精神異常は精神の摩耗から起こる症状だ。欠損した精神は出血するように発狂する。俺はそう結論付けた。
「なるほど。ならば回復が必要か。この謹慎は渡りに船じゃないか」
そう言う彼女の顔に驚愕の色は無い。何処まで把握しているんだ? 回復と言う単語が出たことから理解の進行は推測できるが、やはり底が知れない。
その通り。あと、ついでに精神を鍛えたい。
「なぜそれを私に言ったんだい?」
そういうの得意でしょ。なんとなく分かる。
「まあ出来なくはないけれども」
じゃあ今から始めよう。
「OK」
二人で同じソファに腰を掛ける。
「さて、鍛えるといったが、その表現は正しくない。正確には使い方を教える、だ」
具体的には?
「集中の仕方、意識の切り替えなどだな」
じゃあ、早速お願いします。
数十分ほど授業を続けて新たに分かった事がある。それは。
「君、心が強いな。そして、既にその扱いに多少の理解がある。スキルの影響か?」
かもしれない。意識を探ったり、見えない思考の底に神経を這わせた経験もある。
「それが出来る人間は中々いない。そもそも、そんなことをする機会もないだろう」
ところが俺にはそれが出来る。
「何故だ?」
神様と俺は考え込んだ。神様はコインを弾きながら、俺は目頭を押さえながら。回転しながら甲高い音を発する硬貨が思考に入り込む。
熟考。
整理。
精神。意識。経験。
経験。記憶を失う前の。
これ、記憶喪失以前の俺に起因するものではないか。
「ああ、そういうことか。あの怪異」
そう。俺は目の焦点を合わせず、テーブルを目の端の端で見た。正確には、其処に腰掛けている少女を。腰まで伸びた髪は、認識するたびに色彩の反転する黒髪。白いワイシャツに黒いネクタイ、黒いスカートの制服。それらに隠しきれないその艶やかな体躯は、しかし今にも崩れ落ちそうな陶器を連想させた。容姿がドストライクなだけで多分害はない。
スキルが発現した時から憑いているモノ。これもそのうちの一つだ。後は見えない追跡者とか消灯時間とか。
「そして、君が見たという『雲に潜む何か』」
それらへの対策として、昔の俺が精神を鍛えていてもおかしくない。
「認識系が多かったか、或いは……。ならば私の仕事は、それを思い出させることだ」
けれど、俺自身に纏わる記憶はすべて消えている。神様も知っているだろう?
「身体に刻まれた反射はそう簡単に抜けない。精神もまた同じと私は考えている。操作の感覚はまだ残っているはずだ」
じゃあ、その方法で。
「よろしく」
目を覚ます。朝。声が出る。呻き声と共に上体を起こそうと腹筋に力を込めると、そこに確かな重量を感じた。布団を除けると神様が俺の上に乗っていた。昨日は部屋に戻るのがめんどくさいからって二人で寝たんだっけ。
俺は彼女を起こさないように離脱し、キッチンへ向かった。自分のコップを取ってうがいをする。目が冴える。俺は昨日習ったことを思い出し、思い描く。意識を広げ、探る。よし。忘れていない。
焜炉に火をつける。最初は中火。徐に取り出したフライパンをそこに乗せ、油を引いた。手早くベーコンを六枚ほど切り出し、フライパン乗せる。焼き加減は目視で判断。いい感じかなというところから十秒加熱し、ベーコンを二つの皿に移す。
空になったフライパンに卵を二つ割り入れ、ここで火加減を弱火に調節。もちろん油はベーコンを焼くのに使ったものを継続使用する。四分ほど加熱したら完成。
こちらも皿に盛りつけて、ナイフとフォークと共にダイニングへ運んだ。部屋に入ると、神様はいつの間にか起きていて、先にパンを食べていた。俺はテーブルに皿を置き、いつもの場所に座った。いただきます。
「胡椒を取ってくれないかい?」
はいよ。で、本棚のあれは――。
「ああ、よく気付いたねえ。私に一言言ってくれれば好きにして構わない」
マジで言ってる?
