玉犬の片割れである白の声に、駆け出す黒を伏黒は追い掛けた。伏黒の指示のまま飛び出した黒は、白の首根っこを捕まえる呪詛師へと攻撃を加える。即座に白から手を離し、距離を取った男と対峙しつつ、伏黒は周囲を見るが、亜冴の姿はどこにもない。
──姿を消しているのか…?
伏黒には判断が付かないが、今はこの呪詛師を倒すしかないだろう。白は白い大型犬を模している式神だ。その白い毛皮は薄汚れ、手足に怪我もしてしまっている。伏黒は白に再び亜冴を守るよう指示を出し、茂みの方へ勢いよく白が駆けたのを見送った。
「犬っころ共の飼い主はお前か」
「……髪が長い奴、アイツはどこにいる?」
「へぇ、髪長いのか。あの仔犬」
──足集利はコイツと対峙して、白が逃したのか。
経緯を掴んだ伏黒は、もう用はないとばかりに、煽ってくる男の言葉を悉く無視をした。とにかく、俺はこの男を引き付けて、亜冴を高専に誘導すればいい。影絵を作るように手を組み合わせた伏黒は、新たな式神を呼ぼうとした瞬間、目を丸くさせた。
──ガサガサッ! ズザザザッ
「わ、ちょっ!」
コンクリート製の人工的な坂から転がり落ちてきたそれは、ちょうど呪詛師と伏黒の間で止まる。
「いッ、たぁ……」
鞄片手に生垣から飛び出し、急な坂にゴロゴロと身体を打ち付けながら、亜冴は擦り傷だらけの身体を起こした。固まる両者の間で、白が生垣から吠えて亜冴へと寄り添う。
「…………お前……」
何がどうしてそうなったのかは分からないが。
呪詛師と顔を見合わせた伏黒は、男が動くと同時に手の構えを変えた。
「蝦蟇ッ!」
「うへぇぁ?!」
間抜けな声を出す亜冴を、蝦蟇の舌を巻き付けて回収した伏黒は、玉犬たちでナイフを投げて来る男に対抗する。坂では転がり、勢いよく引き寄せられて目を回す亜冴の手首からは、手錠が衝撃で壊れてしまっており、鎖部分は辛うじて引っかかっている状態だ。先に付いた鞄は頑丈な作りの為、本ごと開かれずに済んでいるのは、不幸中の幸いである。その状態に気が付いた亜冴は、鞄を胸前に両腕で抱えると、暴れることをやめて大人しくなった。こればっかりは蝦蟇を事前に見せておいて良かったかもしれない。
「足集利、怪我は?!」
「えぇっと……今、転んだ時に」
「やっぱちょっと黙ってろ!」
「理不尽……」
心配を返してほしく、苛立ちのままに怒鳴った伏黒は飛んでくるナイフを避け、男の腹を膝で蹴り上げた。背中を引っ掴み、追撃をしようとするも、スルリと男は上着を脱いで抜け出ると、懐に入り込み、伏黒の首元へとナイフを振り上げる。完全に避けきれず、済んでのところで黒が男の腕に噛み付き、伏黒との間に入った白が体当たりを喰らわせた。
「この道を真っ直ぐ行ったら、乙骨先輩たちが待ってる筈だ! 走れ!」
「えっ、は、はい!」
伏黒は蝦蟇で遠くまで運んだところで、亜冴を地面に下ろして走らせた。亜冴が逃げやすいよう、並走させた蝦蟇で飛んでくる攻撃を弾き落とさせてやっておく。伏黒は走る亜冴を庇うように、男と交戦を続けた。戦いは両者ともに一歩も引かず、呪力容量の問題から伏黒はこれ以上、他の式神を出せないでいた。玉犬と蝦蟇を出している状態で、他の式神を使えば、戦闘が長引いた際、呪力が枯渇してしまうだろう。それまでに相手を倒せたとしても、高専に辿り着くまでに他の呪詛師に攻撃されたら終わりだ。
「っ隙ありぃ!」
「しまっ……! 足集利!」
伏黒の僅かな隙を突き、勢いよくこれまでにない速度で男が跳躍して、伏黒を飛び越えていく。伏黒は亜冴の名前を叫び、反射的に振り返った亜冴は、あと数メートルの距離にいる呪詛師に目を見開いた。
「足集利、避けろッ!」
「うわっわっ」
どうしたらいいのか分からない、といった風の亜冴は、慌てた様子で鞄を前に掲げて盾にする。擦れ合う金属音が辺りに響き渡り、耳を塞ぎたくなる音に伏黒は険しい顔をした。二人の近くにいる蝦蟇で男の腕を引っ捕らえるが、もう片手に握られたナイフがもう一撃を振り下ろす。それに耐え切れず、亜冴は鞄を落としてしまった。手錠は重力と負荷に耐えられず、亜冴の手首と鞄の間で引き千切れ、コンクリートの地面に吸い込まれた。
──ガシャンッ! ガタタッ
派手な音を立てて落ちた鞄は、蓋が開けられてしまい、亜冴と男の足元で空に向かってページが開かれている。中身を見ると死ぬ、とされる漠然とした呪いが亜冴と男の視界に入った。しかし、本はサラリと歪んでいき、空間へと溶けていくと、残ったのは空の鞄のみとなった。
──ダミーだったのか……。
安心したのも束の間、伏黒は蝦蟇の舌で男を更に拘束し、玉犬二匹を噛みつかせようとした。呪詛師である男はまたも意図も簡単に抜け出ると、あーあと落胆の息を洩らす。
「最後の望みが偽物じゃ、戦っても割りに合わねぇ。かーえろっと」
「おい! 待ちやがれ!」
伏黒の怒鳴り声も気にせず、呪詛師の男はまたもや追い付けぬ速度で走り去っていく。出来ることなら倒して捕縛してしまいたかったが、亜冴もいるので深追いはできない。当初の任務は本を無事に送り届けることだ。その本はもう存在しなく、一番最後のゴールとなった自分たちのチームに、嫌なお鉢ばかりが回ってしまったと内心で嘆いた。何はともあれ、あの状況下で亜冴がほぼ無事なのが救いだ。
「戻るぞ」
「あ、はい」
拍子抜けしたのは亜冴も同じだったらしく、いつもの声が返ってくる。伏黒は疲れから深くは考えず、壊れた鞄を抱えて隣を歩く亜冴を疑問に思いつつ、突っ込む気力ももう無い。一先ず、三体の式神に囲まれながら、二人は高専付近で捜索していた乙骨たちと合流を果たした。