最弱の怪物   作:肩たたき

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第五話『見届け人』-2

 

 頭が重い、寒くて仕方ない。

 亜冴は起床してすぐ、ベッドから起き上がれない身体を呪った。目覚まし時計が五月蝿く、無理に起き上がって、覚束ない手元で消してからまた倒れる。勝手に出ていく咳が煩わしい。もう一度起き直した亜冴は、フラフラと寝床から出た。

 朝の支度がちっとも楽しくない。

 いつもなら五月蝿いと、ギリギリまで寝ている釘崎に壁を叩かれるのだが、それもなく静かに制服へと着替えていく。洗った顔が腫れて痛く、瞼は思うように開かない。苦しみを訴える顔付きが嫌で、鏡から顔を付してタオルで拭った。

 食堂までの道のりが長く、部屋の外は更に寒かったためにベッドへと再び身体を下ろして、ゆっくりと呼吸を繰り返す。クラクラする。やはり頭が重い。離れならばこの時点で使用人がゴム手袋をした手で寝かせに掛かるのだが、それは何も用事がないからで、今の亜冴には学校という予定と用事がある。

 誰もいない廊下を歩き、亜冴は静かな教室の前で立ち止まった。開けても虎杖悠仁はこの先にいない。確認のように繰り返した脳内の言葉から、意を決して扉を開ける。その先に既にいた伏黒は、物音に顔を上げたが、亜冴の姿を見るや否やギョッとした。朝食の呼び出しを無視したことに文句を言うつもりだったようだが、すっぽ抜けるほどの衝撃で顔が埋め尽くされている。

 

「おい、体調悪いだろ」

「……そんなことないです」

「どう見たって顔色最悪だぞ」

 

 フラつく亜冴を支えるべく、近付いた伏黒は小さな肩に手を置いて、顔を覗き込んできた。距離が近いな、やめてほしい。重い頭で見つめ返すも想いは伝わらず、遅れてやってきた釘崎に怪訝な顔をされてしまう。

 

「アンタたち何やってんの、邪魔よ」

「コイツ、たぶん風邪だ」

「朝、ヤケに静かだと思ったら……」

 

 カゼってなんだろう。熱のことだろうか。

 尋ねる気力もなく、額を触っていく伏黒をそのまま受け入れた。反射的に閉じた瞼に、頭だけでなく瞼まで重かったことに気が付き、ハァ、と亜冴は曇った息を吐いた。重心が揺さぶられているようだ。地面が私を拒絶している。受け答えしないでいれば、二人は普段の亜冴の忙しなさと比較して、更に心配の声を掛けてきた。乳母。いや、乳母というよりかは、彼らに近い。あぁ、嫌だな。また泣きそうになる。

 

「おはヨーグルトォ! キミら、入口じゃなくて中で話したら?」

 

 五条の明るい声に二人がそちらへ視線をやるのを感じ取る。今ならと術式を展開しようとしたが、気配を察知したらしい伏黒に軽く肩を抓られて止められた。目を合わせた彼は怒っているのか、軽く睨んで五条へと状況の説明をしていった。

 

「ウッソ、マジ?」

 

 軽率な彼は亜冴の顎を引っ掴んで、顔を伺おうとしてくる。判断能力が著しく低下した亜冴に従順な姿はなく、怪訝な顔をして五条から逃れるべく、外方を向いてパシン、と手を弾いた。三人が驚いているのが分かるが、今は本当に触らないでほしい。無遠慮な手は嫌いだ。大の大人の力に抵抗できる筈もなく、二度目は無下限で抵抗できなくした亜冴の険しい顔を見た彼は、コレはダメだと判断を下してしまう。

 

「顔色悪いし熱いし風邪だね、完全に。しかも泣き腫らしたの? 酷い顔」

 

 唇を強く噛んで耐えた亜冴は、やっと離れていく五条から顔ごと逸らし、不機嫌オーラを纏った。顔を拝むことも触ることも、許可した覚えは一つもない。おまけに失礼極まりない彼は、昨晩の出来事を明かしていってしまった。なんて人なの、という言葉を出す気にもならず、ただ不満を胸中で募らせて、歯ぎしりをしながら亜冴は下を向く。

 虎杖悠仁が亡くなって、七日が経つ。

 四日前には始まった授業で、それでも亜冴は極力普段通りに振る舞った。しかし、夜になれば一人の時間というものは訪れるもので、悲しみが波となって襲いくる。何度も泣いては迷惑になると、一人静かにやり過ごしていた。昨晩は丁度初七日。一度眠りに落ちて、途中深夜目覚めた時に夢の内容に酷く胸が絞られたのだ。虎杖が出てきた夢の内容は暖かく、別れの言葉も言えぬまま、彼に亜冴は尋ねてしまった。

 

「どうして死んじゃったの?」

 

 それはいつかの初七日の日に見た夢の内容と酷使していた。昨日はそのまま眠ることができず、枕を濡らして泣いて過ごした。気付いたら眠っていて、起きれば頭が重く身体が冷えていたのが今朝だ。

