3日目の夜……ひさびさに全員が食堂に集まっていた。
俺は自分でも簡単に作れるレトルトカレー。
一汁一菜を作って食べている四月一日もいれば、食欲が無いのか、カロリーメイトをちびちびと食べている錦織もいる。
はたまた、きゅうりとトマトを丸ごとかじる大豊もいるぐらいだ。
献立ですら十人十色、というところか。
厨房から戻ってきた角は、ぽてぽてと効果音がなりそうな足取りで、真っ先に黒生寺の前にやって来た。
そして、彼の目の前に市販のカスタードプリンを差し出した。
どうやら角は彼に貢物をするのが日課となっているようだが……。
「黒生寺さま。プリンでございます。愛と真心をこめて、お送りいたしますでございます!」
「ふん……俺は黒胡麻プリンしか食わん……」
黒生寺はそっぽを向いて、ひじきを食べていた。どこまで黒オンリーなんだ……。
角がしょんぼりしているが、すぐに「それでは」と別のものを用意してくるあたりが辛抱強いというかなんというか。
今度は、黒胡麻せんべいのようだ。
角がせんべいを差し出すと、黒生寺は無言でひったくって、ばりぼりと食べる。
花が咲いたように角は喜んでいるが……これは、まるで鹿の餌付けだ。
「ねえ角。いらないなら、このプリン食べていい?」
「ああ、紅さまはカスタードプリンがお好きでございましたね。もちろんでございます。おめしあがりくださいませ!」
紅が角からプリンを貰って、小学生のように嬉しそうにスプーンでつっつく。
いかにも外見は大人っぽいのに、この姿を見ると不思議とあどけなさを感じる。
「ぼくもプリンは好きだよ! マドモアゼルは……」
「はむぅっ!! やめて!! シモネタは言わないでほしいのだ!」
「ウーララ!? まだ、なにも言ってないよ!?」
大豊が耳をふさいでいるのを見て、クロワッサンを片手にランティーユは仰天していた。
この2人もだいぶ仲がよくなってきた。
……いや、ランティーユの一方通行だな。
「ところで諸君。プリンが何故固まるのか知りたいか? そして、そのプリンが固まるベストタイムを! 聞いても聞かなくても、よく聞くがい」
『そんなことよりパソコンが固まっちゃったら、強制終了するやつってどんぐらいいる? あれ、マジで危険だけど、ついやっちゃうよねー』
……えっ!?
「ぎゃああああ、マナクマァァァ!?」
「なにをしにきた! 要件を述べろ!」
「なっ!? 吾輩の話を邪魔するんじゃない! まあ、慣れっこだが気にしてないが!」
ランティーユが叫び、四月一日がすぐさま立ちあがる。
円居は相変わらず斜め上のツッコミだ。
しかし、気がついたら頭の中が急速に凍り付いていた。
あんなに穏やかな空気であったはずなのに、マナクマに対してみんなの冷ややかな視線が反射的に注がれていた。
『ショボーン……南極でシロクマに会ったみたいな反応されると、いとわびしだね……って言うか、オマエラってニブチンじゃね? あ、シモネタじゃないよ?』
「どこをどう取ったら下ネタになるのよ!? あなた、なにしに来たの!」
藤沢が珍しくマナクマに対して、怒りを露わにする。
それに対して、マナクマは手を後ろに回して悲しそうに小さな目をさらに細くした。
『ボク、オマエラのこと観察しまくってたんだけどさ……なーんか、ぬるいんっすよね。お酒はぬるめの燗でいいって、よくスウェーデンの人が言ってたけど、ボクなら、一度下がっただけで無理だね。ちゃぶ台返しもんだよ』
「それは、スペインのことわざだろ……」
「ええと、ぼくはことわざに詳しくないけど……でも、どっちも違うと思うよ!?」
能天気な黒生寺の発言に、ランティーユがツッコミをいれた。
そもそも、なんでそんな話になるんだよ。
『あ、わかった! 人物、場所、時間、設定。時は来たれりなのに、なんでドキドキが起こらないか……大切なことを忘れてたよ! やっぱり、ボクっておっちょこちょいだなあ。買い物しようと町にでかけたら、ドラネコをつかまえちゃったユカイなクマだなあ』
「……ねえ、大切なものって?」
天馬がじろりとマナクマを睨みつける。
その眼光は静かではあるが、とても鋭利なものに思えた。
『そう、予想通りでも、そうでなくとも! みんな大好き、“動機”のお時間でーす!』
日に日になごやかになっていたはずの時間が一瞬に凍りついた。
充実した日々が嘘のようにガラガラと崩れていく。
俺のスプーンにすくわれていたご飯が皿に滑り落ちて、濁ったカレールーに沈んでいく。
『と言うわけで、オマエラ。視聴覚室にボクから“ステキな映像”をあげちゃいまーす。待ってるからねー! 来ないと、校内放送で強制的に全員に見せちゃうよ? うぷぷぷぷ!』
そう言って、マナクマは消えて行った。
俯く者、顔を見合わせる者、口をぽかんと開ける者……。
あの平和な時間は、幻だったのだろうか?
