ドラマで『次回、怒涛の展開』って予告を何度も聞いたことがある。
きっと、怒涛ってこういうことを言うのかもしれない。
音楽室でアナウンスが鳴って、あたしたちが動けなくなっていたとき、マナクマはニヤニヤしながらやってきたっけ。
『燃えつきちゃったね! そんでもって、ワケわかんないままに殺されちゃったね!』
……なんて、言っちゃってさ。
むかついたけど、あたしとおんなじで、みんなは黙ったまま。
そんでもって、『冷凍マグロのように薄いリアクションですな』って言われながら、あたしたちは事件のファイルをもらった。
学園長室では萩野っちが死んじゃって……
音楽室では天馬っちか、錦織っちのどっちかが死んじゃって、そのどっちかが行方不明。
紅っちは音楽室で捜査。くろなまでらは気絶して七島っちをおんぶして保健室に連れて行ってくれた。
そして、あたしとランティーユは……。
「ムッシュ萩野……君はここで死ぬ人間じゃなかっただろ……」
学園長室で椅子に座って項垂れた萩野っちに、ランティーユと一緒に手を合わせる。
こんなこと、いままでお墓の前でしかやらなかったのに。
あたしたち、どうしてこんなことになっちゃったの?
おいのりが終わって、ランティーユはマナクマファイルを取り出した。
あたしも慌てて"マナクマファイル"を開いた。
「マナクマファイル1」
被害者:萩野 健(超高校級のボクサー)
場所:学園長室
備考:後頭部には一個の打撃痕
学園長室は本も燃えちゃっていて、カーペットもボロボロなのだ。
萩野っちの体も黒く焼けこげちゃって、腐った卵のような匂いがする。
うう、ここにいたくないのだ……。
萩野っちの腕時計を見ると、"6時"でハリが止まったまま表面が割れていた。
えーと、だから爆発は、この時ってことなのかな?
「ドッカーン!」ってなってたし、そうだよね?
ランティーユはきょろきょろ辺りを見ている。
めずらしく真剣かも? いつもこうだったらいいのに!
萩野っちは後ろに手を回されていて、“手錠"で椅子に繋がれているようなのだ。
「手錠なのだ……」
「ウィ、そうだね……ねえ、マドモアゼル。ぼくに手錠をかける趣味は」
「ばかっ! ないのだっ!」
「だよね! ぼくもエスエムの趣味はないから、基本は言葉責めでお願いするよ!」
「なんの話なのだ!?」
まったく、油断するとすぐこれなのだ!
ランティーユは、萩野っちの後ろに立ってつむじ近くを虫メガネで確認している。
「後頭部もなにかで殴られたようだ……でも、致命傷ではないようだ」
次にランティーユは床に転がった"金色のトロフィー"を拾い上げた。
これも真っ黒に焦げていて薄汚れているのだ。
「血で汚れているから、それで気絶させられて……ってことかな」
萩野っち、殴られてそのまま死んじゃうなんて……。
ボクサーなのに、あんまりすぎるのだ。
「それに、この部屋……おーい、マナクマ!」
ランティーユが声をあげた。なんでマナクマを呼ぶんだろう?
と思ったけど、マナクマは来ない。
……むむう、居留守?
「……あれ? マナクマ! 出番だぞ!」
「やーい! まっくろマナクマでーておーいでー!!」
「そ、それだとツキノワグマになっちゃうんじゃないかい?」
『それを言うなら、まっくろクロクマっていえよな!!』
そうこう言っていると、やっとマナクマが出てきた……おそいのだ!
レストランなら、クレームものなのだ!
『んで、なんの用っすか? ボク、忙しいんだけど?』
「ぼくたちを働かせておいて、なにが忙しいのやら。いま必要な説明は、この部屋の作りだね」
『作り? んーとね……ここの部屋は、"他の部屋に炎が燃え移らないように作られている"んだよ! 防火扉を活かしているのです!』
「つまり"ここで火災が発生しても、他の部屋には燃え移らずに部屋の中だけに炎は留まる"、ってことかい?」
『しょーゆうこと! ソイソースってこと!』
へえ! なんか、よくわかんないけどすごいのだ!
「そーれーとー」とマナクマはのんびりとした声で付け足す。
『さすがに限度はあるからね。"火災発生から一時間経ったらボクが消火活動に来る"システムになっておるのですぞ』
「なるほど? 最初に訪れた時に教えてくれてもいいのに。相変わらず気が利かないな」
『……なにさ。なんなのさ。一般善良クマのボクを悪人にするなんて良い度胸してるね』
ランティーユは片方の眉毛を動かして、やれやれと首をふってる。
おお。なんだか海外ドラマっぽいのだ!
いつも、こういうカンジでいいのに。
ランティーユって変なところでバカになるんだよね。まるで、3の倍数でアホになる人みたいなのだ!
他にも調べてみたけど……本も燃えちゃっているし、もう気になるところはないかも。
よし、他のところも見に行かなきゃ!
「ねーねー、ランティーユー」
「他の部屋に行こうよ」と言おうとしたら、背中から手が伸びてきた。
気がつけば、あたしの体……いや両肩に手が……。
…………へけ? なにこれ?
あれ? あたし……。
ランティーユに抱きしめられてる………?
「ぎゃーっ!? ラ、ラララランティーユ!!? なにすんのだーっ!!??」
なんてことなのだ?!
