「あの『歪』の訪れを、果たして芙蓉たちは、なんて呼べばよかったのでございましょうか」
飛び出した角の声は鳥肌が立つほど凍りついていた。
「どういうことだ。おめー、歪ってなにを……」
口から出た俺の言葉は、自分でも驚くほど困惑の色を帯びていた。
だが、心ここにあらずと言わんばかりの声色で、顔立ち。
角は浮かされたように遠くを見つめていた。
「…………まあ、大変。もうこんな時間! 芙蓉はこれで失礼しますのでございます。おやすみなさいませ。萩野さま、どうかよい夜を!」
「え? お、おう。気をつけろよ。怪盗や辺見には特に」
にっこりと笑って、ぺこりと角は丁寧におじぎをした。
なんだよ、意味深なことだけ言いやがって……。
くるりと踵を返した角の握り拳が、きら、と光ったようだった。
……気のせいか? お菓子でも持ってたんか?
しっかし、遅っせえな。錦織のヤツ。また図書室でも行ってんのか。
暇すぎて寝るぐらいしかできない。イメトレでもしようか。
七島に肩を貸してもらう練習でも。
……はぁ、でも、もう疲れたから寝るか。……いろいろありすぎた。
さっきの角の話は、おとぎ話とでも思っておきゃいい。
…………今のところは、な……
「角のヤツ、思いだしてやがったな」
戻ってきた錦織にオレは呟いた。
錦織は動じることなく椅子に座った。
……また、つまらなそうな顔しやがって。
「“箱庭”の計画そのものが杜撰なのよ。私みたいに思い出す人はいて当然だわ……」
「ダメダメだな、"観測者"ども。人体実験までしといて、記憶を作ることすらできないなんてよ」
「記憶を作るのは無理よ。記憶は記憶として残り続ける。体と言う外界と接する媒体がある限り」
「ムリ……それがオマエの答えか。しかし、そう答えを決めつけていいものかね。オマエが思っている以上に世界は広くて、蜘蛛の巣のように入り組んでいるものだ。地球は回っている。オレたちは現実世界の人間だ……なんて定説も覆る確立もなにもゼロじゃないようにな」
すぐさま「どういうことだ」と言わんばかりに錦織がオレを睨みつけた。
私の知らない情報があるというのかと言わんばかりの形相で、思わず苦笑いが出そうになった。
「まっ、小難しいのはナシだ。円居とかその辺りと話せばいい」
「も、もうアイツはいないでしょ……」
円居のことを思い出してみた。
随分と独自で熱心に調べていたようで、科学室に訪れた時にその痕跡が残っていたっけ。
結局はマナクマに感づかれて、オシオキと一緒に証拠も叡智も水の泡だが。
「第三の裁判の映像を見る限り、十和田も思い出す素振りがあったな。しかも真田も思い出していたみたいだ。このメモによるとな」
「や、やっぱり、アンタだったのね……そのメモを奪ったのって……」
図書室で無防備に立っている七島を息を潜めて狙ってごつんといかせてもらった。
当然、加減はしたから気絶にとどめたし、脳天直撃しないように工夫はした。
そうして七島の元に渡った真田のメモを奪った。
それにしたって、あんなにあからさまにスケッチブックを渡すなんて……もう少しひっそりとやるべきだっただろうに。
あのメモに書かれていた、真田が聞いたというだれかの言葉を思い出す。
希望のあなたがたたは 役目を果たしてくださいね。……か。
オレも自らの役目を果たすときが来ているのだろうか。
「じゃあボクサー……アンタはどこから思い出していたの……?」
「どこから思い出していたと思うか」
錦織からは答えは返ってこない。
オレのアンサーは「覚えてない」だ。
ありとあらゆるドラッグを使い果たして、過去も未来も混ぜ返してぐちゃぐちゃだ。
だが、自らの手で破滅の道を辿るのは気持ち悪いほどに悪くない。
「ウソをつかない人間なんていると思うか」
「いきなりなんなのよ……? ……そんなのいないわ。いるわけがない」
「そうだよな。擬態。死んだふり。演技……人間に限らず、この惑星の種はウソをつかなければ、生き延びることができない」
「それとこれとは違うわよ……だからといって、アンタのやっていることは正当化できないし……」
錦織は鬱屈なため息をついて、熱のように額を手で押さえた。
「そろそろ時間の問題だわ……清掃委員が復活する」
「白河のことか」
「殺人鬼の清掃委員よ……私、見たのよ……魔法少女がハンドベルを持っていた……」
「皆殺しルートも避けられないってか」
「そ、そうじゃない……このままだと第4の事件が起こるわ……そうしたら、順を追って第5の事件もあるでしょうね……マナクマが無理矢理事件を捏造するかもしれない……」
「それがどうしたっていうんだ」
「もしも、今回も過去のコロシアイとなぞっているならば……きっと、すべてが明るみに出されるわ…………なにもかもが」
第5の事件が終わること、それは即ち学園を知る権利がオレたちに与えられる。
このコロシアイ学園生活は、毎回そういう風にできていた。
「本来なら、偽の書道家に人を殺してもらいたかったけど……ふ、ふん……意外と冷静なものね……」
「アイツは、なんだかんだ言って主人公役だから。主役交代をするなら華々しく絶望的でなければ」
「そうは言うけれど……でも、私はアンタに、いえ……アンタたちが主人公? そんなの認めないから」
そう言って、錦織はどこからともなくなにかを取りだした。
スカートとシャツの間から取り出したようだ。そういうクセでもあるのか。
オレの鼻先に突き出されたのはカッターナイフだった。しかし刃は剥けられていない。
「私、第四の事件で、裁判でクロ以外のみんなをオシオキさせる……もし、できなかったら……私を殺せばいい……」
「どうして、そんなことをするんだ」
「……………絶望したいのよ。そろそろ、本格的に……母と決別したい」
なるほど……悪くないじゃないか。
つまり裁判をひっかきまわして、クロだけを逃がすとオマエは言いたいと。
オレは笑ったフリをして、ゆっくりと親指と人差し指で丸を作った。
「やってみればいいよ、皆殺しルート。それができなかったら、罰としてオマエの命をもらう。こういう賭けは嫌いじゃない」
錦織は黙って、カッターを仕舞ってオレを睨みつける。
なんだって言える、口先だけなのだから。
どうせなら血判でもすればいいのにな。
「そんなに七島のことは嫌いか」
「嫌いよ。アンタのことも憎い。アンタは特に最低の男よ……人の才能を奪った悪魔。…………天馬に、謝りなさいよ……!」
「なんでその名前を出すんだ。アイツは不運なのに」
「違うわ……あの子は……っ!! 彼女は不運なんかじゃないのよ……!!」
突如として錦織が俺の襟元をぐ、と掴み取った。
…………おかしなヤツ。
なんで不運じゃないなんて言うんだろう。
オレの好奇の目に気づいたのか、はたまた病人だと気づいたからか、錦織はすぐに襟元から手を放した。
「結局、アンタさえいなければ……アンタみたいなのがいなければ。私たちはこんなことにならなかったのよ……」
なんだか懐かしい言葉に思えた。
そうだ、母親に同じようなことを言われたような気がする。
「アンタたちみたいなのがいなければ、アタシらはもう少しまともに過ごせたはずなのに」だっけ。
……ああ。違うな。どこかで見聞きした話と勘違いしているんだ。オレに母親なんていない。
