ダンガンロンパ(仮)-よみがえり-   作:冷凍かに缶

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(非)日常編 なにもかもゼロになれ

 

 

 今度こそ深い眠りに落ちようとしたが、インターフォンの音に覚醒した。

 一時だけ、瞼を閉じようとしたが……起きあがって床に降り立った。

 立ち上がった時にシーツが床に落ちたが、それを無視しながら扉を開ける。

 

「……竜之介」

「! 黒生寺? どうし、」

 

 来訪者の黒生寺は問いかける前に黒い筒を突き出してきた。

 

「全員、食堂に集まっている……健が集まるべきだと……情報交換をしたいらしい……」

「萩野が?」

 

 ……そうか。今の彼ならそうするかもしれない。

 みんなとの結束を望んでいるようだったからな。

 

「動機の内容をみんなで話し合うのか?」

「なにか問題か……?」

「い、いや、そういうわけじゃないけど」

「なら行くぞ……」

「あっ。ちょ、ちょっと待って」

「待たん……40秒で支度しろ……」

 

 扉を閉めようとした黒生寺の手を止めて、廊下へと一歩を踏み出す。

 すでに大股で歩き出している黒生寺の背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

「あ! 七島っちも来たのだ!」

 

 

 食堂にはひさしぶりに人が集っていた。

 だが、この生活が始まった初日はもっと人がいたはずだ。

 ………それなのに。

 

 ここにいるのは俺と、天馬と紅に大豊、そして黒生寺。

 萩野もおぼんにティーカップをのせて厨房から戻ってきた。

 彼も同じく、空席が目立つ食堂に肩を落としたようだ。

 

「まー、茶でも飲みながら話そうぜ。肩が張ってちゃバテちまうからな」

「あたし紅茶じゃなくてウーロン茶がよかったのだ! ……って、ランティーユは?」

「いなかった……詩音も同じだ……」

「あっ、ワリい、言い忘れてた。ランティーユは集まり誘うときに会ってたんだ。日本語で書かれていて自分は読めないって言ってたから、読みあげてやったんだ。後はまた他のみんなに聞くっつって、どっかに行っちまったけどな……」

 

 ランティーユは自分の意志で欠席か……。

 大豊は「もうっ」とフグのように頬を膨らませる。

 

「最近のランティーユ、つきあい悪いよ! 前までのくろなまでらみたいなのだ!」

「俺を引き合いに出すんじゃねえ……」

「実際そうだったでしょう? そこまで追いつめられてないとは信じたいけど……私としては、もっと心配なのは錦織ね」

 

 錦織も欠席なのか。

 こめかみが刺されたように痛み、思わず指の腹で擦った。

 

「おうよ、後で俺も本腰入れて探すから。とりあえず今は俺らで情報交換だ。ほら、座った座った!」

 

 俺と黒生寺は急かされて椅子に腰を掛けた。

 すでにテーブルの上には、亜麻色の紅茶が注がれた白いティーカップが置かれている。俺と黒生寺は同時にそれぞれのティーカップを手に取って口に含む。

 口内に温かいミルクティーが染み渡り、緊張していた喉が溶けるように緩んだ。

 

 

 

 

「早速だけど、マナクマから“筒”はもらったよな?」

「マナクマは個別に渡したって言ってたわね」

 

 萩野、紅と黒い筒をテーブルの上に置き始める。

 俺と天馬、黒生寺に大豊も続いて筒を並べていく。

 皮肉なことに、卒業式のような光景だ。

 

「マナクマは学園のことって言ってたよね。やっぱり、みんなで見せあったほうがいいのかな」

「そーいうこった。だれかの秘密や罪でもなさそうだしよ。……紅。情報をまとめてもらっていいか? メモ書きでいいからよ」

「ええ、わかったわ」

 

 だれかの秘密ではなさそうとは言っているが、俺のもらった記事は……。

 

 

 

「いま持ってるヤツだよな。さっきランティーユから一応もらったヤツもあってよ。……とにかく、今オレが持ってるのは2枚だ。まずはこっちな」

 

 言うべきか迷っている間に、萩野は二枚の紙を見せてきた。

 雑誌の切り抜きのようだ、ひとまず一枚目に目を通す。

 

 

 

『望みの母胎』

 

 超高校級の絶望が沈静した時期に発足した慈善団体。

 家族、大切なもの、体の一部などを失い、希望を失った人々に寄り添い支援を行っている。

 教会や孤児院、教育施設との強い繋がりを持ち、活動を広げている。

 

 しかし、“望みの母胎”のトップは超高校級の絶望を崇拝しているともウワサされており、超高校級の絶望が残したと言われる『絶望の種』を匿っていると言われている。

 

 表向きは『絶望の種を希望の花へと咲かせる』という更生を取り組んでいるようだが、実際は新たな第二の絶望を生み出そうとしているのではないかと睨んでいる声は多い。

 

 

 

 見覚えがある単語――"望みの母胎”。

 たしか第三の事件の動機の後で、図書室で読んだ雑誌に書かれていたっけ。

 紅は軽く目を伏せながら首を傾げる。

 

「この団体のことだけど、みんなは知ってる? 私は海外生活が長かったから、詳しくなくて」

「いや、名前だけ知ってるぐらいだな」

「俺も知らん……国内の組織か……? ランティーユも知らねえだろうな……」

「あたしもニュースとかで名前は聞いてるけど……聞いたことがあるのはボランティアやってるってぐらいなのだ」

「私は知ってるよ」

 

 天馬の答えに、一斉にみんなの視線が注がれた。

 珍しく天馬は臆したように、肩を引いて視線を泳がせる。

 

「ええと、家が無くなったときに、少しだけお世話になってたから」

「そ、そーか。絶望を崇拝してるって書かれてたけど、おめーから見たらどんなカンジだった?」

「私が知ってる限りでは、そうは思えないかな。ボランティアとか炊き出しとか優しく接してくれたから…………たぶん、そこまで悪い人の集まりではないはずだよ」

 

 そう言いながら、天馬は紅茶に口をつけた。 

 なにか他にも言いたげな唇をしていた気がしたが、それは俺の見間違いだろうか……?

 

「しかし"絶望の種"か……よくわからんものを……」

「でも、国内外問わずウワサはされているわよね。もっとも都市伝説に過ぎないでしょうけど」

 

 絶望の種、第二の絶望……この記事に関わらず、色んなところで度々騒がれていたような気がするな。超高校級の絶望に代わる存在。今も水面下でヤツら……はたまた、他のだれかが再び誕生させようとしているのだろうか?

 

 

「んー、どうなんだろーな。……んでもって、こっちが俺がマナクマからもらった記事だ」

 

 そう言って、先ほど俺たちが見ていた記事の隣の紙を萩野は指でたたいた。

 

 

 

『アルターエノシマ撲滅成功』

 20××年にアルターエノシマが各地に蔓延。N氏を始めとした希望ヶ峰学園78期卒業生によって、20××年6月19日、データ根幹の破壊に成功。プログラムも撲滅が完了し、アルターエノシマをプログラミングしたハッカー組織も逮捕に至る。

 

 

 

「これは海外でも話題になっていたわ」

「あー……たしかに、こんなこともあったよな。俺らがマジでガキんぐらいのときだよな?」

 

 記憶が遠いが、その件については俺も聞いたことがある。

 携帯やパソコンなどの電子機器にウィルスとして入り込んで、プログラムで構成された超高校級の絶望が形を変えて蔓延っていた時代があったそうだ。政府や病院施設の停電やハッキング。はたまた人間の洗脳もしていたのではないかなんて荒唐無稽なウワサも聞いたことがある。

 

「ま、まさか、それを消しちゃった仕返しで、あたしたち、閉じ込められちゃったとか!? 『おのれ希望ヶ峰学園めー!』って!」

「たしかに可能性としてはあるかもしれないけど……でも、私は腑に落ちないわ。マナクマは例の人の仲間と言えるのかしら?」

「っつーと、どういうことだ?」

「マナクマは、超高校級の絶望を尊敬しているようで貶しているように思えるの」

 

 


 

『…………あのさ、オマエ、バカにすんなよな、超高校級の絶望のことを。いいか!? 超高校級の絶望をバカにするのはオマエラじゃねーんだよっ!! このボクだっつってんだろーがよ! ボケなすびッ!』

 


 

 紅の疑問と、俺の脳内に現れた不可解な塊は同じ色をしていた。

 いつだったか、あれは第一の裁判の時だろうか。

 マナクマに同じ絶望を求めているのかという質問が投げかけられた時。

 たしか、マナクマは謎の怒りを露わにしていたっけ。

 

「たしかに。マナクマは、モノクマと一緒にされることをイヤがっていた気がするんだ」

「そーなんだよなぁ……アイツら、関係ってあんのか?」

「え?! あんなにそっくりなのに!?」

 

 大豊の純粋な疑問に「うーん」と萩野は唸りながら腕を組む。

 さっぱり検討もつかない……というか、これって動機になり得るのか?

