ダンガンロンパ(仮)-よみがえり-   作:冷凍かに缶

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オシオキ編

 

 

『4連続大正解……元怪盗を殺したのはマナミです、終わり。んでもって、今回、超高校級の魔法少女の角芙蓉さんを殺した犯人! それは“超高校級の清掃委員”“白河海里”くんなのでした!』

 

 

 マナクマは矢が刺さった白河が描かれた的を、「どう? どう?」と見せびらかした。

 底抜けなほど陽気なヤツとは反対に空気がたちまち淀んでいく。

 そんな中、ぱちぱち……と渇いた拍手が鳴る。

 

「おオ、みなさんさっすがァ! ぼくちゃん実るほど頭を垂れちゃう稲穂になッテ」

「貴様……」

「はイはーイ! 貴様と言われましタガ、白河のトーンでしたので返事しちゃいマス。呼びましタ?」

「なぜ、アイツを殺した……」

 

 問われても、意味がわからないように白河は目をぱちくりさせていた。

 すでに黒生寺はホルスターの拳銃に手を伸ばしている。

 

「いいから答えろ……」

「アイツって、フヨウちゃんのことですカネ? 前回言いませんデシタ? ま、オシオキ前って、動機のターンみたいなもんですノデ、ちょちょいと話しマショッカ。

 えーと、本当はフヨウちゃんといっしょに先生を殺そうとしたんデスヨ。まず、フヨウちゃんはマスターキーを使って、図書室に閉じ込められたルカにベルを鳴らしタンデス。先生の話を聞いていて知ったみたイデシタネ。だから、ぼくちゃんが起こサレタンデス。ウェイクアップ!」

「んなことはどうだって……ッ!」

 

 黒生寺も、先ほど俺がやられたように木製の凶器を喉仏につきつけられた。

 低い呻き声が漏れたが、怯むことなく白河のこめかみに拳銃を押し当てる。

 

「ジロウ系ラーメン並に殺意マシマシですネ。ゴロウくんなのに。でも、ここでぼくちゃんを殺したラ、真相はヤブの中でスヨ?」

「なら、さっさと話せ……!」

「カシコマリ! そうそウ、人の話はちゃんと目を見て聞きマショ?」

 

 実感というものがないのか。

 拳銃を押し付けられても白河は愉快そうだった。

 

「そんでもッテ、先生が来たので戦っテ、フヨウちゃんが先生を掴んでひらりと飛び降り……られなかったンデス! ぼくちゃんも、まさか先生がムダな抵抗をするなんて思いまセンデシタモン。だから、ぼくちゃんは用意していた鉄パイプで、フヨウちゃんの代わりに足を叩いてアゲタンデス」

 

 足を叩いてあげた。

 子供がお年寄りのために席を譲ってあげた。それと同じトーンで軽やかに答えた。

 

「だけど先生は死なずに、フヨウちゃんだけが死んじゃいまシタ。めでタシ、めでた死! 殺人が専門分野とはいえ、見せ場を作ってあげられなくて、フヨウちゃんには悪いことしちゃいまシタネ。ぼくちゃんのミスでス! ごめんネ、ゴロウくん!」

「……………ミ……ス……?」

 

 茫然と呟き、拳銃を握りしめていた腕ががくりと下ろされた。

 異世界のバケモノと対峙したように、白河のことを凝視している。

 

「そうデスヨ、先生を殺そうとしたけどミスっちゃいまシタ。で、ごめんなサイ。そゆこと」

「……ごめんなさい……だと……?!」

「失敗って謝るのが常識ですモン。ぼくちゃん、ホワイト企業の上司さんと同じで根は善良なノドゥエギュッ!?」

 

 黒生寺は右手で握りしめた拳銃を捨て……。

 

 

「……ィ゛っ!?」

 

 

 白河の体が地に浮きあがると同時に、線の細い青年は壁に叩きつけられた。

 胸ぐらを掴まれ、黒生寺の腕によって壁に磔にされたようだった。

 

 白河は握りしめていた木の板で、黒生寺の頭を殴りつける。

 しかし、痛覚に勝るほどの憤怒のせいか、黒生寺はびくともしない。

 殴る度に顔が歪むのは白河のほうだった。

 

 あっ、と言う間に裁判場のみんなも黒生寺たちを囲むように駆け出した。

 

「わっ、わー!? くろなまでら!?」

「お、おい!? よせや、黒生寺っ!!」

 

 萩野が止めようと、黒生寺の腕を勢いよく殴りつける。

 ボクサーとして渾身の力だったはずだが……まるで、効いていない。

 

 これが、黒生寺の本気なのか。

 情けなくも俺はワイシャツを冷や汗で湿らせ、息を飲むしかできなかった。

 

 世界は、黒と白だけになっていた。

 そんなとき、白河は苦しそうではあるが……ぷっ、と吹き出す。

 

 

「ぐぎ、ひ……っひ……い、いやだなァ……あなた……と、ぼくちゃん……っそっくりですネ……!」

「……は?」

 

 黒生寺の腕も、ぶるぶると小刻みに震えていた。

 さすがに白河の攻撃せいで、あるいは萩野の拳のおかげで体力を失われたか。

 微かながらに、白河に息が入るようになっていたようだ。

 

「しょせん人殺しデス……ッ! ぼくちゃんも……アナタも人殺……ぅぐェ……!!」

「一緒にするんじゃねえ……!」

「オソロイだろウガッ! 人殺しが、殺人鬼に怒ルトカ……正気かゴロウくん……ッ!」

 

 黒生寺の顔が瞬く間に、戸惑いに満ちた。

 白河の青褪めた顔色が少しずつ良くなるのが、彼の腕の筋肉がするすると抜けていくのが目に見えてわかる。

 ぶら下がっていた白河の足が床に着地した。

 咳き込みながら、白河は床に落とした証言台の一部を再び掴みあげる。

 

 

「ふひャヒ……なんでスカ、みんなしてそんな空気で。脱線話でもしまス?

 ゴロウくん、赤ずきんちゃん、しってマスヨネ? オオカミさんは赤ずきんちゃんをだまして、食べたから殺されちゃいマスネ。でも、たとえばデスヨ? オオカミが赤ずきんちゃんを食べようと部屋に入り込ンダラ、先に狩人さんが赤ずきんちゃんをおそってイタ! そんな展開だっタラ、オオカミさんは赤ずきんちゃんを助けると思いまスカ?」

 

 悪いオオカミが赤ずきんを助けるのか。

 突拍子もない質問に黒生寺は答えることはなく、肩で息をしながら白河の言葉を待っていた。

 

「結論から言えばありえませンヨ。ぼくちゃんたちは、悪そのものデスカラ。人殺しが人を助ける……ハッキリ言ってナシでス。助けても射殺! ぼくちゃんたちのぼうけんは、終わってしまうンデス! だから、そんな人殺しは、助ける側ではなく、いっつも助けられる側なんデス。心優しい慈悲深い女の子や紳士さんに助けてもらえなイト、ぼくちゃんたちは、生きてイケナイ。

 

 あなたはフヨウちゃんと先生に救われていた……ぼくちゃんも一緒でスヨ。殺人者があの生活を送れたのは、彼女らのおかげナンデスヨ。……わかってるデショ、ゴロウくんだって。少なくとも、あなたが、ぼくちゃんに怒る権利はありまセンヨ」

 

 ……黒生寺と同じ穴の貉だと白河は言いたいのだろうか。

 思い当たる感情はあるのか、はたまた、なにを言えばいいのか迷っているのか。

 目を伏せたまま、彼は沈黙を貫くだけだ。

 

 

「でも、正義の射殺を恐れたルカは逃げたんでスヨ。人殺しのぼくちゃんを隠シテ、自らが生き延びられるよウニ。相手の人生を奪っテ、自分は良い子ちゃんとして生きる道を選んじゃったわけデス」

「あなたは、それを他人事のように言うのね」

「そんなもんじゃないデスカ? 自分以外、自分じゃないんですから。だから『他人事』って書いて『ヒトゴト』って言うデショ?」

「だから、あなたは、辺見がやったことは謝らない……そういうことなの?」

 

 彼女の暗い声色に、白河は「うーん?」と腕を組んで考え込む。

 