今まで抱きつこうとはしてたけど、マジで抱きついているのだ!! しかも、がっちりホールディング!?
やだやだ! ついに変態さんの仲間入りしちゃったのだー!?
「マドモアゼル。君は、本物だよね?」
……あれ?
気持ち悪い言葉がくるんだろうと思ってたけど、静かな声で呼びかけられた。
…………こわい。
こわいのに、どうして振り解けないんだろう?
手を握られた時だって、いつもだったら「やめて!」って払ったり、逃げたり……そうしているはずだよね?
手袋をしているはずなのに、ランティーユの手はどうして冷たいの?
「なっ、なに言っているの? まさか、女の子の死体が天馬っちでも錦織っちでもなくて、あたしが死んだとか思ってるの!? そんなわけないのだ! ぜんぜん身長ちがうじゃん!!」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
「え? ……も、もうっ! なんなのだ、さっきから」
今度こそ振り払ってやろうと思ったのに。
抱きしめられた、あたしの体は動かないまま。
「ごめんね、マドモアゼル。………本当に、ごめんなさい」
わけがわからないまま、謝られてしまった。
今にも崩れ落ちて泣き出してしまいそうな子供のような声。
それでも、大人びたような無理した口ぶりで。
ランティーユはあたしを抱きしめていた。
「こんなことはしたくなかったけれど……お願いだ。弱音を吐かせてくれ、マドモアゼル。今だけでいいんだ、少しだけ。
……今は、どうか少しだけ…………」
まさか、一人で捜査することになるとは。
この感情は、はたして緊張といえるのか。
でも、決して一人ではない。黒生寺は、七島を保健室に寝かせてから捜査を始めるみたいで、他のみんなも一通り他の部屋の捜査が終わったら戻ってくると言ってた。
大丈夫。その言葉を信じて。
だから、落ち着かないと……。
私は二つ目のタブレット型の"マナクマファイル"を確認する。
「マナクマファイル2」
被害者:■■ ■■(超高校級の■■)
場所:音楽室
備考:腹部に刺し傷がある
体格から推察して女性……それでも分からないことだらけだ。
マナクマ曰く、「ジェバンニも泡吹いて倒れるぐらいちょっぱやで作ったんだから許してよ!」とのことだけど。
超高校級の不運、天馬陽菜か。
超高校級の司書、錦織詩音か。
やっぱり、調査しないことには分からないわね。
彼女が着ているのは"希望ヶ峰学園の制服"だった。
腹部には血が滲んでいる。現に彼女の服をめくると、ファイルの通り"深い刺し傷"が刻まれている。
それにしても、どうして、こんな服を着ているの?
そもそも、このマスクはマナクマじゃなくて、"モノクマ"よね? ……どうして?
考えるだけで頭が痛くなりそうだけど、一旦まずは深呼吸。
手を合わせてから彼女のマスクに指を伸ばした。
顔を確認すれば分かるはず。
そうして、ゆっくりと剥がしていく………。
「……っ!!?」
嗚咽、嘔吐がこみあげるが、グッ、と堪えた。
この遺体、髪がない。
髪が切られて……いいや、剃られている?
カミソリかなにかで?
それに、なによりも。
グロテスクな花畑のような一面の赤紫色の痣。
目も鼻も口も判別ができないほどの瘤で膨れ上がっていて………。
「な……なに……これ……なんなの……!?」
……冗談じゃないわ。
顔を殴って、髪まで切るなんて、正体不明の遺体にさせるのが犯人の目的?
それだとしても、それを抜きにしても……最低だ。
体だけでなく、その人の『存在』や『名前』や『アイデンティティ』を潰して汚している。
「…………こんなの許さない。絶対に、許すべきではない」
私だって殺意がまったくない人間ではない。
現に井伏を殺そうとして手を出したのは事実。突き飛ばした感触は今も残り続けている。
こんな私が怒っても、説得力はないかもしれない。
だけど……それでも、こんな所業は……!!
「……っ、ダメだわ。落ち着いて……落ち着かないと……」
悔しいけど、一旦、冷静にならないと捜査ができない。
彼女の無念も晴らせないわ……!
ふと見ると彼女の顔が"濡れていた"……涙かと思ったけど、違うようだ。マスクも少しだけではあるけど、中が湿っていた。
グランドピアノも確認したが、傷や血痕、動かした痕跡もないようだ。
次に、一応、コントラバスのケースを確認しようとしたけど……ここも特には……
「……あら?」
コントラバスは収納されていたが、底には"少量の水が溜まっていた"。
それにコントラバスに添うように置かれている、"この黒い筒"。
最近見たばかり……たしか"動機"に使われた筒よね?
金文字の名前は削られているけど、まずは手に取って、開けてみる。
その筒の中からは、太めの"木の破片"が出てきた。
元々長いものだったみたいだけど、それを折りまげたのが痕跡からして推測できる。
「これは……カツオぶし? いや、違うわよね」
どうしてこんなものが入っているのか分からないけど……これも濡れている?
空っぽよりはマシだけど……でも、動機の記事が抜き取られているのは何故?
