ダンジョンに潜る上で名前は必要ない(旧)   作:イクラ系鮭

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 主人公がちょっとおかしくなっているように見えますが、正常です。


第四話

 ダンジョンという戦場で苛烈な闘争を繰り広げる冒険者は、間違いなくこの街の花形として認識されている。しかしながら、その実態は違う。冒険者は冒険しない。そこにあるのは燃えるような戦闘ではなく敵をただ殺すという作業である。生存を重視するほど、刺激が削ぎ落されていく。だから、ダンジョンに真剣な者ほど、ダンジョンに潜るという行為は実につまらないものとなる。

 かく言う俺もその一人だった。確実に稼げるかつ生命に危機が及ばないギリギリのラインで活動していた。しかし物足りなくなり、刺激を求めて一つ下の階層に行く日も少なくなかった。今日もそういう日だった。そして、今日は特別運が悪かった。

 俺は見え見えの危険に飛び込む性格ではないし。実際に今回は何もしていない。だが、この五階層は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。まあ、出てきたのは蜂ではなく牛なのだが。

 

 拙い。不味いマズいまずいマズイマズイ。

 ダンジョン五階層。俺と同業者のベル君は、ミノタウロスに追われていた。

 

 ミノタウロス:ギリシャ神話の怪物。上半身が牛、下半身が人という異形。ダイダロスの迷宮に封じられ、テセウスによって討たれた。

     ああ、そいつなら地中海で見たよ

 

 コメントにツッコむような暇はない。ミノタウロスは十三層以下の中層と呼ばれる区域最強のモンスターである。一から五階層で活動する俺達には到底太刀打ちできない相手だった。

 どすどすと奴の足音が聞こえる。最近知り合ったベル君と、二人なら大丈夫と五階層まで降りてきたのが間違いだったのだろうか。いや、ここまで上ってきているのなら四階にも来られるのだろう。

 ベル君。ちょっとこれは死ぬかもしれない。

「何でそんなに落ち着いてるんですか?!」

 響く足音は階層全体を揺らす様だった。たまにその手に持った石榑の棍棒が床を打ち、異様な威圧感を放つ。追いつかれたら死ぬ。冴えた五感がそれを確信させた。

 だから、俺達は全力で逃げていた。今にも縺れそうな足を必死に動かして、それから可能な限り離れようとしていた。マップは頭に入っている。現在地から出口までの最短ルートを構成し、彼に伝えた。

 この先の突き当たり丁字路。そこを右に曲がれ。俺は左から行く。

 彼はもう喋る余裕も無いようで、汗を散らして頷いた。左がどこに繋がっているか考える余裕も無いらしい。良かった。

 冒険者の全能力を振り絞って走る。心なしか奴との距離が縮まっているような気がした。先程言った突き当りはもう直ぐだ。それを認識した瞬間、俺は奴の顔面に魔石を投げた。走りながらで狙いは定まらないが、それは奴の角に命中した。当然ながらダメージは無い。俺の目的はそれではなく、ヘイトを買う事。

 数秒後、俺の言った通りベル君は出口に繋がる右に曲がり、俺は何処にもつながらない左に曲がった。そして、やはり頭に血が上ったミノタウロスは俺を追って来た。少しの時間稼ぎにはなるだろう。もしかしたら彼を見失うかもしれない。そういう思考のもと、俺は奴をこの袋小路まで引き寄せた。

 出会ってまだ少ししか経っていないのに、自分を犠牲にしてまで彼を生かす理由。それは特に無い。なんとなく――いや、目を背けるのは止めよう。これは僕の意思が混ざった結果のものだ。記憶を見ている内に思想と死相が見えた。僕は死にたがっていた。ここに来なければ死んでいたと思う。自殺はしないが、何か無茶をして死んでいたと思う。

 あー違う違う。俺は生きたいんだ。死にたくなんてない。何でだ? 所詮ゲーム。リスポーンに期待しようぜ。リスポーン不可かもしれない。だから何だ。またアカウントを作ればいい。まさか、この自我が消えることに恐怖しているのか? そんな訳が。そんな訳が。

 俺の意志は口を閉ざした。たった一言が出せない。表面に浮かんだその言葉を掬いとることが、どうしてもできない。その事実が、俺に現実を見せた。

 ああ、そうだ。俺はずっと恐怖している。このキャラクターを失うのは嫌だ。記憶の残穢がそれを俺に伝えた。訳が分からない。だが、ゲームとは総じてそんなものだ。為にならないと知っていながら勉強時間を捨ててのめり込む。金の無駄と分かっていながら札を溶かして石にする。そう、これも同じだ。俺は決意を固めた。ノーデスクリアだ。この決意に意味はないが、そういうことをするのが俺だ。俺はそういう人間だ。

