【自由行動1-1 夜食会】
白河との洗濯が終わったのは夕方だった。
その後、疲れてしまって仮眠をとったら夜の11時になっていた。
当然眠れるわけもなく、なにもせずに部屋でぼんやりしていた。
それにしても……。
「腹、減ったな……」
朝からなにも食べていない。
空腹がまぎれない……と思ったと同時に、腹の虫が鳴った。
学園生活中も、夜時間もあり、立ち入り禁止区域があるが、それは体育館方面だった。
だから、食堂に行くことは可能だったはずだ。
「……行ってみるか」
だれかに見つかって怪しまれるのはイヤだが空腹には敵わない。
食堂に向かうと、やはり閉鎖はされていなかった。
しかし、そこは真っ暗でなにも見えない。懐中電灯を持って行けばよかったな……。
仕方なく目が慣れるまで、電子生徒手帳のバックライトを片手に食材が保管されている厨房へと手探りで進む。
厨房に足を踏み入れると、すぐさま眩しい光が飛び込んできて、思わず手で隠してしまった。
「あら、竜ちゃんじゃない」
「なんだ、ミドリムシくんかあ」
「あははっ。どうしたの、こんなところで?」
三人の声。
そこには懐中電灯を持った藤沢、十和田、井伏がいた。
「あ、もしかして小腹が空いているの? 洗濯おつかれさま。俺らも手伝えばよかったね」
井伏がそう言って、微笑みを浮かべながらなにかを投げてきた。
慌ててキャッチすると、それはシーチキンの缶だった。
「おいしいよ。安くてなんにでも合うし。これだけでもお腹は満たされる。おやつ、夜食、非常食。なんでもござれだからね」
「あ、ありがとう」
シーチキンなんて懐かしい。
よく見ると、井伏は黒い大きなボストンキャリーバッグを持っている。井伏自身も手にはいくつかの缶詰が携えてある。
まさか、非常食に取ってあるとか言わないよな?
「そうよね、夜食は肌に悪いって言うけど、どうしても食べたくなっちゃうわよね。それに、こんなこと、こういう時にしかできないじゃない?」
藤沢はそう言って、クスクスと楽しげに笑った。
彼女は随分、適応している……というか楽しんでいるようだった。
ある意味、一番良好な適応者とも言えるかもしれない。
「こういうとき……なあ? 女優さんって、意外と鈍感なんだねえ」
「あら、バレちゃった? でも、弥吉ちゃんだって夜食組でしょ?」
「言ってもムダかもしれないけどねえ、自分のためじゃないから」
十和田の言葉に肯定するような「クルポッポー」という小さな鳴き声。
よく見ると、大きな肩には毛並みが綺麗に揃った白いハトがとまっている。
朝にもテーブルの上に乗っていたハトと一緒だろうか?
「その子って、ギンバト?」
「あら! 頭がつるつるしていてかわいい! 名前はなんていうの?」
「頭がつるつるって、人によっては褒め言葉じゃないよね。この子は『小竹(コタケ)』だよ」
そういってハトをそっと手にのせる。その手つきから、かなり愛着があるように見えた。
『小竹』って古風な名前だな……自分の名前と合わせたのだろうか?