「だって、ぼくちゃんもわかってませんモン。だれになにをどうしたかっていう5W1Hはわからんちんなんでスヨネ。そもそも、ぼくちゃんはルカじゃありませンシ? モミジちゃんだって、ぼくちゃんに『メンゴメンゴ』って謝られても困りますヨネ? だって、ぼくちゃんに罪悪感なんてミジンコもありませんシ!」

 

 白河のアンサーに、紅の薄い頬が引きつった。

 なにをどうしたか……それは、辺見が井伏を唆したことによって父を殺された。

 だが、説明したところで、彼は謝らないということだ。

 もちろん謝られても、父親が帰ってこないことは彼女自身もわかっているとはいえ……

 

「……こんなヤツと、本当の記憶の中では過ごしていたっていうのかい?」

「ウワ、ランティーユくん、いま露骨にイヤな顔しましたネ? でも、安心してくださイ! ぼくちゃん、これでも他所行きのカッコウしてマシタモン! ほら、こうやって、いかにもクールビューティーな敬語キャラでも喋れますから」

 

 「ほらね」と、舌をしまうと、彼は首を軽く傾げて無表情になる。

 この顔立ち、思わず懐かしさで息を飲んだ。

 

 一番初めに昇降口で出会った、白河海里の顔色とそっくりだった。

 

 

「……多少は、真人間で生きてたんだな」

「そうゆうことデス。入学前はルカが過ごしていましタガ……さっきも言った通り、先生に見抜かれて、ぼくちゃんは再び蘇ったってワケデス!」

「そ、そして、怪盗だけが自分だけを殺すように……そう約束したから、アンタの人格で生活できたと……」

「ま、そんなことより、ぼくちゃん不満があるんですヨネ」

 

 突然、白河は投げやりになったのか話を放り投げる。

 黒生寺をちらりと見て大げさに肩を竦めた。

 

 

「ねエ、ゴロウくん。どうして、あんなことをしたんデスカ?」

「……………なんの、ことだ……」

「ぼくちゃん、聞きましたタヨ。フヨウちゃんを引き止めた、あなたの弱虫ハートを」

 

 弱虫、と聞いて黒生寺は身構えたように体を硬直させる。

 それは……彼の明確な狼狽だった。

 白河はそれを見て、あからさまに目を瞑った。

 

「あのデスネ。ぼくちゃん、パパが買ってきてくれた本で知ったんデスケド、サソリってどうしようもないッテ思ったら、自分の毒で死ンジャウらしいンデスヨ。……ま。本当かウソかは見たことないから知りませんケド!」

「いきなりなんなのだ!? くろなまでらとカンケーないのだ!!」

「いえいえ、カンケ―ありまスヨ! それに答えはシンプルでス! ぴっかぴかの一年生の国語ドリルみたイニネ!」

 

 こみかみが針でひっかかれたような不快感が広がる。

 黒生寺も同じ気持ちなのか、じりじりと白河から距離を取り始めているようだった。

 

 

「フヨウちゃんと最後に会ったとき、あなたは『ご自身の死』を選びマシタネ? でも、止められたんデショウ。そのときに、ベルを頭へゴチーン! ……だから、鐘のベロが落ちちゃっタ」

 

 

 ……何故、鐘の舌が落ちたのか。

 鋭い息を飲む音と共に、黒生寺は、奥歯を噛み砕くように食いしばる。

 

「ねえ、ゴロウくん。どうして、そんなことしちゃったンデスカ? それを聞いてガッカリしまシタ。あなたなら、あのときフヨウちゃんを殺せたはずなのにネ」

「アイツを殺したところで、どうなる……?」

「……あなたの望む結末になったはずですよ。あなたが先生を殺す未来もあったはずだ。それにフヨウちゃんを失う悲しみも後悔もなかった。…………失うと、奪ったは違うのは、ゴロウくんも、おわかりデショ?」

「……貴様には……わかりはしない……アイツを殺したところで……………だから……」

 

 黒生寺は床に落ちた拳銃を拾い上げて眺める。

 拳銃の闇に、彼の瞳は飲み込まれていた。

 

 

 

 

「感情そのものを壊したかっただけだ……」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「っ……はぁ……止められないか…………わかってたとはいえ……」

 

 ステッキを携えた角を目の前に膝をつき、黒生寺は何度も荒い息を吐き出す。

 眼光を飛ばしていた黒生寺は唇を歪ませて……不敵な笑みを浮かべる。

 角もまた重たい息を上げながら、黒生寺に凛々しい顔立ちを向けていた。

 

 

 

「……上等だ」

 

 

 

 立ち上がった黒生寺は素早く吐き捨てて、銃口を向けた。

 

 

 その銃口が狙った獲物は。

 

 

 

「黒生寺さまっ!?」

 

 

 彼自身の唇だった。

 

 しかし銃声は叫ぶことはなかった。

 代わりに鐘の音が響き渡った。

 

 拳銃も床を滑り、遠方へ投げ出された。

 角は床へと倒れこんだ黒生寺の両肩をがっしりと掴んでた。

 黒生寺は苦い顔でその手を離さんと言わんばかりに、彼女の手首を握りしめる。

 

「いけませんっ! それだけは、ならないのでございますっ!」

「行くな……どこにも行くな……っ! 行くなら俺も…………っ!!」

「黒生寺さま、あなたが、そんなことをしてはっ!」

「だ、黙れ……もういいッ!! 貴様が死ぬなら……俺は……俺が戦う意味は……ッ」

 

 角の体力が残っていたか。

 辛苦に満ちた顔で角はぐっ、と勢いよく彼の手を振り解いた。

 

 黒生寺は疲労か、傷の疼きせいか……ふ、と意識が遠くなるように目を細める。

 床にだらりと両腕を落として、うなされながら、そのまま瞼を閉じてしまった。

 

 その様子に、角は瞳の表面に薄らと涙の膜を張っていたが……彼女も目をぎゅっと瞑った後。

 穏やかに目を伏せながら「黒生寺さま」と呼びかける。

 

 

 

「覚えていらっしゃいますか? 先生と、芙蓉たちと過ごした、あの素晴らしい夢のような日々のことを。だけど、そのことを……みなさまは覚えていないのでございます。先生も、そんなことは望んでいらっしゃらなかったのでございます……だけど、その先生も絶望という病に侵されて……」

 

 

 もう一度、彼女は涙を堪えるように、もう一度強く瞬きをした。

 

 

「先生は死にたがりやでございましたが、だれかを殺すことはしないのでございます。ましてや生徒を傷つけることは絶望だと先生はいつもおっしゃっておりました……だから……」

 

 

 自身の高鳴る鼓動を宥めるためか、角は息を長く、深く、吐いた。

 

 

「芙蓉は……みなさまのために。先生のためにも。戦わなければならないのでございます」

 

 

 戦いという言葉に反応したのか……引き金の合図のように黒生寺は微かに人差し指を動かした。

 だけど、それきりで、彼は大きな動きを見せることはない。

 強張った黒生寺の頬を、角は手のひらでふわりと包みこむ。

 生暖かい心臓に触れるように慎重で、優しい手のひらだった。

 

 

「再び巡り会えたというのに、藤沢さま、四月一日さま、井伏さまに円居さま、十和田さまも真田さまも……もうこの世にいなくなっておりました。もっともっと、お話して、勉強して、遊んで……そんなありふれた、平凡で、時にくだらなく……それでも平和な日々を送りたかったはずなのでございます。そして、芙蓉と同じように……大切な方と、一緒にいたかったはずでございます」

 

 黒生寺の頬を優しく撫でる角。

 だが、顔立ちは途方もない憂いを帯びていた。それは人類の悲しみを背負ったかのように。

 

 

「しかし、芙蓉だけが大切な方と一緒にいることはできないのでございます。………なぜなら」

 

 

 彼女は立ち上がって、おもちゃのステッキを構える。

 角がステッキのボタンを押すと、チープなBGMと共にハートの形のオブジェがちかちかと光った。

 

 

「チャーム・パフューム! メイクチェンジ!」

 

 

 

 軽やかに勢いよく投げられた駒のように正確な軸で、その場でくるりと一回転した少女の名は。

 片足をあげ、決めポーズを取った彼女の名は。

 

 

「私は夢見る恋の少女ではございません。清廉潔白なる夢をお守りする百花繚乱の乙女! フラワー・フローラでございますから!」

 

 

