら、いっそ!」
彼は吠えた。哀しい慟哭。
犬の遠吠えのように長く反響した悲鳴だった。
証拠がない。それは彼の言う通りで、ほぼ出尽くしたも当然だった。
「バッカヤローッ! 辺見なんかに惑わされんな! まだ試合は終わってねえ! 判定待ちだろうがよ! 俺たちはまだ戦えるんだ! 可能性が残っているはずなんだっ!」
可能性……?
俺が萩野に疑問の視線を投げかけると、萩野はゆっくりと頷く。
「私も、大豊さんや、萩野くんの意見に賛成だよ。私たちは見逃していることがあるはず」
「萩野さんといい天馬さんといい、随分と悠長なご意見ですね。時間は有限なんですから、ダラダラと進めても意味ないですよ」
「うん、そうだね。それも承知だよ。だからこそ真実を明るみにしないと。私たちは先に進めないはずだから」
そう言って、天馬もしっかりと頷いた。
いつも彼女の瞳の中で輝き続ける星々に似た光を見て、改めてハッとさせられる。
……本当に、このままでいいのか?
「なあ、七島。……俺はおめーの力を知ってるんだ。前にオマエの声を聞いたとき、俺は気づいたんだ」
「萩野……」
「おめーのいいとこ。……それは、よく考えることだ! 何度も、何度も考えたうえで真実を見つけることができる! それがおめーの武器ってこと! それこそ、拳に匹敵するかもしれねえぐらいにな」
よく考えること。俺の思考が……俺の最大の武器。
この裁判を切り開くための、俺の銃を再び構え直した。
そうだ、ペースが乱れてしまったが、まだ考えるべきじゃないのか。
もし、ランティーユが犯人だとしたら、おかしなことは本当に皆無なのか……?
「……すまない。やっぱり仕切り直させてくれ」
やっぱり選択は、まだ訪れるときじゃなかった。
「ランティーユは犯人じゃない」
「な、なんですって……!?」
錦織がヒステリックに声を上げた。
彼女だけでなく、紅も息を飲み、黒生寺も顔も「なに……?」と呟く。
疑いが晴れそうなランティーユですら、茫然としているぐらいだった。
「貴様……その証拠はあるのか……?」
「"芝刈り機"だ。ランティーユに、あれを動かすことは不可能だろう」
疑われて神経が張り詰めていたランティーユも、思わず首を傾げているようだった。
ただ、錦織は負けじと、反論の言葉を紡ぎ始めようとしていた。
「不可能って……そ、そんなの機械のボタンを押せば誰だってできるわ……」
「うーん……不運じゃなくても、あんなにたくさんがあったら、ボタンを押すのは怖くなっちゃうよ」
「たしかに。あの機械は何十個もボタンがあった。あてずっぽうに押すのはできないだろう」
「ランティーユはビビリだから、もっと無理なのだ! できっこないって!」
「マ、マドモアゼル……ぼくのために……!」
「……けなされている気もするけど」と紅が小さく呟いたようだ。
やりとりをかき消すように、錦織がぱん、ぱんと証言台を叩く。
「あ、あのね……ボタン操作なんて、説明書を見れば一発でわかるのよ……!?」
「そこだ。ランティーユに、あの説明書は読めないはずだ」
「バ、バカげてるわ。日本語が読めないなんて…………えっ!?」
錦織もようやく気付いたのか。勢いよく顔をあげてランティーユを凝視する。
まじまじと見つめられて、ランティーユも困惑している様子だ。
「そうだ。ランティーユは日本語が読めないんだ。実際に、彼の生徒手帳は全て、フランス語で書かれているぐらいだ。カンタンな日本語しか読めない彼に、この説明書を読むことは不可能だろう」
「えっと、ちょっとは読めるよ? ちょーっとは。漢字は難しいけどね……」
「なら、なおさらだと思うよ。漢字ばっかりだし難解だから」
「そっか。おめー、文章について詳しく触れられなかったのは、読めなかったせいなんか?」
「そうだね……マダム錦織の後ろで見ていたけど、まったく分からなかったよ……」
これに気づけなかったら、ランティーユは……いや、俺たちは危うく……。
まだ複雑な思いを馳せているだろうランティーユに、まずは深々と頭をさげた。
「すまなかった。ランティーユ。お前を疑ってしまって」
「……ウィ。ぼくこそ、苦し紛れにあんなことを……………本当に、ごめん……」
本気で落ち込んでしまったみたいだ。
覇気がなく、憂いを帯びたまま目全体を覆った。
そんなとき、「もう!」と大きな愛らしい声が飛ぶ。
「ランティーユ! そんなシケた顔するなら、あたしがデコピンするけどいいの!?」
「ウーララ! 待ってくれ、いますぐにオールバックにするよ!」
「なんで喜ぶのだ!?」
……調子の良いヤツだ。
でも、それでこそランティーユと言えるのか……?
「でも、喜ぶのはまだ早いわ。犯人は見つかってないもの」
だけど、紅の言う通りでもあった。
今もなお、犯人の手掛かりを俺たちは見つけていない。
こうして見ると、やはり角の自殺なのだろうか?
でも、だったらあの傷はなんのために? 打撲痕があったじゃないか。
それに、角が言っていた"目覚めたあの人"のことも……
「……………いや、ちょっと待てよ」
そんなとき呟いたのは、萩野だった。
彼の瞳の奥には、小さな炎が灯されたようだった。
「もしかすると…………俺たちは、案外重要なことが抜けたまま推理をしてたのかもしれねえ」
「重要なこと……だと………?」
「おうよ。それに、賭けてみたいんだ。可能性……犯人かもしれねえヤツだ」
俺の中で蠢く心臓か、それとも血か。
萩野の言葉に緊張感が一斉に迸った。
彼の調査状況は分からないが、俺には、いま確証たる証拠を持っているとは言い難い。事実使えそうな証拠も残りわずかだ。
「七島。力を貸してくれ、俺だけだと、きっと犯人に辿り着けねえだろうから」
……それでも、証拠の有無なんて関係ない。
彼の決意に、俺は頷くだけだ。
「ああ、言われなくても。…………萩野。いま、お前は誰が犯人だと考えているんだ?」
最後の可能性だ、これが外れていれば、俺たちは……。
いや、先のない未来を見ようとしても無駄だ。
いま見つめるべきは、萩野の拳の先だ。
「やっぱり、おめーじゃねえのか。白河?」
彼が発した言葉は、弾丸に変わったようだった。
辺見はその弾丸を掠めたように、きょとんとしていた。
「…………はい? 私が、なにか? 私の小粋なトークを聞きたいと? それは物好きですね」
「じゃあ、何度でも言うぜ。白河、お前が犯人か?」
「萩野さん、喉にごみでも詰まってますか?」
「い、いや……えっ、ムッシュ? たしかに犯人にしたいっていう気持ちはわかるけど……あんまりこいつに関わるのもどうかと思うよ?」
「ええ。本当に驚きました! 何回も言っているはずですよね? 私は“縛られてました”から! そもそも、私は人を殺したことがありません。今までもこれからも。お忘れですか?」
「ああ、その通りだ」
裁判がざわつくのは火を見るよりも明らかだった。
俺も、まさかの萩野の肯定にギョッと目を丸くさせる。
「え………? そこは否定ないの!?」
「当然です。私は人を殺しませんからね!」
「そうだな、おめーは縛られていたからな。……俺たちが今日初めておめーを見たときは」
「……なにをおっしゃってるんですか?」
それでも萩野の眼差しは一切迷いも恐れもない。
「なあ、4階のみんなもさっき見たよな? 辺見が12時の時点で縛られていた姿を」
「そんな、やめてくださいよ、私が緊縛を受けているような言い方!」
「ランティーユさん。掘り出し物は見つかりました?」
その背後で、後ろで腕を縛られたままの辺見が声を投げた。
重たい溜息でランティーユは無視する。
「……だけどよ。ランティーユ、錦織。もう一度、思い出してくれねえか? 今日の朝に俺たちが見た辺見の姿を」
萩野に促されると、2人は各々視線を上に向けたり、指先を唇に触れさせる。
「……………アナウンスは鳴らないわね」
「え、ぢょ、ぢょっど……そ、そうでずよ。死んでまぜんがら、だすげでくだざいぃぃぃ」
棒立ちの俺たちに、辺見は情けない声を発した。
相変わらず、手首をガムテープで手錠のように前で縛られて転がされている。
「……っ!? な……! ア、アンタ、全然違うじゃない!?」
「なにがですか? 髪の分け目がですか?」
「“縛られ方”だ。図書室に俺たちが押しかけた時……おめーは、"両腕に後ろでテープが張られていた"んだよ。それなのに、今回の事件が発生した後は"手首だけ。しかも前に手を出す状態で縛られて"やがった?」
「……っ! 言われてみればそうだ! なにしろ縛ったのぼくだよ!? 後ろで腕を固定して……っ!」
……辺見の腕の縛り方が違うだって?