 そもそも、誰のための、なんの動機だろう?

 不可解な薄ぼんやりしたモヤだけが広がっていくようだった。

 

 

「よ、よくわかんなくなってきちゃったのだ……そーだ。あたしがもらったのは、これね!」

 

 今度は大豊がテーブルに紙を広げた。

 これは校内新聞だろうか? 大きく書かれている見出しは……。

 

 

『超高校級の罪人 早刃宮(さばみや) ジャンヌ』

 

「超高校級の……罪人だって?」

「また新キャラか……」

 

 超高校級の罪人。その単語は、初めて聞くものではない。

 だからこそ、なおさら俺たちを驚かせることになった。

 

 

 

 超高校級の罪人"早刃宮ジャンヌ"

 凶悪なテロや破壊活動を行う犯罪者の一族――早刃宮一家の次期当主。

 彼らの血筋は某財閥グループと酷似しており、各国の要人たちと子供を設けて数を増やしていると実しやかに囁かれている。『超高校級の絶望』が台頭していた時代は、扇動者として暗躍していたと言われているが真相はさだかではない。

 早刃宮ジャンヌは望みの母胎の協力者で、絶望の種を学園に導いたのも早刃宮と言われている。

 

 そして、この学園にも罪人による悪意がもたらされた。

 すべては、この罪人の行動で、『新たな絶望』の火ぶたは切られた。

 

 生まれながらの罪人は旧校舎を爆撃。旧校舎は立ち入り禁止区域で、厳重なるバリケードも張られていた。ところが人は死んだ。死亡者14名。教職員含めた負傷者21名。旧校舎は学園非公認の研究機関(通称:観測者グループ)として使われていて発見された遺体は被験体かつ『望みの母胎』の幹部だった。

 

 

 ……被験体?

 しかも、先ほどの『望みの母胎』の幹部が殺されているだって?

 

「はむうっっ!? 学校でこんなに死んでる話なんて聞いたことないのだ!」

「そもそも被験体だなんて……これでは超高校級の絶望による事件が始まるきっかけ……カムクライズルプロジェクトと同じことを辿っているようだわ」

 

 さらに文章は次のように続けられる。

 

 

 

 絶望から希望の未来を歩んでいたはずの歯車は狂い始める。

 学園が揉み消しを選んだことにより、学内から反発の声が上がった。我々の才能も研究材料ではないかという疑心暗鬼が生まれるのも当然だ。鬱屈とした怒り、苦しみ、やるせなさ……抗争が始まり、暴力と血が溢れ始める。

 

 それでも、学園は世間への公表を恐れてしまった。

 

 世界は、我々は、なによりも私立希望ヶ峰学園は絶望の恐ろしさをなによりも知っている。

 だからこそ、公にできなかったのだ。

 

 この世界に、再び、あの絶望をもたらしてはいけないと……

 

 

 

 ここで学級新聞は途切れていた。

 不気味な沈黙が鳴り響き、みんな、うつむいたままだった。

 紅がペンを握る手を強め溜息を吐く。

 

「……学園は絶望を止められなかったというの?」

「知っていたからこそ、学園は事件を隠しちまったっつーことか……くそ、どーすりゃよかったんだよ、俺たちは……! こんな学園、やっぱり復活させるべきじゃなかったんじゃねーのか!?」

「そ、そんなぁ! じゃあ、この学園にいるあたしたちも悪いってことなの!?」

「私たちのせいでもないし、学園のせいでもないよ。希望があったから、絶望もまた蘇ってしまった。それ以上の理由はないはずだよ……だれかのせいにしていたら、堂々巡りなだけだから。いまは情報の一つとして置いておこう」

 

 天馬の言う通り、だれが悪かったとか、そういうことを考えるのは余計なのかもしれない。

 なにしろ、あまりにも過去の話だ。本当の真実を知ったことで今が変わることはない……。

 

 

「観測者グループ……さっきの言葉、私のもらった記事に詳しく書かれていたわ」

 

 そう言って紅も紙を差し出した、今度はなにかのレポート用紙のようだ。パソコンの明朝体で打たれた字なので、誰が書いたかは判別できないが……。

 

 

 

『観測者グループ』

 

 生物学棟の脳科学研究室で活動している組織。

 記憶媒体の消去や改ざん、生物兵器、新たな命、肉体創造など技術は相当。学園非公認である故に、処罰の対象として目を光らせている一方で、学園長は彼らの活動に手を貸していると一部からは疑惑の声が相次いでいる。

 

 

 

「俺のもらったモンにも書いてあったような……」

 

 そう言って、黒生寺もメモ用紙を出した。

 今度は白地で走り書きのようだった。

 少し乱雑だが、筆圧が濃い我が強そうな字だな…………あれ?

 

 

 

『Noah's miniature garden(NMG計画)』

 絶望による荒波から希望の種を隔離するための人工シェルター。肉体を仮死、昏睡状態に近いものにして、成長促進の機能の停止状態にさせた上で、筐体に肉体を入れて意識だけを仮想空間で生活させる計画。

 今までにあった学園生活の記憶は完全消去は不可能か。記憶を圧縮させる? 塗り替える?

 期間は未定。絶望の波が去るまでか?

 かつての未来機関が開発した『新世界プログラム』の応用で、観測者グループによって開発された。

 

 

 

 

 英語で書かれている部分があるが……これは、なんて読むんだろう?

 

「どれどれ? ……ノアの箱庭ってか」

「のあって、車の?」

「ノアは旧約聖書に出てくる人間ね。有名なのはノアの方舟。きっと開発者もそれを捩ったのかもしれないわ」

「こうしてみると、学園で生まれてしまった絶望がおさまるまで、私たちは箱庭で過ごすことになった……という解釈ができるのかも」

 

 ノアの方舟――絶望の洪水から避難するために作られた船を箱庭と見立てた……俺たちの偽物の記憶はここで構成されて、本物の記憶はここで言うなら、"封じ込められている"というべきか?

 本当かウソかはさておき、にわかには信じがたいことだが……。

 

「たしか、錦織も似たようなことを言ってたけど……これが角の言っていた筐体の正体かしら? 『望みの母胎』……もっといえば『早刃宮ジャンヌ』によって、私たちの本当の生活は狂わされ、絶望から逃れるためにシェルターに入れられた……」

「だが、何故俺たちは目覚めている……?」

「そこが問題ね。ここの世界でも私たちは隔離生活をされている。このプログラムにも、なにか不測の事態が起こったかのかもしれない」

「それに、どうしてあたしたちだけなの!? あ、あたしたち以外は、どうなっちゃったのだ……?!」

 

 不測の事態があったから、このようなことが起こっているのか。

 やはり、これも早刃宮のせいなのだろうか。

 

 ……それにしても、この字は。

 先ほど掠めた違和感を確かめるために数十日前の記憶を呼び戻す。

 

「なあ。これって円居の文字じゃないか?」

「へけ? 円居っちの?」

「彼の文字を見たことがないから分からないけど、本当なの?」

「ああ、彼の文字なら……ほら、これだ」

 

 そう言いながら、以前に円居からもらった手帳を取り出した。

 手帳に書かれていた文字はほとんど数式だが、計算式の英語部分と照らし合わせれば……

 

「おいおい、マジじゃねーか……! Gの書き方とか完全に一緒だな?!」

「それじゃあ、これは円居っちが書いたの!? でも、なんで?」

「円居くんも理系だから、詳しかったのかもね。あるいは……そこに所属していたとか?」

 

 どのようなグループかは分からないけれど……。

 それでも、この組織が開発したプログラムによって、俺たちの記憶がおかしなことになっているということは確定と言ってもいいだろう。

 そして、円居も少なからず関係していたというのは間違いではないのかもしれない。

 

 

 

「次は、私の情報を出していいかな? でも、やっぱり運が悪いからかな。……みんなのものと比べると、よく分からない情報なんだよね」

 

 そう言って、天馬が渡したのも一枚のレポート用紙だ。

 今度は円居が書いた字ではなさそうだな……丁寧だが余白が足りない堅苦しい文字列だ。

 

 

 

『カリモノ』

 

 物理実験室で実験されている計画

 "観測者グループ"が手に入れた禁断の果実。

 ホムンクルスに匹敵する禁忌の科学の術か。詳しい情報は不明。

 