 魔法少女、フラワー・フローラだった。

 凛々しくも花のように儚く、不思議で不屈な少女。

 戦いを選んだ魔法少女は涼やかな笑みを浮かべて、黒生寺にありったけの慈悲の眼差しを注ぐ。

 

 

「私は、なにもかも満たされたのでございます。黒生寺さま、そして、みなさまと再び出会えた奇跡と幸運に感謝しているのでございます。だから、これ以上の後悔も絶望も、きっとないのでございましょう。私の希望は黒生寺さま。……あなたでございます」

 

 

 

 魔法少女の薄桃色の頬に光が灯った。

 その光に、俺たちはどんな名前をつけることができるのだろう。

 

 

 

 

「さようなら、黒生寺さま。みなさまのために。私のために。わがままでございますが」

 

 

 

 

 彼女はしゃがみこみ、黒生寺の頭に静かに覆い被さった。

 

 

 

 

 

「どうか終わりの時まで、生き延びなさってくださいませ」

 

 

 

 鈴のように凛と、そして微かではあるが美しい呟き。

 それは、甘い口交わしのような言葉だった。

 

 

 やがて彼女は一筋の春風のように、扉の向こう側へと消えていった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 映像が、角の生きていた証が終わった。

 場違いな拍手をぺちぺち、と鳴らしたのは、またしても白河だった。

 

「ハハア。こりゃいいもン見まシタ! 一世を風靡した、モラエモンの最終回並に泣けちゃいマスヨ!」

 

 黒生寺は映像が終わってもモニターを凝視していた。

 取り憑かれたように、彼女が映ることを待つように。彼はスクリーンを眺めている。

 

「ヒュヒャヒ! やっぱ、時代はコロシアイよりも愛し合いかもネ! 全米も全小麦も大号泣、大豊作っていったとこロデ」

「これが……愛だと……?」

「え? わからないんでスカ? 愛を知らないサイボーグかなにかでいらっしゃル?」

 

 角の真意も、黒生寺の感情もすべて、俺たちが汲み取ることはできない。

 ……それでも、黒生寺の震える否定は俺にも、充分すぎるほどに。

 

 

 ――だから、『愛』なんて言葉一つで終わらせるな。

 

 

 やがて黒生寺は拳銃をおろし、ゆっくりと膝を折り跪いた 

 天に祈るように、痛みから堪えるように。自らの思いと対話するように。

 額に手の甲をあて、大きく、大きく、息を続けた。

 

 

 

「ええっと……ねね、リュウノスケくん」

 

 気がつくと俺の真横に立っていた白河は、ポケットから小瓶を取り出した。

 中身は透明の液体が入っているようだが……それと一緒に折りたたまれた紙も渡された。

 

 ……これは、なんだ?

 

「ええットネ。ぼくちゃんからのプレゼントでス。正確に言えば、ルカのお手製の“汚れ落とし”でスヨ! 一滴だけで油汚れにもジョ……ではなくて、キレイさっぱりに汚れを落とせるスグレモノ! 役に立つこと間違いナシデス!」

「な、なんで俺に」

「なんでってナンでスカ? もうリュウノスケくんにはわかってイルンデショウ? あなたの中にモ、みんなの中にも、答えはもうあるはずデス」

「でも、おめーは全部知ってんだろ? 最後ぐらい俺たちの記憶ってのよを教えてくれてもいいんじゃねえのか!?」

「うーン、わかりましタヨ。じゃあ、ぼくちゃんからのスペシャル大ヒント! 一回しか言いませンカラネ?」

 

 白河は人差し指を立てて、パチリとへたくそなウィンクを俺たちに送った。

 

 

 

 

 

「"仮の記憶"……すなわち、今、あなたたちが持っている、"ニセモノの記憶"は、ぼくちゃんたちにとっての希望でしょウカ? ぼくちゃんたちが築きあげたドラマチックなあの生活が、別々のクラスでそれぞれが過ごした、当り障りのない生活なんかに屈してもいいのでしょウカ?」

 

 

 その記憶を聞きたいって言っているんだろう。

 煮え切らない答えに、俺は前足をぐっと踏み出して。

 

 

 

 

 

 

「でも、ぼくちゃんたちの"本当の記憶"も、果たして"希望"だったのデショウカネ?」

 

 

 

 

 

 ……それを、踏みとどめてしまった。

 

 

 白河は眉を潜めて、唇の端に指先を押し当てていた。

 露骨な忌々しさを顔一面に滲ませている。

 

 思いだしたくなかったかのように。

 理不尽な雷に恐れる幼子のように。

 なぜ、彼の唇は震えているのだろうか。

 

 

「白河くん……いったい、なにが言いたいの?」

「それは、あなたたちで確かめるべきデハ? ぼくちゃんがゴチャゴチャ言うべきことではない気がするノデ! ……うン、丸投げではありまセンヨ?」

『そうそう! 謎の解明は、オマエの仕事じゃないもんね!』

「フシャヘヒャ! ここでぼくちゃんがテディなベアちゃんをぶっとバースしちゃってもいい気がしまスガ……無駄骨みたイデスネ?」

『ボクはUMAもびっくりな未確認生物で天然記念物クマなんだからね。暴力は許さへんで! さて、そろそろ時間も時間だからね。オマエ……と、マナミも一緒にオシオキだよ! ならんだ、ならんだぁ!』

「なっ……! ま、マナミは……っ!?」

 

 すぐさま反応したのは錦織だった。

 彼女は証言台に置かれたノートパソコンを手に取ろうとするが、その画面にすぐさまマナミが映し出される。

 

『錦織ちゃん。もういいんでちゅ。ごめんなちゃい……データも解析できていないのに……』

「ま、まったくよ……最後まで世話の焼けるコンピューターだわ……!」

『ううっ!? お別れなのに辛辣!?』

「…………それでもね」

 

 錦織はそっと、キーボードに薄い手のひらをかざした。

 液晶画面という電子の壁を越えて、視線だけが行き交う。

 

 

「アンタは、アンタにしかできない使命を最後まで果たした……だから、私はアンタのことを一生誇りに思う。教師はアンタにしか殺せなかった……悔しいけど……でも、そうでもしなければ、私たちは全滅になっていた…………だからこそ、守りたかったのよ。それは私のためじゃない。…………魔法少女のためにも……」

 

 「魔法少女」……その言葉に、指先には秘めたる思いがこめられたようだ。

 それに気づいたのか、マナミも、つぶらな瞳を丸くさせて驚嘆している。

 

 

『ああ……錦織ちゃん……ありがとう。天馬ちゃんの言う通り、本当に優しい子でちゅね。……大丈夫。あなたもきっと果たせまちゅよ。錦織ちゃんの使命を。だから、どうか前を向いて生きてね』

 

 

 マナミはそう告げると、ほんわりと柔らかい毛布のように微笑んだ。

 

 

 

『…………そう、錦織さんも、言ってまちたよね?』

「……っ!? ……っあ……あ……マ、マナ、ミ……!」

『さあ、白河くん! あちきも連れて行ってくだちゃい!』

 

 「はーイ!」と高らかに返事をして、白河がノートパソコンを持ち上げた。

 錦織は手を伸ばしたが、指先はキーボードにすら届かなかった。

 残されたしゃくりあげる息は、小さく、か細いものであった。

 

 

『あちきは、あちきのやるべきことをやりまちた。魔法少女として少しは一人前になれまちたよね、角さん……』

「……はひゃヒヒ。それにしたって先生ってば、愛する人に殺してもらえるなんて、妬ましくなるほど羨ましいじゃなイデスカ! よっ、憎いネ、死にたがり先生っ! 結婚式でも開きましょウヨ! バージンロードは溶岩の上でネ!」

『白河くん、あなたは……』

 

 強張る声のマナミに、白河はやれやれと言わんばかりにおどける。

 

 

「先生も、みなさんも不運ですヨネ。ぼくちゃんたちは生まれた時点で腐っていたから助からないのに……ネェ?」

『そ、それは、ちがいまちゅ! 先生は、どんな子でも……白河くんだけじゃない! 辺見くんも助けたかったんでちゅよ! 絶対に!』

 

 マナミの必死の思いに、白河は一瞬だけ真顔になった。

 だがすぐさま目を閉じ、毒の花のように赤い舌を覗かせる。

 

 

「……ええ。痛いほど知っていまスヨ、マナミちゃん。それでもね、こんな悲劇的な人生、そんなに嫌いじゃありませんでしたヨ? むしろ自分によしよしって甘えさせて、ちゅーしたくなるぐらい大好キ! だから、本当に不運なのは、ぼくちゃんたちの方で、あなたは不運じゃないのカモシレマセンネ?

