早朝。霞がかった薄浅葱の空には残月が浮かんでいて、まだぼんやりと暗い街にはぽつぽつと明かりが灯り始める。
俺はそんな時間からダンジョンに潜っていた。理由は明白。武器を購入した所為で金が無いのだ。
最初は武器を買う金すら無かった為、そこらに落ちている石という打製石器以下の武装でダンジョンに潜っていた。サスペンス劇場の如く撲殺を繰り返し、こつこつ金を稼いで武器を買ったは良いものの、思っていたよりも高額で貯金を全て使い果たしてしまったという訳である。神様のなけなしの貯金からも借りているので、ここで稼がなければ俺と神様は共倒れという状況であった。
今日稼がないと飢え死ぬ。決意を新たに俺は二階層に足を進めた。
得物を振り下ろす。その鋭利な先端がゴブリンの歪な頭蓋骨を砕き、内部の柔らかい部分に触れたのが手に伝わった。次の瞬間、ゴブリンは黒い塵となって宙に溶け、魔石がころんと転がる。俺はそれを拾って腰の袋に入れた。
やはりこれを選んだのは間違いではなかった。刀のように技術が必要ではない上、一点に攻撃が加わる為装甲も砕けるという素晴らしい武器。エルデでも強武器の鶴嘴である。攻撃の範囲が狭く、内側に入られると対処できないという致命的な欠点に目をつぶれば最強である。
少し先にまたゴブリンがいたので接近して叩きつける。しかし目測を誤り、鶴嘴は地面を穿った。これ幸いと距離を詰めたゴブリンに、素早く鶴嘴を振り上げることで対処する。鉄の質量がその顎を打ち抜いた。怯んだところにもう一発叩き込めば、嫌な音を立ててそれは沈黙した。
周囲を確認してから魔石を拾い上げる。敵影無し。そして肩につるはしを担いで今の事について考えた。
ダンジョンでは短期決戦が基本である。だから初撃から外すなんて事してはいけない。俺は鶴嘴をテニス選手のように手の内で回した。振り下ろす。美しい弧ではなく右に寄った曲線を描いて、先端が地面を削った。振り上げて、もう一度振り下ろす。また真っすぐ振り下ろせなかった。
何処にどう力を入れればいいかさっぱり分からない。やはり練習が必要だ。扱いに慣れるためにも今日は少し長めに潜ることにした。
ゴブリン:形態は様々だが、小型で醜く、狡賢いという事が共通している妖精。洞窟に好んで住むと言われている。
雑魚敵として描かれることが多かったが、最近はそこそこ強い作品もある
時々攻撃は空振ったが探索は実に順調なものだった。重いものを振るのは体力を使う為それなりに休憩はしたものの、1500ヴァリスほど稼げただろう。石より明らかに戦闘が楽である。武器の重要性を知るいい経験になった。
三階層に降りてもいいかもしれないと思いながら、今朝したためたサンドウィッチを取り出した。此処に居ると時間感覚が失われていくので、定期的に外に出なければならない。しかし、今日はそんなことは言っていられないのでこの場で食事をすることにした。今が昼かは分からないがこれが昼食である。
俺は周囲にモンスターがいないことを確認してかぶりついた。うん、ハム美味しい。俺は持って来た分をあっという間に食べ終えて、次の階層に下りて行った。
地図を見ながら歩いていると、丁度ダンジョン・リザードという名前通りの蜥蜴がリポップする瞬間に立ち会った。石壁からメキメキと音を立てて生れ落ちる冒涜的な光景は、それらが真っ当な生物でない事を鮮烈に伝えている。そうしてようやく全身が出た刹那、俺は全力で鶴嘴を叩き込んだ。頭の欠けた蜥蜴は魔石を残して消えた。古くから人類が使ってきた戦術。出待ちであった。
