(非)日常編 佳境の幕開け
Chapter5 勝手にバッドエンド
「七島竜之介。あなたこそ何者なの?」
問いを投げかけてきたのは、冥界の番人のような佇まいの少女――錦織詩音だった。
いったい、なにを、言っているんだ?
喉が死の宣告を受けたように硬直する。
いいや、なにを臆する必要があるんだ? 何者だなんて。
俺は…………。
…………俺、は。
「いや、質問に答えるのはおめーのほうだ」
その前に、舌打ちと苛立ちが隣から発される。
萩野は一歩前に踏み出して、錦織の前に立ちふさがった。
身長差は大きいが、彼女は微塵も動じなかった。
「それは答えるまでもないわ……私は司書よ……」
「じゃあ、説明してくれ。おめーの踏んでいる、こいつの名前は?」
こいつ――その単語に、黒い前髪に隠れているにも関わらず、錦織が眉をひそめたのは一目瞭然だった。
彼女の上履きが踏みつける肖像画。
タイトルには『NISHIGORI HARUJI』と刻まれている。
「……さあ。知らない……アンタたちにも関係ないわ……」
「ほーう? ここまで来て、しらばっくれるか?」
鼻を鳴らした錦織は踵を返そうとするも、すぐさま萩野が腕を掴みあげて止める。
彼女は蛙を前にする蛇のように睨みつける
「な、なによ……離してくれる……!?」
「離してもらいたなら、話せ」
「……なにを?」
「おめーが何者なのかを。この肖像画のことについてだ」
「何度言わせれば気が済むの? 私には関係がないって……」
「いい加減にしろよっ! わかってんだろ、おめーにも!? そうやって、また自分だけのことばっかり」
萩野が言い切る前に、ぱん、と乾いた音が鳴る。
「あっ」と声が漏れるヒマもなかった。
真っ白な平手が萩野の頬を打っていた。
その時の彼女の顔立ちは怨霊に憑かれた……いいや、井戸の底から這い上がってきた怨霊そのもの。
呪いによって作られた能面だった。
萩野は立ちすくんだまま、平手打ちされた頬を抑えることもなかった。
「…………っふ……。はは……あん時のお返しか」
「……っ……!?」
俺の目の前に立っていた、萩野の肩はくつくつと笑っていた。
見上げた錦織は目を急速に丸くさせながら、萩野を、そして俺をかいくぐるように逃げ出してしまった。
…………しまった! 俺まで呆然としてしまった……
すぐさま萩野の正面に回りこみ、顔を覗き込んだ。
「萩野……! 大丈夫……か?」
「……おうよ。四月一日のモンに比べたら、蚊に刺された程度だ」
……そうか。一回、四月一日からも平手を受けていたっけ。
たしかに、その時に受けた平手よりは痛くもなさそうだったが……
今の萩野は四月一日から受けたものよりも、苦い味を噛んだ色に満ちていた。
「錦織の言うこと気にすんなよ? おめーも、俺も」
「あ、ああ」
「アイツ、マナミがいなくなったのに加えて気が立ってやがるんだよ。んでもって、これだもんな」
萩野はやるせなく首を振った。
肖像画が投げられた床に視線を落とした……多少の汚れが滲んでしまっている。
「しっかし、どーして俺の周りのヤツらは抱え込みたがるんだ? こっちの身が持たねえな」
「意味は違うけど、類は友を呼ぶ、って言うだろ?」
「…………なるほど、な」
ふ、と萩野は屈み、なにかを拾い上げた。
立ち上がった萩野が見せてきたのは鈍色の鍵だった。
「錦織のヤツ……落としていっちまったみたいだ」
「自室のものではなさそうだけど……もしかして図書室の鍵か?」
「かもな。……おめーも図書委員だったよな? 書庫は行ったことあんのか?」
「いいや、俺はないよ」
「…………ならさ。ちょっと、見てみねーか?」
俺たちしかいないが、大きな声で言うのは憚られたのか耳打ちしてきた。
……いいのだろうか。是が非でも行きたいと言う気持ちではないが。
しかし、見たいという気持ちはウソではない。
ゆっくり頷くと、「よし」と萩野は俺の肩を強くとんと叩いた。
「やあ、ムッシュたち。どうしたんだい?」
職員室から出ると、声をかけられた。
ランティーユが軽く手を振って、こちらにやって来た。
「お。ランティーユ。これから俺たち図書室に行くんだ」
「うん? どうしてだい? もしかして、2人ともインテリジェンスな紳士になっちゃうっていうのかい!」
ランティーユが意外と大きな声を出したので、萩野は慌てて人差し指を口にあてて息を吐く。
少し罰が悪そうな顔をしながら、萩野は声を潜めた。
「図書室の秘密を暴こうと思ってな。アイツに内緒で」
「アイツって…………なるほど。彼女のこと?」
図書室で察したのか、穏やかな表情が鋭利に研ぎ澄まされる。
どうも先程の裁判から、ランティーユは錦織に対して厳しい一面を見せている。
萩野は事情を少なからず知っているのかもしれないが……いったい、なにがあったんだろうか?
…………あ、そう言えば。
「ランティーユ。見てほしいものがあるんだけどいいか? お前なら読めるんじゃないかと思って」
「ん? なんだい?」
「白河からもらったものなんだけど……これだ」
俺は前置きをして、メモ用紙をランティーユに手渡す。
ランティーユは受け取りながら、片眼鏡をかけなおす仕草をした。
俺たちの動きに気づいて、萩野もかかとを浮かせて覗き込む。
mjcsbsz uzqfxsjufs dibjs lfz ――私たちは隣人を真似して生きている
「あ? なんだよ、これ。何語だ?」
「アルファベットだけど何語でもないから暗号文かな。日本語は、なんて書かれてるんだい?」
「えーっと、なになに? 『私たちは隣人を真似して生きる』だとよ」
ランティーユは手袋をはめた指を唇に当ててしばらく考え込んだ。
何度か瞳を動かして、隣を見て……と繰り返し、口を真一文字に結ぶ。
しかし、それは束の間。
すぐに「ウィ」と軽快に頷いた。
「じゃあ、そのまんまの意味だ。このアルファベットの文字は"隣を見て書かれている"ということじゃないかな?」
隣を見て、書かれている?
そのまんまの意味って言われても……と萩野は首を捻りながら唸っている。
……もしかして。
「アルファベット順の、次の文字で書かれているってことか?」
「ウィ。そういうことだと思うよ」
「なんだ? おめーらだけで知ったような話しやがってよ」
「ほら、日本語でもよくあるじゃないか。たとえば、ななしま、だったら、ににすみ、って読むようなモノだ」
「……あ、あー、あれのことか? それが、この文章のカラクリってことなんか?」
これは奇を衒わなければ、アルファベットだからABC順か。
ならば、aは、bを意味して書かれている。
これを変換していけば……俺は半紙を取り出して、新たな文字列を書いた。
library typewriter chair key
ううむ、解けたとはいえ……。
拍子抜けするぐらいに、あっさりと浮き出たな。
「図書館、タイプライター、椅子、鍵……タイプライターのイス辺りに鍵を隠したってことでいいんかな? んよっしゃ、さっさと行こうぜ! ランティーユ、おめーも行くか?」
「もちろんさ! スパイ大作戦の開始だね!」
スパイ大作戦ってこんな内容だったか?
