「午後はもう一人の編入生を迎えにいくよー」
亜冴の頭上に衝撃がまたも走ったのは言うまでもない。虎杖のような人だったらどうしよう。
社交的な虎杖により、三人での昼食を済ませることになったのは、つい先程のこと。虎杖は亜冴の知らない用語ばかりを使って話す。付いていけないのは当たり前のことで、亜冴は話に参加できずに黙々と食事を過ごした。頭の中のノートには、知らない単語がビッシリ書き込まれている。五条推薦の日本語国語辞典を放課後に開き、それでも分からなかったものは尋ねることにしよう。
意味の分からない会話が終わってほしく、逆に午後の授業を待ち遠しくなったところでコレだ。
五条の先導で電車という交通機関に乗り、どこかの駅に訪れた三人は、連れて行かれるがまま、人の賑わいが多い通りへと案内される。亜冴はやって来たことのない場所に、買い物に適した三階建てのショッピングモールと似たものを感じ、知らない店たちに興味を移していった。人と服、そして食事の多い道は、原宿という場所らしい。
「前見て歩け、ぶつかるぞ」
「ちゃんと見ていますし、マイゴにもなりません」
「あ? お前、人の善意を……」
「んもー、ケンカしないの」
「おっ、アレじゃね?」
虎杖の声に一同の視線が同じ方を向く。前方には確かに似た制服の女子がいた。彼女は女性に小さな紙を差し出す男性の後を付けているようだ。見たところ、しつこく声を掛ける男には、特有の目付きがない。
「話だけでも〜……」
「ちょっとアンタ」
肩にかからない程の茶髪をストンと下ろす彼女は、勝ち気にも他の女性に声をかけた男性に話しかけた。おかっぱ頭を長くしたらあんな感じだろう。肩を強く掴まれた男は、ゆっくりと彼女へと振り返る。
「私は?」
「はっ?」
「だから、私。スカウト」
「えっ、いやぁ……」
遠巻きに眺める生徒たちと、楽しそうにする教師は声を掛けるでもなく、そのやり取りを眺める。初めて見る人柄だ。亜冴はマジマジと見つめ、新たな同級生に好奇心を寄せたが、虎杖たちは食い下がる、スカウトされようとする新しい同級生に引き始めていた。
「
しばらくして、仁王立ちで片手を腰に当てる大荷物の彼女、釘崎は真顔で自己紹介をする。これは自己紹介の流れだろう。言う前に虎杖に先を越された亜冴は、更に伏黒にも先を越されていった。
「俺、虎杖悠仁。仙台から」
「伏黒恵」
「あっ、足集利亜冴です。これからよろしくお願いします」
順よく終わった名乗りに訪れるのは沈黙。何かまたやってしまったのかと戸惑うが、特に指摘は降りて来ない。剣呑な目付きで品定めされていく三人は、釘崎の出方をそれぞれ伺った。
自己紹介の順に定められ、それぞれ碌なことを思われていないのを悟った亜冴は、さり気なく一歩後ろへ下がる。最後に亜冴に止まる顔は変わらず厳しく、つい固唾を飲み込んだ。怒らせてしまったのだろうか。
「はぁーぁ、私ってつくづく環境に恵まれないのね」
──……なんだか、目下に見られた気がする。
釘崎の言葉をあまり信用できないながらも、曖昧に頷いた亜冴は更に後退して、背後の電柱に身を寄せた。この人も苦手だ。
「折角だから、東京観光でもしようか」
「はいはいはいはい! ザギンでシースー!」
「ビフテキ! 俺、ビフテキ食べたい!」
また分からない言葉だらけ。亜冴は五条に群がる二人が伏黒から離れたのを良いことに、コソッと背中を屈めて近付いた。嫌な予感がしたらしい伏黒は若干身構えたが、逃げずに迎え撃ってくれる。
「すみません、カンコウってなんですか……?」
「……住んでいない知らないところを見て回ることだ」
「……毎日が観光……?」
「…………そうかもな」
投げやりな伏黒の返答に満足した亜冴は、虎杖に二人は引き摺るように連れられて、五条先導の東京観光に乗り出した。亜冴は抵抗しても無駄だと悟り、静かにされるがまま脇道を歩く観光に続く。
「じゃあ、ここで呪霊を祓って来てね」
裏通りの暗がりの廃ビルを前に、五人は立ち並ぶ。騙し討ちに特に嘆く虎杖と釘崎は、五条に先ほどと同じように群がるが、見るからに機嫌と声色が違う。
「五条先生の嘘つき!」
「地方民を弄びやがって!」
笑って受け流す五条はビクともせず、数々の苦言に耳を傾けやしない。自身の入学当初に思いを馳せた亜冴は懐かしさを感じつつ、大人にはなりたくないという思いをより一層強くさせた。こうなっては人としての人格を疑われるだろう。
「近所にデカい霊園があってさ。廃ビルとのダブルパンチで呪いが発生したってワケ」
