「よう、一年坊!」
教室に向かう途中、そう声をかけられた亜冴は、ピタリと歩みを止めて声のする方へ振り返った。四つの影を捉えた瞬間、亜冴は回廊で姿を消した。
誰もいない静かな教室で伏黒は、つかの間の平穏をのんびりと過ごしていた。忘れ物をしたと教室に来るなり引き返した亜冴と、授業に遅刻しがちな担任待ちの時間だ。そろそろどちらかは来るだろうと、伏黒は何をするでもなく教室の入り口を眺めた。
スゥ、と音もなく扉を開いたかと思えば、軽い足音がこちらへ近寄って来て、伏黒の背後で止まる。
「なんだよ、今度は」
「呪霊が高専内にいました!」
「はぁ?」
アラームなんて鳴ってもいない校舎で、素っ頓狂な報告をした亜冴は、慌てふためいた姿を晒して、扉の向こうを警戒している。伏黒は怪訝な顔で同じ方向を見れば、亜冴以上に騒がしく制服を着た四人組が顔を覗かせてきた。女と男二人と巨大なパンダの四人組に、亜冴は手で指し示して叫ぶ。
「ほ、ほら! 白黒の、大きいの!」
「って、誰が呪霊だよッ!」
「呪霊が喋りました!」
「どっからどう見てもパンダだろうが!」
「パンダってなんですか?!」
ギャイギャイと間に挟まれた伏黒は、眉間の皺を深めて意味の分からない状況に溜め息を吐く。彼らは二年生なのだが、亜冴の耳には届かない。四人の内、パンダ以外は爆笑していてそれどころではなく、伏黒は笑いを堪えながら亜冴を宥めることに専念した。
「パンダはパンダっていう生き物が居るんだ」
一頻り笑い終わった真希の説明に、亜冴は半端に頷きながら耳を傾けていた。生き物の一種であるパンダは自分より一つ年上らしく、先輩と称するそうだ。つまりパンダ先輩。
「パンダ先輩のお名前は?」
「パンダはパンダだ」
「つまり、人間先輩みたいなこと……?」
「おもしれぇヤツだな、お前」
無自覚でパンダを煽る亜冴にステイをかけたくなるものの、伏黒は関わるべきではないと自分に言い聞かせた。そんな同級生を他所に、二年生たちに取り囲まれた亜冴はパンダに頭を下げて謝罪を述べると、顔を上げて照れ臭そうに歯に噛んだ。
「初めて人間以外の哺乳類を拝見しました」
「え……?」
「いや、発言がヤベェ」
「なんかコイツ怖いんだけど」
「おかか……」
慄く二年たちに亜冴は小首を傾げる。素直な感想を述べただけに過ぎないので、恐れられてしまって困った。隣の伏黒も何か言いたげにはしているが、決して口は出さない雰囲気で立っている。思った反応が返ってこないことと、珍妙な単語しか喋らない
「大人しくしとけ」
グ、と軽く締めて亜冴はすぐに大人しくなった。日頃の体術の締め落としでの調教の成果だ。亜冴が静かになったところで解放してやり、こちらの顔色を伺う様子にふん、と伏黒は息を吐く。
「出だしのインパクトにやられたが……私は禪院真希。クソ実家にムカついて出てきた」
積もりそうになる警戒心に先手を打った真希と、若干ピリついた伏黒は真顔で返す。伏黒は全員と面識はあるようだが、禪院家は特に信用していない様子だ。禪院家の落とし子として、伏黒も術式絡みで良くない目に遭ってきたのだろう。
「僕は
「俺はパンダ、よろしく。こっちは狗巻
「ツナマヨ!」
「で、そっちの問題児は?」
話を振られた亜冴は肩をいからせて、一歩後ろへと下がる。伏黒の警戒心を代わりに引き受けたような様子に、一同が訝しげに見つめてきた。
伏黒の受け止め方の早さに驚いたのだが、それは亜冴の中のものらしい。いや、既に伏黒は彼らと面識があったようだ。異性と異形しかいない中、亜冴は唯一の同性な真希に真正面から目を合わせて頭を下げた。
「足集利亜冴と申します。これからよろしくお願いします」
「足集利亜冴って……あの、足集利亜冴か?」
真希に尋ねられた瞬間、亜冴はギュッと目を瞑り、伏黒とは反対方面へと首を曲げる。明からさまな外方の向き方に覚えがある伏黒の嫌な予感は的中し、真希は興奮気味に笑い出した。
「──あッはははは! あの足集利亜冴かよ! 禪院の術式持ちの男どもの見合いをバックレ続けた、あの!」
「……えぇと」
「お前、裏でなんて言われてっか知ってっか? かぐや姫って言われてんぞ!」
「ご、ごめんなさい……」
禪院という名に反応したらしく、亜冴は冷や汗を垂れ流した。消えないで耐えているのは、これ以上の関係悪化を防ぐためだ。何より伏黒の手前、気不味くて仕方ない。真希は褒めたつもりだろうが、他一同は引いている。そんな亜冴にお構いなしで、真希は興奮した様子で肩を引っ掴んだ。至近距離の同世代の女子など、亜冴には初めてのものであまりの距離感に怯む。
「……えっ、なになになに……」
「俺なら出てくるって意気揚々と挑んでく男どもが、悉くフラれて帰って来るのは爽快だった!」
「いや、その……」
「でかした! 足集利!」
亜冴は見合い欠席を褒められていく度に、伏黒への罪悪感が募っていく。喜べる訳ないし、連続欠席の先にこんな地獄が待っているだなんて思ってもみなかった。肩を揺すって褒め称える真希により、亜冴は目を回し、バンバンと背中を叩かれる。もう辞めてくれ。辞めてください。そう言えばいいのに、自分が撒いた種の手前、亜冴は涙目で伏黒と目を合わせた。
「あの時は、本当に申し訳ありませんでしたぁッ!」
謝るな、という伏黒の目配せは伝わらず、盛大に頭を下げて謝罪した亜冴により、二人の見合い話を二年生は根掘り葉掘り聞き出されていったのだった。再び爆笑の渦へと落とされ、亜冴が真希のお気に入りにされたのは、言うまでもない。