下層階のみんなは顔を見合わせていたが、辺見は、くだらないと言わんばかりに腕を組む。
「いやですね、たかが3人の記憶が一致しただけしょう? いや、一致してないかもしれませんね……萩野さんに言われて、同意しただけでしょう? だいたい手錠と違って、ガムテープなんですから外れて付け直したとも言えません? ま、私はそんなことしてませんけど!」
辺見はからからと取り繕うように笑い始める。
………しかし、萩野の証言は、錦織もランティーユも賛同しているんだ。
少なくとも、辺見と違ってウソをつくような2人じゃない。
天馬も考え込むように「うーん」と言葉を紡ぐ。
「でも、逆に、こうは言えないかな? ガムテープなら、一人で自分自身を縛ることもできる。手を前に縛る状態なら……」
「ウィ、そうだよ! じゃあ、あの怪盗が来たってのもウソってことか?!」
「怪盗が来たのは本当ですよ。だって、注射の痕もあるじゃないですか。っていうか、縛られていたという事実は変わりありませんよ。縛られているのに、どうやって私は外に出るんですか? 大体、図書室の鍵を持っている人って錦織さんだけでしょう? では、錦織さんが犯人じゃないんですか?」
「ど、どんなロジックしてんのよ!? なんで私が……っ!!」
……本当に図書室に入れるのは錦織だけか?
それに、辺見の部屋に入れたのはランティーユだけなのか?
ふと思いついた、1つの可能性が頭に宿った。
彼女が残してくれた“鍵”……それに、賭けてみよう。
「答えはきっと、角の中にあるのかもしれない」
「ど、どういうことなのだ?」
「角は……マスターキーを持っていたんじゃないのか?」
「マスターボー……ではなく、マスターキーですって?」
俺は頷いて、一つの証拠を見せる。
先ほども読んだ、黒生寺宛に残された角からの手紙だ。
最後に。
先生は2つの希望の鍵を、"職員室の金庫"に残されました。
1つは芙蓉が持っております。
そして、もう1つは"目覚めてくれた、あの方"が教えてくれるはずことでしょう。
「あの文面に残されていた希望の鍵、それは職員室に保管されていた、学園のマスターキーと考えられないか? ……1つは角が、もう1つはクロが持っていたなら……ホースだって取れる、角だって図書室にだって行ける」
「いやですね。ビックリするほど突飛な推理でいらっしゃる。角さんは鍵なんて持ってなかったじゃないですか」
『あのね。あれは角さんのものじゃなくて、ボクの宝物なの! 奪われたら取り返す……死体からボッシュートや! ったく、あと一つはどこに……ぶつくさ……』
「ということは……角は、本当にマスターキー持ってたのね?」
『どっきりコング! 言っちゃった……』
マナクマは大きな口に手を当てていたが、緊張感や焦りは一切なくニヤニヤと笑っていた。
辺見はといえば……オーバーに手を振り、「やれやれ」と仕草を取る。
「はあ………仮にですよ、マスターキーも縛られ方も本当だとしてですよ? 私にとっては『だからなんですか?』としか答えようがありません。だって、私が角さんを亡き者にする理由がありませんもの! 私が人を殺すとお思いなんですか?」
「いいや、俺はおめーが殺したとは思ってねえよ。おめーに話してもしょうがねえことだしな」
「分かっているならいいんです。…………いや、あなた、なにを言っているんですか?」
先ほどから、萩野の発言に違和感があった。
さすがの辺見も気づいたのだろう。
「俺が話したいのは辺見じゃない。……“白河海里”だ」
――白河海里。
犯人を指摘するときから、萩野はずっと『白河海里』と呼んでいた。
疑念と困惑をのせながら、辺見は奇異のまなざしで萩野を見つめる。
「ええと……あなたは、いったい、なにを言っているんですか?」
「次はこの証拠を出させてもらうぜ」
そう言って、萩野が提示したのは文章が書かれているデータのようだ。
『〇月〇日 面談結果』
本日、生ける自▲志望者は、▲●■と腰を据えて面談を行った。
その▲●■は、見た目は穏やかであるが、▲●を愛してやまない●であった。
生ける自▲志望者は、その●に生ける自▲志望者を▲し、救済を与えよと望んだ。
それを聞くや否や、×は歓喜して生ける自▲志望者に鉄パイプを振り下ろす。
生ける自▲志望者はひらりと間一髪すれすれで避け、机をへこませた。
嗚呼、なんて素晴らしき身のこなし! 生ける自▲志望者も喜びに満ち溢れた。
残念ながら、この日の×は(本●曰く)パワー不足と言い、生ける自▲志望者を▲すことはできなかった。
しかし、必ずや生ける自▲志望者の望みを叶えると意気込みを語ってくれたのであった。
それに伴い、生ける自▲志望者は、×と学園長にも秘密の契約を結んだ。
自分を▲してもいいが、他の生徒は▲してはいけない。
そして、×の、もう一つの●◆を誰にも言わないことを約束したのだった……
文章ではあるけど、穴抜けなのか、はたまた文字化けなのか。
パズルのように文字が欠落している。
「この文章は……いったい、どういうことなの?」
「錦織が言ってたんだけどよ。この▲とか●は同じ文字が入るらしいんだ。▲は『殺』だろうな。鉄パイプを振り下ろす行為、そもそもの生ける自『殺』志望者の箇所だからな」
「つまり、▲には殺。あと、●には人が入るってことか? 本●曰く……は『本人』だろう」
「う、うーん……漢字が多すぎてちんぷんかんぷんだよ」
「×は性別の男か女、あるいは彼が入るのかな?」
……つまり、こういうことか?
