第一話
異世界でも無銭飲食は犯罪だった。
警察的なポジションらしきおじさんが卓上照明の角度を調整して俺の顔を照らした。俺はオレンジの光に目を細める。少なくとも自分の国では違法であったが、エルフがその辺を歩いているような世界なら法も違うんじゃないか、と無駄な期待を抱いてしまったのが敗因だ。
遠い国からやって来たので勝手が分からなくて。
「いや流石に無理があるだろその言い訳は」
おじさんは目頭を押さえて手帳を開く。俺は身動ぎをして、手足の縄の具合を確かめた。そこまできつく縛られてはいない。頑張ったら抜けられそうだ。卓上照明がちかちかと明滅した。
「ええと、事件について再確認しよう。午後一時にお前はカフェ・クラレフィーノに入店。ボロネーゼを注文。完食した後、料金を支払わずに店を出た、と。間違いないか?」
ええ、その通りです。
これだけ聞くとただの食い逃げだが、その事情は複雑だった。事は事件の二時間前に遡る。
俺は薄暗い洞窟――ダンジョンで目を覚ました。スマホの着信音で我に返った。スマホ以外の持ち物は無し。ついでに自分に関する記憶もなし。呆然としていたら電話は切れていた。
俺は脱出を試みて一時間ほど暗がりを徘徊し、そして運良く帰還途中らしい奴らに出くわしてダンジョンを出た。地上は分かりやすいファンタジーだった。木組み、レンガ造り、謎文字etc。明らかに地球ではなかった。なので、ワンチャンに賭けてカフェに向かったのだ。
おじさんは手帳にペンを当てた。天井照明が明滅した。
「よし、じゃあ報告書を書くから名前教えてくれ」
知りません。
「……この程度なら罰金で済むから早いとこ言っとけ」
知りません。
渋い顔をするおじさん。前述のとおり、俺は記憶喪失で自分に関する記憶がすっぽり抜け落ちている。こればっかりはしょうがない。それに。
貴方たちは私に名前がないことをおかしいと思っていない。
おじさんは唐突に真顔になった。沈黙が下りる。卓上照明に連動するようにマジックミラーの中の俺も明滅して消える。部屋は一瞬無人になった。
「……お前は罰金を払う必要がある。飲み食いした金額と300ヴァリスだ」
あれ、聞こえてない? この謎翻訳機能に不具合があったのか? 文字を学べていない状態で壊れるのはヤバい。
それはそうと金を払えば許してもらえるらしい。しかし、知らない人が多いかもしれないが、お金は払うと減るから払わない方が得なのだ。
俺は手首の縄を解いた。懐に手を入れ、財布を取り出すふりをする。しばらくごそごそと体中を弄った後、俺は言った。
そうだ。財布は日本に置いて来たんだった。
「は? 何処だって?」
日本だよ日本。日本というのは東アジアに存在する島国だよ。知らない?
「聞いた事も――」
北海道と本島と四国と九州と沖縄から成り、由来が分からない謎の言語を話す国だよ。謎の言語の所為か文化も謎で仏教とキリスト教を行ったり来たりしながら八百万の神を信仰している。まあ俺はキリスト教なんだけどね。知ってる? 一神教。神様が一柱だけの宗教ね。
「は? 何言って――」
でもキリスト教もアレだよね。アメリカがいい例だよ。確か学校で進化論を教えることが禁止になってたんじゃなかったっけ。理由は聖書に書いてあることと違うからとか下らない。そんなんだからソ連に先越されるんだよ。進化論というのはダーウィンの自然淘汰説がメインで、生物はこうなりたいと思って進化したのではなくコピーミスで多様になったとこで適応できなくなったやつらだけが死んだっていう。まあこれも厳密には違ってダーウィンが唱えたのは自然淘汰と性淘汰でその説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ――。
二時間後、嫌そうな顔をしたおじさんに釈放された。釈放理由は俺に責任能力が無いと判断された為。計画通り。
無事解放された俺は小石を蹴って宛もなく大通りを歩いて行く。前に居た世界と法律が同じで助かった。精神異常を抱えて善悪の判断が出来ない場合、責任能力が無いと判断されて無罪になる。
この世界には本物の神々がいるので、一神教という概念が無い。昔々、天界から人間とモンスターがイチャイチャ滅ぼし合っているところを眺めて暇をつぶしていた神々は、自分たちもその輪に入りたくなって下りて来たらしい。
神々と表現した通り、神は複数人――複数柱存在する。しかも目に見えるし、触れる範囲で暮らしている。そんな環境だから、一神教なんて思想はそもそも生まれないのだ。つまり、言えば一発で狂人と判定されるワードだ。カフェに入る前に情報収集をしておいて正解だった。
さて、出られたのは良いが、やる事がない。何の気なしにポケットに手を突っ込むと、指先に冷たい物が触れた。スマホだ。正直すっかり忘れていた。電源を入れるとやはりパスワードを要求された。パスワードは当然記憶にない。顔認証機能は存在しないし、指紋認証は出来ないらしい。つまり開けられない。高性能情報端末が使いづらい文鎮にランクダウンである。
俺はそれでも何かに使えないかとロック画面を弄り回し、ふとここが圏外になっていることに気付いた。だが、着信音が鳴ったという事は、電話が繋がっていたという事だ。つまり、ダンジョンが日本に繋がっている可能性がある。もしくは、繋がらない筈の電話が繋がるという怪奇現象の可能性だ。よくある怪談のやつだ。電波が入るはずないのにどうして電話が繋がったんだろう、というオチ。もしこれがそうなら、すでに俺は電波が届かないことを知ってしまっている為、俺が観測している間は決して繋がらない。でも、その内あっさり電波が繋がるかもしれないし大事にとっておこう。
