最弱の怪物   作:肩たたき

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第四話『教育』-1

 

 休日の寮部屋にて、亜冴は床の上に世界地図を三種類拡げて寛いでいた。土曜の休みは退屈で仕方なかったが、夜蛾の計らいで日本の義務教育に関する教材は送られている。亜冴は付箋で世界地図二枚に当たりを付け、更に同じ箇所に該当する地球儀にも付箋を貼った。自分たちが暮らす地球は、球体ゆえに平面では表現できないが、平面ゆえに歪みが生じる。またこれらが一日ごとに回転しつつ、太陽の周囲を一年掛けて回るというから、あまりの巨大さに現実感がない。そもそも日本とされる場所はこんなにも小さく、あの屋敷もこの場所も、小さいというには目に見えなさすぎる。

 

「ちょっと足集利ー、って何やってんのよ」

 

 扉を叩きもせずに開けた釘崎は、亜冴の勉学の邪魔をしてきた。まぁ今し方、地図それぞれの利便性を理解したので良いけれど。

 

「歪みの確認です。こんなものを作るなんて、世界って貪欲ですね」

「何言ってんのか、頭の天辺から爪先まで分かんないわよ」

「なにか御用ですか?」

「買い物、行くわよ」

 

 今日も今日とて、朝食を無理に取らされた為に私服を着ている亜冴は、格好に気合が入った釘崎に首を傾げる。私服の彼女は煌びやかで、街中で見かける若い女性そのものだ。制服や高専にいる時は気を抜いているのだろう。街へ繰り出す寸前の格好に、亜冴は悪いとまでは言わないが、良い顔をしなかった。

 

「何故ですか?」

「なんでってアンタ……見ていて、暑苦しいからよ!」

「……はい?」

 

 季節は六月上旬。虎杖と釘崎が編入して、すぐの休日。

 亜冴の格好は初夏には相応しくない、ロングティーシャツとズボンだ。覚えた名称の洋服は、ここ最近のお気に入りである。何より楽だし、伏黒が選んだ服なので彼が好んで着るような格好を選べば、間違いはない為だ。

 

「いつまで春気分でいるのよ! 季節はもうすぐ夏よ! 夏服買いに行くわよ!」

「暑くなったら袖を切り落とします」

「イイわけないだろーが! さっさと準備せんかい!」

「横暴だ……」

 

 素直な感想が漏れ出る亜冴と、問答無用で連れて行こうとする釘崎。厳しい顔付きの彼女の背後から、様子見をしてくる男子二名に亜冴は無駄な抵抗だと悟った。なんなら伏黒は、亜冴の服を春服までしか買っていなかったことに、少し悔いている様子ですらある。どの道、購入は回避できなさそうなので、亜冴は渋々未だ苦手意識の残る、虎杖たちとの買い物に重い腰を上げた。

 

「アンタってもっとキュート系が好きなのかと思ってたわ」

「きゅぅと?」

「可愛いって意味よ。宇宙人」

「ウチュウジン……」

「ほら、これとか似合うんじゃない?」

「露出が多いです」

「別にこれくらい普通よ」

 

 これくらい普通なら、私の普通と世間一般の普通は違うようだ。ヒラヒラと前開きでない浴衣のようなそれを亜冴に合わせてくる釘崎は、これを持てあれを持てと指示をしてくる。後ろに控える男子たちは仕方ないとばかりに、退屈そうにしながらも既に釘崎用の荷物を持っており、女性が男性をいい様に使う構図に亜冴はやはり戸惑いを見せた。これが普通なら、何が正しいのか分からなくなってくる。

 

「ほら、これとこれ。試着室で着替えてきて」

「んぇっ?」

「ボーッとしてんじゃないわよ。回れ右!」

 

──シチャクシツ、店内で着替える場所。

 