俺は咄嗟に半紙を取り出して文字を埋めていき、文章を新たに作り出した。
『〇月〇日 面談結果』
本日、生ける自殺志望者は、殺人■と腰を据えて面談を行った。
その殺人■は、見た目は穏やかであるが、殺人を愛してやまない人であった。
生ける自殺志望者は、その人に生ける自殺志望者を殺し、救済を与えよと望んだ。
それを聞くや否や、彼(または『男』/女)は歓喜して生ける自殺志望者に鉄パイプを振り下ろす。
生ける自殺志望者はひらりと間一髪すれすれで避け、机をへこませた。
嗚呼、なんて素晴らしき身のこなし! 生ける自殺志望者も喜びに満ち溢れた。
残念ながら、この日の彼(または『男』/女)は(本人曰く)パワー不足と言い、生ける自殺志望者を殺すことはできなかった。
しかし、必ずや生ける自殺志望者の望みを叶えると意気込みを語ってくれたのであった。
それに伴い、生ける自殺志望者は、彼(または『男』/女)と学園長にも秘密の契約を結んだ。
自分を殺してもいいが、他の生徒は殺してはいけない。
そして、彼(または『男』/女)の、もう一つの人◆を誰にも言わないことを約束したのだった……
書いた文字を見せると、萩野は礼を言うように力強く頷く。
「だいぶ埋まったが、ここからだ。まずは殺人■。これは殺人者、とも考えられるが、その場合は、生ける自殺志望"者"も抜けるはずだ」
「殺人者以外の、殺が頭につく3文字の単語ね」
「ああ。そう考えられるのは一つ……"殺人鬼"じゃねえのか?」
「ええ!? 萩野さん? 私は殺人鬼ではありませんよ?」
「おうよ。……だけど、ここに、もう一つ分かっていない文字があるだろ?」
萩野は一つの文字を、とん、とんと叩き示した。
"人◆" またもや文字抜けをしている部分だ。
「もう一つの、人◆。これは一体、なんなんだろうな?」
「クイズ形式で話す男の子は嫌われますよ、萩野さん?」
「じゃあ。これが答えだよ」
萩野は証言台に手を乗せて軽く身を乗り出す。
「角が言っていた目覚めたあの人。そう考えると、これは……"人格"とも言えるんじゃねえか?」
「ええと、萩野さんはなにが言いたいんでしょう?」
わざとらしく、首を傾げてあどけない笑みを浮かべる辺見。
そんな様子を無視して、萩野は冷淡に一息つく。
「辺見ルカリス……もう一つの人格。白河海里。そいつに聞いているんだよ」
「私には、理解できません」
間髪入れずに、涼やかな声によって遮られる。
あれは、いつかどこかで聞いたはずの声とトーン……
だけど、その顔は目も口も三日月にしてにやにやと笑っていて、俺の記憶とはアンバランスだった。
「人格……つまり、私が二重人格と言いたいのですか? そう思うのも無理はないでしょう。私は白河海里という名を使って辺見ルカリスという存在を欺いていましたからね……。
……しかしですよ! 私は二重人格ではありません。私は現に辺見ルカリスとしての白河海里を提供した際に、みなさんの名前を憶えていました。それが事実ですよ。本当の二重人格ならば、人の名前など憶えていないはずです。私は私を認識できているんです。だから……」
息を吐いて、辺見はニコリと清らかな笑みを浮かべた。
一点の染みもない笑顔。と本人は思い込んでいるであろう、その笑顔は。
「言いがかりは不毛なだけです! だから、早く真犯人を見つけましょう? ……ね?」
歪そのもの。
ヤツは、生き延びるためならどんなことを行う。
たとえ人智を超えた悪魔や怪物にも魂を売り払い、死神を自称するんだ。
「図書室で俺が倒れる前に、角がおめーに言った言葉、あれも証拠の一つになんねーか?」
だが、萩野は死神に臆せず拳を作りあげる。
彼はたとえ神殺しだとしても立ち向かうのだろう。
それが俺たちの望む未来のためならば……。
「あらら、仲間割れですか。それは、ご自由に……あ! もちろん、私に飛び火はしない程度にね?」
「そ、そんな……白河さま。いったい、どうなされたのでございますか? そのような薄情なことをおっしゃらないでくださいませ!」
「そもそもの話……角がおめーのことを、ずっと『白河』って呼ぶのも気になってたんだよ」
「それは、角さんが記憶喪失でおかしくなってしまったからでしょう?」
「まあ、これは小さな根拠にすぎねえんだよ。……俺が倒れる前、おめーは、仲間割れに対して飛び火はするなって言っていたな? そんなおめーに角は『薄情なことを言わないでほしい』……そう戸惑っていたのを覚えているんだ。でもよ、これっておかしくねえか?」
「どこがですか? 友人同士のありふれたやりとりでしょう?」
「おめーの発言が薄情なのは事実だろ?」
そんなひどい……と、辺見があからさまに肩を落とす。
しかし、萩野は無視してさらなる追い込みをかける。
「だがよ、おめーが辺見だって分かる前……白河海里として偽っていたときも、こんな風なこと言いそうじゃねえか? それなのに、あの時の角は、お前の発言にだいぶ戸惑っていた。それは……角の記憶の中のおめーは、“そういう薄情なことを言う人間じゃない”とも言えねえか?」
「やれやれ……発言一つでここまで繰り広げるなんて。全国共通テストの出題者になったらいかがです?」
たしかに、この発言というのは不確かなものだ。
証拠というには難しいだろう。
だが、萩野の切り開いてくれたことは無駄ではない。
辺見の二重人格、あるいは俺たちの知らない『別の側面』があるならば。
今なら、あの違和感も解けるかもしれない!
「……なあ。それじゃあ、あの時のお前は、どうしてハサミを突き付けられても平然としていたんだ?」
「はい?」
「マナミに見せてもらった写真の中で、お前は井伏や十和田、そして真田と映っていたんだ。お前は真ん中で、両手でピースをしていた。これも、ちょっと変だったけど……それだけじゃない。
お前の右手のピースサインに、真田のハサミが近くにあったんだ。それこそピースサインに触れるぐらいの距離で。それは何故だ?」
「七島さんも、なんの話をしてるんです?」
「いますぐ写真を出してくれ。それを見れば一目瞭然だ」
だが、モニターにはなにも映されなかった。
「…………あ、あの、悪いけど……文書と違って写真は図書室のパソコンに転送してないわ………だから、アンタの言う写真のデータが入ってるのは………」
決まりが悪そうな錦織の視線の先にあるのは……ノートパソコンだ。
……まさか、データはあの中にしか入っていないのか?
「な、なあ、錦織。もう一度、マナミを呼んでくれ」
「無駄よ……彼女が出てくるとは思えない………」
「そうだとしても、話だけでもさせてほしい」
逡巡していたようだが、錦織は諦観の溜息とともに証言台の上にパソコンを置いた。
画面はブラックアウト状態で、マウスを動かしても反応はなし。
電源はついているようだが……さて、なんて言おうか。
「な、なあ。マナミ、聞こえているか? あの写真を見せてくれ。あれがないと、俺たちは先に進めないんだ。だから」
「違う」
端的な低音……声を撃ちだした黒生寺は、ずかずかとパソコンの前に歩み寄った。
彼は両手で画面を挟むように、がっしりと掴む。
いつの日か、天馬の肩を玉砕しかねなかった冷酷な力強さは感じられなかった。
「おい、聞け…………貴様はアイツを殺した犯人を知らないまま、スクラップにされてえのか……俺は……俺が死ぬのは構わん……だが、アイツを殺したヤツだけが生きやがる……そんなことだけは……!」
「くそっ」と感情を唾にして吐き出す。
今、彼の眉間のシワは、いつもの怒りや不快などの単純な感情で刻まれていなかった。
「海に飛び込んでもイルカにバウンドして生き延びたアイツ……あの先公を殺すことは、結局、これしかなかった……絶望に堕ちて死ぬに死にきれなくなったアイツを救えたのは貴様しかいなかったんだ…………だから、アイツは自己を失っても、貴様を本能で残そうとしていた…………それはきっと…………クソったれで反吐の出る言葉だが、それは……っ! 貴様のため……希望を信じたからじゃないのか……!?
