忙しかったんです。
冷気の渦巻く部屋で目を覚ます。体内時計が鐘を鳴らしている。ゆっくりと起き上がって伸びをしたところで、この部屋に俺以外の気配を感じた。後ろを向くと、エリナベルが本棚に向かっていた。体内時計が警鐘を鳴らしている。
今、何時ですか。俺はガラガラの声でそう尋ねた。
「9時、だね」
はい寝坊した―。
朝食を摂り、顔を洗い、着替える。その行動の間、エリナベラはずっとリビングに居た。シャツをズボンにしまいながら俺は壁に立てかけた鶴嘴を取ろうとして手を止めた。今日は要らないのか。
あのーエリナベラさん。準備出来ました。
「あっそう」
すみませんでした。
「一時間だよ? 一時間」
あの、ほんとに反省してます。あ、そうだモノマネしますよ。
「え? なんで?」
俺は自分の胸にナイフで傷をつけた。小声で詠唱し、そこから刀を生成する。
雷〇将軍。
「怒られろ」
すみませんでした。確かに俺胸無いんで、エリナベラさんがやった方が再現度高いですよね。
「やばいこいつ何も分かってない」
じゃあ出発しましょうか。
俺たちはバベルの七階で、バカみたいな値段で売られている武器を凝視していた。バベルはギルドの保有する公共施設であり、四から八階がヘファイストスファミリアの領域となっている。昇降には何と魔石製エレベーターが使用されており、懐かしさに駆られる。
ない。ない。ここにも。鶴嘴が無い。
「ここ武具店だよ?」
それが? 鶴嘴が無い理由にはなりえないと思いますが?
「今日結構飛ばしてるね」
仕方ない。ナイフの方見るか。俺たちはナイフが主に売られているコーナーに向かった。当然高すぎて買う事はできない。しかし、見るだけならタダなのだ。
俺の魔法はイメージによってその出来が左右される。だから強いナイフを覚えていれば、生成物も相応に強化される。
「これとかいいんじゃない?」
何かを見つけたらしい彼女は、こちらに手招きをした。寄ると、彼女は一本のナイフを指さした。布を巻きつけた取っ手に、背に反った白銀の刃を持つナイフ。値段はこの階で見たナイフで一番高かった。いいじゃん。
ナイフを見つつ魔法を発動する。まだ傷口が開いていたのか胸から血が流れ出し、手の中で固まった。出来たのは、形はそのままに赤い葉脈が入った拍動するナイフだった。ヨシ、パクリ成功。
「最悪に近いワードチョイス」
別に犯罪じゃないから。セーフだから。そんなことを言いつつ店員を避けてエレベーターへ向かう。行先は下の階。下の方が色々安いらしいから、今回の目的である買い物に適している。
それはそうと、今日はいつもと恰好が違うんだな。
「それはそうでしょ。出掛けるならおしゃれをしたいものじゃない?」
そういうものか。俺にオシャレは分からない。てかやる意味ある?
「ある。けれど、その疑問が出る時点でお察しだね」
別に毎日同じ服――同じ柄の服でも困りはしないだろ。
「自覚が足りてないね。もっと身嗜みに気を付けた方がいい」
母親みたいなこと言いやがって。俺は服、買わないからな。
「きっと後悔するよ」
嫌な脅し方をするな。
ベルの音がエレベーターの到着を知らせた。目指すは五階だ。
五階は下級、新米の鍛冶師の階層で、値段もそれ相応に安い。変わった武器なんかもここにあるから、今の自分にはぴったりの階だった。
そこかしこで売り込みの声が聞こえる。床は無機質な石畳。木製の壁には数多の武器がぶら下がっており、偶に通りがかった人がそれを手に取って眺めては元の位置に戻す。俺もそれに倣って一つ棚から取った。一見ごく普通の直剣だが、微妙に振り辛い。これは、重心が柄によっているのか。値は800ヴァリス、買う者はいないだろう。俺は剣を棚に戻した。
しばらく歩くと、防具があるゾーンに着いた。銀の甲冑や皮のマント、果てにはよく分からないブレスレットまで多種多様だ。俺はエリナベラに何を買うべきか聞いた。
「手甲。金属で手の甲を覆うやつが必要かな。後心臓を守る物」
よし、二手に分かれて探すか。どっちがいい?
