ダンガンロンパ(仮)-よみがえり-   作:冷凍かに缶

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(非)日常編 継承する警鐘

 

 

 

「おーい、七島さーん!」

 

 振り向く暇はなかった。

 全速力で追い駆けてくるアイツの名前は……そもそも、何故、俺は追われているのだろう?

 いいや、そんなことを考えているぐらいなら走るんだ。走れ、走れ。

 

 

「ちょっと待ってくださーい! お伝えしたいことが……あてっ」

 

 次第に背後の声は遠ざかっていく。

 急速に足の動きを止めて、屈むように両ひざを手にあてる。

 肩で何度も呼吸をしながら、息を整えようとする。

 どうやら上手く撒けたようだ……。

 

 

 

 

「なーんて思ってません? へひゃひひふふへ!!! リュウノスケくん、にーがしまーせんヨー?」

 

 背筋に病的な寒気が這い上がる。

 勢いよく見上げると、正真正銘の殺人鬼が裂いたような唇から舌を覗かせていた。

 

「ぼくちゃんから逃げられるとお思いデシタカ! アマちゃんですネ! ジェジェジェ!」

 

 後ずさりをしようとしたが、今度は後ろから肩を叩かれた。

 ゆっくりと振り向くと……頬にぷす、と指がささった。

 

 

 

「なーんてね。驚きました?」

 

 

 処刑場のローラーに飲み込まれたはずの青いエプロンを身に着けた青年。

 なんで? どうして、お前たちが?

 

「あ、そうそう。ネタバレですけど、これ夢ですカラネ。この人、まーた悪夢見てマスヨ。そもそも、ぼくちゃんたちが分身して喋っている時点でおかしいですもンネ」

「忌々しい殺人鬼から解き放されたことは、本当に嬉しいことです。葬られたことの怒りは忘れませんけどね。絶対に」

 

 夢だからと前置きされたのに背中が汗ばむ。

 ……夢、だからこそなのか?

 

「今日、あなたの元に来た理由はほかでもない。私たちはね……切っても切り離せない存在だということの証明です」

 

 辺見は俺の手をそっと握りしめた。

 難色を示そうとしたのに振り払えない。

 俺の手を握ったままつかつかと歩き出す……。

 

 やがて前方には学校の机、その上に載っている赤くて厚いアルバムが置かれていた。

 ちらりと横目で見ると白河……いや、辺見が俺を急かすように見つめている。

 まあ、まあ、お茶でもと言わんばかりの穏やかな顔。

 俺は人差し指と親指でつまんで、ページをめくる。

 

 1枚目の写真は集合写真だった。

 15人の生徒たちが笑顔でピースサインをしている。

 みんな見慣れた顔――だけど、一人だけ欠けている。

 

 おかしいという気持ちを前にしても、指だけは冷静に動いてページをめくる。

 もう一枚、さらに一枚と目を通していく。

 プール、運動会、雪の日、文化祭……みんないた。死者も生者も、屈託なく笑っている。

 

 萩野、天馬、錦織、藤沢、四月一日、井伏、円居、十和田、真田、角、白河、黒生寺、紅、大豊、ランティーユ。

 

 

 みんな、写真の中にいた――――"ある人"を撮り残したまま。

 

「これで、分かったでしょう? 私と一緒ですよ。あなたはね」

「違う」

「おや、なにが違うんですか?」

「お前とは違う」

「一緒ですよ。あなたと私は同じです」

 

 違う。お前なんかと一緒なんかじゃない。

 

 

 

「あなたも、仲間外れなんでショウ? ルカとおんなじデス」

 

 

 咄嗟に目の前の青年の細い首根っこを掴みあげて床に投げつけた。

 呆気なく、ぎゃ、と悲鳴を上げて彼の体は床にごろんと無様に転がっ、

 

 

 

 ――――暗転。

 

 

 背骨が軋み、地面に転がしたはずのアイツに俺は見下ろされていた。

 いつの間にか、染み一つないモップが俺の腕に押しつけられる。

 強力な洗剤が浸されているのだろうか。灼けるほどの痛みが皮膚に侵入した。

 

「ああ、いやですね。どうしたんですか。そんな顔して」

 

 苦悶の表情でもしていたのだろうか。

 線の細いアイツには不格好な大きなモップが、ぐい、ぐい、と押し付けられる。

 Yシャツから湯気がゆらゆらと、水煙のように立ち始める。

 

 腕が。皮膚が、熱く、溶け、て。…………。

 

「い……っ、痛い……!!」

「痛い? なにを言ってるんですか、気のせいですよ。夢なんですから」

「そんなわ、け……いッ、痛いんだっ……本当に……!!」

「だから夢って言っているでしょう。痛いのは、あなたが痛いと思い込んでいるだけ」

「そんなわけが……っ」

「そんなカンタンなことも分からないんですね。……可哀相に」

 

 バケツに水を突っ込んだ後に、今度は俺の胸にモップを押しつけてきた。

 幽霊が浄化されるときも、こういう痛みを味わっているのだろうか。

 痛みとともに、自分が現世から断ち切られる感覚。

 

 でも、これは夢だろう?

 

 どうして痛いなんて思えているんだ?

 何故、この死の瀬戸際を思わせる狂おしい痛みに覚えがあるんだ?

 

 

 

 

 ……待てよ? なんだよ。痛みに『覚え』があるって……

 

 

 

 

「ああ、やっぱり、そうですか。あなた、自分の"境遇"を覚えていらっしゃらないんですか……いや、"思いだそう"としないんですね、そうでしょうね。あなたにとってのそれは…………いいえ、やめておきます。私はこれ以上なにも言いません」

 

 なにかを言おうとした、(アイツ)は、俺を憐れんでいた。

 過去を思い出さない俺がそんなに惨めか?

