非日常編 前夜祭
『仮の希望と、仮の絶望……どちらが本物になれるか! "みんな"に見届けてもらおうじゃないですか!』
先刻までの光景が真っ黒く塗り潰される。
三人の大切な仲間が闇に似た漆黒の中に消えていく……それは目の前に立ちはだかるマナクマの体色に飲みこまれたようだった。
「……それは、かつてのコロシアイ生活と同じ。5回目のコロシアイが終了したから、学園を知る権利が私たちに与えられる……そういうことで間違いないのね?」
微かに目を腫らした紅が腕を組みながら、マナクマを睨みつける。
『うぷぷ。そういうことでもありますな。裏を返せば、マナクマからの挑戦状だよ。この学園の謎のすべてを解き明かすこと。それがオマエラへの課題なのでーす!
……なーんて言ってはみたけど、ボクも復帰して間もないからね。それに片付けもしなきゃだしさ』
そう言って背を向けたマナクマの目線の先にいるのは。
――二度と動くことのない少女。
途方もない感情が湧き上がってくる前に、振り向いたマナクマが俺たちの視界から彼女を遮るように立ち塞がった。
不満げに「帰った帰った」と言わんばかりにぶんぶんと腕を振り上げている。
『なにさ、オマエラそんな顔しちゃって。今日は店じまい……じゃなくて、裁判じまいだよ。そうやって居座るモンスターステューデントには相応のバツを与えますぞ!』
いつまで経っても動けない俺たちに、す、と片手を上げると天井からガトリング砲が下りてきた。
すかさず黒生寺が俺たちの前に躍り出て拳銃を向けて対峙する。
だが、両者の銃口から火花が飛び散ることはない。
「…………クマ公、覚えてろよ………」
『覚えるもなにも、今回については全部オマエラのせいでしょ? むしろ、感謝してほしいんですけどね。オマエラが止められなかった仲間を騙る裏切り者を後始末したんだからさ』
ガトリング砲は仕舞われる気配がなかった。
黒生寺が目くばせをするように、首を後方に軽く振った。
……エレベーターに乗れ、と言わんばかりに。
紅、ランティーユ、大豊……そして、俺も……。
後ずさりをするように、重い足をひきずってエレベーターの籠に乗り込んだ。
拳銃を構えたまま、最後に黒生寺も乗り込むとゆっくりとエレベーターの扉が閉まっていく。
天馬の亡骸を立ち塞いでいるマナクマによって、俺たちは見送られる。
『明日の朝9時、体育館で待ってるよ。くれぐれもブタのように尻尾を巻いて逃げるなんて真似はしないように。……うっぷぷ……』
がしゃん、と喧しい金属音が鼓膜を突いた。
一瞬の隙間もないように、エレベーターの扉が閉ざされた。
……………ごうん、ごうんと、虚しい稼働音。
あんなことが起こってから1日も、それどころか1時間も経っていないように思えた。
昨日まで……いいや、さっきまで俺たちと一緒に、ここに立っていたじゃないか。
裁判場に向かうエレベーターは、たしかに6人を載せていたはずなのに。
弾かれたように扉に触れたが開かない。
俺たちはエレベーターによって移動させられている。
――平手で扉を叩いた。痛いだけ。無意味だった。
苦しい。悔しい。
天馬に会いたい。戻りたい。やり直したい。
…………帰りたい。
――拳で扉を叩く。無意味だった。
俺たちの存在すらも無視するように、エレベーターは非日常の場から遠ざけていく。
――頭を扉に打ちつける。無意味だった。
…………なにもかもが、意味がなかった。
上階に戻った後。誰がなにを言ったワケでもないのに俺たちは食堂に足を運んでいた。
まだ夜時間ではないはずだが、マナクマが裏の準備にかまけているのか灯りは消えていた。
紅は祈るように指を組んで腰をかけ、大豊は膝を抱えながら椅子の上に座っている。ランティーユも時折頭を抱えこんだり、立ち上がる素振りを見せようとしたり落ち着きがない。
黒生寺は厨房から持ってきたのか、パックのゼリー飲料を飲みながら俺たちの傍で佇んでいる。
本来ならお茶とかお菓子を持ってきて、気持ちを落ち着かせるのが普通なのかもしれない。
しかし、今はそういう思いが湧き上がらない。
あの時、裏切られた事実は、たとえ元凶がいなくなっても消えることはない。
……どうして、どんなに苦しくても喉は渇いてしまうのか。
渋々水を取りに行こうと立ち上がるが、ふわりと宙に浮かぶような感覚と一緒に後頭部がずんと重くなる。
肩から後ろへと倒れそうになったが、床に体を殴打することはなかった。
大きくて硬い手のひら……俺の肩は黒生寺に受け止められていた。
「ご、ごめん………っ」
「無茶してんじゃねえ……あんな目に遭いやがったんだ……少しぐらい弱音を吐いてもいいぐらいだ……」
「で、でも、今はそんな場合なんかじゃ、」
「違う。膝をついてもいい。倒れてもいい。……お前を支えられる俺たちがいることを忘れるな……」
黒生寺は空になったパック飲料の袋を握りしめながら、“ある人物”にも視線を突き刺した。
「ランティーユ。これはお前もだ……」
「え……?」
「もう一度、お前に向けて言う……逃げてもいい、倒れてもいい……俺たちが支える……だから、臆病風吹かせて動けずにくたばるのだけはやめろ……」
視線を上げたランティーユの顔は、極寒に放り込まれた遭難者のように凍りついている。
…………そうだ、あの時。
「あの。ムッシュ、……」
「ランティーユ、言わなくていい」
「だ、だけど……ぼくは……っ、マダム天馬は、ぼ、ぼくがアイツに、あ、あれを渡したせいで……っ!」
「ランティーユのせいじゃない! お前は立ち向かっただけ、自分のことを信じただけだ。なにも悪いことはしていない……だから……っ!」
ランティーユの言葉は続かなかった。
机の上に乗せていた彼の拳は小刻みに震えている。
俺の言葉も、終盤は掠れ萎んでしまった。
動機を渡したのはマナクマに扮したアイツで、ランティーユが渡さずともアイツは中身は知っていた。
……ランティーユだって、本当は理解しているはずだ。ずっと世の真偽を見極めてきた聡明な彼なのだから。
そうだとしても、ランティーユは自分が許すことができないのだろう。
アイツのことを親友として信頼していた俺と同じように。
あの男を、信じ続けてしまった自分自身に失望してしまって……
「……こらー! ランティーユ!!」
「っぅでぇっ?!」
だが、それも束の間。
突如としてそんなランティーユの頬はつねられていた。
いつの間にか大豊が立ち上がって、ランティーユの頬をむにぃ、と勢いよく引っ張っている。
「い゛だ、あだだだっ!? ま、ま、どもあぜるぅぅ……!?」
「もうっ、もうっ!! ランティーユのすかぽんたん! あたしだって、天馬っちや錦織っちが死んじゃったのは、つらくて悲しいよ……っ! で、でもっ! 自分のせいって追い込むのはダメなのだ!!」
そのとき、ランティーユがハッと目を見張った。
大豊の力強くも物悲しい嗚咽が、薄暗い食堂に響き渡っている。
「天馬っちだって、さいごに言ってたじゃん……! ランティーユも、七島っちも、みんなも悪くないって……天馬っちも、錦織っちも……だれも悪くないもんっ!! だ、だから……っ! だから……!!」
ポロポロと大粒の涙を流しながら、大豊はランティーユの頬を摘まみ上げていた。
頬をつねられながらも、ランティーユは茫然としたように大豊を見上げている。
走り出した感情が追いつかなかったのだろう……やがて、彼女は両手を顔にあててしゃくり上げ始めていた。
その様子を眺めていた紅も口元を抑えながら俯いた。
俺たちは共に生き抜いてきた仲間だ。
みんなのことを俺は信じている。
でも、そんな言葉も今は価値を失ってしまったのだろう。
……………それでも、俺は、
「俺は、みんなのことを信じている」
みんなの視線が、すっ、と一直線に俺に向けれられた。
「言葉だけに聞こえるかもしれない。それでも……伝えたかった。それに、言葉だけじゃない。俺が過去に囚われていたときも、処刑場から戻ってきたときも、みんなは俺に手を差し伸べてくれた。たとえ、それが俺の思惑とは異なっていても……俺自身が、その言葉を、その手を……ウソだと思いたくない」
夜露に濡れたような8つの瞳に宿された色に『疑念』はなかった。
……それが、答えじゃないか。
だから、これからは迷う必要なんてない。
「俺はみんなと一緒に生きたい。……生きよう。絶対に」
そう言うと、背中がたん、と倒れない程度の力で押される。