もう一度、正体不明の遺体をちらりと一瞥する。
天馬、錦織……お願いだから、無事でいて。
気絶した竜之介は保健室のベッドに寝かせた。
一人にするのは難だが、誰かが欠けていると捜査に支障が出る。
またパニックに陥らなければいいが……
健と、陽菜か詩音のどちらかが死んで、どちらかが行方不明……
まさか、いないヤツまで死んでいるなんてことはないよな?
同一のクロが殺せるのは二人までだから、それはないと信じたいが……。
改めて現場の同階の生物実験室で変わったところがないか確認してみる。
棺を開けていくと……大きなバスタオルが被せられた死体が入っていた。
前に見た時は、こんなモンはなかったはずだ。
バスタオルを全部剥がしてみると栗色の髪に薄い唇……
声が大きくて、凛々しい立ち姿の……そうだ、“四月一日卯月”だ。
身に着けているのは肌着だけだったから、パッと見ですぐに判別できなかった。
だが、ここに入っている死体は全員"死んだときの状態"だったはずだ……
現に、彼女の腹部には穴が空いている。
冷凍しているとは言えども、さすがに膿ができつつあるな……
他の死体は気になるところはないか……?
次に開いた棺にはヒールの高い女……これはタヌキとしょっちゅうケンカしていたアイツか……
焦げているせいで原型をとどめていない……が、よく見ると、溶けた半透明のケースがあった。
これは"工具セット"か……?
タヌキからもらったのを、そのまま自分で持っていやがったのか。使い物にはならさそうだが……
棺を確認してから辺りを見回すと、部屋の片隅に"大きい冷蔵庫"らしいものを見つけた。
形、大きさはほとんど厨房にあるものと一緒……というか瓜二つだ。
……確認してみるか?
「おい、クマ公ッ!」
声を張り上げて呼び出してみるも来ない。
……黙秘を使う気か?
「クソクマ……リラックスでもしてやがんのか……」
まあいい、面倒だが後で厨房の冷蔵庫と確認しよう……。
鋼の取っ手を握って勢いよく開ける。
「……氷……?」
霊安室だからか? 氷の欠片が入った袋がところ狭しと詰められている。
扉の内側にはヘタクソな字で書かれた紙が貼られていた。
ご自由に、非常食にしてください。
※なお、この冷凍庫は核シェルターと同等の硬度で作られています!
盗賊や爆弾魔が来ても大事なものを守れるぞ!
氷を非常食にするのは無謀だ。
それに核シェルターだの抜かしているが冷凍庫に隠れるのは不可能……空気も薄いだろう。
意味が分からないことばかり凝りやがって……。
叩くように、ばん、と扉を閉める。
『リラックスしてませーん! ボクはOLに居候するぐーたらなクマじゃないよ!』
「……っ!!」
背後の気配にすぐさま拳銃を構える。
いつの間にか現れた黒と白のクマの額に銃口を定めた。
当然、発砲はしないが、威嚇はどんな時でも必要だ。
「遅ぇぞ……」
『あのね、ボクはキミなんかと違ってひっぱりダコなんだから! クマだけどね!』
「質問に答えろ……この"冷蔵庫"は厨房のモンと同じか……?」
尋ねるも、クマは本物のぬいぐるみのように黙りこむ。
こいつ……出てきておいて、だんまりとは……
これなら現れないほうがまだイラつく必要がない分、何倍もマシだ。
「おい……答えねえなら失せろ……」
『……はいはい、そうですー"同じ"でーす! そんな感じでーす!!』
生ぬるい返事をしたかと思えば、ネズミの如くちょこまかと逃げやがった。
一応は認めたと言うことだから証拠にはなるか……。
……さて、これからどうする?
そろそろ現場に合流したほうがいいか……? この人数で捜査するのは厳しい……。
しかし、竜之介の、様子を見に行った方がいいのか。
ヤツにしてみれば珍しく取り乱していた……一人にしておくのは得策ではない。
それに、陽菜と詩音の行方も気がかりだが……。
「…………いいや、悩むのは性に合わん……」
……決めた。
まずは音楽室に行ってからだ。それから竜之介の様子は見に行こう。
誰が死んだのか、白黒つけねえとな……。
ぼくたちは無言のまま学園長室から出た。
鑑定士として、紳士としてよくない行動を取ってしまった。
だけど彼女の前で感情にウソをつくのも、ぼくらしくない気がしてしまった。
ぼくも、このコロシアイ学園生活に悪い意味で従順してしまったのだろうか。
だけど、嘆いているヒマはない。
もう昔のぼくじゃない。部屋に籠っていた頃のぼくではいられないんだ。
姿勢を正してマドモアゼルと一緒に歩き出した。
音楽室に辿り着くなり、遺体のマスクが外された顔を見てしまった。
喉、いや、胃酸が沸騰したのかと錯覚するほどの胃液が込み上げてきた。
こみ上げるものと同時に、ぼくは膝を床に落としてしまった。
マドモアゼルも「ひっ……!」と強い恐怖の息を漏らす。
「マダム紅……っあ、あやうく、お見苦しいところを見せちゃうところだったね……」
「いいのよ……無理もないわ……」
「ひっ、ぅぅううぅぅぅ……!! っなんで、なんでなのだ……こ、こんなこと……っ!!」
「ま、マドモアゼル……大丈夫。大丈夫だから。ぼくがいるよ……っ」