それでも、ランティーユがいるなら心強い。
白河が渡してくれたメモと考えると、彼の指す鍵というのは、恐らくマスターキーだ。
最後に。
先生は2つの希望の鍵を、"職員室の金庫"に残されました。
1つは芙蓉が持っております。
そして、もう1つは"目覚めてくれた、あの方"が教えてくれるはずことでしょう。
もしも芙蓉がいなくなってしまっても、"芙蓉と同じ記憶を持つ方"が代わりに、
みなさまを真実の道へ導いてくれることでしょう。
角が見つけ出したマスターキー。
裁判途中では、マナクマも"もう一つの鍵"は見つけていないって言っていたはずだ。
……善は急げだ。
3人並んで、俺たちは図書室へ向けて階段を駆け下りた。
図書室は相変らず整然と本棚が並んでいた。
だが、萩野は不服そうに「うーん」と唸っていた。
「マナクマが直したんかな? まさか、錦織が一人で……」
独り言を呟きながら、萩野はタイプライターの椅子の前へと歩き出す。
それに続いて、ランティーユも後を追った。
ふと、俺は図書室のカウンターに視線を動かす。
ここにはいつも主のように錦織が座っていたっけ。
カウンターには、本の山やメモ帳が置いてあった。
メモの表面は、黒に染められていた。
鉛筆で擦られて、文字が浮かび上がっている。
微かな文字で見づらいが、この文字の種類ぐらいは分かる。
……アルファベットの羅列だ。
「やられた」
硬いものを叩いた打音が飛び込む。
険しく眉を寄せたランティーユと、歯を食いしばった萩野。
タイプライターの前の椅子に駆け寄った。
回転椅子の座る場所の裏側も隈なく見た……けど。
セロハンテープが張られているだけだ。
遅かったか……!
唇を噛みしめるが、状況は変わることはなく痛みが生じるだけだ。
「……あそこのメモ用紙が鉛筆で擦られていたのを見つけたんだ。感づかれたんだろう」
「一歩遅かったってわけかよ……くそっ!」
マナクマが奪っていったのか、そうとしか考えられない。
角のポケットからも奪ったマスターキーだ……よっぽどアイツにとっては大事なものだったんだろう。
「ムッシュたち。気を落とさないで。まだ情報を得るチャンスはあるよ」
「お、おう、そーだな」
たしかに悔しいけど、落胆している場合ではない。
本来の目的はこちらでもあったからな……。
萩野は図書室の鍵を差し込み、書庫のドアを開けた。
「よし……入るぞ」
三人で書庫の中に足を踏み入れた……一言で表すなら、狭い。まるで隠れ家だ。本が敷き詰められた穴倉とも言えるだろう。
机と椅子が部屋の中心に置かれていて、その上には無数の資料が重なっていた。
一際目立つ赤い表紙のファイル……俺はそれを手に取って開いてみる。
萩野も隣でポケットに手を突っ込みながら覗き込んだ。
『学園の再出発』
人類史上最大最悪の絶望的事件から、閉校となっていた希望ヶ峰学園。
再開後の希望ヶ峰学園の学園長は、元超高校級の希望のM・N氏。
数年間は学園経営に従事していたが、20××年、かつての絶望に感化された者たちによる人災が各地で勃発。
彼を始めとした78期卒の生存者たちは、団体を本格的に食い止めるために学園の経営を退き、第65期生【超高校級のデータベース】の【錦織春路】氏に経営を一任した――
――錦織春路。
この文字に、目が留まった。
職員室の肖像画や、錦織の態度……これは、つまり。
「なんて書いてあるんだい?」
「えーと、つまりよ。学園長はたしか苗木って人だったろ? でも、江ノ島のシンパ的な団体をブッ潰すために学園長を辞めたんだ。そんでもって代わりに『錦織春路』って言うのが代わりに学園長になっている……ってことだ」
「ウーララ!? ぼくらの学園長ってムッシュ苗木じゃなかったっけ!?」
「……それが、ウソの記憶だったんだろーな」
角も手紙で触れていたはずだ。
教師はNPC。だから、俺たちの記憶の学園長もNPCだったってことなのか。
……超高校級のデータベースか。
写真も掲載されていた。
それが錦織の関係者……彼女と書かれていることから親族の女性か。
写真を見ると、黒いショートヘアに赤縁の眼鏡。レンズの奥には切れ長の瞳……錦織が髪を切って、そのまま大人になったような姿だ。
「で、これが錦織春路。アイツのオフクロ、ってワケか?」
これが錦織の母親。彼女が本物の学園長だったのか。
……待てよ?
『単刀直入に書かせてもらおう。学園長の苗木誠をはじめとする学園管理者、即ちコロシアイ学園生活を生き残った者たちの消息が取れなくなっている』
『希望ヶ峰学園の管理コンピュータのメールに入っていたデータの一部でそのようなことが記述されていた。
学園長及び、管理者たちの出欠が全員取れなかったことから、このメールが警察組織に送信されるはずだった。
しかし残念ながら、そのメールはエラーを起こして未送信のままメールボックスに入っていた。
日付は2月28日。卒業式の前の日、コロシアイ学園生活が始まった日そのものだ。
恐らく、なにか我々が知らないところで、"クーデター"があった可能性がある。
……と考えればいいのだが……自分含めて諸君は覚えていないかもしれないだろう。
ここで、少し我々の記憶を疑うこともここでは大事かもしれない。
あまりにも不可解な点があるから……残念ながら勘に過ぎないが。
……彼が残した作文は、データ自体が間違っていたのか?
それに、その人自身も最後に示しているように。記憶を疑うということを指しているではないか。
でも、仮に、最悪の可能性を考えるなら。
――その、作文を残してくれた人自身が、情報を攪乱させた?
でも、それを知る手立ては、今は持ち合わせてない。
この謎は、その時が来るまで、記憶に留めておくしかないだろう。
今度は萩野は、机の上に置かれたもう一つの黒いファイルを手に取って開いた。
見るなり、すぐさま萩野は顔をしかめて首を横に傾ける……日本語ではないのだろうか。
「あん? 何語だ?」
「さあ……ランティーユどうだ?」
「うーん……たぶん、スペイン語かな? 専門用語も多いみたいだ……」
ランティーユはしばらく考え込んでいたが、意を決して頷いた。
「ちょっと時間はかかるけど、ぼくが翻訳していいかな?」
「マジか? 頼むぜ!」
「い、いや、待ってくれよ。さすがに錦織がここに来たらバレるんじゃ……」
「鍵しときゃいーんだよ、こういうのは。なんてったって、鍵を持ってるのは俺なんだしよ!」
「ふふふ。昔のドラマみたいに言うなら……『おぬしもわるよのう』ってカンジかい?」
「おっ、わかってるじゃねーか」
しかし、いいのだろうか……?
なんだか良心が痛むし、そもそも錦織にバレたらとんでもないことになりそうだ。
厄介なことが起きなければいいのだが……
萩野からもらったファイルを、ランティーユは大袈裟にぱたんと閉じる。
「そうだ。5階も解放されてたみたいだから、ムッシュたちも行ってみるといいよ。みんなは明日、調査するみたいだけど」
「おう、そうだったな。俺もランニングした時にざっと目を通したぜ。また謎だらけだがな」
「謎だらけだからこそ解きがいがあると思うよ。よし、じゃあ、訳してみるね!」
誇らしげな笑みを浮かべながら、ランティーユは図書室から駆け出して行った。
ランティーユの姿が見えなくなったと同時に、萩野は参ったなと言わんばかりに頭を掻いた。
「……なんか、いまさら後悔してきた。任せてよかったんかなぁ」
「な、なあ、ランティーユはいつから錦織に厳しくなったんだ?」
「さあな……俺も詳しくはさっぱり……なんか気に食わないこと言ったんかなーとしか」
萩野にも原因はよくわかっていないようだ。
……ランティーユは、至極真っ当なことをしている。
だからこそ、暴走すると危ない面を孕んでいるのかもしれないな。
萩野の言う通り、おかしなことにならないといいけれど……。
『ぶるぅぁぁぁあぁぁぁっ!!』
「って、うおぅっ!?」
な、なんだっ!?