動機。たった一言。
だけど、その言葉一つで、なにもかもが嘘のように跡形もなく消える。
「……みんな、怖いのは分かる。私だって怖い。だけど、私は向かわせてもらう。映像がどんなものであれ、私は屈しない。お前たちを必ず導いてみせる。だから、ついてきてほしい。私は先に向かう」
そう言って、四月一日は力強い足取りでその場を去って行った。
やはり先陣を切るのはいつも彼女だ。
「やれやれ、折角の食事がブタのエサになっちゃったねえ」
「黙れ、ブタタヌキ……」
「お前さあ、タヌキしかボキャブラリーないの? 逆に尊敬しちゃうよ。才能は生ごみ以下のくせにねえ……ま、僕も行かせてもらうよ」
「逃げんじゃねえ……貴様の内臓をウィンナーにしてやる……」
足早に去った十和田を追うかの如く、ゆらりと黒生寺も立ちあがって食堂を後にする。
でも、他は……。
「え、えっと……あ、はは、動機ってどういうことなのかな?」
「心臓の拍動を自覚した、もしくは心拍数が強く意識される状態。そして、それは心悸亢進とも呼ばれるものだぞ!」
「へけ!? なにそれ怖いのだー!」
「たしかにこわいよね、マドモアゼル! って、それは息切れのほうの動悸だよね!? というか、そうじゃなくて……ぼくたちはどうすればいいんだい……!?」
ランティーユが怒涛のツッコミ終えたが、訪れたのは再びの沈黙。
突如、ばんと大きな音が鳴りわたった。
萩野がテーブルを叩いて、勢いよく立ちあがった。
その顔は真っ赤で、ぶるぶると震えている。怒りと混乱が抑え切れていない表情だ。
「い、行くしかねえだろ。くそ、行くしかないんだよ! だってよ、他になにがあるってんだよ!? ここで黙って立っていても映像は流れるんだろ? だったら、やっぱり自分の目で、確かめるしかねえだろっ!」
萩野は雄たけびのように叫んでいた。
半ば、自分に言い聞かせるようなそんな口ぶりだった。
「うん、そうだよね。幸運でも不運でも、その後のフォローが大事。最初から悲しいことを望んでやるのは、それは不運じゃないよ」
「そ、そーだね。まず前に進んだ方がいいんじゃね? ほら、どんなにデザインを頭で考えていても、やっぱり、描かなきゃホンマツテントーって言うじゃん? まずは行動! それしかないっしょ!」
天馬や真田などの女子たちも奮起し始めて、次々と食堂を離れていく。
続々といなくなり、気がつけば。
俺も、一歩、一歩と足を進めていた。
もしかしたら、なにかあるかもしれないという希望からなのか。
動機から逃れられないという絶望からなのか。
なにが俺を突き動かしているのかは分からなかった……。
視聴覚室に到着すると、ほとんどの人たちが座っていた。
どうやら座席は指定されているようだ。
『七島竜之介』と下手な字で書かれている紙を最後列の席を発見して、恐る恐る席に座った。
隣の席には後ろからついて来ていた錦織が席に着く。
彼女はガタガタと震えっぱなしだ……。
その姿を横目で見ていると、素早くギロリと一瞥された。
「わ、私が隣で、悪かったわね……演劇部のほうがよかったんでしょ? こんな色気がない、女子力がゼロの司書となんて、一緒の空気ですら吸いたくないって思ってること分かってるんだからね……!?」
「え……えっ!? い、いや、そんなつもりは」
弁明しようとしたその瞬間、電源のついていなかった画面が突然光を放つ。錦織も同じだったようで、ヒステリックな声を止めて、視線を落としていた。
『まずはヘッドフォンを装着ぅっ!』
画面に滑稽な文字が映し出される。
あらかじめ付けられていた、耳の部分にマナクマの絵が描かれている悪趣味なヘッドフォンを装着した。
文字が消えて、白く塗りつぶされていく画面を食い入るように見つめる……いったい、なにが始まるんだ。
「あ……、」
思わず声を漏らしていた。
画面に映し出されたのは見覚えのある三人。
緊張しながらも温和な笑みを浮かべる父さん。
お気に入りのパールのネックレスをつけた母さん。
結婚して妊娠6ヶ月目に入ったお腹の大きい姉さん。