「つまり、すべてオレのせいだと。……本当にそう思うのか。だけど、オレなんかより、もっと大きな力が働いていてこんなことになっているとは考えたことはないのか」
「知っているクセに聞くなんてバカみたいね……」
「ああ、知ってるよ。ご存知の通り、オレはバカだから」
錦織はどうしようもない息子を持った母親のような目を向けていた。
そうだ。そうやって、自分のふがいなさにも苛立てばいい。それがオマエにはお似合いだ。
「ボクサー、アンタは生まれるべきじゃなかったのかもね……」
「嬉しいこと言ってくれる。生まれてくるという祝福にすら嫌われるなんて」
「私も……きっと生まれて来るべきじゃなかったわ……」
「…………悲しいことを。それなら七島だってそうだろう。オレたちでトリオでも組もうか。ディスペアポイントゲッターズってさ」
「悪くないわね……その三人に、天馬を入れても」
「アイツは、ダメだ」
咄嗟に口から言葉が滑り出ていた。
まったく。またか。どうして、その名前が出るんだ。
「アレはダメだ。アイツはいらない」
「できることなら、私もそうしたいわよ……アンタも、ニセ書道家も、私も……あの子にはふさわしくない人間だから……でも……それでも彼女は私たちを、みんなを救いに来るわよ。それが"あの写真"にも表れているわ」
「担任が撮ったやつか。オレはすぐに捨てたけどな」
オレたちの本当の思い出の話。
不運にも怪我をした同じクラスメイトの天馬は保健室に訪れた。
そして、幸運にも点滴が終わって、本を読んでいた七島と出会った。出会ってしまった。
これが絶望か、希望なのかは分からない。
少なくともオレにとっては異分子だった。
天馬陽菜――不運のくせして、前向きで、陽だまりに芽生える苗の木のように煩わしい。
不運は不運らしく、惨めに生きていればいいものを。
みすぼらしく、不幸を嘆いていれば喜んでオレも手を差し伸べてやったのに。
七島の世界を構成するのは保健室とオレと錦織。
あとは、一匙の孤独だけ。それだけでよかったじゃないか。
「でも、あの子の希望は正しいけど、正解ではないわ……あくまで正解の一つ。そうに過ぎない」
「そんなものだろう、絶望にだって正解はないのだから。……なあ、錦織、もう一つ。オレから質問だ。オマエ天馬になにを言われた」
「……いいえ、なにも」
「聡明じゃない答えをどうも。残念だよ。以前のオマエは賢くて可愛いかった」
「私はアンタの所有物じゃないから……」
ギロリと睨みつけられたが、どうにも思わなかった。
質問の答えになっていないような気もしたが、それもどうでもよかった。
「それでも私は………偽書道家を認めない。アイツに同情を寄せて庇う真似を……母のような二の舞は踏まないから……」
「そうかよ。……なあ、もういいか。さすがに疲れちまった」
オレはそう吐き捨てながら、ベッドに潜り込んだ。
錦織も溜息を吐いて、そのまま動く音すら立てなかった。
やっぱり、ここで殺すつもりはないのか。……本当に変わったヤツだよな。
…………でもさ、錦織。
オマエも、やっぱり嘘をついてるんじゃないか。
七島のことを認めない、同情は寄せないなんて言ってるけど。
本当は誰よりも情けをかけているんじゃないか。オマエ自身が気づいていないだけで。
そして、オマエは絶望のために、七島を殺そうなんて考えていないんじゃないのか。
ましてや、自分が死ぬこと自体も。
まさか、オマエは希望のために戦おうとしているのか。
母親が残した遺志のために立ち向かおうとしているんじゃないか。
たしかにオマエの母親は間違った選択をした。
オレたちを希望と過信して、絶望の歴史を繰り返してしまった愚かな学園長。
だから、オマエの母親には味方はおらず、孤高の道を選んで戦ってしまった。
だが、そんな母親の姿を見て、オマエは同情してしまったんだろう。
皮肉にも自分と似ていたことを知ってしまったのではないか。
だから……オマエは母にこれほどまでに強い執着を向けている。
どれほどまでに、どうしようもなくとも愛して止まない血の繋がった母の真意を知りたかったんだろう。
オマエが全員の道連れを選んだのは、オマエが絶望を望んでいるからではなく。
母との決別、ましてや七島を殺そうとするためでもなく。
オレの狂気、絶望を打ち砕くためだとしたら………。
「ありがとうな、錦織」
「…………え?」
これは本心からの感謝の言葉だった。
本当にありがとう。錦織。
オレのために絶望を与えようとしてくれて。
……いつか必ず、それに愛をこめて返してあげよう。オレは義理堅いからな。
「……いや、なんでもねーよ。おやすみ!」
ああ、今日はとても良い夜だ。
久々に満たされたような絶望的な幸福を胸に火照らせたまま、オレはゆっくりと眠りについた。
「な、な……し、…………ま…………、……あ、ああ……オマエという、ヤツは……ッ」
血の匂いが立ち込めた裁判場で、アイツが声を打ち震わせる。
はたして彼は泣いているのか。笑っているのか。
分からない。知りたくもない。
「なあ…………オマエ。今、なにを考えてるんだ」
俺は壁に刺さったナイフに焦点を合わせることしかできなかった。
抵抗も逃げることもできずに、そっ、と頭を撫でられていた。
耳の真横、壁に刺さったナイフ……奴は、微かにその頬をわずかに小刻みに緩ませた。
けれど、すぐに真顔になって、フッと鼻で一息吐く。
「知ってる。オレのことじゃないんだよな。今、死んだアイツのことを考えてしまったのだろう。こんなに苦しいことは初めてか。……ああ。わかるよ。つらいよな」
錦織を、天馬を殺したのはお前だ。
そんなお前を信じてしまった俺も同罪にふさわしい。
だから、殺してやらなければ……それが俺の役目だ。
ナイフを抜かなければ。お前に突き立てるべきナイフを。
お前の眉間に。顔に。頭に。体に。死を与えなければならないんだ。
なのに、どうして。俺は。
あんな"偽物"の友情ごっこだと知ってしまっても。
どうして撫でられている温かい手を振り払えないんだ。
「言ったはずだ。無理に考えるな、抱え込むなって。だから、こんなことになるんだ……退屈で中途半端なオマエの人生のように。考えれば考えるほど、オマエは冷静になるんだから」
「七島。どうか死なないでくれ。もう、どこにも行かないでくれ、お願いだ……絶対に、お前は」
かつて俺の親友が俺に言った言葉が本心ならば。
…………ちがう。本心だったんだ。
彼は涙を流して本気で俺の死を拒んだんだ。
そして、俺はこの言葉に従ってしまった。
過去の自分が自棄になりながらも、裁判場に向かい、命を投げ出さず、俺は真実を見つけ出した。
その力を、俺に授けてくれたのは。
「オマエは人殺しになれなかった。自らの手でオレに罰を下せなかった……オマエは敗北者だ。オレの理想通りの絶望だ」
大切な人を奪った、最低で最悪の俺の親友。
「七島、オマエは負けたんだよ」
俺にしか聞こえない声で、耳元で囁かれた。
「オレの、勝ちだ」
そして、なにもかもが終わってしまった。
「と、言うわけで、正解だ。超高校級の司書、錦織詩音、超高校級のボクサーの萩野健を殺したのは、超高校級のボクサーの萩野健だ。超高校級の不運を殺したのは、同じく不運の天馬陽菜。以上だ。まさか、オケつきで投票結果が出るとは思わなかったな」
クマを抱きながらボクサーの男は淡々と語る。
裁判場に立ち尽くす俺……紅葉も、てらも、ランティーユも、黙ったままその男を睨みつける。