嗚咽を抑えようとしているマドモアゼルの肩を撫でた。
……ごめんね、マドモアゼル。さっきから、君をずっと苦しませてしまっている。
「…………なッ……?! どうなってやがんだ……!?」
次にやって来たムッシュ黒生寺だった。
彼もぼくたちを見て、そして、例の遺体を見て三白眼の目を大きくさせて困惑していた。
修羅のような世界で生き抜いた彼でも、不快な感情が押し寄せたのだろう。
ムッシュ七島……そして、マダム天馬かマダム錦織はいない。
そして、彼女たちのどちらかは死んでいるという事実。
「ええっと……この人は、だれだったかわかったかい……?」
「ごめんなさい……私にしてみれば、天馬も錦織も同じような背丈だったから」
ムッシュ黒生寺も無言で頷いた。
たしかに身長の高いマダム紅や、ムッシュ黒生寺にとっては小柄な存在だよね。
マドモアゼルにとっても、どちらも背が高い存在だ。
だけど、一つのある考えがぼくには閃いた……ぼくだからこそ、といえるだろう。
「ぼくとマダム錦織は156cm……マダム天馬は164cm……って、電子生徒手帳にはあったはずだよ」
「…………おい。まさか、貴様……」
ムッシュ黒生寺が咎めるように、それでいてぼくの正気を確かめるような目つきで睨んだ。
たしかに、ぼくは気が触れかかっているかもしれない。
それでもまだ正気だ……そう、そのつもりだ。
「ぼくが横に並んでみれば、わかるかもしれないよ」
ぼくの言葉を聞いて、マドモアゼルたちも息を飲んだ。
彼女の身長がぼくより大きければ、マダム天馬……同じであれば、マダム錦織だ。
知りたいと思う気持ちと、恐怖の気持ちが多いのか……みんな黙りこくったままだった。
「
三人の視線が注がれる中、ゆっくりと足を合わせて、彼女の隣に仰向けで寝そべった。
真実を知りたいのはみんなも同じだったのだろうか。
だれも咎めることなく、ぼくたちの背を無の表情で見比べていた。
そして、ぼくも、物言わぬ隣人を眺めた。
「……そう、だったか」
痣だらけで顔が分からないけど、ぼくには分かる。
「や、やっぱり、いやなのだ……こんなの、こんなのって……!!」
君はいつも、ぼくの目を避けていた。
でも、今日になってやっとアイコンタクトを取れたね。
「――マダム錦織」
『超高校級の司書』 "錦織詩音"と目を合わせた。
ぼくと同じ背格好だと言うのに、やっと合わせられた目が空虚だなんて。
体を起こしてマナクマファイルを改めて確認してみた。
やっぱり、案の定というべきだったか。
「マナクマファイル2」
被害者:錦織 詩音(超高校級の司書)
場所:音楽室
備考:腹部に刺し傷がある
更新されたファイルの内容に肩を落とす。
やっぱり、マダム錦織だったんだね。
…………やっぱり、なんて言葉はおかしいか。
ぼくは、彼女が死んだことは知らなかったはずだ。
そう、彼女が死んだことは…………。
「最初から分かってるなら書けばいいものを……おちょくりやがって……」
「ウィ、まったくだ……ねえ、マダム紅。他に気になったことはあるかい?」
「ええと、そうね。コントラバス用の楽器ケースかしら。水が溜まっていたの」
ぼくも確認するために、大きなコントラバスケースを開けてみる。
中にはきちんと楽器のコントラバスが納まっていた。
「……ん? …………いや、それは違うか……?」
ムッシュ黒生寺が独り言のように呟いたけど、なんだったんだろう。
たしかにマダム紅の言う通り、水がコントラバスケースの底に広がっていたけど……おや?
「これは……」
コントラバスケース付近になにかが落ちていた。
一瞬、微細なゴミに見えて見逃しかけたけど……微かに光っていたから発見できた。ぼくは慎重にそれを掬い上げる。
これはなにかキラキラしたものが付着した……。
「"髪の毛"? なんだかキラキラしているけど、これは……薄い金箔がついているのかな……?」
「かみのけ……あっ、あっ! こ、この髪もやっぱり……っ!?」
マドモアゼルが大きな声を上げたと同時に鳴った扉の音に、ぼくたちは一斉に振り返った。
視線の先から歩み寄ってきたのは二人の影。
「……!! 七島っ! それに、あなた……っ!!」
青褪めたムッシュ七島の隣で佇んでいるのは……。
「……錦織さん…………」
マダム天馬が、倒れ伏したマダム錦織に向けてぽつりと呟いていた。
萩野が死んだ。
俺が扉を開けると、炎の中で椅子に座って眠っていた。
サイレンが聞こえたと共に鎮火されるや否や、俺は彼に駆け寄った。
なあ、萩野、と呼び掛けても。
『よう、七島。どうしたよ、そんなシケた顔して』
……なんて。返って来ることは。
――――そんなことは、二度と訪れなかった。
俺は一人、闇の中で揺蕩っていた。
生暖かい沼で泳いでいるようだ。みんなが眉間に皺を寄せる行為だったとしても、俺にとっては心地よいものだった。
"七転八倒。辛労辛苦に見舞われるのがまた人生とはよく言ったものですね。……ま。私が考えた言葉ですけれど"
それはその通りかもしれない、苦労という香料がないと人間はダメになるとはよく言ったもので……。
って……あ、あれ?