白いソファに茶色い木製の椅子。壁にかけられた自分の書。それは、手紙。あるいは声でしか聞いていなかった――懐かしい光景が広がっていた。
「卒業、おめでとう……って、なんだか改めて言うと、照れくさいな……希望ヶ峰に入学なんて、最初は信じられなかったけど、きっとたくましく成長したんだろうな。早くお前の姿が見たいよ」
「あなたが希望ヶ峰に入学して、寂しいこともあったけれど、活躍しているって聞いてずっと嬉しかったのよ。今日が良い日になることを楽しみにしているわ」
「竜、見てる? あたしも、旦那も、それにお腹の子も会いたがってるよ! みんなで美味しいもの食べようねー!」
それはありふれた日常そのものだった。
卒業式の当日、朝にでも見せるものだったのだろう。
優しさ。温かさ。胸の中になにかがこみ上げる。
当日に見たら、きっと感動的で感慨深いものが残ったのだろう。
でも。
これは違う。
胸の中でこみあげたものは感動なんかじゃない。
今日は、卒業式じゃない。
これは、卒業式じゃない。
もう、卒業式なんか、ない。
これで終わるはずがないのだ。
そして、その予想は、むなしくも当たってしまった。
静かに暗転をしていく映像。
その後、すぐさま映し出されたものは。
「うっ……!?」
禍々しい血だまり。散乱した血飛沫。
椅子もソファも、かけられていた自分の書も引きちぎられていた。
もはや、元がなんだったのか咄嗟に分からない。
ちがう! そんなことよりも!
父さんは?
母さんは?
姉さんは?
姉さんのお腹の子供は?
次々に疑問が浮かんでは、すぐに消えていく。
おい、なんで。
なんで、なんでだよ。
映像に呼びかけようとしても言葉が発せられない。
『超高校級の書道家、七島竜之介くん。
幸運にも入学できた彼の卒業を、ずっと心待ちにしていた七島くんのご家族。
そんな彼が卒業となり、どんな思いを馳せていたのでしょうか。
でも、その思いはもう誰にもわかりません』
言葉が思いつかない放心状態に追い討ちをかけるかの如く。
あの声がヘッドフォンの中で響き渡る。
『さて、ここで問題です!
七島くんのご家族の身に、一体なにが起きたのでしょうか?』
映像がすぐに切り替わる。
そして、仰々しく映し出されたものは。
『 正解は、卒業後! 』
赤い可愛らしいポップ体の文字。
それ以降は、映像もなにも見えない。ヘッドフォンからはなにも聞こえない。
――無、だった。
「……な、んで……」
無の世界から俺を引き離したのは、隣の錦織だった。
ガタガタと肩だけでなく、歯を鳴らして震えていた。
しかし、それに気づいた時には。
「いっ、いやああああああぁぁぁぁあっっ!!!? ああああああぁぁぁぁぁっ!!??」
我に返った時には、絶叫が響き渡っていた。
ヘッドフォンを投げ捨て耳を塞ぐ錦織。
彼女の口から発せられるのは声にもなっていない。
いや、音にもなっていない、なにかが発せられていた。
「う、うわああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?!」
「はむうぅぅぅぅぅっ!?」
ランティーユ、大豊も続き、次々と皆が席から立ちあがった。
ヒステリックを超えた混乱は瞬く間に伝染していった。
悲鳴はなくとも、さすがに他の者たちも動揺を隠せないようで、青ざめる者、目を瞑る者。
様々な苦しみが、あっという間に、視聴覚室の中で充満していく。
「お、おいっ待て!! みんな落ち着くんだっ! 全員が混乱したら悪化するだけだ!」
四月一日は、その中で平静を取り繕っているほうだが、さすがの彼女も衝撃が強すぎたのか。
端正な顔にいくつもの青筋が立っていた。
「こ、こんなものは馬鹿げている……っ! いくらなんでもタチが悪いぞ!?」
「そうよ。どうせ、合成でしょう? みんなを惑わせるためにマナクマの作った悪い冗談でしょう!?」
『それは、ちがうよ!』
円居と紅の動揺が全員の意見として一致して発せられた瞬間。
それは突如現れたマナクマによって打ち砕かれる。