 

 

 

 全体的に短い文章だ。それに彼女の言う通り。

 わからないと言うよりも……

 

「カリモノってなんなのだ?! 借りもの競争と関係あるのかな?」

「ホムンクルスに匹敵するって書かれてるから、もしかすると、人造人間のことだったりして。それこそフランケンシュタイン博士のお話のような」

「くだらん……オカルトじゃあるまい……」

「"物理実験室"っつーと、5階の開かない部屋がそーなんかな?」

「そうかもしれないわね。もっとも、その"物理実験室"が開かないから、ここに書かれた“カリモノ”の正体を確かめることはできないけど……」

 

 やはり、最後の事件が起こらない限りは開かないのだろうか。

 マスターキーを持っている人間ならできなくはないだろうけど……それでも、いま、マスターキーを持っている人間は誰かは知らない。

 そもそもマナクマは盗まれたなんて言ってるけれど、それだってウソの可能性もある。

 

 

 

「んで、最後は七島のだな。なにが書かれてたんだ?」

「……えっと、それなんだけど」

 

 早速、前置きを入れる準備をする。

 一斉に視線がこちらに注がれて肩身が狭いが、怯んでいる場合でもない。

 

「俺がもらったのは、錦織に関する記事なんだ」

「え?! マジかよ!? アイツには言ったんか?」

「言ってない……というか言えてないぞ……」

「錦織っちが知らないのに、錦織っちの記事を見るの!? な、なんだか悪い気がするのだ……」

「一応、見てみましょう。……情報として」

 

 なんとも言い難い雰囲気に早変わりしてしまったが、見せてもいいのだろうか。

 拒否はされていないので、おずおずと筒から資料を取り出して、テーブルの上に広げた……

 

 

 

『錦織春路の娘』

 

 本校の現学園長・元超高校級のデータベース錦織春路氏には一人娘がいる。学園長に新任されたことに伴い、一人娘は北国の母方の両親の家に預けられた。

 

 現地での取材では、学校では『捨てられた』『才能がないから親に見離された』といウワサでいじめられ、錦織氏の母は封建主義のため、勉強ができる娘や孫を『小賢しい』と厳しくしつけ、虐待一歩手前だったという証言も浮上した。

 

 そのせいもあってか、錦織氏の娘は図書室にひきこもり、本の虫として生活を送っていたようだ。彼女は母親に似て記憶力が高く成績優秀だったこともあって、より僻まれ、気味悪がられていた。

 錦織氏の娘は95期生で超高校級の司書として入学する予定だが、これには学園長のコネも一枚噛んでいるのではないかと考えられる。

 

 また、近年の錦織氏には不穏な動きが多く見受けられる。

 錦織春路氏は、絶望の更生に力を入れていて、慈善団体“望みの母胎で育てられた人間”を入学させたと各所では話題となっている。

 錦織氏の娘は“望みの母胎”にこそ所属していないが、20××年×月△日に発表された“望みの母胎”の情報システムへのサイバー攻撃からの情報漏洩事件も錦織氏の娘による仕業ではないかとSNS上で噂されている。

 

 これが真実ならば、錦織氏の娘は希望を望む母に捨てられた復讐鬼。

 絶望の少女ともいえるだろう。

 

 今も昔も希望の象徴として君臨し続けている希望ヶ峰学園。

 その長である錦織氏の娘によって、復讐のクーデターが起こり、絶望的な革命がもたらされる日は遠くない

 

 

 

 

「ひどい記事」

 

 読み終わるや否や、そう呟いたのは紅だった。

 筆先を止めて疲れたような溜息を吐く。

 

「錦織さんを傷つけるために書かれたみたい……錦織さんのことをなんだと思っているのかな」

 

 鋭い目つきのまま、珍しく天馬も声を震わせていた。

 でも、無理もない。俺だって萩野が中傷されたら、このぐらいの反応になってしまうだろう。

 

「でもよ。やっぱ、絶望の種っつーのも気になるんだよな。さっきの情報にもあったよな? 学園長が入学させたっつーのとかよ。それに、これが本当なら錦織は……」

「この手のゴシップは、たしかに事実が書かれているかもしれない。でも大半は悪意によるウワサ。読み手を煽るための記事よ」

 

 紅は手厳しく萩野に言い放った。

 彼女もゴシップでは痛い目に遭っているから、感情が揺さぶられているようだ。

 萩野も否定はできないのか、困ったように頭をポリポリ掻いた。

 

「まー……これに限らず、全部が本当のことじゃないとは思ってるよ。マナクマからの動機だもんな。俺たちを混乱させるためかもしんねえ。あくまで仮定ってことにしようぜ」

「それもそうね……一応、まとめるとこんな感じかしら?」

 

 そう言って紅はメモを書いていた用紙を見せてくれた。

 

 

 

 

『コロシアイの原因(予想図)』

 

 きっかけは、『望みの母胎』に所属する『超高校級の罪人・早刃宮ジャンヌ』が起こした旧校舎の爆破事件。望みの母胎は表向きでは慈善活動を実施しているが、裏で“第二の超高校級の絶望”を復活させようとしているのではないかという疑惑が浮上していた。

 上記の事件による暴動が学内で相次いたが、学園は外部への公表を拒否。

 

 絶望を防ぐために、生徒たちは『観測者グループ』という組織が『新世界プログラム』を元に作り上げた『ノアの箱庭』というシェルタープログラムによって仮想空間で生活することになる。

 だが、私たち全16人の生徒たちは『ノアの箱庭』から目覚めてしまった。

 かつての学校生活の記憶も忘れてしまった状態で、マナクマによるコロシアイに巻き込まれる。

 

 何故、早刃宮ジャンヌは事件を起こしたか?

 理由① “絶望の種、第二の絶望”を誕生させるため

 理由② "アルター江ノ島のプログラム"を抹消した逆恨み 

 ※ただし、マナクマは江ノ島との関係を否定する発言がある。

 

 不明点

 ・なぜ『ノアの箱庭』から目覚めたのか?

 ・私たち16人の生徒たち以外の学園関係者の行方

 ・『カリモノ』の全容

 

 

 

 まとめられたメモは的確だった。

 錦織のことを書かなかったのは、信憑性がないからだろうか。

 それでも、このまとめには全員一致で納得した。

 

「そうだね。この時系列ならしっくりくるよ」

「だとしても、謎はまだまだ残っている……」

「でも、少しずつわかってきたこともあるよ! はじめの一歩は大事だもん!」

 

 大豊はうんうんと、赤べこのように頷いた。

 謎ばかりだけど、いつかは真相は分かると信じよう。

 

 ただし問題は……。

 

「クマ公は動機とほざいてやがったが……」

「錦織がもらった情報もわからないから、なんとも言えないわね……ランティーユも混乱しないといいけど」

 

 いったい、この動機の意味は、なんなのだろう?

 中途半端な情報群。ここから導き出されるのは……やはり、学園を知る権利の獲得だろうか。

 しかし、権利を獲得しようと殺人を犯したことで、そのクロにはなんのメリットがあるんだ?

 

 ……まったく分からない。

 そして、動機の真意もある意味では理解したくないものだ。

 

 

 

 

 ――キーンコーンカーンコーン……。

 

『みなさん、10時です。夜時間となりました。すみやかに寄宿舎に戻り、明日の青春に備えてゆったりとお眠りください。おやすみなさい!』

 

 

 

 夜時間を告げるアナウンスが鳴った。

 俺たちはひとまず、おやすみの言葉を交わしながら解散した。

 俺も席を立とうとしたが、とん、と肩を叩かれた。

 

「ワリぃ、洗うの手伝ってもらってもいいか? ついでに話がしてーからよ」

 

 振り向くとお盆を持った、萩野が立っていた。

 二つ返事のように頷き、俺たちは調理室へと向かった。

 

 

 ステンレスの台所の前に立って二人で並ぶ。

 萩野は俺の右隣でティーカップを水に浸したまま黙っていた。

 微かに眉間に皺を寄せたまま水面を眺めているようだった。

 

「なあ、七島。おめーは……これから、どうする?」

「えっ……これから? 寝るだけだと思うぞ」

「あー、いや、違うな……そのだな……これから、おめーはどうなっちまうんだ?」

 

 ……どういうことだ?