 

 

 

「そうやって、自分の内側に閉じこもって一生苦しめばいいのですよ。私を見殺したこと悔やんでください」

 

 アイツはモップを俺の顔に近づけた。

 大嫌いな白色が視界に押しつけられる。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、さようなら。"名無しさん"」

 

 

 

 後頭部が床に押し付けられ、脳天に生々しい鈍痛が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っう……うぐ……」

 

 ベッドからずり落ちた俺は、蛍光灯に見下されていた。

 眩しい光が目玉を突き刺してきた。

 

 やっぱり夢か。当たり前だけど……。

 ベッドで眠りについたのはいいが、いかんせん、そのまま明かりをつけたままにしてしまっていたのか。

 部屋着にも着替えるのを忘れてたのはいつものことだけど、シーツにもいつも以上に一段と皺が刻まれている……あの夢は、昨日のことが原因か?

 

 これも全部、彼女の言葉のせいなのか?

 

 


 

「真実は、人を殺せるわよ……」

 


 

 

 錦織が去った後、俺たち……正確には錦織以外の全員で厨房の冷凍庫に、マナクマを解体して取り出した爆弾を保管した。鍵はつけられないので、紅の言う通り信用の問題となるだろう。

 錦織には冷凍庫に爆弾があるということは伝えなかったが、食料を漁ればすぐに見つかるだろう。

 彼女に秘密にしているのも時間の問題だろうか。

 

 ……って、どうして。

 

 

 

「錦織を邪険にする理由なんてあるのか?」

 

 ランティーユは怒り、彼女を敵対している。

 彼女の秘密が学園の真実だとしても、それを隠している彼女はそこまで悪い存在なのだろうか。

 だからと言って、彼女のことをすべて信じることは難しいのかもしれない。

 

「それでも錦織は、俺たちの仲間だ……絶対に……」

 

 だれに言うまでもなく、ぼんやりと俺は呟いた。

 彼女も、まだ俺たちの仲間のはずだ。そう暗示するように……。

 

 

「ああ、そうだよ。俺だって……俺だって……! そうだ……」

 

 

 俺も、彼らの仲間だ。

 そんなこと、迷うことないじゃないか。

 だって、みんなだって俺の言葉に頷いていた。

 俺は、みんなと一緒にいていいんだろ。そうだろう。

 

 

 ……そうなんだよな?

 

 言い聞かせても答えはない。

 シーツを握りしめた指先は白の中に埋もれていくだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 溜まってしまったタオルを洗うため、重い足取りでランドリーに向かった。

 部屋には先客2人……紅と天馬だ。

 彼女たちは丸い椅子に座っておしゃべりしている最中だった。

 2人は顔を上げて、天馬がすぐにひらひらと手を振ってくれた。

 

「ランドリーに来るなんて珍しいね」

「そ、そうか? たまには使うぞ?」

「たまに……? ねえ。ずっと思っていたけど、あなた他のネクタイの替えはないの?」

「え、ええっと……あったような、なかったような」

 

 口ごもっていると、紅は諦めたように肩を竦めた。

 今、俺が持っているネクタイはすべて墨の餌食だ。

 

 そそくさと乾燥機にタオルを入れてスイッチを押した。

 轟々と機械的な音が耳に障るが、彼女たちは気にせずに雑談を続けている。

 

「紅さんって、お化粧しているの?」

「軽くね。天馬は素肌? もち肌で羨ましいわ」

「そうかな。でも、オススメの美容液とか教えてほしいな」

「真田ほど詳しくはないけれど、私のオススメは……」

 

 紅はランドリーに置いてあった雑誌を手に取って指さしている。

 色々話しているようだがまったく聞き取れない。というか横文字が多くてチンプンカンプンだ。

 天馬は「あの女優さんのCMの商品だよね」と相槌を打っている。

 

「私も、もう少し肌のことを気にしたほうがいいかな」

「そうね、スキンケアは性別問わず大事よ。それにしても、天馬もメイクに興味を持つのは意外かも」

 

 そう紅は言うと、ふと俺に振り返って微笑した。 

 ……な、なんだ? その意味深な顔は。

 天馬も不思議そうな顔でこちらを見つめてきたので、顔から火が出そうに熱くなる。

 

 

「うーん、自分がメイクするっていうよりは……させてあげたいかな」

 

 俺と紅は同時に首を傾げてしまった。

 

 

「錦織さん。腐川先生の恋愛小説やお姫様の童話も好きだって言ってたんだ。だから、お化粧とかそういうのも好きだったりして……と思って」

 

 彼女の口から出てきた「錦織」という単語に心臓を軽く跳ねさせる。

 紅も静かに驚いた様子だったが、噛みしめるように頷いた。

 

「なるほど。錦織のためにってことね」

「最初に、初めて私のことを友達って言ってくれたから。それに隔離された時も私をまとめ役に任命してくれて……不運としてじゃなくて、ちゃんと私自身を見てくれたからすごく嬉しいんだ」

「それなら、なおさらね」

 

 紅は笑って雑誌のページをめくった。

 遠目で見た雑誌の中身に描かれているのは黒髪でボブカットのモデルだ。ズボンを履いたスタイルで仕事ができる大人っぽい姿だ。

 たしかこういうのって名前あるんだよな。最初にマがついて……マッシュルームコーディネートだっけ? いや、それは髪型か。

 

「錦織は色白だし、なによりも黒髪が映えるものね。顔立ちも整ってるのに、前髪で隠すのは惜しいなて思ってたのよ。あの黒髪ストレートは私もうらやましいと思って。長いと絡まりやすいから手入れはちゃんとしていると思うの。きっと三つ編みとか似合うでしょうね。今度、結んであげようかしら?」

「紅さん、結べるの?」

「女子校出身だったから」

 