廊下に出た途端、真横の萩野が目を飛び出させた。
いや、その前に謎の奇声があがったので、俺も思わず軽く飛びあがってしまった。
視線の先には、生きた鮭を抱きかかえるマナクマ。
風呂上がりのように、ふすーっと白い湯気が出て赤く染まっている。
『どんどるべっちゃぁぁぁっ!!』
「な、なんだよっ!? なに振り回してんだよ!?」
『ボクはね!! 超ベリーおこおこプンプンボンバーまるなんだよっ!! 内蔵ぶち破るほどシャケ食わせてやろかコラァ!! いいからシャケ食えコラァ!!』
マナクマは、べちょんと鮭をまるごと壁にぶつけた。
見てわかる通りの激怒……猫だったら毛が逆立っているといった状態か。
「な、なんで、そんなに怒っているんだよ」
『キレてないっすよ』
「どーみても、キレてんだろ!?」
『このネタ知らねえとか、時代のエスカレーターを逆走してんの? じゃなくてさ!! ないんだよ! ボクの大切な“宝物”がどこにもないんだよ!』
――宝物。
すこん、と紙飛行機を頭にぶつけられたように呆気に取られた。
『おのれ……職員室の金庫をほにゃらら少女が開けちまったせいだ! うんちゃらかんちゃら少女の死体を漁って、一個は見つけたのに!』
それって、もしかして。
思わず隣の萩野と視線を見合わせたが、すぐさま目を逸らして何食わぬ顔をする。
じろりとマナクマが視線を辿るように首を傾げたが、気づかれなかった……だろうか。
『チクショウ……盗んだヤツ、マジで許さねえ。おしりぺんぺんで、おしりの割れ目が5つになるぐらいぶっ叩いてやるぜよ!』
可愛いようで物騒なことを……。
恨みがましく言いながら、マナクマはのっしのっしと大股で去って行った。
鮭を放置したまま……って、それは持って行けよ!?
「お、おいおい。なんだってんだよ……」
ぺちぺち跳ねる鮭を足で突っつきながら、冷汗をかいていた。
俺もこめかみの汗をぬぐいながら、生命が絶たれようとしている鮭を眺めた。
マナクマは、もう1つの鍵を回収しきれていないのか?
それじゃあ、どうして図書室の鍵はなくなってしまったんだ?
白河の虚言? マナクマの戯言?
それとも、俺たちの中のだれかが………?
――キーンコーンカーンコーン
『午後10時になりました。今から夜時間となります。一定の部屋にロックがかけられますので、すみやかにお部屋にお戻りください。では、よりよい青春のためにも! おやすみなさい』
先程の暴走と打って変わったマナクマのアナウンス。
もう、こんな時間か。
言い表しようもない不安も訪れたが、生理現象には勝てずに睡眠欲が湧き上がる。
さすがの俺もひさしぶりにベッドでゆっくり寝たい。
「と、とりあえずよ。一旦、戻ろうぜ? 5階の調査に本腰入れんのは明日だろうしよ」
互いに頷き合って、俺たちは一階へと降りていく。
かつん、こつんと靴音が鳴らされる。
こうして、萩野と並んで歩くのは久しぶりだ。
ちらりと萩野を見ると、「どうした?」と言わんばかりに首を傾げられた。
「それにしても……俺たちだけ、どうして同じクラスなんだろうな」
「あ? どうしてって、どういう意味だよ?」
「今の記憶が仮想空間によるものって言われてただろ? 仮想空間でも俺たちだけ一緒のクラスになれたのは、どうしてだろうなって」
「さあなぁ……偶然? もしかして、おめーの幸運のおかげとか?」
「……冗談を」
幸運なんて勘弁してくれ。
ただでさえ……錦織にあんなことを言われたばかりだっていうのに。
視線で伝えると、萩野は「悪かった」と目を閉じた。
「でも、幸運は悪くないだろ。一種の才能だと思うけどな?」
「……あんまり誇りたくないな」
「まあ、そーかもな。おめーのそう言う謙虚な態度は悪くねえ。幸運を自分のために使うヤツに比べたら、良心的だとは思うしよ」
ふん、と萩野は諦めるように鼻息を鳴らした。
「でもな」と付け足して、彼は肩をおどけさせる。
「もちろん、おめーは少しだけ幸運なだけ。超高校級とまではいかねえよ。なんてったって、『超高校級の書道家』だもんな?」
「あ、……ああ、そう……なのか……?」
「おいおい。この期に及んで、まだ書道家じゃないって言うんか?」
「い、いや、そんなことはないけど……」
「自信持て。おめーの字は人の心を動かせる。おめーの書を見て、何度も勝ちぬいてきた男が証明してやるから」
萩野は体を振りかぶると力強く、俺の右肩を叩いた。
歩いている途中だったので、思わずよろめきそうになってしまった。
そんな俺に萩野は屈託のない笑みを浮かべた。
「……なんか今のやりとり、卒業式の前日みたいだな」
「そーだな……いままでにあった、いろんなことを忘れるぐらい。なんでこんなことになったのやら」
唇をひきつらせながら、萩野は俯いて首を振った。
本当に。今まで、あの日から。
いくつもの命を俺たちは失ってしまったのか。
「でも、後ろばっかりは向いてられねえ。目の前の敵をぶっ倒すこと。これがボクサーの役目だ。ここまで来たからには俺も無敗のボクサーのままでいなきゃな。……っと、着いちまった」
萩野の言うとおり、俺たちは一階の寄宿舎に戻っていた。
そんじゃ、と、萩野は軽く手を振って……
「いっけね。忘れるとこだった。まだ、お礼を言ってなかったな!」
彼は背を向けていたが、すぐに俺のほうに向き直る。
試合にストレートで勝ったときのように、清々しい面持ちで歯を見せてきた。
「俺を支えてくれて、ありがとよ。そんでもって……無事でよかった」
「……ああ。俺のほうこそ。……本当に、ありがとう」
「へへっ。これからは俺の肩支えられるように、トレーニングしとけよ? んじゃ、おやすみ!」
そう言って、萩野は小走りで駆けだして行った。
――支えてくれて、ありがとう、か。
ゆっくりと胸が命を灯したように熱くなりながら、ひさびさに自室に帰ってきた。
さあ、今日はベッドで眠ろう。悩みの種が解消されたのだから。
萩野が無事で。萩野とまた友達になれてよかった。
熱くなった胸は心地よく、ゆったりと眠りへと落ちていった……。
みなさん、マナクマです。
突然ですが、ボクは世界で一番不幸なクマなんです。
プリンをぷっちんしても、お皿に落っこちてこないし、前世はホタルイカで、来世はヤリイカって占われたぐらいに、史上最悪の不幸なクマなんだよね。
……いったい、なにが言いたいかって?
話は変わるけど、人って殺しちゃダメなんだってね。
オマエラ知ってた?
ハサミも柄を渡すようになんてマナー講師が言うように、人に刃物は向けちゃいけないんだよ。
それなのに、どうしてオマエラはカミソリなんて使うの?
たかがヒゲを剃るためだけに自分自身に刃を突き立てるなんて、正気の沙汰とは思えないよ。
『この刃は大丈夫だ。自分の手元さえ誤らなければ死ぬことはない』
そんな自信はいったいどこからくるのさ?