なにか、声が聞こえたけど……?
寝転がったまま、右隣を見ると背の高い影が隣に立っていた。
"やあ、ごきげんよう。超高校級の書道家。七島竜之介くん"
……お前はだれだ?
尋ねてみたかったが、喉が詰まって声が出ない。
立ち姿のシルエットは浮かび上がっているが、顔までは見えない。
声すらもぼんやりしていて、男か女かも判別ができない。
"もしかして、私のことを覚えておいででない? それは残念無念。なにせ私たちは、一回しかお会いしてませんからね…………それでも一期一会は大事にすべきでしょう。そう思いませんか?"
一方的に語りかける影は小難しい言葉ばかり使ってくる。
なんなのだろう、こいつは。
どうして、俺はこの人の言葉を静かに聞き入っているんだ。
"さてさて自己紹介のターンに参りましょう。名前は“早刃宮ジャンヌ”と申します。ええ。そう、“超高校級の罪人”の。これからは千秋万古、お見知りおきを"
……は? いま、なんて?
早刃宮、ジャンヌだって?
"ちなみに、不要な情報でありましょうが、あなたを学園長室に導いたのも、この私めでして。どうぞ初志貫徹、ご周知を"
……いったい、どういうことだ?
お前は何者だ? どうして、いきなり俺の元に姿を現したんだ?
まさか、お前が萩野を殺したのか?
"お前が萩野健くんを殺したのか……とでも言いたいのでしょうか? しかし、彼を殺した犯人が知りたいというのであれば、それは噴飯ものですな。……あなたは、すでにご存知でしょうに"
ご存知? なにを言っているんだ。
俺はなにも知らない、知るわけがない。
"簡単明瞭に、私が今言えることは三つ。■■は、嘘をついた"
"すべては■■のため。■■は■■を■って――"
なんだって、誰のため?
突然、ノイズが入ったように音声が途切れてしまう。
何度も問いかけようとしても、それは脳内に反響するだけで答えは返ってこない。
"だから■■■は……■■してはいけない―――――を……見つけ………………"
"……―――――。"
「……え?」
頭を突かれたような瞬間、ようやく発することができたのは間抜けな感嘆符。
その瞬間、影は陽炎のようにゆらめいて消えかかっていく。
おい。待ってくれ、まだなにも…………
手を急いで伸ばすも届かず。
俺の手は、宙に伸ばしたまま静止した。
俺の人生と同じ、藁に縋るような情けない手だけが残された。
「…………七島くん」
耳元で呼び掛けられて、くすぐったさに再び目が覚めてしまった。
目が、覚めた……ってどういうことだ?
俺は寝ていたのか?
寝転がったまま右隣を見ると、そこには天馬が椅子に座っていた。
保健室……なのか? 俺の苦手なアルコール薬品の匂いがつんと鼻を突き刺した。
「あ、あれ、天馬……さっきの、早刃宮…………罪人は……?」
「……? 七島くん、どういうこと?」
「い、いや、俺が寝ていて横になっている時に……早刃宮……を名乗るヤツが隣に立っていて……というか天馬も、どうしてここに……」
「早刃宮……? ええと、私も色々あったから…………アナウンスが鳴ったのは聞いた?」
「ああ……たしかに鳴っ、…………っ!!」
すぐさま飛び起きようとするが天馬が視線で俺を止めた。
思わず怯んでしまい、唇を噛むことしかできなくなった。
「七島くん、まずは落ち着こう」
「ダメだ、こんなことをしている場合じゃない。萩野が……萩野が……っ!」
「萩野くんは殺された。七島くんが行っても……萩野くんは生き返らないよ」
淡々とした事実。
染み一つない、雑菌もないシーツを握る手のひら、指先が凍りつく。ありとあらゆる細胞が死んだように動けなくなっていた。
「萩野が死んだこと以上の苦しみなんてあるものか」
「知ってるよ……萩野くんのこと、大切だったんだよね。だからこそ、殺された彼のために捜査しよう」
「そんなことしてどうするんだよ」
そう言うと、天馬は固唾を飲んだようだった……けど、なにも言わなかった。
「どうして」も「なんでそんなことを」とは聞かれなかった。
それでも、なぜか俺は理由を言わなければいけないと、すぐさま口を開く。
「萩野が死んだんだ。これ以上、どうすればいいんだよ。萩野が生き返るわけじゃないなら……もう、なにもできないよ」
「みんなが死んでもいいの?」
「そうは言ってない。だけど、俺は生きてどうなるんだ。萩野もいないのに」
「……どうして? 七島くんの人生は萩野くんのものじゃないのに」
「どうしてって!? 萩野がっ! やっと! 俺の目を見て、親友になってくれたのに!! 俺だけ生きていてなんになるんだよ!?」
彼女はここになって、初めて目を見開いた。
だけど、これは、天馬への怒りじゃない。
口から飛び出た棘の言葉は、自分への言い聞かせであり自傷だった。
逃げるようにシーツを手繰り寄せながら、俺の歯が無意識にかち、かちと鳴らされる。
「俺の人生の半分は萩野そのものなんだ……萩野がいたからこそ俺は生きられていた……なのに俺は萩野に……なにも、返せてないのに……それなのに……生きろっていうのか?」
「そうだよ。七島くんは生きなきゃいけないんだ」
「嫌だ」
「ううん。七島くんは生きるんだよ」
「……いいや、嫌なんだ。もういい、俺はこのまま死んでもいい。萩野がいなければ俺に生きる価値なんて」
「七島くん」
彼女が手を伸ばしてきた。
ついに、殴られるか……そう咄嗟になぜか思ってしまったが、天馬は……。
「自分の気持ちに素直になって」
思わずシーツを握りしめていた手を放してしまった。
俺の頬を彼女の柔らかな指先が撫でている。
真新しい木綿のような気持ちよさ。それでいて、ひんやりとした手のひらに肩が震えた。
天馬が俺を、見つめていた。
俺も、天馬を見つめていた。
「……本当に、それが七島くんの求める真実なの?」
……わからない。俺はなにを求めているのだろう?