 少し得意げに胸を張って紅は言った。

 すごい、と天馬が呟いた……姉妹みたいな光景で微笑ましい。

 

「私も髪伸ばそうかな。この生活で少しは伸びたとは思うけど」

「いいじゃない。ショートヘアが似合うなら、長い髪も似合うはずだから」

「そうかな……七島くんは、どのぐらいの長さがいいと思う?」

「……えっ!? お、俺か?」

 

 突如、渡されたパスに大きな声が出てしまった。

 ……なあ、紅。「変なこと言わないでね」みたいな目はやめてくれ。

 どうしよう、なんて返せば……思わず俺は自分の肩までついた髪を触った。

 

 

「あ。そうだ。俺ぐらいの長さとか? お、おそろい……」

 

 …………紅。お願いだから、「あなた、なに言っているの?」という顔もやめてくれ。

 無言の圧を送られるよりも、直接ツッコミをされた方がマシだ。

 天馬は髪先をじっ、と見つめた後に、今度は俺の目を覗き込んできた。

 

「なるほど、おそろい?」

「そ、そう。……ダ、ダメか?」

 

 天馬は俺より少し短いぐらいの髪先を触って考える。

 

「いいね。七島くんとおそろい。私もしたいな」

「そ、そうか。それならよかった」

「……七島くんが、髪を切るっていうのもアリかもしれないね」

 

 ……アリなのか?

 たしかにいまの髪は無造作で、そろそろ結べそうな髪の長さだ。

 

 アラーム音が鳴って、俺はそそくさと乾燥機の前に立った。

 ふと紅が立ち上がって腕のYシャツを摘まんで「ちょっと」と耳打ちしてきた。

 

 

「あの、七島。一つだけ」

「……俺は、なんていえばよかったかな」

「いや、そういう小言がしたいわけじゃないけど……」

 

 紅は困ったように微笑したが、すぐに呆れたような視線を向けてきた。

 

「自分が恥ずかしいと思っていることは、あんまり言わないの。こっちも恥ずかしくなるから」

「は、はい……」

 

 紅を前に、情けなく頭をポリポリと掻く俺を天馬は不思議そうに眺めているようだった。

 ……うう、ますます顔が熱くなるばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 食堂に入る前に、ランティーユが寄宿舎に向かうところを目にした。

 呼びかけるが、反応はなく去って行ってしまった。

 体育館での一件以来、ランティーユとは話せていない。

 

 食堂に足を踏み入れると、人影が二つ伸びていた。

 

「あっ、七島っち!」

 

 大豊と黒生寺が椅子に座って、なにかを食べている様子だ。あれは、カシューナッツだろうか。

 俺も手をあげて彼らの呼びかけに答える。

 黒生寺は俺の顔を見るなり、静かに鼻息を鳴らした。

 

「シケた顔してやがって……カモを仕留め損ねた猟犬か……?」

「そ、そんな顔だったか?」

「これはふつうだよ! 七島っちは、いつもこういう顔だもん!」

 

 そう言われるのも不本意だが……当たってもいないけど、外れてもないのでなにも言えない。

 黒生寺はカシューナッツを大きな指でつまみあげる。

 

「お前よりもランティーユのほうが重症だがな……」

「ああ……お前も気づいたか?」

「あんなにうるさかったアイツが静かすぎるのは不吉だ……」

 

 飛び出た言葉が、まさに不吉そのものな言葉で息を飲む。

 錦織はそもそも単独行動が多かったけど、あんなに協調性を大切にしていたランティーユが追いつめられているのは、俺でも見ていて心がざわざわと静まらないものがある。

 

「なあ、大豊はどう思ってるんだ?」

「あ、あたし!? なんで?!」

「な、なんでって……いつもランティーユに追いかけられてただろ? 最近、雰囲気変わってどうも思わないのか?」

「追っかけられるのは変わってないのだ! さっきもつきまとわれたのだ!!」

 

 あれ? この話を聞く限りは、元気そうじゃないか?

 俺の考えすぎだったのだろうか?

 

「で、でも、なんか、こわかったのだ」

「怖かった?」

「ノーテンキな顔、なんだけど……目が笑ってなかった気がするのだ」

 

 ガリ、という黒生寺が勢いよくカシューナッツを噛み砕いた音。

 乱暴な食べ方だが、なんとなくサマになっているのはさすが荒野の男……というべきか。

 

「お前はランティーユのことは嫌いか……?」

「きらいってわけじゃないけど、好きではぜーったいないのだ! あたしが好きなのは、くろなまでらみたいなおっきくてビッグな人だから! それは変わんないもん!」

「勝手に好きになるのは結構だが、最初に断わっておく……交際はしねえぞ……」

「わかってるのだ! あたしが結婚したいのはおすもうさんだもん!」

 

 相撲部屋の女将さんにでもなるのだろうか?

 だが、大豊は「しょんぼり」という形容詞がぴったりなほど大げさにうなだれる。

 

「だ、だけど、さすがに助けられてばっかりだから、なんとかできないかなとは思ってるのだ……」

「やっぱり、大豊でもそう思うのか」

「ま、まあね! 何度もあたしのこと庇ってくれて、アホみたいに優しいヤツだもん! チビだし変態でうるさくてヨダレをびしゃびしゃ飛ばしてくるけど……」

 

 最後の悪口は余計かもしれないけど、大豊にとってもランティーユのことは大切に思ってはいるんだな。

 彼のアプローチも無駄じゃないと知って胸を撫でおろす。

 なんで安心したのかは自分でも分からないけど……。

 