振り返ると、黒生寺が肯定の眼差しで頷いていた。
椅子から立ち上がって俺たちの傍に寄り添う紅も、駆け寄ってきた大豊やランティーユも、ゆっくりと首を縦に動かす。
「その言葉、そっくりそのまま全員に返してやろう……」
「私だって、みんなに恩を仇で返すようなことはしないわ。……これ以上、誰も失いたくないもの」
「あたしも……! だって、みんなのこと大好きだもん!」
大豊が、ぐっと両手で拳を作る。
すると、「おや、」とランティーユが彼女を二度見した。
「…………ん!? あ、あれ? マドモアゼル、今、なんて!? みんな大好きって言わなかったかい? ってことは、ぼくも入ってるってこと!? じゃあ、ぼくも大好きってことでいいんだよね!! ウィ! ぼくもマドモアゼルのことが大好きさ!!」
「へけえっ!? ちょ、ちょっと立ち直りが早すぎるのだー!!」
って……大豊とランティーユのお決まりのやりとりが始まってしまった……。
黒生寺と紅も「こんな時に」と少し呆れて肩を落としているようだ。
……でも、これが俺たちの日常だ。
いつもの雰囲気に、強張っていた体がようやく解れたような気がした。
こんな下らないようなやりとりを、これからもできるように。
みんなとの日常がムダにもならないためにも……全身全霊をこめて戦わなければ。
この日、俺たちは別れを告げて各々の自室に戻る。
自室に戻ってきて、折りたたんだ半紙を取り出して筆を執った。
……時間はない。明日に備えなければいけないことは分かっている。
それでも心を落ち着かせたい。
だからこそ集中して、一筆入魂。
人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香ににほひける
人の心をすべて理解することはできない。
それでも、この地の花の匂いは昔から変わっていません。
紀貫之の歌。これは俺が一番好きな一句で、百人一首にも入っている有名な歌だ。
人はいつか死ぬ。それは分かっていることだ。
それでも、このみんながいたという思いだけは……昔からも、これからも変わらない。
きっと、俺はまた、みんなと交わした言葉を、表情を、香りを、何度でも思い出すだろう。
みんなに出会った喜びも。二度と会えない別れの悲しみも。
「…………そうだよな、天馬」
その名前を、その言葉を。…………俺は、絶対に忘れない。
さあ、明日に備えて少しでも英気を養わないと……。
「…………ん?」
今、とさ、と紙の柔らかい音が床に落ちたようだ。
床にころん、と転がっているこれは……。
「ああっ、七島さま!? どうかお気を確かに! ……あっ、そうでございます! 七島さま! どうぞ、これをお受け取りくださいませ!」
俺の気苦労も知らずに、角は純朴な目でなにかを俺の手に握らせた。
手の中を見ると……これって、折鶴か?
……そうだ。これは以前、角からもらった折鶴だった。
お守り代わりに、彼女のことを何度でも思い出せるように机に置いてたんだ。
それにしても……。
手に取って改めて思ったけど、この折り鶴って折り目がちょっと不自然な気がする。
また折りなおせるかは、分からないけど……ゆっくりと折鶴をばらしてみる。
やがて折り鶴は、赤と白で彩られた正方形の紙に戻った。
そして、白い紙の表面を見るなり、「え?」と声が漏れてしまった。
視聴覚室の一番前のデスクの青いボタンを五回連続で押す → 秘密の映像!
……ええっと、なんだこれは?
以前に見た、丸っこくて可愛らしい角の文字であることには間違いなかった。
暗号、あるいはゲームの裏技みたいなことが書かれているけれど……。
これもまた、角の忘れ形見なのだろうか………?
疑問は残るけれど、これも明日になったら調査しよう……。
キーンコーンカーンコーン……
『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』
そして長いようで短かった明日が終わって、今日へと変わっていた。
チャイムも、寝ぐせも、いつもと変わらない朝だった。
馴染みのワイシャツとズボンに着替えて、オレンジ色のネクタイを手に取る。
鏡の前でネクタイを結ぶ指先は、入学式の時のようにいつもと異なる緊張が宿っていた。
ぱん、ぱん、と手で両頬を挟むように叩いてから、この生活で寝泊まりしてきた部屋を後にする。
あらかじめ決めていた集合先の食堂には、すでに4人が揃っていた。
が、彼らよりも前に、テーブルに並べられていた朝食に目を引かれてしまった。
生クリームと果物たっぷりのサンドウィッチとヨーグルト、武骨な干し肉とコーヒー、大きなおにぎりと野菜炒め、宝石のようなジャムが塗られたバゲットとカプチーノ……見事なまでにバラバラだった。
「本当は揃えようかとも思ったけれど、それぞれ好きなメニューのほうが気が引き締まると思って」
「そもそも、紅っちやくろなまでらが料理がへたっぴだし、あたしや、ランティーユも角っちに比べるてお料理が上手でもないからね!」
「ふん……朝食なんかで揉めたら、後に引くだろ……」
「ウィ、勝負はこれから。敵はマナクマ一人だけだからね」
……なるほど、それもそうだ。
それに今までもずっと俺たちはそうやって生活してきた。
不思議と笑いが漏れそうになりながら、俺も朝食の準備に厨房へ向かった。
少し焦げたスクランブルエッグとトースト。
やっぱり、慣れないことはするもんじゃなかったかな……。
スクランブルエッグはケチャップ、トーストにはチーズをのせて風味を整えて口に運ぶ。
これが……この学園で取る、最後の食事だ。
……ゆっくりと、確かに空腹が満たされていく。
一人、また一人と食事を終えて、大きく息を吐き、軽く伸びを始める。
最後に食事を始めた俺の皿もすっかり空っぽになった。
誰が言うとでもなく、みんなは立ち上がって食堂の出口へと視線を向けた。
「………それじゃあ、行こうか」
俺たちはゆっくりと頷き合い、体育館への一歩を踏み出した。
――この日が正真正銘、俺たちの卒業の日でありますように。
Chapter6 嗚呼、誇り高き希望ヶ峰よ。導きあれ、栄光あれ。希望あれ
『オマエラってエンタメ精神が足らないよね。若者らしく、もう一回事件なり殺人なりラブコメディなり起こってもいいもんでしょ?』
体育館に足を踏み入れるや否や、ステージに座ったマナクマによって出迎えられた。
相変わらず、俺たちのことをドラマの役者としか思っていないような発言だ。
でも、こいつの性格は今更だ。こんなところで怒る気力はもったいない。
俺たちの静かな様相に、マナクマは「まあ、いいさ」と鼻白む。
『それじゃあ、約束通り。マナクマの挑戦状を与えてやりましょう。ほら、電子生徒手帳のマップを見てごらん。それがオマエらの進むべき道だよ』
ぴ、ぴ、と軽快な電子音が鳴った。
ポケットから電子生徒手帳を取り出してマップを開くと、いくつかの箇所が赤く点滅していた。
どうやら“視聴覚室”、“図書室”、“科学室”、“情報処理室”のようだな……。
『さらにオマエラには、おまけでもういっちょ! 1階の会議室のロッカー。そこを調べてみてごらん! チェケラー!』
そう言って、マナクマは脱兎の如く消え去ってしまった。
……ついに、この時が来た。
意識的に大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「……さて、どうしようか」
「そうだな……ぼくはマダム紅と話がしたいんだよね。ちょっと手伝ってもらいたいことがあって」
「そうなの? じゃあ、私はしばらくランティーユと一緒に行動するわね」
「俺は、他を当たる……クマの言葉だけを信じるのは癪だ……」
「ええっ!? バラバラすぎるのだ!」
「人数が5人だもの。多少バラバラになるのはやむを得ないわ」
たしかに、みんなで一斉に行ったら手間取ることがあるだろう。
むう……と大豊は頬を膨らませていたが、諦めたのか「よし」と頷く。
次の瞬間、俺の袖は大豊によって握りしめられた。
「じゃあ、七島っち! あたしたちは会議室! 2人でおでかけしよ!」
「…………え?」
「…………なっ、なんだってぇぇ!?」
大豊の宣言にいち早く食いついたのは言うまでもない。
小さく拳を作ったランティーユが、鼻息荒く俺の前に踏み出してくる。
それでも大豊の手は、俺の腕を掴んで離そうとしない。
というか、俺を巻き込むなよ……!?
