最弱の怪物   作:肩たたき

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第四話『教育』-4

 

──あぁ、楽しい。

 

 亜冴は数学の問題集をノートに解きながら、顔を心底綻ばせる。新しい寝巻き、いや、パジャマの半袖半ズボンで、夕飯後のシャワーを済ませた身体はスッキリホカホカだ。ここに来てからというもの、初めてのことばかりで退屈なんて一つもない。ノックの音に振り向いた亜冴は、返事をしてシャープペンを置いた。案の定、釘崎が顔を覗かせて変な物を見る目を向けてくる。

 

「今度は何してんのよ」

「数学!」

「……ついこの前まで算数ドリルだったのに。もしかして、家で勉強ぐらいはしてた?」

「ううん、勉学はここに来てから」

「…………馬鹿と天才は紙一重ってこのことを言うのかしら……」

「五条先生のこと?」

 

 ニコニコ笑顔の亜冴に、毒気を抜かれた釘崎はまあいいと胸を張って腕を組んだ。これは釘崎が何かを命令する時のそれだ。

 

「コンビニ行きましょ。どうせアンタ行ったことないでしょ」

「コンビニってなに?」

「コンビニはコンビニよ。ちっさい雑貨屋とでも思いなさい」

「何を買うの?」

「お菓子よ、お腹空いたの。で、来るの? 来ないの?」

「行きたい!」

「よし」

 

 夜の買い物は初めてだ。亜冴はその格好のまま、財布を握りしめて部屋を飛び出した。

 

「ちょっと。夏前とはいえ、パーカーくらい着なさい」

「……パーカーって、」

「ベッドに畳んで置いてあるアレよ。早くしな」

 

 いそいそと袖を通した亜冴は、部屋の電気を落としてポケットに財布を突っ込む。自分との買い物よりはしゃぐ隣の亜冴に、釘崎は苛立ちながらも連れ立ってくれた。女子寮から出た二人は、誰とも出会わずにひたすらに昇降口へと向かう。亜冴は前方に見えた人影に、「あら」と声を漏らした。こんな時間にどうしたんだろう。

 

「なによ、なんか忘れでもしたの?」

「伏黒さんたちもお出掛けするみたい」

「は? どこよ」

「目の前に、ほら」

 

 指差した先を釘崎は目を細めるが、見えなかったらしく怪訝なものに変わる。携帯で灯りを遠くまで伸ばした釘崎は、見えた人影にやっと納得がいったようだ。虎杖と伏黒が軽装で同じようにして並んで背中を向けて歩いている。長い回廊だが天気が曇りということもあって、窓から差し込む月明かりは乏しい。

 

「夜目ってやつ?」

「ヨルメ?」

「……もういいわよ。アイツら、こんな時間にどこ行くのかしら」

「コンビニじゃないの?」

「別に夜行く場所イコールコンビニってワケじゃないわよ」

「へぇ、そうなんだ」

 

 早歩きで進んでいく釘崎は、合流を図るようだ。亜冴もそれに続き、特に足音なども気にせず、廊下を素足で軋ませて歩いた。途中で釘崎がシィと唇に人差し指を当てて、静かにするよう指示を出してくる。亜冴は立ち止まると、今度は気配を消して、そっと二人に近付いた。二人の背後に立ったところで、釘崎は間に入るように二人の耳元に顔を近付ける。

 

「──ばあ!」

「ッひょわぁあああぁあ!」

 

 叫ぶ虎杖と思い切り肩をビクつかせる伏黒。二人とも飛び退いて釘崎からいくつも距離を取って振り返った。

 

「ぶははははははっ! 傑作ね!」

「く、釘崎ィ! 何すんだよ!」

「脅かすんじゃねぇ! 危ねえだろーが!」

「ひょわぁあって、気色悪い悲鳴あげんじゃないわよ!」

「理不尽すぎない?!」

「情緒バグってんのか!」

 

 なんだか楽しそう。三人のやり取りを眺めていた亜冴は暗闇から姿を表した。術式を展開して姿を消すまではしていなかったものの、虎杖と伏黒は亜冴の存在に気が付くと、またしてもギョッとした顔を浮かべる。

 

「足集利もいたのかよぉ……ビックリしたぁ……」

「フン、まだまだね。それで、アンタらこんな時間にどこに行くのよ。エロ本でも買いに行くんじゃないでしょうね」

「んなわけねぇだろ!」

「エロホンって?」

「あーもー! 足集利が変な言葉覚えんだろ! やめろって!」

 

 亜冴の耳を塞ぐ虎杖が喚き、釘崎と伏黒の口論が一時休戦する。睨み合う二人は仕方ないとばかりに口を閉ざし、伏黒の口が「コンビニ」と動いた。話が逸れたことで虎杖の手が離れ、亜冴の中でコンビニへの関心が大きく膨らんでいく。コンビニという場所は人気なんだ。

 

「釘崎さん、早くコンビニ行こう!」

「二人もコンビニ行くの?」

「小腹が空いたのよ。どうせだから、犬の散歩もしてやろうと思って」

「釘崎さんは伏黒さんの玉犬と仲が良いんだね。私は黒より白と仲良いよ!」

「ちげぇよ。馬鹿にされてんだよ、馬鹿」

「えっ」

 

 伏黒の火の玉のような辛辣な言葉に亜冴は固まるが、釘崎は然もありなんと神妙に頷く。虎杖は流石に言い過ぎだと咎めてくれるものの、その言い方は詰まるところ思い当たる節があるというものだ。

 

──馬鹿。知能が劣り愚かなこと。また、その人やそのさま。利口でないこと。

 

 まあ確かにそうなのかもしれない。けれど、私が馬鹿なら、他者は一様にしてそうではなかろうか。口には出さずに亜冴は不満げに頬を膨らませ、パーカーの両ポケットに手を突っ込んだ。下へと引き伸ばして、一人先に歩いていく。コンビニの行き先は知らないが、こうなったら一人で夜の散歩をして、別で初めてを埋めよう。そんな亜冴の後ろをぞろぞろと三人は歩き始める。

 ジトリと半目になった亜冴は、五条の言い付けを破りたくなった。無闇に姿を消すな、という指示はこういう時に不便だ。自分を空虚にして、彼らを置いていってやりたい。そうすれば、多少は見直してくれるというものだ。でも。

 

「なんで皆さんは五条先生に信用されているんですか?」

 

 振り返らずに尋ねた質問に、三人が変な顔をしたのが手に取るように分かる。さぞ、なんだそれ、と言いたげな顔だろう。聞くべきじゃなかった。聞くんじゃなかったな。

 

「──コンビニの場所、知らないから教えてください」

 

 振り返らずに声色を変えた亜冴は、自分の顔の上に笑顔を映し、いたく詰まらなそうなものを隠した。今の生活に不満はない。むしろ心底楽しい。いつか奪われるのではないかという、不安さえなければ、大人にゴマをする必要もないのに。

 

 

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