 

 ……そう思いませんか、ヒナちゃん? ケヒャフヒヒッ!」

 

 

 脈絡なく問いかけられた天馬はハッと目を見張った。

 だけど肯定も否定もなく、唇に指をあてながら、背を向けた白河を眺めるだけだった。

 

 

『はいはい、ご歓談はそこまで! 諸君、処刑の準備だぞぉ!』

 

 

 マナクマが意気揚々と手を挙げて死刑を告げる。

 白河。俺は彼と分かり合える日が、もしかしてあったのだろうか?

 そんな問いかけを無視するかのように、彼は晴れやかな笑みで片手を挙げた。

 液晶画面に映し出されたマナミも、穏やかに目を細くさせている。

 

 

『みなちゃん……絶対に生きのびてね! 角さんのために、先生のために……あちきのために! 来世もまたB組で会いましょう!』

「恨まれタママ、憎まレタママ死ヌ……まっ! 殺人鬼だから兆も承知なんですけドネ! それでも、みんなにまた会えてぼくちゃんはベリベリハッピー! こんな最低な最悪な状況でモネ! ぼくちゃんは幸せデ、し……」

 

 

 木製の部品を持ったまま手を振りかけた。

 

 

 ……が。

 

 

 それは床に一回だけ跳ね落ちて、からころと小気味良く転がっていく。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待てよ海里ぃぃぃぃっ!!」

 

 

 

 

 突如として白河は叫んだ。

 …………いいや、彼ではない。

 

 

『へ、辺見くん……!?』

「あ、ありえない……何故なんですか……!? なんでこんなこと……!? 私は無罪なのに、無実なのに……! それなのに、どうして殺されなければいけないのですか!?  私は間違っていません! 間違っていたのはみんなのほうです! みんなが悪いんですよ!! みんなが悪いから、わ、私は……私は…………ッ!」

 

 ベルがないというのに、出てきたのは。

 感情のリミッターが外れたのだろうか……しかし、すぐにまた、形容しがたい笑い声が飛び出してきた。

 

 

「あらアラ? ルカってば。でも、それはちがうンジャナイデスカ? ぼくちゃんもルカも、まちがってたンデス。ぼくちゃんは、パパやママ、フヨウちゃんを殺したコト。ルカはそれから逃げて人を殺させタコト。まァ、ルカに関しては、たしかに被害者とも言えまスカ? でも、あなたも悪い子には変わりないんデ」

「そんなわけないじゃないですか!?」

 

 すべては、彼の彼による彼のための一人舞台だった。

 勢いよく膝をついて、ばん、ばんと床に平手を打つ。

 それでも痛みに歪む顔は、辺見ルカリスそのもののだった。

 

 

「なんにもわかっていない!! 私は、あなたのためになんでもした!! あなたが犯罪者にならないために、あなたが殺されないために! 死なないために! 私は醜い人々を排除してきた! いったい、それのどこが悪いんですか!? あなたを守るために、殺させないために! あなたの手となって、足となった私を褒めてくださいよ! 幸せにしてくださいよ! 生きさせてくださいよぉっ!! こんなの夢だ、いいや、悪夢だっ!! 違う違う違う違う違う違う違いますよこんなのおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい!! どうしてパパを殺したんですかママを殺したんですか!? なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんですか!?! 死にたくない死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁ!! 海里ぃぃぃぃいぃいぃぃぃっ!!!」

 

 

 激情に任せた絶叫は虚ろなものへと変貌する。

 辺見の魂は仕舞われ、白河は静かに微笑んだ。

 

 

「ひゃひ……ひゃはは……ルカ……いやだナ、赤ちゃんみたいデスネ? ぼくちゃんよりも、たくさんのことを見てきたんデショウ? 一方のぼくちゃんは、まだ5歳児ですヨ! ルカは弟でスケド、お兄ちゃんでもあるんですカラ。おお、よしよし、こわがらないで。ぼくちゃんもいっしょナンデスカラ…………死ぬまデ、ずーーっとネ」

 

 

『さてさて、ワクワクドキドキなオシオキ、いっちゃいますか? いっちゃいましょう! 超高校級の清掃委員、白河海里くんのために! スペシャルなオシオキを! 用意いたしましたー!!』

 

 

 白河はひひ、と下卑た笑いを漏らした。

 薄い瞼を閉じて、血の気を感じさせられない青白い唇を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「愛しい私のルカ。今までありがトウ。そして、これからも。あなたを、いつまでも愛しています。たった1つしかない大切な心臓を最期までわけあイマショウ。大好きなみんなに見守られながら……ねえ、ルカ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、なんなんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死の瀬戸際だというのに。

 いいや、瀬戸際だからこそなのだろうか。

 

 

 ……彼は、死神は。辺見ルカリスは。

 

 

 

「…………結局、私の記憶はニセモノはなんでしょう? あなたの美しい思い出は本物で、私の記憶がウソで無味乾燥な日々。……それに、私はどんな思いを馳せればいいとでも? みんなに見守られて死ねるなんて私はなんて幸せなんでしょう! ……そう涙ぐんで、処刑されればいいと?」

 

 

 く、く、く、と小刻みな笑い声が響き渡る。

 油のさしていないブリキの人形のように両肩は軋んでいるようだった。

 

 

 

「なんですか、それ? ……ああ、くだらない……くだらない、本当にっ! くだらないですねっ!! こいつらに恩義なんて感じるわけないでしょうッ!? こんな腐りきった人たちに!! 私のことをなんにも知らないし知ろうともしない、無知でバカなヤツらなんかにッ!!」

 

 

 生まれた時点で腐っていたから助からない。

 何故、今になって……先ほどの白河が言い放った言葉が頭を打ち付けるのだろう。

 

 彼だけが、一線を越えていたのか。

 だけど、俺たちはこの一線を踏み越えてはいけないから、彼を見守ることしかできない。

 その行為が、正しい答えかは、誰にも分からないだろう。

 

 

「ああ、海里。海里。海里……っ!! 私の愛おしくてたまらない異物め! あなたが私でなければ、この手が汚れても惜しくなかった! 体も心も跡形もなく、ぐちゃぐちゃに潰せたものを!!

 

 みんなと過ごした日々がないなら、私は、なんだって言えますよ! ええ、なんだって! だって海里も怪盗とやらも角さんも黒生寺さんも、あなたたちだって、私はなんら関わりのない。私は仲間外れですからね。なんだって言えますよ? だって、私は、みんなと違う。……まるで違うじゃないですか」

 

 片方の頬をあげて、目を歪ませた辺見が俺たちを……世界を咎めるように睨む。

 グツグツと濁った感情が纏わりついて離れずに、俺の心臓にしがみついてくる。

 なあ、辺見。お前はどうして、ここまでして。

 

 

「叔父と叔母を殺した? 十和田さんの弟を殺した? 真田さんの親友を殺した? 大豊さんのライバルを殺した? 紅さんの父親を殺した? 井伏さんを殺した? 十和田さんを殺した? ……いいえ、やったのは、すべて殺人鬼です。私は手を下していない。父と母を殺したのも殺人鬼。角さんを殺したのも殺人鬼じゃないですか。ほら、見たことか! やっぱり私は悪くなかった! わかりましたか!? あなたたちは間違えたんですよ!! 私は正しいんだ!! 間違っているのは、あなたたちのほうではないですか!!」

 

 

 

 どん、どんどん、と金槌を鉄で叩くように荒く棘を残す声。

 だが痛みも毒もなく、それは棘だけが滑稽なまでに剥き出しになっていた。

 

 

 

 

 

「私は無実なんです! 私は無罪です! だから!!」

 

 

 

 

 

 お前は……。

 

 

 

 

 

「だから…………だっ………だ、だから……私は……わ、わたしは……っ!」

 

 

 

 

 

 

 辺見、白河。お前たちは……。

 

 

 

 

 

「お願いしますから殺さないでくださいお願いします私は悪くありません仏様神様ごめんなさいごめんなさいなにもしてないけど謝りますごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい誰でもいいから助けてください助けてくださいいやだいやだいやだ死にたくない死ぬのはイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ死にたくない死にたくない助けてぇええぇぇぇぇっ!!!」

 

 

 

 

 こんな人生のために、生まれてきたのか?