紅と黒生寺に助け船を出すも、面倒なのか呆れているのか一向に視線を合わせてくれない。
「お、おおお、おでかけだって!? 最近、ぼくたち良いムードなのに抜け駆けなんて卑怯じゃないか!! ムッシュ! ぼくもマドモアゼルにおでかけチケットを」
「うるさいのだ! ほら、七島っち! ダッシュでゴーなのだ!」
「う、うわっ!? 引っ張るなって、伸びるから!」
くたびれたYシャツの袖を引っ張られると同時に無理矢理走り出された。
「マドモアゼール!」「アゼール」「ゼール……」とランティーユの悲痛な木霊が遠ざかり、俺たちは足早に体育館を後にすることになった。
大豊に引っ張られて到着した1階の会議室。
机や壁が黒ずんでいて、焼け焦げた場所ばかりが目につく。
床は白河が掃除してくれたのだろうか? ……靴が汚れる心配はしなくてよさそうだ。
「なつかしいのだ! みんなでパーティする予定だったんだよね! ……火事でなくなっちゃったけど」
それは16人全員が生きていた時……火災の痕のように思い出もまた煤けている。
親睦会が始まる前に火事が起きてしまって、そして藤沢が殺されてしまい……それを皮切りに次々みんなが俺たちの前から消えて行った。
こうなることは、なにかの必然だったのだろうか。
コロシアイを防ぐことはできなかったのだろうか。
今もなお、どんなに振り返っても、救済策は見つけることはできなかった。
灰色のロッカーに近寄って、ゆっくり怖気づくように少しずつ開けてみた。
だが、中身は掃除用具すらなく空っぽだった。
種を貯めこんだハムスターのように頬を膨らませながら、大豊はロッカーの中を睨みつける。
「なーんもないのだ。こーいうのを『キツツキにどつかれた』っていうんだよね?」
「『狐につままれた』のことか?」
「そーなの? でも、だいたい合ってるからいいのだ!」
キとツしか合ってないんだよな……。
今まで俺たちは舌巧みなマナクマに翻弄されてきた。
だけど、今回も本当にそうなのだろうか?
アイツはたしか、"そこを調べてみてごらん"……って言ってたよな。
「なあ、大豊。ちょっとロッカーを動かしてみないか?」
「へけ? なんで?」
「勘でしかないけど……ちょっと気になるんだ」
腑に落ちない様子だったが、大豊は頷いてくれた。
「せーの」と合図をして、すぐにロッカーを本来の位置から横にずらすことができた。
小柄とはいえ、さすがは体育系だ。
「ねえねえ、こんなことしてなにが…………って、あれ!? なにこれ!」
大豊が両肩を跳ねさせて大きな驚嘆を上げた。
ロッカーがあった場所の床には、小さな扉が取り付けられていた。
やはり、思った通りというべきか、単純な言葉遊びというべきか。
“そこを調べてみてごらん”――『底』ってことだったのか。
しばらく大豊と一緒に顔を見合わせていたが、床に付けられた扉に手を伸ばす。
鍵はかけられておらず、そこには下方への階段が続いていた。
恐る恐る、俺たちはゆっくりと下へと降りる……言うなれば床下という空間だろうか。天井はそれなりに高いが閉塞感は否めない。周囲は薄暗くひんやりしていて、その冷たさのせいか、しっとりと雨が降った後のように湿っているようだ。
ふと、口の中に一気に酸味が押し寄せてきた。
反射的に喉がひっくり返りそうな感覚に見舞われる。
腐った野菜や卵が発するような鼻を抉る不快な臭い。
まるで小さくなった自分が三角コーナーにすっぽりと沈んでしまったように……吐き気が止まらない。
腐敗臭を発しているのは白いタートルネック、白いスカート、黒ストッキング……それらを身に着けて倒れている人型のモノ。
顔が腐り果てた、死体の敷物。
「――――っぅぅ!!?!」
隣の大豊が声にならない嗚咽に似た悲鳴をあげる。
ピンポンパンポーン……
『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』
そして、俺たちはもう二度と聞くはずのなかったアナウンスを鳴らしてしまった。
パニックに陥りそうになった大豊を宥め終わったと同時に、まばらな足音が地下の空間に響いた。
「二人とも大丈夫……って、これは……っ!?」
「おい……どういうことだ……?!」
「マドモアゼル無事かい!? ムッシュに変なコトされなかった!? そんでもってこれ、は……っうっ!? うぐぅっ……!!」
状況を見るなり、ランティーユたちも動揺、茫然してしまっている。
だけど、このような反応になるのも無理はない。むしろ当たり前のことだ。
だって、この死体は………?
『ついに見つけてしまったね!』
騒然とした俺たちを嘲るように、マナクマは飛び出してきた。
突然飛び出したヤツに、大豊は慌てて俺の腰に抱きついてきた。
ランティーユから、「ムッシュ!君ってヤツは!」という嗚咽交じりの声が聞こえたが、黒生寺が睨みつけたようですぐに黙りこむ。
「ねっ、ねえ……! こ、これってだれなのだ……!?」
『うぷぷ。冒険が挑戦を連れてきた最後の動機……これはエクストラステージだよ』
「エクストラステージだって……?」
『そうです! オマエラには、こいつを殺した犯人を含めて謎を解き明かしてもらいます! というわけで……じっじゃーん、ファイナル・マナクマファイル〜!』
そう言ったマナクマからビラ配りのようにタブレット端末を次々と手渡された。
まさか、これをまた触ることになってしまうなんて……。
『そしてスペシャルヒント! ず、ば、り、こいつを殺したのはボクでーす!』
「なっ……! そ、それって……!?」
『おっと、あまりにヌルゲーすぎるかな? ぶっちゃけすぎてぶっちゃけアリエナイね! というわけで、冒険気分でガンバ!』
そう言って、マナクマは階段を短い足で駆け上がり去ってしまった。
……犯人はマナクマ。
この自白が意味するのは他でもない。
「黒幕がやったということよね?」
「黒幕が犯人……まったく目星がつかねえな……」
「そうかな……? ぼくはマナクマが疑心暗鬼を植え付けているように聞こえたよ……」
これに関してはランティーユの言う通りだ。
あんなことを教えるなんて敵に塩を送るようなものじゃないか。
相変らずマナクマの言うことやることには整合性が欠けている。
いや、そんなことよりも、まずはファイルの中身を確認しよう。
あまりに臭いがひどいので遺体から距離を取りながら。
地下空間が広いのは不幸中の幸いというべきなのか……。
被害者:早刃宮 ジャンヌ(超高校級の罪人)
場所:会議室
死亡推定時刻:深夜3:00
備考:死因は首を絞められたことによる絞殺
「……………え?」
被害者の名前を見た瞬間。
思わず、俺は、そして他のみんなからも次々と驚きの声が飛び出す。
「え……? ウソでしょう……これって本当なの……!?」
「さ、さばみやジャンヌって!! あの、お魚っぽい名前の!?」
「ウィ……! 言われてみれば生臭いかもね……!?」
自分で発した生臭いと、今の状況を照らし合わせてしまったのか。
ランティーユはすぐさま口を抑えて、転がっている人物から視線を背けた。
ふと黒生寺だけは腕で口を覆いながら遺体に近寄っており、その上半身を撫でるように触った。
その様子に紅は眉をひそめ、窘めるように手を軽く上げる。
「ちょ、ちょっと、あなた触りすぎよ。いくら怪しい人物で死んでいるとはいえ、女子生徒をべたべた触るのは……」
「い、いや……この格好だが、これは……」
黒生寺は手を離して俺たちのほうに振り返る。
眉間に寄せられたシワには困惑が刻まれていたようだった。
「こいつ……“野郎”だぞ……」
「……へけっ!?」
黒生寺は顎で俺をしゃくった……確認したいならいいぞと言うことか。
俺も彼に倣って鼻と口を覆いながら遺体に近寄る……。
うっ……! これでも臭いが口いっぱいに広がってクラクラする……。
めくられたタートルネックから首元や体をチェックした。
たしかに大きな喉仏、肩幅とかの体格を考慮しても男性の体で間違いなさそうだ……。
それにしても、近くに居続けると士気が下がりそうだ……俺はそそくさと遺体の傍から離れた。
「そ、そう、男性だったのね。名前で早とちりしてしまったわ。……でも、この際、性別は置いておいて信じられないわ。早刃宮ジャンヌが死んでいるなんて……私はてっきり早刃宮が黒幕だと思っていたから……」
「ランティーユ……貴様が物理実験室でカリモノを見た時、その数はどうだったんだ……?」
「16だったはず……ぼくたち以外はいなかった」
ならば、早刃宮ジャンヌは黒幕ではないということなのか?