『ボクの目は節穴でも、邪気眼でもありません。この青い瞳は、妄想の世界に浸っているオマエラと違って、現実しか見えませんので!』
「い、いやだ……は、はっ……こんなの、信じ、られないよ……」
いつも涼しげな笑顔を見せている井伏も、今はヘッドフォンをつけたまま。
唇をひくひくと痙攣したかのように歪ませながら、手を膝にのせて、目に涙をためながらうつむいていた。
取り乱してはいないが、精神は大きく揺らいでいることは明らかだ。
『あ、そうそう、この映像、一回再生したら自動消滅するので。ちゃんと見れなかった人には、本人にだけ、また見せてあげるから! うぷぷぷ、そう言うわけで、何度も見たいって言うヤツは、いつでもどこでもなんどでも、ボクに言ってね! では、素敵な余興を。あーはっはっはっはっはっ!!』
マナクマは最低な笑い声と共に去って行った。
その阿鼻叫喚とも言える状況から、絶望的な皮肉と映像を残して……。
地獄絵図のような光景は今もなお映し出されている。
みんなが泣き喘ぎ、喚き、狼狽える。
そして、自分も。気がつけば。
「七島竜之介、落ち着くんだ! 気を持て!」
「七島くん……しっかりしてっ」
四月一日と天馬が駆け寄ってきて肩をさすっているようだった。
……さすられて、いるのか?
感覚が無い。悲鳴が出ない。
酸素。酸素を欲していた。
言葉にならずに空気だけを飲みこんでいた。
俺は、なにを言っていいのか。
俺は、なにを喋っていいのか。
俺は、なにを思えばいいのか。
俺は、なにを叫べばいいのか。
俺は、なにを、
なにを。
なにを?
俺は……なに……を………。
ようやく視聴覚室は落ち着きを取り戻したようだ。
……いや、なんとか落ち着いたのだろうと思ったときは、いつだったのか。
阿鼻叫喚の跡が残っていることは、この視聴覚室全体に感じられた。
隣の席に座っていた錦織は、まだ具合が悪そうに見えるが……。
「錦織さま……ど、どうかお気をたしかに……! 声がお枯れでございますので、芙蓉のいちごキャンディをお召し上がりくださいませ……!」
「よ、余計なお世話よ……飴はハッカ味しか受け付けてないから……そ、それにしたって、魔法少女に心配されるなんて、私も落ちぶれたものね……」
錦織の声はガラガラでヒキガエルのようになってしまっているが、嫌味を言えるほどには回復したようだ。
「ランティーユと大豊も落ち着いた?」
「ウ、ウィ、メルシー……マダム紅……なんとかね……」
「で、で、でも、まだ震えが止まんないのだぁ……」
二人もなんとか絶叫は終えたようだが、生まれたての小鹿のように震えている。
だけど、俺もさっきまではあんな風になっていたんだ。他人事とは思えない。
「……みんな、大丈夫なのかな」
天馬が俯いてぽつりと呟いた。
俺のように過呼吸になった者の他にも……
井伏のように、口を噤んで今にも泣きだしそうな者。
紅のように、感情を押し殺そうと目を瞑る者。
黒生寺や十和田のように、明らかに忌々しげな表情の者。
声をあげずとも、苦しい悲鳴を隠し切れていない者がほとんどだった。
しかし、そんな中でも。
「みんな、信じるな」
いつもと変わらぬ口調が響いた。
きっぱりと四月一日が言い切ったのだ。
「マナクマの言うことなど信じるな。いかにも絶望的なものを信じる必要なんてない――それに、我々のような希望とも言われた存在を世界が蔑ろにして見捨てるなどおかしな話ではないか?」
この自信はいったいどこから来るのだろうか。
唖然を通り越して、この度胸は安心を覚えさせるような。
それとも、みんなが動揺しているからこそか。
その確固たる自信は、少しずつ俺にも平静を与えてくれた。
「だから私は決してこの映像を信じない。しかしなにか感化されたなら。必ず私に相談してくれ。誠心誠意を持って力になる。約束しよう」
「ふん、くだらん……最初から俺は俺しか信じねえ……言われなくてもバカバカしい映像にすぎん……」
忌々しげな顔のまま、黒生寺は、BB弾銃を画面に向ける。液晶にBB弾があたって、蜘蛛の巣のようにひびが入る。
……って、壊していいのか?