「どっちでも」
コイントスだな。
「表右」
キンと音を立てて飛んだそれを手の甲で取る。表。じゃあよろしく。俺は左のエリアに向かった。
十分後、俺は手甲片手に、エリナベラは何かしらの金属でできている胸当てを片手に集合した。
「良さげなの見つけたね。製作者は誰?」
あー、値札しか見てなかった。
「ここには掘り出し物が多いけど、それは物だけじゃなくて者も意味するんだよ。早いうちに才能がある鍛冶師は囲い込みたいから、次ここに来るとき時は製作者にも気を付けた方がいい」
OK。次から気を付ける。で、その胸当て幾らした?
「気にしないでいいよ」
彼女の手を掴み、開かせた。偶には奢らせろ。
「……1300ヴァリス」
俺は2300ヴァリスをその手に握らせた。こういう時、彼女は切りのいい数字を引いてから答える。この場合は百、五百、千が考えられるが、胸当ての出来と咄嗟に聞かれた事による動揺を考えると、額が大きく計算が容易い千だろうと目星をつけたのだが。その顔を見るにどうやら正解らしいな。
「ちょっとキモイよ」
うるせえ。
エリナベラの意向で、彼女が良く使っている第七区のポーション販売店に行くことになった。どうも最近消費が早く、補給が必要らしい。そういう事で、ただの民家にしか見えない建物の扉を彼女は躊躇なく開けた。俺もそれに続いて入り、棚に所狭しと置かれたフラスコと奥で寝ている老婆という組み合わせを目にした。「如何にも」な雰囲気を醸し出している店だ。
「もしもし?」
そう彼女が話しかけると、老婆は椅子にゆっくりと座り直した。寝てませんけど? というスタンスである。
「寝てませんけど?」
言ったらダメじゃん。エリナベラは目頭を押さえながら注文した。
「いつもの六つ」
ぎぃと椅子を鳴らして老婆は立ち上がり、一番近くにあったフラスコの中身を手際よく試験管に詰め始めた。その分量には少しのずれもない。あっという間に最後の一本を液で満たし、それらをコルクで蓋をした。いつも見るポーションの姿だ。エリナベラは差し出されたそれを老婆の手から取って、代わりに何枚かの硬貨を置く。老婆はそれを数えることもせずポケットに入れ、毎度と言った。エリナベラは、それが聞こえているのかも分からないほど足早に外へ出た。俺はまだ中に居た。
聞きたいことがある。
「ん? あの子のお友達かな?」
そんな感じだ。それで――。
「何してたの」
ちょっとした世間話さ。俺は財布を確認しながらそう言った。
昼の街は案外人が少ない。飲食店のテラス席にパラソルが咲き、植え込みが明るくなる。短い日陰から温い風が吹き、シャツを靡かせた。
あそこ入ろうぜ。そう言って俺は喫茶店を指さした。いいね、と彼女は言って早速店先の看板に書かれたメニューを眺め始めた。俺は彼女と同じものを頼むと決めていたので、軽く外観を見ることにした。朱い屋根に暖かさを感じる木組み。特にこれと言った特徴はない。強いて言えば、外壁を少し蔦が這っているくらいか。隣の店との僅かな隙間から深碧が伸び、乳白色を侵食している。ノスタルジックで趣がある。
そうして壁に目をやっていると、一枚の紙を見つけた。窓の傍、胸の高さに貼ってあったそれには、何やら文字が書いてあるようだった。俺は人探しの張り紙かと思ってそれを読んだ。
探してます
写真A
名前:水野 健
年齢:当時17歳
性別:男性
身長:178cm
服装:水色のYシャツに紺色のズボン
特徴:目が隠れるほど長い前髪(黒)
一人称は僕
肘に切り傷の跡あり
蟷ウ謌/%年_>月%日 午後「ォ時?z分に太平洋上空9377m地点にて消失しました。
それほど深く考える必要はありません。縦しんば私が十二歳の誕生日を迎えようときっとそれは只の連続性に過ぎないからです。彼は明滅する思考の中で太陽でいう所の黒点を見出しました。サラダにフレンチドレッシングをかけるように脳の底を開いて振出しに戻りました。オーバル状の境界から3.5%が流れ込んで見上げた空が無くても手を伸ばしました。今までと同じく切り取られたトラウマは一生大事に再意識化抑圧で抑鬱の鬱血です。proのスペクトルは変わらないなら接続はプライベートではありません繋ぐTVに深夜まで裁縫で亡くす磁石と割れた匂いの消費税的違和感。白く輝く熱い道筋は留める火傷を投げて投げ出す。逃げ出す。逃げ出した。旧線堂にてお待ちしております。――――
俺は途中で読む事を止めた。脳が悴んで上手く考えられない。
俺は痙攣する指でその紙を剥がそうとして、その手を掴まれた。驚いて振り返ると、エリナベラが不貞腐れた顔で後ろに立っていた。直ぐに行くからこれだけ剥がさせてくれ。目線でそう伝え、壁に向き直る。紙は無かった。
アラビアータをフォークで巻き取り、口に運ぶ。けれど、それに集中出来ない程先ほどの紙が気になっていた。思えば始めからおかしかった。
あの紙は、セロハンテープで壁に止めてあった。子供が貼ったかの様に、放射線状に、べたべたと。
そして、あれは日本語で書かれていた。あからさまな異常に、俺は気付かなかった。
この世界の物でないことは一目瞭然だ。そんな正体不明の代物に接触しようとしていたのかと言う恐怖と、もしかしたらこちらと地球を繋ぐ橋になったかもしれないという後悔が脳の隅に固まっていた。
俺は「水野健」を知らない。消失したらしい一月十三日も、十七時三十四分にも心当たりが無い。記憶の鍵は未だ開かない。こちらでは知れた名前なのかと思い、エリナベラに聞いた。
なあ、「水野健」って誰か知ってる?