オマエラは、カミソリを信頼しすぎなんだ。
ヒゲや体毛を切ってくれる。自分たちの役に立つ。
そんな理由で剥き出しの刃を愛用しているオマエラは間違ってる! ボクは思いますね。
…………だから結局、なにが言いたいって?
うぷぷ。オマエラは、カミソリを信用するなってことだよ。
忘れるな。今も刃は息を潜めている。
……そんじゃま、くれぐれもカミソリ負けしないように。
翌日、俺は早速5階に向かった。
電子生徒手帳に更新されたマップを確認しながら、一つずつ部屋を見て回ることにした。
最初に音楽室に足を踏み入れる。
広々とした部屋には大きなステージが併設されていて、その上には黒いグランドピアノが設置されている。
ピアノの前に座っているのは紅だった。
指をたんたんと動かして、滑らかな旋律を奏でている。
まるで鐘の音のように、繊細で時に打ち鳴らすような高らかな音の繋がり。
俺はなにも言えずに、時に感嘆を漏らしながら聞き入っていた。
やがて演奏が終わり、ぱち、ぱちと拍手をする。
彼女はハッと目を見開き、俺の顔を見るなり申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんなさい、探索の時間なのに」
「いいんだ。すごく、よかった……ご、ごめん、その、感想うまく言えなくて」
「いいのよ、聞いてくれただけで嬉しいわ」
「紅ってやっぱりすごいな。超高校級のピアニストにもなれそうだ」
「ありがとう。でも、プロに言わせると、私のピアノは高音が耳につきやすい傾向があるの。大体の曲は弾けるけどムラがあるのよね」
そういうものなのか?
謙遜かとも思ったが、彼女は残念と言わんばかりに肩を竦めている。
あんなに美しい演奏でも、超高校級のピアニストには程遠いのか。
……なんて、思えてしまうのは俺が門外漢だからだろう。
ピアニストは多くの人たちが憧れる花形の職業の一つだ。そして世界中にプロアマ問わずに数多存在している。
その中で、超高校級と言えるほどの名誉を得るのは並大抵の努力や才能だけでは叶わないことだろう。
「私の専攻はヴァイオリンだったから、本当はそっちが弾きたかったんだけどね。なぜかコントラバスしかなかったわ」
「コントラバスって、一番大きいヴァイオリンだよな?」
「え? ええっと、まあ……うん、そう……?」
「一番大きいヴァイオリン」と、首を傾げながら紅は繰り返した。
紅にとってのコントラバスはヴァイオリンとは別ものなのか?
「それでも、難しい曲を難なく弾けるっていうのはすごいよ」
「ありがとう。でも、音楽は難しい曲が素晴らしいとは限らないのよ。単純な音でも、私たちの琴線に触れるものはたくさんあるわ」
そう言って、グランドピアノの上に置かれた小物を手に取る。
どうやらオルゴールのようで、ぎりぎりと発条を回している。巻き終えると、星の形をした台座がゆっくりと回りだして、定められた音を歌い始める。
単調な金属音なのに……荒んで傷ついてきた心が穏やかになるメロディーだ。
「本当だな……すごく、綺麗だ」
「ええ。気に入ったなら持っていったら?」
「いいのか?」
「まだ在庫はあったからいいと思う。せっかくだから、誰かにプレゼントするのはどう?」
「プレゼントって、どうして」
「あら。『好きな音楽』を大切な人に渡すなんてロマンチックでしょう? 星が好きなマイペースな女の子にあげたらきっと喜ぶんじゃない?」
紅は唇を緩ませて微笑んだ。
……俺、もしかしてからかわれてるのか?
「ええと……じゃあ、もらっておこうか」
そう言うと、紅は頷いて俺にオルゴールを手渡した。
まだ、ころころと規則的に台座が回っている
たしかに、綺麗なメロディーだけど……。
「オルゴールも好きだけど、俺は生の演奏のほうが好きだな……1回きりで、なかなか思い通りにいかないところとか」
「そうね、私も式台に立ちたくなってきた」
規則的に、毎日が毎日同じはなんだか性に合わない。
生真面目な人にとっては、万々歳なのかもしれないけど。
「書道も一筆入魂だから。その日の心や気持ちによって、同じ文字でも書の印象は異なるんだ。作品を見る人も、同じ気持ちや感想にはならない。……そういうところが好きなんだ」
「ふふ。音楽と似ているわね。弾き手や指揮者で、同じ曲でも色合いが違うように……」
紅はイタズラ好きな少女のような笑みを浮かべた。
本当に紅は音楽が大好きなんだな……。
このことを知れたのも、紅が生きていてくれて、俺も生きているおかげだろう。
……いま、この時を、もっと大事にしないとな。
音楽室を後にして、情報処理室に入った。
情報処理室はずらりとパソコンが並んでいた。
天馬は少しだけパソコンとは距離を取って、ぼんやりと立っていたが、俺を見て軽く手を振ってくれた。
「おはよう、七島くん。今日は血色がいいね」
「え? ……そ、そうか?」
天馬は安心したように頷いた。
たしかに……ずっと4階で雑魚寝だったから久々にぐっすり眠れた。
熱いシャワーにも体も感動していて、人間らしく過ごせたようだった。
「……あのね。さっきまで、錦織さんがいたんだ」
「……! そうだったのか?」
「うん。図書室の鍵を探してみたい。七島くん、知ってる?」
図書室の鍵と聞いて、背筋がびきりと硬くなるもゆっくり首を振った。
今、俺がそれを持っていないことは事実なワケで……なんて思うのも言い訳がましいか。
「錦織さん、なんだか苦しそうで。なにか錦織さんにできることはないかなってちょっと考えてたんだ」
「……錦織、なにか話してたか?」
「ううん、私はなにも聞いてないよ。錦織さんも、なんだか抱え込んじゃうみたいだから……七島くんにちょっと似ているかもね」
俺に似ている。そう言われてなぜかどきりとした。
……今、錦織のことを考えると、どうしても言い放たれた言葉が繰り返される。
「錦織のこと心配か?」
「うん。だって友達だから」
「もう、友達になったのか?」
「うーん……友達って、私たち今日から友達だよ、って言ってなるものじゃないけど、私は友達だと思っているよ。……生意気かな?」
……なるほど、天馬の言うことは一理あるかもしれない。
「でも、もしかしたら、不運じゃないかもしれないから。ちょっとは生意気じゃなくなるかな?」
「え? そうなのか?」
「私、ちょっと気になってたんだ。前に見せてくれた錦織さんのデータのこと覚えてる? 面談結果の」
「ああ。たしかにあったけど……」
「あのデータ、才能が文字化けしていたけど……私の才能だけ書かれていることがおかしかったんだ」
「え……? そうだったか?」
俺は記憶を巡らせてみる。
詳しくは覚えていないが、そういえば……。
○天馬陽菜 ■■■ ← 要訂正(佐藤)
「あのとき、才能に要訂正って書かれていたんだ。訂正前後、どっちが不運だったのかは分からないけど……でも、他の才能の可能性があるかもって」
「な、なるほど。……でも、あんまり気にしないほうがいいんじゃないかな? データそのものが間違ってるかもしれない」
「うん。それはそうかも。でも、紅さんや大豊さんには案を出してもらったんだ。私の新しい才能の候補。天文部とか、星詠みとか……可能性は、たくさんあったほうがいいから」
なんだか前向きだ……俺も見習いたいな。
何者かって疑われても、それじゃあ、他の才能はなんだろうって考えられるぐらいの強さがあれば……。
「ええと、私自身のことは置いておいて。やっぱり、今は錦織さんのことが心配かも」
「…………大丈夫だよ。きっと錦織にも、天馬が心配している気持ちは伝わっているはずだから」
「ありがとう。……そうだね、これは私がしょんぼりしてちゃ仕方ないかも。悩むだけじゃなくて、錦織さんのためになにかできることを前向きに考えないとね」
「……でも、天馬。無理はするなよ?」
「うん。無理しちゃいそうな時は七島くんに頼るから」
「え? な、なんで俺?」
「……なんとなくかな?」
なんとなくって……なんだか拍子抜けする理由だな。
それでも天馬に頼られるって言うのは、悪くはないかも……?