階層が下になるとモンスターは地味に強化される。特にこのモンスターが強かったという訳ではないが、殺せるのなら殺しておいた方が良いと思ったからだった。これまでの戦闘でも、先手を外したら死ぬような場面が三階層に入って多くなった気がする。まあ、適正帯ではないから当然なのだが。
歩きながらそんなことを考えていると、前方で蜥蜴三匹が壁で這い回っているのが見えて来た。行くか? しかし、三対一はヤバそうだ。でも金は欲しい。行くか。
鶴嘴を肩に担ぎ、移動される前に走って接近して攻撃する。振り下ろされた鉄塊は蜥蜴の隣のダンジョンの壁を砕いた。ここで外すのは良くない。次々床に着地する蜥蜴共が攻撃の姿勢を取る前に、鶴嘴を持ち上げてもう一度振り下ろす。今度こそ一匹の頭を砕くが、その隙をもう二匹は見逃さなかった。咄嗟に鶴嘴を捨てて右手でガードする。しなった尻尾がそこに直撃した。いってえ。これは青痣になるなと思いつつ鶴嘴を拾い、距離を取る。多分愚直に突っ込むと死ぬので、片方に石を投げてからもう片方へ突撃した。擦れ違い様、何とか頭に一発叩き込むと同時に蜥蜴の位置を確認する。かなり近い。鶴嘴を盾に攻撃を凌ぎ、空かさず殴りつけた。鶴嘴を振り上げるよりこっちの方が速い。怯んだところにもう一撃食らわせ、最後は蹴りで壁に叩きつけ、鶴嘴でとどめを刺した。
ふう、危ない所だった。今の一戦で疲労が溜まり、集中力ももう無い。ポーションがあればもう少し続けられたのだが、消耗品の癖にクソ高いので俺はそれを持っていない。魔石を入れた袋も十分重くなったので、今落ちている魔石だけ拾って今日は切り上げることにした。
帰り道、代り映えの無い光景に飽き飽きしていた俺は無意味に空想を膨らませた。そう言えば、ダンジョンの中は意外にも静かである。冒険者の雄叫びやモンスターの鳴き声が永遠に反響しているものかと思っていたが、今の所そういったものは聞いた事がない。ごつごつとした石壁が音を吸収する訳がないのにどうして聞こえないのだろうか。もしかして、助けを求める声を聞こえ辛くするためだろうか。いや、ただ反響していたらうるさいというだけの理由かもしれない。そんな事を考えている内に一階層まで戻って来た。足取りに迷いは無い。まだ一週間しか潜っていない駆け出しだが、ここの構造はよく覚えていた。
ある地点を通りがかった時、足が止まった。あの日俺が倒れていた場所だった。ここは何度も探索した。通りがかる度に何か無いかと調べていたが、何一つとして見つかるものは無かった。自分についての情報が集まるのは大分先になりそうだ。俺は再び歩き出した。出口は直ぐそこだった。
ダンジョンから出ると月が出ていた。傾きから見るに六時だろう。少し遅くなったなと思い、大して意味は無いが早歩きで神様の家へ向かった。この時間帯になると大通りにも人が少なくなってくる。家屋から漏れ出た光と街灯が石畳の帰り道を照らしていた。
最初はすぐに迷っていたダイダロス通りも土地勘がついてきた。右左真っすぐ左右右左で後は適当に進めば見えて来た。家だ。ただいまと言いながら扉を開ければ真っ暗な玄関が広がっている。まだ靴を脱がずに家に上がる事に慣れていない。俺は光が漏れている扉に向かって行き、開けた。
ただいま。
「さっき聞いたって」
鬱陶しそうに神様がそう言うのを横目に魔石が入った袋を棚の上に置いた。ギルドは24時間営業ではないから、明日の朝に換金するのである。ソファで寝転がっている神様にいつものように問いかけた。スマホから音が鳴ったりは無かった?