先公だけじゃない! ……っ、彼女もだ! 貴様の夢を叶えるために、希望を壊さないために戦ってきた!! それをムダにしたまま潰れてもいいのか!?」
そのとき、黒い画面が一瞬だけ閃光が灯る。
それは一時にすぎず、黒生寺は無念の息を吐き出した。
「………俺は、酷なことを告げた……貴様を戦場に放り投げようとしている……だが、それでも……これだけは、俺も譲れない……」
彼の長身がゆっくりと折れはじめた。
黒生寺は桃色の床に大きな右膝をついていた。
黒い服と桃のコントラストが際立って、彼の体の輪郭がくっきり映し出される。
「写真を見せてくれマナミ……アイツらのために……頼む!!」
黒生寺は両膝と手のひらをつくと、頭を勢いよく下げ……
『待って! 土下座はダメ!!』
画面が切り替わり、桃色のマスコットが現れた。
それでも黒生寺は、頭を垂れて床に視線を落としている。
マナミはしょんぼりと手を合わせて俯いていたが……やがて、正面に向き直った。
『………あ、あのね、黒生寺くん。あちき、思い出したんでちゅ……角さん…………ううん、フラワー・フローラが言ってたこと。魔法少女たるもの、涙はあれど諦めは禁物って』
涙を溜めていたマナミは、凛々しい表情に変わる。
『だから…………あちきは、』
その顔立ちに、俺たちは見覚えがあった。
いつもステッキを構え、迷う者、ヤケになった者たちを身を呈して何度も救い、新たな道を切り開こうとした魔法少女の姿。
すぐさま画面が切り替わった。
映し出されたのは3枚目の写真だった。
「…………なっ……? はぁ!?」
辺見は口に手を当て、驚愕で目を見開かせる。
端正な顔の表面には大量の汗が流れ、毒を盛られたように血の気が勢いよく引いていく。
なによりも、聞きのがさなかった。
「どうして、これが……」という小さい悲鳴。
今までに見たことがない、完璧な動揺だ。
だって、この写真を見る限りでは。
3枚目の写真は机を並べているが、左から井伏、十和田、辺見、真田、の順番で一緒にいる。十和田は井伏の頭の上にのった小竹を見てニヤニヤしている。辺見は謎の真顔ダフルピース。隣の真田は、右手にはさみを持ってピースサインを作っている。……よく見ると、手袋をはめたランティーユの手が左端にピースだけ見えた。
「お前は先端恐怖症だったよな? 針に触れるか触れないかで、ガクガクと震えてたのを知っているんだぞ……!」
「えーと……あの、いやですね、七島さん……? それは、その通りですけど、当たっているか当たってないかなんて、こんな写真だけでわかると思いますか?」
「ごちゃごちゃとうるせえ……! いいから見ろ……ッ!」
ズカズカと辺見に詰め寄った黒生寺は、サバイバルナイフを喉に押し当てようとする。
ひゃ、ひ、と情けない息の音が発される。
写真の自分と、今の自分を交互を比べるように、辺見はおろおろと困っている。
「わ、わかりました! わかりましたからっ! 見ればいいんでしょうっ!?」
一斉に皆の視線を浴びながら。
彼は、そろりそろりと歩み寄り、パソコンを覗き込む。
それと同時に、パキン……と砕かれるような嫌な音が発された。
『ほえ……? ぎっ、ぎぎゃぁぁああぁあぁぁぁぁ!! あちきのCとRとFとTとYとGがぁぁぁぁぁ!!?!』
またしても耳を劈く、マナミの長い叫びが響き渡った。
けたたましい絶叫の中で、辺見は強く拳を握りしめていた。
ぱらぱら、とキーボードの破片が床に落ちる。
それは嘘のように力強く乱暴な手つきによって壊されていた。
「ああぁぁぁぁっ!? な、なにしてんのよ!?! べ、べべべ弁償なさいッ!?!」
壊した際の顔は見えなかった。
それでも、マナミ、そして錦織の悲鳴の中。
辺見は両手を広げて、目をぱちぱちとわざとらしく瞬きをする。
「わあ、しまった。うっかりやっちゃいました! でも、コンピューターとは言え、人殺しなんですから。このぐらいのバチは仕方ありませんよね?」
「うっかりぃ!? うっかり八兵衛も真っ青のレベルじゃねーか!! おめー、そんなに逃げてえのか!?」
「逃げたいですって!?」
辺見はしっぽを触られた猫のように神経質に叫んだ。
かと思えば、く、くく、と不気味に笑い始める。
マナミ、角。お前たちは確かに希望の存在だったんだ。
俺はそう噛みしめながらも、証言台に力なくよりかかった辺見を睨みつける。
「こんな合成写真で私が騙されるとお思いなんですか? って、ああ、あなたたちは騙されちゃったクチですか。それはそれは、ご愁傷さまで……」
辺見は、まだ逃げ道を作ろうとしている……それでも、包囲されたことは違いないのだ。
淀みなく言い切るために、俺は呼吸を整える。
そして萩野の繋いでくれたバトンを受け取る。
「頼むぜ」と萩野は拳を軽く振っていた。
「もう一度、今回の事件を振り返らせてもらうぞ」
俺は辺見に言い聞かせるように告げる。
「これで終わらせよう。そして、認めるんだ。自らの過ちを」
◆Act1
今回、突如として現れた怪盗によって、俺たちは分断生活を余儀なくされていた。
分断されていたとき、角は3階までしかいけなかったはずだが、彼女は4階で殺されていた。
まずは、このことから話をしよう。
前回の事件で梯子に激突したこと。
そして真田を制止したときの頭の強打で、角は“俺たちの知らない過去”について思い出していた。
だから、俺たちの知らない怪盗のことや、隠し通路のことも知っていたんだろう。
角は、後に萩野たちも発見した"美術室の天井裏"のルートによって、3階から4階に行くことができたんだ。
美術室の天井裏にあったブレーカーのスイッチに、"ハッキング銃"による妨害電波を飛ばしたことによって隠し通路の入り口を出現させたんだ。
こうして、4階の植物室に辿り着いたのは角。
そして、今回の事件の犯人だったんだ。
犯人は図書室に隔離されていたけど、角が訪れたんだろう。
恐らく彼女が"金庫"で手に入れた"マスターキー"を使って、犯人と接触できたんだろう。
◆Act2
彼女の残した"怪盗を呼び出す紙"によって、"怪盗"は植物園へと出向き角たちと対面した。
絶望に侵された怪盗と、彼らは戦ったんだろう……攻勢、劣勢まではわからないけれど。
それでも、決め手を角は狙っていたんだろう。
負けじと怪盗のYシャツに掴みかかったんだ。
その際に、今回の犯人は"鉄パイプ"を手に取って……後ろから角の右膝の裏を殴ったんだ。
植物園から美術室の天井裏に続く“抜け穴”に、彼女を怪盗と共に落とすつもりだったのか。角もそれを望んでいたのかは知る由もない。
だけど、ここで彼女にとって思わぬことが起きたんだ。
怪盗は掴まれていた"Yシャツを自らのナイフで切り離してしまった"んだ。
だから、彼女の手から逃れてしまい……角だけは、植物園から第二工学室、そして美術室の天井裏まで落ちてしまい、転落死してしまった。
犯人も怪盗にやられたか、逃げたのか……もしかすると、そのときにウイルスも打たれたのか。
なんにせよ、このときは怪盗をみすみす逃がしてしまったんだろう。
◆Act3
残された犯人は転落した角を引き上げるために、一旦美術室へと降りた。
きっと、犯人は、なんらかの方法でやってきた角が植物園で死んで、4階側の人間に殺されたと仕立てあげたかったんだろう。
犯人は元々持ってきた"ホース"で角の身体を縛って、結ばれていない一端を植物室の"芝刈り機"につけた。