 そう言えば、話がしたい、って言ってたっけ。

 手伝ってもらうよりも、こっちがメインなのだろうか。

 萩野は痛みを堪えているような顔立ちで……こちらの脇腹も押さえつけられるように圧がかかる。

 

「変なこと言うかもしれないけどさ……親友だから言わせてもらうぞ。無茶するなよ?」

 

 いつもの話だった。

 いつものような、俺が萩野から言われている忠告。

 

 

 

「死なないでくれ。絶対に」

 

「…………は?」

 

 萩野から出た飛び出した言葉に、俺は生意気な口を漏らしてしまった。

 

 

「え……? な、なに言ってるんだよ?」

「おめーなぁ……気づいてないかもしれねえけど、いま、すげー顔色が悪いじゃねえか……怖くなるぐらいだ」

 

 萩野から飛び出た、『怖い』という言葉に意を突かれる。

 俺はどんな顔立ちをしていたのだろう……それでも萩野には心配させまいと唇を緩ませる。

 

「怖いだなんて……俺は平気だよ。それに萩野はボクサーじゃないか。怖がってられないだろ」

「おいおい、なに言ってんだよ。おめーは。その言い方はまるで」

 

 

『錦織に言われたんだ。俺の才能は偽物だって』

 

 

 

 突然、俺の口から出た言葉は、驚くほどに突飛だった。

 

 がちゃ、と萩野の持っていた食器が擦れ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ああ。また、そうだ。

 そうやって寄生虫のように蔓延るつもりか。

 萩野の心に、思惑に、何度も何度も付け入ろうとするグロテスクな蟲そのものだ。

 

「……なに言ってんだ。錦織がそんなこと……アイツの言うことを本気にしてんのか」

『錦織の言うことは本当だろう。俺はなにもない』

「なあ、いいか。何度でも言うが七島は書道家だ。それは……自分だけじゃなくて、みんなそうだって信じている」

『本当は書道家じゃない。だって、俺は運で選ばれた凡人なんだ』

「バカ言うな。二番だからなんだっていうんだよ。二番だったから、死ぬっていうのか」

 

 気がつくと、萩野に両肩を掴まれていた。

 

 

 

 

「一番の親友に、認められるっていうのは、そんなにヤナことなのか」

 

 

 そんなことはない。俺は首をすぐに振った。

 嫌ではない、むしろ喜ぶべきことだというのに。

 

『俺は嘘をついているんだ。前にもランティーユに言われた。俺は自分に嘘を吐いてるって……本当は、俺は真実を知っているんだ。それでも、その真実が怖くて、ずっと無知を装って無視をしている。嘘をついているフリをしているんだ。どれが嘘なのか分からないほどに……』

「おい、なに言って……そもそも、それのどこが悪いんだよ」

『俺は、真実から逃げている』

 

 どんどん感情が溢れ出て止まらない。

 おかしい。こんなことはなかったはずだ。

 いつも傍観者のように眺めていて、流していたはずの痛みや悲しみがウソのように、生々しく胸に渦巻く。

 

 

 

『俺は怖い。一人になるのが怖い。俺は、仲間外れになるのが嫌だ。俺はみんなの仲間でいたい。だから、みんなと同じフリをするしかないんだ。でも、そんなことしても……俺自身が『なにもない人間』だっていう事実は変わらないんだ。……怖い、怖いよ、萩野。俺は、俺の、真実を見たくない』

 

 

 七島、おい、七島と、途中途中で萩野が呼びかているようだが言葉は止まらない。

 梅雨の鬱陶しい雨のように降りしきる、くだらない言葉。

 

 

 

 なんて、くだらない、命だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『なあ、萩野。俺は本当に、みんなと一緒にいていいのかな?  俺は、お前の』

 

 

 

 

 萩野はなにも言わなかった。

 

 そして、俺もなにも言えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………気がつけば、目元は温かな暗闇に満ちていて、俺は髪を撫でられていた。

 

 

 

 ……………あれ?

 なんで、いつの間に、こんなことになっているんだ?

 それでもなにもできず、萩野の肩に、俺は顔を埋めていたようだった。

 

 

 

 

 

「……その弱さが、お前の強さにはとても大切だ。……けど、抱え込むなっつっただろ?」

 

 

 父のような声色。

 ……ワケも分からないまま涙腺が緩んだ。

 それでも萩野に涙は見せられず、肩口に顔を埋めたまま目をぎゅっと瞑った。

 

 しばらくして、俺は顔をゆっくりと放して、萩野の顔を見つめた。

 ……いつかに見た寂しそうな顔。  

 困ったように、それでも。要領の悪い息子を見守るような父性があった。

 

 

 

「おっし……親友らしいことするぞ。っつーわけで、俺もおめーの肩借りるぜ……っと」

「えっ?」

 

 聞き返す前に、今度は俺の肩に萩野の体重が乗っかった。

 

 

 

「俺も怖いんだよ、七島」

 

 萩野、と呟く前に、さらに俺の右肩に体重がかけられた。

 

 

 

 

 

 

「ああ、俺だって怖いっ! そうだ、怖いんだ!」

 

 

 …………それは、萩野の叫びだった。

 

 

 

 

「どうして、おめーが大切な親友なのか、分かるか? ……俺も、ずっと一人だったんだよ。俺はサイテーな家庭に生まれて、暴力ん中で生きてたんだ。ずっとずっと、一人で戦ってきた。……ホントはさ……俺は……強くなんかない。なにかに縋りたくて必死だったんだ。……一人になりたくなかったんだ」

 

 萩野の震えなんて、武者震いぐらいしか見たことがなかった。

 だけど、今の彼は肉体が、声が、感情すべてが張り裂けんとばかりに激しく震えていた。

 

 

 

「ワガママなもんさ、お前の友達になったのも。一人が怖かったから、そんな理由で俺はお前と友達になった。だから、俺は俺が嫌いなんだ。こんなガキくさいヤツで、最低の人間だっていまでも思う。でも、俺が最低の人間でもいい、だけど、お前は、違うんだ。俺とは違う、お前は優しくて、だれよりも……なによりも………」

 

 どうして、俺は心臓が爆発しそうなぐらい恐れているのだろう。

 萩野の言葉を。萩野の感情を。

 彼が本音を吐露してくれてるのは嬉しいことのはずなのに。

 

 

 

 

 

「七島。どうか死なないでくれ。もう、どこにも行かないでくれ、お願いだ……絶対に、お前は」

 

 

 

 呪いにかかった白鳥の如く、俺の目の前からどこかに消えてしまうのではないのか。

 姿を消すのか、あるいは悪魔に誑かされているのか。

 だめだ、萩野。これ以上は……!

 

 

 

「萩野っ!!」

 

 無理矢理、俺の肩から萩野を取り剥がす。

 汗と血しか流さなかったであろう頬に涙が伝っていた。

 萩野も自分の状態に驚いたのか、ハッと目が大きく見開かれた。

 

「……! 萩野…………」

「あ……あぁ、悪いな……脅かしちまったな」

「い、いや……いいんだ。それよりハンカチ」

「いや、いらねえよ……にしても、びっくりだ。……俺って、泣ける体してやがったんだな」

「当たり前だろ。萩野は人間なんだ」

 

 人間と聞いて、萩野は怯えたように目を泳がせる。

 それは叱られた幼気な少年のような仕草で、また心臓が跳ねあがってしまった。

 

「……ああ、そうだったな。なんつーか……だれかと戦っていると、そうはいかねえもんでさ。目の前で俺を殴っているアイツも、拳を振り上げる俺自身も、バケモノなんじゃねーのかなって、たまに思っちまってさ。……そっか! ちゃんとまだ人間してたか! ……なら、いーんだ」

 

 そう言って、萩野はまた屈託のない笑みを浮かべていた。

 俺は、萩野のことを、呼び止められたのだろうか。

 絶望の湖に飛び込みかけた萩野を、阻止できたのだろうか……? 

 

 萩野に聞いたところで、その答えは、彼自身にも分かるはずはないだろうけど……。

 

 このままティーカップを一緒に片付けようとしたが止められてしまった。

 

 

「とにかく……おめーは顔色悪いから、さっさと寝ること! んじゃ、また明日。……さっきの話は色々とナシだ。また今度、前は絵を描いたから……次んときは、映画でも見ようぜ」

 

 

 ティーカップを丁重に洗いながら萩野は片手を振った。

 変わらない光景。いつもの風景。何気ないやりとりだと言うのに。

 後ろ髪を引かれるように、恐る恐る背を向けて重い足をひきずり歩いた……

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を歩いていると、思わず溜息が漏れ出てしまった。

 

 ……おかしい。

 なにかがおかしい。俺は、どうしちゃったんだろう。

 萩野に肩を埋められる前の記憶が思い出せない。

 そもそも、どうして、あんな話になってしまったのか……なにも覚えていない。

 

 もしかして、俺も思い出しているとか?