俺は銃口を向けるが、アイツは動じなかった。
それどころか銃口を握りしめると、ぐっ、と自らの額に押し当てた。
「どうした黒生寺。いつものように引き金をひけばいい。レアアイテムは落ちないけどな」
「殺しはしない……貴様に向ける怒りはこれで充分だ……」
「ハードボイルドに決めたい年頃ってか。寒いもんだ」
銃口から手を放して、ヤツはひらひらと手を振る。
詩音を、陽菜をふざけた理由で殺しやがった。
アイツは殺人をしたところで、生き残る意志すら感じられない。
だからこそ、余計に殺してやりたかった。
だが、それはできない……なにも見返りはない。
…………詩音も陽菜も、取り戻すことはできない。
「さて、これで終わりだな。また今回も長かったな」
「ふ、ふざけないで!! 投票は終わったんだから!! さっさとオシオキを始めてよ!」
「おお、怖い怖い。こんなの殺人予告と同じだろ。なあ、ランティーユ。好きな子がこんなこと言ってるが、どう思うんだ」
「……汚い言葉を使うのは大嫌いだけど……今回はマドモアゼルに同感だ……っ!」
「同感するのかよ。だいたい、オマエはいつもそうだろ。……まあ、オマエの観察眼はアテにならないけど」
涙の筋を残したランティーユに対して、ヤツは肩を竦めて、おどけたように首を傾げる。
ランティーユのいつもの澄んだ瞳が消え失せて、その色は虚無に近かった。
「まあ、いいや。どちらにせよオレの処刑でこの裁判は完全に終わる。それだけだ」
「……それ、だけ? その後はどうなるの……!?」
「どうなるって、どうもならないさ。これでこの話は終わる」
「お、おわるって? な、なに、言っているのだ!? ここからが本番でしょ!?」
「なんのだよ。もう“終わった”んだよ」
終わりだと……?
たしかに、貴様にとっては終わりだろうな。だが……。
「真相がハッキリしてねえ……俺たちは"学園を知る権利"があるんだろう……!?」
「……ああ……………あのさ、それって、別にどうでもよくないか」
「どうでもいいわけがないでしょう!? あなたにとっては、どうでもいいことでしょうけど……!」
「いいや、どうでもいいだろ。オレがどうでもいいって思っているんだ。そして、七島にとってもどうでもいい。だから、なにもかもどうでもいい」
馬鹿なことを、無茶苦茶な戯言だ。耳を傾ける価値もないはずだ。
そうだと言うのに天からの宣告のように、なぜか俺たちはヤツの言葉に耳を傾けてしまっている。
「これは選択肢で結末が決まるゲームじゃなくて、ラストが決まった物語だから。後味が悪くても問題はない。だから、そろそろスタッフロールが流れる頃合い。だから、この物語は終わり」
その男は、一つの終着点を吐いた。
怯えるように息を漏らしたのは紅葉だった。
「ね、ねえ……さっきから、なにを言ってるの?」
「ヒロイン(笑)もいなくなって、主人公も生きることを放棄している。諸悪のマナクマも二度と動くことはない。こんな物語のどこがおもしろいんだ。オマエラみたいな雑魚なモブがうだうだやってもつまんないだろう」
「あ、あたしたち、そんなんじゃないのだ!」
「止めが甘いんじゃねえのか」
太い人差し指を俺たちに向けながら、健はきっぱりと言い切った。
「この小さな世界は七島を中心で回っている。そう決まっているんだよ」
「さっきから……貴様は……竜之介のなんなんだ……」
「親友だ。そして、オレの大切な絶対的な絶望」
「貴様は、竜之介になにを求めてやがる……!?」
「いいや、なんにも求めてない」
竜之介は目を覚ますことなく、銃弾を受けたように床に倒れ伏したままだ。
彼の言う通り、この世界を放棄しているように意識を手放していた。
自分の役目は終わったとでも言わんばかりに……。
「だって、もう七島はこの物語を降りてしまったんだ。これ以上、求めるものなんてない。なにかが始まることもないし、続くこともない。
めでたしめでたし。これで本当に、おしまいだよ」
これが貴様の求めた………俺たちの結論、なのか………?
「……………って、なん、だ」
健は、ふっ、と眉をひそめて違和感に身を震わせる。
違和感の正体は振動音だった。
両腕で抱えられていたクマは、紐を引っ張ると動く機械仕掛けのおもちゃのように震えていた。
奴の片目が白黒と点滅し、最後に変わった色は……。
『り・ぼーん!!』
白黒のクマは彼の体から弾かれたように離反する。
健の顎は打ち抜かれて宙に舞い、どすんと転がるように尻餅をつく。
舌を噛んだのか……膝をついた奴は血混じりの唾を吐き、握り拳で乱暴に口を拭った。
「……っは、オマエ……どういうつもりだ、クソグマ」
アイツは初めて目を見開き、唇を戦慄かせる。
『クソグマじゃないよ。ボクはマナクマ! この学園の学園長なのだー!』
誰の手を借りることもなく仁王立ちをしているのは、青い片目を光らせた"マナクマ"だった。
クマを睨むヤツの顔立ちは、蛆がたかった腐敗物に対するものと同じだった。
俺たちは呆然と、健を、そして立ち上がったマナクマを交互に見渡した。
「え……? いったい、どういうことなの……?」
「これはこれは………どうやって手錠を外しやがった。惨たらしく餓死してればいいものを」
『ワガハイは永久不滅ナリよ! そんなことよりコロッケが食べたいナリ! キャベツはどうしたナリか!』
「まったく。人の話を聞けない脳無しときたか」
「ちょ、ちょっと!? さっきからなにを言っているのだ!! あ、あんたは黒幕じゃないの!?」
健は忌々しげに、てらを見遣った。
目を血走りにさせながら、失望したように溜息を吐く。
「ばっ……か、じゃねえの。一緒にするな。コイツはな、」
アイツの言葉は、一瞬にして静止する。
マナクマはライフルを構えて健の喉元に押し当てていた。
天井からは機関銃、刀、マシンガン、レーザー銃……凶器のオンパレード。
凶器たちが、アイツの頭を360度すべてを取り囲んでいた。
……しかし、健はそれらを退屈な映画のように眺めていた。
『あのね、ボクの役目を取らないでくれないかな。クソ萩野』
「生徒に向かって、そんな汚い言葉はいただけないな。マナクマせんせい」
『オマエは裁判に負けたんだ! とっととあの世から消えな! タッチもせずゴーでな!』
「……ハッ、散々泳がせたのはどっちだ。一番、初めの爆発で殺せばよかったのに」
『そうだね、オマエは見せしめになるべきだったんだ。……だけど、そんなことしたら、このシナリオは面白くなかったんだよ。…………きっとね!』
「素晴らしい。絶望的につまらない答えに感謝の言葉も出ない。だが、こちらも腹好かせた犬のような野垂れ死にはゴメンだ」
すべての攻撃を見切ったかのような余裕を醸し出しながら、健は筋肉質な腕を組む。
「オシオキしてくれるんだよな。オレも処刑台に立たせてくれるんだよな」
『うぷぷ、そうはいかないよ? オマエは規則違反をしたんだから』
「それじゃあ、オレがしたことを言ってもいいのか」
健は拳を口元にあてて、ふと息を漏らす。
笑う仕草のように、雄々しい顔だちをぐしゃりと歪める。
「オレは"クラスメイトを縛り上げた"だけだろう」
そう言うと、今度はクマ公が黙る番だった。
躊躇うように銃が降ろされ、天井の多くの重火器も吸い込まれるように収納される。
……"クラスメイト"?