 

 

 

 

 

 

『はい! それでは、毎度おなじみですが、張り切って参りましょーう! おっしおきターイム!!』

「いやだいやだいやだぁだれか助けて助けていやぁぁぁぁあああっぁぁぁぁぁ………………あ、」

 

 赤子同然に泣き叫んでいた辺見が、はたりと動きと声を止めた。

 ぽかんと大きく口を開けている自分に、白河は驚いたのか。

 それとも、自らの罪を知ることができたのだろうか。

 

 

 

「……あ。ア、」

 

 

 

 大粒の無実の涙に濡れた自分の顔立ちを知った時。

 

 

 

「ごめんね、ルカ」

 

 

 

『ごめんなさい、辺見くん』

 

 

 

 それは、だれの言葉だったのだろうか。

 マナミか。それとも。

 マナミの愛した……いや、彼女に愛された死にたがりやの言葉だったのか。

 

 

 

 

「……それでもね、ルカ」

 

 

 

 辺見ルカリスが生まれてこなかったら。

 

 白河の臆病な心、良心が芽生えなかったら。

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり(ぼくちゃん)たちは、間違えていたんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ……果たして、本当にそれは幸せなことだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「あの時は、本当にありがとうございました! よろしければ……どうか、黒生寺さまの強さを教えていただけませんか!」

 

 

 懺悔室で居眠りをしていた男に、少女は快活に尋ねた。

 

 少女にとって、彼――黒生寺五郎は王子様だった。

 学園内で研究員を称する者たちに手伝いを頼まれた際、倉庫に押し込まれたときがあった。

 新たな敵にフラワーフローラ、あわや絶体絶命の危機。

 

 そんな時に、突如として現れてバッタバタと男たちをなぎ倒していった。

 それが、黒生寺だった。

 ちなみに、その後……駆けつけた担任によって、絶望の研究を裏で行っていたことが発覚した研究員たちは即刻解雇となった。

 

 さておき、角芙蓉という少女は感動に打ちのめされた。

 格闘技。武道。合気道。

 リアルもフィクションも、ありとあらゆる武術を見てきた彼女にとっての衝撃の出会いだった。

 

 

 もっとも、彼にとっては、数分前に男たちに足を踏まれた報復だったが……それを彼女が知る由もない。

 

 

 

 角芙蓉の人生は、いつも人を救う選択を選んでいた。

 彼女は大家族の「お姉ちゃん」として生まれた。

 お手伝い、アルバイト、ケンカの仲裁の繰り返し。

 

 決して一人きりの活動ではなかった。

 「ありがとう」と喜ぶ笑顔、時に彼女のためにと支え見守ってくれた。そんな彼女を愛する人たちがいた。

 

 感謝のお返しに、また手を差し伸べた。

 その手は、平和のため、世のため人のため、そして自分自身のためでもあった。

 

 だから、彼女は強さを求めた。

 強さがあれば、何度でも手を差し伸べられる。

 

 

「いったい、その強さはどのように手に入れたのでございましょうか?」

 

 

 逃げられながら、疎まれながらではあったが、黒生寺に寄り添い、彼女は共に拳やステッキを交え続けた。

 やがて、角は彼の本質に触れることができた。

 BB弾銃の銃口を見つめる黒生寺は、遠くの異国を眺める横顔だった。

 

 

 

「俺は……貴様とは違う…………」

 

 

 黒生寺五郎の人生は、常に戦いの選択肢以外はなかった。

 彼は荒れ果て餓えた地の「ガンマン」として産み落とされた。

 強奪、紛争、飢饉の繰り返し。

 

 決して孤独な戦いではない。

 鉛玉一つであっけなく事切れ、時に心を裏返しにして首を掻く。そんな彼が信じたかった仲間たちがいた。

 

 爆撃のお返しに、またトリガーを引いた。

 その指先に平和のため、世のため人のため、ましてや自分のためなど存在しなかった。

 

 だから、彼は強さを手に入れてしまった。

 強さがあるから、何度も指先に力をこめた。

 

 

「貴様に負けたつもりは到底ない。だが、俺の強さは間違っている……それは確かなことだ…………」

「いいえ。黒生寺さまの引き金に正解、不正解はございません」

 

 少女は明かりで道を照らすように告げた。

 突然の光に驚くように、懺悔室の薄暗い闇の中、黒生寺はゆっくり顔をあげた。

 

「黒生寺さまは、生きるために戦ってこられたのでございます。たとえ許されない罪を背負いながら、それでも前を向いてきた。だから、黒生寺さまの強さは間違いではございません。それは未来に生きる力でございます」

「……難しいことを言うんじゃねえ………」

「ふふ、そうでございますね! だから今は、こうして。今日も、明日も……この時間を大切にいたしましょう」

 

 少女がステッキを構えると、黒生寺は立ち上がり同じく戦闘態勢に入る。

 ぽつぽつと喋っていたときと打って変わって、強張っていた表情が緩む。

 

 

 

 

 ……ざらついた砂嵐に見舞われる。

 この頃の少女は、いつも激しい頭痛に苛まれていた。

 そのたびに、過去の声が、場面が次々と現れては消えていく。

 

 

 ――君たちの優しさと強さ、そして希望の原石のようなきらめきに生ける自殺志望者は大いな感銘を受けていた! 君を始めとした君たちクラスメイトにこそ殺されたいと常日頃から願い続けていたが、果たして希望は叶うのだろうか。

 

 ――生ける自殺志望者は、君たちを死なせることはしない。だが教師は神様にはなれなかった。愚かなことに、君たちの選択を信じて願うしかない。故に、生ける自殺志望者は願った。願い続けた。

 君たちは生きる。生きろ。生きてくれ。

 

 

 その教師は、彼女のもう一人の憧れの強さだった。

 金庫に残されていた教師の手紙。

 生徒たちは、少女もまた、生きてほしいと願われた。

 

 

 

 ――ねえ、あなたの悪いところ教えまショウカ? あ、悪口じゃありまセンヨ! インターネットのお友達とは違ってネットリテラシーとかありますシぼくちゃん。って、これも悪口デスカ!

 

 ――フヨウちゃんは戦って、多くの人を守ればみんな幸せになれるとお思いデショウガ、その行為で苦しむ人がいるんでスヨ。……あなたを本当に守りたい人デス。ちがウ?

 

 ――ま。結局、大切な人を守ることってエゴにすぎないんでスケドネ。フヨウちゃんも、そういう意味で、ワガママちゃんなのかモネ。ぼくちゃんと一緒で。フヒャヒシッ!

 

 

 その青年は、黒生寺と角と共に戦ってきた。

 鉄格子の梯子をのぼりながら、淡々と問いかけてきた。

 命を賭けて守ることは良いこととは限らない。少女は諭された。 

 

 

 

 ――おひとよしは、どんなに強くとも、くたばる。

 

 ――だが、もしも、おひとよしじゃない貴様がいたとしたら……そんなのは……

 

 ――本当に……貴様には守られる選択肢がないのか……

 

 黒生寺さまだって、守ってくれたではございませんか。

 そう言っても彼は首を振るだけだ。そうではないと否定するように。

 

 

 

 ――お前がいない世界は……どうなってしまうんだ?

 

 芙蓉がいなくても、みなさまは生きていけるのでございます。

 それに、芙蓉は、そう簡単にはいなくならないのでございます。

 プリティキャンディと同じ、芙蓉が、世界のために星になったときは……この世は、みんな幸せに、平和になっているのでございますから!