……そうだ、さっきの紅からもらった、あれをプレゼントしようか?
「そ、そうだ、天馬。このオルゴール、もらってくれないか? さっき音楽室で見つけたんだ」
「え……いいの? こんな素敵なもの」
「ああ、天馬にぴったりだと思ったから。だから……元気でいてくれると嬉しいな」
ゆっくりと天馬の手のひらに置いた。
蕾だった花がほろりと咲いたように頬がほころび、胸がきゅ、と引き締まる。
「ありがとう。お返し絶対にするね」
「い、いや、お返しはいいよ……もう、もらったから」
「……? どういう意味?」
「その表情で、充分だから」
天馬は目を素早く瞬かせて、口をぼんやりと開けていた。
……あれ? なんだこの沈黙は……!?
そのまま、天馬とじっと見つめ合ってしまった。
…………ああ。なるほど、俺がクサいこと言ったせいか。
「ええっと……あれ……どうしてだろう。なんだかすごくドキドキする」
そう言われると、ますます緊張してしまうじゃないか……!?
鼓動が早くなった心臓を抑えるのは時間の経過しかなさそうだ。
ぎこちない空気のまま天馬と別れ、今度は生物実験室と書かれた扉に入る。
部屋に入るなり冷気を浴びて、細かく身震いをしてしまう。
部屋は生物実験室と銘打っているのに、中は……黒と白のカーテンが壁一面にかけられていて黒と白の百合が供花のように飾られていた。
そんな異様な空間でたたずんでいるのは……。
「黒生寺」
黒い容貌の彼に恐る恐る近づく、足に床に並べられた棺を潜り抜ける。
ゆっくりと彼は振り向いて、こちらを影を帯びた顔立ちで見遣った。
「あの、ここはなんだ? それに、この棺……」
「開けるな……」
彼の静止に、俺は無言で体を引いた。
薄々、そうではないかと感付いてたはいたが。
彼の視線の先にある黒い棺には、なにが……いいや、誰が入っているのだろう。
「みんないる……芙蓉も、教師も……アイツを殺した奴も眠ってやがった……死んだときの状態で、棺に入れられている…………死体は腐ってない……が、良い気分にはならん……」
黙っていると、黒生寺は少し溜息を吐いた。
俺の視線をどのように受け止めたのか、釘を差すような眼を飛ばされてしまった。
「断っておくが……死人の物を漁るほど、落ちぶれてはいねえぞ……」
「ああ……わかっている」
この中に、みんなが眠っている。
俺は腰を下ろして、一つの棺の側面に触れる……が、「おい」という低い呼びかけが頭上から降ってきた。
それでも黙って手をそのまま載せていると、手首が掴まれ、半分強制的に手を剥がされてしまった。
「見てどうするつもりだ……」
「俺も確認したいんだ」
「その時が来たら、確認すればいい……今、無理に見てもなにも得られん……それに俺は」
ふ、と息を吐いて、彼は腰に手を当てた。
どうしようもない、なにかの感情が彼を襲っているようだった。
「ようやく、弔えたところだ……」
「……思い出したのか、黒生寺」
「全部は……まだだ……アイツらの顔を眺めているうちに、覆い隠されていた黒い影が薄れていく……そんな感覚だ。……それに、思い出せているのは、のんきな日常の一部だ……」
「黒生寺、お前は……」
大丈夫なのか。
そんな野暮ったい言葉は、彼の曇色の瞳の中に吸い込まれていくだけだ。
「…………心配は無用。……もう少し、一人にさせてくれ」
黒生寺は顔を逸らして、俺を視界から外した。
今、見つめている棺の中に入っているのは……
百合の花の匂いが、今になって、つんと鼻を刺した。
生物実験室を後にして、廊下を突き進むと、珍しくパーカーを被った萩野に会った。
彼は扉の前で悩んでいたが、俺を見ると、よう、と手をひらりとあげたので、俺も同じ仕草で返した。
萩野の立っている扉、その表面に描かれているのは。
「これって、マナクマのマークだよな?」
「そうだな……でも、御覧の通りだぜ」
そう言って、マナクマのマークのステッカーが張られた扉をじろりと見据えた。
萩野は取っ手を握って、扉を押したり引いたりするも……びくともしない。
「見ての通り開かねえ。そんでもってこっちもだ」
そう言って萩野が指を指したのは、俺の真後ろ。
扉には『丸いリンゴのマーク』が描かれていた。
今度は俺がドアノブに手をかけるが……結果は萩野と一緒だ。
「やっぱりダメか……チッ、なんなんだ、この部屋はよ?」
「リンゴってなんだ? 果樹園……なワケはないか」
「それが知れたら苦労しねえって」
あからさまに、疲れたような溜息を扉の前で萩野は吐いた。
どちらにせよ……この扉の謎も、いつかは解けるはずだ。
俺は萩野と一緒に並んで歩いていき、5階の一番奥、学園長室へとたどり着いた。
取っ手を押すと、こちらは鍵は開いていたので、あっけなく開いた。
学園長室にしては、少し狭い間取りだった。本棚が多いせいだろうか。
部屋の中には、ランティーユが本棚の前で立っていたが、扉が開いたと同時にこちらを見て、やあ、と声をかけてきた。
「やあ、ムッシュたち! どんなときでも君たちは仲がいいね、こういうのをむじの親友って言うんだよね?」
「むじ? ……ああ、無二の親友じゃなかったか?」
「ウーララ! むに、なの!?」
むに……と呟きながらランティーユは首を傾げていた。
たしかに響きは変だよな、むに、って……ひらがなにしてしまうと、特に。
「それで、なんかいいもんはあったんか?」
「いや……文字はさっぱりだから、せめて写真だけでもと思ったけど……いいものがなかったね。海外の本も、教育関係ばかりだ」
ランティーユは困ったように頭を掻いた。
しばらく、俺たちも学園長室を隈なく探したが、彼の言う通りそれらしい資料はなかった。
ここまで情報がないと、マナクマがやはり後ろで糸を引いて隠蔽しているのだろうか。
もしかして、5回目の裁判が終わって、学園を知る権利が手に入った時。
その時に、公表するっていうんじゃないだろうな?
これと言った情報はなく、三人で廊下に出ると、天馬に黒生寺と紅が廊下の柱の前で集まっていた。
情報交換をしているのだろうか?
俺たちも手を上げながら近づいた。
「どう? 音楽室は楽器があったぐらいよ」
「情報処理室は、パソコンは並んでいたけど……錦織さんが言うには、有益なデータはあんまりないみたい」
「生物実験室は……今までの死んだヤツらが保管されている……」
「学園長室も、特に気になったところはねーな」
集めてみた情報は整理の必要がないぐらいの少なさだ。
この階層を開放した意味はあったのだろうか?
それとも、俺たちをぬか喜びさせるために仕組まれたものか?