「本気と書いて、真剣と書いてマジだとも」
じゃあ場所だけ変えとくわ。バレたら不味いし。
「適当な場所に置いといてくれたまえ」
おk。ていうか最初のあれは嘘だったのか? 俺が今までやってきたことは一体……。
「嘘は言っていない。嘘は」
確かに言っていなかった。具体性が無さ過ぎて、字幕なら括弧を入れられるくらい何も言っていなかった。
俺はそうして目玉焼きとベーコンを平らげ、街に繰り出した。
行ってきます。
「行ってらっしゃい」
精神の消費。俺はこれにゲーム的要素を見出した。そもそも、身体能力がステイタスという数値で表されていることに違和感がある。力の項目が1劣っている相手と腕相撲をしたら毎回俺が勝つのか? いや、負ける可能性も0ではない。ではあの数値は何なのか。何を目安に算出されるのか。それが筋肉の行使にどう関与しているのか。
リアルを求めたゲーム。ゲーム機は我々、ソフトは情報の束。俺は、この世界を何かしらのTRPGの舞台と考えた。
関連して、精神の消費とは正気度の消費ではないか。俺はそう考えた。
正気度:クトゥルフ神話TRPGにおける精神の免疫。
TRPGはやったことがない。
クソが。
久々登場だね記憶君。君のお蔭で俺の仮説は一瞬にして崩れ落ちたよ。以前の俺がTRPGをプレイしていないのならばこれは成り立たない。
俺の周りは因果の渦だ。複雑に絡み合ったそれらは、決して理不尽を起こさない。簡潔に言えば、俺に関係ないものは俺と関係が出来ないのだ。そういう世界だ。そういう物だ。そうだろう?
これ以上は良くないな。俺は直感からくる予測を狭間に放り投げた。
俺が考えるべき謎は三つ。
エリナベラ、俺、世界についてだ。
俺は始めから、何故かエリナベラを信用できなかった。そして、彼女と行動している間は瞼の天秤が常に、微かに傾いていた。そして唐突に暴露される借金。
どうして彼女は俺に敵意を向けるのか。彼女は何故借金をしたのか。
俺は俺を知らない。ある日以前の記憶が真っ新になっている。手掛かりは無く、死のスキル、正体不明の血濡れた魔法が手の中に落ち、しかし謎は増えるばかりだ。
俺は誰で、どうしてこの街に居るのか。俺は何をすべきなのか。
この世界は奇妙だ。アラビア数字、コイネーの文字数、魔法陣、娯楽を求める多神教の神々、ステイタス、スキル、魔法、エルフ、ドワーフ。要所要所に日本の痕跡がある。
俺はこの世界をゲームだと言ったが、果たしてそれは正しいのか。
そして、この世界には明らかに異質な存在があった。バベルと教会だ。
この世界のバベルは超高層の塔だ。ここで提示するのはバベルは何故そう名付けられたのかという疑問だ。設計者の名前という線はない。ダイダロスが作ったからだ。ならば旧約聖書に登場するバベルの塔が元ネタの可能性が高いだろう。そちらは、人間が名を上げる為に天まで届く塔を作ろうとしたが、神に言葉を乱されてやむ負えず建設を中止したというものだ。
この世界には教会が存在する。教会とは主にキリスト教における宗教施設を指す言葉である。他の宗教団体(旧統一のあれとか)を示すことにも使われるが、それは概念的なものなので今回は適用されない。補強すると、多神教のこういった施設は神殿と呼称されるため、教会がキリスト教の建築というのは明確だ。
以上二つから分かることは、この世界に一神教、キリスト教が存在するという事だ。
では、その三位一体の神はこの多神教の中に存在しうるのか。
簡単なところから始めよう。エリナベラから。
先ずはそのプロフィールを振り返ろう。エリナベラ・ソルベル、年は不明。身長は普通、胸はサラシで覆っているため小さく見えるが本当はデカい。獲物は刀。所属ファミリアは……。あいつのファミリア、俺聞いてない。
てことで知ってる? マーシュ君。
「それっていつもあなたと潜ってるあの人の事ですか? あの人ならカマソッソファミリアですよ。でも何で――」
問題ない。その情報を悪用する気はない。
「まあ、別にいいですけど。ていうかこれだけの為に僕呼び出されたんですか?」
そうだよ。
「あほくさ。もう行きますね。これからダンジョンアタックなんですよ。ダンジョン。アナタが潜れない」
一発殴ってやろうかな。俺は青筋を立てつつ彼を見送った。ついでにこの前のお礼として財布をスっておいた。やってやったぜ。
カマソッソか。
カマソッソ:蝙蝠の神。確かマヤ神話に登場する。
本でちらっと見た程度なので、大してよく知らない
今日はやけに元気だね。記憶君。
その昔、洞窟は冥界とつながるとされていた。例えばギリシャ神話では冥界は地下にあるとされていて、深くまで洞窟を下ると冥界に行けると信じられていた。オルペウスの冥界下りが有名か。マヤ文明もそのうちの一つだろう。確か、アメニズムか自然崇拝かそんな感じだったはずだ。ならば、それそのものが生きているかのように振る舞う山と対称的に、生を感じさせない岩の空間に住む蝙蝠は、死に関連する不吉な生物だと考えられていたと考えられる。
つまり、胡散臭い。ブラック企業ならぬブラックファミリアの気配がする。しかし、噂に聞けばセトファミリは真っ当にやっているらしいので、判断に困る。よって、本人に聞く他ない。直球でもいいが、個人的には神酒がカギだと考えている。恐らく最終到達点はオラリオの闇。そして、神酒は裏取引における代表的な商品であろうから。
よし。考えるのは止めよう。どうせギルドの連中は情報吐かないだろうし。
俺はエリナベラに関する考察を明日に回した。
70
買い物を終えて家に帰り、サンドイッチを摘まみつつ魔法について考える。
【ショウシャクヨモギ】。前回見た流れである。いい加減にコイツの正体を暴いてこの思考を終わらせたい。恐らく何らかの箇所で何らかの重要な働きをすると見込まれるため、蔑ろにできないのが腹立たしい。
先日作成した高級ナイフ(海賊版)を手に取り、当時の感覚を想起する。
あーはいはい。これくらいね。
続いていつも使用している鶴嘴を手に取り、いつもの感覚を想起する。
あー……ん?