「ええ、その通りです。いきなり現れたマナクマなんかより、数年間、同じ学び舎で過ごしたみなさんの方が私もまだ信用できます」
「そ、そっか、そうだよね! ようし、あたしも負けないのだ!」
「ウィ! マドモアゼルが負けないなら、ぼくも負けないよ!」
「むぅ、マネしないでよ!」
あんな映像を見せられても、少しずつ修復できるのは、やはり培ってきた成長もあるからか。
少しずつ気持ちを制御できているような……。
「ねえ……竜ちゃん、大丈夫?」
えっ?
突如、藤沢に顔を覗きこまれた。
彼女の豊満な胸元が見えそうになり、慌てて視線を顔に移した。
秀麗な顔立ちだが、細い眉が下がって、いかにもアンニュイな表情だ。
「大丈夫? まだ青ざめてるわ。辛かったら卯月ちゃん……ううん、アタシでもいいから相談してね。竜ちゃんがそんな表情だと、アタシまで悲しいわ。アタシ、竜ちゃんの笑顔が好きなのよ? だから、元気出して……ねっ?」
ドキリとした。
それは、最初の時に見せた冗談でも演技でも無い。
素の表情――彼女そのものであったからだ
「……あ、ありがとう」
「そうそう、竜ちゃんはやっぱりその表情よ。そうだ、健ちゃんにも心配かけちゃだめよ? 親友なんでしょ?」
そう言えば、萩野はどうなのだろうか?
辺りを見回して萩野を見つける。
彼は硬く目を瞑っていた。拳を握りしめて、歯を食いしばり、なにか祈っているような姿にも見えた。
一旦、藤沢から離れて、萩野の肩を軽く叩いた。
「おい萩野、大丈夫か?」
「あ? ああ、七島か。って、真っ青じゃねえか! まさか、あの映像を信じてんのか? 俺はぴんぴんしてっぞ? おめーは、もうちょっと鉄分とれよな?」
真っ青。
それは確かにそうかもしれないけど、自分では分からない。それは俺だけじゃなくて。萩野だっていっしょだ。
「無理、するなよ」
「……おめーこそな」
そう言って、お互いの肩に一発拳を入れておいた。
萩野の力強い拳は、何度も学園生活中で受けとめてきたはずだ。
だけど、今回の拳は雲をつかむような、とても心もとないものだった……。
「とりあえず、今日は一旦解散しよう。もし怖くなったら、私のもとに来てくれ。一緒に私の部屋で寝てもかまわないぞ」
「へえ、そんなこと言ってもいいのかなあ? 変態家畜が本気にして、夜這いするかもしれないよ?」
「なんと!? 吾輩はそんなハレンチな真似はしないぞ!」
十和田が不敵な笑みを浮かべると、慌てた様子の円居が取り繕うように堂々とした構えでそう言った。
……変態家畜って、円居のことなのか?