「で、でも! 助けるのも大きなお世話なところがあるのだ! 助けてなんて言ってないのに!」

「ヤツのプライドの問題だ……」

「ヤなのだ、たすけられてばっかりなんて! あたしはどーんと大きくなりたいの!! ゴジラみたいに!」

「どうして、こう、お前たちは気も……場合によっては体も強いヤツらばかり……後、ゴジラは助けるというより壊すほうだろ……!」

 

 黒生寺のツッコミもおかしかったが、ツッコミをツッコむスキルを俺は持ち合わせていなかった。

 

 

「それでも助けられたら、借りは返すのは義理だ……ヤツが生きているうちに返すことだな……俺からの忠告だ……」

 

 

 カシューナッツがつっかえたように黒生寺の言葉が強張る。

 大豊にとって助けてくれる存在がランティーユならば、黒生寺の場合は……

 脳裏にフリルのスカートを翻した凛々しい少女の姿が浮かび上がって消えた。

 

「もう! 今度はくろなまでらが、ゆーうつになっちゃうの!?」

「ふん……ガラにもなく過去を振り返っただけだ……」

「だから! それが、らしくないのだ!」

 

 大豊がテーブルをたん、と小さな手のひらで叩く。

 その拍子に少しだけカシューナッツが揺れて、その一つが落ちそうになったので、慌てて手を器にして受け止めた。

 

 

「角っちだって、きっとうれしかったと思うよ。だって、くろなまでらが死ななくてよかったんだもん。角っちも、それだけで幸せいっぱいだったと思うのだ! それこそ、こんなカッコよくなったくろなまでらが生きてるなら、貸した借り? っていうのが、まるごと返ってきた気持ちだったんじゃないのかな?

 

 ……あたしだって、うれしいもん。いま、くろなまでらが生きててくれて」

 

 黒生寺は驚いたように微かに目を見開いたが口元を緩ませる。

 不敵ではあるが、彼らしい微笑みだった。

 

 

 

 

「悪くない言葉だな。…………だが、もう一度言っておく。貴様と交際はしないぞ」

 

 

 ……それは、ちょっと自意識過剰すぎないか?

 

 

「ようし! あたしも、ランティーユに恩を返すのだ! もし、それができなかったら、目でカシューナッツをかんでみせるからね!」

「やめろ……俺も鼻からイカスミパスタを食う羽目になるじゃねえか……!」

 

 早速、なにを対抗しているのか分からないが、なんだかんだ言って二人は元気そうだな。

 俺は、手の中におさまったカシューナッツを口に放り込み噛んだ。

 まろやかな舌触りに塩味が効いている。

 

 涙の味……いいや、それは、詩人すぎる喩えか。

 肩を竦めながら、その味にしばらく浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「よおう、しっけた顔の七島くんよぉ!」

 

 

 廊下を歩いていると、肩に軽い衝撃が加わる。

 よろめきそうになるが、慌てて足の裏で踏ん張った。

 振り向くと、萩野が悪戯好きの少年みたいに笑っていた。

 

「まーた、辛気くせえ顔しやがって。鉄分不足の吸血鬼みてーな顔してんぞ」

「ど、どんな顔だよ?」

「まーまー……んで? なんかあったんか?」

「いや、ちょっと疲れただけだから」

「ムリすんなよ? 今、体壊してるヒマはねーんだからな?」

 

 そう言って、今度は背中をぱん、と叩かれる。

 喝の意味が込められた気合注入……赤いタオルが似合うプロレスラーを思い出した。

 ふと、背中の手が離れなかったので、不思議に思っていると、萩野は左手で頭を掻いていた。なにか考えている様子だが……。

 

「なあ。おめーの部屋あがってもいいか?」

「え? いいけど……なんで?」

「なんとなくヒマだから、話付き合ってくれよ。……いーか?」

 

 なるほど。時間もあるし、俺も暇をしていたところだ。

 俺は頷いて、萩野を自室に招き入れた。

 部屋に足を踏み入れるなり、萩野は「おー」と呆れたような感嘆をあげた。

 

「相変わらず……っていうか、ベッドメイキングぐらいはしろよ?」

「な、なんかめんどくさくて。自分が使うだけだし」

「おめーなぁ。もう少し身の回り気にしろよな? ってか、丸めたティッシュはゴミ箱に入れろって言ってるだろ」

「鼻かんだときに投げたら入らなくて。いつか拾おうかなと思って」

 

 言い訳がましい俺の右肩は拳で軽く小突かれてしまった。

 そうは言うものの……綺麗なところは落ち着けないし、汚い部屋は性分みたいなものだ。

 健康にも被害は出てないし、どちらかというと乱雑な空間のほうが落ち着く。

 

 

「っと、悪ぃな。俺の悪いクセが出ちまった。世話焼きっつーヤツ」

 

 そう言って、萩野は床に無造作に置かれた半紙を持ち上げる。

 ……あっ、それは。

 

「おっ。水墨画か?」

「えっと、これは、落書きだから」

「落書きぃ? うめーじゃねえか、これ、虎だろ?」

 

 そう言って、心から湧き出たような笑顔を萩野は見せてくれた。

 ただの落書きとはいえ、嬉しそうな萩野を見ていると、こちらも顔が綻んでしまう。

 

「そうだ思い出した。おめーは絵も巧かったんだっけな。まあ、今、持っている記憶の話だけどよ……1年の写生大会とか、覚えてっか?」

「あ、ああ……校内の風景画を描いた……」

「そーそー。俺は木を描いてて、おめーは噴水だったかな? そんときによ、ある鳥が迷いこんできたんだよな」

 

 写生大会なんて懐かしい記憶を出してきたな……とは言っても、偽りの記憶かもしれないのだけど。

 それでも、俺たちが共有している記憶には変わりない。

 萩野は床に落ちていた真っ白な半紙を取りながら、机の上の鉛筆立てに手を伸ばした。

 