「マジック用か?」
「はあ、マジック用って人聞きの悪い。でも、ミドリムシにカッカしてもしょうがないかあ……この子は僕の弟でもあり、一番の親友だ。世界でなによりも、僕が心を許している子だよ。二番目はキツネかな。ハトには負けるけど、可愛い動物だと思うねえ」
人間はハトにも負けてるのか。
でも、なんにも愛していない人間よりはマシか。
『動物好きに悪い人はいない』という言葉を信じてみよう……。
厨房で食べ物を漁った後は、俺たちは食堂のテーブルに座って少しだけ色々なものをつまんだ。
俺に関しては、完全に夕食に近いが……シーチキンにマヨネーズをかけていただく。
洗濯ではあるが、重労働後の食べ物は体に染みわたる。
「んー、おいしいっ! やっぱり日本のお菓子ってどれも甘さ控えめね!」
「それは分かる。あのバカでかくてクソ甘いだけの菓子は、頭疑っちゃうほど品がないよねえ」
「あはは、あれもあれで美味しいのはあるよ? ……って、藤沢さんって、海外進出してるの?」
井伏の言葉に、藤沢はチョコレートを食べながら嬉しそうに「そうよ」と相槌を打った。
「最近は海外公演も増えてきて。特にアメリカが多いかも。だから英語に慣れるために、最近は書き言葉もつい英語を使っちゃって。ほら、こんな感じで」
そう言って藤沢は分厚い手帳を取り出した。
そこには、スケジュールが英語でぎっしりと書かれていた。
「うわ、すごいな! 山に登るときに話す機会はあるけど全然分かんないや……十和田くんは分かる?」
「僕も海外公演はしているけど、ほとんど通訳はマネージャー任せだしなあ。これには、ちょっとだけ褒めてあげようか?」
「うふふ、ありがとう。でも、役者にとっては当たり前のことよ」
藤沢はさらりと言ってのけたが、感嘆せざるをえない。
英語の点数が平均点ぎりぎりだった自分にとっては特に……。
「海外は海外の面白さがあるんだけどね。でも、帰って来ると、やっぱり日本がいいなって改めて実感するの。それに海外に行くと、日本文化が好きな役者もいるから誇りに思うわ。だから、歌舞伎とか能とか、そういう伝統的なものも紹介しているの。もちろん、書道もね」
……えっ?
藤沢に突然、いたずらっ子のような瞳でアイコンタクトをとられた。
十和田と井伏も俺のほうを見つめる。
「自慢じゃないけど、竜ちゃんのこと前から知ってたのよ。書道が気になっているって言う外国人はみんな竜ちゃんのこと知ってたんだから」
「わっ、すごい! 俺なんか最高峰を登ったのに、国内でも知らない人が多くてね……あははっ、七島くんいいなあ」
「へえ、ミドリムシくん、そんなに有名だったの?」
知らなかった。
海外にも展示されていると聞いていたが満客御礼とかそんな大々的なものではなかった。
そもそも外に出るのが苦手で、その展示会の様子すら見たことないんだよな……。
「だから、竜ちゃん。もっと自信を持って。実はね、あなたの書も一度だけ海外で見たことあるのよ。柳のようにさらさらしているけど、何故か力強い。その表現に、すごく感動したの」
どうして、そこで自信という言葉が出てくるのだろうか。
そう言えば、一度萩野にも言われたことがあったことを思い出す。
たしか、国内での展示会の時だった……だろうか?
試合や練習で忙しい中なのに、時間を割いて見に行ったことを話してくれたっけ。
『ボクシングに例えるなら、綺麗なフォーム。しなやかだけど、したたか。フォームが確立しているなら、後は磨くだけだ……だから、ちゃんと胸張っていいんだよ』
あの時の萩野の言葉とよく似ていた。
「だから、約束! 今度ステキな書を見せてちょうだいね?」
藤沢は朗らかに小指を求めてきた。井伏と十和田が見ていて気恥ずかしいが小指を差し出して絡めた。
なんだか、嬉しさと誇りが胸にこみあげてきた。
さすがに、昨日書いたものは見せられないから、ちゃんと書いたものを見せなければ。
そう思うと、カッと闘志という名のやる気が燃え上がるような感覚が舞い戻ってきた。
「ははっ、それにしても、すごすぎて笑いが止まらないや! 俺にも見せてほしいな!」
「しかし驚いたなあ。ミドリムシくん、有名だったんだねえ。記念としてあだ名を改名してあげようか?」
十和田がそう言って、肉がたっぷりのったアゴに手を置いている。
なんだ、改名なんてあるのか。
もう少し、まともなあだ名にしてくれると嬉しいけど……。
「そうだねえ、もっとメジャーなもので。ミジンコくんとかどう?」
「……ミドリムシでいいぞ」
「うん、僕もそう思ったよ。まだまだそっちが君にはお似合いだねえ」
まあ、なんとなく予想はついていた。
『ミドリムシでいい』って思ってしまう自分もなんだか虚しいものだ。
「あははっ、残念だったね七島くん。でも、ミドリムシってサプリに使われるぐらいすごいんじゃなかったっけ?」
「そうだっけ? あんまり覚えていな……って、あれえ? そういえば君って、まだあだ名つけてないよなあ。って言うか、どちらさまかな? 君って人間?」
「……えっ、あ、あれ? 俺の扱いって七島くんよりヒドい?」
井伏が明らかに強張った笑みのまま軽くショックを受けていたが、十和田には聞こえてなかったようだ。
……あだ名がつけられるだけ、俺はまだマシということだったか。
「あゆちゃん、ドンマイよ」
「あ、あはは……あゆちゃんってまさか俺のこと? 歩夢だから? えーと、下の名前は女々しいから呼ばれるのイヤなんだよね。ちょっと、恥ずかしいから……」
「でも、可愛いじゃない。あゆちゃん。アタシは好きよ?」
「うーん、かわいいって言うのどうなのかな? だってそれって、結局は童顔ってことじゃないの?」
たしかに。かわいい男の子というのは、たいてい童顔。
井伏は好青年ではあるが、幼さも残っている。
俺にはあまり理解できないけど、女性からしてみれば、母性本能がくすぐられる顔ってところだろうか?
