最弱の怪物   作:肩たたき

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第四話『教育』-3

 

「恵ぃ、カワイイ子、取られちゃったねぇ」

 

 ゲリラショッピングから開けた月曜日、伏黒は絡んできた五条を突き返した上で機嫌を悪化させた。五条が揶揄するのは、言わずもがな足集利亜冴のことだろう。すっかり和気藹々と釘崎と虎杖に囲まれた亜冴は、楽しげに砕けた口調で話している。あの緊張を覗かせていた顔色はなんだったのか。自分と接するほど、いやそれ以上に顔を綻ばせていた。虎杖たちの言葉遣いも、気が付けば亜冴に合わせたものになっていれば、度々の質問にきちんと答えている。確かに一週間前までの自分の立場は、綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「別に、俺のじゃないです」

「可愛いのは認めるんだね」

「……言葉の綾です」

 

 けれど予想できた展開である。元々物怖じしない性格の亜冴は、世間と言葉を知らないだけで知ってしまえばなんてことはない。明るく社交的な普通の女子になるのだろう。そんな人物が愛想の悪い自分の近くを彷徨くことはない。勝ち気すぎるが同世代の女子である釘崎か、虎杖のような根明の善人に懐くのが筋というものだ。

 

「楽しそうでいいじゃないですか」

「恵は混ざらないの?」

「必要ないでしょう」

「そう? 一人って寂しくない?」

 

 まるで亜冴が空白を埋める役割をしていたような口振りに、伏黒の眉間の皺が深くなる。一人に慣れている伏黒にとって、孤独はそこまで敵ではない。そも、入学式直前まで一人だけの一年生だった予定だ。随分と前から入学が決まっていたという釘崎も、六月からの編入生である。騒がしい亜冴と虎杖がイレギュラーなのだ。

 大の大人のダル絡みがいい加減、ウザくて仕方なくなってきた頃、やっと午前の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。伏黒はこれ幸いにと、遠くから駆け寄ってきた亜冴との習慣に乗った。

 

「今日はカレー屋に行くぞ」

「カレーってなんですか?」

「家庭料理。ハンバーガーよりも色々と種類がある」

「そうなんですね」

 

 取り出したスマホで場所を確認した伏黒は、後ろに付いてくる亜冴を引き連れて、グランドから出ようとした。それを塞ぐように、駆けてきた虎杖たちに前を阻まれる。背後からは五条がのし掛かって来て、伏黒の心中は大層穏やかじゃない。

 

「あぁ? なんだよ」

「なんだよじゃねぇよ、なんで俺らも誘ってくれないワケ?」

「そーよ! 旨いカレー屋に連れて行きなさい!」

「……五条先生はなんなんですか」

「毎日毎食一緒に過ごす二人が可愛いから、見学したいなって」

「イチャイチャしてんじゃないわよ!」

「えっ、てか付き合ってんの?!」

「誰がこんな温室育ちの野生児と!」

 

 本人を前にして失礼極まりないなどはどうでもいい。言い得て妙でもあり、矛盾する蔑称で否定された亜冴は、そもそも言葉の意味を理解していないので、のほほんとしたものだ。だから暴言を吐いたとかではなく、伝わっても差して問題はない。「私は皆さんとご一緒でも構いませんよ」と当の本人は呑気なものである。

 

「ハァーっ、勝手にしろ……!」

「ヨッシャア! カレーだ!」

「私、ナン食べてみたかったのよね!」

「ナンってなに?!」

「お米の代わりにカレーと食べる、平たいパンのことだよ」

「パンってなんですか?!」

 

 はしゃぐ落ち着きのない一同に溜め息が漏れる。眉間を揉んだ伏黒は足止めされた分、早く行こうとして気持ち足早に歩き出した。その一歩後ろから付いていく亜冴の周囲を賑やかしが取り囲む。ある種、この騒音は亜冴が連れてきたようなものだ。つい最近までは亜冴の煩さに辟易としていたが、あれの比じゃないほどに煩わしい。もしかして、亜冴は大人しいまであるんじゃないか。

 

「初めて嗅ぐ匂いです」

 

 辿り着いたカレー屋で呟いた亜冴は、席に着くや否やメニュー表と睨めっこした。テーブルに広げられたメニューをジロジロと眺めては、想像を膨らませているようだ。写真付きのそれに対して、何を考えることがあるのだろうと思ったが、対面に座る拡声器を突く気にはならない。拡声器の周りもまた拡声器である為。

 

「タイ人のカレーって、クセになるよね」

「タイジンってなんですか?」

「タイっていう国があるんだよ」

「なるほど、タイ人。タイでは英語を?」

「いや、使える人は居ると思うけど、母国語が違うよ」

「ボコクゴ……。あ、その国に元来ある言語ですか?」

「そうそう、賢い賢い」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でられるのを好きにさせる亜冴は、そのボサボサの頭のままでまたメニューへと視線を落とす。結局、よく分からなかったらしく、人気ナンバーワンと書かれたセットメニューを選んでいた。伏黒は適当に気になったものを選び、全員が決まったところで店員を呼び出して注文を済ませる。それぞれが滑らかに言い終える中、亜冴は隣の釘崎に早く言えとせっつかれて、やっと口を開いた。料理をメモする店員が去った後、メニュー表を虎杖が回収して畳むのを、ぼんやりとテーブルを眺めた亜冴がふふ、と口溢す。真正面にいた伏黒にはその光景が珍しくて仕方なく、目を僅かばかりに見開いて固まった。くすぐったそうに笑う亜冴の微笑みは、今回ばかりは本心からのようだ。

 

「足集利、どうかしたか?」

「初めて自分で選んで注文をしたなって」

「それだけで?」

「いいえ。やっぱり、伏黒さんは初めてを運んできてくれる人なんだって」

 

 突然、対面して座る伏黒を見て言うものだから、どうしていいか分からない。勝手に息を飲んだ身体がなんだか憎く、周囲の冷やかしが思春期の心を逆撫でていく。口説き文句じみたことを言って、俺だけに恥を欠かせやがって。

 

「いま運んできたのは釘崎だろ」

「確かにそうですね。でも、切っ掛けは伏黒さんですから」

「ほんと、恵と違って亜冴は素直でカワイイね」

「この流れでなんで五条先生がデレデレになってんの?」

「教え子に手を出しそうな不審者にしか見えないわ」

「えー、亜冴をそういう目では見れないよ。子供以下のちんちくりんだし」

「どっちにしろ最低ね」

「チンチクリンってなんですか?」

 

 俺だってそんな目で見ていない。

 先日、五条に言われた言葉がズシリと、今になって伏黒に重くのし掛かってくる。足集利亜冴に関する注意喚起めいた内容を、五条は度々持って来ては、気を許しすぎるなと気を付けろと言うのだ。すっかり馴染んで親しげに、楽しそうにするこんな能天気な相手に、どうしてそんなことが言えるのか。伏黒にはサッパリだ。何にも知らなかったから、なんでも知りたいだけの少女を特に可愛がっているのは、五条本人である。面倒な世話部分を伏黒に押し付けがちなのもいただけない。五条が亜冴を仲間に引き入れようとしているのは明白だ。同時に同じほどの警戒心を募らせる理由が分からず、伏黒はカレーが到着するまで無言を貫き通した。

 

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