「ほら、でっかくて冬の湖によくいる鳥。夏場だっていうのに珍しかったよな。そいつをおめーが助けただろ?」

 

 大きくて冬の湖によくいるような鳥といえば。

 

「白鳥のことか?」

「それだ! 夏なのに季節外れだったよな。ほら、助けたよな? その白鳥」

 

 そうだった、あの白鳥は噴水の付近に羽をばたばたさせて暴れていた。

 どこからともなく迷い込んできたのか、大きな体でもがいていたのだ。

 だから、介抱するために、俺が助けようとしたけど、手に傷を負った。

 結局、萩野にも助けてもらって、なんとか逃がしてもらったんだっけ……

 

「それがきっかけだったよな? なんだかんだ、おめーと俺が一緒にいるようになったのって」

「あ、ああ、言われてみればそうだったな」

 

 そうだ、あの時、助けてもらったことがきっかけで萩野と仲良くなれたんだっけ。

 俺たちのいまの記憶が筐体による仮想空間だったら、その白鳥もプログラムだったのだろうか。

 皮肉なことだが、それでもプログラムさまさま、ってことだろうか。

 しかし、助けてもらった俺はともかくとして……どうして萩野は俺と友達になったんだ?

 

 

「その前までも、一人だったおめーに話しかけてたけどよ……あの時、本当に七島って、変なヤツだなって思ったんだよ。……あ。悪い意味じゃねーぜ? 変人って意味じゃなくてよ。不思議だったんだ」

 

 不思議、というのもなんだか素直に受け取れない言葉だけど。

 萩野は鉛筆を口元に寄せると物憂げに考え込むような仕草をした。

 

「あの鳥は強いから。いつかは勝手にどこかへ飛ぶ。放っておけばいい」

「……えっ?」

「俺が七島の状況に立ってたら。俺がもし白鳥の目の前にいたら、きっとこんなことを考えてたはずだ。現に、俺はそう思ったし、そうするだろうよ」

「それが……なんだっていうんだ?」

「よく俺にもわかんねーんだけどよ……たださ。それが、七島なんだって思ったんだよ。変な話だけど、それに興味を持った。それだけの話さ」

 

 目で質問すると、萩野は真面目そうな顔立ちで首を縦に振った。

 

「よく言うだろ? 人間、自分が持っていないモノに惹かれるって」

「………萩野は、なにを持っていないんだ?」

「ははっ、言うなぁおめー。持ってないっつーより、おめーは、俺とは違う『なにか』を持ってるんだよ。弱さを知らない俺にはないものをさ。だから、俺はおめーに憧れているのかもしれない」

 

 『弱さを知らない』という言葉にひっかかったが、萩野は寂しそうな声をしていた。

 自分には欠けているということを知っているような声色で……心に微かな痛みが掠めた。

 

 

「自分の弱さを知ったうえで、だれかを助けるって、実はすげー大変なことなんだぜ。傷の痛みを知って、それを残して癒すことをやめても、それでも立ち向かうってことは……それでも、今のお前はそれをやり遂げようとする」

 

 いつか、俺は萩野に言った言葉を思い出す。

 全部、このことを覚えていたい。と。

 みんなが死んでいった事実だけでなく、悲しみや苦しみもすべて。

 

 ……その俺の言葉を、萩野も覚えているのだろうか。

 

 

「きっとお前は、どんなに辛いことがあっても、だれでも救えるし、相手だって救われるさ。たとえ、その先が絶望だったとしても……必ず報われる。俺はそう信じてる」

 

 だれでも、という言葉には、どの人たちが含まれていたのだろう。

 彼自身なのか、それとも天馬なのか、錦織か。

 はたまた俺たち全員のことか。

 

 

 

「だからさ。お前は、俺なんかになるなよ」

 

 

 首を傾げる前に、萩野の顔に違和感を覚えて食い入るように見つめてしまった。

 

 ……どうして、一瞬、泣きそうな顔をしたんだ?

 ……心臓の隙間にみちり、となにかが押し込まれるような不快感が広がったのは何故だ?

 

 

 

「お前は立派な超高校級の書道家として胸を張ってけ。な?」

 

 左手の大きな手のひらで、子供のように頭を撫でられた。

 気恥ずかしさはあった……けど。

 スイッチを切られたように、ぼんやりと停止したまま、しばらくの間、頭をぽんぽんと触られていた。

 どのぐらいの時間、頭を撫でられたのかは忘れてしまったが……それでも、萩野のこの笑顔には敵わないな。

 

 

「……うっし、完成! 俺たちの友情のアカシだ!」

 

 そう言って、萩野は右手から鉛筆を放り出すと、得意げに半紙を俺に手渡した。

 髪が長い人間と、短髪の人間が2人でなにかを持っているが……。

 

「ビニール袋を運んでいる人たちか?」

「ぐぐ……っ!? 悪かったな、画伯で!」

 

 萩野は顔を風呂上がりのように真っ赤にさせて、半紙を取り上げてそっぽを向いて拗ねてしまった。

 その顔に、つい笑みを漏らしてしまった。

 萩野も俺の綻んだ顔に気づいたのか、すぐさま照れくさそうに歯を見せてくれた。

 

 

 

 ……それでも。

 

 一瞬だけ見せた、あの表情に……俺の心には影が落とされたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 萩野と別れて、銭湯に向かおうとする。

 それにしても、また偏頭痛だろうか。熱に浮かされたように額がずっしりと重い。

 今日は、嫌な夢を見たせいで疲れているのかもしれないが……。

 

 と、思った矢先に、背の低い影と出くわした。

 柱の影に紛れていたので、幽霊かと身じろがせた。

 

 

「あ……錦織」

 

 思わず口に出てしまったが、彼女はすぐさま目を逸らして猫背になる。

 でも、一言ぐらいは声をかけておくのは礼儀か。

 