「ところで……だれかマドモアゼルを見かけなかったかい? まだ、彼女におはようって言えてないんだけど……」
言われてみれば、今朝から大豊を見ていない。
みんなの表情も不安そうだが、まさか……。
「うわぁぁぁぁん!! 大変なのだぁぁぁぁ!」
と思った矢先のこと。
小さな機関車のように猛ダッシュで駆けてきたのは……。
「トレボン! ウワサをすれば! やっぱりぼくたち、運命の赤い糸で結ばれてるんだね!!」
「げげえっ、ランティーユ!? その糸は今すぐに空手チョップで切ってやるのだ!」
「ンなことより、どうしたんだ? どこにいたんだよ?」
「あ、あたしは、体を動かしたかったから、体育館に行ってて……そ、そしたら、そしたら!! たいへん!! もうっ、たいへんなのだっ!!」
なにが、大変なんだ。
大きな声で捲し立てる大豊にツッコミは入れたかったが、彼女はごくんとツバを飲み込む。
やっと、本題に入ってくれるようだ。
「体育館にマナクマがいたのだ!!」
「……ええと、大豊? それがどうしたっていうの?」
「だから、そのままの意味なのだ! マナクマがころがっていたのだ!!」
それって、いつもの光景じゃないか……。
…………あれ?
「マナクマが、
天馬が見張るように目をぱちくりさせる。
それに対して、大豊はロック歌手のように大きく頭を縦にぶんぶん振った。
「体育館に、動かないマナクマがいるのだ!!」
俺たちは半信半疑で体育館に向かった。
そこにいたのは、フローリング床に転がったマナクマ。
宙を見上げて、見飽きた邪悪な笑顔を浮かべている。
だけど、いつもの暗い海の底の蒼い輝きが瞳から失われていた。
「どういうことだ……」
「電源が落とされた? それとも……」
「ウーララ! もしかして、壊れちゃったのかい!?」
「うーん……マナクマが壊れるって、そんなことあるのかな? だれかが壊したというのも校則からして考えにくい気がする」
すぐさま、俺たちの中に不穏な違和感が広がる。
動揺、困惑。様々なものが入り混じって煮こまれる。
「あたしもびっくりなんだけど……でも、これってチャンスなのだ! 動いていないなら、こっちのものだよ! マナクマをやっつけるのだー!」
「ちょっと待って。動いていないとはいえ、罠かもしれないわ。危険すぎる」
大豊の言う通りでもあり、紅の言う通りでもあった。
マナクマが動かない、これは俺たちのチャンスだ。
機能が停止していれば、壊すこともバラすこともできる。
しかし、もし動いていないのが罠だったら。
触った瞬間に爆発なんてことも考えられる。
だけど、こんなに騒いで集まっても、話したり動いたりする気配はない。
「Nothing ventured, nothing gained……」
そんな中、掠れた低い声を発したのは……黒生寺だった。
「なっしん……へけ? なんて?」
「ウィ。ことわざだね。危険な道を進まなければなにも得られない……って、ムッシュ、マジかい!?」
「マジだ……ここで堂々巡りしてどうする……」
黒生寺は転がっているマナクマに大きく一歩踏み出して、俺たちの顔を確かめるように振り向く。
「貴様らは下がっていろ……それと工具セットを持って来い……」
「お、おう、わかった」
萩野は持ち前のフットワークで駆け出した。
マナクマの前にしゃがみこんだ黒生寺は、ゆっくりと手を伸ばした。
異変はないようで持ち上げて入念にそれを触っている。
彼がマナクマを触る度に、神経が張り詰める。
匂いも嗅いでいるようだが……。
「ふん……爆薬は詰まってやがるな……」
「へけ!? そんなことわかっちゃうの!」
「火薬はガキん頃から嗅ぎなれてる……オフクロのカレーのみたいなもんだ……こんな爆薬の塊に立ち向かおうとするヤツは、よっぽどの腐れ脳ミソだ……」
そう言えば、黒生寺はマナクマに手は出さなかったよな。
萩野がマナクマに殴りかったことはあって、黒生寺も手を出そうとするイメージがあったけど……
爆薬が詰まっていたから、黒生寺は警戒してたってことなのか。
「そーいうのは、俺らにも先に言っとけよな!?」
ツッコミを入れながら、帰ってきた萩野が黒生寺に工具セットを差し出す。
急いで持ってきたにも関わらず、息一つ切らしていないのは改めてさすがだ。
「ほらよ! そんで、他に手伝うことはあっか?」
「いらん……逆にいたら、腕持ってかれるぞ……」
「黒生寺、気をつけてくれよ。異変があったら、すぐに離れるんだぞ」
「俺が死に急ぎ野郎だとでも……? タマの無駄撃ちはしねえ主義だ……」
黒生寺は萩野から工具セットを借りるや否や、細いドライバーをすぐさま取り出した……大丈夫なのだろうか?
固唾を飲みながら、ドライバーを回してペンチで切っていく黒生寺を眺める。
意外にも器用な手さばきに、ぼさっと立って感嘆するしかなかった。
「こいつのアタマ持ってろ……爆発物は処理した……」
「じゃあ、私が持つわ。あなた、随分張り切ってるのね」
「目の前にあるブツと戦ってるまでだ……」
「やっぱり、くろなまでらはかっこいいのだ! 背もおっきいし!」
「……あれ? ムッシュへの好感度があがってない?! どうしよう!? これ略奪されるルート!? ぼくがちょっと待ったーって割り込むポジションになっちゃうのかい!?」
「ごちゃごちゃうるせえ……ぶちかますぞ……!」
やりとりも交えながら、しばらく、金具や硬いものを切断する音だけが体育館を占領した。
黒生寺はマナクマのボディを次々と捌き続けて、やがて大きく肩で息をついた。
「出やがった……大物だ……」
「おおものって、大きいもの!?」
「……っ! そ、それって」
紅がマナクマの頭を持ったまま、真っ先に顔を青褪めさせて後ずさりする。
俺たちも同じく体を遠ざけるような反応をしてしまった。
彼の片手の中におさめられた、黒光りの球体は……。
「ば……っ?! 爆弾じゃねーか!?」
咄嗟に萩野は大声を出すも、慌てて口を閉ざした。
どんなに屈強な萩野でも、爆弾には立ちどころがない。
緊迫した空気に変わるも、黒生寺だけは冷徹に俺たちを見回した。
「“時限爆弾”だ……タイマーをセットして爆発。破片を飛散させて相手を攻撃する……破片手榴弾と同じだ……」
「私がいて大丈夫? 急に爆発しないかな?」
「…………不運となると話は変わるか……?」
「ウーララ!? こわいこと言わないでくれよ! ちょっと漏らしかけちゃったよ!?」
「やかましい……後、漏らすんじゃねえ……! 勝手に作動することはないし、多少の衝撃を加えても頑丈だから心配はいらん…………俺たちの手で作動させない限りはな……」
黒生寺は片手でじろりとその球体を睨んだ。
考え込んでいたが、やがて結論は出たのか、俺たちに向き直る。
「“厨房の冷凍庫”に保管する……それでいいか……?」
「むう。お肉をどけないと入らなそうなのだ!」
「でも、デケえ冷凍庫だから、こんぐらいはギリギリ入りそうだけどな?」
念を押すように、黒生寺は全員の瞳を一人ずつ見据えた。
全員、異論はなかったようだ。
紅は硬い表情のまま、マナクマの頭部をそっと床に置いた。
「後は、信用の問題ね。みんな、それぞれを信じるしかない」
「おう……ここまで来たら、大丈夫だろ」
「……黒生寺、あなたは大丈夫なの?」
「どういう意味でだ……」
「色々な意味で。もっと言えば……あなたは、これから、どういうスタンス?」
紅は簡潔ではあるが、深海のような深さを持った言葉を彼に送った。
一斉に俺たちは黒生寺を見ると、彼はじっ、と鋭い瞳のまま、こちらを見つめ返した。
「これからは…………俺は…………アイツの……芙蓉の強さを受け継ぐ……ヤツが望むことは、きっと……」
黒生寺は右手で拳を作ると力強く頷いた。
「マナクマの打倒……そして、命を賭ける覚悟を持つことだ」
ゆっくりと膝をつき、胸に拳を当てて俺に対して頭を下げる。
いや、正確には……俺たちの目の前で、だった。
それは、ガンマンなりの忠義の誓いなのだろうか。
「この命、お前たちに預けてもいいだろうか」
彼は尋ねた。その問いに答えるのは俺なのだろうか。
なら、黒生寺に……答えなければ。
「黒生寺……それは違う。命は預けなくていいんだ」
「……! なぜだ……!?」
「俺たちの命も、黒生寺のものだから」
俺の言葉に対して、黒生寺は目を見開いた。
「俺の命も……萩野や、天馬……それぞれが、みんな命を持っていて、これ以上、どれも欠けてはいけないんだ」
これは黒生寺だけに向けたアンサーじゃない。
みんなに対しての、俺の答えでもあった。
「預けなくてもいいんだ。ただ、それぞれの今いるみんなの命も、お前自身の命も大切にしてほしい。だから……
俺たちと一緒に生きよう。黒生寺」
驚いたように目を見開いていた黒生寺だが……
ふ、と降参のように軽く息を漏らして立ち上がる。
「……いいだろう」
黒生寺はベルトにつけていた保安官のバッジを取り外すと、ジャケットの右胸に取りつけた。
それは宵闇の流れ星のように煌めいたようだった。
「俺の名は黒生寺五郎。超高校級のガンマンだ……貴様の名前は……」
「えっ? えっと、俺は七島だけど」
「そうじゃない……聞きたいのは名前だ……」
名前っていうと……。
もしかして、下の名前ってことか?