紅の言う通り、有力な黒幕候補だったが梯子を外されてしまったようだ。
それにしても女装をした罪人か……。
史実のジャンヌ・ダルクは男装をしていたと言われているが、それとはまるっきり真逆だな。
ランティーユもハンカチで顔の半分を覆いながら、早刃宮にゆっくりと近づいて、タートルネックがめくられた首を虫眼鏡で観察する。
「っうぅ……"細い紐"で、ぐっ、と絞められたみたいだね……」
「首に引っ掻き傷もあるみてえだ……絞められたときに、引っ掻いて抵抗したのか……」
「抵抗したってことは他殺ということで間違いないのね? だいぶ深い傷だから、相当動揺したのかしら……?」
ところどころ腐敗してみるに堪えない姿となっているが……早刃宮の遺体はぐっしょりと濡れていた。
ここの床下が薄暗くひんやりしているから湿ったら最後、渇くことはないのだろう。
床が水で染みているせいか、彼が寝ているところには床に人型ができているようだった。
「……あっ! ねえねえ、なんか落ちてたよ!」
いつの間にか空間の隅っこにしゃがみこんでいた大豊は立ち上がって、俺たちのもとに駆け寄ってきた。
彼女の手の中にあるのは薄ピンク色の紙と……これは、カセットレコーダーだろうか?
大豊に手渡されて、まずは一枚目の折りたたまれたメモを開いた。
それを後ろから紅と黒生寺が覗き込んでいるのが気配で感じた。
舞台と現実がごちゃまぜになる。
例えば、ちょっと現実で奇跡とも思えるようなことがあると、"まるでお芝居みたい!"と人は言ってしまう。
けれど、それはおかしな話。
現実から作り上げられたものが演劇なのだから、その例えは合っていないはずだ。
……そう。おかしなこと。
それじゃあ、アタシは、どうしてこんなことに巻きこまれているの?
お願いだから、誰かこれが"お芝居"だって
途中でメモは切れてしまっている。
それもそのはず、メモには破かれた痕があった。
書き手はわからないけど、この舞台やお芝居という言葉から察すれば……。
「もしかして、これは……藤沢のメモなのか?」
「随分懐かしい名前だ……これは、生前に罹れたのか……?」
黒生寺の言う通り、懐かしい名前と存在だった。
だけど、これはいつ書かれたものだろうか?
なによりも慌てて書き殴ったような……切迫した雰囲気が文字からも感じられた。
次は小型のカセットレコーダーだ。
真っ先に紅が三角が書かれたボタンを押すと、スピーカーから耳障りな雑音が発せられる……。
『20……年――2月――日……14時2……希望ヶ峰学……井伏…
これを聞いている方に……伝えま…………。現在希望ヶ――は、危機に瀕して……生徒たちが数十名の――追われている生徒は井伏歩夢含め――……』
猛吹雪を彷彿とさせるノイズから現れたのは少年の声。
彼が名乗った『井伏歩夢』という言葉に、紅の背筋がピン、と驚いたように伸びた。
やがて、ぜぇ、はぁと病に罹ったような苦しげな息が発せられる。
『――のときになるかもしれないので伝えます。――俺、井伏歩夢は人を殺したことがあります。殺したのは――医者………イノシカ――…………屋上から……。
紅さん、君のことが好きでした………円居くん、君の話は面白かったよ。……っ、佐藤先生、――……それと…………。
――――ごめんなさい。ごめんなさ………だれか助け……、死に……、くないな――………』
しばらく俺たちはノイズに耳を澄ませていた。
山彦を待つ子供のように、もう一度、井伏の声を待ってみた。
………返事は沈黙だけだった。
「……………井伏………」
紅は震える声で、過去の声に呼びかける。
穏やかな笑みを浮かべ、秘めた罪を語れずに消えてしまった少年の名前を……。
口元を抑えた彼女を大豊が心配そうに見上げていた。
「な、なあ……いまの、なんなんだい? 最後の時とか、死にたくないだなんて……こ、こんなの、どう考えても……」
沈黙を破ったのはランティーユだった。
だが、思案がまとまらないのか、はたまた不謹慎だと思ったのか歯切れが悪そうに口を閉ざしてしまう。
だけど、それは俺も一瞬だけだが脳裏に過ってしまったことだ。
今のは、まるで遭難事故のメッセージ……遺書のようではないか。
やがて微かに鼻を啜りながら、紅はなにかを払うように頭を振った。
「とにかく……この遺体の調査はこのぐらいで大丈夫かしら? ……私はランティーユとさっきのことでもう少し話し合うわ」
「俺も他を見て回る……」
「えっと、えっと……じゃあ、あたしは図書室に行くのだ……! 七島っち、迷ってるならあたしと一緒に行こっ!」
「なっ!? ま、またムッシュ!? 君ってやつは」
詰め寄ろうとしたランティーユに、「だれか忘れてない?」と言わんばかりに紅が咳払いして睨みつける。
その間に大豊は素早く手を取り、俺たちは足早に地下室から去ることになった……。
図書室に辿り着き、俺は真新しい本がないか探してみた。
だが、それらしきものは見当たらないし、俺には見当がつかなかった。
錦織がいれば、すぐに探し出すことができたのだろうけど……。
彼女がその道のプロとはいえ、同じ図書委員に選ばれた者としては不甲斐ない結果に終わりそうだ……。
その時、大豊から「おーい」と呼びかけられる。
気がつくと、大豊は錦織が使用していた古いパソコンの前に座っていた。
「みてみて! データがあったよ!」
「えっ? パソコン使えるのか?」
「むむう、バカにしないでよね! エクセルなら、ちょっとぐらいできるよ!」
「えっ!? そ、それはすごいな?」
「まあ、四角いマス目に色をつけてお絵かきするぐらいだけど!」
……ああ。なるほど。
データを見ることぐらいはできるってことか。
少しだけ安堵の気持ちを覚えてしまった俺のことも気にせず、大豊は「これこれ」と画面を指さした。
『95期生12月21日現在入学予定生徒 記入者:錦織 春路』
A組 渡辺 鍋之助(62期 超高校級の剣豪)
船長:鯨坂 大和
整形外科医 小林 ぴの
預言者:ノア・スラムダート
ヒールレスラー:悪ノ原 真大
……以上、15名
B組 佐藤 チャーミング(73期 超高校級の怪盗)
■■■■■:真田 斑
■■■■:大豊 てら
■■■:四月一日 卯月
■■■■:萩野 健
■■■:十和田 弥吉
■■■:紅 紅葉
■■■■■■:井伏 歩夢
■■:錦織 詩音
■■■■:角 芙蓉
■■■■:白河 海里
■■■:ランティーユ・クレール
■■■:天馬 陽菜
■■■■:黒生寺 五郎
■■■:藤沢 峰子
■■■:円居 京太郎
……以上、15名
C組 鈴木 薔薇子(71期生 超高校級の解体屋)
人形愛好家:モモコ・コットンドール
ドッグトレーナー:乾 都子
罪人:早刃宮 ジャンヌ
……以上、15名
学園長の最終チェック、入学予定者のweb面談終了。
担任は面談レポートを確認すること。
なんだか不自然に文字化けを起こしているのか読めない箇所もあるが……。
画面には多くの生徒達の名前が連なって映し出されていた。
罪人は俺たちと同期だが、C組に所属していたのか。
担任はどうやら面接には関わっていないようだ。
つまり入学式になるまで生徒達とは顔を合わせていないのだろうか。
「あれ? 七島っちの名前がないのだ!」
「それは………この時点で俺には入学通知が届いてなかったからじゃないかな。補欠入学だったから」
「あ……そっか……」
俺に入学届が到着したのは1月だった。
本来の書道家が事故によって辞退したことによる補欠入学。
この時点で12月ならば、この情報は決して不自然ではないはずだ。
…………そのはずなのだけれど。
嵐の前日のように胸がざわめいて不快感が残った。
なんだろう。俺は、"重大なことを"を見落としているんじゃないか……?