違いが分からない。強いて言えば、ナイフの方が魔力を若干多く取られた気がする。これもう来年の格付けチェック馬鹿にできねえな。
ナイフの方に多く消費したと仮定して考えよう。ではその差は?
俺はナイフと鶴嘴を交互に見た。大きさは血液依存な気がするから要素から排斥。後は材質と主観的な価値。後は何だ? 二つを見比べる。ナイフの方は骨の比率が低く、刃は肉と金属の中間のような質感だ。滅茶苦茶硬くしたビーフジャーキーの様な。違う。いい例えが見つからないが、ともかくそんな感じだ。恐らく自然界に存在しない物質だ。
これを作ったせいで魔力を多く使った。うん。結論がずれている気がする。そういえばこのナイフには目が存在しない。ルールに反している。
「それはどうかな?」
テーブルの下から神様が出て来た。
貴様、バイトはどうした。
「何の事かな?」
貴様、まさかッ!!
「フフッ彼らには悪いことをしたね。まだ若いのに」
貴様ァ!!!
で、何でいるの?
「サボった」
バカがよお。大した用事もないくせに。
「あるさ。君と過ごすという大事な用事がね」
ほざけ。
「でも助かっただろう?」
それはまだ分からないぜ。
「今に分かるさ」
彼女はナイフと鶴嘴を見比べて言った。
「先入観と高度な設定だね」
何が? ……ああそういうね。なるほど。
要するに、俺の魔法はイメージに左右される。初めに使った時、裂けた皮膚から肉や骨を連想した。その影響で最初の制作品は骨に覆われた肉塊となり、それに感化されて、俺の生成物は生物的になった。
多分、俺の魔法には高度な設定を可能にする項目がある。それがオフであったから、生体的な金属は今まで作れなかった。コピーは高度な設定がオフでも、それを再現できるのだろう。キーボードで日本語しか打てなかったとしても、ソースコードをコピペすればテ○リスを作れるように。
「今のでよく分かったね」
アイディアは既にあったからな。
「そうかい」
神様はソファーに腰掛けた。
そういえば、怪異についてなのだが。
「どうかしたのかい? 私はあれは直感に反するが、存在を認めざるを得ないと思っているよ」
怪異がいるのはおかしい。
「何故だい?」
怪異というのは――これは僕の記憶の話だが――ウイルスのようなものだ。人伝で広まり、影響力を増していく。放っておくと手がつけられなくなる厄介な現象だ。しかし、基本的に定着しない。
「影響が弱いうちに忘れられるから?」
その通り。加えて、大人数に認識されなければ存在すら出来ない。そして、この世界に本来怪異は存在しない。
「怪異について知っているのは私達だけだ」
では、なぜ怪異は存在するのか。
……実のところ、俺はこの答えを何処かに持っていると思う。だが、どうやってもその思考に到達できない。つまり――。
「思考の封鎖。だから私から学ぼうとしたのか」
そういうこと。きっとその思考に、結論に到達した時、俺は一つの終わりを享受する。
「なんだか、君は楽しそうに見える」
そうかな。咄嗟に口元に手を伸ばすが、口角は上がっていない。
「さっきの事について一つ言うならば、怪異は君の所為だと私は考えているよ」
それはどういう意味だ?