疑問は答えられることもなく、ヤツらは2人だけの睨み合いの世界に没頭していた。
「図星、清々しいまでの駄々を捏ねる子供のような理由。オマエも今まで蒔いた種を踏みつぶすマネはできないか」
『ああいえば、こういうヒトって、マナクマきらーい。ネットの知識しかひけらかすことができないヤツ以上にキッツーい』
「わかった、わかった。偽物は黙って失せろ。偽物らしく消えるのがお似合いだ」
『オマエモナー。元祖と本家、どちらが先かの論争を持ってくんじゃねーぞ』
「オマエは元祖でも本家でもない。出来損ないのガキだ」
『…………うぷぷ、こっちだって、こんな形で生まれたくなかったクマよ』
二体のクマは対峙する。
取り憑かれたように、呪詛のオーラを放ちながら。
戦場でも日常茶飯事の光景――どちらも引くこともない。終わりなき戦争の真っ最中に立つ独裁者たちのようだった。
…………だが、いつまで俺たちを放置するつもりだ?
痺れをきらして、一度だけ咳払いをした。
「お、おい……どういうことだ……そのクマは誰が動かしてやがる……?」
「それは…………悪いが答えられない。一文字目すらも言えないだろうな。答える前に蜂の巣だ。それはそれで絶望的だろうがな」
前置きはあったが、ヤツは悪びれる素振りは一つも見せなかった。
俺の訝しげな視線に、苛立つように健は鼻を鳴らした。
「ただな、これだけは言わせてもらおうか。オレは、オマエたちを応援しているんだ」
「は……? さっきから、なにを言っているんだよ……っ!?」
「分析したうえで、これから起こりうるオマエたちの史上最悪で最低な未来に絶望している。だからこそ、激励の言葉を与えたい」
応援? 激励だって?
だが、そのような前向きな言葉は素直に受け取る気が起こらない。
また俺たちに毒を手向けるつもりじゃねえだろうな……!?
「これは、オレからのスペシャルヒントだ」
ヤツは腕を組みながら、人差し指をぴっと立てる。
ゲームのアドバイザーキャラのような、案内人の如くの仕草だ。
「オマエラが気にしているであろう"望みの母胎"という団体は、我が子によって壊滅させられた……組織が生み出した子。マナクマを操っている者が、オマエたちが倒すべき黒幕でありラスボスだよ」
そう言って健は、クマ公を一瞥した。
マナクマは我関せずで、どこから取り出したのかポテトチップスを袋ごとばりぼりと貪っている。
「望みの母胎は“新たな超高校級の絶望”を生み出そうとしていた。これはマジだ。そして実際にそれを成し遂げた……それが、今回の黒幕の正体だ」
新たな超高校級の絶望――それが、このコロシアイ生活の黒幕。
纏っていた裁判場の空気が痺れたように固まったようだった。
俺たちの反応に、健はなにを思ったのか……軽く舌打ちをしていた。
「や……やっぱり、黒幕って、え、えのし……」
「そういうだろうと思ったから、何度でも言ってやる。あれは失敗作だ。盾子お姉ちゃんの足元にも及ばない。………いいや、あれは違う。お姉ちゃんの子どもでもなんでもない。組織によって生み出された、名前のない、何者でもないガキだ」
「でも、それがマナクマを操っている黒幕なら……やっぱり、絶望なんでしょう?」
「なにが『やっぱり絶望』なんだよ。盾子お姉ちゃんに勝る絶望は二度と訪れるワケがない。だから、このコロシアイはガキの退屈しのぎのお遊びだ。この世に盾子お姉ちゃんがいないからって、勝手に第二の盾子お姉ちゃんに成り上がったつもりで調子に乗っているだけだ」
健はマナクマを悪魔のような目つきで凝視する。
視線で呪い殺さんとする勢いの眼光だった。
「望みの母胎とかいう臭い組織は、オマエたちがなにをしなくても自壊しいてるから安心しろ。だが、マナクマは違う。オレたちの諸悪と言える黒幕は、オマエたちでなければ倒せない」
「ね、ねえ、もうちょっと詳しく教えるのだ! そいつがなにをして、こーなっちゃったの!?」
「いずれ分かることだ。5回目の裁判が終わったのだから」
居場所のない男という表現が似合うのは何故だろう。
西部アメリカのガンマンが追いやられて退廃していったように、時代に追いやられた流浪者。
頑丈な戦士の鎧を着こみながらも、その中身は昔を懐かしみ今を嘆く老人。……そんな風にも思えた。
「望みの母胎は最初から腐っていた。だが、当然だよ。盾子お姉ちゃん以上の人間なんて二度と現れるはずないのに。あの時以上の絶望なんて天が壊れても訪れはしない。だから、この絶望。いや……こいつの存在は、単なる絶望の名を借りたもの。いわば、"仮の絶望"と言ってもいいだろう。そもそも名前なんてないのかもな。アレに名前なんていらない。“偽物”……“絶望擬き”にすぎないんだ」
"仮の絶望"……ヤツにとって、これはつまらない茶番劇に過ぎなかったのか?
人の手によって、人が殺し、殺される。
荒野よりも狂った世界を、“絶望未満”として、見ていたというのか?
「ただ、こんなもんに負けるのはあまりにも絶望的だ。だからと言って、新参にむざむざ役を引き渡すワケにはいかないのは、この世の事実。オレはマジでそのクマを殺してやりたかった。それだけは、その気持ちだけは本当だ。……今でも変わりはしないさ」
そう言って彼は床に膝をつき、ばん、と瓦を割るかの如く床を殴りつける。
強烈な痛みを微塵とも感じさせられない拳の筋肉。
断罪のように、自らの絶望を体に打ち付けるように。
どしん、どしんと地団駄のように殴りつける。
「ほんっと、どうしようもないことになりやがった。だから、オレは最初から嫌だったんだ…………飼っているバーサーカーに手を噛まれる。可愛さ余って憎さバイバイン……元のことわざなんだったかな。ああ、もう、どうでもいいか。どうでもいい」
『バーサーカーってなにさ! ボクはクマだよ! がおー! こわいんだぞー!』
「クソニセグマが。まだ、猫や羊とか鼠だったら許せたのに。いや、許せねえ。盾子お姉ちゃん以外の絶望や黒幕なんて認めないし許さない。許さない許さない許さない。ばっきばきに転がしてやりてえのは変わり許さない、絶対に許さないめちゃくちゃにしやがってなにもかもなにもかも壊しやがってクソがクソが」
言葉が支離滅裂そのもので、振り上げる拳の音はどんどん大きくなる。
健とマナクマは別の勢力……だとしたら、俺たちは、まだ終わってなんかないのか。
やがて、腕がぴたりと止まり……だらりと筋肉を緩めたようだ。
ヤツは……愚民と呼んできた、俺らのことを舐めるように眺めていた。
決闘を申し込む戦士を彷彿とさせるほど、覚悟で目が据わっていた。
「この物語のラスボスはオマエたちがブッ潰すことだ。第五の事件は幕を下ろした。過去のお姉ちゃんが繰り広げたコロシアイと同じ、オマエたちは学園を知れる権利を手に入れるんだ。
だから、どうかオレの望みを叶えてくれないか」
狂気を侍らせたまま、アイツは愚かしい提案をしてきた。
…………いったい、なにを言っている?