大豊は連なった名前を見つめながら、大きな目をふと細めた。
「あ、あのさ、七島っち。あたし思うんだけどさ……天馬っちの才能って本当に不運だったのかな?」
「…………どういうことだ」
「えっ。ええっと、その……天馬っちって、すっごくツいてなかったよ! ……で、でもさ、本当にそうだったのかな? みんなと比べて、かなりのドジなだけだったってことは考え……らんないか……あの、変なこと言っちゃってごめん……」
大豊は自分で言ってしょんぼりと項垂れてしまった。
……そう言えば、錦織は前に才能と名簿が列記されているデータを見たと言っていたよな。
もしかして、彼女が見たデータって、このことだったのだろうか……?
「だ、だって信じられないもん……天馬っちは、たまたま毒を飲んだから死んじゃったなんて。あたしにはアイツが最初からわかってて毒を入れたようにしか思えなくて……マナクマもそうだよ! ドアの鍵が悪かったのも! 藤沢っちが死んじゃった時の裁判で、天馬っちの映像がながれちゃったのも! ぜんぶ、ぜ、ぜんぶ……だれかのせいだったらさ……!!」
言葉にこそ出さなかったが大豊の言うことには一理あった。
事実、彼女は、命を落としてしまう前に…………。
「天馬、お前は……本当は、不運じゃなかったんだろう」
「……う、ん……そう、みたい……不運じゃ、なかった。………でも、ね。七島くん……不運じゃなかった時の、私……それは、遠い……過去、……だから」
「過去だからって……でも、お前は」
「振り返っても……っ才能は、返ってこな……で、も、いいんだ。私、っ……幸せ、だよ。不運、じゃなくて、きっと……幸、せ者、なんだ」
彼女は自分が不運じゃないと言った。
しかし過去のことだから本当の才能は返ってこない、才能が返ってこなくても幸せだと、そう言って……。
……なあ、天馬。
お前の本当の才能はなんだったんだ?
それを結局、最後まで知ることはできなかった。
お前の才能は……俺が知るべきではない才能だったのか?
「おい……竜之介…………」
俺は図書室を後にして扉を閉めると声をかけられた。
振り返ると黒生寺が影のように立っていたので、一瞬だけ息を飲んでしまった。
「時間はあるか……」
「あ、ああ、大丈夫だけど……どうしたんだ?」
「1階のKEEPOUTのテープが剥がされていた……向かうぞ……」
一階の行けなかった場所が……俺は咄嗟に頷いて、大股で歩き出した彼の後ろに続く。
階段を降りて寄宿舎方面に辿り着くと、いままで黄色と黒のテープが貼られていた扉が解放されていた。
「記憶ではこの先は西棟への連絡通路だったはずだ……」
「黒生寺、大丈夫か?」
「……ふん、少し傷が疼いただけだ……お前も廊下でぶっ倒れないように覚悟はしておけ……これ以上、背負うのは御免だからな……」
そんな皮肉を吐き捨て黒生寺は歩き出したので、俺も慌てて後を追いかけた。
足を踏み入れた連絡通路は窓がないためか薄暗くて埃くさい。
思わず最初は強く咳き込んでしまうほどだった。
しばらく歩いていると、大きな扉があった。
……が、その前には大きな鉄でできたオブジェのようなものが置かれていた。
黒生寺はそれを見て、バツが悪そうに眉間に皺を寄せた。
「アイアンメイデンか……?」
「アイアンメイデン?」
「鉄の処女……中は空洞でそこに人を入れる……扉を閉めることによって内側につけられた針が入った人間に刺さる拷問具……処刑道具? いや、わからんな……昔、聞いただけで実物は知らん…………まあいい、手ぇ貸せ……」
喋り疲れたのか黒生寺は唇を軽く舐めながら、アイアンメイデンと思われる物体に近づいた。
ロッカーのときと同じように、その物体を右から押して左へと寄せた。
うう……やっぱり鉄製というだけであって重い……!
ほとんどが黒生寺が動かしてくれたが……さすがの彼も、ぜえ、ぜえと息を切らしている。
ようやく鮮血のように真っ赤な扉の全貌が明らかになった。
扉に鍵がかかっていなければ、これで開けることができるだろう。
だけど…………。
「な、なあ、この中は見なくていいのか?」
横に退けたアイアンメイデンらしき物体を指さした。
黒生寺はしばらく、それを凝視して表面を撫でていたが渋い顔をするだけだった。
「開け方が分からん……それに今はこっちだろう……」
黒生寺と俺は赤い扉の取っ手を回してぐ、と押した。
だけど、返ってきたのは途方もないドアからの拒絶。アイアンメイデン以上にびくともしない。
歯ぎしりをしながら黒生寺は全体重をかけて押しているようだが……。
「ぐ……ッ! 鍵がかかってんのか……!?」
「じゃ、じゃあ引いてみるか?」
今度はぐ、っと綱引きのように取っ手を引っ張ってみた……が、結果は同じ。
頑なまでに扉は開く気配を見せず、俺の両腕と手のひらがじんじんと痛みを増すだけだった……。
「騙しやがったのか……? それとも、この中にクマ公の操縦者がいるってことか……!?」
「い、いや、5階の封鎖された部屋がマナクマの操縦室だと思うけど……」
「……クソったれがッ!!!」
黒生寺がドスを効かせて、勢いよく扉を蹴り上げる。
改心してから落ち着いていたと思っていたけど……や、やっぱり、凄みは健在なんだな……。
のんきなことを思っている場合じゃないが、そう思わざるを得なかった。
「離れろ」と吐き捨てると、黒生寺はすぐさま拳銃を抜き出した。
いまも俺たちを小馬鹿にするように閉ざされた扉に黒い銃口を向けている。
まさか撃つのか? そう、俺が尋ねる前に……。
―――。
「…………おい、今、なにか言ったか……?」
「え? いや、俺はなにも」
――だだだだだだだだだっ!!!
突如、ミサイルが乱射されたような連打音が扉の向こう側から打ち鳴らされる。
「なっ!? こ……黒生寺ッ!! これは!?」
「落ち着けッ! 銃乱射じゃない……叩いてやがるんだ、扉を……複数の……人、がいるのか……ッ!?」
「な、なんで、だれが」
――だだだだだだだだだっ!!!