 亜冴は自分で意味を紐解きながら、押し込まれた扉もない狭い部屋で分厚いカーテンへと振り向く。釘崎は着替えるまで出てくるなと指示を出し、亜冴は着替えずに開けようとしたが、普通に叱られたのでまたしても観念した。嫌われてはいない、むしろ善意なのかなんなのか。というより自己満足が結果、善意に繋がっているのか。

 

「……靴と、ワンピース?」

 

 分からないながらも拾った単語と紐付けた洋服の留め具を探し当て、亜冴は仕方なくもすごすごと袖を通した。きちんと着られたそれを鏡張りの壁へと振り返って確認する。なるほど確かに。使用人たちが朝から、せっせと身支度をさせた時と並べるほどの煌びやかさがそこにあった。しかし、顔と髪はいつも通りなので、あまりピンとはきてくれない。

 

──……確か。

 

 母が行なっていた編んだ髪。亜冴はその構造を頭の中で組み立て、自身の長い髪に施していく。三つに分けた束を繰り返し編み、先を摘んで解けぬようにしてみる。幾分か見栄えをした頭で、分厚い仕切りを開けてみた。

 

「いいじゃない。それ買いなさい」

「いいね! 似合ってるじゃん」

 

 亜冴は結っていたものを解き、動きにくさに眉間の皺を濃くした。まぁ動きやすくしても、どうせ留守番だろう。それでもやっと慣れてきたのは簡素な傾向のものだ。

 

「……私には良し悪しが分かりません」

「釘崎野薔薇さまコレクションにケチ付けるつもりか? オォン?」

「衣服は自分で手に入れるものではないですし……」

 

 口を窄めて反論した亜冴に、伏黒ごと三人が固まる。自分には無い特権として、亜冴の中には自分が欲する物の購入が並んでいた。それに気が付いた伏黒は、なんとも言えない顔をしている。

 

「親に買って貰ってたとかそういう感じ?」

「両親ではありません。人が持ってきた物か、代わりに選ばれた物を身に着けたり、買ったりしていました。自分で選んで購入するなどは……」

 

 下着店もそんな感じで購入を済ませた。店員が勧めるものを、伏黒を真似て会計を済ませた。自分の物だけれど、自分の物ではない。そういう認識でいる。自分自身だけの力で手に入れた物など、私には何もない。何かを欲して手にすることは、傲慢だと教わった。

 

「……足集利」

 

 真面目な顔をした釘崎に、亜冴の目がきちんと向かう。薄い両肩に手を置いた彼女は、いつもの小馬鹿にした感情はなく、至極真面目に物を言うつもりだと亜冴は察知する。鋭く理解できない言葉ばかり使う彼女に、亜冴は苦手意識があった。それでも面と向かって堂々としていられる性格は美徳だと感じていた。彼女はそういうことが許されていることに、羨ましいとさえ思えた。

 

「これから毎回、私の買い物に荷物持ちとして付き合いなさい」

「なんでですか?」

「大した努力もしてないのに、その服が似合ってるのがムカつくからよ」

「ひでぇ……」

 

 ボソリと呟く伏黒に、キッと睨みを効かせた釘崎は亜冴に視線を戻す。煌びやかな釘崎の輝きは、努力の末のものだとしたら、なるほど私が敵う筈もない。

 

「私がお洒落ってもんがなんなのか、みっちり教えてあげる」

 

 強気で素直じゃない善意に、亜冴は思案して頷くように頭を傾けた。お化粧をしている彼女は、見合いの席を彷彿とさせているのに、彼女自身の為だけに行なったことが不思議でならない。他者の利益を生む道具としての煌びやかなものでは決してない。自意識の格差というものだろうか。自分に価値があると信じて疑わないなんて。

 

「……私、半年前まで箸より重いものを持ったことがないので、持てる荷物は少ないかと思います」

「喧嘩売ってんのか? テメェ」

 

 釘崎は生粋の箱入り娘に対し、胸ぐらを掴み掛かると、商品をすぐに脱げと指示を出した。引き剥がしにかかる虎杖はなんとか釘崎を宥めようとし、亜冴は釘崎という人物との距離を計りかねた。

 

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