「誰にモノ言ってやがるんだ……貴様の望みはここで果てろ……ッ!」
「じゃあ、オマエたちの目的はなんだ。ここから脱出するためにマナクマを倒すんだろう。ならば、オレと同じだ。オレもアイツを殺してやりたいのだから」
「冗談じゃないわ!! あなたの目的を、私たちと一緒にしないで!!」
「たまたま一緒になっちまったんだから、しょうがないだろ」
偶然だって言いたいのか……。
いいや、違う……そんなことがあってたまるか………!
「そんなにイヤなら、オレを生かせばいい。クロを見逃したオマエラが代わりに、オシオキされてオレだけが生きる。オレの願いも達成されず済んで万々歳…………それも無理な話か。投票終わったしな。だいたいオレもこれ以上生きるのは勘弁だ。だから諦めてヤツを倒せ。それがオマエラのやるべきことだ。オマエたちは希望としての役目を果たせ」
くたびれたように健は、再び生温い溜息を吐いた。
どこまでも深く、肺に溜まった全ての空気を吐き出すようだった。
「そもそも完璧な絶望も希望も存在しない世界に求めるものなんてなかったんだ。惨めに縋ったこと、生きたこと自体が間違っていたのかもしれない」
「その惨めにあがいた結果が、天馬と錦織を殺すことと関係があるの? あなたは彼女たちを殺して求めるものがなんてなかったなんて……良い御身分ね」
「さあ、どうだろう。錦織は絶望も希望もない世界からの脱出を手伝ったとでも言えるよ。だって……彼女のことは今でも……これからも、オレは愛してるのだから」
「…………マダム天馬は? お前はなにがしたかった……?」
「七島の絶望のため。本来ならオレが死ぬべきだった。だけど、オレは見届けたかったんだ。七島が絶望する、その瞬間を………そのスケープゴートが天馬だった。それだけだ。だって、アイツは不運だから」
軽い運動後のような晴れやかな顔立ちで健は腰に手をあてた。
そして、今もまだ動くことのない竜之介をふと見遣った。
「強いて言えば…………いいや、なんでもない。今となっては、もう……なにもかも、どうでもいいことだから」
そう言いながらも、健はつかつかと竜之介へと歩み寄る。
倒れ伏している彼はびくりともしない……安否を確認したかったが、ヤツは彼の前に膝を曲げてしゃがみこむ。
手を伸ばすと黒い髪をゆっくりと、どこか懐かしむように撫で始める。
「また負けたことに絶望するんだろうな。こんなことになっても、オレを失って絶望することだろう。……それで、いいんだよ。オマエがオレの勝利が好きなように。オレはオマエの敗北が好きだから。負け犬で甘ったるいほどに優しくて。それでも誰よりもつまらなく凡庸で愚鈍でなにもないオマエが……なによりも、だれよりも。この世界中で。いままでも」
微かに、だったが、それでも……。
「これからも、オレは絶望的に愛してるから」
虚空に塗れた男は、初めて純粋な笑みを見せた。
『飽きれるほどの茶番だね。こんなゴミ野郎にかける時間も感情もシナリオもいらねえんだよなぁ!! オラッ、目を喰いしばれっ! オシオキだぁっ!!』
「……興覚めだ。それじゃあ、さっさとこいつを倒せよな。ひとつ、よろしく」
真顔に戻った健は立ち上がって、ひらひらと手を振った。
もう一度、罵声をあげたかった。……だけど、それは届くはずもない。
そんなことを思ってしまう時点で、俺たちも負けているのか?
俺たちは翻弄されたまま、ヤツを望み通りに見送ってしまっていいのか?
『というわけでー。超高校級のボクちゃん、じゃなくてボクサーの萩野健くんに、スペシャルなオシオキを用意することになりましたー』
「オレとオマエラの目的は同じだ。まがいものの黒幕をブッ殺すこと……このコロシアイは、なにがなんでも終わらせろ。いいな。それがオマエたちの使命だ」
ヤツの思い通りのままに、終わらせることが……俺たちの正しい選択なのか?
陽菜も、詩音も殺され、こいつの求めた死……処刑が始まる……。
…………それが、本当に正解でいいのか?
「だから…………どうか忘れないでほしい。オレも、オマエたちの仲間だということを。オマエたちのことを、信じているから」
『さあ、それなりに、張り切ってまいりましょーか。オシオキターイム!』
扉から勢いよく飛び出してきた複数の鎖に、健は逃げるように駆け出していた。
しかし、その目的は生きるためじゃなかった。
それは、彼の絶望を掴むためだった。
勢いよく腕を伸ばして、アイツが掴み取ろうとしているのは。
…………おい、待て。
「待てッ!! やめろッ!!」
――やめろッ!!