そして、植物園の芝刈り機を作動して動かしたことによって、角は植物園に引き上げられたんだ。
彼女が転落死ではないというカモフラージュのためにだ。
だけど、カモフラージュは時間がかかってしまった。
途中で、“第2工学室”に怪盗が来てしまったんだ。
その時に犯人は下にいる怪盗に驚いたのか、咄嗟に植物園で“隠し通路の扉”を閉めてしまったんだろう。
◆Act4
怪盗が“第2工学室”に来た理由――それは自らの動力、ヘルメットの充電のためだった。
コードを体に繋いで延命処置をする……そのはずだった。
その時間は、2時。
ちょうどマナミのUSBメモリーに入っていたファイルの解析が完了したときだった。
ファイルの中身は、怪盗が絶望に堕ちた映像。
そして、第2工学室の“コンピューターに侵入する権利”だった。
彼女は自らの意志で第二工学室のコンピュータに侵入して怪盗のコードに電気を流し込んだ。
それによってヘルメットは熱暴走を起こし、彼自身の脳や体に雷以上の強烈な電気が流しこまれたんだろう。
こうして怪盗は自らを動かすための原動力が失われ……その命を成す術なく落としたんだ。
◆Act5
犯人は元いた場所に戻るために人工芝を掻き分けて、“タイル”を露出させた。
そこで犯人は、懺悔室で破損してしまった鐘の"舌"を利用したんだ。
芝刈り機と、"ホース"を使って、支点を木として"舌の部分"を持ち上げ……植物園の床の“タイル”を突き破らせたんだ。
だから、第2工学室の床には割れたタイルがあったんだろう。
その後はホースを幹に巻き付けて、自らも第2工学室にまで降りた。
第2工学室まで辿り着ければ、後は天井裏に戻るだけだから問題ない。
使っていたホースも、第2工学室から投げこみ植物園に残しておいたんだ。
植物園側の破壊されたタイルは朝にはマナクマによって戻されることも犯人は知っていたんだろう。
そして、犯人は図書室を施錠した後、"ガムテープ"で自らを縛って元の状態に戻した。
自分は今回の事件に関係ない。
むしろ怪盗に襲われていた……そう思わせる証拠を作ったんだ。
自らの潔白を証明をするために、お前は数々の犠牲を産みだしてきた。
だが、こんなふざけた死神役者は今日で終わりだ、辺見ルカリス。
いいや、白河 海里!
「これが事件のすべてだ。なにか反論は」
「わかりました!!」
俺が間を待つ前に、辺見は言い放った。
息を吐く間も与えないとは、まさにこのことだ。
ギラついた照明の眩しさを意識してしまい、足元がおぼつかなくなるが、持ちこたえる。
「よーく理解できました、はいはい、はいはいはい、はーいはいはーいはい!!!」
辺見は雑な相槌をがくがくと繰り返した。
「では、排水溝のような口臭を綺麗さっぱりなくしたうえで、私にお聞かせください」
老齢の柳のような儚げで強かな青年は告げた。
のらりくらりと翻そうとしているが、今度は彼自身も確実に、俺たちの息を止めようとしていた。
「あなたがたの言う"白河海里"というヤツにね!?」
白河海里、そのものの人格のことを意味するのだろう。
そもそも、人格があるかどうかも、まだ憶測に過ぎない。
しかも、その手立てらしきものは……。
「へけえっ!? え、ええと、くしゃみをさせるのだ! くしゃみ!!」
「くしゃみは前にしていたけど、ダメっぽかったよ!?」
「じゃあ、奇をてらって、あくびとか?」
「たしかに対にはなりそうだけど、ちょっと違うような気がする」
人格を引き出すための証拠。
ここが正念場、いや。辺見の罪を断罪するときがきたんだ。
涙を流し、殺し、殺された彼らへの結末をつけるために。
死神の仮面を暴いてみせなければ……!
「辺見以外の人格がお前にはいるはずだ。そろそろ正体を明かすんだ、お前は何者だ!」
「正体ですって? 化けの皮を剥がせとでも言いたいんですか? 円居さんは人間の皮をかぶった怪物のようでしたけど、私は正真正銘の人間です。人を喰らう真似はしませんよ? あっ、私の皮は剥がさないでくださいね、痛いですから!」
「いったい、どの口がそんなことを言えるんだ? 偽善者であり続けるのはもうやめろ」
「偽善者ですって! それって、ちょっと前に死んでしまった真田さんのことを言ってますか? 正義面した偽善者とはまさに彼女のことですよね!」
「自分と向き合うんだ、辺見。お前は人のことを裁くような立場じゃない」
「いいえ、あなたよりも誰よりも、私は自分のことを知っています。私は潔癖で潔白です。あなたがたが糾弾すべきは、猪鹿先生の腕を壊した萩野さん、ファム・ファタールの紅さん、自らの罪と罰を受け入れようとしない大豊さん、そして数々の殺人を犯した黒生寺さんでしょう! 彼らこそが汚れた罪人そのもの! 裁かれるべきはあなたがたの誰かです! 私なんかじゃない!」
「その連ねた名の中に、自分の名前を大きく刻むんだ。辺見!」
「いい加減にしてくださいよ一体全体なんの恨みがあって私にそんなでたらめを言うつもりですかまるで私が犯人みたいな言い方やめてください!! いいですか、白河海里は私の本名にすぎないんですよっ!!!」
内臓まで吐瀉する勢いで辺見は捲し立てた。
彼が巧みに人々を苦しめてきた劇薬の効き目はなくなっているようだ。
「私は白河海里で、辺見ルカリスです!!! そして、これ一つが私の一つの人格!! 私以外、私の存在なんていない! "他の者なんていないんです"よっ!!!」
「止めが甘いぞ!!」
彼のマシンガンに向けて一発の弾丸を解き放った。
「ずっと気になっていたんだ。何故、あの植物園に“ハンドベル”があったのか。あからさまに置いてあるハンドベルをどうして犯人は元に戻さなかった? 犯人は何故それを隠さなかったんだ?」
「べ……ベルなんて、どうでもよくありませんか……? なに言ってるんです……?」
疲れからなのか、まさかのことに突かれたのか。
いささか曖昧でつっかえた返事が返ってきた。
「それに、触れない理由があったのか……どうなんだ?」
『あ、これのこと?』
ちょうどいいタイミングなのか、マナクマが見せたのはケースに入ったベルだった。
「やめてください」
雨滴のような言葉が、ぽつりとひとひら落ちた。
「やめてください。や、やめて、やめて、やめてやめてごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいそれだけはやめてください私はごめんなさいごめんなさいいやですすみませんやめてくだいぃぃぃぃいぃぃぃ!!!??!!」
突如とした無数のとめどないスコールの悲鳴。
思わず不快感に耳を塞ぎたくなったが……やっぱり、これが。
「お、おいおい……これなんか?」
「ああ。このベルを鳴らせば……恐らくだ。これだけが無造作に放置されていたのは、お前が触れられない、あるいは触れたくない理由があったんだな」
「あっ、あっ、ご、ごめんなさい私っ! 私はちがっ……! ちがうんですってば! 私は犯人じゃないんですって! お願いしますからそれだけはやめてくださいお願いですから許してくださいぃぃぃ!!」
『ほんじゃ、ここに置いておくね』
これを使えば、真相は明らかになるだろう。
俺は手を伸ばして、隣の角の証言台に置かれたケースを。
「っあ……待ちなさいっ!! なにをして……っ!?」
……今の声は、紅か?