「じゃあ、空気のあゆちゃんでいいかな。でも、びっみょーだね」
「はは……えっ? ちょ、ちょっとそれは勘弁してほしいな!?」
「かわいい、っていう言葉がダメなら、キュートって呼んであげるわよ?」
「あは……はは……っ、そ、それも恥ずかしいからやめてほしいかな。なんて……」
井伏はサンバイザーを深めに被って顔を隠した。
照れ笑いとともに耳が真っ赤の彼は、童顔も相まって小学生に見えなくもない。
「でも、竜ちゃんと弥吉ちゃんもかわいいと思うわよん?」
「え、ええっ?」
「僕も入るの? メタボ腹だけど?」
「そこがいいのよ! それにハトが好きなんて、慈悲深いじゃない?」
「慈悲深いって、ちょっと表現が間違ってない? やっぱり女優さんって個性的だねえ」
「あら、うれしい! それって褒め言葉よね! 弥吉ちゃんのデレ、いただいちゃった!」
「勝手にそう思っていれば?」
「勝手にそう思っていろ」ってことは、肯定していいってことだよな?
懐中電灯の明るさでしか顔は見えないが、十和田がハトのほうしか見ていないようだ。
……まさか、これ、照れ隠しじゃないだろうな?
「竜ちゃんもかわいいわよ。目元とか、小さめのお鼻とか、アンテナとか……」
「……ん? アンテナってなんだ?」
「えっ? あっ……な、なんでもないの。アンテナは語弊があったわね、取り消して!」
逆になんの語弊かが気になるぞ。なんか、俺だけかわいいの基準が違うのも。
と言うか、アンテナってなんだ?
なにを言おうとしていたんだ? なんで例にアンテナがでてきたんだ……!?
でも、取り消されたからには、あまり言及するのもよくないか……。
こうして、夜食をとりながら他愛もない話をして、深夜まで話は盛り上がった。
なんだか、修学旅行みたいで少しだけドキドキした一夜だった……。
【自由行動1-2 勉強会】
2日目の昼。
少しの眠気があったが、朝は購買部にある、『マナマナマシーン』と呼ばれるガチャガチャについ白熱してしまい、眠気が一瞬にして吹き飛んでしまった。
ただのガチャガチャなのに、恥ずかしいぐらいに回してしまったな……。
今は昼食を取るために食堂に行ってみた。
そこにはちょうど、黒生寺、天馬、大豊、四月一日がきていた。
のだが……。
「何度言えばわかるんだ! 台形は上辺と下辺を足して、そこに高さをかける! そして最後に、2を割ると!」
「へけ? なんでなのだ? 四角は横とたてをかければ答えは出るのだ!」
「だから、四角形と平行四辺形と台形は全く別物だっ!」
血相を変えて、四月一日が大豊に説明している。
天馬や、黒生寺もテーブルに置いてあるノートとにらめっこしている。
……これは、なんなんだ?
「あ、七島くん。もしよかったら、教えてくれないかな? ……つゆまどろまれず、ってどういう意味か分かる?」
天馬がつと視線をあげて、俺の存在に気づいてくれた。
そして、おずおずとノートを見せてきた。
女子というと、小さな字を想像していたが、彼女の字はかなりくっきりしている。
それでも字が端麗なので、もしかしたら書道経験があるのだろうか?