「スマホ……ああこれか。今日も何もなかったよ」
神様が懐から携帯を取り出して手の中で弄んだ。神様にはバイト先にもそれを持って行ってもらい、着信がないか常に確認してもらっていた。しかしダンジョンで目覚めたあの時以来、未だに反応は無かった。
「じゃあ、ご飯にしようか」
神様はそう言って部屋を出て行った。キッチンはこのダイニングから二部屋離れている。実に狂った設計だ。リビング、ダイニング、キッチン。それらが一つも隣接していないなんて、全くもって信じられない。木製の床に靴が当たる音が一度離れ、戻って来た。俺はそれを聞いてドアを開けた。その先には両手に皿と料理を持った神様が立っていた。神様はありがとうと言って、テーブルに向かって食事の準備を始めた。俺はそれが終わるのを待って椅子に座る。神様も座ったのを確認してからいただきますと呟き、改めて目の前の料理を見た。
さて、今夜私が頂くのはフランスパン、焼いたソーセージ、人参スティックです。まあ、料理と呼べるものは一つもなかった。俺も神様も料理が出来ないからだ。黙々と食べる。フランスパンは良い。噛む回数が多くなるので、空腹を紛らわせやすい。足りない塩分はソーセージで補う。地球のものと違い保存食としての側面が強いので、そのまま食べるのを躊躇するほどに塩分は濃かった。人参も十分美味しかった。
食事を楽しんでいると、神様が話しかけてきた。
「明日の夕食はどうするの?」
明日は俺が食事当番だった。少し考えてからパスタと言うと、彼女は顔を綻ばせた。
「あの『ガーリック抜きアーリオオーリオ』?」
その予定だ。
それはもう
その後は会話もなく食べ終わり、俺は食器をキッチンに持って行って洗い始めた。食事当番でない方が食器洗いを担当することになっている。スポンジに洗剤を垂らしてごしごしと擦る。実に不思議なものだ。水道などのインフラが整備されているのに自転車もないとは。そんなことを考えながら皿に付いた泡が重力で垂れていくのを見ていた。ぱっと水で流して指で擦る。汚れなんて元々付いてなかった気もするが、洗ったという事実が重要だった。俺は食器を適当にタオルで拭いて、適当な場所に置いた。こんなものでいだろう。
俺は台所から出てリビングに向かった。ステイタス更新の為である。リビングでは神様がソファで寝転んでいた。俺が更新お願いと言うと、神様は起き上がって伸びをした。俺はシャツを脱いでしゃがんだ。神様が俺の背中に何かすると、部屋が少し明るくなった。あの日の焼き直しのような光景だった。しばらくすると光は収まり、俺は立ち上がってシャツを着た。神様からステイタスの書かれた紙を受け取る。
力:I63→66
耐久:I8
器用:I37→39
敏捷:H32→33
魔力:I0
魔法、スキルは此度も発現する気配を全く見せない。俺は平凡な数値の書かれた紙をポケットに突っ込んだ。ありがと、と言って風呂に入る準備を始めた。
風呂に入ると言っても、浴槽で湯に浸かるのではなくシャワーで身体を流すというものである。俺は着替えを手に銭湯のような施設に入って行った。料金は20ヴァリス。良心的なのかはよく分からない。俺は脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入った。俺以外に客はいなかった。何の匂いかは分からないがなんとなく甘い香りの石鹸で頭を洗い、もう一つの何かよく分からないが甘くはない香りの石鹸で身体の汚れを落とす。明日のことを考えていると、気が付かない内に全身を洗い終えていたのでシャワーで流した。浴槽に身体を沈めるとうっかり寝てしまいそうなので、直ぐに浴室から出て適当に体を拭き着替える。俺はさっさとこの施設を去った。
ひんやりとした夜風が気持ちがいい。湯冷めという言葉が脳裏を過ったが、気にすることもなく街灯と石畳が作り出す今にも崩れそうな雰囲気を堪能した。ふと空を――見上げなかった。今日は雲が多い。視界の三分の一以上を空が占めないように若干俯いて歩いた。俺は失敗を繰り返さない男。家はまだ少し遠い。
特に何事もなく家に着いた俺は、ソファに倒れ込んだ。今日は疲れた。予想通り痣になった右腕をさする。神様はもう寝ていた。多分明日もまた早いのだろう。俺は目を閉じて泥のように眠った。
消灯時間だ。人知れず、部屋の魔石灯の光が消えた。
飛行機のシートが青いことが多い理由は、青が気分を落ち着かせる効果があるから、景観に溶け込みやすいから、安いから、汚れが目立ちにくいから、時間を忘れやすいから、の何れからしい。
モチベーション等の理由より、感想や評価を募集しています。
752b3330366120752b33303862
-
736f756b61
-
736f756b61