 

「な、なあ。錦織」

 

 もう一度、呼びかけるも返事はなかった。

 でも、怯むわけにはいかない。

 

 

「あの、天馬が心配してたぞ。俺を無視するのはいいけどさ。彼女のことは安心させてあげてくれないか」

「そ……そんなことぐらい、アンタに言われなくてもわかってるわよ……」

 

 無視するのは大人げないと判断したからか、あっさり返答をしてくれた。

 挙動不審に目をきょろきょろとさせていたけれど、諦めたように、錦織は背中を丸めてとぼとぼと歩いて行こうとしたが、ちょっとした糸口が見えたせいか。

 

 

「なあ、錦織。前にお前は言ってたよな」

 

 また言葉を発していた。

 生唾を素早く呑み込んで、次の言葉を咄嗟に選んでいた。

 

 

 

「真実を見つけるためには、優しさを捨てろって。だれかのための真実なんていらないって……お前が探している真実も、お前自身のためなのか?」

 

 背中で聞いていた彼女だったが、立ち止まって振り向いた。

 いつもの陰鬱そうな表情。

 ふと、俺は今になって彼女の心からの笑顔をちゃんと見たことないことに気づいた。

 

「ずいぶん昔のことを覚えているのね……思い出に縋って生きるタイプかしら……?」

「そ、そうかもしれないな」

「だと思ったわよ……」

 

 錦織の言葉の端々には、ささくれた棘が仕込まれていた。

 まるで、俺の勝手知りたるような口ぶりじゃないか。

 俺は、お前のことを知らないのに。

 

 

「じゃあ、この際だから一つ、言っておこうかしら……」

 

 ふー、っと大きく息を吐きながら、錦織は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はアンタが憎い」

 

 

 

「……………えっ?」

 

 

 

 ……今、なんて。

 

 

 

 

「これは冗談抜きよ。私は、アンタのことが大嫌い」

 

 声になって飛び出した驚嘆に追い打ちをかけ、彼女は念を押して同じトーンで繰り返した。

 異性から嫌いと言われるのは堪えるものだろうか。

 でも性別を抜きにしても、目の前で自分が嫌い、と言われるのは……

 

「アンタを見てると本当にイライラするのよ……胃に蕁麻疹が出るレベルでね……」

「え? あ、あの、錦織。お前、なに言って」

「来ないで……っ!! 来たら、大声出すわよ……っ!?」

 

 まるで俺が犯罪者みたいな扱いじゃないか。

 そこまで言われると、俺だってさすがにいい気分はしない。

 

「なんで、なんだよ」

「なんで……って、なにに理由を求めているのかしら……」

「どうして、俺が嫌いなんだ?」

「ま、まだ分からないの……!? アンタのぼそぼそした態度が嫌いなのよ……っ!! 陰気で、引っ込み思案で、優柔不断で……そんな自分がイヤになって変わろうとするけどうまく行かずに、また自己嫌悪して……そんなことを痛々しくも繰り返して……!」

 

 マシンガンとは程遠く、おもちゃの銃のように彼女はぽこぽこと言葉を撃つ。

 辛辣な言葉の数々なのに、痛みをあまり感じない。

 引き金に苦しんでいるのは、錦織のようで……。

 

 

「私に似ていて……本当に大嫌いよ……」

 

 言葉の弾丸に振り回されているのは彼女自身のようだった。

 

 

 

「俺に、似ているって……?」

「どうして、アンタみたいなヤツが、私にそっくりなのかも……本当に……どうして……っ!! な、なんで、アンタみたいなのが……っ!!」

 

 発作を起こしたように、錦織は壊れた機械のように肩を不規則にびくびくと蠢かせる。

 

 それでも……どうしてこんなに恨まれなきゃいけないんだよ。

 

 

「ずっと、俺のことを……憎んでいたのか?」

「知らなかったの……? アンタが思っている以上に、アンタは私に嫌われていたのよ……」

「俺とお前が似ている、って……」

「アンタはウソをついてるから……逃げてばかりだから……! そのことをアンタがわかっていないことにもムカつくのよ……アンタは、本当になにも知らない。わかってない。無知な存在……だから、嫌い」

 

 ウソをついている。なにも知らない。無知。

 世界の輪郭が歪む。廊下が禍々しくうねるように足元がおぼつかなくなる。

 

 もしかして、これも夢なのだろうか?

 だったら、俺はいつまで夢を見ているのか? どこからどこまで夢なんだ?

 

 紅と天馬の姉妹のようなやりとりも?

 大豊と黒生寺との希望的会話も?

 萩野の泣きそうだった表情も?

 

 ……そもそも、こんなコロシアイも夢じゃないか?

 こんな荒唐無稽な思いも浮かび上がるが、馬鹿げていると一笑もできなかった。

 

 

 これは、夢なのか? 現実なのか?

 

 

 俺がウソならば、お前は誰だ? 俺は誰だ?

 

 

 反響した支離滅裂な問いかけは大波となって襲いかかってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「だって…………私は知ってるのよ」

 

 

 

 顎になにかが垂れた……舐めると、それはカシューナッツに似た味だった。

 しょっぱい、鉄そのものの味。

 唇を切ってしまったのか。噛み切ってしまったか。

 

 

 

 

 

 

「アンタは、書道家じゃないってこと」

 

 

 

 目の前にいる彼女は俺に似た黒髪をなびかせた。

 

 

 

 ――なあ、七島。立派な書道家として胸張って生きてくれよ? な?