 黒生寺も思い出すときに、記憶に混乱していたはずだ。

 

 だけど…………これといった、学園生活の記憶のピースがない。

 

 

 

 

 ……………考えたくない。

 

 

 

 ……ふ、と足を止めると、話し声が聞こえた。

 

「錦織さん、ちょっとだけでもいいから」

「ア、アンタ、朝ドラのヒロイン並にしつこいのよ……!!」

 

 思わず俺は壁際に隠れてしまった。

 天馬と錦織は、ちょうど俺の部屋の扉の前でなにか言い合ってるようだ。

 言い合ってるというより、錦織が一方的に怒ってるようだけど。

 盗み聞きになってしまうが仕方ない……背中を壁にはりつけて聞き耳を立てる。

 

「ど、どいて……これから図書室に行くのよ……」

「私も手伝うよ」

「結構よ……不運の手を借りるほど忙しくもないんだから……」

「それじゃあ、時間は取らせないで話してもいいかな?」

「……っ、め、めんどくさいわね…………三分……だけよ……っ! 三分、待ってやるわ……!」

 

 結局、天馬に折れたのか、錦織はふいと顔を背けた。

 

「錦織さんは、お母さんのことが嫌いなの?」

「嫌い。以上よ……」

「……そうなのかな? 真田さんが処刑されてしまった後……錦織さん、こんなこと言ってたよね。真田さんは自分と同じように……って」

 

 そう言えば……真田が処刑された後、エレベーターに乗る直前に俺も聞いたような気がする。

 

 


 

「デザイナー。アンタは正しかったのよ……だから私も同じように……」

 


 

 

「もしかして、あの言葉は、お母さん思いだった真田さんと自分を重ね合わせていたんじゃないのかな?」

「そ……そんなワケ……あるワケないじゃない……」

「……じゃあ、なにが同じだったの?」

 

 この切り替えしには、さすがの錦織も口籠ってしまったようだ。

 真田と錦織。性格も思考も正反対と言ってもいいだろう。

 

「や、やっぱり、アンタもバカにするつもりね……っ!! 私のことを知ってなんの優越感に浸りたいのかしら……?!」

「私、馬鹿にしてないよ。もし真田さんと境遇が一緒って意味なら、錦織さんも、お母さんに会えずにいた……って意味かなって思って」

「そっ、それが、なんだっていうのよ……!」

「錦織さんが、もし真田さんと重ねていたら、錦織さんもお母さんに会えなくて寂しかったんじゃないか……っていうことなのかなって思って」

「ふざけないでっ!! 冗談じゃないわ……それの……そ、それの……っ!!!」

 

 

 爛々と燃えるように黒い目を光らせていた彼女は。

 

 

 

 

 

 

「それの…………なにが悪いっていうのよ……」

 

 ひたり、とナイフを押しあてられたように、彼女の言葉で時が止まったように思えた。

 銀世界に包まれた早朝のように、周囲が、しん、と静まり返る。

 

 

 

 

「…………そ、そうね……じゃあ、アンタがそこまで言うなら少しだけ話そうかしら…………くだらない、おとぎ話よ……」

 

 沈黙の後、錦織は口を開いて、一瞬だけ俺がいる方向にちらりと目を向けた。

 人がいないかの確認だったか? 

 心臓を抑えて息を潜めたおかげか、幸い気づかれなかったみたいだ。

 

 

 

 

「……昔あるところに声の小さな娘がいたわ……父は先立って、母は一人で娘を育ていた……だけど、ある日、母は仕事のためだからと娘が5歳に上がる前に、彼女を置いて行ったの……その時、娘はみんなに言われたわ……『親に捨てられた』『才能がないから捨てられた』『不憫な子』『可哀想な子』『出来損ないの子』って……そりゃあ、娘は……惨めな気分にも……なったでしょうね……っ!」

 

 ……おとぎ話と前置きされたが、これはどう聞いても。

 現に彼女の語り口調は感情的で、他人事の話には思えなかった。

 

 

「腐川さまの文学だけが、その娘の、心の拠り所だったわ……だ、だけど、周りにはバカにされっぱなし…………あんな恥はこれ以上なかったでしょうね……だから、娘は自分を置いて行って、人並みの人生を歩ませてくれなかった母のことが許せなかった…………

 

 それでも……そのときの少女は浅はかだけど、まだ淡い期待があったみたいね……不器用で、愛想の悪い母親で、「は」の字もなかったけど……」

 

 浅はかな期待。淡々と錦織は語った。

 

 

 

「もう一度、会いたい。会って名前を呼んでほしい。……抱きしめてほしい……そう思っていたのよ」

 

 俺は………そして、天馬も。

 初めて錦織の本音――本心を聞いたのかもしれない。

 

 

「娘は母に会うために、自分を売り込んで、母親が経営する学園に入ったのよ……手に入れた肩書きは嫌だったけど……それでも、入れたらこっちのもの……娘は母に会いに行こうとした。だけど、なかなか面会の許可は得なかったわ……それでも何度も何度もお願いした……………そしたら、会うことはできたわ……中間学期の面談という形式だけどね……

 

 ……………でもね、それだけだった。

 

 ひさしぶりも、会いたかったもない……ただの一人の生徒、『超高校級の司書と学園長の面談』に過ぎなかった。……も、もうなにも言うことがないわね……馬鹿らしいわ……その母親は娘を生んだことすら覚えてなかったのかも…………きっと、それは……」

 

 

 彼女の影は幽霊が集う宵のように渦巻く暗闇に変貌する。

 やがて錦織(むすめ)は、ふ、と柔らかな微笑みを浮かべる。

 

 

「絶望に匹敵する感情だったでしょうね」

 

 絶望――いいや、この言葉を反芻してはいけない。

 耳を澄ませて、錦織の息遣いを細心の注意を払って聞き入る。

 

 

「……そのお母さんも、本当は話したかったんじゃないかな。面談も、きっと娘さんに会うのが緊張しちゃったのかもしれない」

「そ、それでも、娘は何年も学校にいたわよ!? 本当に覚えていたら、もっと……なにかしらの行動は取ってくれてもいいじゃない…………! だから、絶対に忘れてる……その娘の苗字も名前もありふれたものだもの……!」

 

 ……たしかに、天馬の言うことも間違ってないのかもしれない。

 学園長も錦織と向き合うことを怖がっていたのではないか?

 ここまで来ると、引けに引けずに……かといって、まともに顔を会わせることもできなかったのだろう。

 

 

 

 

「そしたら……母は……死んだわ」

 

 

 ……………えっ?

 

 

 

「娘はね、見てしまったの……母親が死んだ映像を……悪いテディベアに見せられたのよ……」

 

 

 ――母親が死んだ映像、悪いテディベア。

 天馬は、なにも尋ねなかった。

 錦織の語る悲嘆に塗れた口許を見つめているようだった。

 

 

「映像の中で母親は謝りながら、助けを求めながら……泣いていたわ……まるで小さな子どものように…………ふ、ふふ……娘は思った以上にショックだったみたいね……でも、同時に思ったのよ。自分が今まで散々求めていたものの結果がこれ? ……ふふふふふ……馬鹿みたいな話でしょう……?」

「死んだ、みたい……その姿は確認していないってこと?」

「へ、へえ……アンタ……こんな話だっていうのに、"その娘"にまだ希望を持たせるつもり……? ……でも、そうね……私も、『みたい』なんて言うぐらいだもの。まだハッピーエンドを望んでいるのかもね…………ふ、ふふ……ハリボテに過ぎないけど……!」

 

 俺の動機の映像も血まみれの家の中が映っただけで、家族の安否までは分からない。

 錦織もその類の映像を見せられたのではないのか。

 それでも、彼女は恐れることはないように不敵に笑っていた。

 

 

「期待して……失望しての繰り返し……あの娘はなんのために母親に会いたがったの? 母親の真意を……真実を集めていたの? 希望を見つけようとしたの? 彼女はどうして、こんな腐った現実を掴まされなければいけないのかしらね……!?」

 

 彼女は母をそれでも信じようとしていた、もう一度、会おうとしていた。

 名前を呼ばれたいと幼い少女のように願った。

 だから、彼女はあの動機の映像が見せられた時。

 

 


 

「……な、んで……」

 

 無の世界から俺を引き離したのは、隣の錦織だった。

 ガタガタと肩だけでなく、歯を鳴らして震えていた。

 しかし、それに気づいた時には。

 

「いっ、いやああああああぁぁぁぁあっっ!!!? ああああああぁぁぁぁぁっ!!??」

 