「いや、そこのキノコ頭のことだけど?」
一方の、十和田が杖で示したのはランティーユだった。
指摘されたランティーユは、「ウーララ!?」といかにもオーバーリアクションで構えた。
今までの行い(?)もあったためか、女子たちが少しだけ変な目で見ている。
「ぼくだったのかい!? そんな犯罪者まがいのことしないよ! それに今のところ、ぼくはマドモアゼル大豊以外は範囲外だから、勘違いはやめてくれよ!」
「うわあああん、やっぱり気持ち悪いよぉぉ! 四月一日っち、今夜は一緒に寝てぇっ!」
「……私も、いいかな。あの気味の悪い映像から、少しでも気を紛らわせたくて……ダメかな」
天馬も手を挙げた。
クールな表情であるが、彼女もあの映像が怖かったのだろうか。
そんな中、藤沢はパチンと手を叩いてニコリと微笑む。
「ねえ、いっそのこと、今日は女子はみんなで寝ない? そうしましょうよ!」
「お泊りでございますね! 女の子の醍醐味でございます!」
「じょ、女子は、私も入っている……わけないわよね、そうよね……」
「入っているわよ、錦織……でも、狭いんじゃないかしら? さすがに四月一日にも迷惑にならない?」
「心配は無用。入らなかったら、私は風呂で寝る」
「ひゅう! 四月一日ちゃん、ばりめっちゃ男前っしょ!」
女子はみんなで寝ることに決まったらしい。
どのぐらいあの部屋が収容可能なのか分からないが……。
そう言って、女子たちは早々ぞろぞろと退出して行った。
切り替えが早い、と言うか団結力が強い。これも四月一日がいるからだろうか。
一方の男子……俺たちは。
「徹夜と夜更かしはクソだ……」
「吾輩は朝昼晩常に白衣だからパジャマを持っていないのだよ。パーティのドレスコードを持っていないともいえるな! ふはははは!」
「寝巻は一番汗を吸う衣服です。そのような状態の人間が密集してベッド付近で飲食を共にするなど冗談極まりないですね」
「マドモアゼルやマダムたちのパジャマパーティ飛び入り参加は大歓迎だけど、ムッシュばかりのむさくるしいのは……うひぃ、吐き気がしてきた……」
「なら想像しなければいいのにねえ。それじゃ。みんな、むきむきのプロレスラーが羊をなぎ倒す夢を見れるといいね」
「あ、あはは……それは、おぞましい夢だね……」
ごちゃごちゃと言いながら、男子はばらばらに戻って行く。
親しい萩野はともかく、俺もこんな彼らと一緒の部屋で寝るのはちょっとな……。
萩野を追いかけようとしたが、気が付いたら見失ってしまっていた。
足取りがおぼついていなかったから心配だ……
おぼついていなかったのは、途中までいた井伏も一緒で、ずっと足を引きずるように歩いていた。
部屋に着いた後……まだ夜時間とは程遠い時間だった。
眠くもないが、ぼんやりとベッドの上に寝っ転がっていた。
シャワーも浴びずに、そのままの状態で、真っ白い電灯を見上げていた。
信じてはいけない。
四月一日の声が思い返される。
どうしてみんなのように、素直に頷けなかったのだろう。
どうして、こんな胸騒ぎが止まらないのだろう。
俺がひねくれているからなのか?
それとも、臆病だからなのか?
どちらにせよ、考えてはいけない。
考えたら、もう戻って来られない。
無理矢理、ベッドの中にもぐりこんだ……。
大丈夫。きっと明日は大丈夫だ……。
きっと、俺も萩野も、明日になれば忘れられるさ。
この日をなかったことにすればいい。
そして、この学園生活をなかったことにできれば。
これ以上にない幸せはなかっただろう。
そうなれば、今頃は父さん、母さん、姉さんとともに……。
枕を涙に濡らしたまま、俺の意識は夢へと埋もれていった……。
マナクマ むかしばなし
むかしむかし、あるところに商人が人身売買をしていました。
「さあ、よってらっしゃい。見てらっしゃい! これはどんな絶望も論破する反吐がでるほど甘ったるい『超高校級の希望』というものです。一方、これはどんな希望も打ち砕く狂おしいほどの『超高校級の絶望』というものです。どちらもすごいんですよ! なんてったって『超高校級』ですからね!」
誇らしげに商人が言いました。
客たちは、「すごいすごい!」とてんやわんやの大騒ぎ。しかし、そんな商人に、客の一人がニヒリズムたっぷりに告げました。
「じゃあ、あんたの言う『希望』と『絶望』をぶつけたらどうなるんだ?」
マズいぞ、このままだとインチキがバレてしまう。
困った商人はこんなことを口走ってしまいました。
「それなら、やってみればいいんだろ!」
そうして、客の目の前で実演を行ってしまったのです。
『希望』と『絶望』が商人の手が解き放たれ、彼らは奴隷という“仲間”から“敵”に変わりました。
そしてお互いが拳を交わしたとき。
それこそが、世界が一つになった瞬間だったのです。