ええと、たしか『つゆまどまれず』って言うと……。
「それは知っている……『そばつゆが窓に降りかかってきてマジ寝れねえ』……そういう意味だろ……」
「どうしてそうなるんだ!? と言うか、黒生寺五郎! 覚えたんだろうな、日本の県の名前は!」
横から入って来た黒生寺の答えに四月一日がすかさずツッコミを入れて乗り込む。
日本の県って、それ小学校の中学年ぐらいで覚えることじゃなかったか?
……って言うか。
「えっと、なにをしてるんだ?」
「見て分からないのか! 勉強会だ!」
四月一日が黒生寺のノートを監視しながら、すかさず答えてくれた。
いや、なんとなく想像はついていたが。
「でも、なんでそうなったんだ?」
「たまたまこの4人で、早めの昼食を取っていたんだけどね。そこで、四月一日さんが勉強の話をしてきて、みんな本当のことを言ったんだ。大豊さんは、ほとんどノー勉で、黒生寺くんは勉強時間は睡眠時間。私は勉強している……ほうなんだけど、大抵テストは赤点か追試。落第のFは免れていたけど、成績は全部Eだったから」
「ちょ、ちょっと待て。大豊と黒生寺はともかく、なんで天馬はそうなるんだ?」
「私のテストだけ、どんなに自信があっても、先生が採点する時に、紛失するの。何故か、燃えカスになってたりするらしいんだよね。それに一生懸命書いたのに、白紙っていう例もあったぐらい」
……つまり、それって。
「才能、のせいか?」
「でも、才能のせいでも、運はそこそこあるほうだと思うよ」
「そ、そうか?」
「だって、そうでなきゃ卒業資格すら貰えてなかったから。だから、幸せな不運なのかもね」
だとしても。
頑張っても赤点って言うと、努力が認められなかったと言えるようなものだ。
「才能だから」ってあきらめているのかもしれないが。
……それでも、自分は「幸せ」って俺だったら言えるだろうか。
「でも、やっぱり苦手な部分があるから。四月一日さんの指導で教えてもらっているところなんだ。説明が分かりやすくて」
「ねーねー、四月一日っち! 英作文できたよー! 今のあたしの気分!」
「本当か? 今度はスペルミスはないだろうな?」
大豊が自信満々に差し出したノートを、四月一日がチェックする。
俺と天馬も覗きこんでみた。
I’m Hungary!!!
天馬よりも、ノートの線を気にしていないでかでかとした文字で書かれていた。
こちらは、小学校の書道を思い起こす字体である。
と言うか、これを、高校生の英作文と呼べるのかが微妙だが……。
「これって……どうなのかな?」
天馬があまり自信は無さそうに小声で呟いた。
「ああ、でも正しいんじゃ……って、ん? あれ?」
待てよ、よく見るとなんか変だ。
たしかにお腹が空いた、と訳せるはずだが……。
い、いや、違う。このHungary、って。
そうだ。俺の知っているお腹の空いたはHungryだ。さすがの俺でもそのぐらいは分かる。
……となると、これは。
「あい、あむ、はんがりー!」
「お前はハンガリーじゃなあああああいっ!!」
奇声に似た悲鳴と共に四月一日が、ついに椅子から転げ落ちた。
スカートの中はちゃんと見えないように工夫しているあたりが、やはり優等生なのか。
っていうか、今、ヒューズが完全にぶっ飛んだだろ……。
「へけ? あたし、本当にハンガリーなんだけど?」
「ハンガリーは国だろ! 中央ヨーロッパに位置する面積統計93030K㎡、日本の約4分の1の大きさで、首都はブダペスト、もしくはブダペシュトだ。そして、お腹が空いたは、ハングリー! スペルはH・U・N・G・R・Yだ!」
「えー、日本よりちっちゃいのー? つまんないのだー!」
大きいか小さいかで決められたら日本もわりと小さい国なんだけどな。
そうなると、大豊が一番好きな国はロシアだろうな……。
「面積だけで優劣を決めつけるんじゃない。ハンガリーは世界三大珍味、フォアグラが有名だ。80年代に日本でも大ブームとなった、ルービックキューブを発明した建築家でもあるルービックもハンガリー出身で……って、黒生寺五郎、寝るな! まだお前は近畿地方も覚えられてないじゃないか!」
そう言って、四月一日は黒生寺の肩を揺さぶった。
関係のないハンガリーまで詳しく四月一日は大豊に教えていた。
英語なのか地理なのか。はたまた世界史なのか……ルービックキューブがハンガリーで作られたなんて俺も初耳だ。
「四月一日さん、すごいよね」
「すごいっていうか、なんと言うか。言葉も出てこないな」
「うん。それと、すっかり忘れてたんだけど。さっきの、つゆまどろまれずってどういう意味か分かる?」