 

 

 

 萩野の声が頭の中で木霊する。

 俺は、書道家だ。

 

 

 

 ――俺は、書道家。俺は書道家。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタはね、たまたま書道家に選ばれたに過ぎない凡人よ。…………いいえ、それどころか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

『…………っはは』

 

 

 

 

 

 ……知っている。これは夢なんかじゃなく、現実だ。

 

 ああ、驚いた。

 どうして、こんなにも気持ちが凪いでいるのだろう。

 北極から南国にワープしたように、がらりと世界が変わったというのに。

 不思議なものだ。時差ボケのような気持ち悪さが感じられない。

 

 

 ……さて、目の前に立っている少女は錦織。学園長の娘だ。

 でも、それがどうした? そんなこと知っている。

 

 ある意味、俺と彼女は一番遠いようで、一番身近な存在だったのかもしれない。

 だからこそ、俺は彼女に改めて言わなければ。

 

 

 

 

 

『なにをいまさら』

 

 満面の笑みを錦織に見せつけた。

 いや、きっと満面じゃない――気色悪く歯を見せただけ。

 その顔、と彼女は苦々しそうに一歩後ずさる。

 

 

 

『言われなくても、そんなこと知っているよ』

 

 今でも入学式で見た桜を脳裏に覚えている。

 ほろほろとこぼれる桜吹雪は、綺麗と言うより儚げに見えた。

 晴れやかという言葉には程遠く感じられる思いが再び焼きつく。

 

 

 

 

 

 

 ――どうして、俺なんかが?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうだ。知っている。俺は超高校級の書道家じゃない。わかってたよ。そもそも――俺は、七島竜之介なんかじゃないよ。そもそも……七島竜之介なんていなかったんだよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は――――』

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 額になにかが当たって、我に返った。

 

 

 ……あれ? 今……なんだ?

 

 防火扉が閉まるような音が耳の奥からとんと突かれて、それは静かに確かに響いた。

 いや、そんなことより、俺は錦織になにかを投げつけられた、と思ったが素振りだけか。

 ……ああ、違う……これは図書カードか。

 なんで、こんなものを投げつけて……いや、そんなことよりも。

 

 

 

「あ……あれ……? お、おい、待ってくれ、錦織っ! どうしたんだ!?」

 

 駆け出した彼女の背中は遠くに消えていく。

 なんで? いつの間に?

 

 

 

 慌てて追いかけようとしたが柱から影が伸びた。

 

 

 

 

 

『やあ、七島くん? 元気にハートフルボッコしてるかな?』

 

 

 

 それは、俺たちが……。

 特に、俺が一番憎んでいる黒と白で構成されたテディベア型のロボット。

 

 

 

 

「な……っ!? マナクマ……?!」

 

 生きていたのか。

 脳から出力された言葉が飛び出そうになるも抑え込んだ。

 

 何故、お前がここに? 俺たちが分解したはずなのに。

 俺の動揺を気にもしていないのか、ヤツは「うぷぷ」と手を口に当てて笑っていた。

 

『こういう時、どんな顔していいか、わからないよね。ボクには代わりがいるもの』

「どうして」

『復活したかって? 亀を階段で何度も踏んで、残機をマックスにしたからかな? これで土管から人食い花が飛び出してきてもヘッチャラだね! ねえねえ、そんなことよりさ……七島くん。ボクのこと覚えてる?』

「は、はあ?」

 

 覚えてるってなんだよ。

 もしかして、分解したことがバレたのか?

 ……いいや、どうせ、いつものおふざけだろう。きっとそうだ。

 

 

『ファイナルアンサー! ボクのこと、覚えてる?』

「な、なんなんだよ。覚えてるもなにも。お前はマナクマだろ」

『…………。……、………』

 

 ……え? なんだよ、その沈黙は。

 後ずさりをして、いつでも逃げられるように片足を後ろに置く。

 

 

 

『…………ぷぷ。うぷぷ。うっぷぷぷ! そうだった、そうだった!』

 

 マナクマは高らかに、不気味に笑い始めた。

 機械的に。それでも……何故、こんな歪んだ音声なのだろう。

 

 

 

 

『そうだよ! ボクは、マナクマだったんだね! ぶひゃひゃ、すっかり忘れちゃったよ! あーあ、おっかしーの!!』

 

 緊張状態のふくらはぎが一気に緩んで、がっくりと尻餅をつきそうになった。

 なんなんだ? いつも以上に、整合さに欠けている。

 さっきまでの出来事もあって、頭痛がますますひどくなる。

 

 

 

『と言うわけで、そんなマナクマから。プレゼントです!!』

 

 またしても唐突に話を切り替えられた。

 そうしてムリヤリ手渡されたのは、"黒い筒"だった。

 表面には『NANASHIMA RYUNOSUKE』と金文字で書かれていて、まるで卒業証書のようだ。

 

「……今回の動機か?」

『ぴんぽん! マナクマからの動機でもあり、ヒントなのです』

 

 動機――唾が溜まって、口が酸っぱくなる。

 しかも、ヒントって言わなかった?

 

『この学園の秘密の一部だよ。それぞれに違う情報が入っているのです!』

「それぞれ違うって?」

『個人に一人ずつ別々の情報を手渡ししてるの。面白いかなーって』

「……なにがしたいんだよ?」

『べっつにー! ちょっとしたキマグレンだよ! と言うわけで、他のヤツらにも渡さなきゃね! ばいちゃ!』

 

 マナクマは手を広げて飛行機を模したように、きーん!と言いながら走り去って行った。

 

 ……あ、そういえば……錦織を追うべきか……?

