最弱の怪物   作:肩たたき

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第二話『朱に交わる』-6

 

「おいっ! こっちにいたぞ!」

 

 玉犬一匹が橋下から飛び出ていく。

 亜冴は例の如く蝦蟇で雁字搦めにされており、その脇には伏黒と黒が駆けていく。その姿を捉えた刺客が一人、二人と伏黒たちを追って消えていった。生意気にも舌を出して挑発をする伏黒を、怒気を強めて彼らは呪具を振り回す。その反対側、ひょっこり橋下から空虚が頭を出した。

 

「……えぇと、こっち」

 

 高専と反対方面へと向かう伏黒とは違い、上着でスーツケースを包んだスーツケースと共に橋上へと登っていく。慣れない口内をのさばる甘味に、コロリと舌の上で亜冴は転がした。橋下で亜冴は舐め始めた飴を、頬へ転がした時のことを思い出す。

 

「ものは捉えようという話なのですが……おそらく此方にも繋がったと思います」

 

 そう言って未開封だった飴を取り出した亜冴は、思ったよりも大きかった飴に、片方の頬を膨らませて説明を始めた。変化させたい対象の一部を食す、というのが展開条件と亜冴はこれまで捉えていた。しかし、対象の一部というのは曖昧な条件である。

 亜冴はこれまで対象に近ければ近いほど、一部に属するのかと考えていたが、空気の範囲は広大である。伏黒に水を自身の死体と見せかけた時、食した分量に関わらず、術式は正常に展開された。そこで亜冴はある仮説を立てた。

 

──物質の内容物でも繋げることができる。

 

 これまでは変化させる対象は生き物に絞っていたので、生命という複雑すぎる内容物が差異を生み、途中で繋ぐのが困難だったのだろう。同じ材料、同じ場所で作り出されたらしい飴なら、と思い、亜冴は未開封の飴を地面に置いて術式を展開した。

 この突飛な仮説は正しく、そっくりそのままもう一人亜冴が出現したのだった。

 

「スーツケースはできないかぁ。まぁ、囮にでも」

「……これは動けるのか?」

「その場ならできますが、遠くに行かせることはできません。私に攻撃しているつもりでも、実際は屈んで飴に攻撃するので、勘が良い人は気が付いてしまうかもしれません」

「……蝦蟇に持たせて俺が敵を誘導する。その間に姿消して高専に逃げろ」

「はい。お願い致します」

 

 手にぶら下げたスーツケースはきちんと空虚となっており、もう一つの仮説の正しさに亜冴は胸を撫で下ろした。対象の一部を亜冴の胃に入れることを条件としているものだと考えていたが、それは違った。何故なら、この制服を亜冴はまだ食していないからだ。もし、亜冴の胃、ないし亜冴本人であることが条件なら、食していない衣服が同じように空虚に変化するのはおかしい。けれど、亜冴に近しいもの。近ければ近いほど、術式の範囲内になるというなら、納得がいく。

 

──胃袋はあくまで中心であり、条件ではない。

 

 呪力が擦り減っていく感覚に、亜冴は慣れない違和感を抱え、よじよじと鉄網を乗り越えて硬い地面に足を下ろした。駆け足で高専へと一直線に向かっていく。伏黒が説明した道順に沿って歩いていれば、通せんぼするように狭い道に黒尽くめが立っていた。

 敵の数の多さに辟易としつつ、迂回した亜冴は真希たちとの連絡をどうしようか迷った。高専に辿り着いたのなら、救助に来てほしいのだが。おそらく、逃した二組分の呪詛師がこちらへ襲いきている。伏黒の安否が心配だ。

 

──()()()がないなんて不思議だ。

 

 呪詛師だらけの人気も少ない中、亜冴は足音を立てないよう歩きながら辺りを見回した。普段ならば亜冴の視界には、呪霊にも満たないモノが彷徨いている。大人数の呪詛師から隠れているのかもしれない。帷を降ろされた気配はなく、向こう方は増援を警戒しているようだ。亜冴はスーツケースを抱き込み、気を引き締めた。

 