……あ、そうだった。
「つゆまどろまれず、は、“全く眠ることができない”っていう意味だ。つゆ、が全く、という意味で、打ち消し語と一緒に使うんだ。まどろむが、うとうとする。ちょうど黒生寺みたいな状態だな。そうだ、たしかこの一文は、更級日記で、作者が宮仕えをして、女房たちに囲まれて緊張や寂しさで眠れなかった場面であったんだ。故郷でいつも一緒に暮らしていた父や母を亡くした姪たちのことを思ってぼんやりしてしまうこともあって……なんだか少し、今の状況に通ずるものがあるかもしれないな」
「あっ……すごいね。出典もわかるんだ」
「あ、ああ、なんとなく、教科書で読んだことがあるから」
「それでも覚えているってだけですごいと思うよ。さすがだね……うん。とても分かりやすい説明だった。私、七島くんの解釈が聞きたかったんだ」
「……聞きたかった、って……なあ、天馬。もしかして古文、そこまで苦手ではないのか?」
「うん。苦手とは言ってないよ」
要は少し試されたってことだったのかな?
……ううむ、言われてみれば『苦手』とは言ってないな。
それに『教科書で読んだ』と咄嗟に嘘を吐いたのもなんだか気恥ずかしい。
国語教師の父の影響か、小さい時から古典文学は読んでいたのだ。
しかし、古文から引用したり、変に古文が得意だと、変人扱いされていたのも事実だ。
なにごとも、ほどほどであること。それが、普通の学生生活では求められていたのだから。
でも、もう違う。
それは、この学園でよく学んできたことだ。様々な個性を大切にすることを重要としてきた……このみんなも、個性なんだ。
大豊は先ほどから多く、間違っているが、ちゃんと四月一日の話は聞いて、どんどんと取り組んでいる。
黒生寺は、我関せずのようだが、なにかスイッチが入ると集中力は高まるということが分かった。
……そのスイッチがどこにあるのかは分からないが。
「……どうしたの?」
「えっ!?」
考えすぎていて、天馬に呼びかけられて変な声を出してしまった。
個性とはいえども、さすがに、変なヤツ扱いはあんまりされたくない。
四月一日が一旦、休憩のためか、お茶を口に含んだ。
彼女はそれぞれの個性を潰さずに伸ばそうとして教えている。労力は相当なものだろう。
なにか、できないだろうか?
……マナマナマシーンで手に入れたプレゼントでもあげるか?
「四月一日、おつかれさま。これでも使ってくれよ」
「……ん、それはなんだ?」
「ええと、『新版:ユビキタス手帳』っていうやつなんだけど。購買部のマナマナマシーンで買ったんだ。これ、四月一日が好きそうだなって思って。もしよかったらあげるぞ」
「えっ、私にくれるのか? ほ、本当か? 私のためにか?」
突然、俺の前にずずいと乗り出して手帳を見る。
頷いて四月一日の細い手の中に渡すと、じっくりとながめたりパラパラとページをめくっている。
珍しく興奮しているのか、鼻息が荒い。
「あ、ありがとう。七島竜之介! この恩は一生忘れない。そして必ず返す!」
「そ、そんな大げさな。四月一日は頑張っているからさ。そりゃ、軍曹でスパルタっぽく見えるけど。でも、絶対にどんな相手でも見放さないから凄いと思うぞ」
「私も、そういう責任感やリーダー性が、四月一日さんの個性だと思う。みんなの視線に合わせて、ちゃんと説明できるって、そうそうできないよ」
個性、という言葉に四月一日が考えるような仕草になった。
「なるほどな、個性か。面白い言葉だ。七島たちには私がそう見えるのか?」
「いや、みんな、そう思ってるさ。今ここにいる、大豊や黒生寺だってそうだろう。そうじゃなきゃ、二人とも逃げ出しているぞ。それに、お前のおかげで、場がまとまっているんだ。『優等生』だからこそ、そして、四月一日の個性があるからこそ、今が成り立っているって思う」
俺がそう言うと、四月一日が今度はきょとんとしていた。
しかし、すぐになんだか気恥ずかしそうな顔になった。
「そんなこと言われたのは、初めてだな。『優等生』はただ勉強ができて、成績が優秀であることが、個性と言われがちだから。そう言ってもらえると、本当に心強い……ありがとう」
そう言って、四月一日は、微笑を浮かべた。
普段、彼女は笑顔を見せないが、それは不器用なんかではない。その使い方が巧いのだ。
彼女の笑顔を見せられると、ちょっとそんなことを考えてしまった。
笑顔の後は、また凛々しい顔に戻る。
四月一日は、ぱんぱんと手を二回たたいた。
「よし、みんな! 後、3時間、やりきるぞ。分からないことがあったら、七島竜之介にもたくさん聞いてくれ」
……ん?