 今、俺のロールプレイの方向性が定まった。

 ではその為にも、今は目の前のことに集中しなければ。こいつを殺す策がある訳ではないから、このままだと死ぬ。思考が冷却され、生存意欲が心臓を満たした。非合理的な行動だ。態々死にに行くなんて。

 ミノタウロスが咆哮した。びりびりと空気が振動し、鼓膜を破らんばかりの音量。恐怖に俺の体は縛り付けられた。強制停止。それはレジストがほぼ不可能で不可避な攻撃だった。つまり、俺はこれから死ぬということだ。即堕ちが過ぎる! 奴は袋の鼠を追い詰めるようにゆっくりと俺に近づく。そして、棍棒を掲げた。死まで秒読みであった。汗が目に入って歪んで見える。抽象的になったその黒い影は死神のようにも見えた。

 凍った頭にふと疑問が浮かんだ。それ、アレより怖いのか。黒い、あの雲の――。

p■■×■=■s■cce■

 思えば、怖くない。恐怖心がほどけ、血管が燃え上がった。

 嘘だろ。ミノタウロスの咆哮はLV1ではレジスト出来ない筈。俺は震える脚でステップを踏んだ。動く。なんで? いや、気にしてる暇はない。

 油断し切ったその顔に鶴嘴を振り上げ、叩きつけた。しかし無傷。奴がハエでも払うように手を振ると、俺の右腕は容易くへし折られた。悲鳴を噛み殺す。肘から先が、熱した針が内側から発生したような痛みに襲われる。けれども我慢できる。

 一歩踏み込んだ。体重を乗せた攻撃ならば通ると考えた。奴は棍棒を振り下ろし、それを後ろに飛んで避けようとした俺の右足は砕けた。肉を押し分けて、皮膚を突き破って骨が露出した。まだ左足がある。

 奴はもう一度その石柱を振り上げ、振り下ろした。俺は左手を突き出した。攻撃は見切れない。だから受けようと思った。奇跡的に拳がそれを往なす。皮膚を引き裂かれながらもなんとかベクトルを逸らした。左足で地面を蹴った。空中に飛び出した俺は、もう力の入らない左手を奴の目に向けた。生物共通の弱点。装甲の欠如した柔らかなそれをむしり取ってやろうと指を動かす。もう少し。もう少しだ。

 あと数cmというところで、無情にも俺の体躯は地に落ちた。べちゃりと粘着質な音を立てて、崩れ落ちた。怪物は棍棒を振り上げた。

 まあ、そうだよな。傷をつけることすら敵わないとは。深い絶望感が溢れ出す。気分が悪い。内臓が裂かれるような、血液が逆流するような感覚に襲われる。ああそうか。感情が裏返る。こんなこと、あってはならない。どうして、こんな上の階層にこんなものがいるのか。どうして、俺が居る時にこんなことが起こるのか。理不尽だ。不公平だ。不自然だ。不条理だ。これが許されてなるものか。

 それは、即席のキャラクリによる損な性格ゆえのどうしようもない怒りであった。

 絶対に殺す。その四肢をもいで晒し首にしてやる。そして、生きて帰るのだ。

 理屈ではなく、感情によって動かされた左腕が地面を打って体が転がる。直後、見ることすらできない速さの一撃がすぐ横を穿った。けれど、そこまでだった。今度こそ本当に動けなくなった俺は意識を飛ばした。

 

 真っ暗な体育館。唐突に演壇にスポットライトが当てられた。そして左右の舞台端からそれぞれ一人ずつ、制服を着た男女が現れた。生徒だろうか。中央に設置されたマイクの傍で静止し、無数に配置されたパイプ椅子に向かった。男の方は見覚えがある。というか僕だった。

「おや、こんなところに真っ赤な手袋が落ちているじゃないか」

 制服の僕はわざとらしくしゃがみ、何かを拾う仕草をした。観客はいない。

「あら、中身も入っているわ」

 静寂。何だこれ。誰が喋れるんだという空気の中、女生徒が言った。

「やっぱり最初のつかみが無いとつまらないわね」

「というか僕ら、何でこんな事してるんだ?」

 僕もそう思う。ダンジョンに居たかと思えばこんなところに飛ばされて、こんな下らないジョークを聞いているのだ。もしかして、これが走馬灯か? 勘弁してくれよ。

「とっとと残りの椅子並べるぞ」

 壇上に居た僕はそこから飛び降り、体育館の出入り口にあるスイッチをつけた。そして壁に立てかけられたパイプ椅子を開き、等間隔で設置し始めた。もう一人が中々加勢に来ないので、早く来いと叫んだ。呼ばれた誰かは壇の端から降りた。

 そして、再び電灯が消えた。

 

 目を開く。ミノタウロスはいないようだ。ゆっくりと立ち上がった。全身の傷は無い。痛みもない。最初の日に時間が戻ったのかと辺りを見渡すが、スマホは無く、ここは袋小路のあの場所であった。

 どういう訳か助かったらしい。幸運にも胴体を攻撃されず、即死を避けられた故の生存だろう。地面に落ちた鶴嘴と、大きな魔石を拾った。え、これ俺が殺したの? いやいや、ない。絶対ない。感情で殺せる相手じゃない。では誰が? 