慌ててベルのケースを手の中におさめるも、駆け寄ってきた萩野に手首を掴まれて、大きく首を振られた。
推理していたときの彼とは正反対で、焦りで息が乱れているようだ。
なんだ? いったい、なにが。
「七島さん。止まってください。そして、今度こそ私の言うことをよく聞いてください」
打って変わって冷静な声が耳にこびりつく。
裁判場がシーツを勢いよくひき伸ばしたような、そんな緊張感に見舞われたのを肌で感じさせられる。
視線を上げると、俺は瞬間冷凍剤を吹きかけられたかのように凍りつく。
あわあわと口を震えさせる大豊。
そんな彼女を手で制するように守る一方、涙目でなにかを睨むランティーユ。
辺見の右手には拳銃。
銃口の先は、死神の左手で押さえつけられた天馬の首元だった。
「……っ!? お、お前……なにを……っ!?」
「あらら? 私の言うことが聞こえませんでしたか? もう一度言いますね。……止まってください。七島さん。くれぐれも、ベルを鳴らすなんて愚かなマネはしないように。いいですね?」
こいつの言う事なんて聞きたくない。
それでも、目の前のシーンを停止させるには、俺もまた動きを止めるしかなかった。
「貴様……自分の首を絞めるマネしやがって……」
臆せず、黒生寺だけが辺見に拳銃を構えた。
さすがに疲労が溜まっているのか、アイツも動揺を隠しきれないのか。
辺見の真白の肌は、びっしりと汗で埋めつくされている。
「ふっ、ふ、ふふふ、ふざけんじゃないわよ!! ふふふ、ふ、不運をっは、はな、離しなさいよぉっ!?」
「大丈夫だよ、錦織さん。私、まだ死んでないから」
「そ、そういう問題じゃないでしょっ!? っていうか、ア、アンタ、落ちつきすぎなのよっ!?」
「錦織! 落ちつくのはあなたのほうっ! いま、刺激するのは危険よ……っ!」
錦織が今にも飛び出さんと言わんばかりだが、必死に紅が押さえつけている。
拳銃相手に、さすがの萩野も一歩が踏み出せずに苛立っているようだ。
ただ一人、黒生寺だけは片手の銃を光らせながら、荒野のガンマンとして辺見を仕留める覚悟を決めていた。
「答えろ白野郎……貴様が、アイツを殺したんだな……」
「アイツとは、角さんのことですか? いいえ、私は殺していません。だから犯人探しを、もう少し続けましょう?」
「じゃあ、何故、そいつを盾に取ってやがる……」
「彼女が不運だから……という冗談はやめましょう! いいですか。私が欲しいのは、あなたがたが持っているベルです。散々言っているからご存じでしょうけど、私は血や暴力なんて大嫌いてす。あなたがただって天馬さんの脳天が撃ち抜かれるところは見たくないでしょう? 私だってそんな恐ろしいこと望んでいないし、やりませんよ。……だからね? ここまで言えば、わかりますよね? 平和的な交換をしましょう?」
「交換するのは貴様の命だ……」
ハッ、として俺は黒生寺の拳銃を見遣る。
すでに引き金は少しの衝撃で撃てるように指をかけられていた。
辺見は青褪めた顔であるが、息を切らしながらも微笑んでいる。
にやにや、にこにこ。悪寒が走るほどの不気味な笑みだ。
「あなたは四月一日さんのように誇り高い人間でもない。藤沢さんのような魅力的な人間でもない。そして、井伏さんのように罪を償おうとする贖罪者でもない。自分でもわかっていますよね」
お前の本当の心はどこにあるんだ?
そう尋ねたいほどの空虚で真っ黒な笑顔。
あの時、最初の日に、自己紹介してくれたお前は、一体、何者だったんだ?
そして、今、拳銃を少女に向ける、お前の名は、なんて言うんだ?
「あなたはガンマンです。ダーティなことも上等の世界に生きてきた。……だから、そのままでいい。憎いだの悲しいだの考える必要ありません。いつものように引き金を引くだけでいいではないですか。
あなたは超高校級のガンマンなんですから。あなたの言うとおり、私が角さんを殺したというなら、そんな私のことを殺すことも簡単なはず、ですよ……ね?」
黒生寺の目が血走り、人差し指に力がこめられる。
その引き金の指を止めるように。
俺は黒生寺の腕に手をあてていた。
辺見の腕の中でもがきながら、天馬も目で静かに訴えていた。
「黒生寺、撃つな。アイツは天馬を盾にするつもりだろう。そしたら、お前が犯人になって死ぬだけだ。……だけど、辺見は」
だから、俺は真実を伝えよう。
染みもなければ、1ミリも歪みもない。
「お前が撃っても、撃たなくても死ぬんだ。…………そうなんだろう?」
お前の愛してやまない、穢れなき真実を。
辺見は虚を突かれたように、胸にどすんと銃弾を受けたように。
拳銃を落として、自らの手をしばらく見つめた。
――それは、自らの手の汚れに気づかされた顔立ち。
――辺見自身の、絶望だった。
だが、それも束の間だった。
彼は天馬を床に投げ捨てて走り出していた。
一直線に向かってきたのは黒生寺の手元。
まさか、と思ったときには一足遅く、俺は突き飛ばされて尻餅をつく。
黒生寺も「グッ」と低い呻き声をあげた。
辺見は両手で、彼の銃を握る手首を掴み取っている。
「っ?! ……っき、貴様ァ……ッ!」
「お、おい、黒生寺っ!!」
「来るなッ!! 暴発するぞッ!?」
黒生寺は吠えるように警告を飛ばす。
どこにそのような力があるのかと、黒生寺は焦りを見せながら辺見の手から逃れようとする。
「わ、私は……私はぁ……っ、なんにも悪くないんですよ……!」
涙をぼろぼろと流しながら、辺見は弁明を繰り返した。
辺見は黒生寺が握りしめる拳銃をぐいぐいと動かそうとしている。
「あなたが……っ! あ、あなたみたいな輩が殺さなければ誰が殺すというんですか……!? あなたが殺人鬼だ……あなたは殺人鬼だっ!! 悪いのはあなただ! 私は悪くない!! 悪いのは……悪いのは全部……っ」
彼は腐敗臭を起こした感情を、意志を、言葉をボロボロと捨てていく。
「だから……だ、だから……っ!!」
死神の皮は剥がれ、そこにはただのエゴに塗れた一人の人間が泣いていた。
「あなたが……っ! あなたが殺せ!!!」
黒生寺と辺見が握りしめた拳銃が睨みつけた先は。
「天馬っ!!」
「て、天馬ぁぁっ!!」
「なっ!? 七島っ!! 錦織っ!!」
俺と同時に駆け出した声。
俺と似た黒い髪で、黒いセーラー服の少女だった。
そして、友の悲鳴が響き渡る。
俺たちは、天馬を庇うようにして床に転がる。
脇腹に熱い痛みを生じるが、一瞬のことだった。
「殺人鬼は………貴様だ……ッ!」
やがて、低い声が空気を貫いた。
床で擦った脇腹を抑えながら、天馬と錦織の二人を起こす。
肩で息をする黒生寺に、辺見は顔を覆って床に寝そべっている。
黒生寺は俺たちをちらりと見て、ふっ、と少しだけ呆れたように頬を緩ませたようだ。
「心臓を狙わせたな……? だが、言ったはずだ……俺は……殺る時は脳の中枢以外撃たん……」
黒生寺は銃をしまい、辺見を暗い眼差しで見下した。
おもちゃを欲しがって駄々を捏ねた挙句、バテてしまった子供そのものだった。
「っぁぁああぁぁ、い、いやです、いやなんですよぉ……っぐ、お、お願いでず、っひうぐ、そ、それだけはやめてくださいぃぃっ……だ、だっでぇ、わ、わたしは、わ、わたじはぁ……っ!!」
「死にたくもない。殺したくもない。だが、人の死は望む……結局はガキそのもの……いや、たかが子ども。されど子どもか……」
天馬と錦織が膝をついて手を取り合っている中。
俺は急いで、ケースからベルを取り出して、決着をつける音を鳴らした。
「遊びの時間は終わりだ。ルカリス……」
「ハイッ」
「キュゥゥゥーッ!!」
ベルを鳴らした瞬間、辺見は、ぱしんと起き上がる。
そう思ったときには、重力を無視して、彼は垂直に飛び上がった。
着地と同時にフィニッシュと言わんばかりに手を広げる。
「しゅったたたーンッ!! ハーメルンでも呼ばれて飛び出ちゃっテ!! しらかわっ、かっいりーんっ! デェェェース!」
「へけ? え、えっと……っうええぇぇ?!? なんか出たのだぁぁ!!?」
蟹股でべろべろと強風に煽られているこいのぼりのように舌を揺らしている男。
きょろ、きょろと見回しているが、その逐一の動きも、がしゃん、がしゃ、と音がつきそうなほど関節が不自然に動いていた。
こいつは、いったい……?