 我に返った時には、絶叫が響き渡っていた。

 ヘッドフォンを投げ捨て耳を塞ぐ錦織。

 彼女の口から発せられるのは声にもなっていない。

 いや、音にもなっていない、なにかが発せられていた。

 


 

 

 わずかな希望の芽は無残にも潰された。

 そして今、彼女は深い奈落へと足を伸ばそうとしている。

 

 

「私も、その娘の気持ちが痛いほど分かるわ……こんなことになるぐらいなら……母親なんかに会いに行かなければよかった……こんな学園なんかに行かずに、一時の甘い過去だけを吸って地元に引きこもっていたほうがマシだったのかもしれないわね……だ、だって、こんな目にも遭わなかったわけだもの……ふ、ふふ……ふふふ……」

「それは違う。錦織さんのしようとしたことは間違ってなんかない。お母さんに会いたいために真実を探してきたことは、正しいことだから」

「正しい、正しくないの問題じゃないっ!! もう限界よっ!!」

 

 彼女は髪をかきむしりながら叫び、錯乱した獣の如く瞳を剥いた。

 狂気の淵に立たされて、成す術もない少女は自我も捨てようとしていた。

 

「嫌いっ嫌いっ!! 大嫌いっ!! ブスで愛想もない私が!! こ、こんな歳になってまで……ッ! いつまでも母親に縋ろうとするこんな私が……ッ! 世界で一番大嫌いなのよっ!!」

「錦織さん。ダメだよ、自分を追いつめないで」

「う、うるさい、うるさいっ!! 来ないでッッ!!!」

 

 乱雑な拒否で、錦織は平手を天馬の柔和な手の甲に当てる。

 ぱん、と錦織に叩かれた天馬は、足を崩しそうになって……ポケットから、なにかが落ちた。

 それは天馬の崩れかけた足元へと転がり、よろけた足によって影が落とされ――音が、鳴った。

 

 あっ……と天馬が声を漏らして、足を慌ててひっこめる。

 

 

 

「オルゴールが……」

「……えっ…………」

 

 天馬は驚いた顔のまま黙ってしまった。

 錦織も声を漏らして、同じような顔をしていた。

 

 天馬の物を壊すというのは予想していなかったのだろうか。

 それとも微かに音を、不協和音ではあるが、存在を示して鳴ってくれたおかげで……錦織の心に少し隙間が出来たのだろうか。

 俺も固唾を飲みこんだまま、バラバラになってしまったオルゴールを見つめた。

 

 しばらく間が空いたが、最初に動いたのは天馬だった。

 オルゴールの残骸を拾おうとしたが、さっとそれを拾い上げた別の手は……。

 

 

「……錦織さん?」

「っあ………あの……………………ご……ごめっ…………悪かったわ……さすがに大人げなさすぎた…………こ、これ……直すから……」

「え? でも、壊したのは、私だから」

「落とさせたのは私でしょう……っ!? と、とにかく明日には直すから……!」

 

 錦織はふいと天馬に背を向けてしまった。

 壊れたオルゴールは彼女の儚げな両手で握りしめられているようだ。

 

 

「……私……やっぱり最低だわ……」

「錦織さんは悪いことしてないよ」

「し、してるわよ……っ!! アンタが思っている以上に、私は悪いことしてる……っ!!」

 

 思っている以上か……。

 俺のもらった動機を思い出してしまうが慌てて首を振った。

 

「ううん。たとえ錦織さんが悪い人でも、私は信じてるよ」

「な、なにを……信じているのよ……?!」

「錦織さんは優しいってこと」

 

 「優しい?」と錦織は訝しげに鸚鵡返しをした。

 その言葉を言われるのは不慣れなのか、どう反応して良いのか分からないようだった。

 

 

「私のことを不運じゃなくて、人として見てくれたんだよ。錦織さんの感情や物差しは間違っていない。だから、私は、そんな錦織さんが悲しむ顔は見たくないんだ」

 

 天馬は柔らかい口調で、ハッキリと彼女に伝えた。

 ……いつか、錦織が天馬をリーダーとして指名した時も。

 錦織は不運しかいないからという理由ではなく、天馬自身の性格も理解して選んだんだ。

 

 錦織はなにを思ったのだろうか。

 それでも、顔を歪めたまま廊下を擦るように歩きだす。

 

 

 

「だから、お願い。無理しないで。……どんな錦織さんでも、私は錦織さんが好きだから。……生きてほしいんだ」

 

 

 天馬の言葉に、錦織は背中を向けたまま一瞬だけ立ち止まる。

 だが、それは束の間のこと。

 手を頼りなさげにひらひらと振って歩き去って行く。 

 

 彼女は小柄だけど、いつも以上にその背中が小さい。

 守ってあげたいほどに、物悲しい少女の背中だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ。盗み聞きはよくないんじゃないかな」

「うぇっ!?」

 

 思わず裏返った奇声をあげてしまった。

 いつの間にか、彼女は俺のいる壁方向にしっかり目を向けていた……うう……なんだか敵わないな……仕方なく、ひょっこりと天馬の前に現れた。

 

「そ、その。ごめんな……出るに出づらくて……」

「七島くんって、忍者なのかな?」

「いや、そうじゃないけど……」

「なら、正々堂々と会話の輪の中に入ろうね」

 

 相変らず天馬との会話はなんというかシュールというか、テンポが掴めないな。

 

「盗み聞きしておいてなんだけど……天馬ってやっぱりすごいな。人の心知り尽くしている感じで」

「うーん、そうなのかな。むしろ逆で、私は人の心を知らないから話しているんだよ」

「知らないから?」

「だれだって、相手の心は瞬時に理解できないよ」

 

 たしかに、その通りかもしれない。

 だけど、俺の胸には鋭い後ろめたさが掠めてしまった。

 

 

「俺は、自分の心すら分からないよ」

 

 天馬は少しだけ息を吐いたが、柔和な顔色を見せた。

 

 

「私も一緒だよ。自分のことも分かってない」

「でも、俺は天馬と違う。俺は、俺に自信がない」

「どうして?」

「俺は……凡人なんだ。それなのに、たまたま超高校級の書道家になってしまった。そういう人生なんだ」

「どうして、それが自信がないことに繋がるのかな?」

「だって、俺の才能は結局、幸運によって手に入ったものじゃないか」

「ううん、それは違うよ」

 

 きっぱりと言われて、思わず身動ぎそうになった。

 嘘をついていない、素直な言葉だというのに……俺にとっては時々、恐怖も覚えてしまう。

 それがたとえ、純然たる真実だとしても……。

 

「今の七島くんの才能は、七島くんのものだよ」

「だけど」

「私の不運はちょっと怪しいけど」

「それは……」

 

 不運だから言えるのではないだろうか?

 そう思いたかったが、生唾を静かに飲むことでその言葉は止めた。

 

 

「なあ……もしもだけどさ。俺が、もし書道家じゃなかったら、天馬はどうする?」

「書道家じゃなくても、七島くんは七島くんだよ」

「それって、答えになっているのか?」

「なってないかもね」

 

 あっさり認められて拍子抜けしたが、「でもね」と天馬はすぐに言葉を繋いだ。

 

 

 

 

 

 

 

「私が不運じゃなかったら……もっと言えば、私が私じゃなかったら、七島くんはどうなのかな? 私と七島くんは……友達にはなれないのかな」

 

 

 

 …………それは。

 

 

 

「ちがう、そんなことない。不運だろうとなかろうと、俺は天馬と会えてよかったし、一緒にいたいって思ってる」

「…………うん。私も一緒だよ。七島くんが書道家でも、書道家じゃなくても、私は…………七島くんの、大切な友達でいたいから」

 

 友達って言葉がちょっとだけなんだか残念に思えたけど。

 ……い、いや、それは俺の頭が浮ついているだけだ。

 

 それでも、どうしてだろう。

 書道家じゃなくても……その言葉は、嬉しいはずなのに。

 

 どうして泣きたい気持ちになるのだろう。

 ここにきてから、ずっとそうだ。

 彼女に見つめられると恥ずかしくなるほどに嬉しいのに、一緒にいたいと思っているのに。

 同時に、一刻も早く逃げ出したい気持ちも芽生えてしまう。

 

 

 

「……ありがとう。天馬には助けられっぱなしだな」

「ううん、それは私のほうだよ。私も七島くんに助けられているから。……そうだ。やっぱり私からのお礼が笑顔だけじゃちょっとダメな気がするから、なにか私もプレゼントしたいな」

 

 …………え!? その言葉覚えてるのか!?