 しばらく移動した頃、亜冴は路地裏から身体を出して、木々の方へと足を踏み入れた。方向感覚を頼りに迂回に迂回を重ね、高専方面へと向かっていた。草と土、岩で出来た坂を登っていくこと、数分。

 クイ、と亜冴の制服の裾が引っ張られた。見れば伏黒の式神である玉犬の片割れ、白がいる。仲間だと見とめた途端、亜冴の力んでいた頭のてっぺんから指先まで緩んでいった。思ったよりも緊張を抱いていたようだ。亜冴かスーツケースの匂いで探し当てたのだろう。安心するにはまだ早いが、安堵による衝動くらいは抑えないことにした。

 

「迎えに来てくれたの? おまえ」

 

 辺りに誰もいないのを確認してから、白に目線を合わせた亜冴は、頭を撫でて可愛がる。木漏れ日の中、嬉しそうな尖がった耳の仕草に、笑って軽く抱き寄せた。よく知らない生き物だが、みんなが可愛がっているのを知っている。先導を始める白に、亜冴は付いて行く。道案内をしてくれるらしい。力が抜けるような感覚に息苦しさを覚えながら、白の後に続いた。

 しばらく歩き、フェンスを乗り越えた亜冴は、先で待つ白に近付く。極力音が鳴らぬよう気を付けたが、左手に括り付けられたスーツケースが邪魔で音を立ててしまった。周囲を警戒する白のおかげでまだ安心して動けるも、これで気が付かれてしまうかもしれない。乗り越え終わって移動できる合図として、白の頭を撫でる。高専側が向かってきているのなら、もう出会ってもおかしくない。だというのに、亜冴の元に誰も来ないことから、伏黒はまだ高専に辿り着いていないか、敵と交戦中のようだ。

 

「……死なないでね」

 

 呟くように白に目を細める。柔らかな毛に手が埋まって、あまりの心地良さに不思議な気持ちに付けられていった。今はそれどころでないと、叱るように唸り出した白の視線の先へ、耽りたい気持ちを抑えた亜冴は顔を向けた。そこに立つ呪詛師の姿は、ハッキリとこちらを捉えているものだったが、視線が僅かばかり低い。白を見ているようだ。

 

「みぃつけた、犬っころぉ」

 

 呪詛師の攻撃に歯向かっていく白に、亜冴は置いていくのを躊躇ったが、優先順位に下唇を噛んで背中を向けた。身代わりにするようで心苦しいものの、派手な音を立ててくれているのは、注意を引いてくれているからだろう。足音を立てても風の音になるように気を付け、あくまで静かに歩いて去っていく。隠密しか今の自分にはできないのだ。

 音を立てぬよう歩いて暫く、住宅街から外れた道のりが自然に溢れていき、道のりは坂が多くなっていった。誰もいない道を一人歩く亜冴は、脳内地図と方向感覚を頼りに足を進める。

 

──なんて言うんだっけ。

 

 拍子抜けだったか。己の感情を辞書の一項目に当て嵌めつつも、慎重に術式を保ち続ける。痛くなってきた手首を手錠の隙間から摩り、重い鞄に目を落とした。人体は切断しにくいと聞いたので、やはり手錠の鎖部分を狙われるのだろうか。そんなことを思い、持ち直した鞄に亜冴は溜め息を微かに洩らした。どんな呪いがあってこれは呪物へと成り立ったのだろう。読んだら死ぬとすれば、それは本という道具としての本来の目的を放棄している代物だ。亜冴が高専に来た時に持たされたキャリーケースより遥かに重く、同じ紙束に変わりないのに変わらず筋肉の限界が来ている。思えば、離れにいた頃は湯呑みより重いものなど持ったことすらなかった。長時間なんて以ての外だ。

 

──休んじゃ、駄目だよね。

 