「あれレ? ここ、どこデつカネ? んんん? んんん~?」
「……お、お前は」
「おっとット、うすしお味っ! …………って、おやァ? あなタハ」
「白河海里なのか? お前が辺見ルカリスの……」
俺の喉になにかが、ぐいと押し付けられる。
これは証言台の……ということは、こいつ。今。
咄嗟に、証言台の一部を折ったのか?
「っあ……?! ぐ……ぅっ!?」
そいつは黙って、俺の喉仏をぐりぐりと押しつぶした。
悲鳴を発そうとしても、えぐられる一方で息がうまくできなくなる。
青年は、「はて」と言わんばかりに、こてんと首を傾げた。
「…………? おヤ、あなたって…………もしかして、リュウノスケくんだったりシマス?」
「っ……そ……っ、そう……だ……っ!!」
苦し紛れに肯定すると、そいつはにっこりと笑って喉から木製の凶器を外した。
俺は咳き込み、萩野が駆け寄って背中を擦ってくれる。
だん、と足を踏み鳴らして、すぐさま萩野は応戦に入ろうとしたが……。
青年がそれを90度にへし折ったのを見て、足がぴたりと静止する。
「もウ、なーんダ! びっくリシテ、損しちゃいマシタ! ぼくちゃんってば、ちょーっとうっかりさんDEATHカラ、ついついKILLちゃうところでシタ!」
「あ、あの、というか、お前……質問に答えろって」
「えエッ!? 超理不尽クレームじゃないデスカァ! いきなり初対面で質問ぶん投げるなんて、ひとみしりちゃんがやることデスヨ!」
そいつはブーメランのように折れた木製のパーツを突き出して、口を3の字型にして文句をつける。
なんなんだ、こいつは?
でも、『いきなり会って』という言葉からすると……。
そんなことを考えているうちに、青年は「まあ」と前置きをする。
……そもそも、これを青年と呼んでいいのだろうか?
「さっきの質問覚えてマスヨ、白河海里かって? いやはや、くだらない質問で……ビンゴー! そうデース!! ぼくちゃんが、"白河海里"ちゃんデス! ルカの主人格。いわばご主人タマってヤツなのデス! 暗殺、撲殺、殴殺なんでもごザレ! 特技はさくらんぼのヘタを舌でむすぶことデース! ぎゃへへはひゃはヒャ!! 殺人関係ないじゃないデスカー!!」
下卑な笑い声で男は涙を流しながら笑った。
唖然……いや、なにか拍子抜けするように体の熱が冷めていく。
「お、おめーが、本物の白河海里なんか……?」
「おお? おおオー! これって学級裁判ってヤツですカ! 命の駆け引きにざわざわシテ、燃え燃えキュンキュンしちゃうところなんですヨネ!? セーシがビュンビュン飛び越えテ、キュンキュキュンでス!」
「って、おい!? おめー人の話聞けや!」
「……あ、そウダ。フヨウちゃんから大体、お話は聞きましタヨ」
「っ! 貴様……っ、やはり……!」
自由奔放な彼に、黒生寺が首元にサバイバルナイフをつきつけた。
しかし、ヤツは一瞬たりとも動じることなかった。
むしろ「待っていた」と言わんばかりにケタケタと笑ってた。やはり別人格なのか。
「やアやア、ゴロウくん! おひさしぶりこちゃんデスネ! フヨウちゃんは…………あリャ、」
そのとき、彼は一つの遺影に目を止めた。
穏やかな笑みを浮かべた角の遺影を見て、歪んだ目を少しだけ細めた。
「なるホド。やっぱり、そうデシタカ。ま、そんなカンジしちゃいマシタケド! ……助かりマセンデシタカ」
「マダム角を殺したのは……お前、なのか」
一気に確信に迫る答えだが、ランティーユがゆっくりと尋ねた。
そうして返ってきた答えは。
「ええと、そうデスネ、この状況だとそうと言えまスネ! 図書室にやってきた、フヨウちゃんにベルで呼びだされて、なんやかんやあって先生を倒そうって話になッテ、先生を呼び出したンデスヨネ。なんとか先生に掴みかかったフヨウちゃんの足を鉄パイプで会心の一撃しちゃッテ、そのまま転落死させたのは、ぼくちゃん、ってことデスネ!
そして、ややこしいことになっちゃったのは、先生がベルを鳴らしちゃったせいでスネ。そんでもって、ぼくちゃんのもう一つの人格、ルカが偽装しちゃったせいデス! と、こんな感じデいいですカ? ……そういや、ぼくちゃんの首におちゅーしゃがあるってマジッコメグチャン? 刺された時のジャストにベルを鳴らされちゃったもんデ!