「え、えっと、俺は竜之介。七島竜之介だ」
「竜之介だな……」
まさか、名前で呼んでくれるとは。
こそばゆいが、くすぐったさが今は心地いい。
隣の萩野もへへっと笑って、鼻を少し照れくさそうに擦った。
「なんだなんだ。改めて、自己紹介ってヤツか? 俺の名前は萩野健、超高校級のボクサーだ! よろしく頼むぜ!」
「私は天馬陽菜だよ。よろしくね」
「あたしはランナーの大豊てらなのだ!」
「ぼくの名前はランティーユ・クレール! 超高校級の鑑定士さ!」
「紅紅葉。肩書は超高校級の指揮者よ。よろしくね、黒生寺」
みんな、それぞれが改めて自己紹介をして、黒生寺はゆっくりと頷いた。
最初の頃の、ハリネズミのように全身が尖った雰囲気は緩やかなものへと変わっていた。
そして闇に浮かんだ刀のような鋭くも力強い眼差しが、俺たちの味方となっていた。
「竜之介。健。陽菜。てら。ランティーユ。紅葉……よろしく頼むぞ」
黒い瞳には、新しい火のように希望が灯されていた。
「……だが…………もう1人、いなかったか……?」
だが、彼の指摘によって、微かに訪れた希望に影が差したようだった。
「それって私のことかしら……」
「!! にっ、錦織……っ!」
現れた冷淡な声によって、希望は黒い闇に引っ込んでしまった。
錦織は、いつもの猫背と摺り足で歩み寄ってくる。
思わず呼びかけるも、彼女は流し目で睨みつけてくるだけだった。
「超高校級の司書、錦織詩音……それが私。…………よろしくはしないけど……」
「どういう意味だ……?」
「ガンマンは吹っ切れたってワケね……まあ、私からはなにも言うことはないけど……張り切りすぎて空回りしないことね……」
「俺が言えたことじゃねえが生意気だな……」
「ふん…………ところで、なに……? アンタたち、マナクマを分解したの……? 厄介なことにならないといいけど……」
彼女は少し背伸びして、バラバラのマナクマを細目で見ていたが、彼女の前に一つの人間が立った。
錦織と同じ身長の高さでありながらも、怖気づくことを知らない背中……ランティーユだった。
「ボンジュール。なにをしに来たんだい?」
「大した用じゃないわ……だけどマナクマが分解されたという情報は、こちらにも欲しいと思っただけ…………それで……? どんな情報が得られたのかしら……?」
「君にあげるものはない。帰ってくれないかな」
「お、おい、ランティーユ……!?」
思わず、驚嘆の声を上げてしまった。
いくらなんでも、あまりに理不尽すぎる門前払いだ。
それでも錦織は怯むことなく、軽く鼻白むように顎をつんとあげる。
「……あ、あら……随分なイジメっ子気質ですこと……」
「ぼくだって、君だけを迫害する真似なんてしたくない……だけど、君はこの閉鎖空間において怪しすぎる」
「怪しいですって……? まるで、私が変なことをしているみたいな……」
「――錦織春路。ここの学園長の名前だ。たしか、君のお母さんも、そんな名前だったよね?」
ランティーユの言葉に、錦織の目の色が変わった。
今までのが冷静な青色だったのが、危険のシグナル、激怒の赤に変化したように。
「なッ!? な、なんで……アンタ……!?」
次におぞましい形相で振り向かれた錦織の視線の先は俺と萩野だった。
でも、その反応は、やっぱりそうなのか……?
「……どういうこと? 学園長、お母さんって?」
「え? え? そ、そうなの、錦織っち!?」
「ま……まだ肯定してないでしょう……!?」
「まだってことは、肯定するってことだよな!? そうだよな!?」
「ひっ、人の揚げ足取ってんじゃないわよ、この浮かれボクサー!?」
萩野を差した人差し指は、わなわなと震えていた。
それを傍目に、ランティーユは淡々とした立ち振る舞いで目を細める。
「マダム、どうなの? 君はなにを隠しているのかな? そして、どうして隠しているのかな?」
「質問は一つに絞りなさいよ……!」
「答えになってないけどな」
「私はなにも隠してなんかないわ……! だ、だいたい、アンタこそ怪しいじゃないっ! 鑑定士のクセに、生意気よ……!」
「ぼくは、超高校級の鑑定士で、フランス出身。自分より背が低い女の子が好きってこと以外はなにもないからね。だからこそ、君になんのためらいもなくズケズケ言うことができるんだ」
「ウソつき……! 後、身長が低くて、童貞ってことも付け加えなさいよ、この変態……!」
「わかっているよ。だから、答えてくれないかな。最初の質問だけでいいからさ」
最後のランティーユの言葉で、錦織は完全に固まった。
ランティーユは本気で彼女を追いつめようとしている。
ここまで彼女の真実につけ入ろうとする勇気がある理由は他でもない。
本当に彼は彼自身の真実を知っているからだ。
「待ってランティーユくん。錦織さんを追いつめないで」
舌戦の中、割って入ったのはオルゴールのような声。
単調だが、打ち鳴らすような確かな声にランティーユも一瞬目を震わす。
「え? マダム天馬? ……いや、追いつめてはないよ」
「それでも、錦織さんを怖がらせないであげて」
「だから、怖がらせては……」とランティーユはなにかを言おうとしたが、口籠らせてしまった。
だけど、錦織に対してではなく、天馬にも物申すことはあるのだろう。
身動ぎながらも、天馬の様子を狩人のように窺っているみたいだ。
天馬は、肩を抱いて震えている錦織に向き直った。
だが、彼女にも錦織は敬遠するように鼻息を漏らす。
「追い詰めないで……? 人の気持ちも知らないで…………だ、だいたいアンタたちのせいよ……アンタたちが、なにも知らないせいよ……」
「な、なんで、俺たちが悪いんだよ?!」
「まだ理解できないのね? この期に及んで…………いいわよ……こ、この際だから、ハッキリと教えてやるから……私は……私は……ね……っ!!」
悪霊に取り憑かれたように過呼吸を起こしながら、錦織は唾を飲み込んだ。
「とっくに全部知ってたのよ……!!」
脳がフライパンにのっけられたようにじりと灼ける。
悲鳴が耳の中で何度も跳ね返って木霊する。
錦織は俺たちの反応を見て、なにを思ったのだろう。呆れるように頬をひきつらせた。
「全部って……なにを……って言いたげね……全部は、全部よ……この学園の秘密……学園長の正体も、筐体のことも、こんなことが何故起こったのかということも………すべて。私は知っていた」
全部。だって。
様々な疑問が波となって押し寄せて俺を飲み込む。
そんなバカなこと。それが事実だったとしたら。
萩野も同様の混乱の渦に巻き込まれたのだろう。
目を剥きながら、擦り切れたスニーカーで床を踏み鳴らす。
「お、お……おい。おめー、どうして、そんな大事なことを教えてくれなかったんだよ!?」
「国語力ゼロの回答ね……!? それを"裏付ける根拠"が私しかいないのに、話せると思っているのかしら……?!」
裏付ける根拠。
彼女から飛び出した言葉は、それは司書らしい……司書だからこそ辿り着いた結論だったのだろう。
「アンタたちは悩んでいたようだけど、私はすべてを思い出すのには時間はかからなかった………だって、母が学園長だったのよ、あまりにも記憶の齟齬が大きすぎる……!