耳の奥に黒生寺の低い怒鳴り声が突き刺さる。
俺は眠りから……いいや、無の世界から解放された。
だけど、その時には。
一番親しみ深かったはずの、忌々しい手によってYシャツの襟を引っ張られていた。
巨大な力に任せて、俺の脚は宙に放り出されていた。
「七島。どうかオレのために最期を弔ってくれないか」
萩野の首は鉄製の枷に繋がれていた。
「
鎖に繋がれた萩野に腕を伸ばされ、俺の体は抱き絞められる。
俺の名を叫ぶ声が飛びかうが、すぐさま扉は閉じられた。
宙へと体が浮かび、急速に臓器が前後左右に飛び跳ねるような瞬間的な嫌悪感で揺さぶられる。
俺たちは空間と疾風を切り裂きながら共に引きずられていた。
長い、長い廊下を、熱混じりの摩擦を合わせて。
やがて、俺たちは地面に滑るように転がった。
どこからともなく悲鳴のような歓声があがり、強烈なスポットライトを浴びる。
辺りを見回すと、マナクマの大群で観客席が埋まっていた。
テレビで見てきた、試合のリングに連れて来られたことに気づく。
――俺たちは、処刑場に立たされていた。
GAME OVER
超高校級のボクサー 萩野健くんがクロに決まりました
オシオキを開始します
オシオキ 『 FINAL FIGHTERS 』
ボクシングの試合のリングの上に俺たちは転がされていた。
天井は高く、鉄骨には大きなライトが備え付けられていた。
引きずられたせいで倒れていたはずなのに。
いつの間にか俺の腕は持ち上げられて立たされていた。
マリオネットの人形のように萩野は手首、腕を鎖で繋がれて、両腕を吊り上げられるように真上に伸ばされる。
そして、俺も、目の前の萩野と同じ体勢で向かい合っていた。
天井の鉄骨をちらりと見ると、二体のクマが俺たちの腕を縛っている鎖の主導権を握っていた。
赤色のクマは萩野を、青色のクマは俺を……彼らが手を動かす度に、連動して俺たちの体が跳ねる。
腕が無理矢理、吊り上げられて、ぎり、ぎり、と脇腹が攣りかける。
どこからともなく、ゴングの音が鳴り響く。
先手を取ったのは萩野だった。
大きな拳で顔を殴られそうになるが、脳の判断よりも前に、腕が勝手に動き盾となる。
腕に衝撃が走って、よろめきそうになるが、足がもつれながらも、また無理矢理立たされる。
俺も意志に反して、拳が勝手に前へと突き出される……が、萩野もよろめきながら避ける。
まるで、人形のごっこ遊びみたいだった。
俺たちは殴ろうとしては、避けてを繰り返す。
ストレートなど決まらない。どちらも倒れたりもしない。
当たり前だ。
クマたちが俺たちを操っている以上、俺たちにノックアウトはない。
このままだと永遠に終わらないデスマッチだ。
観客席からは、大きなブーイングが飛んだ。堂々巡りのゲームほどつまらないものはない。
その声を聞きながら、苛立ったように萩野は眉間にシワを寄せる。
さすがに、自分が倒せない相手は腹立たしいのか。
それとも、俺が弱いだと分かっているのに、倒せないことに悔しがっているのか。
俺たちで遊ぶ赤と青のクマたちだけは白熱して、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた……。
観客のマナクマたちは、やがて怒りの末にわなわなと震えだした。
全員が震え出したところを俺が見たと同時に、彼らは全員一緒に……その場で、飛び跳ねた。
鈍い大きな震動で、俺たちはよろめくも床に倒れることはなかった。
……が、その拍子に、がこんと、取り外されるような音が、真上から鳴ったようだ。
さっ、と萩野の顔立ちに薄暗い影が差し込んだ。
――巨大な鉄骨が、落下している。
あの大きさは、人を飲み込むのも容易い。重さは……考える余裕もない。
スローモーションをかけられたかのように、視界ではゆっくりと落ちているように思えた。
その影は加速して、瞬く間に、染みのように地面に広がっていく。
そして、俺は目の前の相手を忘れていた。
風を切る気配に視線を前に向けると、Yシャツの襟を目がけて掴むような手が伸びてきた。
……まさか。
逃げようと思ったが体が動かない。鎖によって腕は繋がれたままだ。
落ちる鉄骨の上でバランスを崩しながらも、わたわたと青いクマは俺の手綱を握りしめたままだ。
――オレと、いっしょに。
動け。動け、動け、動け動け。動け動け動け。
必死に頭で何度も命令をする。
動けない。動けない、動けない、動けない動けない。動けない動けない動けない。
だが肉体は言うことを聞かなかった。
おぞましい怪物の腕が急速に喉元に伸びてくる。
その時。萩野を繋いでいた鎖がぱちん、と千切れる。
チェーンがぱらぱらと弾け飛び、彼は自由を取り戻していた。
アクセルを勢いよく踏んだ車の急ブレーキは効かない。
Yシャツを掴むための拳が凶器に変わり、喉仏にごつんと強烈な一突きを喰らう。
力負けした青のマナクマは鎖の手綱からパッと手を放すと、観客席へと落ちて行った。
そのおかげで俺の体は巨大な影から追放され、スポットライトの世界に戻ることができた。
…………おかげ?
また、アイツのおかげで、俺は。
前方の男の頭上には、巨大な死が迫っていた。
その影の名前は、きっと絶望というのだろう。
己をたいらげようとする影に、あの男は、一時、青褪めた。
だが、俺の顔を見た瞬間に、いつも見てきた顔立ちに変わった。
それは
すかさず訪れたのは空が落ちたような轟音。
煙と飛び散る破片を顔中に浴び、喉や鼻に勢いよく侵入してきた。
ばちん、と肉が弾けた音と共に、大きな鉄骨はガラクタ……もはや瓦礫と化していた。
瓦礫の山には花火のように血も飛散して、俺の顔にも微かに浴びていたようだった。
血は生暖かく、不思議なことに、花壇に咲く彼岸花の如く鮮やかな色に見えた。
何度も咳き込みながら、俺は、"それ"を刮目していた。
『えくすとりぃぃぃぃむ!! って言ったところですかな!!』
「…………………へ…………っ」
疑念を飛ばした"それ"は。
「……ッぁ、あ……な、なんだ、これ…………」
真っ青に染まった顔の"萩野"だった。
彼の下半身は瓦礫の山によって埋まって見えなかった。
顔を歪めたまま必死に両足を抜こうと、わずかな生を吐き出しながらも息を繰り返していた。
マナクマは「えへん」と胸を張った。
『オマエのオシオキはね、圧殺じゃなくて失血死だよ』
萩野の顔立ちが急激に変化した。
それは、俺を殴った時とは大違いのあからさまな焦燥だった。
「はァ……っオマ、エ……な、に……い、言って……」
『どう、どう? どんな気持ち? いま、どんな気持ちー?』
「な、にを……冗談……じゃねえぞ……な、なにが失血死だと……こ、んな消化不良な処刑……あってたまるか……っ」
『うぷぷ……お姉ちゃん(笑)とおそろいじゃないでちゅ!ヤダもーん! なんて言いたいの? あんなのと一緒になりたいなんてプリンの底のカラメルソースを舐めるくらい趣味ワルーい!』
「じゅ、盾子お姉ちゃんを……っ世俗的に……バカにするんじゃぁ……ね……ぇ、よ」
顔中に大粒の冷汗を噴き出しながら、萩野は、だん、と平手を床に叩きつける。
奇跡の王者には相応しくない、滑稽な光景だった。
『と言うわけで、試合は引き分け! チャンピオンベルトもトロフィーもありません! みんな帰った帰った! もちろん記者会見もねーからな! あばよ!』
「っ、待て……オマエ……ッ」
マナクマは瓦礫の山を踏んずけながらどかどかと去って行った。
踏まれた時に重さが加算したせいか、アイツは咄嗟に目をぎゅっと瞑り、軽い嗚咽を吐き出す。
観客席にいたはずのマナクマの集団も跡形もなく消えていた……機械仕掛けのエキストラか、サクラかなにかだったのだろうか。
ふと、ヤツの目と鼻の先。
手を伸ばせば届くところに鈍色の刃物――サバイバルナイフが転がっていた。
もしかして、俺が黒生寺の懐から奪ったものか?