俺は問い返したかった。だけど唇は黙したまま。
それでも、時間と手から伝わるひんやりとした指先。
天馬の淋しそうな瞳だけが、ささくれた心の深い傷を少しずつ癒やしてくれた。
それ以上はなにも言わずに、ゆっくりと彼女は丸椅子から立ち上がった。
なにかを抱えているようだったが、あれは、タブレットと洋服だろうか……?
「……七島くん、ゆっくりでいいから。萩野くんと錦織さんのために……行かないと」
「………あ、ああ…………。あれ? 待って、今、なんて」
……聞かないほうがいいのかもしれないけど、それでも。
「お前……いま、錦織のためにって言わなかったか?」
俺は疑問の輪郭をハッキリさせる。
天馬はふと目を細ませたが、俺にも聞こえるように、ハッキリとその真実を言った。
「……そうだよ。錦織さんも。………もう、この世にいないんだ」
「無事だったのか……竜之介……陽菜も……」
黒生寺は少しだけ安堵した様子を浮かべたが、この状況のせいかすぐに顔を強張らせた。
ちらりと見たのは……床に倒れて動かない女子生徒。
希望ヶ峰学園の制服を着た小柄な少女……。
ひどいありさま、というべきなのか。
錦織の遺体は見るに堪えない物だった……いや、そんなことを思ってはダメだ。
彼女に残虐な死をもたらした犯人がいるのだから……
「天馬。疑うつもりじゃないけど……あなたは……」
「……うん、疑われても仕方ないよね。……実は、ずっと2階のロッカーに閉じ込められてたんだ」
「閉じこめられてたって……?」
ランティーユが目を真ん丸にさせる。
彼の顔色がいつもに増して悪いのは気のせいだろうか。
「朝の5時ごろにインターフォンが鳴って、外に出ると、床にオルゴールがあったんだ」
「へけ? オルゴール?」
「七島くんからもらったオルゴールなんだけど……昨日、うっかり壊しちゃって、錦織さんに直してもらうことになったんだ」
「そのオルゴールが、何故、床に置いてあった……?」
「その時は、錦織さんが直してくれたんだって思ったんだ。"接着剤でくっつけた痕"があったから……でも、手に取った瞬間、私は突然、だれかに襲われて意識を失ってしまった」
襲われて気絶……なんとも不運らしい出来事なのかもしれないが……。
下手をすれば萩野、錦織に続いて危うく天馬まで……いや、そんな不吉なことは考えるものじゃない。
「それで気がついたらロッカーの中だったんだ……信じられないかな?」
「……なんだかその話、他人事に思えないのよね」
「で、でも、紅っちのパターンは脅されたからだよ! 紅っちのせいじゃないから!」
そう言えば、彼女も第二の事件の時にそんなことをしていたよな……
「襲った人はたぶん私のポケットから取り出して、ロッカーに鍵をかけたみたい。7時半にやっと解放されたんだ。でも、その時に犯人は逃げてて……ロッカーから出た後にあったのは私の電子生徒手帳だけだったから」
「7時半……というと、俺たちが捜査をしている時か……?」
「……そういう細かい話は裁判で話そう。長くなりそうだからね」
ランティーユは溜息混じりの疲れた口ぶりで言った。
確かにその通りかもしれない……裁判で情報を擦り合わせたほうがまとめやすいだろう。
「それとね……気絶した時、ロッカーに錦織さんの服も入れられたんだ。そのポケットにメモ帳があって……これなんだけど」
そう言って、天馬は抱えていた布から小さなメモ帳を取り出した。
……そうか、これは錦織の衣服だったのか。
錦織のセーラー服は真っ黒なので染み一つなかった。
俺も白Yシャツじゃなくて、真っ黒い服を着ていれば汚れも分からないよな……
オルゴールを直す 要・ドライバー ⇒ 誰かに借りる
深夜一時半 学園長室
走り書きの文字のようだが…………これは、どういうことだろう……?
どうやら他の4人は遺体周辺の捜査を続けるみたいだが……俺も萩野の元に行くべきなのだろうか?