だけど、私だって……意味が分からなかったのは事実よ……でも、アンタたちは偽物の情報を本物として手放そうとしなかったわ……当然よね……今ある記憶を疑えというのも難しい話よ……」
自分に呪いをかけるように、彼女はブツブツと言葉を連ねる。
呪いの力のように声は震えて、弱々しくなり活力がなくなっていくのは明らかだった。
は学園に関係する記述も探してみたけどほとんど無いに等しかった……だから、どうすればいいかわからなかった……! 私の母と苗木誠、本当の学園長はどっちで、私の会いたい母は何者だったのか……そもそも、母は本当に存在したのかも分からなくて……そしたら……私は……っ!!」
彼女は、鋭く息を吸って……大きな痛みを堪えるように目を瞑った。
「私は……一体、自分が、何者なのか……わからなくなった……」
爽快感のないパズルを解いているようだった。
彼女が図書室に入り浸っていた理由。
情報に頼るしかない彼女は血眼で学園を調べあげ、情報を網羅しようとした。
だけど、その情報源が隠蔽、改竄されてしまっては、それを知る術はない。それを確定させることもできない。
そしたら彼女が陥るところは、深い奈落。
自らの存在意味をなくしてしまうも同然だ。
「だから、マナミは……私の記憶を解くための最後の鍵だった。あの教師が、そして本物の学園長が残したあの子が、私の……たったひとつの、希望だったのよ……」
錦織はマナミを守ろうとしていた。
かつて、ランティーユが第4の事件の時、錦織に言い放ったように。
マナミが本当の情報を持っていたからこそ、彼女は救いたかった。
それはマナミだけではない。自分自身、あるいは母親のためにも。
「それで? その希望は、君のために輝いてくれたかい?」
レンズのフチを撫でながら、ランティーユは低い声で尋ねた。
彼女は黙っていたが、頷きも否定もしなかった。
「貴様は、すべての記憶を思い出したというのか……?」
「そ、それじゃあ、錦織。あなたは」
「勘違いしないで……」
打って変ったように、紅と黒生寺の問答をひらりと避けて錦織は顔を背ける。
「アンタたちにすべてを教える義理はないわ……学園の秘密は情報じゃない。私の思い出だもの……」
「逃げ道を作ったつもりかい?」
「さあ、どうかしら……そもそも私が言ったことが、すべて本当だとアンタたちは信じられるのかしら……?」
彼女は、また小さな背を俺たちに向けてしまった。
これで彼女の表情も、瞳の色も知ることはできない。
「だけど、これだけは覚えておくことね……」
呆然と立ちすくんだままの俺たちに彼女は顔も合わせずに歩き出した。
「真実は、人を殺せるわよ……」
真実は。殺せる。
死、殺人、殺す……何度も聞き慣れるほど聞いてきた言葉だ。
それだというのに、この言葉を聞くたびに。
俺は硬直して、他人事のように思えない靄に襲われる。
「やっぱり、彼女はぼくたちの仲間じゃなかったか」
凍りついた空間で、最初に呟いたのはランティーユだった。
彼女が出て行った扉を眺めながら首を傾げた。
「まいったな。どうすれば、引きずりだせるんだ……?」
「ちょ、ちょっと、ランティーユ。天馬も言ったでしょう。錦織は……ここまで一緒に戦ってきた仲間よ。あなたの気持ちもわかるけど、彼女も相当辛い立場に陥ってたことは、今さっき、あなたも知ったはずよね」
「でも、この期に及んで、真実を明かさなかったのは何故だい? このコロシアイや、学園生活を終わらせる重要な手がかりかもしれないのに……そんなことされたら……ますます疑わしいだけだ」
いつもの丸い瞳を尖らせて、ランティーユは吐き捨てるように言った。
なるほど……そういう意味合いもこめて、ランティーユは錦織に追及してきたのか。
真実には手厳しく、何度も立ち向かおうとする……それがランティーユだ。
今までの尋問や話し合いの中で、痛いほど理解できた、彼の本質だった。
「あ、あのよ、ランティーユ。おめーも無茶すんじゃねーぞ。ここでおめーまでおかしくなっちまったら、どうすんだよ」
「ウィ、わかってるさ。無茶はしないと誓うよ。マドモアゼルがいる限りね」
「ええーっ!? あたし、そんな責任重大なポジションにいたくないのだ!」
「あっ、そうだよね!? いけない、マドモアゼルに脅迫するなんて、危ない絵面になるところだった……」
危ない絵面にはならないんじゃないか……?
しかし、すぐにまたランティーユは目を瞑って眉を下げた。
徐にランティーユは片眼鏡を外して、ふう、と深い息を漏らした。
「ぼくの片眼鏡も、曇りそうで怖いんだよ。……まさか、今持っているぼくの記憶が偽物なんて」
……ああ、そうか。
「ニセモノを掴まされている鑑定士なんて笑えないだろう?」
今、ランティーユは焦っている。
真実を持っていない自分の状態のことを。誰よりも。
「だからこそ」とランティーユは唇を緩ませて、少し強気な笑顔を見せた。
「ぼくたちは真実を見つけなきゃいけないんだ。みんなだって、ニセモノの記憶のままじゃイヤだろう?
だから、本物の学園生活の記憶を、本当のぼくたちを、見つけよう。見つけるんだ。なんとしてでも」
ランティーユの言葉は、疑いようもない真っ当な真実だった。
……………本当に、そうなのか?
「でも、ぼくちゃんたちの"本当の記憶"も、果たして"希望"だったのデショウカネ?」
白河は眉を潜めて、唇の端に指先を押し当てていた。
露骨な忌々しさを顔一面に滲ませている。
俺たちが今持っている記憶が間違っている。
だけど、“本当の記憶”を探すことは正しいことなのか?
どうして、真実を見つけたくない思いが先走る?
なぜ、俺は真実を恐れているのだろう――?