 

「い、いやいや、いいって! 気持ちだけで嬉しいから!」

「うーん……どうしよう。でも……」

 

 天馬は迷っているように首を傾げる。

 しかし、オルゴールでここまでお返しを考えられてしまうとは……。

 もちろん、オルゴールも良いものではあったけど、もっといいものを渡してもよかったかもしれないという後ろめたい気持ちも過ってしまう。

 

「……考えてみる。だから待ってて」

「あ、ああ。楽しみしているよ」

「だから、七島くんも気をつけて。錦織さんからちょっと聞いたよ、様子がおかしいって」

「……様子?」

「なんだか熱に浮かされたようだったって錦織さん言ってたけど……ちゃんと寝て休んでね」

 

 錦織はそんなことも言ってたのか。

 変なことを言った記憶はないのだけれど……。

 ……なんだか、複雑な思いが浮かんだけど、すぐに胸の奥へとしまいこまれた。

 

 

「それじゃあ、おやすみ。七島くん、いい夢を」

「ああ、天馬もまた明日。いい夢を」

 

 そう言って俺たちは別れて、それぞれの自室へと帰り眠りについた。

 

 

 

 ……たとえ、現実が苦しくて、どうしようもなくても。

 せめて夢ぐらいは幸せでありたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 ささいな偶然で世界は一変する。

 

 

 ヒトを置いてけぼりにしたまま、がらりと音を立てて崩れる。

 たとえ、自分たちが正しいことをしていたとしても。理不尽に塗り替えられていく。

 

 正しいことが、実は間違いだと分かった瞬間。

 それは、今までの事実がなかったことになってしまう。

 

 ドッペルゲンガーを見ると死ぬ。そんな都市伝説を聞いたことがあった。

 それは何故だろうか。

 いまならその理由を明確に言えるだろう。

 

 

 

 今までの自分の世界が覆されるからだ。

 

 

 

 自分がもう一人いる。

 絶対的にありえない事象だから。

 自分は何者なのかという恐怖と疑心暗鬼によって精神が脅かされるからだ。

 

 

 

 

 だから、この世界は崩壊した。

 

 

 

 

 自分という存在証明ができなくなってしまった。なぜか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 目の前に、自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこに、ぼくが、いたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 俺は夢を見なかった。

 

 代わりに、仄かに薄い霧がかかった視界が広がっていた。

 その中で人影が浮かび上がる……いったい誰なんだ?

 呪いの人形のようにこちらを見つめているようだが……その目はなんだ……?

 

 

 

「―――、―――――、―――――」

 

 

 …………なんだって?

 

 咄嗟に飛び起きたが、その影は扉を開けて、すでに走り出しているところだった。

 いったい、どうやって入ったんだ?

 ……いいや、そんなことを考えるのは後だ。

 今は何時だと時計を見るヒマもない。

 

 シーツを放り投げて、靴を履くと俺は駆けだしていた。影は寄宿舎の曲がり角を曲がっていた。

 

 

「待てっ!!」

 

 運動が苦手だと言うのに、滑稽なほど必死に走る。

 どうして、走っているのかすら理由も忘れてしまうほどに。

 

 階段を一段飛ばしで駆け上がり、廊下を次々と抜けていく。

 感情も思考も素っ飛ばしたまま。

 四階から五階へ行く手前の階段で――。

 

 

 

 

 

 

 

 どん、と鼓膜を裂き破裂させる瞬間的な音。

 ぐらりと足が揺れて片膝が床についてしまった。

 

 

「――っ!?」

 

 思わず手も床について埃がついてしまった……いまのはなんだ? なにがあった?

 

 それでも、俺はまた立ち上がって走り出した。

 考えなんていらなかった、「そうだ。オマエは走ればいいんだ。追いかければいいんだ」と誰かが頭の中で囁いていた。

 息を切らせながらも五階に辿り着き、一番の奥の部屋の前で立ちすくむ。

 

 ……たしか、ここは学園長室だ。

 ようやく頭と体が追いついた。

 

 

 

 

 

 ――いいや、追いついてしまったというべきなのだろうか。

 

 

 どうして、扉の向こうには見たくない現実があるという結論しか出ないのだろう。

 きっと、そんなことを結論付けてしまう理由は今までからの経験上の推測からだ。

 

 

 

 

 ああ、嫌だ。

 

 

 

 こんなこと考えたくない。見たくない。

 

 

 

 

 嫌だ。嫌だ。

 

 

 

 

 

「嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ」

 

 

 俺はそれでも、ゆっくりと扉に手を伸ばしていた。

 運命のように、決められたレールを走る車輪のように逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと扉が開いて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開いて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ああ また ウソを  ついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 奇襲か。テロか。

 荒野では聞き飽きた音に叩き起こされた。

 

 シーツを剥がして、すぐさま銃を構えるも誰もいない。

 ……アナウンスすら鳴ってねえじゃねえか。

 安眠妨害にも程があるが……。

 

 時計は6時。随分と乱暴な目覚ましだ。

 校舎で爆発音なんて不吉極まりないが……ベッドから降りてドアを押し開ける。

 

 

「っととっ、くろなまでら!!」

 

 部屋から出るなり出迎えてきたのは、てらと紅葉だった。

 てらは俺と同じで、タンクトップ姿のままだった。

 紅葉はいつもの赤いジャケットを羽織っていない。

 

「たしか爆発の音って、テロ対策でどの部屋にいても分かるのよね?」

 

 そう言いながら、紅葉は眉根を寄せていた

 彼女は俺とてらの顔を確認した後に、軽く辺りを見回す。

 

 

「今いるのは3人だけ? 他のみんなは警戒しているのかしら」

「爆発元を探したほうがいいか……?」

「危険かもしれないけど、もしもケガでもしている人がいたら困るわ…………そうね。私は1階と2階で他の人の安否を確認も兼ねて見て回る。大豊は3階と4階。黒生寺は一番遠くの5階をお願いしてもいい?」

「わかった! まかせるのだ!!」

「調べ終わったら、どこに向かえばいい……?」

「2階から3階の階段で私は待ってるわ。それでいい?」

 

 てらと一緒に俺は力強く頷いた。

 紅葉も鋭くなにかを恐れているような顔立ちで俺たちと顔を見合わせた。

 

 

「なにかあっても自分の命を優先すること。いいわね?」

 

 そう言って、彼女たちは廊下を走り出していた。

 最後の言葉は、ほとんど俺に向けられたものか……死に急ぐ真似はしない。

 俺も廊下を走り、階段を二段飛ばしで駆け抜けて五階へ辿り着く。

 

 爆発音はしたものの場所までは分からない。一部屋ずつ確認するほかはないか。

 音楽室はピアノ以外はなにもない。

 情報処理室も、教室も変わったところはない……急いで真正面に走り、生物実験室に入ろうとしたが、その前の曲がり角。

 

 

 壁際によりかかった人影を見つけた。

 

 

 

「……!! 竜之介っ!?」

 

 

 壁際で果てたように首がだらんともたげている。

 まさか……駆け寄ると目を見開いていたが、瞬きしているのを確認できた。

 

 

 だが……。

 

 

 

 

 

 

「あ、あ……ああぁぁぁ……!! あぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁああぁ……あぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

 

 

 それは母音だけで構成された鳴き声。

 戦場でもよく見かけた、戦に不慣れなヤツが首だけの死体を見た時の反応そっくりだ。

 精神科医が必要かもしれない……なんて考えている場合ではないか。

 

 

「おい……なにがあった……!?」

「え、あぁ……だ、だれ……だ……? お、お前……っ!? だ、だ、れだよ……っ!?」

「あ……? 記憶ブッ飛んだか……?! 黒生寺五郎だ……! 目を覚ませ竜之介……ッ!」

『あれあれ? ボクのことは無視?』

 

 視界には入っていたが、あえて無視はした……が……放っておける存在でもない。

 目を剥いた竜之介を支えながら、クマ公に眼を飛ばす。 

 というか、このクマ、なんで消防服を着てやがる……?