「誰それ。聞いた事もない」
有名人? と聞いた彼女に、気にしないでくれと無理があることを言った。分からないことを幾ら考えても無駄か。俺は思考を放棄した。
パスタに繊細な味が戻る。火を見るよりも明らか、という慣用句の「火」を「果物」に変えた感じの味だ。
ああマジで美味い。サラダも美味い。ドレッシングのレシピ教えてほしいわ。最近こういうのが得意になって来た。何かを忘れたり、投げ出したりするのが。
上質な料理に舌鼓を打っていると、不意に彼女が語りかけて来た。
「あのさ」
何? 俺は口の中にある物を飲み込んで言った。
「実は私も借金あるんだよね」
俺は昼食を食べながら語るには重い話に驚愕しつつ、続きを促した。
「訳は、言えないけど。大体、500万」
かなり大きな額だ。しかし、LV2ならば返せるであろう額だ。その告白は何故、今、俺にしたんだ?
「なんとなく、今話した方がいいかなって思っただけだよ」
へえ。
俺は地雷を恐れて、それ以上の言及を避けた。
まあそうだな、俺がもっと稼げる様になったら手伝うよ。
「ありがとう」
結局、その店のお代は俺が持った。
「ここ来ちゃうかあ」
安定だからな。
「どの辺りが?」
だってほら、俺ら冒険者じゃん。
「さっきまでデートっぽかったのに」
そうでもないだろ。
行くところが無くなった俺たちはダンジョンにやって来た。エリナベラは白いシャツにベージュの服という恰好をしているので、今回は戦闘に参加できない。
「ダンジョン来るなんて思わないからね。お出かけイベントで」
散りやがれ。俺はわらわらと集まって来たゴブリンに鶴嘴を振った。なんかたのしい。そう言えば、モンスターの肉って食べられるんだっけ。塵になるから無理か。生なら行けるのか? いや、何かしらで死にそうだ。食べ物と言えば。
あ、そうだ。好きな食べ物って何。
「唐突だね。どうかした?」
俺はキャベツ。そっちは?
「私はフライドポテト。……やめいその動作」
俺はシャツをパタパタさせるのを止めた。ケチャップと血って似てるよね。
ケチャップ:トマトがベースのソース。血糊に使える。
映画でも使われるほど完成度は高い。因みに僕は食べたことがない。
「残念ながら君ほど狂ってはないんだよ」
暗赤色の結晶よ。
張り詰めて裂けた左腕から脈拍が溢れ出す。半ばから膨れて丸くなり、花が咲くように八つに分かれた。そうして出来たのは蜜柑の房の様な半月状の何か。半透明の骨が薄く表面を覆っている肉片だ。
躊躇なく、俺はそれを自らの口に放り込んだ。
「噓でしょ」
味はジャガイモのそれだ。成功と言っていいだろう。
俺は肉片ポテトを差し出した。
「……食べてみるかあ」
やはり好奇心には抗えないか。
後日、彼女は腹を痛めた。
「随分と楽しそうだったじゃないか」
見てたん? 俺は卓上のジャガ丸くんを箸で掴みながらそう言った。神様はワインを取り出した。
「厳密には違うが、概ねそうだ。後、これ。ああ、そうそう」
暗赤色の結晶よ。俺はチェスの駒のような真っ白なワインオープナーを手渡した。
神様は咳払いをして、語り始めた。
「その魔法、気に入っているかい?」
月が瞬く。真珠の様な淡い光が黒い街を照らした。夜はこれからだ。
マレー語で水はair。氷やお湯もairで統一されている。
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