 

 激励のつもりだったが、彼の顔立ちは冷えていく一方だった。

 

 

 

 ――それが、お前の希望だというのか。

 

  

 その青年は、少女の人生にとって大切な強さの持ち主。

 彼と共に戦い、共に隣にいれたら、どれほど幸せなことかと夢見ていた。

 目の前の彼は、飼い主を失った野良犬のように項垂れるだけだった。

 

 

 少女が、守り続けた先の未来。

 果たして、それは真に希望と呼べるのか。少女は問われ…………。

 

 

 

 

 

 

 

「おーい。フヨウちゃん? フーヨウちゃん?」

 

 

 恋焦がれた王子の顔から変わって、狂気的な顔面に覗き込まれる。

 少女は軽く悲鳴をあげかけた。

 大木の前で鉄パイプとホースをぶんぶんと振り回しながら、殺人鬼の青年は眉をひそめていた。

 

「失礼いたしましたのでございます! ぼんやりしてしまって」

「おや、余裕のヨリメちゃんでスネ。……いや、今のフヨウちゃんは、寄り目というより涙目ですカ。美人の泣き顔は、ぼくちゃん好みデスケドネ」

「…………、え?」

 

 我に返った少女は頬に指先をあてた。

 水滴の痕が、指の表面に滑り落ちていく。

 

 

「……ま、まあ。びっくりでございます。私としたことが」

 

 慌てて拭えど、拭えど、彼女の涙が止まることはなかった。

 はらはら、と植物園の花たちの花弁が一斉に零れはじめる。

 角芙蓉の涙に合わせて号泣するように。

 

 色素が薄い青年は真顔のまま見張っていたが、やがて、フッと一笑する。

 

 

「あのネ、フヨウちゃんってホントに、どんかん子ちゃんでスネ。体はなまってルケド、殺人歴はこれでもぼくちゃんのほうが上なんデスヨ? ……フヨウちゃん。まだ間に合いますヨ。あなたは今度こそ」

 

 

 青年の声にかぶさるように、衝突音が鳴り渡った。

 扉は開け放たれ、長身の影がゆらりと立ちはだかる。

 

 

「……お見えになったようでございます」

「……ええ。来ちゃったみたいデスネ」

 

 かつて“先生”と呼ばれていた人間が二人にゆっくりと歩み寄る。

 機械的な足取りで、硬い土を模したタイルを踏みつける。

 

 

「魔法少女たるもの、涙はあれど、諦めは禁物でございます」

 

 少女はステッキをバトンの要領でくるくると回して、かつては"教師"の怪物に向けてかざした。

 頬に流れていた滴は土へと還っていく。

 

 

 少女は……角芙蓉は、自らの意志で最後の選択し、決意を胸に抱いた。

 

 

 

「星になる覚悟は、できたのでございます」

 

 

 隣に立つ青年は微かに喉を鳴らして、すぐさま唾を飲み込んだ。

 

 

「なにを言っても、殺人者の言葉はゴミカス当然デスカ。……ぎゃひゃひほヒャ! まっ、フヨウちゃんらしいデスネ! これが終わったら、ほしたべよをおごってくだサイヨ!」

 

 

 ふわり、と花びらが足元に落ちた。

 かつての"教師"は、その花を乱暴に拾いあげる。

 

 

 

『今、君たちは、生ける絶望を前に無謀なまでに立ち向かおうとしている』

 

 

 "教師"であったはずの人間は、植物園にノイズ音を響き渡らせながら語った。

 彼の"生徒"として学び、戦ってきた2人は、かつての"教師"にステッキを、鉄パイプを差し向けた。

 

 

 

『眩しいまでの勇気。生ける絶望の胸に一縷も存在しない『希望』を抱いた君たちに――』

 

 

 

 "教師"だった絶望は、面白がるように嘆くように。カタカタと肩を揺らし続ける。

 花びらが、手から零れ落ちる。

 薄桃色の花びらが舞い上がり、ヘルメットの目元に張りついた。

 

 

 

 

 

 

『胸の奥では途方もない絶望と悲しみを。ヘルメットの下で、恍惚なまでの満面の笑みを浮かべる。

 

 

 ……ああ。君たちは、希望通りだ』

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 GAME OVER

 

 超高校級の清掃委員 白河海里くんがクロに決まりました

 オシオキを開始します

 

 

 

 オシオキ 『 はじめてのだんざい 』 

 

 

 鎖に繋がれ、真逆のバンジージャンプのように高く上がっていた青年とノートパソコン。

 だが、彼らはいつの間にか、重力に任せて急降下していた。

 

 1人と1機は廊下のような通路に崩れるように不時着する。

 壁も床も灰色のタイルに覆われた監獄……通路からして迷宮なのだろうか?

  

 彼の首には、牧場の牛のようにベルがついた首輪が巻かれていた。

 キツく絞められているのか、彼は、ぐ、と首を掻く仕草と共に歯を食いしばる。

 すすり泣きの声に慌ててノートパソコンも手繰り寄せているようだ。

 割れた液晶には涙目のマナミが震えていた。

 

 

 そのときだった。

 ごうん、ごうん、と消魂しいエンジン音が彼の背後から吠える。

 振り向くと、鉛色に光った数メートルある巨大ローラーが、ふしゅう……と牙を剥いていた。

 

 彼に、迷いは一瞬たりともなかった。

 ノートパソコンを抱きあげて立ち上がると、通路へと駆け出していた。

 

 それを逃がさんとばかりに、ローラーも彼の背中を狙い一直線に走りだした。

 玉乗りの曲芸師さながら、マナクマがローラーの上でばたばたと足を動かしている。

 廊下には障害物の如く、空き缶や瓶。バナナ、ミカンの皮などが散乱していた。

 

 

 

 走る、走る、走る――。

 

 暗い通路の前方から、突如、影の塊のようになにかが転がってきた。

 それは黒いタイヤ、タイヤ……車輪たちが暴れ跳ねる。

 なんとか避けようにも避けきれずに、数個が脇腹や肩にぶつかる。

 

 

 駆ける、駆ける、駆ける――。

 

 先の床からごうっ、ごうっとリズミカルに吹き上げるのは、地獄から吹き上がった炎か。

 彼は目を瞑り、髪を焦がしながら一気に駆け抜ける。

 片手で燃え移った炎を消し叩きながら抜け出した。

 

 

 逃げる、逃げる、逃げる――。

 

 後ろを振り向く暇も隙もなく、一心不乱に前進するのみ。

 からころからころ、からころと走る度に首につけられたベルが鳴らされる。

 ぐるぐると、彼の瞳の色が巡り巡って変化する。

 

 呼吸困難に近いのか。強打や骨折や出血への苦しみか。

 はたまた人格が目まぐるしく変わる不快感か。

 命を惜しむ時間もなく必死に駆け抜ける。

 

 

 やがて、一寸先にドアが見えた。

 青白い『EXIT』の文字に、ひしゃげた笑みで、ドアノブ目掛けて手を伸ばした。

 黒く汚れきった手で勢いよくノブをひねって扉を開いた。

 

 

 瞬間、目の前にゴミが溢れ返る。

 

 

 埃、砂、土、泥……鼻をつまみたくなるほどの汚れが濁流となり山となる。 

 足を止められず、彼はゴミ山の中に抱きつくように、顔面と体を埋めてしまった。

 すぐさま顔は引き抜いたが、手足は泥の山に絡まり引き抜けなかった。

 

 ゴミ山の表面に亀裂が入り、一部分だけが崩れ落ちた。

 

 亀裂の中から顔を出したのは、死したマナクマのヘルメット。

 ヘルメットの一部が剥がれ、薄汚れた金髪が覗かせる。

 ゴミ山からの彼による手首が、彼のノートパソコンを持っている手をしっかりと握りしめる。

 焦燥と恐慌に、ごみ山に抵抗して苦闘していたが。

 

 

 

 背後の巨大な影に青年は動きを止める。

 青年は恐る恐る、首だけを後ろに向けるように動かした。

 

 

 

 

 眼前のローラーの表面は鏡のように反射して、見覚えのある青年が映っていた。

 ゴミに埋もれた醜い彼を憐れむように微笑んでいる。

 

 

 青年は、彼を、泣きながら睨みつけた。

 彼は、背後から迫る死神の名を知っていた。

 この世のなによりも憎み、だれよりも愛してやまなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その青年、白河 海里(辺見ルカリス)は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、ローラーが彼らを咀嚼した。

 二つの魂を一つに捏ね合わせるかのように。

 

 

 幸運にも軋轢に巻きこまれずに済んだ破片が飛び落ちる。

 遺されたのは血がこびりついたキーボードの"I"だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えくすくらめーしょーーんっ!! 今回は出血大サービスだよ!! マグロのたたきもサービス、サービスゥ!』