ま、一行でまとめるなら、フヨウちゃんを殺したのはぼくちゃんデース! チャン、チャン!」
完全無欠な回答だった
スラスラと完璧なまでにすべてを認めた。
「はーイ、ここでコマーシャル……じゃなくて、昔話もひトツ! ぼくちゃんのパパとママを殺したのもぼくちゃんナンデス!」
「……え? あ、あれ? そーだったっけ?」
「あレ? なんだ、ルカから聞いてマセン? 聞くもハッピー、語るもクレイジーなお話でスヨ」
大豊はきょとんとさせて小首を傾げている。
……いいや、俺が辺見から聞いた話とは異なる。
「辺見は、両親が殺人鬼に殺されたって言ってたけど」
「その殺人鬼が、ぼくちゃんでスガ。ナニカ?」
打って変わった低音のアンサーに、体が怯みあがった。
そんな俺を面白がるように、彼はく、く……と笑いを立てた。
「っていウカ。パパとママも超絶変人だったンデスヨ。ぼくちゃんに殺人鬼の秘密やラ、拷問器具全集を買い与エテ、海里ちゃんはどんな風に人を殺すのかなー? なーんて言ってる辺リ! 優しい人でしたケドネ!」
白河はまた、すぐさま大人びた真顔になった。
出で立ちは舌はちらちらと伸びたままだから、幼稚でアンバランスだ。
「ぼくちゃんはネ、5歳の時にパパとママを殺しまシタ。鎌で首をザックリ! パパとママもぼくちゃんもニッコリ! ……ところがデス。その時、ぼくちゃんは、むずむずっとしタンデス。『人の命を奪った罪』の自覚……いうなれば『良心』ってヤツ? 両親を殺して生まれてきたのが良心……ブヒャヒルヒャヘホホ!! …………すみまセン。これそんなに面白くないジョークでしタネ」
良心が生まれたという言葉が耳につく。
それは、もしかして……。
「ぼくちゃんから生まれた『良心』は泣きまシタ。パパとママが殺されてタンデスカラ。でも、良心は悲しみよりも先に覚えた感情がありマシタ。
それは……『恐怖』デス。生まれて初めて知ってしまった死……すなわち、自分も死ぬのではないかという『恐怖』を知ってしまッタンデス。だから、臆病な男の子は、自分が生き延びて、逃げる道を選びマシタ。
そして、ぼくちゃんという殺人鬼を必死に抑えコミ、だれにも知られないように奥へと隠して……人を殺人鬼にさせてゴマカシ続けマシタ。だから、殺人鬼は自分じゃない。自分は汚くない、悪くない。自分だけは清く正しい人間だ。……そう言い聞かせるようにネ」
「まさか……! それが、あなたのもう一つの……」
「ええ。そうデス。ぼくちゃんの名前を借リテ、普通に生きたかった、綺麗好きで臆病な子ども。両親の死をもって生まれた可哀想なほどに歪んじゃった男の子。
それが、あなたたちの知る『辺見ルカリス』の正体ですよ」
語り終えた白河は胸に手をあて微笑む。
まさか……辺見のほうが、作られた人格だったとは。
「そんでもって、その後は、ルカにもなんやかんやあったケド、ぼくちゃんも、あんまりクッキリは覚えてないんデスケドネ。……あ。でも、シカイの先生は覚えてマスヨ」
「シ、シカイだぁ?」
「あレレ、ちがいマシタッケ? ほら、シカだの、チョウだの。カイチョウだの」
「……!! それって猪鹿公孫樹……父のこと!?」
弾かれたように、大きく眉を上げた紅が問いかける。
白河は「そそ」と軽い調子で肯定した。
「そんなヒトでしタヨ。たしか、ルカの特別カウンセラーをやっていたんデスヨネ。あのオジサン、元超高校級のお医者さんなだけあって超超超イイカンジなエリートでしたネ! なにせ、殺人鬼のぼくちゃんの心に気づいたんデスカラ! ま、そのせいで、殺されちゃったワケですケド」
「……え? ちょ、ちょっと待って……どういうことなの?!」
「あレ? ルカ、これも言ってなかったンデスカ? 相変わらずカンジンなこと言わないンダカラ」
やれやれ、と言わんばかりに両掌を上に向けて肩を上げた。
「さっきも言った通り、ルカは臆病な子なんデス。トラックで轢かれかけたら、運転手さんのお家をファイア! 自分をモチーフとしたアートを描かれそうになったら、芸術家さんの首をブラリンコ! すぐにポイポイしちゃうんでスカラ。まったく、そう考えるともったいない精神皆無ちゃんでシタネ!」
苦みを追い出すように、ヤツは舌をべえと長く出した。
一連の言葉で、ふ、と肩が異様な軽さを覚えてしまう。
…………そういうことだったのか。
辺見ルカリスが死に怯え、殺人を相手に仕向け続けた理由。
世界の醜いものを消し去る、そんな歪んだ願いだけじゃない。
こんな汚れた自分を知られたくないためだったのか。
「と、いう感じで、先生に会うまで、ぼくちゃんは休眠状態でシタ。そんでもって、先生に呼び出されて、ぼくちゃんは先生なら殺してイイってヤクソクされマシタ。その後は楽しいハッピーシュガースクールライフ! んで……キョウタイに入った時に、なぜかぼくちゃんの人格はルカにカワルンバしてこんなことになっちゃったというワケでス」
べらべらとこちらに構うことなく、殺人鬼を名乗る青年は延々と喋る。
……本当に角が、怪盗が、こんなヤツに頼ったのか。
「早口すぎるから、もう少しわかりやすく説明してほしいものね……!」
「ハイッ! つまり、ぼくちャンは殺人鬼なのに3人しか殺せてないみたいなんデスヨ! うッハ、やバイッス! ぼくちゃん、3人だけでも殺人鬼デスっテ! ジェノってるお姉さまみたいにイケメン専門ならぬ、美少女キラーになろうとシタッテノニ! ぼくちゃんの人生、これで終ワリみたいなんでスッテ!」
質問が答えになっていなかった。
殺人鬼に同情するということ自体が、間違いなのだろうかと思わされる。
「二重人格がなんだ……殺人鬼がなんだ……結局、アイツを殺したのは……貴様なんだろう……!?」
「イエース、そうでスヨ! フヨウちゃんを殺したのは、ぼくちゃんデス! だから、ゆっくり惨たらしく殺してくだサイネ! それがルールなんでショ?」
「な、なんだよ、おめー……ってか、あっさり認めんのか? 殺人鬼だってのに」
「ご存じないのでスカ? 殺人者は判決を下されたら、四の五の六も言わず認めるのが鉄則デスヨ。パパとママもいってマシタ。潔い悪役はカッコいいッテ! ふぎゃヒヒ、ぼくちゃんったらマジイケメン!」
「そんなわけないだろ」
終始浮ついている白河に、地底を這うような低い声を発して否定したのはランティーユだった。
彼は憎悪をもって、白河を……そして、辺見を睨みつける。
「辺見も、お前もどっちも同じだ。人の尊厳を踏みにじった悪魔め」
ランティーユの柔らかい唇からは似つかわしくない呪詛だった。
だが、しょせんはカエルの面に水なのか。
白河は恍惚な微笑を浮かべるだけだった。
「えひゃヒヒヒ……いやァ、まさかランティーユクンに、こんなことを言われるなんて夢にも思いまセンデシタ。100点満点のご回答ありがとうゴザイマァス! 分かってイマツヨ! あなたたちも、それを望んでいるなら、なおらさらじゃないデスカ?」
その笑顔は、子供が犬を撫でるときの笑顔と同じだった。
「さあサア、投票いきまショ! なんなら、ぼくちゃんは、この場でニワトリさんみたいに首をゴケーッて締められて構いマセンヨ? だッテ、こんなぼくちゃんが生きてこられたノハ、あなたたちのおかげでもありますカラ! これは海里の恩返しデスカラ! ……あ、ニワトリさんじゃなくテ、鶴のほうがよかったデスカネ! ダリャヒャフヒャホヒャヒ!」
そして、これは。
とてつもなく、気持ち悪く汚らわしい真実だった。
『鬼の居ぬ間に洗濯、クマの飽きぬ間に選択……というわけで、結論は出ましたね! さて、投票の結果、クロは誰になったんでしょうか! その答えは正解なのか、不正解なのかー!? 今回もCMを挟まずに参りましょーう!!』
モニターの映像が弓道場のような空間に切り替わる。
そこには、黒い機械仕掛けの木馬に跨ったマナクマが現れる。
ぱから、ぱから、と木馬がメリーゴーラウンドの如く歩みだす。
ぎゅ、っとマナクマが弓を引いて、矢が放たれた。
勢いよく命中した弓矢が当てたのは、白河の顔が描かれた的だった。
垂れ幕がさがってひらひらと紙吹雪が舞う。
マナクマは扇子を持って小躍りを始め、馬は轟きのように嘶いた。
こうして4回目の裁判は終わった。
…………それがなんだというんだ。
犯人を指名した俺たちはある意味では勝者と言えるはずだ。
しかし、勝利で達成感も栄光もない。
失われた命は戻ってこない。
「みなさん、グっジョッブ! みゃるひひゃひゃひゃヒヒ!」
ゲームのリザルト画面で喜ぶキャラクターの如く、彼の笑顔は愉快そのものだった。
こいつが、こんなヤツが。角を殺した。
沸々と怒りを湧かさなければいけないはずなのに。
俺たちは、純粋無垢な青年を黙って眺めることしかできなかった。