 しばらく考えた俺は、よくわからなかったので思考を放棄した。もう帰ろう。ミノタウロスにボコボコにされ、体育館でのクソジョークを見せられて俺は疲弊していた。後者は多分昔の僕の記憶なのだろうが、よくわからなかった。ああ、もう。頭が爆発しそうだ。俺はさっさと家に帰った。

「で、今日はこんなに早い訳だね」

 神様はソファで横になっていた。バイトはどうしたと聞きたくなるが、それを抑えて言った。

 そういう事だ。でもまあ、ミノタウロスの魔石のお蔭で収入はいつもより多いくらいさ。

 じゃあ、更新でもしようかと神様は言った。俺は無言でシャツを脱いだ。神様は起き上がり、背中に手を翳した。光の演出にはもう慣れてしまった。しばらくすると、神様がステイタスの書かれた紙を見せて言った。

「おめでとう。スキルが発現した」

 俺はそれを取ってスキルの欄を眺めた。

 

≪スキル≫

万死一生(リスク・マイライフ)

・早熟する

・死に近付く程、然るべき箇所に際限なく補正

 

 ミノタウロスとの戦闘――ただ蹂躙されていただけだが――が引き金となって開花したであろうそのスキルは、実に使い勝手の悪そうなスキルだった。状況を打破するために補正を高めようとすると、必然的に死に近付くことになる。これでどうやって戦えばいいんだ。加えて、「死に近付く」の意味が分からない。何を基準に近付いたというのか。そして「然るべき箇所」ってどこだよ。今日は情報量が多すぎる。寝たい。

 神様はレアスキルだと喜んでいる。水を差すようなことは言えないので、俺は口を噤んだ。そして、空いたソファに寝転がって毛布を被った。夜になったら起きよう。神様が何か言った気がしたが、無視して眠った。

 

 起きるともう日が高く昇っていた。欠伸をして目を擦った。視界に違和感を覚えて、もう一度目を擦る。目の前がぼやけて見えるだけで、違和感はとれない。一度目を強く瞑った。なるほど、瞼の裏に監視カメラで見ているような画質の映像が四つあった。それぞれ天秤、糸、鏡、砂嵐を映している。目を開くと見えなくなる。目を閉じればそれが見える。実に鬱陶しい。発現したスキルの副作用だろうか。最早そんなことはどうでもいい。俺はダンジョンへ潜る。俺は机の上の籠からフランスパンを取って嚙み千切り、それから洗面所に行って水を飲んだ。さあ、今日も行こうか。

 

 俺の足は一二三四五階層を駆け抜けて六階層で止まった。今日はここが狩場だ。ウォーシャドウという「新米殺し」と呼ばれるモンスターが出現する階層だった。そう、新米殺し。つまり俺を殺しに来るものである。ほら、こんな風に。横から振り下ろされた黒い手を鶴嘴で弾く。勢いをそのままに、たたらを踏んだそれの脇腹をえぐり取る。それを庇う様に頭を下げたので、振り下ろして砕いた。カランと転がった魔石を拾って袋に放り込む。顔を上げると、少し先に一人の女性が見えた。

 髪の色は黒、茶、白のどれか一色。背は俺より高いか、腰くらいしかない。この場所に似つかわしくない白、あるいは赤のワンピースを着ていて、とても似合っていた。更に散歩でもするかのような足取りで歩くものだから、ここがどこなのか一瞬忘れる。こちらを向いているが顔は見えない。けれど、とても綺麗だということを確信した。彼女はそうしている間にもこちらに近付いており、今やその距離は三メートルを切っていた。目が合った。まだ顔は見えない。もう少し近付けば見えるかもしれない。そう思った瞬間、彼女はいなくなった。瞬きをしている間にどこかへ行ってしまったようだ。追いかける事もできたがそれはしなかった。悪いけど、今はダンジョンの方が優先なんだ。俺は彼女に謝った。さて、探索を続けよう。

 遠い空で雲が蠢いていた。




 飛行機にある、あの上にある蓋つきの荷物入れ。昔はハットラック(hatrack)言ったのだが、今は違うらしい。
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