七島竜之介にも。って今言わなかったか?
四月一日がこちらを見て、にやりと笑っていた。
「へ、へけぇ!? 3時間コースゥッ!?」
「いや、ちょっと待て。なんで俺も?」
「当然だろう。使えるものは最大限に使うのも私の個性だ!」
……あ、あれ? なんか良い意味で言ったのに、変な方向に曲げられてないか?
まさか、はめられたのか?
「うん。私も賛成。七島くんも模範生だから」
「じゃあ、七島っち、国語おしえてー! 数学の問題の漢字が読めないのだ!」
「後は任せた。俺は寝る……ぐう」
……そして、結局、夕方近くまで勉強会は続いた。
果たして勉強会が成果をもたらしたのかは……いや、のれんに腕おしとか、考えちゃダメだ。
でも、俺も教え役に入ってから、四月一日は「違う!」と声をどんどんと大きくしていったがその姿は生き生きとしていた。なによりもキラキラと輝いていて鬼軍曹の顔ではなかった。
そして少しずつ、みんなは四月一日の話に耳を傾けながら、勉強に挑戦して行った。
それぞれの個性を生かしながら、協力し合いながら。
絆がどんどんと深まっているのが実感できた。
だから、完全な無駄とは言え無い時間を過ごすことができたと思った。
……学力的なことは、やっぱり考えたら負けだ。
ボクはモノクマ先生を尊敬しています。
先生がセクシーダンスを踊るなら、ボクはフラメンコを習うように。
少しでも先生に近づきたかったんだ。
そこで、少なくとも朝食ぐらいはいっしょにしたかったの。
でも、「先生は朝、なにを食べているんですか? やっぱり人肉っすか?」
とは言いだせない、シャイボーイなボクなのでした。
そんなある日、閃いたの。
モノクマ先生と言えば、ホットケーキとバターじゃね?って。
と言うわけで、ボクもホットケーキミックスを買って作ってみたんだよね。
でも、あれって、おかしくね?
ぜんっぜん、パッケージの写真どおりになんねーの!
裏の説明書きもちゃんと読んでやったのに、ホットケーキはぺっちゃんこ!
だから、先生に倣ってサポートセンターに抗議してやったんだ。
そしたら、すぐにサポセンのお姉さんは、鼻で笑って教えてくれたよ。
ふんわりした分厚いホットケーキの作り方をね。
レシピの内容はググればでてくるから言わないけど、これって新手の詐欺だよね?
最初から書いておけよ、っていうね。
でもこれで、ボクは思いました。
相手がどんなに断言したことでも、やすやす信じちゃダメなんだよね。
どんなに相手がなにを言っても、100%の真実は存在しないんですよ。
だって、「命をかけても!」って言っている奴に、「ならば、死にな!」って言って、
本当にぽっくり死んじゃうヤツがどのくらいいるかって、話なんだよ。
これを機に、パッケージの写真=できあがったホットケーキになるまで、
ボクは、何事も信じられなくなりました。
そして、これが、ボクがモノクマ先生のマネを、
6割ぐらいにとどめることになったきっかけでもあるのでした!