……いや、そうしたところで萩野は帰ってこない。
それに、また取り乱してしまうかもしれない。
それよりも、俺は……。
「……なあ、天馬。踏ん切りをつけるためにも……萩野の部屋に行ってもいいか?」
天馬は俺の提案に静かに頷いてくれた。
幸いにも鍵は開いていたので、萩野の部屋に足を踏み入れることができた。
部屋には使われた形跡のあるトレーニング器具が置かれていた。
華々しい功績を示すようなトロフィーや賞状、チャンピオンベルトが壁に掲げられている。
多くの物が置かれているが、きちんと整頓されていて彼のきめ細やかさがよく表れた部屋だった。
ここで、萩野は生活をしていた。さっきまで、昨日まで。寝ていて、動いていて、笑っていて……。
喉の奥からこみあげるものを抑えるために、ゆっくりと唾を飲み込む。
やるせない気持ちに包まれながら、スポーツ雑誌が置かれた机の上を見ると一枚の紙切れがあった。
それには、ここの生活では非常に見覚えのあるインクの文字が書かれていた。
しんや いちじ はん がくえんちょう しつ へ
「……っ!? こ、これって……」
「……タイプライターで書かれた文字だよね」
まさか、萩野は、この紙に書かれたとおりに向かったのか?
でも、俺にはどうして教えてくれなかったんだ。こんな大事なことを……!?
知りたい思いが先回り、すぐに机の引き出しを開けるが、なにもなかった。
……なにもない?
「……工具セットがない?」
「もしかして、黒生寺くんに貸しちゃったままなのかもね」
「貴様らは下がっていろ……それと工具セットを持って来い……」
「お、おう、わかった」
萩野は持ち前のフットワークで駆け出した。
・ ・ ・ ・ ・
「そーいうのは、俺らにも先に言っとけよな!?」
ツッコミを入れながら、帰ってきた萩野が黒生寺に工具セットを差し出す。
……そう言えば、そんなこともあったっけ。
マナクマが動かなくなった時に、彼は黒生寺に工具セットを貸してたんだ。
それにしても、なんでマナクマは、あんなところで倒れていたんだろう?
今にして思えば、第四の事件の後からマナクマはおかしな動きばかりだな。
体育館で動かなかったのもそうだが、突然の復活に、個別で動機の渡すとか……元々が変だったし、なにを仕出かすか分からないところが腹が立つけど……。
「……ねえ、七島くん。こんな時に変かもしれないけど……1つ、お願いを聞いてもらってもいい?」
ふと、声をかけられて、どきりと心臓が跳ねた。
いつも静かだが明瞭な声だったのに、この時の天馬の声は掠れたように細いものに聞こえた。
「あのね。ちょっとだけ肩を貸してもらいたいんだ」
「え? あ、ああ……いいけど」
不思議なお願いだったが、戸惑いながらも了承した。
そう言うと天馬は、俺の背中側から肩に頭を埋めてきた。
なかなか乱暴な借り方だな……。
…………あれ?
「……てん、ま……?」
なかなか、その頭が肩から離れなかった。
だけど、その理由はすぐさま理解できた。
彼女の目が、俺の肩に体温として伝わってくる。
彼女の悲しみの熱が肩に火照りをもたらす。
背中に彼女の心細そうな手がひたりと触れてきた。
…………そうか、彼女も。
俺は黙ったまま、息をゆっくりと吸い込む。
部屋の主が消えた、ひんやりとした亡骸の空気だ。
やがて、天馬の頭が肩から離れた……目元は赤かったが、俺は触れないことにした。
「……ごめんね、七島くん……Yシャツ、汚れちゃった」
「いや、いいんだよ。そのぐらい……ありがとう」
「どうして、七島くんが感謝するの? お礼を言うのは私のほうなのに」
「俺も……やっと泣けた気がしたから」
「そう、なんだ。それなら……よかった、のかな」
くす、と天馬は微笑してその後、また少し悲しげに細かい睫毛を揺らした。
錦織が亡くなって、彼女も大きな悲しみを抱えているんだ。
目に見えてないだけで、きっと。
「なあ、天馬。感情にウソを吐いちゃダメだぞ。……って、俺が言えたことじゃないけど」
「うん……そうだったね。やっぱり忘れがちだね」
……天馬に触れたい。
ふと風に溶けてしまいそうな髪が揺れていた。
彼女をどうすれば、引き止められるか……なんて考えてしまうほどに、それは儚げな姿だった。
ピンポンパンポーン……。
『ラブワゴンの中でじれったいことするドキュメンタリーじゃないんだからね! スリルショックサスペンスでおなじみの論破なんだからね! と言うわけで、赤い扉の前まで集合すること! いいね!』
忌々しいマナクマのアナウンスが鳴り響いた。
天馬が俺の顔を見てゆっくりと頷いた。
彼女の多大な悲しみは、決意に変わっていた。
「長居はしていられないね。行こう、七島くん」
天馬は先に萩野の部屋を出た……俺も行かないと。
もちろん名残惜しいけど、いつまでも後ろ髪を引かれ続けてもいけない。
……萩野。お前のために必ず真実を見つけてみせるよ。
ドアノブに手をかけると…………。
――背後から“影のような手”が伸びてきた。
「――――、――――――。――」
「――、―――――――――」
「…………あら、天馬は? 一緒じゃないの?」
赤い扉を開けるなり、すでに到着していた紅に不安げに尋ねられる。
壁際に寄りかかった黒生寺。大きく深呼吸をしている大豊。考え込んでいるようなランティーユも一斉に俺を見た。
たしかに、俺はエレベーター前に辿り着いたが天馬の姿はない。
…………あれ?