 問い詰めたい。どういう意味なんだと言いたい。

 だけど、彼女に今問い詰めてもはぐらかされて成果は得られないかもしれない。

 

 

 

 仕方なく部屋に戻って、まず椅子の上に置かれていた書きかけの書を退けた。

 黒い筒を穴が空きそうなほど見つめたり、おもむろに振ってみたりしてみた。

 

 …………とりあえず、開けようか。

 

 呆気なく筒の蓋は開いて、中に詰められていた複数枚の紙を取り出した。

 どうやら記事のコピーのようだ。週刊『真司』の168号という記述もあるが……。

 

 

 

 『錦織春路の娘』

 

 

 飛び込んできた見出しに、手のひらから汗が噴き出してきた。

 はやる気持ちを抑えながら、紙面に視線を動かす。

 

 

 

 

 本校の現学園長・元超高校級のデータベース錦織春路氏には一人娘がいる。学園長に新任されたことに伴い、一人娘は北国の母方の両親の家に預けられた。

 

 現地での取材では、学校では『捨てられた』『才能がないから親に見離された』といウワサでいじめられ、錦織氏の母は封建主義のため、勉強ができる娘や孫を『小賢しい』と厳しくしつけ、虐待一歩手前だったという証言も浮上した。

 

 そのせいもあってか、錦織氏の娘は図書室にひきこもり、本の虫として生活を送っていたようだ。

 彼女は母親に似て記憶力が高く成績優秀だったこともあって、より僻まれ、気味悪がられていた。

 

 錦織氏の娘は95期生で超高校級の司書として入学する予定だが、これには学園長のコネも一枚噛んでいるのではないかと考えられる。

 

 

 

 まだまだ続きはあるが、指先が震えてうまく次の紙に移れない。

 今持っている一枚目の紙をぎゅっと摘まんだ後に、先の文章へと目を走らせる。

 

 

 

 また、近年の錦織氏には不穏な動きが多く見受けられる。

 錦織春路氏は、絶望の更生に力を入れていて、慈善団体“望みの母胎で育てられた人間”を入学させたと各所では話題となっている。

 

 錦織氏の娘は“望みの母胎”にこそ所属していないが、20××年×月△日に発表された“望みの母胎”の情報システムへのサイバー攻撃からの情報漏洩事件も錦織氏の娘による仕業ではないかとSNS上で噂されている。

 

 これが真実ならば、錦織氏の娘は希望を望む母に捨てられた復讐鬼。絶望の少女ともいえるだろう。

 

 

 

 俺はベッドの上に仰向けになって転がる。

 気持ちを落ち着かせるために。感情に平穏をもたらすために。

 

 錦織は、学園長を恨んでいた?

 錦織は、サイバー攻撃をした?

 

 そして、この記事はこのような言葉で締めくくられていた。

 

 

 

『今も昔も希望の象徴として君臨し続けている希望ヶ峰学園。その長である錦織氏の娘によって、復讐のクーデターが起こり、絶望的な革命がもたらされる日は遠くない』

 

 

 

 心は平穏を保っていたが、どくどくと心臓だけが荒々しく鼓動を立てる。

 この週刊誌は大衆心理を煽るようなは噂ばかり集めている……って、以前に錦織自身も言っていたはずだ。

 だから、この記事だって信憑性はない。

 ウワサとか、話題となっているなど抽象的なワードも多いじゃないか。

 

 

 ……だから信じない、と言い切りたいのに。

 

 紙を顔に載せて、俺は頭を枕に埋める。

 瞼を通して、文字が目に、脳内に浸透していく感覚に浸る。

 

 

 


 

 

「お前は立派な超高校級の書道家として胸を張ってけ。な?」

 

 

「アンタはね、たまたま書道家に選ばれたに過ぎない凡人よ」

 

 


 

 

 二つの言葉が相反しながらも渦巻いていく。

 ああ、信じられない。わからないことばかりじゃないか。

 

 俺自身のことも……わかればいいのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『バカバカしい』

 

 

 咄嗟に感情を防いだシャッターを開けながら、そっと口を開いて言い放つ。

 わかればいいなんて、まだそんな嘘を吐けるものだ。

 

 知らないふりをして、事件を難なく解決する主人公気取りでもしているつもりなのだろうか?

 推理小説でよくあるような、才能あふれる主人公のフリをしてなにが面白い?

 

 

 今の言葉は訂正しろ。

 俺は、俺の願う俺は“本物”になっていればいいのに。と。

 

 

 そうだろう? だって、俺はいつもそう願っていたはずじゃないか。

 それなのに今のお前は。どうして凡人らしく、何故願えないんだ。

 

 それすらも、願えないなんて、やはり俺は。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 顔にのせていた紙が滑り落ちて、ふ、と呼吸が楽になった。

 

 

 ………………あ、れ?

 

 

 

 

 おかしいな……さっき、なにを考えていた?

 

 どうして、さっきから端々の記憶が飛ぶようにざらついているのだろう?

 がんがんと鐘を打ち鳴らされているように頭が痛むし……熱でもあるのだろうか?

 額に手を当てても分からなかった。

 微かに波立つ湖の上で船を漕いでいるようだ。荒波でもない。微動だからこそ不調な揺らぎだ。

 

 …………少し、寝ようか。俺はシーツを寄せながら目を閉じた。

 悪夢は見たくないが、それでも寝よう。

 

 

 早く、俺の中の真実も確信を持って分かればいいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 真実なんて大層な言葉を語るな。

 

 

 

 

 

 俺は、もう、すべてを知っているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

『マナクマ劇場』

 

 

 タマゴは割れるから、タマゴなのです。

 割れないタマゴは、ただの石ころです。

 

 タマゴの黄身として死ぬか、ひよことして生きるか。

 ひよこがえっほえっほと、内側からタマゴのカラを破るのが先か。

 ボクらが先手必勝して、スクランブルエッグを作るか。

 

 いったい、どちらが正しい選択なのかな?

 

 ボクたちはおいしいタマゴ焼きの味を知るべきじゃないのかな?

 

 ボクとひよこ。

 どっちが先にカラを割るんだろう? うぷぷぷ……

 

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