 心配そうな三人の様子が嫌で仕方ない。教室の隅なのに中心人物のような扱われ方は、あまり好ましいものではなく、いたくつまらない。こんな私を見ないでよ。従順で愛想を振り撒く私の方が好きな癖に。

 

「熱が酷いなぁ。家入のところに連れてくよ」

「……大丈夫です」

「どこが?」

 

 前にもあって、寝ていたら治ったからとは言えず、五条に連れられるがままに、亜冴は保健室へと運び込まれていった。心配そうな二人の顔がまた既視感を連れてくる。

 

──父様と母様なら、なんて言ったのかしら。

 

 担ぎ込まれた先の治療室は白く清潔で、いつかの伏黒たちが寝かせられていたことは記憶に新しい。この程度の理由で弱った私には、相応しくない場所だ。

 

「風邪だね。朝は食べた?」

「……食べてません、食欲なくて」

「薬飲んでもらうから、胃に何か入れないと。はい、コレ食べて」

 

 渡されたゼリーに頭がもたげる。パック式のものは何度か見たことがあり、時間短縮できる呪術師特有の道具らしかった。ここ最近は碌に食べていない。伏黒からの食事の誘いを頑なに断ってこれだ。

 出ない力を振り絞り、パックの蓋を捻って開けた際、手についた小さな内出血を眺めながら、ちう、とゼリーを流し飲む。器官を伝っていく感触が冷たく、背筋が強張って寒さを訴えた。モノが喉を伝い、胃から迫り上がってくる嫌悪感だけは健在だ。ゼリーのパッケージにはブドウ味と書かれているのになんの味もしない。詐欺だろうか。

 腋に挟んだ体温計とやらが鳴り響き、そろそろと取り出して数値を見れば、四十近い数字が表示されていた。取り上げていく家入は「うわ、高熱じゃん」と呟く。

 

「五条、診ておくから戻りな」

「えーでも心配だなぁ」

「伏黒たちも心配してるんだろ? 伝えておけ」

「ちぇっー」

 

 間延びしたやり取りに目を閉じる。亜冴は家入が腰を下ろすまで瞼を開けず、彼女が止まるのを待った。この世の事情、全部ひっくるめて億劫だ。

 

「はいこれ、濡れタオル。目とかも冷やしておきな」

 

 差し出されたものをまたしても無警戒に受け取って瞼に当てる。顔だけは熱を持っていたらしく、冷たさが心地よいので、無言で受け入れた。飲み終わったゼリーのキャップを閉め、濡れタオル共に脇へ置いた亜冴に、家入は薬と水を置いていく。これが睡眠薬ならとても良い。けれど、違うのだろう。

 

「今更だけど、特にアレルギーは無いんだよね?」

「話には聞いてません……この薬、一年前に飲んだことがあります」

「へぇ、よく覚えてるね」

 

 以前の初七日の次の日に飲んだので、よく覚えている。亜冴は錠剤を口に含み、水で流し込んだ。押し流されていくそれを感覚が続く限り追い、胃に溜まる冷たい水を感じとる。これでまたこの薬にもなれるのか。また一歩、恐れられる存在になった。

 丸のみしなければならない錠剤は、もっと嫌いだ。喉を伝っていく感触が、食したことを知らしめている。他者の姿なんていらないから、もう放っておいて。

 

「そこのベッドで眠って」

 

 流れ作業のように感じることもできる家入の指示に従い、亜冴はスリッポンを脱いでそろりと足を一本ずつ布団に入れる。制服で眠るなんて皺ができてしまう。けれど、意見を言う元気はやはりなく、置いてきた濡れタオルを額に置かれて、更に口数を無くした。

 

「借りてきた猫みたいに静かだね」

「……」

「ごめんごめん、おやすみ」

 

 何も言っていないのに謝ってカーテンを閉めた彼女の気配が遠のく。思えば、両親か乳母しか私の眠りを善意で見守る人は居なかったな。それはお昼寝の時だけで、就寝時には誰もいない。

 心を許した相手ばかり先に逝ってしまう。虎杖の死因は聞かされていないし、どういう状況下だったのかも亜冴には分からない。伏黒たちにはとても聞きづらく、最近までの五条の苛立ち具合から口にもできなかった。遺体を見たわけでもないので、実感が湧かなかったが、彼ら三人の全てが虎杖悠仁の死を意味していた。同級生を持ったのは初めてのことで、それを失ったのも唐突だ。なぜ彼が死ななければいけなかったのか、と問うには、両面宿儺の指を食した、半呪物には酷というものだ。それよりも原因は何か、という言葉が先立つ。原因と理由さえ知れれば、何か防止できるかもしれない。

 このまま眠ってしまっていいのだろうか。もっとよく考えた方が、何かの役に立つのではないか。けれども、意思に反して身体の苦しさは増すばかりで、横たわった身体は楽になったと、気だるげにも喚き立つ勢いだ。全身の力が抜けていくのを感じ取り、荒い息を漏らした亜冴は、観念して赤く腫れて隈をこさえた目を閉じた。瞬きのつもりが開くこともできず、楽な方へと流れて、闇へと落ちていく。

 ……嗚呼。

 

──虎杖さん、死んじゃったんだな。

 

 ズッと啜った鼻を気にかける者はいなかった。

 

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