…………きっと、あれを使えば。
「……っあ」
喉を簡単に掻っ切れそうなナイフを、すぐさま後方に勢いよく蹴り飛ばしていた。
蹴り飛ばそう。そんなことを考える暇もなかった。
萩野は手を伸ばしていたが、ナイフがリングから消えていったのを唖然と見届けることしかできなかった。
すぐさまバッと顔をあげた彼を前に、すかさず俺は半歩後ろに下がった。
萩野は空気だけを握りしめ、目玉を大きくして戦慄かせる。
「っ、おいっ……待て。待ってくれ、ななし」
「萩野」
口元の血を拭いながら、彼を見下ろした。
もう二度と、俺は真実から目を背けない。
俺のために、彼女たちのために判定を下さなければならない。
…………これが最後の、本当の答えだ。
「お前の負けだよ」
試合終了のようにゴングが鳴り響くと同時に踵を返す。
このリングに用はない。ここには、だれもいない。
残されたのは敗北者だけなのだから。
ごう、ごうと痛みの嵐は止むことがない。
病気のときに背負わされた時とは比べものにならない。
兄貴肌の俺だったらどうする。いや、そんなことやってどうするんだ。誰もいないというのに。
どっちにしろ、死ぬのに。
……えーと、オレってマジで死ぬのか。
つまり、オレはしくじったということだ。
それが意味することは、なによりも望んでいない。一番オレが恐れていたこと。
「おい、負、けって、なんだよ……お、オレが……ッ。ま、負け、たって、のか…………」
無敗の奇跡の王者が負けた。
すなわち、それはオレがオレでなくなったということだ。
じゃあ、オレはどうなってしまうんだ。
いったい、なんのためにオレは……。
「こ、こんなのって……こんなの……は……ッ」
…………あれ。
どうしようもない空っぽが気になって仕方がない。
いままでそうだったはずだ、オレは虚空を患っていた。
なのに、どうして、この虚空が今になって愛おしく思えているのだろう。
ぽっかりと空いた穴から止めどなく湯水のように、なにかが湧きあがってくる。
「あ……ちょっと待て……ま、まさか……こ、これ、って……」
これが、絶望だ。
これは、絶望だ。
これって、絶望だ。
これこそ、絶望だ。
…………これ、絶望だ!!
夢にまで待ち望んでいた、真の絶望じゃないか!!
「ひ……は、ははははははははっ……ひひひ。そっかぁ、これかぁ……うわ、ありえねえな……っおい、ありえねーな。ははははっ、足クソ痛ぇな。やっべえ。やべえって痛いなぁ。うはははっ」
オレは笑う。笑った。笑える。
ああ、やっぱり笑うことができるじゃないか。
その度に血が流れて、オレの生が、オレ自身がゆっくりと消えていく。
あの観客席にいた奴らはどこに行ってしまったのだろう。
それだけじゃない。過去も、家族も、仲間も、親友も。なにもかもを失った。
名誉も、過去も、未来も、希望も失った世界は……。
「すごい!! すごいっ、すごいなあっ!! 最高じゃないかっ!!」
オレは初めて真実の慟哭を上げる。
自分の喉から絞り出される滑稽な悲鳴は、オレの心をさらに震わせてくれた。
世界が絶望的なまでにセピア色に染まっている! ああ、なんて薄汚い美しい色か! 圧巻そのものじゃないか!
生から死への世界はくだらないほどに、絶望そのものだったんだ!
…………って……待てよ。
これって、"アイツ"の思い通りってことじゃないか。
"マナクマ"のオシオキで絶望するなんて……それも絶望的ではあるが、それでいいんだっけ。
でも、オレは……絶望を求めていたから、それで……。
…………あ、あれ。
あれ。あれあれ。
あれあれあれあれあれあれあれあれあれ。
「あれ……や、や、っぱり……おかしくないか……これって、違くないか……オレが望んでたのって……」
オレの絶望。オレの死。七島の絶望。七島の死。
どれがオレの求めていた絶望だったのだろう。
そもそもオレが欲しかったのって、絶望だったっけ。
『馬鹿なボクサー……』
脳裏に現れたのは希望を抱いて命を落としてしまった彼女。
ああ、オマエはなんて可哀想だ。
オレはそんなオマエを愛して、あんなにも泣いたはずなのに。
「ああ、そうだよ。オレはバカだ。バカなぐらいに絶望的だったろ……そうだろう、錦織」
瞼の裏に焼きついた錦織はつまらなそうに眺めていた。
ああ、やっぱりオマエは、死んでもなお……こんなにも愛おしいのか。
気丈に振舞っていたけど、その心の奥底はオレと同じ虚空を患っていたんだ。
「こんなバカに殺されて、愛されて、絶望しただろう」
答えは返ってこなかった。
代わりに、脳裏に焼きついた錦織の隣には何者かが立っていた。
そして、オレに向かって手を差し伸べる。
『もういいんだよ。萩野くん』
今度はがつん、と頭が殴られるような衝撃が貫く。
「……おい。おいおい………オマエ勘弁してくれよ。こんなときでも、そんなツラして出てきやがってっ。オマエは帰れ、かえ…………っう、ぐ……ク、ソが……っ」
握り拳を作ろうとしたが、すでに指先に力が入らなかった。
急激に生気がどくどくと抜けていく。
オレにとっての絶望は、天馬だったのか。
絶望的な希望とでもいうべきか。……いや、バカバカしい。
そんなことどうでもいい。どうでもいいよ。
兎にも角にも天馬、オマエは憎らしい。死に際になっても恨み言しか出てこないよ。
なにが不運じゃないだ。オマエは不運だ。
何度もオマエには言い聞かせたはずだろう。
家族も、友達も、恋人も、理解者も、家も、権力も、愛も、未来も、希望もない。ないない尽くしの人生……だから命もなくなって当然の存在だ。
それなのに何故、オマエは人に手を差し伸べるのか。
こんな世界を憎まず、絶望せず、希望を抱こうとするんだ。
オマエの墓標に刻みつけてやりたかったな。
天馬陽菜、世界で一番不幸で不運な女……って。
そうでないと、折角してきたことが全部無駄になってしまう。
七島だって、ずっと、ずっとオマエのせいで苦しい目に遭ったんだ。
だから、全部オマエのせいなんだよ。
こんなことになったから、錦織も殺す羽目になったんだ。
可哀想な錦織。オマエは天馬に殺されたようなものだよ。
アイツのせいで七島も変わってしまったのだから。
……あのナイフを、蹴り上げたときだって。
オレのことを見てくれなかった。
「ひどいじゃないか。オレはずっと、オマエを見てきたのに」
オレは盾子お姉ちゃんを愛した。
だが、盾子お姉ちゃんはこの世界から消えてしまった。
盾子お姉ちゃんがいない腐りきった世界に未練はなかった。
盾子お姉ちゃんからもらったもの以外はすべて捨てた。
希望も、未来も、過去も、弱いオレ自身を。
そうして、オレは一人になってしまったんだ。
「……さみしかったよ」
だから、オレは、孤独からの脱却を求めた。
オレが盾子お姉ちゃんから教えてもらった強さを忘れないために絶対的な弱さを欲した。
そして、出会ったのが七島だった。
なあ、七島。オレたち、ずっと一緒だっただろう。
これからも、ずっと一緒にいたかったんだよ。
ナイフを蹴ったオマエは知らないだろうけど、オレは、オマエのことをずっと見てきたんだ。
嘘じゃないんだ。"お前は、俺になるな"っていうのは本当さ。
だって、オレは底なしのクソ野郎だ。
オマエは『俺』に頼って縋って尊敬して、俺だけを信じてくれればよかったんだ。
ただ、それだけだっていうのに!