 

「なにがあった……」

『自分で見ればええやん。ボクは消火活動が終わったから失礼するよ。あと、やらなきゃいけないことがあるから、しばらくボクは留守にするからね。うぷぷ……しばらくって便利な言葉!』

 

 そう言って、マナクマは丸い手で部屋を指して走り去る。

 

 学園長室の扉は半開きになっていた。

 出来損ないのオモチャのように震えている竜之介は生きてるとはいえ、今は話せたものじゃない。

 仕方なく壁際に放置して…………拳銃片手に、勢いよく扉を蹴り開けて突入した。

 

 

 

 

 ――惨状。

 

 行きつけの店が襲撃を受けた時のことを思い出す。

 硝煙と水煙が充満した部屋の真ん中には大きな机が鎮座している。

 

 俺を待ち構えるように、黒革の椅子で座っている人間。

 居眠りのように、がっくりと項垂れているのは……。

 

 

 

「……ッ!? 冗談じゃねえぞ……ッ」

 

 

 撃たれたような衝撃に見舞われたが……ようやく足を動かせた。

 焼け焦げた絨毯の上を踏みしめて、ヤツの肩に手を伸ばすも干からびた地面のように硬い。

 首の骨も失っているのか、ぐらん、ぐらんと揺れるだけだっだ。

 

 

 

「……おい……どうしてだ……!?」

 

 こんなことしか言えないとは……。

 しかし、これ以上の言葉が見つからなかった。

 怒鳴り声をあげても、そいつは頭を垂れるだけだった。

 

 

 

 

 

 

「くろなまでら! 爆発の場所わかっ…………へけ?」

 

 

 

 

  

 ピンポンパンポーン……

 

 

 

『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 アナウンスが鳴り響き、背後から声が飛んだ。

 ……てらだった。四階を調べ終わって、俺を呼びに来たのか。

 振り向くと、彼女は酸素を失った魚のようにぱくぱくと口を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

「え……? どうして…………なんでなのだ……なんで……っ、なんでなのっ!?!」

 

 

 

 彼女の叫びは正しかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子に深く座った『超高校級のボクサー』 "萩野健"の命は燃え尽きていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 3階と4階を調べ終わって心配になっちゃった。

 それがいけなかったのかな。

 5階に行って、くろなまでらを見つけたら……

 

 今のアナウンス、なに?

 いやだ。うそだよね。ちがうよね?

 だって、くろなまでらとも仲良くなって、錦織っちとランティーユは最近はちょっと怖いけど……それでも、がんばれば、みんなで出られるって。

 そう信じて、ここまでやってきたのに。

 

 

「や、やだ……萩野っち……? っていうか七島っちも……!?」

「竜之介は気絶しているだけだ。だが、健は…………とにかく2階に戻るぞ……」

「う、うそなのだ……萩野っちが死っ……死んじゃっ……!?」

「今は走れ……話はそれからだ……!」

 

 くろなまでらは七島っちを担いで、あたしを急かした。

 こわい、こわいよ。ねえ、萩野っち、どうして。

 それでも、走り出したくろなまでらに続いて、足にムチを入れて走るしかなかった。

 置き去りにした萩野っちを振り返る勇気はなかった。

 

 

 

 3階まで降りると紅っちが怖がっているような顔で待っていた。

 そんでもって、その隣には。

 

「ランティーユ!! あんた、どこにいたのだ!?」

「そ、その爆発がこわくて……」

「部屋の中にいたわ。でもランティーユ、あなたの行動は間違っていない。危険な状況であることには違いないもの」

 

 なんだかランティーユは疲れたような顔しているのだ。

 やつれている、っていうか、くたびれているっていうか……病気みたいなのだ。

 なんていうか、若々しさが足りないのだ!

 紅っちは、くろなまでらにおんぶされた七島っちを不安げに見ていた。

 

「七島は気絶しているだけでいいのよね? 天馬と萩野、そして錦織は自室のドアをノックしたりインターフォンを慣らしたりしたみたけど反応はないわ」

「1人は俺たちがさっき見つけた……」

「…………だれを……どこで?」

 

 ……そうだ、2人もアナウンスを聞いているんだ。

 

 

 

 

「学園長室だ……健が死んでいた……」

 

 ……やっぱり、萩野っち死んじゃったんだ。

 こうやって言葉に出されると、萩野っちの死が本当のことになるようだった。

 それを聞いて、ランティーユもさーっと顔を真っ青にさせた。

 

「な……っ?! ウソだろ……ムッシュ萩野が……?」

「本当だ……俺と、てらが見た……」

「ちがう! ウソだとは思ってない! けど……けど……っ!! あ、ああぁぁ……なんで……っ!?」

 

 ランティーユはおでこを抑えながら下を向いている。

 紅っちも黙って唇を噛んでいた。

 

「とにかく行きましょう。みんなで確かめに……」

 

 紅っちは苦しそうにゆっくり歩き始めた。

 くろなまでらも目を閉じたまま階段を上っていた。

 でも、ランティーユは、まだ俯いたまま立ち止まっている。

 

「ラ、ランティーユ。あたしたちも行くのだ」

「ウィ……ちょ、ちょっと待ってほしいな……」

「もう! 待てないのだ!」

「待てなくなるのはキスだけにしてね!?」

「そんなこと言える元気があるなら、さっさと歩くのだ!」

 

 まったく、こんな時でもアホなことばっかり!

 ランティーユを置いて走ろうとした……けど、あたしの手が握られた。

 温かい……だけど、その生暖かさにびっくりして震えてしまった。振り向くとそこには。

 

 

 

「えっ、ランティーユ?」

 

 がたがたと肩が震えたランティーユがいた。

 あたしの右手は、ランティーユの手に掴まれていた。

 なにしてるの? いつもだったらお断りするけど……なんだか変なのだ。熱でもあるのかな。

 

 

 

「マ、マドモアゼル……その……手を、つ、つながせてくれ」

「……って!? もう、つないでるじゃん!!」

 

 あたしのツッコミにもランティーユは無言。

 

 ……なんだか、変なのだ。

 いやいや、もちろん変はいつものことなんだけど!

 

 うっとうしいとかいう意味じゃなくて。

 振り払いたかったけど、手を離したら今にも消えちゃいそうで。

 

 

 ……こんなランティーユ、はじめてなのだ。

 

 

 

「……え、えっと。言っておくけど、今日だけだからね!?」

 

 そう言って、元気のないランティーユの手を握る。

 ランティーユを引きずるように、あたしたちは階段をのぼった。

 

 なんだか、ランティーユおかしいのだ。

 もしかして怯えてるの……?

 でも、こわいのはあたしだって、いっしょなのだ。

 

 

 今は、萩野っちのことを確かめないと。

 こんなことになっちゃった理由を見つけなきゃ……!

 

 

 

 

 

 


 

 

 私たちは階段を踏みしめる。

 いつもより険しい顔立ちの黒生寺が真横にあった。

 彼は萩野の死を告げた……正直、まだ信じられない。

 でも、黒生寺はウソは言っていないはず。現に彼が担いでいる人は……。

 

「七島は、第一発見者?」

「おそらくな……その次に俺……てらが発見した時にアナウンスが鳴った……」

 

 容疑者は、天馬や錦織ということになるの?

 そもそも、彼女たちはどこにいったの? 

 

 でも、本当に私たちの中に萩野を殺した人がいるの?

 

 手を取り合って、助け合っているはずだったのに。

 この結束すらウソだとしたら、いったい私たちはなにを信じればいいの?

 

 

 

 

 5階に辿り着いた時、一番最初に目が入ったのは。

 

 

 

「…………? ……なぜだ……閉めたはずだが……」

 

 

 黒生寺は眉間に皺を寄せながら、開けっ放しの音楽室の扉に大股で歩み寄った。

 背負っている七島を支えながら、もう片方の空いた手で扉を閉めようとした…………

 

 

 その手が、止まった。

 

 

 眠たげな目が、瞬く間に見開かれていく。

 彼は、すぐさま勢いよく扉を全開にしていた。

 

 

 

「……黒生寺? どうしたの?」

 

 

 ちょっと、待ってちょうだい。

 あなたは、さっき言ったじゃない。

 

 

 萩野は学園長室で死んだって。

 

 

 悪戯されたメトロノームのように心臓が早く打ち鳴らされ、私も気がつけば黒生寺の後に続いて音楽室の中に踏み入れていた。

 後ろからついてきた大豊たちも、私に続いて音楽室を覗いていたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンポンパンポーン……

 

 

 

『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

 

 

C'est un mensonge(こんなのうそだ)……」

 

 

 

 

 

 

 ステージ上には変わらずグランドピアノが鎮座していた。

 その舞台下には一人の女子生徒が倒れている。

 

 少女はクマを象った覆面を被っていた。

 だけど、奇妙なことに、そのクマは半分は善良なシロクマ、もう半分は黒い体で不気味に笑う……赤い瞳だった。

 それは学園制定の制服を着ていて、体格的には女性だと思われた。

 

 

 

 

 

 その女子生徒の名前は。

 

 

 

 

 

 

 なによりも、今、いない女子生徒って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………天馬っち……? 錦織っち……?  え……!? ね、ねえ、どっちなの? どっちが死んじゃったのだ!?」

 

 

 

 

 

 

 

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