『うぁぁぁあぁぁっ!!開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろぉぉぉぉォォォぉぉおおぉぁぁぁあああっ!!!!!』
『いやだいやだいやだやだやだやだぁぁぁ出してぇぇぇえええぇっ!!』
『痛いの!!怖いの!!暗いの!!狭いの!!苦しいの!!!!だれかだずげでぇぇえええぇぇ!!!!』
『死にたくない死にたくないよぉぉあぁあぁぁ!!!俺を僕を私を殺せ殺せ死にたい死にたくない死ぬ死ぬ殺せ殺せ殺せいやだいやだ殺さないで死にたくないやっぱり殺せ殺してくれよぉぉおあぁぁあぁ!!』
な。なんだ、これ。は。
俺は、今まで処刑前に命乞いを目の当たりにしてきたはずだ。
だけど、今の、これは…………なんだ?
鼓膜が粉々に破れるのかと錯覚する。
音の洪水によってありとあらゆる器官を殴られ、殴られ、殴られ、
「竜之介ッ!!!」
耳を塞ごうとしていたはずの、手首は咄嗟に掴まれていた。
鉄製の扉はそれでも開くことはなく、俺は扉から急速に磁石で反発したように離れていく。
通路に怨霊の呪いだけが木霊して……成仏されたように消えていった。
がむしゃらに、無我夢中に、走って、走って、走って、………………。
………………。
やがて俺たちは寄宿舎の廊下に戻ってきた。
こちらの手首を握りしめていた手が、パッ、と離れていく。
俺たちの荒い呼吸音だけが廊下に、耳奥へと響き渡った。
だけど、まだ悲鳴が……人間の末路のような咆哮がこびりついている。
どぐどぐ、と打ってる心臓を抑えるように胸を掴んで息を飲みこむ。
「な、なあ……黒生寺。あ、あれは、なんだったんだ……!?」
「俺に聞くな……ッ! 分かってたら戦線離脱してねえぞ……ッ!」
黒生寺は拳銃を仕舞いながら、口元の汗を拳で乱暴に拭った。
「人が閉じ込められていたのか……? だが、なんのために……そもそもアイツらは誰だ……?」
「ま、まさか、他の生徒たちとか……?」
「なるほど……? だが、もう少し上の年代の声も聞こえた気がするが……」
確かに、年のいった成人男性のようなものも混じっていた気がする。
教師といえば辻褄が合うかもしれないが……本当に、そうなのだろうか?
「……ゼェ、はァ……それで竜之介……腹括れたか……?」
「え……?」
「真実を見つける覚悟だ……少しは、できたか……」
「あ、……ああ……」
歯切れ悪くなってしまったが頷くと、黒生寺は微かに目を細めた。
おぼろげな妖怪を射止める仕草にも思えて、うっかり身動ぎをしてしまった。
「たまにはバカ正直に言わせてもらおうか……陽菜と健を失ったお前のことを思うと気が気じゃねえ……」
2人の名前を出されて、背中に一瞬だけ冷汗が流れる。
落ち着きを取り戻していた鼓動がまた刺激されて、素早く打ち鳴らされる。
「あまりにも突然……しかも理不尽に両方失った……俺の生きていた世界では当たり前とはいえ、さすがに俺も頭が追いついてねえ…………俺ですら、こんなだ……。お前はさらに深く傷ついているのは違いない……まだ、彼らを弔えてないはずだ……」
「……そう……だな。だからこそ、この裁判で決着をつけることで彼女のことを弔いたい。……アイツとも踏ん切りをつけたいんだ」
「……そうか。…………だが何度も言うが、決して無理はするな……」
黒生寺は壁に寄りかかっていたが、自らの足でゆっくりと足を踏みしめる。
「…………俺も、お前と同じだ。今回の裁判、こんな生活を終わらすことが、死んでいったヤツらの無念を晴らせると、信じている」
黒生寺は初めて流暢に、掠れることなく俺にキッパリと言い切った。
それも束の間、彼は照れくさそうに鼻で一笑した。
「まあ……ガンマンらしくない情緒かもしれんがな……」
そう言って、背中を向けて、黒生寺は軽く手をあげて去る。
その背中は頼もしくもあり、俺の心に渦巻く色に似たものを背負っているように思えた……。
次は科学室に向かうと、準備室の扉が半開きになっていた。
薬品棚が所狭しと並んでいる部屋のようだが……まるで入れ子人形のように、さらに奥にはまたもや半開きの扉があった。
ゆっくりと摺り足で進みながら、最奥の扉を覗いてみた。
そこは、サイエンス・フィクションの世界が広がっていた。
細長い大きいガラス状のドームには液体が注がれていて、こぽこぽと音を立てていた。
大きな手術台に似た実験台。そして、それを取り囲むように、人間が入れるような大きなカプセルが16個、律儀にずらりと床に並んでいた。
このような異質な空間で、紅は部屋の隅で腕を組みをして立ちすくんでいた。
落ち着かない様子だったが、俺の姿を見るなり安堵したのか……ぎこちなくも頬を緩ませた。
「これが、今までの話に出ていた『ノアの箱庭』の筐体なのかしら……」
…………なるほど、これが。
この筐体の中で俺たちはバーチャル上の学園生活を過ごして新しい記憶が再構築されていたのだろうか。
紅は隅に置かれたデスク上のパソコンに歩み寄って画面を指さした。
「ねえ、七島。これって見ることができる? さっきから反応しなくて」
「ロックがかかってるのか?」
「そうなのよ。ほら」
そう言って、紅はマウスを持ち上げる。
そして、パソコンの画面にあてて困った顔で「ね?」とこちらを見上げる。
……ああ、そうだった。紅ってプルトップも知らなかったほどの世間知らずだったっけ。
俺はマウスを彼女から借り、ダブルクリックをして『ノアの箱庭』と書かれたデータを開いた。
紅は交互に俺の顔とパソコンを眺めていた。
『ノアの箱庭 作成者:94期 超高校級の脳科学者 竹中 朝介』
・生徒たちの意識をバーチャル世界に飛ばして、仮想の希望ヶ峰学園で生活させる、
一種のシェルターとして、選ばれた生徒たちを永続的に延命させる学園長公認のプログラム。
未来機関の新世界プログラムを参考に開発。
・現実世界の希望ヶ峰学園の活動の記憶は全て抹消
・筐体(16台)すべてに生徒が揃っていなければ、ノアの箱庭は起動しない。
・現段階では記憶の食い違いが発生を防ぐため、プログラム上の学園生活は三年制。
卒業前にリセットして、何度も入学⇒卒業⇒入学を繰り返すように設定。
・筐体に入った人間の肉体は昏睡状態になり成長も止まる。
・なお、このプログラム権限の最高責任者は学園長の錦織春路。
管理用のパスコードも学園長のみが知るものとする。
「随分と浮世離れした話ね。これが本当だとしたら、いまの私たちの年齢って…………いえ、いまは考えないことにしましょう」
ノアの箱庭の説明の全文を読み、紅は唇を下げたまま目を細めた。
この文章を読む限り、このプログラムが終わったのは学園長のおかげであり、今こうして、こんな生活を強いられて生きているのも学園長の仕業とでもいうのだろうか……?
……でも、錦織からは学園長は死んだとは聞いている。
では、誰が今のコロシアイの状況を作り上げているんだ?