「それだけ、だったのにな」
それすらもできなかった。
オマエは本当に絶望的な男だったんだ。
そうか。オレの親友は、本当に期待通りだったんだ。
だからこそ、オレは、その期待に答えなきゃダメだったんだ。
「ごめんな」
七島。オレの愛した絶望的な親友よ。
七島。オレを盲目的に慕ってくれた敗北者よ。
「ごめんな。七島。本当にごめんな」
最期まで共にできなくて。
オマエの絶望を看取ることすらできなくて。
「うまく絶望させられなくて、ごめんな」
オレは、どこまでもバカなボクサーだったんだ。
だから、これはもしもの話だ。
いつか地獄から帰って来て、生まれ変わるなら……。
今度はオマエのように、考えられる人間になって絶望させてあげよう。
…………いいや、それはムリな話か。
そもそも、この人生が99回目の生まれ変わりの結果なのかもしれない。
再び100回目として生まれ変わっても、オレは100回目の間違いを犯すのだろう。
きっと、オレは、そういう風に作られてしまって、治ることはない。
生まれてきた瞬間から、オレは、間違ってしまったんだ。
……さて、そろそろオレの人生も終わるようだ。
だけど、なんにも思い出せない。家族のことも、練習してきた日々も。
一番、鮮明に浮かび上がるのは、やっぱりあの人だった。
「盾子お姉ちゃん。死ぬのって最高に最悪に絶望的なんだね」
今にも踏み潰される蕾のような艶やかな唇。
美術館に忘れ去られた陶器のような魅力的な肌。
雲の如く気まぐれでしなやかな髪の毛。
全てを見通すかのような、なにもかも知り尽くして飽ききった瞳。
そして、なによりも。
こんな世界に絶望を望み、液晶越しでもオレのことを愛してくれた盾子お姉ちゃん。
絶望の母。盾子お姉ちゃん以外にそんな言葉が似合う人はもういないんだ。
なんて、絶望的なのだろう。そうだ、この世界も十分に絶望的な世界だったんだ。
盾子お姉ちゃんがいないこと自体が、絶望的じゃないか。
死の間際に気づくなんて。
それでもお姉ちゃんが生きている時代に、オレも生きてみたかった……そう思うのは、なんて愚かなことなのだろうか。
「盾子お姉ちゃん。死って、こんなに早く終わっちゃうものだったんだね」
ごめんな、七島。オレは先に絶望に身を委ねる。
オマエの絶望を見届けられない、薄情なオレを、どうか許してくれ。
いつまでも、オマエの最期の時まで憐れんでほしい。
オマエにも見せてあげたかった。
救いようもない、この絶望を味わわせてあげたかった。
それができなかったのは。
きっと、オレはオマエに希望を、
「……ああ、」
「なんか。バカみたいだな。オレ」
惰性で生きながらえた敗北者は、ゆっくりと息を吐いた。
ひとりぼっちのリングの上で、だれにも知られずに。
冷たい瓦礫に体を埋めたまま。
やがて、生きることを諦めた。
咳き込み、途中で血交じりの唾を吐きだしながら歩く。
ぜえ、はあ、と息を切らして壁に蹲ることも度々あった。
それでも口内の肉が切れただけの薄い血だ。こんなの天馬に比べたら……
「……っ、はぁ……」
いいや、今は考えてはいけない。みんなのところに戻らなければ。
もつれた足のまま、長い廊下を俺は歩き続ける。
だけど、一歩、一歩と床を踏みしめる度、思い描いてしまうのは萩野、天馬、錦織の顔。
星の髪飾り、そして……萩野がつけていた缶バッチも手の中にあった。
アイツとの日々はウソだった。
すべてが、無意味だった。
だったら、俺の選択は間違っていたんだ。頼る相手を間違えていたんだ。
そもそも、頼ることこそが間違いだったんだ。
そうだ、俺は前から思っていたじゃないか。頼るのはやめようと。
できなかったのは、それでも彼を信じていたから。
彼もそれを望んでいたから。
「深い真実を知りたいと本気で思うなら……さっさと人間を棄てることね」
真実を見つけるために、彼女はそう言った。
彼女は母親を見つけるための覚悟を決めていた。
……やっぱり、俺は彼女のようにはなれない。
右足、左足、右足、左足、右足左足……これから、どうすればいい。
過去を水に流せとはよく言ったものだ。
それでも脳に刻まれたものは二度と修復できない。
初めての気持ちで、二回目の映画は見ることはできないのと同じ。
…………やり直せたらいいのに。
「私が不運じゃなかったら……もっと言えば、私が私じゃなかったら、七島くんはどうなのかな? 私と七島くんは……友達にはなれないのかな」
彼女が不運であろうがなかろうが関係ない。
……そうなのか?
たとえ、人生がリセットされて、初めて会う天馬陽菜と、俺は仲良くなれるのだろうか?
そもそも仲良くなったとしても、俺たちは、また同じエンディングを辿るのではないか?
定められたシナリオ、運命に委ねられて。
…………運命なんて、本当にあるのだろうか。
どちらにせよ、みんな戻ってこないんだ。
藤沢も。四月一日も。井伏も。円居も。十和田も。真田も。角も。白河も。錦織も。天馬も。萩野も。
彼らに思いを馳せても、皆、この世界から背を向けたまま。
二度と帰って来ることはないんだ。
だから、“やり直すなんて考えても無駄”なだけだ。
…………そうだろう? そうだと言ってほしかった。
ようやく赤い扉の前に辿り着いた。
俺は腕を突き出して、ドアノブを手に取ると……。
「クソが……ッ!! おい開け、開……っッ!?」
「うわっ!?」
扉が想像以上に勢いよく開いてしまい尻もちをつく。
それに今の声って……疑問の前に、俺の体はぎゅむと小さな体に抱きつかれた。
「っうぐっ!? ……あっ。お、大豊……?」
「七島っちぃ〜〜!! うわあぁぁぁん!! 生きてたのだぁぁ!」
「怪我はない!? 無事でよかった…………い、いえ……状況は良くはないかもしれないけど……そ、それでも、あなたまで死んだら私たち……っ」
頬の真横でわんわんと泣きじゃくる大豊。
同じく紅も膝をつき、口元を手のひらで抑えながら瞳を潤ませている。
その背後でランティーユも肩を何度もしゃくりあげながら佇んでいた。
「………みんな…………」
肩を叩いて大豊をなだめていると、大きな手を差し伸べられる。
その手を取って、ゆっくりと裁判場に足を踏みしめる。
黒生寺はなにも言わずに、俺の目をじっ、と見据えていた。
決して離さないように、俺の握る手に確かな強い力が込められる。
たしかに、やり直すことはできない。
失われた命は、二度とと戻ってくることはないことは事実だ。
だけど、真実は一つだけじゃない。
それでも、今、残された"彼ら"は、ここにいる。
それは疑うことのない真実だった。
『宇宙旅行から地球に帰還したような雰囲気しちゃってるけどさ、現実は1時間もかかってないのよね。再会もタイパの時代っすか?』
だが、俺たちのそれぞれの思いは、能天気な声によって遮られる。
『そんなことよりも、オマエラ、よくここまで辿り着きました! 約束通り、オマエたちには、この学園を知る権利を与えよう!』
玉座の上で、アイツは高らかに宣言をした。
胸に手を当てて、唇を噛みしめる紅。
漆黒の眼光で睨みつける黒生寺。
幼い顔立ちを険しいものとさせた大豊。
まだ嗚咽を抑えるように、肩で苦しそうに息をするランティーユ。
戻ってきた俺も、嘆く暇を与えられなかった。
『仮の希望と、仮の絶望……どちらが本物になれるか! "みんな"に見届けてもらおうじゃないですか!』
ついに、俺たちは
Chapter5 勝手にバッドエンド 完
イキノコリ:5
シボウ:3
◆『王缶バッチ』を手に入れた!
萩野のパーカーに付けられていた王冠型の缶バッチ
エネルギッシュな赤は渇いた血のように色褪せている
To be continued……