「ひっ……うぐぅっ……っ」

「マ、マナミ……う、ううぅぅ……っ!」

 

 こうして地獄絵図が彩られた。

 "アンタが地獄の溶岩で溺れる絵を描きながら待ってるからさ……また会おうね、死神ヤロー”

 真田は地獄で、この光景を描いていたのだろうか。

 ランティーユは口を抑え俯き、錦織は膝から崩れて涙をボロボロと零す。

 

『おりょりょ? リアクション薄くね?』

「……おめー、見えてねえのか? この有様をよ!」

 

 ハテナマークを浮かべているマナクマに、唾を吐きかけるように怒号をあげた萩野。

 茹で上がったような顔色で大きな手を広げた。

 16人もいたはずの生徒達が、半分に減ってしまった裁判場。

 恐怖に満ち溢れ、咽び泣いていたはずの空間は、いつの間にか奇妙な静寂を弄ばせていた。

 

 

「ここまで殺しといて、なにが狙いだってんだ? 結局、おめーも"アレ"と同じってか?」

『アレって、これ? どれさ!』

「……江ノ島、盾子だよ」

 

 静かではあるがハッキリと天馬が呟いた名前は――絶望そのもの。

 マナクマの青い瞳もすぐさまギラリと鈍く光った。

 

「なんども言うけどさ、ボクはアイツとは違うんだからな!』

「あなたは一体何者なの? 私たちの知っている絶望とはなにが違うの?」

『一緒にすんなよ。ボクは彼女を超えなきゃならないんだから。ボクは絶望を超える。キリッ』

「そ、そんな御託はいらないわ……そろそろ手の内を見せてほしいのよ……」

『もう、見せてるけどね……うぷぷ』

「へ、へけ? みっ、見せてるって、えっ、えっ!?」

 

 大豊が処刑のショックを引きずったまま、何度も「え?」と繰り返す。

 

『おーっと、ボクが言えるのはここまで! さあ、オマエラ、ケツの穴シめて張り切ってちょうだいな。五回目の裁判が終わった時、オマエラは"学園を知る権利"が手に入るんだからね!』

「……なんだって?」

 

 "学園を知る権利"……だって?

 

「おめー、どういう意味だ?」

『そのままの意味に決まってるやん? ヒップにきゅっと力こめて、五回目の裁判を乗り越えれば、学園の秘密を解ける権利が手に入る! ま、言わば、お約束ってヤツだよ。さて、今宵はここまで、チャオランタン!』

 

 マナクマは跡形もなく逃げて行去った。

 人が少なくなったせいか、俺たちの精神が触れてしまったせいか。

 涙の渇く時間は、日に日に早くなっていっているようだ。

 

 

「……本当に、これで終わってしまったの?」

 

 井伏、いいや……辺見によって父が殺された紅。

 辺見によって縛りあげられてしまった井伏自身の罪は解放できたと言えるのか。

 その罪の代償なのか、因果なのか。井伏を殺めてしまった円居の裁判を完全に終わらせることはできたのだろうか。

 

 今も嗚咽を漏らし続ける大豊もまた、辺見に利用され続けた。

 そしてランティーユも涙を滲ませながら彼女に寄り添う。

 彼は彼女のために、真実のために戦い続けていた。

 しかし、このような終わり方を望んでいたのだろうか。

 

 弟を、そして友を奪われた十和田と真田。

 一人は諦め、一人は苛烈な憤怒を秘めていたが思いは同じ、辺見の憎悪を根ざしていた。

 彼らも、こんな断罪を求めていたのだろうか。

 

 

 そして、俺たちの希望のために教師に挑んだ魔法少女は――。

 

 

 

「終わるものか……」

 

 

 低い声が裁判場に打ち鳴らされた。

 黒生寺が顎をあげて遠くを見遣った。

 

 

「犯してしまった罪を完全に償える方法はない……罪が償える死に方が無いようにな……」

「………そうだったわね」

 

 

 闇に溶けそうなほど静かな言葉に、紅が、俺たちも次々とゆっくり頷いた。

 

 

 

「だから俺たちは、結局……ここで生きて戦うしか道はない……」

 

 

 

 こうして、四回目の裁判をまたも幕を閉ざした。

 そして、非日常を続ける決心をつけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻った後、俺は職員室に向かおうとしたが……。

 その前に植物園に足を向けていた。

 動揺が強くて、彼女のことを弔えていなかったのが心残りだった。

 一旦、部屋に戻って書いた書を取り出して改めて眺めてみた。

 

 

  在天願作比翼鳥、在地願為連理枝

 

 

 玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の物語を綴った『長恨歌』の最後の一節。

 皇帝は彼女を愛したがために、反乱が起こってしまう。

 原因となった楊貴妃は臣下によって殺されてしまった。

 しかし、皇帝は彼女のことが忘れられず。寂しさに溺れることとなる。

 

 その後、彼は道士の力を借りて仙人の山にいた楊貴妃の魂を見つけ出すのだ。

 もちろん彼らは出会うことはないのだが……仙女となった楊貴妃は道士に簪と誓いを言づけた。

 それが、この一節だ。

 

 願わくは天では比翼の鳥となり、地上では連理の枝となって共にありましょう。

 

 鬼に金棒、虎に翼。

 鳥が1つずつ翼を持ち、2羽で飛ぶことができる比翼の鳥。

 2つの木が枝が繋がり、1本の大樹となる連理の枝。

 たとえ、どの天地でも常に共にありましょうと願ったのだ。

 

 

 植物園の扉を開くと、すでに先客がいて立ちすくむ。

 先客は俺の存在には気づくことは……いや気づいていたのだろうか。

 その人物は、なにも言わずに大木の目の前に膝をついていた。

 

 亡き彼女の痕跡は、ステッキだけだった。

 墓標のように地面に突き刺さっていたそれを抱きかかえるように。

 角の形見であるステッキを手にとる。

 

 

 

「……強い」

 

 

 葉から滑る雨粒のように、その低い声は落とされた。

 

 

「お前は強い……俺よりも、誰よりも強い……ああ、認めよう……最強の魔法少女だと……そして無理に戦うこともない……変身もしなくていい……もしも、再び戦いが始まっても俺が代わりに戦おう…………

 

 だから、返事を、してくれないか……」

 

 

 言葉は返ってこなかった。

 草花が彼の言葉を吸い込むだけで、返すものは空気だけ。

 息の音も、服の擦れる音も、なにも聞こえなかった。

 

 

「俺がどうしようもない人間なのは知っている……だから一人で戦い続ける覚悟はあった…………だが、お前はそれでもこんな俺を何度も、何度も助けてくれた……大きなものを背負ったまま……そんなものを背負っても、お前は俺よりも強かった……知っていた……いや、思いだした……そうそう倒れる女じゃねえってことぐらいは…………だれかに守られるようなヤツじゃないってことはわかっていた……」

 

 

 "強い分、傷つくことはたくさんあるんでちゅ……先生のように……

  黒生寺くんも強いからこそ、角さんは傷ついてほしくないと思うんでちゅ"

 

 いつか、マナミが言っていた言葉がフラッシュバックする。

 ようやく彼も気づいてしまったのだろう。その言葉の意味に。

 

 

「それでも、俺は……こんな俺を助けてくれたお前を救いたかった。共に戦いたかった……本当は俺も守りたかったんだ。命を賭けてでも。…………いいや、賭ける命はないか……約束を受けてしまった以上は……未来で生きろと託された以上は………」

 

 

 黒生寺は、なにをするとでもない。

 

 

 

「この世界で。お前がいない世界でも。俺は、それでも生きるしかないんだ。………そうなんだろう。

 

 

 ……………芙蓉」

 

 

 

 百戦錬磨の男には程遠い、愛らしい形を施したステッキを抱きかかえる男。

 柔らかい手のひらのような芙蓉の花に見守られて、背中を震わせていた。

 

 天地や世界は永久だが、彼も、いいや、俺たちも尽き果てるときは必ず訪れる。

 しかし、この悲しみだけは果てることはない。

 角への気持ちがある限り、彼は、ずっと忘れることはない。できないんだろう。

 

 

 ………それでも。

 

 

 

「生き続けよう、黒生寺」

 

 

 

 

 その言葉に頷いたように、黒生寺は頭を垂れて背中を深く丸めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 植物園から足音を立てずに出て、俺は職員室へと向かった。

 白河が言った言葉と、渡されたもの。

 アイツがこれを託した真意を確かめるためだ。

 

 ……白河海里。

 俺は、アイツに対してなにを思えばいいのだろう。

 

 


 

 

「…………? おヤ、あなたって…………もしかして、リュウノスケくんだったりシマス?」

 

 


 

 

 遠い昔の記憶のように、彼の言葉がセピア色で映し出される。

 

 

 ……あの奇妙な間はなんだ?