「それにしても……この16人生徒が揃っていればノアの箱庭は起動しないっておかしくないか?」
「どういうこと?」
「ああ……さっき大豊と名簿のデータを見たんだけど、95期生のほとんどは15人編成だったんだよ。でも、補欠の俺が入ったB組だけは16人になるんだ」
「……それは変な話ね。それじゃあ、B組だけがノアの箱庭の資格があるクラスとして選ばれていたってこと?」
もちろん、他の学期生のクラス編成を見たことがないから真相は不明だ。
それでも、全ての筐体に人が入っていないと起動しない……という点は重要かもしれない。
ふと、紅は今度は棚を眺めていて、一冊のファイルを取り出していた。
「背表紙に"早刃宮ジャンヌ"って書かれていたわ。1つだけしか書類は挟まってないみたいだけど」
「それはクリアファイルか? これなら、紅でも開けられるな」
「…………ダブルクリックは、さっきので覚えたから」
いじけながらも紅は白いクリアファイルを指さした。
雑誌の記事の一部のようで、一つ一つの文字が黒く塗りつぶされているようだが……
『■■■■財閥の ■■■■潤一氏の一人■■ 95期希望ヶ峰学園に入学か』
過去の人物を真似する人工知能AIの創始者とも言える■■■■財閥の御曹司の■■■■■■(正清学院高校)の希望ヶ峰学園入学が決定した。
■■■■潤一氏はコメントは寄せていない。
また、早刃宮ジャンヌは■■■■潤一氏の腹違いの娘ではないかという噂に関しても本雑誌は調査をしているが……
罪人は財閥貴族の血筋……と、きたか。
これに関しては都市伝説じみた話すぎて、いまいち実感が沸きづらいな。
紅は記事を読みながら、軽く首を傾げていた。
「変ね。この記事では早刃宮ジャンヌは娘と書かれているわ」
「本当だ……でも、女装をしていたからじゃないのか?」
「まあ……そうかもしれないけど……」
たしかに、この書面上だと娘と書かれている。
それでも、俺たちが見た早刃宮の遺体は男性だったはずだが……。
それに、この95期で入学するという伏せられた人物は誰なのだろうか?
「それにしても……正清学院高校は偏差値の高い男子高校だから、おそらく学問系の才能でしょうね。それに対抗できる男子高校は栄明学園高校。文系は正清、理系は栄明と言われているもの」
「そうなのか……詳しいんだな」
「男子校は親近感があるから。私も女子校だったもの」
「たしか、聖ソルフィージュ……だっけ? 前に錦織からのデータにあったけど」
「ああ……そう言えばそんなものもあったわね。熱のせいで、私はあんまり覚えていないんだけど……でも、やっぱり変だわ。さっきから違和感があるのだけれど……」
ファイルをぱらぱらと紅が無造作に捲っていると、やや重たい音が落ちた。
彼女が慌てて拾い上げたものは見覚えのある小さな端末だった。
「なるほど、妙に重いと思ったら……」
そう言って、銀色のボイスレコーダーのボタンを押した。
がさがさと耳障りなノイズの後、「君なあ……」という間延びした声と、「しょーがないっしょ」という今時の少女の声が発される。
『あのさあ、無茶するなって言っただろ』
『え? なに、心配してくれるの? なんか……アンタらしくないなー』
2人の声を聞くや否や、紅は目を見張り唾を飲みこんだようだ。
『うるさいなあ。こんな状況なんだから、お節介の一つや二つ吐いても罰は当たらないだろ』
その十和田の言葉を皮切りに、しん、と静かになる。
……奇妙な沈黙の間が押し広げられているようだった。
『ねえ……うちら、どーなるんだろ……このまま、こんな学園に取り残されたらさ……』
『知ったこっちゃないんだよなあ。ロクなことにならないのはわかるけど』
『クヤシイけど、それは同感! 学園長から連絡なしっつー時点でバリアヤシすぎ!!』
『殺されて海に沈められて……なんてこともなくはないしねえ?』
『そんなの絶対イヤだって! “アイツ”を見つけるまでは死んでやらないからっ!』
『状況わかってる? デカい声出すなよ。……でもさあ、』
ここで十和田の尖ったような声が、突如柔らかくなったようだった。
『あんまり“アイツ”と自分の命を天秤にかけるなよ』
『……え? ど、どーいうこと?』
『なんていうか、自分は狂ってないって思っているだろうけどさあ。危なっかすぎるんだよなあ……もちろん、まだ、君は狂ってないけどさ』
"アイツ"……というのは、俺が言うまでもないだろう。
なにかがつっかえたような呻きが聞こえながらも、真田は黙っているようだった。
まだ、という言葉が、図星だったのだろうか。
『あの学級新聞にも書かれていて……実際に、入学してたってのはマジの情報だったワケじゃん……! だから、あの子のためにも"アイツ"は絶対殺さなきゃ……なんないのにさ……だ、だって、"アイツ"が悪いのは、間違ってるのは当然なのにっ』
『まあ、間違いは否定しないけどさあ。でも、正しさもないと思うけど? 本当の正しさが存在している世界なんて気持ち悪い。僕は生きてやらねえよ』
『…………! アンタ、なに言ってんのさっ。……そんなの……意味わかんないし……っ』
『わかんなくて結構。…………あのさ。これは……まあ、一種の気の迷いでもあるんだけどさ』
……はたして、このとき。
十和田はなにを思っていたのだろう。
『なあ。僕ら、逃げちゃわないか』
『……え? ……は、はぁ……!? な、なに言ってんのさ。“アイツ”だってまだ見つかって……そ、そもそも、みんなだって……』
『だから、そこからも逃げる。全部、なにもかも。この学校どころか僕たち自身も捨てちゃって……自分勝手に生きてみないか?』
「でもさ!」と真田が思わず大きな声を出したようだが、十和田が「静かにしろって」と制する。
ひそ、と真田が息を潜めたように、「それでも」と言い直す。
『そ、それさ。うちがヤダって言ったら、アンタはどーするワケ……アンタは…………どこにも、いなくなんの? 手品のように消えちゃうワケ?』
『……さあ。どうしようなあ』
『ちょ、ちょっと、そんなのズルいって。後出しジャンケンすぎっ』
『オセロだったら後方のほうが不利だろ。で? どうすんだよ』
うーん……と少し考え込むような、か細い声。
それでも、何秒か経たないうちに彼女はふ、と息を漏らしたようだった。
『…………わ、わかった。アンタが行くならうちもついてく。でも、こんなことに誘ったんだから責任はアンタが取りなよっ』
『……なんだよ。意外とあっさり決めるのな。あの自殺志望教師の授業が効いたのか……ちょっとは命大事になったってわけかあ?』
『う、うっさいっ。それもあるけど、アンタがいないとちょっと張り合いがないっつーか……辺見のことは嫌いだし許せない。殺したいのは変わりない。でも……そんなもんに縛られて、また大事な人を失うのだけはイヤだから』
また、大事な人を失う……か。
彼女の言葉によって脳裏に雨の日のてるてる坊主が過ぎった。
『ふうん……じゃあ、なおさら生きなきゃダメだよねえ?』
『まっ、そーいうことになるのかな…………そ、それに、アンタぐらいだから。うちが文句も弱音も全部素直に言えるのは……』
『さいですかい。相変わらずポジティブなことで。……じゃあ、約束。絶対に。なにがなんでも生き続けよう。真田さん』
それは、どこかで、遠い昔に聞いたことがあるような優しい声色だった。
真田も少し笑ったのか、神妙だった空気が和らいだようにも思えた。
『……わかってる。アンタも死んだら許さないからっ。ほら、ユビキリしよっ』
『へいへい……うっわ、君、指細すぎだろ。ラーメンスープを毛穴から流し込んだほうがいいレベルだよなあ』
『うっさい、このボンレスハムッ。アンタのこれから食べる白米がぜんぶ玄米になる呪いかけてあげよーかっ』
そして、ゆーびきりげんまんという真田の歌声が聞こえた後に……。
ばたばた、と騒然とした雪崩れ込む足音が耳をつんざいた。
『って……は? ちょ、な、なに!? なんなのアンタたち……ッ?!』
『お、おい、マジかよ、多すぎるだ、――っ』
複数名の悲鳴と呻き声、慌ただしい雑踏と共に。
…………ぷつ、と彼らの声は途切れてしまった。
「…………いまの、って」
そして、俺たちは過去の記録から現実へと戻される。
隣に立っている紅はボイスレコーダーを握ったまま茫然としていた。
「襲撃にあったような感じだったけど……」
「いったい、なんの……? ね、ねえ、過去の音声だとは思うけど……彼らはどうなってしまったの……?」
それは俺にも答えられなかった。
だけど、今までの切羽詰った紙切れやメッセージを考えると……。
それでも、本当の答えは知ることはできなかった。
今の俺たちができることは、無言になったボイスレコーダーを呆然と眺めることだけだった……。
一旦、紅と別れて、今度は情報処理室に辿り着いた。
そこではランティーユが真剣な眼差しでパソコンとにらめっこをしていた。
軽く声をかけると、肩を上げた後に「ムッシュ」と安堵したように胸を撫でおろす。
「どうしたんだ。そんな真面目な顔して」
「ぼくは、いつだって真面目だよ? ……それはともかく。見てくれ。外部のネットワークに繋がったんだよ」
「え……!? すごい、お手柄じゃないか!」
「い、いや、ぼくはまったく手をつけてないよ。これは多分だけど……」
俺が首を傾げると、ランティーユは眉根を寄せて内緒話をするように右手を口元に寄せた。
「マダム錦織だろうね」
「……え? 錦織が……?」
「厳重なロックを解除して外部のインターネット環境に繋ぐ……こんなことができるのは、ぼくら16人の中では彼女しか考えられないからね」
「……そうだったのか」
「もちろん推測にすぎないよ。でも少なくとも……これは彼女が残してくれた希望。ぼくは、そう思いたい」
黙祷するように目を瞑っていたランティーユが、ふっ、と目を開いた。そして白い手袋でパソコンの画面を指す。
そこには俺の知らない言語と、希望ヶ峰学園の校章が薄っすらと浮かび上がった白い背景。
そこには一枚、建設現場のように乳白色のビニールで覆われた建物の写真が映し出されている。
「これはフランス語に翻訳された学園の公式ホームページだよ」
「そうなのか? なんだか殺風景に見えるけど……」
「ここには希望ヶ峰学園は95期……ぼくたちが卒業する年に一旦スカウト制度休止……生徒の新規入学を取り止めて、大規模な校舎の改修工事、内部の変革を行うって書かれているんだ」
………スカウト制度を休止?