神様は不意に立ち上がった。
「一区切りついたことだし、ご褒美をあげようかな」
彼女はフードを取った。
ばさっと髪が空中に広がる。ランプの光をキラキラと反射する黒髪は夜空のようで、毛先の描く軌道は蒼い風のエフェクトによって補完されていた。顔立ちはどこか幼く、しかし大人っぽさがあり、アレキサンドライトのような美しさを備えている。肌は白くひ弱といった印象を与えるが、その眼には濃い紫の炎が渦巻いていた。
顔を見たのは、これが初めてな気がする。
「そうだったかな」
思い出した。下から覗いても、寝ている時さえ陰っていて見えないから、早々に見るのを諦めたんだ。
彼女はローブを留めていた腰紐を解いた。ふわりと前身ごろが開き、衣擦れの音と共にローブは床に落ちた。現れたのは真っ黒なドレス。それに身を包んだ彼女は身体のラインがはっきりと浮き出る胸元や腰に白魚の様な指を走らせ、にやりと笑った。
「さて、じゃあ好きに触ってくれて構わないよ。壊れない程度に」
一瞬思考が止まる。何を言ってるんだ。
ああはいはい。なるほど。これは回復行為か。確かに俺の精神は回復するだろう。しかし、彼女は……。
正気か? 眷属一人に体張りすぎだ。
「たった一人の眷属だから、こういって体を張ってるんだろう?」
その気になればいくらでも増やせるだろ。
「しかし、増やしてしまったら君が嫉妬するかもしれないからね」
クソが。やり辛い。
「そういう風にキャラを変えてるからね」
溜息をつく。じゃあなんで俺なんだ。俺が選ばれた理由が分からない。
「運命を感じたからさ」
駄目だ。神らしくロマンティックで幻想的で神話的なことを言い始めた。
「否、これは本当だよ。君と私は実に運命的な出会いを果たした」
もういい。話が脱線しすぎている。
神様が前言を撤回しないならば、俺は躊躇なくその身体を堪能するぞ。ほら、今なら聞かなかったことにするから。
「つれないことを言ってくれるなよ。私は本気だからな」
はあ。もう知らないからな。
俺は髪に手櫛を通す。何の抵抗もなくするりと指は抜けた。揺れた髪の一本一本が星の光跡写真の如く白い弧を描く。
「楽しいかい?」
楽しいわけではないけど、リラックス出来ている。久しぶりに。
後ろ髪を手で纏めて、放す。光が散って肩に流れた。持ち上げて、放す。深縹と黒夜が渦を巻いて緩く広がった。真っ直ぐ光が落ちて、さざめいた。
しばらくそうしていると、彼女は不意に口を開いた。
「もう日が沈むようだ」
光陰矢の如し。昼間から唐突に始まったこの行為は、気付けば夜まで続いていた。
俺は鋼の精神で髪を触るのを止めた。また触りたい。めっちゃ触りたい。後ろ髪を引かれるとは正にこの事だ。
この後一緒に風呂に入って一緒に寝た。
精神は大分回復した気がした。
暗い室内を歩く。後ろを振り返ると、そこにいる筈の神様はいなかった。視界に白い物を捉えた。何かが部屋の中央にある。俺はそれに近付いた。
紙が浮かんでいた。羊皮紙だ。
俺は浮遊の原理を探ろうと、紙の上や下に手を通すが、手応えはない。引き摺り落としてやろうとそれを握りつぶすと、手の内に鋭い痛みが走る。裏に釘があったらしい。さっきまでは無かったのに。
血塗れの紙を読めば、それは何時か見た人探しの張り紙だった。無味乾燥な文字列を見つめる。内容に変わりはない。
瞬きをすると、視界に変わりはないが重力の向きが変わっていた。いや、違う。俺は今紙を持っていないし、ここは部屋の中央じゃない。重力の向きは変わっていない。紙は空中に浮いていて、俺は窓から身を乗り出しているんだ。
摩擦係数がゼロになったかのように身体が滑り落ちた。慌てて窓枠を掴もうとするが、もう遅い。俺は鳩尾に穴が開くような感覚と共に落下し、数百メートル下の石畳に叩きつけられた。沸騰するような、泡が立ち上る音が耳にこびりついていた。
目を覚ます。隣には神様。部屋の中央に紙はない。跳ねた心臓が落ち着いた。
何時ものようにキッチンでうがいをすると、吐いた水に長方形の紙片が混じっていた。それはなんてことない、桜の描かれた切手だった。
主人公はチキッたので彼女に手を出してないし、最後のはただの心霊現象です。シナリオにはあんまり関係ありません。
余計なこと書いてないで投稿ペース上げろ。
溺れてから心臓が止まるまでは案外長い。
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