 

 もちろん、大した意味はないかもしれない。

 俺と白河は仲がよくなかったから忘れていたとか。

 辺見から白河の切り替え時ににラグが発生していたとか。

 理由なんていくらでもつけられる。そもそも、今となって理由も聞くことができない。

 

 ………そうではあるのだけれど。

 

 不毛な考えを振り払うためにも、俺はポケットに入れていた白河かもらった小瓶と紙切れを取りだす。

 紙切れを開くと、見覚えがある筆跡で文字が書かれていた。

 

 

 

 mjcsbsz uzqfxsjufs dibjs lfz ――私たちは隣人を真似して生きている

 

 

 

 

 ……なんだ、これは?

 まさか、最後まで俺をおちょくるつもりだったのか?

 いや、もしかすると暗号だったりするのか? たとえばマナクマに知られないようにするための。 

 ……でも、なんのだよ?

 

 

「おーい、どったんだよ」

 

 ぐ、っと肩に力が込められる。

 驚いて振り向くと、萩野が拳で俺の肩をぐっと押していた。

 萩野は、俺の困惑した顔のせいか目を見開かせたが、すぐにニッと歯を見せる。

 

「萩野こそ、どうしたんだ?」

「どーにもこうにも体が硬くなっちまったから、ひとっ走りしてて……ま、モヤモヤしてんのは変わりねえけどな」

「そう簡単に、晴れるものでもないさ」

「まっ、そうなんだけどよ……それに、そろそろ佳境かなーって思ったら、ウジウジしてらんねえだろ?」

「佳境?」

 

 彼の言葉を疑問で繰り返すと、萩野は改めて姿勢を正してしっかりと肯定する。

 彼の瞳の中で、ちりちりと夕日のような炎が点火していた。

 

 

「5回目の裁判が終われば、学園を知る権利が手に入るんだ。……なおさら血が湧くってもんだろ」

 

 確かに……その通りではあるけど。

 5回目の裁判が終われば、という言葉にはあまり賛同はできなかった。

 

 ……まだ、俺たちは、仲間を失ってしまう可能性があるのだから。

 

 

「……おい、大丈夫か?」

「いや、なんでもない……それよりも時間あるか? 職員室で調べたいことがあるんだ」

「ん? おお、いいぜ」

 

 二つ返事で了承した萩野と共に、俺たちは廊下を歩き出した。

 

 職員室に辿り着き、俺は壁にかかった肖像画の前に立つ。

 マナクマのシールが大きく張られているけど……それよりも金版で掘られた文字だ。

 萩野は俺の視線の先に気づいたのか、肖像画と俺の顔を交互に見た。

 

「ん? あれがどうしたってんだよ?」

「あそこの肖像画の汚れた文字にこれをかけてみようって思って」

「……あんだ、これ?」

「汚れ落としだよ。処刑前に白河からもらった」

「はぁ!? アイツから!? ホントに消せるんか?」

「わからないけど……試す価値はあるはずだ」

 

 確証の頷きはできなかったが、目を合わせていた萩野もやがて頷く。

 職員の椅子の上に立って、肖像画を取り外してくれた。

 ……そして、白河からもらった小瓶の蓋を開けて、肖像画の文字の部分に一滴ずつ液体を垂らしていく。

 

 

 “N××××G××× ×A×U×× ”

 

 

 さて、これから汚れを拭けばいいんだろうけど……

 

 

「……あっ、拭くもの……これでいいか」

「待て待てシャツはやめろ!? こっち使え!」

 

 慌てて萩野がハンカチを差し出した。

 ちゃんと持ってるとは……って言ったら萩野に失礼だな。

 

「あ、ありがとう。でもシャツは汚れても困らないから」

「ったく、白河がいなくなったとは言えなあ。そーいうズボラはやめとけよ? しっかし、どーして、おめーは汚くなる抵抗がねーんだか……」

 

 そう言われてもな……

 なんだか綺麗すぎると落ち着かないのは性分だ。

 すーすーとしてしまって……自分じゃなくなる感じがする。

 

 萩野から青いハンカチを借りて汚れた部分を拭いていく。

 ……みるみるうちに黒ずみが落とされていく。

 なんだかんだ言って、清掃委員という肩書きは伊達じゃなかったってことか。

 

 

 

 "NI×××G×××"

 

 

 

「あ? 変だな……『NA』じゃねえのかよ。歴代の校長か?」

 

 

 

 たしかに、この文字列は俺たちが思っていたものと異なるようだ。

 

 

 

 

 

 "NISHI××××"

 

 

 

 擦るたびに青いハンカチが黒ずんでいき、文字が現れ始め――

 

 

 

 

 

 "NISHIGORI"

 

 

 

 

 

 ……えっ?

 

 

 

 

 

「…………は? お、おい、ちょっと待て。なんだよこれ……!?」

 

 

 慌ててスクラッチで擦るように次々と文字の汚れを落としていく。

 そして……きらりと光った金具の文字の名は。

 

 

 

 

 ――NISHIGORI HARUJI

 

 

 

 

「に、にしご……おいおい、どーいうことだよ……!」

 

 

 

 それに、ハルジ……って。

 俺は、もしかしたら、この名前を見たことがあるのではないか?

 頭の中に過ったのは、件の彼女が見せてくれた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【部外秘】95期_面談結果

 

以下、××××年7月26日に実施した、95期B組の面談結果を記す。

担任教師は一読し、留意すること。

 

面談・作成者: ■■ 春路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――錦織 春路(NISHIGORI HARUJI)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、してるの」

 

 

 

 

 混乱の中、ひたりと発された声に俺たちは振り向いた。

 

 

 

「お、おい……っ! おめー、これは」

 

 

 渦中の少女そのものだった。

 

 萩野が俺の肩を咄嗟に掴み、彼女から少しでも遠ざけようと動かす。

 つか、つか、と歩み寄った黒髪の少女は、俺を押しのけて、上履きで肖像画をぐりと踏みつける。

 怨霊が憑いたように……そこには呪詛が渦巻いていた。

 

「な、なあ、錦織」

「触んないで」

 

 彼女を止めようとするが、彼女の平手に弾かれる。

 どういうこと、なんだよ。

 この肖像画の人物の名前が……NISHIGORIという名前ならば。

 

 

「ちょっ……ンなことしてる場合か!? 説明しろ、こいつは誰なんだよ!?」

「アンタたちには関係ない……」

「い、いや関係がないわけだろう? だってこの名前……お前、知っていたのか? 肖像画のことを……それに、あのデータの持ち主のことを」

「同じことオウムみたいに言わせないでッ! ないったらないのよこの無能書道家ァッ!!」

 

 飛んできたのは裏返った罵声だった。

 でも、俺だって怯んでいられないんだ。

 

 

「錦織っ! 答えてくれ! お前……いったいなんなんだよ!?」

 

 

 

 絡まった回路を一本に正すためにも俺は問いかけた。 

 少女は大雪で真っ赤にしたような頬で黙っていた。

 怒りも悲しみも恐怖も煮込んだような表情のまま、彼女は。

 

 

 

「…………いったい……なんなんだ……? そ、そう……質問を質問で返すのは愚問だけど、あえて聞かせてもらうわよ……」

 

 

 

 

 

 黒いセーラー服の少女は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「七島竜之介。あなたこそ何者なの?」

 

 

 

 

 

 

 

「……………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錦織という少女は、呪いをかけるように微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter4 わたしの、最高の絶望 完

 

 

イキノコリ:8

シボウ:2

 

 

 

『油汚れにもキュキュッと落とせる薬品』を手に入れた!

 白河が七島への餞別に送った一品。謎のメモも同封。

 どんな汚れも綺麗に落とすことができるようだ。

 心の汚れも落とせるらしいが、真相は彼らのみぞ知る。

 

 

 

 

To be continued……

 

 

 

 

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