天馬は先に萩野の部屋から出たはずなんだけど……
「っはぁ……七島くんって足早いんだね。びっくりしちゃった……」
背後から声をかけられ、振り向くと天馬が息を切らせながら歩み寄ってきた。
……どうして、天馬が俺よりも後に来ているんだ?
俺の顔を見るなり、天馬は困ったように見上げてきた。
それでもそれは一瞬で、天馬は息を整えながら、すでに集まっているみんなに向き直った。
「……あの、だれか、錦織さんの部屋に行った人はいる?」
「あっ! あたしが行ったよ!」
「なにか気になるモンはあったか……」
「うーん……本がいっぱいだったけど、それ以外は、なんもなかったのだ」
「そう…………。いえ、ちょっと待ってちょうだい。錦織の部屋に"動機の紙"はなかったの?」
「へけ? ……あーっ!! そういえば、なかったのだ!! なんで?!」
「知らん……」
黒生寺はぶっきらぼうに吐き捨てたが……。
たしか、みんながそれぞれ貰った動機はこういう内容だったよな。
* * * * * * * *
七島:錦織春路の娘
萩野:アルターエノシマ撲滅成功
天馬:カリモノ
紅:観測者グループ
黒生寺:Noah's miniature garden(NMG計画)
大豊:超高校級の罪人・早刃宮ジャンヌ
ランティーユ:望みの母胎
* * * * * * * *
ランティーユの分は、萩野が見せてくれたんだよな。
結局、錦織の情報は分からなかったな。
大豊も彼女の動機は見当たらなかったって言っていたけど……。
でも、直前まで自暴自棄だったとはいえ、あの錦織が情報を捨てるとは思えないんだよな……。
「あっ……あと、もう一つ。萩野くんの工具セットは、黒生寺くんが預かっているの?」
「あ……? ああ……言われてみれば、あのまま借りっぱなしだったか……」
「工具セットか……ぼくも2つ持っているよ」
「えっ? あなたまで、どうして?」
紅の疑問にランティーユは伏し目がちに頭を掻いた。
言ってしまったと悔やむような顔に見えたのは気のせいだろうか。
「辺見がなにかしないようにさ……アイツの鍵を持ってた時に、部屋の工具セットだけこっそり抜き取っていたんだ。だから、2つ持ってて……先に言うべきだったね」
ランティーユはそう言って黙ったままだった。
ふと、大豊がちらちらと気にしているように彼を何度か見ていた。
……なにかあったのだろうか?
それでも、尋ねたところで彼は答えてくれなさそうな気がした。
『セレブレーション! 裁判5回目だよ!!』
そんな中、マナクマは場違いなほど、陽気なビックリ箱のように飛び出してきた。
似合わない黒のタキシードまで着ている。
こいつにとっての人の死は、生きたままの魚を躊躇いもなく熱湯の鍋に入れるのと同じ。
だけど、それは自分の腹を満たすためではない。
魚が踠き苦しむのが楽しいからという身勝手でフザけた愉悦に過ぎないんだろう。
『うぷぷ……ま、御託はもういいよね? オマエラ、さっさとゴンドラに乗ろうじゃないか。今日が二度と戻ってこないように、この絶望の裁判もこれで一回きりなんだからさ……』
マナクマが舌なめずりするように、俺たちをエレベーターのかごへと促した。
最初の裁判から、足音も人数も減っていて全員が乗るのに時間はかからなかった。
巨大なエレベーターの中も空白の隙間が目立つ。
隣には天馬が立っていて、ゆっくりと俺を見上げてきた。
「七島くん、覚悟はできた?」
「あ、ああ……」
俺の頷きに対して、天馬は小首を傾げる。
言葉の詰まりを見透かしたのか、天馬は岩の上に立たずむ気高い鷹の如く目つきを鋭くさせた。
「今回の裁判、私は今まで以上に本気で戦うよ。もちろん真実のために協力はする。だけど、もしも意見の対立があったり、相容れないことがあったら、私は………もしかしたら……」
天馬は一瞬だけ目を閉じたが、すぐさま俺を見上げて口を開く。
「七島くんとも戦うかもしれない」
…………え?
「生意気だったかな。でも、今回は……ううん、今回も引くことはできないから」
天馬は俺にそう言った。
だけど、その言葉は彼女が自分自身に言い聞かせるような口ぶりでもあった。
「……だから、七島くんも。萩野くん、錦織さん。そして七島くん自身のために。絶対に、今回の裁判も生き抜こう。……約束してね」
「……あっ……ああ……」
曖昧に頷くとエレベーターのドアは重々しい音を立てて閉まった。
……………でも、天馬。俺は思うんだ
この裁判に、答えなんてあるのだろうか?
俺は、真実を知るべきなのだろうか?
ずっと“誰か”がそうやって囁き続けているんだ。
……俺は、本当に、この事件の真実を見つけられるのか?
疑念の答えは返される暇もなく、有無も言わさずに俺たちは下へ、下へと落ちていく。
絶望によって汚される裁判場へと。
身動きもできずに、ゆっくりと俺たちを載せてエレベーターのかごは沈んでいった……。
早く、落ちてしまえ。
ワイヤーが切れてかごも破壊されて、全員、俺と共に事絶えてしまえ。
……なんて青臭いか。笑えてしまう。
だが、その笑みは心の奥底で堪えた。
早く裁判を始めなければ。
そして、俺は……"俺の真実"を手に入れなければ。