それで、何で俺は他の可能性を排して「怪奇現象」だと思ったんだ? まあいいか。俺はスマホをポケットにしまい、通りを眺めた。如何にもファンタジーといった格好の人間と人間の形をした何かが歩いている。
やっぱり異世界だよなここ。
この世界に存在する特徴的な物は、異種族、魔法陣、冒険者、ギルド。魔法陣は日本発祥の考え方だし、冒険者とギルドの並びはライトノベルでよく見る設定だと記憶が言っている。これらを考えると、この世界がファンタジー小説あるいはゲームだと考えられるだろう。
俺はゲームの方を推す。ゲームなら、俺がダンジョンに生じたこともスタート地点ということで説明がつくからだ。そして、もしゲームなら俺にはやるべきことがある。チュートリアルだ。マーカーも指示文もないからどうすればいいか分からないが、一つ考えはある。見る限り、冒険者は穢多のような扱いではない。それどころか、あこがれというか花形の職業であるらしい。子供たちが枝を振り回して遊んでいるのが見えた。
なので、目的地はギルド。冒険者登録に行く。
「ファミリアに入っていないと登録はできませんねー」
受付のお兄さんはそう言って、団員募集中のファミリアのリストを俺に差し出した。
駄目みたいですね。どうも冒険者になるには、ファミリアに所属しないといけないらしい。クランのようなものかと思っていたが、入らないと登録すらできないとは思っていなかった。
安全性に配慮したクソシステムめ。
俺はリストに一通り目を通して、また来ますと受付のお兄さんに言ってからギルドの外に出た。ギルドでの情報収集はすでに終わっていた。
俺は一先ず目標を決めた。ゲームクリア。ダンジョンの最下層に行くことに決めた。理由は幾つかあるが、日本に帰れるかもしれないというのが一番大きい。帰れなくとも、クリアしたら何かしら世界に変化があるだろう。
問題はどうやって行くかだ。恐らく一番早いのは冒険者になる事だ。知名度と金を同時に確保できるのが大きい。次に、金持ちになる事。俺の現代知識を以て商品開発により商会に食い込み、分かりやすい肩書をゲットする。で、適当に最前線を支援してその内最奥に連れて行ってもらう。しかし、何れも難点が生じる。前者は、ファミリアを見つけ、尚且つ冒険者として成功する必要がある点。後者は、俺が最低限の身分の証明も出来ない上、攻略が終わるかも分からない点。ギルドで聞いても、俺の住民票は見つからなかった。職員に聞いても「そこに無ければ無いですね」と返されるだけだった。そういう表現が出来る事柄じゃねえだろ。
よって、冒険者のルートへと舵を取ろう。先ずはファミリアに入るところからだ。
そもそもファミリアとは何か。簡単に言うと、宗教団体である。主神という一柱の神を中心に構成される契約関係であり、地球の宗教団体と違って信仰するにあたってリターンがあるのが特徴で、具体的にはステイタスという神の恩恵を授かれるらしい。
そう。皆さんご存じステイタス。ゲームの様に筋力や敏捷性が数値として表れて、経験値を収集すればそれらが上がっていくという典型的な奴であり、地上で神が使える唯一の力である。俺はこの存在を知ってここがゲームの世界だと確信した。
経験値を集め続ければ何れ人から外れた域まで到達できるという、モンスターに対抗すべく与えられた夢のようなシステム。その対価はそのファミリアに所属し、ファミリアの意向に従う事。
なので、入るファミリアによっては絶大な不利益を被る。犯罪とかやってるファミリアには入らないようにしたいので、ファミリア選びは慎重にならなければいけない。
加えて、もしかしたら俺はファミリアに入る事が出来てもファルナは刻めないのかもしれない。可能性一、俺はモンスターである。ダンジョンで発生した以上、この可能性は否定できない。確認方法は解剖。可能性二、俺は異世界人である。体のつくりが違うため、刻めないという可能性だ。まあ、ここに飛ばされたなら問題ないと思うが。
万が一これらが発生したら、商人ルートに切り替えよう。
街で得た情報の整理はこれで終わり。俺は思考を打ち切った。なんとなく歩いていたが、気付けば大通りから出て、裏路地のようなところの深くに入り込んでいたようだ。喧騒が遠い。煤の匂いがする。薄暗く細い道の向こうで、何かが横切った気がした。
そう言えば、俺はずっと一人じゃなかった。誰かがずっとそばにいて、だから俺はそいつと喋っていた。
タロットカードが捲れる。塔の逆位置だった。
誰かが俺を見ている。視線が俺に覆いかぶさって、視界の奥と背後から暗闇が迫って包み込まれるような錯覚。肩に、今、誰かが触れようとしているのではないかという錯覚。
この世界の物ではない。どの世界の物でもない。場面に似合わぬ郷愁を俺は感じていた。俺は知らないそれを知っていた。
近い。とても近い。全て暗く、おぞましい。背筋が凍った俺は好奇心を解消すべく、ふと視線の先を知ってしまった。そして、それを見た。
空を見上げた。瓦屋根の隙間から、行き詰った曇り空が、煮詰めて端に溜まった灰汁のような、部屋の隅に固まった埃と蜘蛛の巣のような、死人の肌の様な、べったりとした鈍色の雲が覗いていた。
雲が、覗いていた。
空に張り付いて覆いつくした雲が、こちらを覗いていた。
飛行機の搭乗橋にいる時点で既に感じられる、あの飛行機独特のよくわからない香りは、燃料の匂いらしい。
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