 今度こそは自分の力だけで持っていこう。亜冴は気合を入れて、一歩踏み出した。

水色の空の下、呪詛師たちは忙しなく屋根や道を往来している。仲間内での争いを横目に、亜冴は不思議そうにしながら住宅街の先を進んだ。

 仲間の姿はどこにもなく、感覚に頼って木々の方へと進む。高専は人里から少しばかり離れており、自然溢れる場所に位置する。敷地は広いが校舎として使われる箇所は少ない。その上、呪術界では重要機関らしく、この度の任務もあって警備は周辺にまで及んでいるだろう。

 敵である呪詛師の多さから、一斉に捕らえようとする動きもある筈だ。

 五条が任務に参加しないのは、学生にも任せられる他に、運ばれる呪物とも関係してそうだ。最強の六眼にはこの本は危険を孕んでいる。それに、多人数を捕らえるには五条のような者が担当するのが妥当だろう。わざわざ言わないところに大人への信用度を下げつつ、軽く息を吐く。救援が遅い。真希たちの方では交戦しているのか。

 亜冴は回る頭を打ち切って、立ちはだかるようにいる人影に足を止めた。

 

「みぃつけた、仔犬ぅ……」

 

 明らかにこちらに目星を付けて話しかけている。姿を見られたというよりは、居場所が分かるらしい彼は、先程出会した男と同一人物だ。白はどうしたのだろうか。亜冴は真顔で男を見つめ、彼がどう出るかを待った。逃げるべきだと脳内の仲間たちに囁かれたが、何か引っかかる。

 先程より、この男の目に意欲をあまり感じない。

 

「ダンマリとか連れねぇ。お喋りしようぜ?」

 

 攻撃を仕掛けてくる様子はない。

 さてどうしたものかと、亜冴は背後に注意をやりつつ、振り返りはしないで前方の男に視線を戻す。山勘の域を出ないが、話すべきではなさそうだ。

 

「なぁって!」

 

 飛んできた刃物に、反射的に亜冴は鞄で防いだ瞬間、あ、と亜冴は自身の失態に背中を向けて走り出した。跳ねて落ちた凶器がカラン、と地面に転がり落ちる。

 

──しまった、“いる”と気付かれた……!

 

 白くて低い柵を乗り越え、凹凸のある坂道を駆け降りた亜冴は、人工的な浅い川に沿って走る。鞄を両腕で抱えた状態の亜冴に、男は後を追い掛けて来た。探知されているのは足音を風に変換する幻覚だろうが、闇雲に攻撃をして居場所を割り出されるので、止まるわけにもいかない。亜冴は口内で小さくなった飴を地面に吐き捨て、その上を通って囮を作った。囮は空間から振り向くように現れて男の足を止めた。会話を始めるが、男の声はもう聞こえないので無言で押し切らせておく。再び坂を上がって柵を乗り越えた亜冴は、高専の方へと早歩きで向かった。遠回りにはなってしまったが、こちらの方角で合っている筈だ。あの男が来る前に辿り着かなくては。

 

「仔犬ゴラァ!」

 

 今度は振り返らずに真横へと避けた亜冴は、突進してきた男へと鞄を振り下ろす。重い鞄は頭に当たったものの、亜冴の腕力では気絶には持っていけず、よろめいた隙に亜冴は再び走り出した。

 

「ッ誰か助けて下さい!」

 

 逃げた先の曲がり角の直線にて、そう本来の声色で叫んだ亜冴は自身の姿を表す。一斉に呪詛師がやって来る中、その内の一人の攻撃を受けた亜冴は、転がった先で頭から血を流した。派手に転んで負傷をした姿に、呪詛師たちが近寄ってくる。

 

「やっとやれたな。おい、さっさと持ってくぞ」

「ハァ? なにテメェら、横取りすんなや!」

「んだと?!」

 

 殺意を交えた言い争いは、攻撃に発展していく。亜冴は自身に見立てた制服の上着と、その前で殺し合う大人たちを眺めてから、その場を後にした。

 

──低俗ってああいうことを言うのかしら。

 

 何はともあれ、住宅街は抜け出た。もう少しで高専だろう。亜冴は痛む手首を摩りながら、音を消して歩いていく。そろそろ腕の方も限界だ。

 

「いたぁい……」

 

 しおしおと呟いた亜冴の声は、風の音として消えていった。

 

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