「やっぱ、墓とかって出やすいの?」
「墓地そのものじゃなくて、墓地イコール怖いっていう人間の心の問題なんだよ」
「あぁ、学校とかも似た理由だったな」
「ちょっと待って! コイツそんなことも知らないの?」
「実は──」
話される数日前の出来事は、伏黒の口から再度語られた。釘崎は険しい顔で特級呪物を飲み込んだ虎杖から距離を取る。何か暴言を吐き、衛生観念という亜冴でも知っている言葉で非難を交えた。動きの大きい釘崎は、無理と連呼して虎杖がそれに噛み付く。亜冴も言いたいことがあるものの無言を通した。その件に関して何か言うと、伏黒から小言が来そうだからだ。私は液体で、虎杖は固形なのに。素質ってなんだか不公平だ。
「君たちがどこまでできるか知りたい。野薔薇、悠仁、二人で建物内の呪いを祓って来てくれ」
「私は?」
「僕らはお留守番」
五条は半分呪いみたいなものだと称した相手である虎杖に呪具を渡し、ヒラヒラと手を振って二人を見送る。渋々廃れた建物へ入っていく二人が消えていくのを、亜冴は若干の同情を寄せた。誰しも期待を裏切られるのは嫌だよな。
以前、伏黒と五条で訪れた廃ビルは、五階建ての広い場所であった。四階までの目前のそれは、同じように寂れてはいるが、窓ガラスは無事に残っている。年季とやらが違うようだ。
「今回、試されてるのは野薔薇だよ」
伏黒との会話でそう答えた五条に、亜冴はコンクリートから視線を移した。
「悠仁はさ、イカれてんだよね」
話し出す五条の言葉に亜冴は疑問を落とす。
「異形とはいえ、生き物の形をした呪いを。自分を殺そうとしてくる呪いを、一切の躊躇なく殺りに行く」
「……」
「恵みたいに昔から呪いに触れてきたワケじゃない。普通の高校生活を送っていた男の子が、だ」
──いかれる。思考が正常ではなくなる。
該当するであろう知っている言葉だ。だがしかし、そうなれば。亜冴は喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。ここで言葉を発するのは、望まれていない。そもそも望まれることなんて、私においてない。
「才能があっても、この嫌悪と恐怖に打ち勝てず、志半ばで挫折した呪術師を恵も見たことあるでしょ? 今日は彼女のイカれっぷりを確かめたいのさ」
──やっぱり、五条悟は私を試したんだ。
廃ビルでの出来事を思い出した亜冴は、心に影を落として微かに俯いた。もし呪霊を喰えという命令を少しでも躊躇っていたら、私は切り捨てられていたのだろう。そういう世界だ。離れとは違って自由がある代わりに、試され続けるのが外界か。今のこれは本当に自由なのかな。放し飼いの獣かもしれない。
「でも、釘崎は経験者ですよね。今更なんじゃないですか?」
「呪いは人の心から生まれる。人口に比例して、呪いも多く強くなるでしょ? 地方と東京じゃ、呪いのレベルが違う」
四月頃に習った内容だ。言い換えをして説明する五条は、亜冴向けにもしているのだろう。そうしなければならない程、私はまだ幼いんだ。わかっているからこそ、歯痒くて仕方ない。
「単純な呪力の総量の話だけじゃない。狡猾さ。知恵を付けた獣は、時に残酷な天秤を突き付けてくる。命の重さを賭けた、天秤をね」
──大人とどう違うのかしら。
話を聞いた当初に思っていたことを再度思う。大人は誰も彼もが狡猾で、残酷だ。相手を想った行動すら、こちらの首を絞めてくる。総じて見れば、呪いの方がその傾向にあるだけで、人となんら変わりはない。この考えだから、私はいかれているのかもしれない。
廃ビルの三階に当たる部分が歪み、中から呪霊が降りてくる。亜冴は虚な目で空中のそれを見上げた。呪霊から糸のように漏れ出る、暮れた空と混じる黒いものと、廃ビルから見える微かな光が、亜冴には繋がって視えた。
「祓います」
「待って」
次の瞬間、どこかカエルに似た呪霊から漏れ出ていた光が巨大な針に変化して突き出て、紫色の液体を撒き散らしながら、宙で胡散していく。やがて黒く墨のように立ち消えていき、廃ビルからの不快感も同時に胡散した。
「いいね、ちゃんとイカれてた」
亜冴を試した時と同じ声を発し、五条の満足げな様子は薄寒いものを感じさせる。ぬいぐるみにされた気分だ。
虎杖たちが一緒に連れ立ってきた子供を家まで送り届ける頃には、日も暮れ始めてしまい、空は橙色と赤色に染まっていた。働いたので休めという理由で、虎杖と釘崎は送るまで適当な場所で待たされ、亜冴は苦手意識から伏黒と五条に付いていった。