俺の困惑が発せられる前に、ランティーユはぱち、ぱちとキーボードで文字を入力して別のサイトを映し出した。
開いたプレゼントボックスのようなアイコンが、画面にパッ、と灯される。
……これって、たしか。
「SNSの『Chatterbox』……ムッシュ、知ってるかい?」
「あ、ああ……150文字でダベるっていうのだろ? 俺はやったことがないけど」
「だ、だべる?」
「Chatter boxって、おしゃべりって意味だろ? だから、そこに文章を投稿することを、ダベるって呼ぶって聞いたことがあるんだ」
「な、なるほど。日本ではそう言うんだね?」
まあ、以前にアイツから聞いた話だけどな……。
ランティーユが再びキーを打ちこむと、別のページが表示された。
「これは、ぼくのChatterboxだよ。当然、ぼくは投稿していない……だけど、他の人たちは更新されているみたいだ」
「リアルタイムで?」
「ウィ。……いまの年は、ぼくたちが卒業するはずだった3年後のようだね……」
……なるほど、ノアの箱庭で眠っていた時間。
作られた3年間分の時間ということになるのか。
「内容を翻訳してみると……"今日はひさびさの晴天。たまった洗濯物を干さないと"、"ああ、出た出た。また例の政治家様がやらかした。コリないヤツめ"」
「…………なんだか平和だな」
「ありふれた日常だよね。ほら、これも日本の投稿じゃないかな?」
映し出された文字はたしかに日本語だ。
ええっと、『かぱっちー ついにブラジル進出』? 『"おいどん、日本のウラガワまでセーフクしちゃったでげすぞえ! セーフクはセーフクでもおいどんは素足セーラー服が好きでげすぞえー!"とかぱっちーは語る』……。
…………呆れる程にくだらないニュースだ。
画像も河童みたいなマスコットが梨の妖精のように……いや花の妖精だったか? とにかく凄まじい跳躍でジャンプしている写真だ。
青空も広がっている。ミサイルも飛んでいない。きのこ雲も浮かび上がっていない。
「もしかして外の世界って、平和なのか?」
「ウィ。その可能性が高いね。外の世界は平和だ。ぼくたちが思っている以上にね」
「なら、外に出れば助かるってことなのか?」
そうだ。外に出ても俺たちは安全が約束されている保証ができたということじゃないか。
だけど、ランティーユは一段と険しい顔をしていた。
「…………それはどうだろう。ぼくたちは外に出ていいのかな」
「……どういう意味だ?」
「平和なのは喜ばしいことだよ。でも……そう簡単に喜んでいいものか……」
そう言って、ランティーユは目を伏せてわかりやすい溜息を吐いた。
でも、平和だと聞いて一度は安心したけど……少しずつ薄気味悪さが這い上がってきた。
今の殺伐としたコロシアイの状況と照らし合わせてみると猶更だ。
警察も、家族も、世間も……俺たちの現状を知らないということなのか……?
…………あっ、そう言えば。
「ところでランティーユ。図書室で渡したファイルの翻訳はできたか?」
「あ……ああ、そういえば、そうだったね。マダム紅に手伝ってもらって、母国語に翻訳できたのはいいけど、どうもプラグロムに関する専門的な文書だったものでね……」
「そうか……じゃあ、どういう話なのかはわからないのか……」
「ウィ、お手上げだよ……だけどね、最後のページに走り書きがあったんだ」
そう言って、ランティーユはポケットからデジタルカメラを取り出して写真を見せる。
端っこに文字が書かれたページが映し出されていた。
PC 1 13
すぐさま俺の脳裏に浮かび上がったのは、黒いセーラー服の小さな後ろ姿だった。
俺は隣のランティーユと視線を合わせた。彼もまた『気づいたよね』と言わんばかりに目で頷いた。
「これって……」
「この書き方は記憶に新しいよね。……悔しいよ。こんなにも真実を追い求める強い力を彼女は持っていたのに……」
そう言って、ランティーユは席を立って奥のパソコンへと歩み寄った。
1列目の13番のパソコンの電源をつけたようだ。
俺もランティーユの後に続いて、パソコンの目の前に移動した。
起動したデスクトップ画面には、『MANA』と書かれたアイコンだけがポツンと置かれていた。
ランティーユがカーソルを動かして、それをクリックする。
すると画面には黒いウィンドウが表示された。
宇宙のような黒い空間に数字や英語の文字列が星々のように点滅して打ち出され始めた。
――13番目。
それは招かれざるロキか。裏切り者のユダか。恐怖の金曜日なのか。
先程から不吉な迷信じみた話が思い浮かんでは弾けていく。
やがて、黒いウィンドウを背景にゆっくりと浮かび上がってきたのは人影だった。
『……………あーあー……ごきげんよう、皆々様……いえ、お一人でありましょうかな? なにはともあれお初にお目にかかる方にとっては初めましてと言いましょうか。……なんですって、どうでもいい? そんな、とんでもないことを。一期一会は後生大事でありましょう? 私めは貴方様にようやく出会えた千載一遇の時に感無量、万々歳だというのに』
パソコンから呼びかけてきたのは、甘ったるいハスキーな男声だった。霧が晴れたように人影が、人の姿へと変貌していく。
それは亜麻色に似た短髪の目鼻立ちの整った少年だった。優美な微笑みを湛え、シワ一つない瑠璃色のブレザーを身に着けていて、品格が滲み出ているように思えた。
……しかし、その品格は本物か?
はたして、彼はそこに存在しているのだろうか?
人間の形をしている得体のしれない存在ではないか?
そもそも、これは人間と言っていいのだろうか?
頭の中で矢次早に飛び交う疑問は、彼の返答によって終止符を打たれた。
『さて。滔々と語ってしまいましたが、早速自己紹介へと相成りましょうか。
私の名前は『早刃宮ジャンヌ』と申します。ええ、そう。『超高校級の罪人』のね。千秋万古、お見知りおきを』